クトナー・ホラ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
クトナー・ホラという、プラハから東へ車で2時間ほどのところに中央ボヘミアの小さな町がある。<br />かつて銀鉱山として栄えた町であり、13世紀には全ヨーロッパで産出される銀の1/3を占め、ボヘミアの王立造幣局が設営され栄華を極めていたようだが、銀の枯渇とともに寂れ、今は人口2万人程度の、観光客がいなければ寂しい町となっている。<br />ここに「クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂」というタイトルで1995年に世界遺産に指定されている地域がある。<br />だが、このクトナー・ホラという小さな町を有名にしているのは、聖バルボラ教会でも聖母マリア大聖堂でもなく、実はセドレス納骨堂である。通称「骸骨教会」。<br />教会は墓地の中に立っているが、実はこの教会は全聖人教会という名であり、この教会の地下に納骨堂がある。

クトナー・ホラのセドレス納骨堂(骸骨教会)

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2017/03/22 - 2017/03/22

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nitarikujira

nitarikujiraさん

クトナー・ホラという、プラハから東へ車で2時間ほどのところに中央ボヘミアの小さな町がある。
かつて銀鉱山として栄えた町であり、13世紀には全ヨーロッパで産出される銀の1/3を占め、ボヘミアの王立造幣局が設営され栄華を極めていたようだが、銀の枯渇とともに寂れ、今は人口2万人程度の、観光客がいなければ寂しい町となっている。
ここに「クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂」というタイトルで1995年に世界遺産に指定されている地域がある。
だが、このクトナー・ホラという小さな町を有名にしているのは、聖バルボラ教会でも聖母マリア大聖堂でもなく、実はセドレス納骨堂である。通称「骸骨教会」。
教会は墓地の中に立っているが、実はこの教会は全聖人教会という名であり、この教会の地下に納骨堂がある。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
2.5

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  • 地下に続く階段正面にはすでに骸骨が飾られているが、すぐにはそれと気づかない。<br /><br />

    地下に続く階段正面にはすでに骸骨が飾られているが、すぐにはそれと気づかない。

  • 階段を下りていくと左右に骸骨の、文字通り、山がある。<br />

    階段を下りていくと左右に骸骨の、文字通り、山がある。

  • そしてその正面には骸骨のシャンデリアと燭台。<br />燭台は今はレプリカで本物ではないとのこと。<br />

    そしてその正面には骸骨のシャンデリアと燭台。
    燭台は今はレプリカで本物ではないとのこと。

  • そのほかにも骸骨で作った装飾品も見られます。<br />

    そのほかにも骸骨で作った装飾品も見られます。

  • シュヴァルツェンベルク家の紋章(後述)<br />

    シュヴァルツェンベルク家の紋章(後述)

  • この骸骨の山のいわれを知らなければいったいどんな大虐殺があったのかと思ってしまいそうですが、案内書によると、セドレス修道院の修道院長が聖地ゴルゴダの丘の土を持ち帰り修道院墓地に撒いたところ、ここが聖地とみなされ、中央ボヘミアはもちろん、遠くヨーロッパ各地から埋葬希望者が集まって来たのだそうです。加えて14世紀のペストの大流行、15世紀のフス戦争(世界史をとっていたので懐かしい)の犠牲者の多数がこの墓地に葬られ、墓地が拡大し続けてどうしようもなくなり、そこで墓地の中央に教会を建て、その地下を納骨堂にしたのだそうです。教会建立の後、拡大した墓地を掘り起こし、この納骨堂に収めていったとのことです。<br />とまあ、ここまでは納得できるのですが、なぜシャンデリアや燭台、その他に人骨を用いたのかは謎です。<br />これを指示したのは当時この教会の後見をしていたシュヴァルツェンベルク家だそうです。<br />この指示を受け、これを制作した木彫作家であったリントは自分の名前を骸骨で作り階段出口に残しています。<br /><br />とまあ、一見おどろおどろしい感じがありますが、実際に地下に入ってみても怖いという感情は湧かなかったから不思議ですね。<br /><br />

    この骸骨の山のいわれを知らなければいったいどんな大虐殺があったのかと思ってしまいそうですが、案内書によると、セドレス修道院の修道院長が聖地ゴルゴダの丘の土を持ち帰り修道院墓地に撒いたところ、ここが聖地とみなされ、中央ボヘミアはもちろん、遠くヨーロッパ各地から埋葬希望者が集まって来たのだそうです。加えて14世紀のペストの大流行、15世紀のフス戦争(世界史をとっていたので懐かしい)の犠牲者の多数がこの墓地に葬られ、墓地が拡大し続けてどうしようもなくなり、そこで墓地の中央に教会を建て、その地下を納骨堂にしたのだそうです。教会建立の後、拡大した墓地を掘り起こし、この納骨堂に収めていったとのことです。
    とまあ、ここまでは納得できるのですが、なぜシャンデリアや燭台、その他に人骨を用いたのかは謎です。
    これを指示したのは当時この教会の後見をしていたシュヴァルツェンベルク家だそうです。
    この指示を受け、これを制作した木彫作家であったリントは自分の名前を骸骨で作り階段出口に残しています。

    とまあ、一見おどろおどろしい感じがありますが、実際に地下に入ってみても怖いという感情は湧かなかったから不思議ですね。

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