2017/02/04 - 2017/02/05
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nichiさん
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温泉好きの義母と旅行するために、伊豆高原に宿を予約しました。
さて、その前にどこに行こうか??
熱海の梅園にするかな?
箱根は義母にはまだ寒いかな?
NHKの大河ドラマで秀吉の小田原城攻めをみて、一度小田原に行ってみたくなりました。
私たちにとって小田原は、箱根や伊豆へ行く時の通過点でしかなく、帰りに「鈴廣」で蒲鉾を買う為に寄るぐらいの場所でした。
今回は小田原をメインに旅行しました。
と言っても小田原は我が家から車で1時間もかかりません。
空いていれば45分で着くので、元来は日帰りエリア。
今回はそんな近くてもほとんど知らなかった小田原への旅です。
まずは小田原城へ。
ボランティアガイドさんの説明に皆で敬服してしまいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
早朝、施設で暮らす義母を迎えに行き、そのまま東名から小田原厚木道路経由で小田原へ。
小田原城の駐車場に車を停めて、小田原城に入ると、ボランティアガイドさんから「ガイドいかがですか?」と声を掛けられ、すぐお願いしちゃいました。 -
まずはお城の全体図を基に、見学コースの案内から。
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このガイドの方は80代のスラットしたおじいちゃん。
見た目もカッコよく紳士でしたが、何よりガイドとしての説明が面白く楽しかったです。
お願いして良かったです。 -
この橋の正式名称は「小峯橋」
でも通称はお茶壺橋です。
お茶壺橋とは徳川将軍が飲む、宇治から取り寄せたお茶の入った茶壺が城内に入るための専用の橋です。
お茶壺専用の橋???
凄い時代だなー
この橋の前でボランティアガイドの方から「ずいずいずっころばし」の童歌の意味を教えてもらい、ビックリ??
頭の部分だけですが、
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壺に追われて
とっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ
意味は、
ごまみそを擦っていると、新茶を将軍に献上する行列が通ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めてやり過ごす。
行列が通り過ぎると外に出て大騒ぎ。
てな意味のようです。
この橋を渡って小田原城内に入ります。
南側から場内に入ることになります。 -
明治から大正のころの小峯橋(お茶壺橋)
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小峯橋(お茶壺橋)を渡って右に進みます。
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広い場所に出ました。
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お堀沿いを進みます。
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ここはお茶壺曲輪と言われる場所で、江戸時代に京の茶所・宇治より、徳川将軍家に茶を献上するために、お茶壺様と称するご一行がこの茶壺曲輪に宿泊したとのことです。
建物はありませんが、、、 -
ここにお茶壺の蔵があったんですね。
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馬屋曲輪
登城者が馬を繋ぐための建物があったのですが、小田原城が攻められた時には防衛拠点にもなった場所です。 -
博学なボランティアガイドさんの馬屋曲輪の説明を熱心に聞く義母と家内です。
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美しい景色です。
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櫓と内仕切門とお堀。
堀に映る櫓。
好きだなーーー -
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住吉橋を渡ります。
橋の先に見えるのは内仕切門。 -
住吉橋から見る景色
右側 -
住吉橋から見る景色
左側 -
橋を渡り内仕切り門を入るとこんな感じ。
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矢狭間と鉄砲狭間の説明を聞く義母と家内。
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右側が矢狭間。
左側の三角が鉄砲狭間
それぞれ矢を射るため、鉄砲を撃つための壁の穴。
矢を射るには寝転ぶことができないので高い位置に壁の穴がある。
鉄砲は寝転べるので低い位置にも壁の穴がある。
なーるほど!
そりゃそうだ!!! -
これが銅門(あかがねもん)。
この銅門の手前は、内仕切り門を入ってから直角に左に曲がる構造の枡形門でもあります。
防御能力が高い門ということです。 -
堂々とした門です。
昭和58(1983)年から行われた発掘調査の成果や古写真、絵図などを参考にして平成9年に再現されました。 -
銅門から振り返ると。。
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門の天井はこんな感じ。
梁にはで釿(ちょうな)で削った跡があります。
ここまでキチンと再現しています。
すんげーー -
この梁の丸いへこみは釿(ちょうな)によるもの。
でもこの技術を再現できる職人さんがまだちゃんといらっしゃるんですねーー -
梁は松、柱や扉は檜なんですねーー
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銅門をくぐると二の丸に出ました。
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銅門の礎石。
箱根の外輪山の岩なんですね。 -
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銅門の土塀の説明を真剣に聞く義母と家内。
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銅門の再建を行うに際し、事前に製作したものだそうです。
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すごく変わった木です。
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イヌマキと言うんですね。
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北条氏直と北条氏政を攻める豊臣の布陣です。
豊臣側には名だたる武将の名前が数多くあります。
これじゃ流石の北条でも勝ち目無しですね。 -
小田原城を囲んでいた空堀の想像図。
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さらにお城の奥に進みます。
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常盤木門
本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていました。
常盤木とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、この名がつけられたと言われているとのことです。
市制30周年事業として、昭和46年(1971)3月に再建されました。
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やっと天守閣が見えました。
ここで優秀なボランティアガイドさんとはお別れ。
皆で丁寧にお礼を言って別れました。
しかしすごい知識人のガイドさんでした。 -
天守閣は、元禄16年(1703)の地震で、小田原城内の他の建物とともに倒壊・焼失しました。
しかし、宝永3年(1706)に再建されました。
その後、明治3年(1870)の廃城によって取り壊されました。
現在の天守閣は、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で復興されたものです。 -
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