2016/05/19 - 2016/05/21
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T04さん
「赤れんが庁舎」庁舎内見学の続きです。今回のメインは「樺太関係史料館」です。北海道ならではの充実した樺太関係の資料ではありますが、終戦間際の悲劇などについても詳しく、今さらながらに心が痛みます。こんな出来事があったこと、日本人の何割が知っているのでしょうか…。戦後の政治や教育の問題についても考えさせられます。
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こちらが、「赤れんが庁舎」庁舎内において私自身が最も楽しみにしている場所の…
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「樺太関係資料館」です。さすが樺太と最も関係の深かった北海道ならではの資料が多く、大変に勉強になります。
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右手に間宮林蔵の像があるように、江戸期より、樺太の開発は日本が先んじて進めて行きました。
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明治時代にロシアとの間で結ばれた樺太千島交換条約、そして日露戦争のポーツマス条約の”北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する”との条文によって、南樺太は日本によって本格的に開発がすすめられました。中心都市は豊原(現ユニノサハリンスク)でした。この立体模型で場所を確認しました。
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こちらが日露の国境線である北緯50度に置かれていた標石のレプリカです。
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正面と、こちら側面には日本語が…
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裏面と、こちら側にはロシア語が記されています。現在のわれわれにとって、陸上における国境線というのは、なじみがない分、違和感を感じます。
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こちらは、かつて豊原にあった「樺太庁博物館」の模型です。この建物は現在でも「サハリン郷土博物館」として用いられているようです。この頃に建設された日本の建物は、旧「台湾総督府」など、今も各地で減益として活躍しているものが少なくないですね。設計、そして大工さんなど熟練工の腕が高かったのだと思います。
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樺太への移住手引書や連絡最捷路(連絡船のしおり)。樺太に夢を抱いて移住した人々が多くいた時代ですね。
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そんな平和な時代が破られたのが1945年8月11日のソ連軍の侵攻です。
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ここから先の展示は、軍事色に彩られます。
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雑のう、将校用飯盒、奉公袋…
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軍用湯呑、認識票、軍隊手帳
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貫通銃創のある鉄かぶと。
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南樺太占領、そして北海道侵攻の計画を持つソ連軍は8月15日以降も侵攻の手をゆるめず、各地で民間人を救うために自衛戦闘を実行する日本軍と激戦が続いた。
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8月15日以降も、多くの日本軍人や民間人が命を失った戦闘を、この鉄かぶとは見ていたのだと思います。
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小銃弾や昇降用革鞄(昭和20年に国教守備隊加藤少尉が使用したもの)、砲弾破片
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昭和20年8月20日、真岡に上陸したソ連軍と日本軍との戦闘が始まったなか、この9人の若き女性たちは通信確保のために郵便局を離れず、ソ連軍が間近に迫ると服毒して亡くなりました。”真岡郵便局の悲劇”とよばれるお話です。
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こうした物語は各地でもあったはずです。すべての日本人に、こうした事実を知って欲しいと思います。
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郵便局の模型や…
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印鑑などが展示されていました。
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戦時債権や小冊子『我等が防空』
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豊原高等女学校制服も、この時代はモンペなんですね。
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激動の時代は、映像からも学べます。
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「樺太関係資料館」の向かいには「北海道博物館赤れんがサテライト」があります。
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まだ「北海道博物館」を訪れたことはないのですが、こちらで雰囲気を感じることができます。
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入口近く、足元には大きなアンモナイトの化石。
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ニシンを煮るための大きな釜。
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土器や土偶が飾られていましたが、その形は少し独特です。「北海道博物館」、行かなきゃ!
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こちらには道内の文化施設などのパンフレット類が沢山置かれていました。これにて、今回の「赤れんが庁舎」の見学は終わりです。
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