2016/11/01 - 2016/11/04
148位(同エリア2161件中)
mondeさん
- mondeさんTOP
- 旅行記95冊
- クチコミ30件
- Q&A回答81件
- 113,774アクセス
- フォロワー34人
当初は9月19日からの旅程でしたが、当日のサンライズ出雲が台風接近の為運休となり、運休とは知らず、19時台の新幹線で東京まで行ってしまった為、最終の新幹線で名古屋へのとんぼ返りとなってしまいました。チケットは手数料無しで払い戻しができましたが、名古屋から東京への往復チケット代が無駄な出費となってしまいました。
名古屋に着いたら、名鉄のダイヤがむちゃくちゃになっており、自宅に着いたのは深夜1時過ぎでした。何の為に東京まで行ったのか?ただ笑うしかない。
その出直し旅行が今回の旅行です。前回と同様新幹線で東京へ移動して寝台特急のサンライズ出雲に乗り換えて出雲市へ出発しました。キャンセルになった前回はソロしかゲットできませんでしたが、今回はデラックスシングルでの旅となりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
品川方面から東京駅9番線に入線してきました。
サンライズ出雲 乗り物
-
先頭車両です。
-
東京駅22:00発出雲市行きサンライズ出雲です。
東京駅 駅
-
前寄り1号車から7号車までは高松行きサンライズ瀬戸です。
サンライズ瀬戸 乗り物
-
サンライズ瀬戸とサンライズ出雲の連結部分です。
-
8号車から14号車までは出雲市行きのサンライズ出雲です。
-
11号車がシングルデラックスとデラックスツインです。
サンライズ出雲 乗り物
-
2階の22番の部屋です。4桁の暗証番号を登録して鍵の代わりとして利用します。
-
部屋にはアメニティキットも用意されていました。
-
キットの中身はこんな感じです。
シャワールームの利用カードもついてきます。 -
枕元にライトもあります。
-
洗面器もついています。
隣にはデスクがついており、ちょっとしたビジネスホテルの様です。 -
ベッドの横には、ライトのスイッチや目覚まし時計、ラジオもありますが、ラジオは電波をひろわず使用出来ませんでした。
-
電源コンセントもあるので便利です。
-
車内の案内表示が部屋の中にあります。
-
22時ジャストに予定通り出発しました。
東京駅 駅
-
このシャワーカードでシャワールームが使用できます。料金は320円です。
-
有料でシャワーカードを購入することもできますが、早く購入しないとソールドアウトで購入できなくなる可能性もあります。
-
11号車のシャワールームは、シングルデラックス利用者専用です。シャワーは6分間使用でき、1分前にブザーが鳴ります。揺れる車内なので手すりがついています。
-
ドライヤーもあります。
-
使用後は、後に使用する方の為にこの洗浄ボタンを押すことを忘れないで下さい。
-
10号車と11号車の間にサロンカーがあります。
出発直後は混んでいましたが、流石に24時過ぎは一人も居ませんでした。 -
10号車のソロです。2階構造で部屋は狭そうです。
-
トイレです。
-
岡山の手前で空が少し明るくなってきました。
-
岡山駅に到着です。
岡山駅 駅
-
ここでサンライズ瀬戸とサンライズ出雲が切り離しされます。
岡山駅 駅
-
多くの方が写真撮影をする為にホームに集まりますが、サンライズ瀬戸は切り離しした後直ぐに出発しますので乗り遅れ無い様に注意が必要です。
岡山駅 駅
-
朝陽が顔を出しました。
-
伯備線に入り暫く進むと高梁川と国道180号線が見えてきます。
-
徐々に田舎の風景になってきます。
-
備中高梁駅に到着です。
近くに備中松山城と城下町があります。 -
シングルデラックスのチケットです。
-
こちらは乗車券です。
-
列車は更に北へ進みます。
-
崖が見渡せます。広石、井倉あたりでしょか?
-
新見駅に到着です。
新見駅 駅
-
紅葉がちらほら見られました。
-
こんな田舎で暮らすのは無理かも?
-
秋らしい植物も見掛けました。
-
夏に訪れたい場所かも。
-
どこかの集落でしょうか?地名はわかりません。
-
鳥取県、中国地方最高峰の火山である大山です。標高は1729メートルです。
-
米子駅に到着です。
明後日、またここに戻ってきました。米子駅 駅
-
車掌より観光案内放送が入りました。しじみで有名な宍道湖です。
日本百景に指定されており、日本海に接続する汽水湖です。宍道湖 自然・景勝地
-
宍道湖に建つ銅像です。
列車からなので誰の銅像か判らず。宍道湖 自然・景勝地
-
11号車の通路です。
ここから写真撮影ができます。 -
9:58に終点出雲市に到着しました。
出雲市駅 駅
-
出雲市は曇空でした。
出雲市駅 駅
-
1910年10月10日に国鉄出雲今市駅として開業し、1957年4月1日に出雲市駅に改称されました。
出雲市駅 駅
-
出雲大社、日御碕方面行きの一畑バスで旧大社駅に向かいました。
出雲市駅 駅
-
旧大社駅です。
到着すると小雨が降ってきました。
左右対称で社殿風な造りは出雲大社を意識しており、中央屋根部分の両端には鴟尾(しび)、屋根の合掌部分には懸魚(げぎょ)が取り付けられています。
また鉄道駅らしさを感じる動輪マーク入りの鬼瓦や、屋根の下(くだ)り棟の先端には様々な形をした亀の瓦も見られ、威風凛然とした外観に遊び心を感じます。
建築にあたっては当時の建築界の先駆者であり、同時期に出雲大社神苑の整備設計に携わっていた伊東忠太が助言をしたのではないかと言われています。
この優美な駅舎は1982年に「日本の建築200選」に選ばれているほか、2004年には国の重要文化財、また2009年には 近代化産業遺産にも指定されました。
JR出雲市駅から「出雲大社・日御碕・宇竜」で「旧JR大社駅」下車、徒歩1分
JR出雲市駅から「大社線(南原経由)」で「ショッピングタウンエル」下車、徒歩3分
一畑電車「出雲大社前駅」下車、徒歩13分。旧大社駅 名所・史跡
-
2代目となる現在の駅舎は1924年(大正13年)に改築されたもので、 441平方メートルの木造平屋建て。大社線廃止後、駅舎を調査した際 に発見された上棟式の棟札から、設計したのは当時の神戸鉄道管 理局の技手であった丹羽三雄氏であることが分かりました。
木造建築の駅舎は全国でも珍しく、黒い屋根瓦に漆喰の白壁という純和風のデザインで、1990年の大社線の廃止により駅舎も惜 しまれつつ役割を終えましたが、豪壮な外観とその存在感は今なお健在です。旧大社駅 名所・史跡
-
この郵便ポストは使用できません。
旧大社駅 名所・史跡
-
行き先表示です。
旧大社駅 名所・史跡
-
線路におりてみました。
二面三線の長いホームを持つ大社駅には今も線路が残されています。 -
1951~1961年までの期間は東京と大社間の直通急行列車「出雲」が運行され、その後も1980年代までは「大社」や「だいせん」といった急行列車や参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていたため、ホームはかなり長く作られています。
最盛期には年間300本近い臨時列車がここを往来していたというので、いかに隆盛であったかが分かります。旧大社駅 名所・史跡
-
三本目の線路にはSLの通称「デゴイチ」と呼ばれる D51774号機が保存され、当時の光景を彷彿とさせてくれます。
旧大社駅 名所・史跡
-
D51の説明です。
旧大社駅 名所・史跡
-
中はかなり錆びれています。
-
広々とした三等待合室。
画像左は駅長事務室、 奥には皇族等が休憩に使われた貴賓室があります。
正面から駅舎内に入った所が三等待合室です。
柱のない広々とした空間のホーム側中央に、どっしりと据えられた木製の出札室(切符売り場)は駅舎内のシンボル的存在です。
高い天井の高窓から外の光が差し込んで駅舎内を明るく照らし、天井と漆喰の壁から吊るされた和風のシャンデリアが和洋折衷な趣きを一層強調しています。
現代のシステム化された駅舎と比べると、昔とはいえここが駅舎だったとはにわかに信じがたい風格を感じます。旧大社駅 名所・史跡
-
事務室側から見た三等待合室。奥の部屋は向かって右側が一、二等待合室、左側が小荷物扱室です。
旧大社駅 名所・史跡
-
平成2年廃線当時の運賃表もそのままです。
旧大社駅 名所・史跡
-
当時の時刻表です。
旧大社駅 名所・史跡
-
年間200万人以上が利用していた最盛期の昭和30年代の写真です。駅の前に観光バスがズラリと並んでいます。
-
無料のおもてなし駐車場です。
-
神門通りの宇迦橋のたもとに建つ大鳥居(いちのとりい) は大正4年(1915)、北九州市小倉の篤志家小林徳一郎により寄進されたものである。鉄筋コンクリート製で、高さは出雲大社本殿より少し低い23,5メートルで額面は畳6畳敷きもあります。
旧大社駅から出雲大社に向かう神門通りに建てられた鳥居で、近代に整備された参道景観を象徴的に演出しています。
島根県出雲市大社町杵築南1387-5他大鳥居 名所・史跡
-
大鳥居と松並木に関する説明です。
大鳥居 名所・史跡
-
出雲祝言で新郎新婦を乗せる人力車です。
-
日本最古級の電車です。
映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』で中井貴一と並ぶもうひとつの『主役』であるデハニ52・53です。
運用者
一畑電気鉄道→一畑電車
製造所
日本車輌製造本店
製造年
1928年 - 1929年
製造数
4両
主要諸元
編成
1両 - 4両
最高運転速度
75 km/h(弱め界磁付加前)
85 km/h(弱め界磁付加後)
車両定員
90名(うち座席34名)
現在、2両の電車は、52号車が出雲大社駅で一般公開展示され、53号車は雲州平田駅構内で体験運転用の車両として第2の人生を送っています。一畑電気鉄道 デハニ50形 52号車 名所・史跡
-
『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』
監督、錦織良成 脚本、錦織良成、ブラジリィー・アン・山田、小林弘利
主人公・筒井肇は大手家電メーカーの経営企画室長。取締役への昇進が内定するなど、東京で妻子とともに暮らす彼の人生は一見、順風満帆そのものだった。そんなある日、故郷・島根に住む肇の母が倒れたという一報が入る。さらに親しかった肇の会社の同期が自動車事故で亡くなった。久々に帰郷した肇は家庭を顧みてこなかったこれまでの人生、そして今後の人生について考えた。そして自分の子供の頃の夢だった「一畑電車の運転士になる」ことを実現すべく会社を退職し、一畑電車に中途入社することとなった。晴れて運転士となったのは肇の他にもうひとり、肘の故障でプロ野球入りの夢を絶たれた青年・宮田がいた。日本全国の201スクリーンで公開され、2010年5月29日・30日の初日2日間で動員7万8,367人、興収9,071万4,700円になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第5位となった。年配者を中心に幅広い世代から好評となりました。一畑電気鉄道 デハニ50形 52号車 名所・史跡
-
運転席です。
2009年8月に撮影のための本線走行が実施されていますが、中井貴一ら俳優たちは甲種電気車運転免許(電車運転士の免許)を取得していないため実際に運転するわけにはいかないので、美術スタッフが作ったマスコンハンドルやブレーキハンドルを俳優が握った上で巧妙にカットをつなぎ合わせて運転シーンを作りました。一畑電気鉄道 デハニ50形 52号車 名所・史跡
-
お座敷列車に改装された状態で2009年3月29日をもって営業運転を終了していましたが、美術スタッフによって、本作の撮影に当たってロングシートへの改装が行われました。(お座敷の構造物の撤去までを一畑電車が手がけ、ロングシートの再設置は映画の美術スタッフによる。吊り手は沿線の保育園に保存されているデハ3・6のものを借用し、撮影終了後のため吊り手は撤去・返却済み)。
一畑電気鉄道 デハニ50形 52号車 名所・史跡
-
現在の電車はこんな車両です。
1998年(平成10年)に入線した、元京王電鉄5000系の車両です。 座席の一部は転換式クロスシートになっています(2人掛けは小田急電鉄ロマンスカーで使用されていたものを使用)。
5009号・5109号車は、平成26年(2014年)に、車内を島根県産材を多用した木質化改造を行ない、木の温もりを感じられる車内になっています。 京王電鉄と一畑電車では線路の幅が異なるため、台車(車輪部分)を営団地下鉄(現・東京メトロ)のものに付け替えて使用しています。出雲大社前駅 駅
-
お昼は出雲そばをいただきました。
出雲大社正門前の田中屋や皇太子が訪れた八雲本店はいつも混んでいますが、田中屋の先の路地を左手に入ったところにある『きずき』は狙い目です。きずき グルメ・レストラン
-
お品書きです。
きずき グルメ・レストラン
-
割子そば三段です。
一段目のそばに薬味を載せて徳利に入ったそばつゆをかけて食べ、食べ終わったら器のつゆを二段目の器に移し、薬味を追加して食べます。これを繰り返します。 -
神門通りにあるおもてなしステーションからボランティアガイドによる定時ツアー『むすぶらり神々の国を歩こう!』に参加しました。10時、13時、15時、3回開催されており、料金は500円です。
-
正門から見た神門通りと大鳥居です。
-
祓いの社です。
ここで心の汚れを祓ってから大神様に詣ると願いをよくきいてくれると言われています。出雲大社のおまいりは「2礼、4拍手、1礼」です。 -
相撲は出雲地方が発祥の地と言われています。
相撲の元祖のお社があります。 -
奇跡の一本松の二世松です。
岩手県の震災で奇跡的に残った松が台風18号で潮の害を受けて枯れてしまった為、こちらに枝を持ってきて接ぎ木して、ネットで覆って養生しています。 -
向こうから下ってきました。
大体神社は上り参道が多いんですが、出雲大社の下り参道は全国的にも珍しいです。足が自然に先へ先へと吸い込まれるように進んでいきます。 -
勅使さんや皇族が来た際は真ん中を通りますが、一般人は鳥居までは真ん中を通っても良いが、鳥居の手前で左手に向かいます。
-
松の参道です。
松の根を保護する為に通らないで下さいとの立て札がありました。
松の参道と呼ばれる場所で、400年前に松江の初代藩主堀尾忠氏の妻であった長松院が出雲大社にご祈願されてそれが成就した御礼に1000本松を寄贈したそうです。
当時は1000本あったが、今は1000本はありません。 -
御慈愛の御神像です。
この像は、大国主神が登場する神話の中でも最も有名で誰でも知っている「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」を現したものです。この兎の像と大国大神の像は、袋を背負った大国主神が、傷ついたうさぎに手を差し伸べているシーンを表現したものです。
島へと海を渡ろうとしていたウサギは、サメを騙してその背中を伝って島へと渡ろうとします。しかし、騙されたと気づいたサメによって、全身の皮を剥がされてしまいます。そこに通りがかったのが神さまたちの兄弟です。この神様たちは、美女であった八上比売命(やがみひめのみこと)を嫁にするため、因幡の国へと向かっているところでした。
その神さまたちはウサギに「海水につかって風にあたれば治る」と嘘を教え、そのとおりに実行して、さらに痛がるウサギを見て笑っていたのでした。その後に通りがかったのが大国主大神です。大国主大神は末っ子で、兄神たちにいつもいじめられていて、この時も付き合わされて後ろを歩いていました。大国主大神はそのウサギに「真水で体を洗って、ガマの穂にくるまって寝ていれば痛みが無くなる」と教えてあげたのです。するとウサギの痛みは治まり、そのウサギは大国主大神にこう言うのです。
「兄神たちは結婚できず、八上比売と結婚するのはあなたです。」と。そして見事に、大国主大神は八上比売命と結婚することになるのです。出雲大社 寺・神社・教会
-
大国主命が幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)の「おかげ」を戴いて、神性を養われ「ムスビの大神」となられた時の像である
出雲大社 寺・神社・教会
-
ポケモンGO禁止の立て札です。
-
立派な松です。
-
「銅鳥居(よんのとりい)」は、出雲大社の「四の鳥居」で、境内中心部への入口となる鳥居です。そして、「銅製の鳥居」としては、日本でもっとも古い鳥居になります。実は、現在のこの鳥居が建つ前には、別の鳥居が建っており、豊臣政権では秀吉の五大老の一人で、関ヶ原の戦いで西軍の総大将として擁立された「毛利輝元(もうりてるもと)」が1580年に寄進した鳥居が建っていました。
その後、1667年の出雲大社の造営に合わせて、1666年に長州藩の第二代藩主の「毛利綱広(もうりつなひろ)」が、損傷のひどい鳥居を青銅の鳥居に造り直したものだそうです。
ちなみに、毛利綱広は、毛利元就のひ孫にあたります。
現在の鳥居には銘文(めいぶん)が刻まれており「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれています。 -
拝殿(はいでん)は、昭和34年5月に竣功しました。通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われます。
高円宮家の次女典子さまと出雲大社権宮司の千家国麿(せんげくにまろ)さんの結婚式がここで執り行われました。 -
御仮殿(拝殿)は、出雲大社の遷宮期間中に「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」が祀られていたところです。ここでは、地面にあるピンク色の3つの丸い跡に注目してみてください。出雲大社は、昔高さ48mの場所に神殿が作られていました。その時の柱の痕跡がこちらです。大きな神殿が実在していた証です。
八足門は左右(東西)に回廊を従えた門でここから先は一般の人は入れません。
(正月の1~5日は可能です。) -
御本殿(ごほんでん)は、大国主大神さまがお鎮まりになっておられ、大国主大神さまの御事蹟に対して建てられた宮です。高さ約24メ-トルの偉容は、御神徳(ごしんとく)にふさわしく比類のない大規模な木造建築の本殿です。「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式の御本殿は、現在国宝に指定されています。高さ48m、または96mの高層本殿だったという説もあるが、48m説は実存した可能性が指摘されており、48mといえば、現代でも15階建てのビルに相当する高さです。
神社建築の中では日本一を誇り、高さは約24m、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。
千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人一人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できます。出雲大社 末社 十九社本殿 名所・史跡
-
本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。
出雲大社 末社 十九社本殿 名所・史跡
-
彰古館(しょうこかん)は、ご本殿の北西後方にあって、出雲大社に伝わる各種資料を陳列・展示してある建物です。大小の大黒様、えびす様の木造彫刻や、神楽用の楽器類、出雲大社の1/30分のサイズの模型、さらに神社に伝わる古文書類も多数展示されています。
建物は、水はけをよくするために周囲よりも石積で一段高くした「亀甲積基壇」に建てられた木造2階建てで、屋根は入母屋造の銅板を葺(ふ)いたものです
建物正面中央には一間切妻造の玄関があって、二階は、部屋面積を減らして、縁側と欄干を周囲に造り、安定した外観にしています。このように社寺建築の要素を取り入れた趣のある建物で、大正3年(1914年)に、出雲大社の宝物館として造られました。
尚、平成27年7月17日に開催された国の文化審議会で、国登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申されています。
拝観料:200円
営業時間:8時30分から16時30分出雲大社 寺・神社・教会
-
檜の皮で屋根ができています。
-
拝殿でお願いしたことを此方で念押しを致します。先に住所等を言い忘れたら此方で言われると宜しいとの事。
-
氏社(うじのやしろ)
二社のうち北側には、天照大御神の第二子である、「天穂日命(あめのほひのみこと)」が祀られています。この「天穂日命」は、国譲りの使者として出雲の国に来られました。そして、出雲国造家の始祖でもあります。
南側の社には、「天穂日命」の子孫で17代にあたる「宮向宿彌(みやむきのすくね)」が祀られています。「宮向宿彌」は天皇から、出雲の姓を頂き、その子孫は出雲大社の宮司家として今日に至っています。
2004年7月6日に国の重要文化財に指定されています。 -
神楽殿(かぐらでん)
境内の西側(向かって左側)にあります。古代大社造りの様式を生かした社殿は昭和56年に再建されたものです。ここでは神楽や古代の儀式が行なわれます。出雲大社といえば神楽殿の「大注連縄」を想像する人も多いほどです。長さ13m、太さ8.5m重さ4.4トンとまさに日本一のスケールを誇ります。この注連縄も定期的に奥出雲のほうで作りかえられます。現在の注連縄は、平成の大遷宮の前に2012年7月の平成の大遷宮にあわせて4年ぶりに新調されました。作製は1981年の神楽殿完成から地元の有志が始めた”飯南町しめ縄クラブ」(旧頓原町)です。連縄の先にお金を投げ、うまく刺さると御利益があると言われますが、今は禁止です。出雲大社 寺・神社・教会
-
重要文化財出雲大社本殿への案内板です。
-
結婚式場もあります。
-
まさに天を見上げるほどの巨大な日の丸。これは日本一の大きさで、大鳥居、大注連縄と共に3大日本一の大きさを誇ります。
当日は半旗でした。10月27日に三笠宮崇仁親王が薨去された為かと思われます。 -
出雲大社のうさぎたちの案内板です。
-
「平成の大遷宮」を記念して境内に「うさぎ石像」を建立する運びになったそうです。ここには、親2体+子が10体の計12体ありました。大国主大神さまとウサギの青銅の御像の他、現在31羽のウサギたちがいます。
-
一畑バスで日御碕へ向かいました。
途中の景色です。 -
日御碕神社です。
延喜式に「御崎社」、出雲国風土記に「美佐伎社」とある古社で赤い楼門をくぐると、正面に「日沉宮」、右手の石段上に「神の宮」があります。日沉宮には天照大神、神の宮には素盞嶋尊(すさのおのみこと)が祀られています。2社とも平入りの本殿が唐破風向拝(からはふうごはい)付きの拝殿と続いた権現造りです。
現在の建物は、徳川家光の命により、寛永14年(1637)藩主京極忠高が着手し、同21年(1644)藩主松平直政によって完成しました。桃山時代の面影を残す貴重な神社建築として、14棟一括重要文化財に指定されています。両本殿とも内壁や天井には、狩野派、土佐派の絵師たちが腕を競いあった壮麗な壁画があります。日御碕神社 寺・神社・教会
-
当日は風が非常に強く、時折小雨が降ってきました。
-
経島の表示です。
-
日御碕の西に浮かぶ「経島(ふみしま)」は、出雲風土記にも登場する伝説の孤島です。白い石灰質の柱状節理が積み重なったような姿が、経典を重ねたように見えることから、この名前が付いたと言われる国の天然記念物です。
この島で有名なのが、11月になると北方から飛来するウミネコです。経島 自然・景勝地
-
「日本の自然百選」の一つで、奇岩や絶壁など大迫力の景観が目に飛び込んできます。その一角に立つ出雲日御碕灯台は、遊歩道の途中にある灯台です。
出雲日御碕灯台 名所・史跡
-
日御碕の案内板です。
-
夕陽が綺麗に見える場所ですが、当日は駄目でした。
-
日御碕の地形の説明です。
-
出雲松島と呼ばれており、いずれも流紋岩からできており、激しい波の侵食作用や海面の昇降運動によって次第に美しい形に仕上げられました。岩礁域には海中林を形成しており、メバル、カサゴ等の根付魚が多く生息しています。またブリやタイ等の回遊魚も多く、絶好の釣り場となっています。
出雲松島 自然・景勝地
-
灯塔の高さ43.65mは日本一であり、平均水面からの灯塔の頭上までの高さ63.30m、塔上からの光は48万カンデラ、夜間約40kmの海上まで達します。世界各国の歴史的に特に重要な灯台100選に選定されています。
灯台の上は展望台となっており、はるか北方に隠岐島を望み、南の山々が連なり、手にとる様です。すぐ近くには日本海の海食をうけた奇岩絶壁が続き、素晴らしい夕陽が眺められると言われています。
入場料:中学生以上200円 小学生以下無料
営業時間:9:00~16:30(通年)出雲日御碕灯台 名所・史跡
-
マンホールにも日御碕灯台が描かれています。
-
案内板です。
-
至るところにツワブキが咲いていました。
-
グラスボート乗場です。
-
営業不振で廃止されていました。
-
このバスで正門前へ戻りました。
一畑バス (路線バス) 乗り物
-
歌手竹内まりやさんの実家である老舗旅館『竹野屋』です。
竹野屋旅館 宿・ホテル
-
玄関には黒柳徹子さんや嵐等の芸能人から贈られた胡蝶蘭が置かれていました。
竹野屋旅館 宿・ホテル
-
その胡蝶蘭がこれです。
竹野屋旅館 宿・ホテル
-
日本ぜんざい学会壱号店です。
営業時間:10:00~17:00
ぜんざいは出雲地方の『神在餅』に起因しています。旧暦の10月に全国から神々が集まる『神在祭かみありさい』と呼ばれる神事で振る舞われるのが、この神在餅でじんざいが出雲弁で訛って『ずんざい』更に『ぜんざい』となって京都に伝わったと言われています。『ぜんざい』発祥の地が出雲であることは、江戸初期の文献『祇園物語』等にも記されています。日本ぜんざい学会 壱号店 グルメ・レストラン
-
神迎の塩の店です。食用塩も売っています。
値札の円が”縁”になっていました。 -
お世話になった大島屋旅館です。
大島屋旅館 宿・ホテル
-
チェックインした後、御風呂に入り夕食です。
大島屋旅館 宿・ホテル
-
松茸と肉の鍋料理です。
-
松茸と白身魚のお吸い物です。
-
デザートのメロンです。
-
部屋から大山が見えました。
-
泊まった部屋です。
古い日本旅館の雰囲気が漂っています。大島屋旅館 宿・ホテル
-
朝食です。
これに御飯としじみ汁がつきました。大島屋旅館 宿・ホテル
-
正門前から一畑バスで出雲市駅へ向かいました。
-
ここから米子へ向かいました。
出雲市駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
大島屋旅館
3.05
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
136