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東京に新たに(2016/11/22)オープンした、すみだ北斎美術館。<br /><br />それと、亀戸天神の梅祭りに行く。<br /><br />散歩予定の両国近くの道が、今日開催の東京マラソンのコースになっていた為、予定コースの逆回りにした。<br /><br /><br />JR亀戸駅-梅屋敷-香取神社-亀戸天神(梅祭り)-すみだ北斎美術館<br /><br />-両国公園(勝海舟誕生地)-本所松阪公園(吉良邸跡)-回向院<br /><br />-江戸NOREN-JR両国駅

亀戸~錦糸町~両国散歩

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2017/02/26 - 2017/02/26

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Wind99

Wind99さん

東京に新たに(2016/11/22)オープンした、すみだ北斎美術館。

それと、亀戸天神の梅祭りに行く。

散歩予定の両国近くの道が、今日開催の東京マラソンのコースになっていた為、予定コースの逆回りにした。


JR亀戸駅-梅屋敷-香取神社-亀戸天神(梅祭り)-すみだ北斎美術館

-両国公園(勝海舟誕生地)-本所松阪公園(吉良邸跡)-回向院

-江戸NOREN-JR両国駅

旅行の満足度
3.5
交通手段
徒歩

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  • 亀戸駅から北に明治通りの商店街を進む。<br /><br />亀戸天神の梅祭りのポスターが目に付くいて期待が持てる。<br /><br />ここには、亀有派出所の両さん像があるはず・・・が無い。<br /><br />道行く人に聞くと、ここは亀戸で、葛飾区亀有ではないと・・・。

    亀戸駅から北に明治通りの商店街を進む。

    亀戸天神の梅祭りのポスターが目に付くいて期待が持てる。

    ここには、亀有派出所の両さん像があるはず・・・が無い。

    道行く人に聞くと、ここは亀戸で、葛飾区亀有ではないと・・・。

  • 少し歩いて蔵前橋通りに差し掛かると、亀戸梅屋敷があった。

    少し歩いて蔵前橋通りに差し掛かると、亀戸梅屋敷があった。

  • 江戸時代には梅の名所で、多くの浮世絵に描かれた。<br />

    江戸時代には梅の名所で、多くの浮世絵に描かれた。

  • 現在は観光施設で、江戸切子の販売や、寄席を開催している。

    現在は観光施設で、江戸切子の販売や、寄席を開催している。

  • その交差点角にあったレトロな昭和の感じの店舗。<br /><br />但元いり豆本店。幅広い店舗で、店番はお一人であった。

    その交差点角にあったレトロな昭和の感じの店舗。

    但元いり豆本店。幅広い店舗で、店番はお一人であった。

  • さらに亀戸天神を目指して歩いて行くと別の参道が現れた。

    さらに亀戸天神を目指して歩いて行くと別の参道が現れた。

  • この亀戸 香取神社は「 スポーツ振興の神」と崇めている。<br /><br />665年藤原鎌足公が東国下向の際この地に立ち寄り、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因。 <br />

    この亀戸 香取神社は「 スポーツ振興の神」と崇めている。

    665年藤原鎌足公が東国下向の際この地に立ち寄り、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因。

  • 御神殿は、昭和63年に建てられたもの。<br /><br />この手前に、藤原鎌足公の太刀の故事に基づいて、太刀一振りを冠した「勝石」が建立されていた。<br /><br />写真ではわかりにくいが、手前に白く横たわっているのがその太刀一振りだ。

    御神殿は、昭和63年に建てられたもの。

    この手前に、藤原鎌足公の太刀の故事に基づいて、太刀一振りを冠した「勝石」が建立されていた。

    写真ではわかりにくいが、手前に白く横たわっているのがその太刀一振りだ。

  • 文久年間(1861~64)に亀戸周辺で盛んにつくられていた江戸野菜の大根だそうだ。<br />

    文久年間(1861~64)に亀戸周辺で盛んにつくられていた江戸野菜の大根だそうだ。

  • 亀戸天神に近づくと、祭囃子が聞こえてきた。<br /><br />梅祭りの境内で、獅子舞をやっていた。<br /><br />露店の甘酒を頂き、イスに座って見物する。

    亀戸天神に近づくと、祭囃子が聞こえてきた。

    梅祭りの境内で、獅子舞をやっていた。

    露店の甘酒を頂き、イスに座って見物する。

  • 亀戸天神社<br /><br />東口入口から入ったため、亀戸天神社がすぐに見えた。<br /><br />背後にスカイツリー。

    亀戸天神社

    東口入口から入ったため、亀戸天神社がすぐに見えた。

    背後にスカイツリー。

  • 心字池に掛かる2つある太鼓橋の女橋。

    心字池に掛かる2つある太鼓橋の女橋。

  • 池の中央に進む。<br /><br />梅とツカイツリー。

    池の中央に進む。

    梅とツカイツリー。

  • 梅の木には鳥の巣があった。<br /><br />春の鳥は、ウグイスかメジロか?。<br /><br />

    梅の木には鳥の巣があった。

    春の鳥は、ウグイスかメジロか?。

  • 太鼓橋の男橋<br /><br />池に反射した姿がいい。

    太鼓橋の男橋

    池に反射した姿がいい。

  • 太鼓橋の男橋の反対側に廻る。

    太鼓橋の男橋の反対側に廻る。

  • 亀戸天神の参道入口。<br /><br />香川神社から向かったので、逆コースで廻ってしまった。

    亀戸天神の参道入口。

    香川神社から向かったので、逆コースで廻ってしまった。

  • JR錦糸町駅まで歩く。<br /><br />駅を過ぎると通りからスカイツリーの全景が望めた。

    JR錦糸町駅まで歩く。

    駅を過ぎると通りからスカイツリーの全景が望めた。

  • さらにJR両国駅方面に進む。<br /><br />野見宿禰神社を過ぎると、目指すすみだ北斎美術館が公園内に見えた。

    さらにJR両国駅方面に進む。

    野見宿禰神社を過ぎると、目指すすみだ北斎美術館が公園内に見えた。

  • 入り口は、洞窟に入るような感覚。

    入り口は、洞窟に入るような感覚。

  • 須佐之男命厄神退治之図(1部のみ撮影)<br /><br />北斎が86歳の時に描いた肉筆画の絵馬が、関東大震災で焼けてしまった。<br /><br />当時の白黒写真から、凸版印刷の最先端デジタル技術を活用し、当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元した。<br /><br />その他展示品も、北斎の描いたものをデジタルで展示していた。

    須佐之男命厄神退治之図(1部のみ撮影)

    北斎が86歳の時に描いた肉筆画の絵馬が、関東大震災で焼けてしまった。

    当時の白黒写真から、凸版印刷の最先端デジタル技術を活用し、当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元した。

    その他展示品も、北斎の描いたものをデジタルで展示していた。

  • 須佐之男命と、その従者の前に15体の様々な厄神がひざまずき、今後悪さをしないように証文を取られているところが描かれているという。

    須佐之男命と、その従者の前に15体の様々な厄神がひざまずき、今後悪さをしないように証文を取られているところが描かれているという。

  • 北斎84歳のアトリエの再現<br /><br />娘の阿栄と住んでいた。北斎は炬燵に半分は入り熱心に絵を描いていたという。<br /><br />これは門人が、絵に残していた。

    北斎84歳のアトリエの再現

    娘の阿栄と住んでいた。北斎は炬燵に半分は入り熱心に絵を描いていたという。

    これは門人が、絵に残していた。

  • 美術館を出て、両国駅南側の両国公園へ向かう。<br /><br />そこには勝海舟生誕の地の石碑。<br /><br />

    美術館を出て、両国駅南側の両国公園へ向かう。

    そこには勝海舟生誕の地の石碑。

  • 昨年来た時には、ここを工事中であり、説明パネルと共に、リニューアルされていた。

    昨年来た時には、ここを工事中であり、説明パネルと共に、リニューアルされていた。

  • 両国公園のすぐ近くに、本所松阪町公園がある。<br /><br />ここは、吉良邸跡の史跡がある。

    両国公園のすぐ近くに、本所松阪町公園がある。

    ここは、吉良邸跡の史跡がある。

  • 園内全景をパノラマで撮ってみた。<br /><br />中央にみしるしの井戸がある。もちろん木造は吉良上野の介像。<br /><br />当時はこの敷地の86倍もあったという。

    園内全景をパノラマで撮ってみた。

    中央にみしるしの井戸がある。もちろん木造は吉良上野の介像。

    当時はこの敷地の86倍もあったという。

  • 回向院<br /><br />江戸の「振袖火事」の名で知られる明暦の大火で、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われ、この災害により亡くなられた人々を、当時の将軍家綱は、この地に葬ったという。

    回向院

    江戸の「振袖火事」の名で知られる明暦の大火で、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われ、この災害により亡くなられた人々を、当時の将軍家綱は、この地に葬ったという。

  • ここはその成り立ちから、日本一の無縁寺だという。

    ここはその成り立ちから、日本一の無縁寺だという。

  • 与兵衛鮨発祥の地の碑<br /><br />回向院の側面の通りに合った看板。<br /><br /> 文政の初年(1818年ごろ)に 小泉与兵衛が 江戸前の「にぎり鮨」を考案した。<br /><br />江戸前鮨を代表する「与兵衛鮨」。<br /><br />だが、華屋の与兵衛鮨は 昭和5年に廃業したとあったので、あの華屋与兵衛のレストランチェーンは無関係なことが解った。

    与兵衛鮨発祥の地の碑

    回向院の側面の通りに合った看板。

    文政の初年(1818年ごろ)に 小泉与兵衛が 江戸前の「にぎり鮨」を考案した。

    江戸前鮨を代表する「与兵衛鮨」。

    だが、華屋の与兵衛鮨は 昭和5年に廃業したとあったので、あの華屋与兵衛のレストランチェーンは無関係なことが解った。

  • 国技館通りには、力士の像がいくつも建っていた。<br /><br />土台の周囲には、力士たちの手形が飾られていた。<br /><br />近くの甘味処(その名も国技堂)で休憩する。<br /><br />せんべいアイスがおいしかった。

    国技館通りには、力士の像がいくつも建っていた。

    土台の周囲には、力士たちの手形が飾られていた。

    近くの甘味処(その名も国技堂)で休憩する。

    せんべいアイスがおいしかった。

  • その店内で、新しい店舗?が出来たと聞いて、それを探しに両国駅に来てみた。<br /><br />駅に隣接した空間に、周囲に店舗があり、真ん中に土俵がある江戸NORENというのがあった。

    その店内で、新しい店舗?が出来たと聞いて、それを探しに両国駅に来てみた。

    駅に隣接した空間に、周囲に店舗があり、真ん中に土俵がある江戸NORENというのがあった。

  • 粋な江戸の食文化を楽しむをコンセプトに12の和食店が両国駅に集結した。<br /><br />観光案内所もあり、食事も休憩もここでOKな所。<br /><br />今回はここまで。

    粋な江戸の食文化を楽しむをコンセプトに12の和食店が両国駅に集結した。

    観光案内所もあり、食事も休憩もここでOKな所。

    今回はここまで。

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