2017/04/04 - 2017/04/04
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LP1989さん
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初めて訪れた高知、1日目の午後は、五台山・竹林寺へ。
竹林寺の開創は、小学生の社会科レベルのメジャーな人物にゆかりがある。
「在位中の聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩から教えを受ける夢を見た。」
「聖武天皇は、行基に 日本国内で唐の五台山に似た霊地を探し、
伽藍を建立するように命じた。」
「これを受けた行基は、この地を選び、
自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊として、開創した。」
江戸時代以降は、土佐山内氏との関わりが濃密。
高知城は、北の江ノ口川と南の鏡川に挟まれていることから、
当初、「河中(こうち)城」と定めたが、南北の河川が度々氾濫したため、
「河中」という表記を嫌った二代目藩主の山内忠義が、1610年に
新たなネーミングを依頼した相手が、ここ竹林寺の住職であった空鏡上人。
(その結果、「河中」は「高智」と改められ、後に簡略化して「高知に」)
以後、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。
堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、
学山(学問寺)として 土佐の宗教・文化の中心的役割を担った。
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高知駅前から MY遊バスに乗車。
車内は、普通の路線バスと変わらないが、
路線バスなら広告スペースに当たる箇所に高知の観光案内がある。 -
五台山への車路は、結構な勾配&ワインディングの連続。
普通車でも一筋縄ではいかない道幅をバスがスムーズに上る。 -
五台山に到着、下車
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五台山公園の中へ入る。
桜は まだ咲き始めレベルだが、
奥ではシートを敷いて花見をする面々も。 -
園内には、何種類もの植物が揃う。
それらの一種一種に解説(案内)板が整う。 -
展望台の方に歩を進めたら、何と 浜口雄幸の像が。
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題字を書いたのは、高知県知事時代の橋本大二郎。
現地表記で知ったのだが・・・
浜口雄幸は、高知県高知市の この近くで生まれ育った。
そして、最初の四国出身の内閣総理大臣だった。 -
売店&カフェの入る建物の屋上から迫り出している展望台。
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うわっ! 宙吊り同然。 この場所から見るだけで 怖いわ。
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恐る恐る入った展望台から高知市街を見下ろす。
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浦戸湾。
「この辺りも、南北朝合戦の現場だった。」
「現在の場所の高知城の水害が
嫌になった長宗我部元親が ここに城を築いた。」 -
高知港
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展望台とは別に階段で少し上がるゾーンがある。
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上がった先の柵に いくつかの南京錠が かけられている。
ポンデザールのように カップルが離れないように祈願したものかね? -
近くにある二色の鉄塔は、NHKの電波塔。
地上から見上げたときは、山の遥か高い所に建っていたのに。
こんな高い所まで上って来たわけね。 -
五台山展望台の後は、すぐ近くの竹林寺へ 歩いて 下りる。
山内家・土佐藩との関わりが、長く 深いからね。 -
上から境内に入って、最初に目にする船岡堂。
廃仏毀釈によって廃れていた竹林寺を
再興させた船岡芳信なる人物(和尚)が名前の由来。 -
本堂へ。
1644年、土佐2代目藩主の山内忠義により、造営された。
屋根は柿葺(こけらぶき)だから、
つい4日前 訪れた東山慈照寺(銀閣寺)の
観音殿(銀閣)の屋根と同じ工法だな。 -
文殊菩薩を本尊に祀ることから、本堂は、「文殊堂」と呼ばれる。
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文殊堂の南向かいの 大師堂。
弘法大師は 806~809年 四国行脚の折、錫を留め、修行したとのこと。
文殊堂と比べると規模、見た目が簡素だが、
こちらも、文殊堂同様、山内忠義により 1644年 建てられた。
忠義が関わったのは、高智(高知)命名の一件の影響なのかね? -
大師堂と五重塔。
秋には、このゾーンが、いい具合に赤く染まるそうだ。 -
この五重塔は 歴史が浅く、昭和55年に建立された。
元々建っていたのは、三重塔(台風で倒壊)。
塔内には、インド・ブッダガヤより勧請された仏舎利を納め、
初層内陣には大日如来を祀る。 -
山門の方へ進む。
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境内からの山門
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通り抜けて、東側(本来 こちらが入口)から見る山門。
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上部の扁額には「五臺山(=五台山)」の文字。
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門の右には、金剛力士像。
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左にも。
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山門の階段を少し下りて、北に入った所の書院。
書院は、1816年、藩主参詣の際の接待殿として造営された。
名勝庭園&宝物館(何れも撮影禁止)を拝観。
宝物館は、地味ながらも音声解説付きで満足だったが、
庭園は ・ ・ ・ (時期の問題なのか? 私の感受性の問題なのか?) -
竹林寺拝観後は、再び MY遊バスで桂浜に向かう。
山を下りたバスが海辺へ。 -
桂浜着。
龍馬に特段の思い入れはないけど、
高知まで来て、ここをスルーできんよね。 -
バスを降りてすぐ、龍馬像 ・ ・ ・ と思いきや、少し歩くわけね。
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龍馬の背中が見えてきた。
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あかん! 逆光。
それなら、龍馬像の写真に執着することなく ・ ・ ・ -
浜辺に下りてみる。 ザブーンと打ち寄せる波の音が凄いね。
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“ This is 桂浜 ”の 弓なりの海岸が 目の前に。
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浜辺の注意看板。
この注意喚起は ごもっとも。
波の音も 勢いも 笑えないくらい強烈だから。 -
弓なり海岸の先にあった龍王岬に向かう。
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鳥居が見えてきた。あと少し
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階段を上った所の海津見(わたつみ)神社
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海津見神社、及び桂浜についての案内書き。
敢くまでも一説としての紹介ながら、
5代藩主の山内豊房の名も出て来る。 -
御参り。
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海津見神社より、更に上がった場所があって・・・
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早高神社。
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早高神社から見下ろす海は、エメラルドグリーン。
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龍馬像の所に戻って来た。
真横の期間限定の特別展望台は、3日前に設営されたばかり。
下から見上げる龍馬が逆光でイマイチだから、
100円払って真横から見ることに。 -
「特別展望台」の内部は、至ってシンプルに足場を組んでいる。
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最上部に到達。
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龍馬の目線で太平洋を見る。
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柵から手を伸ばして、龍馬像を収める瞬間が ・ ・ ・ めっちゃ怖い!
更には、子供が一人二人 足場の階段を駆け上るだけで、全体が揺れる。
笑えんわ。
つい先ほど訪れた五台山の展望台なんか、可愛いもんだったな~。 -
宿(三翆園)に入って、自慢の天然温泉に浸かる。
勿論、中は撮れないので、南からの外観。 -
奥(西側)は、露天風呂。温度は 約40℃。
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三翆園の温泉施設の名は、「水哉閣」
名付けられたのは 大正天皇。 この字を書いたのは 東郷平八郎。
皇太子時代の大正天皇が、1907年 この地に宿泊された際、
鏡川の美しさを 「 水よき哉(かな)」とお褒めになったのが きっかけ。 -
その「水哉閣」の額は、温泉と客室を結ぶ通路に掲げられる。
通路には、上下二段で 山内一豊に関わる展示がある。
風呂を出て、客室に帰りながら 順に展示を見る具合になる。 -
上のスペースには、高知城の豆知識のような展示。
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下のスペースでは、一豊&千代夫妻の様々なエピソードを紹介。
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湯に浸かった後は、高知城の夜の様子を見てから、夕食へ
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堀の周りや 追手門への入場路脇を飾る ぼんぼり。
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空腹の中、あちこち店を探すのが面倒なので、また ここに来た。
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先ずは、栗焼酎ロックとウツボのたたき。
近年、食が細くなったから、
土佐の物を優先的にガンガン食べておかないとね。
ウツボは、昼に食べた天ぷらの味は「???」だったが・・・
たたきは、ポン酢、薬味と絡めることで いい味になっている。
個人的感想だが、ウツボは素材だけで味わう物ではないのかもな~。 -
ウツボは、唐揚でも食べた。 衣とのコンビネーションは良い。
右の小鉢は、高知ならではの一品の「どろめ」(=いわしの稚魚)。
焼酎は・・・何杯目だったかな???
(お腹いっぱいになったところで 初日終了。)
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