2017/02/11 - 2017/02/11
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Wind99さん
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旧東海道、品川宿から数えて、7番目の平塚宿、8番目の大磯宿を歩いてきた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
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JR東海道線の平塚駅に到着。
平塚は夏の七夕祭りで有名で、駅にはそのディスプレイがいくつも飾ってあった。 -
北口ロータリーに出る。ロータリーは広く、駅ビルも意外に大きかった。
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北へ向かう道を一本左に入ると、平塚八幡宮の鳥居が遠く望めた。
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その交差点の辻には、「八幡大通り」の石碑と説明文があった。
やはりここは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で栄えていた。 -
国道1号(東海道)に接して一の鳥居がある。
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東御池
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東御池の真ん中の島には、鶴峯山稲荷社があり、池は錦鯉発祥の地と書いてあった。
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二の鳥居
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正面の御殿
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境内末社三社 右から諏訪社・若宮社・神明社
背後の森が歴史を感じさせる。 -
平塚駅寄りに少し戻って、旧東海道いに沿って地元商店街を西に進む。
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平塚宿の江戸見付
平塚市民センターの手前に、東海道の両側に石垣を台形上に積み、土盛をして設置されていた。 -
平塚の里歌碑
1480年、「平安紀行」の作者が、この地で故人偲んでを詠んだ歌を、平塚市は歌碑として記念設置したもの。 -
くすのきの大木の保全樹
背後の木造の建物も戦前のものと思われ、趣があった。 -
さらに西へ進むと、平塚宿脇本陣跡の石碑
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次は高札場の石碑
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平塚宿本陣旧蹟碑
神奈川相互銀行敷地に、大理石の説明があった。
記録によると、14代将軍の徳川家茂は2度ここに休憩し、明治天皇は東京行幸の際、ここに小休された。 -
西の正面にはこんもりと2つの山が見えた。
これが期待していた広重の絵に描かれた、お椀を伏せたかたちの高麗山だ。 -
平塚宿問屋場跡
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旧東海道から右に入ると要法寺がある。
日蓮上人が立ち寄った逸話の残る日蓮宗のお寺。
平塚の塚(平塚の名の起こり)があるというので、行ってみる。 -
平塚の塚
実際には寺の横に平塚の塚の緑地があり、そこに平らな塚があった。
平塚の地名の由来が想像通りであった。
(857年桓武天皇の孫 高見王の子、政子が東国に向かう途中に病死、その塚が長い間に平らになったことから「平塚」の地名になったという) -
さらに隣接して公園と、春日神社があった。
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金目川(花水川)に来た。
そのほとりに大きな広重が平塚宿を描いた絵の掲示があった。 -
金目川(花水川)の花水橋の上から高麗山を写す。
手前が高麗山で、奥の山は湘南平と呼ぶ頂上があり、神奈川TVのテレビ塔がある。 -
善福寺
親鸞聖人に関するいわれのある寺。
境内には、親鸞聖人坐像と岩山があり横穴式古墳群があった。 -
お寺の前の民家であったが、旧東海道にふさわしい風景に見えたので、撮ってみた。
この辺りに日本橋から66kmの標識があった。 -
背後に高麗山を控え、高来神社があった。
東海道からすぐ一の鳥居が見えた。 -
不思議な光景に見えた!石の鳥居と山門が並んで見える。
事前に調べてきたグーグルマップ(マイマップ)を見ると、右が慶覚院で、左が高来神社だった。 -
徳川家康の神影である東照宮が併せ祀られ、諸大名は参勤交代の折に馬を下りて参詣したという。
神社の裏手は、ハイキングコースが整備されていて、中腹には、奥社もあるようだった。 -
湘南発祥の地大磯の由来の石碑
この近くにバス停があり、次の大磯まで路線があるようで、30分ごとに来ることが分かり、しばらく化粧坂が続き、見所も無かったので、さざれ石バス停まで乗って見た。
降りた所にあった石碑。 -
旧跡 鴫立庵(しきたつあん)
元禄八年(一六九五)俳人の大淀三千風が入庵し鴫立庵と名付け、第一世庵主となった。 -
現在では、京都の落柿舎・滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つといわれているという。
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東海道の向かいの家に高く史跡の看板があった。
大磯宿の高札場の案内だ。 -
大きな駐車場と立派な店舗から、有名な老舗と思えた蒲鉾屋さん
調べると明治11年創業の井上蒲鉾店だった。
大磯の次の宿場であった小田原では、蒲鉾が有名で蒲鉾店が多かったがここでは1店しか見かけなかった。 -
新島襄終焉の地
この地で、病気静養をしていたが、46歳の若さで亡くなった。
彼は同志社を起こし、早稲田の大隈重信、慶應義塾の福沢諭吉とともに明治の三大教育家として知られているそうだ。 -
新島襄終焉の地の裏手に、大磯宿の南組問屋場の史跡案内があった。
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大磯照ヶ崎海水浴場発祥の地と看板があった。
そして海に向かって進むと、原敬大磯別荘跡地の看板を見つけた。 -
大磯漁港に来た。
海釣り広場から、大きな船が出港して行った。 -
明治40年の避暑地ランキングでは、大磯は軽井沢を抜いて1位になっている。
それは明治20年に東海道線がここまで来たことと、海水浴が健康増進に流行ったためと思われた。 -
大磯漁港から東海道に戻ってきた。
大磯宿尾上本陣跡の碑。 -
地福寺
尾上本陣跡からまっすぐ進むとお寺があり、文豪島崎藤村夫妻の墓碑があるというので、入って見たが、それらしい説明書きが無く、分からなかった。 -
毎年、藤村の命日の8月22日には、「旧島崎藤村忌」が開催され、藤村ゆかりや藤村ファンの方など多数の方が墓参・献花に訪れるという。
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大磯駅に向かう坂道を上がりきると、きれいな洋館があった。
大磯迎賓舘というレストラン。
大正元年に建てられた別荘で、国登録有形文化財だという。 -
大磯海岸のアーチ
ここから大磯駅に戻る。 -
大磯駅
先の平塚駅のような駅ビルや、駅前ロータリーも無いが、ほんわかする。 -
駅内に入ると、広重の大磯宿の絵が大きく飾ってあった。
今回はここまで。
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