2015/05/01 - 2015/05/01
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bunbunさん
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スペイン現存唯一で世界的にも最大級のイスラム教モスク:メスキータと、白壁に赤い花が美しいユダ人街を見学してきました。
あまりに長くなりすぎるため、2回に分けてのご報告です。本旅行記はメスキータのイスラム教関係を中心とした既報告http://4travel.jp/travelogue/11205754 の続編で、メスキータのキリスト教関係部分とユダヤ人街を中心としとしております。
この旅行記の一部は帰国後私たちのツアーガイドだった Ana Recio Ubeda さんの助けを借りて執筆しております。彼女にはこの場を借りてお礼申し上げます。
I wrote parts of this travel report, by the help of Ms. Ana Recio Ubeda, our tour guide at Cordoba. She is really nice lady and I greatly appreciate for her kind cooperation.
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聖テレサ礼拝堂(Capilla de Santa Teresa)。先の図面http://4travel.jp/travelogue/11205754
をご覧ください。この旅行記ではこの部屋の左(東)隣の2部屋を宝物堂(Tesoro)、右(西)隣の部屋を地下納骨室(Cripta)としておきますが、スペイン語の資料でも、上記聖テレサ礼拝堂と宝物堂を纏めて聖テレサ礼拝堂と呼ぶ場合もありますし、サラサール枢機卿の礼拝堂(Capilla del Cardenal Salazar)、宝物堂(Capilla del Tesoro)と呼ぶ場合もあります。日本語の解説を見ますと、上のいろいろな表現が使われていますが、皆上記スペイン語に順じた表現と思われます。
この礼拝堂は、アビラの聖テレサ(Santa Teresa de Jesús, 1515-1582)を深く崇拝していたコバルトの枢機卿:ペドロ・デ・サラサール・グティエレス・デ・トレド(Pedro de Salazar Gutiérrez de Toledo, 1630-1076)によって1697年に計画され、建築家フランシスコ・ウルタド・イズキエルド(Francisko Hurtado Izquierdo)の設計によって、1697年からバロック様式で建設工事が開始されて1703年に完成しました。
写真右側の絵は、アシスクロ・アントニオ・パロミノ(Acisclo Antonio Palomino, 1655-1726)作のLa aparición de San Rafael al padre Roelas(「ロエラス神父前への聖ラファエルの御公現」とでも訳すんですかねえ)。メスキータ入口の聖アグスティン礼拝堂にも同じタイトルの絵がありました。http://4travel.jp/travelogue/11205754
左の絵は同画家の聖アシスクロと聖ビクトリア(San Acisclo y Santa Victoria)です。 -
聖テレサ礼拝堂(Capilla de Santa Teresa)反対側上部
003P1050489
“CUSTODIA PROCESIONAL 行進用の聖体顕示台*)
REALISADA POR ENRIQUE DE ARFE エンリケ・アルフェ(1475-1545)作
ANO:1510-1516 年:1510-1516
PLATA-PLATA DORADA Y ORO” 銀、金メッキの銀と金
*) 聖体降福式(聖体賛美式)の時に聖体を中に収めて参列者に見えるように顕示する台で、これをもって司祭、修道士、信徒が行列を作って街を巡ります。 -
“CUSTODIA PROCESIONAL 行進用の聖体顕示台*)
REALISADA POR ENRIQUE DE ARFE エンリケ・アルフェ(1475-1545)作
ANO:1510-1516 年:1510-1516
PLATA-PLATA DORADA Y ORO” 銀、金メッキの銀と金
*) 聖体降福式(聖体賛美式)の時に聖体を中に収めて参列者に見えるように顕示する台で、これをもって司祭、修道士、信徒が行列を作って街を巡ります。 -
方向を変えて見ますか。見事なゴシック様式ですね。
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聖体顕示台上部。真中のカーテンがある空間に聖体が入ります。
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聖体顕示台下部.
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上から2番目の写真の右外側にサラサール枢機卿の家族が眠る地下納骨室(cripta)に通ずるドアがありますが、その上にある、無原罪の御宿り(Inmaculada Concepcion)
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上から2番目の写真の左外側に小部屋に通ずるドアがありますが、その上にある、聖母被昇天(La Asunción)
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サラザール枢機卿の墓。彫刻家テオドシオ・サンチェス(Teodosio Sánchez)、ドミンゴ・レルニコ(Domingo Lernico)、フアン・プリエト(Juan Prieto)によって造られたもの彫像部分は白の大理石、それ以外は黒の大理石が使われています。
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宝物堂に入りました。
無原罪の御宿り(INMACULADA CONCEPCION)。 -
ズームインしてフラッシュ撮影。銀の衣の花の模様が綺麗ですね。
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CRISTO DE MARFIL 象牙のキリスト
Autor: Anonimo granadino 作者:グラナダ人(氏名不詳)
Material: Marfil y madera 材質:象牙と木の角材
Fecha:1663-1665 時期:1663-1665年 -
CRUZ PROCESIONAL DEL ARCEDIANO SIMANCAS Atribuida a Enroque de Arfe.
アルフェのエンリケ(1475-1545)作のシマンカス(地名)の助祭長の巡行用十字架
Material:Plata y plata dorada 材質:銀と金メッキの銀
Fecha:1515-1518 時期:1515-1518年 -
CRUZ PROCESIONAL DEL ORISPO MANRIKE 司教マンリケの行列用十字架
Autor: Anonimo cordobés 作者:コルドバ人(氏名不詳)
Material: Plata y pasta vitrea 材質:銀と着色ガラス
Fecha:1496 時期:1496年 -
RELICARIO DE STA.*) URSULA 聖ウルスラの聖体容器
Autor: Sin marcas 作者:シン・マルカス
Mtaterial: Plata. 材質:銀
Fecha: 1422-1424 時期:1422-1424年
*) “Sta.” はスペイン語の ”Santa” の略で「聖」を意味し、基本的に女性の聖人の敬称です。男性の場合は “San” です。米西海岸にこれらの敬称が付いた町がたくさありますね。Santa Clara (聖クララ、1193-1253)、Santa Monica(聖モニカ、331-387)、Santa Ana(聖アンナ、聖母マリアの母)、San Francisco(聖フランチェスコ、1182-1226)、San Jose(聖ヨセフ)、San Diego(聖ディエゴ)等々。 -
もう一つ東の部屋に来ました。宝物が一杯です。堂内の装飾も綺麗ですね。
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綺麗なんでズームイン。前方にイスラムアーチが見えます。出口ですね。
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まだ出ません。
戸棚ですかねえ。装飾が綺麗です。 -
ズームイン。木の扉に施された金細工が素敵です。
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戸棚と反対側の壁上部装飾。
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入口上部装飾。
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NTRA.*) SRA.**) DE LA CANDELARIA 聖燭節***)の聖母マリア
Autor: Damian de Castro 作者:ダミアン・デ・カストロ
Material:Plata dorada 材質:金メッキの銀
Fecha:XVIII 時期:18世紀
本説明はAna Recio Ubeda さんの好意によります。
By courtesy of Ms. Ana Recio Ubeda
*) Ntra. はNuestra(私たちの)の略です。
**) Sra. はSeñora(夫人)の略です。
***) 直訳です。日本語の公式名はわかりません。 -
“SAN RAFAEL” 「聖ラファエル」。カトリック教会においては聖ミカエル(モン・サン・ミシェルのミシェルです。)、聖ガブリエルとともに三大天使*)の一人で、コルドバの守護天使でもあます。旅で同伴者を癒した(救った)ことから、旅人の杖をもった姿で表現されます。この杖が聖ラファエルのアトリビュート(聖人を特徴づける持ち物)となります。基本的には、アトリビュートから彫像や絵画の聖人を特定できることになりますが、実際はアトリビュートが無い場合や、複数の聖人でアトリビュートが同じ場合があり、多くの場合アトリビュートだけで聖人を特定することは困難です。
*) 大天使についてはhttp://4travel.jp/travelogue/11192701 の付録に分かり易く解説しましたので、興味がある方はご覧ください。 -
聖テレサ礼拝堂の東にある聖クレメンテ博物館(Museo San Clemente)に入りました。
10世紀の拡張時における石工職人のサイン(Firmas de los canteros)。
この事実は1932年、考古学者であるフェリックス・フェルナンデス(Felix Fernández)の調査により明らかになりました。
本説明はAna Recio Ubeda さんの好意によります。
By courtesy of Ms. Ana Recio Ubeda -
上
MIZAL ROMANO ローマのミサ典書(祈祷書)
MADRID 1858 マドリード 1858年
Encuadernación: SIGRO XVIII 製本:18世紀
下左
EVANGELIOS 福音書
MADRID 1902 マドリード 1902年
Encuadernación: SIGRO XVIII 製本:18世紀
下中
MIZAL ROMANO ローマのミサ典書(祈祷書)
ANTVERPIAE 1634 アントワープ 1634年
Encuadernación: SIGRO XVIII 製本:18世紀
下右
EPISTOLAS 使徒書簡
MADRID 1902 マドリード 1902年
Encuadernación: SIGRO XVIII 製本:18世紀 -
聖クレメンテ博物館から出てカテドラル(大聖堂)に向かいます。
出たところで見上げた、リブ・ヴォールトの天井。 -
クロッシングから見た翼廊。左は聖歌隊席、右は内陣です。
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上を見上げる。写真上側のドームはクロッシングの天井です。
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クロッシングと北翼廊の天井
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クロッシングと北翼廊の天井と聖歌隊席の天井の一部(左側)。右側のイスラム2層アーチは南翼路の側面です。
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南翼廊の天井とクロッシングの天井。
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南翼廊の天井。ゴシックからルネサンスへの移行期の様式で、交差リブ・ボールトは対称性を保ちながらも複雑な形状となり、華麗で装飾的な要素を強く押し出しています。
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南翼廊の東側面をみますと、イスラムの2層アーチ列がみえます。ラテン十字の単独聖堂であれば、この方向は屋外になりますが、イスラムメスキータ内部に建設されているため、このような光景になります。
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さらに進むと右側に内陣が見えてきました。
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内陣の天井。
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内陣。中央の金色に輝いている部分が至聖所です。小さくて分かりにくいですかねえ。
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拡大してみましょう。この至聖所は縦辺が円柱の立方体、その上に円柱が側面部に沿って並んだ円筒、その上に半球ドーム、さらにその上に小さな円筒+半球ドームのランプが積み重なった構造となっています。
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正面から見たカテドラルの主祭壇。
この主祭壇は司教アロンソ・マンリケ発案で、1523年彼の命により、カテドラル主任石工職人のエルナン・ルイス・エル・ビエホ(Hernán Ruiz el Viejo、?-1547)により、アブドゥル=ラフマン2世とハカム2世によるメスキータ拡張部分を破壊する方法で工事が開始されました。彼の死後、この工事は彼の息子エルナン・ルイス・エル・ホーベン(Hernán Ruiz el Joven、エルナン・ルイス2世、Hernán Ruiz II、1514?-1569)に引き継がれ、彼が死ぬまで続けられます。
大祭壇屏(Retablo Mayor)はマニエリズム様式で、その工事はアロンソ・マティアス(Alonso Matías)の設計・指揮の元、1618年に開始されました。資材は大理石やブロンズで、大理石の産地はコルドバ県南部のコルドバとマラガの中間にある、カブラ(Cabra)、カルカブエイ(Carcabuey)、ルセーナ(Lucena)等です。途中アロンソ・マティアスはイエズス会との間に起きたトラブルで手を引きますが、ルイス・ゴンザレス(Luis Gonzalez)が後を継ぎ、1628年に完成を見ます。
その後、アロンソ・マティアスの設計に基づいた至聖所(中央金色部分)が1653年、セバスチャン・ビダル(Sebastian Vidalによって作製されました。
中央上部の三角形の屋根をつけた庇がこの大祭壇屏を上下2段に分けています。
下段下部の左右のドアは聖器室に通じており、その間にあって、至聖室の下には聖櫃が奉られています。
縦方向の溝で覆われた褐色の柱が上段に2本、下段に4本ありますが、柱の上部はイオニア式とコリント式を組み合わせたコンポジット式で、ブロンズで覆われています。
大祭壇屏には5枚の絵がありますが、上段中央は聖母被昇天(Santa María de la Asunción)、その左は聖ペラジオ(San Pelagio)、右は聖ディーニャ(Santa Digna)、下段左は聖アシスクロ(San Acisclo)、右は聖ビクトリア(Santa Victoria)です。最後の2人は帝政ローマ時代の殉教者でコルドバの守護聖人です。 -
横長にしてみます。翼廊側面のイスラム2層アーチの様子がよく分かりますね。
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聖母被昇天ズームイン
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主祭壇に吊るされた奉納ランプ。629年、コルドバの銀細工師マルティン・サンチェス・デ・ラ・クルス(Martín Sánchez de la Cruz)によって作成され、1930年にコルドバの司教に寄贈されました。銀製で、直径182 cm、重さ約200 kg だそうです。
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クロッシングと内陣境界右側にある説教壇。18世紀、マルセーユのフアン・ミゲル・ベルディゲール(Juan Miguel Verdiguier)の作でマホガニー製です。説教壇の下にはジャスパー(碧玉)*) 製の牛、その上には黒大理石の鷲(ちょっと見にくい)が載っています。ここで牛は聖ルカ(San Lucas)を、鷲は聖ヨハネ(San Juan)を表しています。
*) 水晶(SiO2)の多結晶に比較的多くの不純物が混入したもので、不純物の種類によって、赤、緑、黄等、様々に発色します。この発色についてはhttp://4travel.jp/travelogue/11198227 の付録で詳しくご説明しましたので、興味のある方はご覧ください。ステンドグラスの場合は不純物量が少ないため光は透過しますが、ジャスパーの場合は多いため不透明になります。この写真ではよくわかりませんが、牛は僅かにピンク色です。 -
クロッシングと内陣境界左側にある説教壇。上の写真の説教壇と同じく、18世紀、マルセーユのフアン・ミゲル・ベルディゲール(Juan Miguel Verdiguier)の作でマホガニー製です。説教壇の下にはライオン(写真外です)にもたれかかる天使の像があります。ここで天使は聖マタイ(San Mateo)を、ライオンは聖マルコ(San Marcos)を表しています。
上の写真を含め、4人の聖人は、キリスト教徒でない皆さんでも耳にしたことがある、新約聖書の4つの聖典「福音書」の記者です。 -
後ろを振り返ると聖歌隊席です。この長方形の仕切られた壁側には、レリーフを施したマホガニー製の椅子席がコの字型に並んでいます。中央の大きなレリーフ(以下で説明します)の下部に3席、この両側にある赤い出入り口用のドアの左右にそれぞれ53席が2段にg並び、椅子席は全部で109個です(105個と書かれた資料もありますが、自分で数えた訳ではないので正確な数はわかりません)。この椅子席はセビリアのバロック彫刻家ペドロ・ドゥケ・イ・コルネホ(Pedro Duque y Cornejo, 1677-1757)によって1748年に設計・製作が開始され、彼の死後は息子たちに引き継がれて1758年に完成しました。椅子席のレリーフは、左上段がキリストの生涯、右上段は聖母マリアの生涯、左右下段は地元コルドバの殉教者たちを表しています。
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中央のレリーフ。
下部中央の3席は高位聖職者の席で、真中が司教席、その両側は大僧正席です。その上のレリーフはキリストの昇天、その両側は聖テレサとマグダラのマリア、最上部は聖ラファエルの像です。 -
左側の2段椅子席。レリーフは上段がキリストの生涯、下段は地元コルドバの殉教者たちを表しています。こういった表現にはステンドグラスや彫刻がよく使われます。興味のある方はhttp://4travel.jp/travelogue/11198227 をご覧ください。
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聖歌隊席北側のパイプオルガン。
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正面から見た北側のパイプオルガン。
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聖歌隊席南側のパイプオルガン
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聖歌隊席の天井。翼廊の天井に比べると、リブ・ヴォールトのリブ間に華麗なレリーフが施され、豪華さが際立っています。
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位置関係がわかるよう、横長にしてパイプオルガンも入れました。
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カテドラルを出ました。2層アーチの円柱の森です。
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2層アーチ。これから外にでます。
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北壁のステンドグラス
この後メスキータの北側に広がるユダヤ人街の散策です。
著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、ここからの散策ルートを以下のグーグルマップに青の点線で示しました。
https://goo.gl/maps/R46SKeArNZF2 -
ベラスケス・ボスコ通り(Calle Velázquez Bosco)に入ってきました。
観光客でいっぱいだ。 -
ベラスケス・ボスコ通りを北に進みます。
通りの両側にはレストランや土産物店がいっぱいです。
“Taberna las Comedia”(タベルナ・ラス・コメディア)なんて看板もある。
「喜劇居酒屋」とでも訳すんですかねえ。ちなみにギリシャでタベルナと言えば、ギリシャ料理の小レストランのことです。 -
見えてきましたねえ、有名な花の小道(Calleja de las Flores)への入口が。
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黒の看板には白地で ”MESON DE LAS FLORES” と書かれています。「花の宿(料理屋)」とでも訳すんですかねえ。粋な名前だ。
右の角を入ると有名な花の小道です。 -
花の小道に入ります。
ゼラニウムが綺麗ですね。 -
壁にしっかり通り名が書かれてます。
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花の小道を進みます。こりゃいい。
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花の小道を進みます。
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花の小道を進みます。
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花の小道を進みます。
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花の小道を進みます。
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ちょっと後ろを振り返ります。
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前に進んで。行き止まりかな。
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ちょっとした広場になっています。
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歩いて来た花の小道の方を振り返ります。
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少し位置を変えると、はなの小道とメスキータの鐘楼です。
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ここが、一番に写真撮影スポットになっているようです。
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広場から見た花の小道と鐘楼。
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広場から見た花の小道と鐘楼と土産物店。
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広場から見た花の小道と鐘楼と土産物店。
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広場から見た花の小道と鐘楼。
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広場から見た花の小道と鐘楼。
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花の小道を引き返します。
著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、ここからの散策ルートを以下のグーグルマップに青の点線で示しました。
https://goo.gl/maps/BvUAU8mJmzx -
ベラスケス・ボスコ通りに戻って来ました。
左の赤と黄の縞の入口には “BAÑOS ARABES DE SANTA MARIA SIGLO X” と書かれてます。「聖母マリアのアラブ浴場 10世紀」とでも訳すんですかねえ。メスキータと関係しているようです。
黒地に白字の縦長の看板には “ASADOR ?RESTAURANTE EL TOREO- ASADOE” と書かれています。「焼肉レストラン・トレオ」とでも訳すんですかねえ。”TOREO” は「闘牛」の意です。 -
ベラスケス・ボスコ通りを北に進みます。
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ベラスケス・ボスコ通りを北に進みます。
“Taberna”(居酒屋)の看板がいっぱいありますねえ。 -
ベランダの鉢植えの花が綺麗です。
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ベラスケス・ボスコ通りを北に進みます。
花も綺麗ですが、また黒地に白字のタベルナの看板です。”TABERNA EL PATIO ANDALUZ CACINA CASERA” と書かれています。「居酒屋アンダルシアのパティオ 家庭料理」とでも訳せばいいんですかねえ。 -
ベラスケス・ボスコ通りを北に進みます。
またタベルナの看板です。”Taberna Los Geranios” と書かれてます。「居酒屋ゼラニウム」ですか。店の外見にぴったりの名前ですねえ。 -
ゼラニウムが綺麗だ。
ここを左折します。 -
アグルパシオン・コフラシアス広場(Plaza Agrupasión de Cofradias、「宗教的慈善団体」の意)に出てきました。
右の建物、下はレストランで上はアパートのようですね。 -
アパートのベランダの花が綺麗ですね。
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さて、次はアグルパシオン・コフラシアス広場からセスペデス通り(Calle Céspedes)に入ります。
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セスペデス通りを南に進みます。
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セスペデス通りを南に進みます。
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途中で右折します。モスクらしきものが見えますね。
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ミナレットですかねえ。ブーゲンビリアが綺麗だ。
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近づいて下から。ブーゲンビリアとランプが合いますねえ。
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Mezquita de los Andaluces アンダルシアのモスク
Universidad Islamica Innternacional イスラム国際大学
Averroes de al-Andalus アンダルシアのアベローエス
と書かれてます。 -
イスラム建築特有の馬蹄形アーチの入口です。
中に入れるようですね。 -
手洗い所ですかねえ。典型的なイスラム幾何学模様です。
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著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、ここからの散策ルートを以下のグーグルマップに青の点線で示しました。
https://goo.gl/maps/57ALm6cZfMx
モスクの西側のデアネス通り(Calle Deanes)に出ました。 -
デアネス通りを南に進みます。
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デアネス通りを南に進みます。
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右折してロメロ通り(Calle Romero)に入りました。
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ロメロ通りを西に進みます。
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ロメロ通りを西に進みます。ここも白壁の赤い花が綺麗です。
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ロメロ通り
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サラサール枢機卿広場(Plaza del Cardenal Salazar)にやって来ました。
広場に面して建つ旧サラサール枢機卿病院(Hospital del Cardenal Salazar)。
サラサール枢機卿の命により、建築家フランシスコ・ウルタド・イズキエルド(Francisco Hurtado Izquierdo)によって、18世紀にバロックスタイルで建築されたもので、コルドバ市の病院として使われていましたが、今はコルドバ大学人文学部の建物となっています。
サラサール枢機卿と建築家フランシスコ・ウルタド・イズキエルドは、それぞれメスキータの聖テレサ礼拝堂を計画・設計した人物です。 -
正面入り口上部
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右側
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広場東側の教会。
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広場の西側にある胸像
CORDOBA コルドバ
AL CÉLEBRE OCULISTA 著名な眼科医
MOHAMED AL-GAFEQUI モハメド・アル・ガフェキ
VIII CENTENARIO 1965 800周年記念 1965年 -
コルドバ職人教会(Asociacíon Cordoba de Artesanos ZOCO)にやってきました。
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革製品、絵付けタイル、銀細工等の工房兼店舗だそうです。
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鉢植えの花がたくさんあります。
コルドバでは毎年5月中旬にパティオ祭り(La Fiesta de los Patios de Córdoba)が開催され、花で飾られたパティオの美しさを競うコンテストがありますが、その頃が一番の見ごろなんでしょうね。今回はちょっと早かったようです。 -
やはり花は白壁だなあ。
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コルドバ職人教会のパティオ。
著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、ここからの散策ルートを以下のグーグルマップに青の点線で示しました。
https://goo.gl/maps/ruerfsbEbeE2 -
コルドバ職人教会から南下して、マイモニデス広場(Plaza Maimonides)にやってきました。
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マイモニデス(スペイン語:Moises Maimonides、ヘブライ語:Moseh ben Mayimon(モーシェ・ベン=マイモーン)、1135-1204)の像。コルドバの名門家に生まれた、著名な医者兼神学者で、中世最大のユダヤ人哲学者ともされています。
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白のブーゲンビリアですかねえ。
著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、ここからの散策ルートを以下のグーグルマップに青の点線で示しました。
https://goo.gl/maps/rJfvBMiWvSK2 -
細い路地を通って南下すると、また広場に出ます。
この広場もマイモニデス広場(Plaza Maimonides)と書かれており、先ほどの広場とまとめてこのように読んでいるようです。 -
マイモニデス広場南側の家。この窓にもゼラニウムの鉢植えが飾られてます。
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さて、マイモニデス広場を出てメスキータに戻りますか。
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マンリケス通り(Calle Manrikez)を通ってメスキータへ戻ります。
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マンリケス通りを東に進みます。
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マンリケス通りを東に進みます。
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右折してメディナ・イ・コレジャ通り(Calle Medina y Corella)。
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壁の花が綺麗ですね。
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メスキータ西側のトリホス通り(Calle Torrijos)に出ました。塀越しに鐘楼が見えます。
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南を見ると、メスキータ西壁です。中央付近の入口が開いている門が、さっきメスキータに入ったディアネス門です。
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黄色の郵便ポスト。珍しいから載せておきます。
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鐘楼。オレンジの中庭に入ってすぐ下から撮影してます。
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鐘楼。オレンジの中庭から見た全体像。右側下の開口部は免罪の門です。
オレンジの木の中庭 散歩・街歩き
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鐘楼最上部の聖ラファエルの望遠写真。
これで、コルドバとはさようならです。 -
コルドバ駅にやってきました。
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スペイン国鉄 Renfe (Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)の電車が止まってますね。
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出発ホームに移動して外をみると、真っ赤なブーゲンビリアがいっぱいです。
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綺麗なもんですねえ。
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ピンクと赤のブーゲンビリア。
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ピンクのブーゲンビリア。
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さあ、これからABE(Alta Velocidad Española)にのって次の目的地に出発です。
Adiós! Córdoba. Hasta la vista. (さようなら!コルドバ。また逢う日まで)
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