2017/03/26 - 2017/04/04
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azianokazeさん
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2017年3月31日 早朝の熱気球体験を終えたのち、ルクソール西岸地区の砂漠地帯に残る「王家の谷」「ハトシェプスト女王葬祭殿」「ラムセス3世葬祭殿」「メムノンの巨像」などを観光します。
表紙写真は「ハトシェプスト女王葬祭殿」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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早朝の熱気球体験から「ネフェルティティホテル ルクソール」の戻り朝食をとります。
屋上で食べますが、このホテルの“売り”は、この屋上からの雄大な眺めです。 -
全面にナイル川と西岸地区の景色が広がります。
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うっすらと見えるナイル川対岸が西岸地区、「王家の谷」や「ハトシェプスト女王葬祭殿」のあるあたりでしょう。
朝食後、観光に向かいます。 -
視線を左方向に向けると「ルクソール神殿」が見えます。
「ルクソール神殿」などの、市街地・ホテルがある東岸地区の観光は明日を予定しています。
急げば、1日で西岸・東岸の両方の観光も可能ですが、あまり詰め込んでも印象が薄れますので、半分ずつ2日で回ります。
それにしても雄大な眺めの朝食です。1泊750円では申し訳ないぐらいです。
なお、朝食も安宿にしては上出来です。 -
ホテル前の猫
“キプロスの遺跡を除き、最も古い猫の家畜化の証拠が発見されているのは、古代エジプト文明です。紀元前4000~5000年頃のエジプトでは、ネズミやヘビ(猛毒を持つコブラなど)などの害獣駆除の為に、猫が家畜化され始めたと考えられています。”http://www.konekono-heya.com/history/egypt.html#four
家畜化されたのはリビアヤマネコのようです。
その後、古代エジプトでは猫は次第に神格化されていきます。
“新王朝時代(紀元前1540~1196)になると、猫は女神ハトホルの化身の一つとみなされるようになり、「Nebethetepet」という名を与えられて神格化されるようになりました。また同時に、王族の間ではペットとしても寵愛されていたようです。”同上
“ギリシアの史家、ヘロドトスはその著書『歴史』の中で、火事の際のエジプト人の不思議な行動を記している。火事の時は、真っ先に猫を救わなければならず、人は消火には見向きもせず、猫が火の中に飛び込まないよう、一定間隔で立って監視をしていたというのだ。”http://www.necozanmai.com/zatsugaku/cats-egypt.html
こうした猫と古代エジプトの話になるときりがありません。
ところで、私の猫は元気に留守番しているでしょうか?旅行中は便利屋さんに世話を頼んであります。旅行で留守番させるのも、もう十数回になりますので、慣れてくれたでしょうか? -
「ベニス細川家」手配の現地係員と専用車で西岸地区に向かいます。
西岸地区に入った所の検問所で、ドライバーと検問所係員が何か書類をめぐってやりあっていましたが、事情はわかりません。
古代エジプト人にとって、太陽の沈む西方は死者の世界とされており、ナイル川西岸地区には「王家の谷」など、死後の世界にまつわる建築物が多く点在します。
まずは、ツタンカーメン王の墓でも有名な「王家の谷」
古王国時代はクフ王のピラミッドを頂点とする巨大な墓としての(異論もありますが)ピラミッドと葬祭殿のセットが建設されました。
しかし、労力がかかりすぎることや、盗掘の対象となりやすいことなどから、新王国時代にはピラミッドは造営されず、墳墓は「王家の谷」のような場所につくられ、一方で葬祭殿が巨大化していきます。
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王家の谷(おうけのたに)は、エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。
古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。
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なお、新王国時代は、紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃になります。
「王家の谷」は撮影禁止で、カメラも預ける形です。
したがって、実写は入口付近のこの写真のみです。 -
現地係員から購入したCD(チップの一部だと思って購入しました)からの写真
入場料は100ポンド(約620円)このチケットで、どこでもすきな(許されている範囲でですが)3カ所の墳墓に入ることができます。
現地係員の勧めで、最初に入ったのがラムセス4世の墓です。
内部は細長い通路状の直線構造になっており、壁には鮮やかな色彩の壁画が描かれています。 -
ラムセス4世(古代エジプト第20王朝3代目のファラオ (在位前1166~前1160) )の石棺
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玄室壁画
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玄室壁画
墓には一人で入りましたので、素晴らしい壁画などを見ても、それが何を意味しているかとか歴史的価値などはわかりません。
正直なところ、猫に小判と言うか・・・「ふーん・・・」でおしまいです。 -
次に入ったのがメルエンプタハ(紀元前1212年 - 紀元前1202年 古代エジプト第19王朝第4代目のファラオ)の墓・・・多分。
写真はCDより
右は、ラー神(ハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多い太陽神) -
下部はスカラベ(フンコロガシ) 壁画によく登場します。
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古代エジプトでは太陽神ケプリ同一視された。これは、糞球を転がす習性を神秘的なものとして受け止め、糞球を太陽に見立てて太陽の運行を司る神に関連付けたものである。
また再生や復活の象徴である聖なる甲虫として崇拝され、スカラベをかたどった石や印章などが作られた。【歩き方】
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映画「ハムナプトラ」では、自分より大型の生き物へ集団で襲い掛かり捕食する肉食の甲虫「スカラベ」が登場しますが、“名前こそ「スカラベ」であるが、肉食であったり、オサムシやエンマムシ、クワガタムシのような大きく鋭い大顎が備わっているなど、全く架空の生き物である。”【同上】とのこと。 -
花崗岩の石棺・・・あまり記憶にはないのですが。
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3箇所目に入ったのがラムセス1世の墓・・・・多分。
休憩所で休んでいる現地係員が「次はあそこへ」と指さす墓に入っていましたので、一応だれの墓かはもちろん訊きはしましたが、よく覚えていません。
地図で墓や休憩所の位置関係からして、ラムセス1世の墓だったのでは・・・といったところです。
内部の壁画も、他のものと類似しています(素人目には)ので、CDで写真を見ても、「そんな壁画もあったような・・・」といった感じ。
現地係員が選んだ3箇所は、ひょっとしたら“入口に近い”という理由かもしれませんが、上述のような“目”しか持っていない私にとっては、まあ、どこでも大差はありません。 -
ラムセス1世(在位紀元前1295年-紀元前1294年)は古代エジプト第19王朝の初代ファラオです。
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描かれる神々・ファラオの構図は、他の遺跡壁画とも共通するものが多く、そういう意味では古代エジプト美術はパターン化されているようにも。
何を見ても区別さえつかない私が偉そうに言う話ではありませんが。
とにかく、色鮮やかな壁画が山ほどありますので、古代エジプト美術に関心がある方なら、時間がどれほどあっても足りないでしょう。
私などは3箇所見れば十分・・・といったところです。
やはりこういう場所は、きちんとしたガイドと一緒に来ないといけません。 -
「王家の谷」の次に訪れたのが「ハトシェプスト女王葬祭殿」
写真は参道のお土産屋さん。
ハトシェプスト女王は、古代エジプト第18王朝第5代のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃)。
“夫であるトトメス2世は妾腹の息子トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共治王を務めた。実際には在位中、彼女が絶対的権力を保有していた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。”【ウィキペディア】
「王家の谷」で見つかったミイラから、“身長165センチ、太り気味で腰骨まで侵食した悪性腫瘍、歯周炎、関節炎、骨粗鬆症、糖尿病等を患っていた。歯周炎による抜歯のため感染した菌が全身を蝕み、約50歳で亡くなったという”【同上】とも。
毎日、相当な痛みをこらえていたのではないでしょうか。
また、権力内部には、女性が統治することへの強い抵抗感もあったと推測されます。 -
写真中央、岩山を背景にした造営物が「ハトシェプスト女王葬祭殿」
入場料は忘れましたが、【歩き方】によれば50ポンド(約300円)
「王家の谷」同様に、広い敷地ですから入口から内部へカートで移動します。(カート代は別料金 2ポンド程度) -
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ここからは、歩いて内部へ。
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女王は、香料を求めてプント(今のソマリア)と交易を行ったということで、そのプントからもたらされた木だそうです。
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正面から
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斜め方向から
近すぎることと、葬祭殿の構造が平板なこともあって、うまくそのスケールを表現できません。 -
【歩き方】掲載写真
全体を見渡すには、この角度の高台からがいいようです。
次に行く機会があれば、この撮影ポイントを目指しましょう。 -
広いテラスは、20年前、日本人観光客10名も犠牲となった悲惨なテロ「ルクソール事件」の現場でもあります。
*****ルクソール事件*****
1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。別名、エジプト外国人観光客襲撃事件。
この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。(中略)
ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し弾薬がなくなると短剣で襲ったという。
この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。【ウィキペディア】
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このような場所で銃を乱射されたら、逃げ場もなかったと思われます。
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事前の現地係員からのレクチャーと【歩き方】情報を頼りに内部を見学
葬祭殿は3層構造になっており、2階部分の右手はアヌビス神礼拝所になっています。
アヌビス神は犬の頭をした神様で墓の守り神です。 -
女性は無関係です。念のため。
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2階中央部 暑いので日陰を歩きたいのですが、日影があまりありません。
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プントとの交易を表したレリーフでしょうか。
全体的に、色彩は不鮮明です。 -
2階左手のハトホル女神礼拝所 ハトホル女神は愛と喜びの女神で、ホルス神の妻でもあります。
柱の上部に刻まれているのがハトホル神 -
大きな太陽を載せた牝牛はハトホル神の化身です。
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小さな画像では判別しづらいですが、ハトホル神の化身である牝牛のお腹の下に人物像が描かれています。 ハトホル神のお乳を飲むハトシェプスト女王とのことです。
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ファラオの列柱が並ぶ3階部分へ
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3階テラス 中央奥が至聖所になります。
女王の治世については
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治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。しかし、それは同時にエジプトの国威の低下を招くことになるのだが、トトメスの軍事的功績の基盤を作り上げたという見方もある。
死後、その事跡はトトメス3世によって抹消されたという解釈が一般的だが、ザヒ・ハワスは、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプストがファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないか、と発言している”【ウィキペディア】***************
とのことです。 -
3階テラスからの眺め
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休憩をかねて案内されたアラバスター(雪花石膏)などの石細工を扱う大きなお土産物屋さん。
係員にも、店の店員にも「何も買いません」と何度も念押しして、実際何も買わずに、冷たい飲み物だけタダ飲みして出てきました。(中にいる間、店員がずっとしつこく商品の説明をしていましたが)
店にとっては嫌な客ですが、お土産はパピルス・ペイントを買っていますし、石細工は重いです。 -
続いてやってきたのが「ラムセス3世葬祭殿」(メディネト・ハブ葬祭殿)
早朝に熱気球から眺めた遺跡です。
入場料は40ポンド(約250円)。 -
ファラオとしてはラムセス2世が有名で、「ラムセス2世葬祭殿」もありますが、遺跡としては2世の方は荒れており、3世の方が見学の価値があります。
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ライオンの頭のセクメト女神・・・のようです。
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凱旋門をくぐると現れる、高さ22m、上部の幅63mの第1塔門
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塔門のレリーフ
ファラオが敵を打ち据える、多くの遺跡で見られるモチーフです。 -
第1中庭の列柱
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ファラオ像のいくつかは顔が切り取られています。
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第2塔門 直線構造で奥につながります。
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戦利品としての奴隷・捕虜をカウントする様子
カウントには、切り落とした手首の数や引き抜いた舌の数、あげくは男性器の数などを使用したとか。ジュネーブ条約などない時代ですから・・・ -
第2塔門の天井・・・多分
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更に奥の中庭
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巨大な柱、天井には鮮やかな色彩が残っています。
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更に奥には、巨大な柱の基部が並んでいます。
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人物と比較した大きさはこんな感じ
手前左はルクソールで世話になった現地係員 ここでは中まで案内してくれました。十分には理解できない英語ガイドでも、何もないよりはずっとましです。 -
最奥の至聖所手間に並ぶ彫像
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「ラムセス3世葬祭殿」を終えてやってきたのが「メムノンの巨像」
今日最後のスポットです。
****メムノンの巨像****
エジプト・ルクソールのナイル川西岸にある2体のアメンホテプ3世の像。呼び名はギリシアの伝説、トロイア戦争に登場するエチオピア王メムノーンに由来。高さ約18m。
元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿が控えており、その入口の部分であった。葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊した。【ウィキペディア】
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この右側の像は「像が歌う」ということでも有名でした。
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向かって右側の像は紀元前27年の地震によりヒビが入り、夜明けになると、おそらく温度差や朝露の蒸発のせいで、うめき声や口笛のような音を発していた。(中略)
メムノンの巨像が声を出す現象は当時のガイドによって脚色され、メムノンの死別した母への呼び声だとされた。
メムノンの巨像は声を聴こうと詰めかける人々で観光地化して、その中にはハドリアヌス帝と妻のサビナもいた。(中略)
その後、巨像はセプティミウス・セウェルス帝によって下に落ちていた像の上半身を取り付けられると、声を出すこともなくなったという。【同上】
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この日の西岸観光を終えてホテルに戻ります。
写真は、ホテル周辺のスークでくつろぐ男性ら。水タバコをふかしたり、ゲームに興じたり・・・。 -
観光客相手の店が多いスークを歩くと、呼び込みがしつこく、あまり感じはよくありません。
明日は東岸地区を観光して、深夜のフライトでカイロに戻ります。
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