2025/11/22 - 2025/11/22
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ムッシュさん
2025年11月に、スペイン旅行で、13年振り2度目のコルドバ・メスキータを訪問しました。(日程変更した)(前回は2012年12月)
コルドバ
AC1c、コルドバの都市建設が始まりローマへの道の要衝となったローマ橋が架けられ、栄華を極める。のちに西ゴ ート王国に支配され、6cには東ローマ帝国の領土にもなったが、711年、イスラム教徒に征服された。そして、756年に成立したイスラム王朝・後ウマイヤ朝は、コルドバを『アル・アンダレス』(イスラム教徒支配下のスペイン版図の首都とした。
後ウマイヤ朝の首長アブデラマン1世は、西ゴート族の教会を基にメスキータ(イスラム教寺院)の建設を命じた。10cには、アブデラアン3世とアルハカム2世の治世下で繁栄をとげ、40万冊以上の書籍を所有する大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。トレドと並んで西方イスラム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となった。
しかし、キリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)により、1236年カスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服され、1492年にグラナダ王国が滅亡しレコンキスタが完了するとイスラム勢力がイベリア半島から追われ、メスキータにはカトリック教会部分が増築された。(西洋史教本より)
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Madridのアトーチャ駅構内植物園。これからrenfeでコルドバに向います。
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Madridのアトーチャ駅旧構内のガラス壁
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Madridのアトーチャ駅旧構内の時計台
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これから乗車するAVEの時刻表
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これから乗車するAVE
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コルドバまで乗車します。車窓風景。山も家も見えません
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コルドバ駅に到着
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旧市街のアルモドバル門とセネカ像
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アルモドバル門の向こうにはユダヤ人街の白壁と小路が見えます。
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SENECA
セネカは、コルドバ生まれで、紀元前一世紀から紀元後一世紀にかけての政治家、哲学者、詩人。ローマ帝国の暴君ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた人として知られています。 -
アルモドバル門の上部
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花の小路
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振りかえるとアルモドバル門
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パティオ。中庭には緑がいっぱいで暑さもしのげそう。
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コルドバ大学。大学の校舎内も散策出来ました。
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コルドバ大学。大学の校舎内も散策出来ました。
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ユダヤ人街のマーク。
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ちいさな土産物屋
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メスキータに聳える鐘楼(塔)
エルナン・ルイス3世が後に鐘楼を加えたこの塔に は、アブド・アッラフマーン3
世の命で建てられたミナ レットの名残が今日も見て取れます。 -
メスキータの外周路に面する外壁
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メスキータの入口門。免罪の門とも言われる。
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メスキータの”オレンジの中庭”が見えて来ました
オレンジの中庭
現在の構造は16世紀末に形成されたもので、多数植えられた 椰子の木、糸杉やオ
レンジの木が目を引きます。。 -
オレンジの中庭とモスク内に入る”栄光の門”が見えてます。
この中庭は、イスラムの礼拝者が体を清めるための沐浴を行う『禊(みそぎ)の庭』であった。 -
中庭と鐘楼(塔)
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中段に3ケx4面=12ケの鐘があります。
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メスキータとはスペイン語でイスラム教寺院のこと。
後ウマイヤ王朝の創始者アブド・アッラフマーン1世の命を帯、785年に建てられた。4回拡張され数万人を収容できる巨大なモスクとなった。
しかし、13世紀にキリスト教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教、二つが共存する珍しい建物となった。 -
うす暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の馬蹄形アーチは幻想的な美しさ。
このような二重のアーチと柱が樹立しており祈りの雰囲気を漂わせている。
柱の石はローマ時代の貴族の廃墟から持ってきたものも多いという。
柱はエンタシスのものあり、モザイクをほどこしたものありで一様ではないが、すばらしい柱が多い。
アーチはレンガの赤い部分と白い石灰石の部分の組み合わせで、耐震構造と建物を支える強度を持っている。とにかく赤白模様の二重アーチと柱が強烈に印象的モスクの大きさは世界でも最大級の1つ -
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ローマの水道橋を参考にして、白い化粧漆喰と赤い石(レンガ)を交互に楔状に配した構成となっている。
古代ギリシャ、古代ローマやビザンチン様式の混在するイスラム建築が最も美しい表現方法でキリスト教建築と融合していル。
建物の内部では、息を呑むような美しさの円柱の森、折り重なるアーチや天井を形成する空間に息づく、何世紀にもわたる時の流れが刻まれた類稀な芸術作品が見る者を驚かせる -
正面の明部は、ミヒラブ。
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ミフラーブへの入口
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ミフラーブへの入口部の柱上部
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”ミフラーブ”は、メッカの方向を示す壁の祭壇、イスラムにとって最も重要な場所の一つ。
礼拝の間にはメッカのカーバ神殿(イスラム教における最高の聖地とみなされている聖殿)の方向を指し示す壁が正面にあり、『ミフラーブ』(Mihrab)と呼ばれる小さな窪みが設けられている。 -
ミフラーブ
祈りを捧げるメッカの 方向を示す単なる壁龕の域を超えて、 帆立貝のような形をした八角形のドー ム型天井を備えた極めて美しい空間 になっています。
伝統的なビザンチン 様式のモザイク装飾は、皇帝ニキフォ ロス2世の命で呼び寄せられた職人に より手がけられました。 -
ミフラーブの前に設けられたドームの天蓋
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大聖堂部
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854本の円柱が現存。最大時には1200本以上あったといわれてる。
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今日、コルドバのモスク-大聖堂は、西ゴート時代の教会として始まり、カリフ統治時代には壮麗なモスクが建設され、最後のキリスト教時代にはゴシック様式、ルネッサンス様式やバロック様式の装飾が施されたという、独特な歴史の豊かさを世界中に示していル。
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聖堂内のパイプオルガン
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カトリックエリア
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聖堂ドーム。マヨール礼拝堂の円形天井
レコンキスタ後に円柱の森を取り壊し、ゴシック様式建築を行ったという。
世界無二、イスラムモスク(メスキータ)とキリストカテドラル(大聖堂)が共存するメスキータ。 -
マヨール礼拝堂(キリスト教礼拝堂)
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土産物屋さんで見つけた皮加工品。メスキータの芸術品。ノミでこつこつと打って、この絵画が出来る。
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メスキータは、イスラム王朝の支配者によって何度か拡張された。同じ形の柱が並ぶ空間は、それがどこまでも続いているような錯覚を起こさせ、実際よりも部屋を広く見せる効果がある。
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ミフラーブ は、モスクのキブラ壁(カアバの方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された窪み状の設備。モスクにはマスジド・ハラームを例外として必ずある。モスクはキブラに礼拝するためのものなので、あえていうならばミフラーブがあればそれでモスクである(ウイッキドぺリアより)
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礼拝の間
歴代の王は、人口の増加と共にメスキータの拡張を図っていった。外壁を壊し、多柱の空間を水平に拡張していった。最終的に、外周は約175m×135mの広がりとなり2万5千人もの回教徒を収容する規模まで達した。 -
礼拝の間
円柱の上部に10m程度の高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。古代ローマの水道橋を参考にしたとされるこの2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっている。 -
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グアダルキビル川に架かるローマ橋。遠くに見えるのは対岸、カラオラの塔。川沿いにそびえる『カラオラの塔』は、コルドバ旧市街地の防衛施設として14世紀に建てられた。
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グアダルキビル川に架かるローマ橋から見たメスキータ。
正面はプエンテ門、後方右はメスキータ、左の塔はサン・セバスティアン病院。
プエンテ門は、かつてアラブの城壁の一部でしたが、1571年、エルナン・ルイス3世によってルネッサンス様式で改修され、その後1928年には、内装修復も行われた。この門のすぐ後ろには、『サン・ラファエル(コルドバの守護聖人)のトリウンフォのモニュメント』がそびえている。 -
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グアダルキビル川に架かるローマ橋(Pte.Romano)
ローマの支配時代からの橋ということ。 レンガで造られた味のある橋。
全長230mのローマ橋は、16のアーチで支えられている。紀元後一世紀、ローマ帝国によって本格的なコルドバ都市建設が始まった時に架けらた。イスラム時代に補強され、さらにキリスト教徒の時代に改修されています。
グアダルキビール川対岸からメスキータを臨む -
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小路の先に、カテドラルが見える。ここはナイス撮影ポイントとか。
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ユダヤ人街の東端の入口にある有名な撮影スポットの一つ『花の小路』
花に隠れて見えずらいですが、路地の先に聖堂の塔がみえる。 -
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コルドバからグラナダに向う車窓
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