2015/05/01 - 2015/05/01
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bunbunさん
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イスラム芸術が色濃く残るセビリアのカテドラルとアルカサルを見学してきました。
イスラムの幾何学模様はコンパスと三角定規で意外と簡単に作ることができます。その作成例をいくつか示しました。
詳細は付録として最後に載せましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
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著作権の関係で適当な地図が入手できませんでしたので、スペイン広場で写真にとったタイルの地図に今回の散策場所を示します。左が北です。
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バスを降りてアルミランタスゴ通り(Calle Almirantazugo)をカビルド広場(Plaza el Cabildo)に向かいます。
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建物の下を通る。アルミランタスゴ通りの向こうに広場らしきものが見えます。
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カビルド広場(Plaza el Cabildo)にやって来ました。北側にある噴水。この広場は大聖堂前の騒がしいコンスティトゥシオン通り(Av. de la Constitucion)から少し入ったところにありますが、平日は非常に静かで、散策の途中で休憩したり、読書をしたりするのに非常に適した場所だそうです。
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カビルド広場の南側にある半円弧状建物。綺麗ですね。日曜日には骨董市が開かれるそうです。2階以上はコンドミニアムですかねえ。
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綺麗なんでもう一枚。
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左上部をズームイン。
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カテドラル(セビリア大聖堂、Catedral de Sevilla)(付録2参照)西側ファサード。右側は Portada de la Asunción (「被昇天の門」。意訳です。日本語の正式名称はわかりません)。
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おおっ、いいねえ、なんて見てると市電が大聖堂前を通過。歴史遺産と最新鋭市電のミスマッチもまたいい。
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カテドラル(Catedral de Sevilla)西側ファサードと「被昇天の門」左側。
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カテドラル(Catedral de Sevilla)西側ファサードと「被昇天の門」正面。ドアの両側には2段になってたくさんの聖人像があります。上段ドア近くはキリストの家族、下段ドア近くは十二使徒です。詳細は以下で説明します。
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「被昇天の門」のヴシュールとタンパン
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タンパンのレリーフは門の名前の通り、聖母被昇天ですね。
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「被昇天の門」左側、ドアから1~4列の聖人たち。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
下段右から、聖ペドロ(San Pedro)、聖大ヤコブ(Santiago Mayor)、聖フアン(San Juan)、聖小ヤコブ(Santiago Menor)。
上段右から聖ヨセフ(San Jose)、聖アンナと幼少の聖母マリア(Santa Ana y la Virgen Nina)、聖大グレゴリオ(San Gregorio Magno)、聖ヘロニモ(San Jeronimo)。
各聖人の説明は省きます。 -
「被昇天の門」左側、ドアから5~8列の聖人たち。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
下段右から、聖バルトロメー(San Bartolome)、聖シモン(San Simon)、聖マテオ(San Mateo)、聖ルカ(San Lucas)。
上段右から、聖フアン・クリソストモ(San Juan Crisostomo)、聖ブエナヴェントゥーラ(San Buenaventura)、聖アルフォンソ・デ・リゴリオ(San Alfonso M. de Ligorio)、聖ベニート(San Benito)。
各聖人の説明は省きます。 -
「被昇天の門」右側、ドアから1~4列のの聖人たち。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
下段左から、聖パブロ(San Pablo)、聖アンドレス(San Andres)、トマス(Tomas)、聖フェリペ(San Felipe)。
上段左から、聖ホアキン(San Joaquin)、マリア・マグダレーナ(Maria Magdalena)、聖ホアキン(San Joaquin)、聖アグスティン(San Agustin)。
各聖人の説明は省きます。 -
「被昇天の門」右側、ドアから5~8列の聖人たち。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
下段左から、聖フダス・タデオ(San Judas Tadeo)、聖マトティアス(San Matias)、聖エステバン(San Esteban)、聖マルコム(San Marcom)。
上段左から、聖バシリオ(San Basilio)、聖トーマス・デ・アキノ(Santo Tomas de Aquino)、聖フランシスコ・デ・サレス(San Francisco de Sales)、聖ベルナルド(San Bernardo)。
各聖人の説明は省きます。 -
西ファサード左(北)側のPortada del Bautismo(「洗礼の門」。意訳です。日本語の正式名称はわかりません)。
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ズームイン。
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タンパンのレリーフは門の名前の通り、キリストの洗礼です。
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西ファサード右(南)側のPortada de San Miguel(聖ミゲルの門)、もしくは Puerta de la Natividad(降誕の門)。
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ズームイン。
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さらに拡大。タンパンのレリーフはキリストの誕生ですね。こうなると、Puerta de la Natividadの方が分かり易いか。
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中に入りました。ステンドグラスが綺麗ですねえ。
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1478年、エンリケ・アレマン(Enrique Aleman)作の4連ランセット。左から、聖大ヤコブ(Santiago el Mayor)、聖フェリペ(San Felipe)、聖小ヤコブ(Santiago el Menor)、聖フダス・タデオ(San Judas Tadeo)。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
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1479年、エンリケ・アレマン(Enrique Aleman)作の4連ランセット。左から、聖グレゴリオ(San Gregorio)、聖アグスティン(San Agustin)、聖アムブロシオ(San Ambrosio)、聖ヘロニモ(San Jeronimo)です。(読みも綴りもスペイン語表記です。)
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スペインの4つの王国、カスティーヤ、レオン、ナバラ、アラゴンを象徴する4体の巨人増に担がれたコロンブスの墓(Sepulco de Cristobal Colon)*)。
*)わがまま歩き 17 スペイン 実業之日本社 2015 ISBN978-4-408-02546-9 p300。「4人の国王が柩をかついでいる」と説明しているガイドブックもありますが、Brigitte Hintzen-Bohlen, Arte y arquitectura: Andalucía, Berlín, Könemann, 2006 を見ると、” cuatro heraldos representantes de los cuatro reinos españoles”「スペインの4つの王国を象徴する4人の使者」と書かれており、「わがまま歩き」の説明が正しいでしょう。 -
身廊から見た側廊の天井とランセット。
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1478年、エンリケ・アレマン(Enrique Aleman)作の4連ランセット。カトリック4司教。
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側廊から見たリブボールトの天井。
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「被昇天の門」側から主祭壇側を見た身廊天井。
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内側からみた「被昇天の門」上部。
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1577年、ヴィセンテ・メナルド (Vicente Menardo)作、1831年修復の「被昇天の門」上部の薔薇窓。4福音書。
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薔薇窓の枠はコンパスと直線定規で設計できます。ということで私も挑戦してみました。茶色の部分が枠です。真ん中の円内は実際の写真を埋め込みました。その他は適当に色づけしてます。まあまあかな、と思ってます。詳細は付録4(1)を参照してください。
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カテドラルの外にでました。カテドラル南西角から見たコンスティトゥシオン通り(Av. de la Constitucion)。背の高い白い建物はColiseo Gestion Inmobiliaria y Juridica(「コリセオ不動産管理会社」とでもやくすんですかねえ)。関係ねえか。
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馬車が似合う街並みだねえ。
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南ファサード中央のPuerta de San Cristóbal(「聖クリストバルの門」。意訳です。日本語の正式名称はわかりません)、またはPuerta del Príncipe (「王子の門」。意訳です。日本語の正式名称はわかりません)。
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南ファサード中央Puerta de San Cristóbal上部。優美だねえ。フランボワイアンまではいかないかな。後期ゴシックってとこですかねえ。
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南ファサード中央のPuerta de San Cristóbalの前にある、ヒラルダ(“giralda”、「風見」の意。)の塔頂の女神像のレプリカ。詳細は付録2をご覧ください。
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女神像をズームイン。
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ヒラルダの塔頂の女神像。
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東に移動して、カテドラル南ファサード西側を望む。
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さらに東に移動して、カテドラル南ファサード西側を望む。
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カテドラル南側、インディアス総合古文書館東前のPlaza del Triunfo(「勝利広場」。意訳です。日本語の正式名称はわかりません)にあるモニュメント”El Triunfo”(「勝利」の意。日本語の正式名称はわかりません)。1757年、ホセ・トーマス・サンブラーノ(Jose Tomas Zambrano)によって建てらてもので、上部のほこらには幼いキリストを抱いた聖母マリアの像があります。”Plaza del Triunfo” という名前はこのモニュメントの名前から付けられたものです。
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Plaza del Triunfoより望むカテドラル南面
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Plaza del Triunfoより望むカテドラル南面
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Plaza del Triunfoより望むカテドラルヒラルダの塔
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Plaza del Triunfoより望むカテドラル南面
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さて、今度はアルカサル(Reales Alcázares de Sevilla)だ。ありがたい、入口に地図がある。この地図に見学場所を書き込みました。
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ライオンの門の入り口(Entrada Puerta del Leon)から入ると、ライオンの中庭(Patio del Leon)です。その先はイスラム時代の城門です。
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後ろをみるとこんな感じです。
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城門を抜けると、狩猟の内庭(Patio de la Monteria)があり、その向こうにムデハル様式のペドロ1世宮殿(Palacio del Rey Don Pedro)のファサードが見えます。
蛇足
Donはドン・キホーテ(Don Quijote)のDonと同じで貴族につける敬称です。正式名称 ”Palacio del Rey Don Pedro” は直訳すると「ペドロ王の宮殿」になりますが、スペイン語でも “Palacio de Pedro I” も使われるようですし、日本語のガイドブックではその日本語訳「ペドロ1世の宮殿」とか「ペドロ1世宮殿」が使われていますので、本旅行記では「ペドロ1世宮殿」と呼ぶことにします。 -
狩猟の内庭の左側。
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斜め後ろを振り返る。城門の前のブーゲンビリアが満開だ。綺麗だなあ。
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少し進んで、城門とブーゲンビリアの全体像。
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狩猟の内庭の右側
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また、後ろを見る。ここからだと城門全体が見える。
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ペドロ1世宮殿のファサード中央。あっはー、まさにムデハル様式ですね。
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上部をズームイン。幾何学模様、カリグラフィー模様、多弁形アーチ(付録4(2)参照)が美しい。
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上部をさらにズームイン。軒のすぐ下はムカルナスと呼ばれるイスラム美術独特の立体幾何学模様です。(付録4(2)参照)
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ペドロ1世宮殿の門を入って人形の中庭(Patio de las Munecas)に向かいます。見上げた天井。
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実際の模様と、本旅行記の著者が作成した模様。
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実際の模様と、本旅行記の著者が作成した模様。
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壁のレリーフとタイル。組紐、幾何学、植物、アラビア文字のカリグラフィーの模様ですね。(付録4(1)参照)
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ズームイン。
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壁のタイルとレリーフ。
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壁のレリーフ。
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天井と壁の模様。
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人形の中庭(Patio de las Munecas)に入ってきました。幾何学、アラビア文字のカリグラフィーの模様、ムカルナス、花弁形アーチ、イスラム芸術満載ですね(付録4参照)。壁の向こうは大使の間(Salon de los Embajadores)、その外の明るい緑が見える所がガレーの庭(Jardín de la Galera)です。
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人形の中庭(Patio de las Munecas)。周囲に柱とアーチで隔てられた回廊があります。左奥はフェリペ2世天井の間(Sala del techo de Felipe)。
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人形の中庭(Patio de las Munecas)
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人形の中庭(Patio de las Munecas)南西側。その先はフェリペ2世天井の間(Sala del techo de Felipe)。
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人形の中庭(Patio de las Munecas)。回廊の天井。
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実際の模様と、本旅行記の著者が作成した模様。
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人形の中庭(Patio de las Munecas)
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人形の中庭(Patio de las Munecas)
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人形の中庭から見た大使の間と馬蹄形アーチ。
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馬蹄形アーチ。
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大使の間(Salon de Embajadores)。前方外の緑はガレーの庭(Jardín de la Galera)
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大使の間。ヒマラヤスギのドーム状天井。イスラム美術とイスラム建築の極致ですか。ドームは四角い建物の角の部分がスクインチ、中間がペンディチブ(付録4(2)参照)の複合方式に見えます。円天井の周囲の金色部分はムカルナスでしょう。円天井の模様はイスラム幾何学模様の最高傑作ですねえ。
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大使の間。前方はフェリペ2世天井の間(Sala del techo de Felipe)。
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大使の間。壁。
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大使の間。アーチ。
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大使の間。アーチ拡大。
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大使の間。天井。
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乙女の中庭(Patio de las Doncellas)にでました。イスラム建築特有の多弁型アートと幾何学模様が美しい。アルハンブラ宮殿を思い出す。緑はオレンジの木です。
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乙女の中庭(Patio de las Doncellas)
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乙女の中庭(Patio de las Doncellas)
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乙女の中庭の半周期連続アーチ模様
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乙女の中庭のアーチ横の木製レリーフ。
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実際の模様と、本旅行記の著者が作成した模様。
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乙女の中庭の壁のタイル模様
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乙女の中庭の壁の木製レリーフ(保護カバー付)。典型的なイスラム幾何学模様だ。
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乙女の中庭回廊の天井木製レリーフ
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乙女の中庭の壁の木製レリーフ。組紐、幾何学、植物、アラビア文字のカリグラフィーの模様。さっきも似たようなのがあったな。左右に紋章がありますね。左がレオン王国、右がカスティーリャ王国(Reino de Castilla)ですかね。
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乙女の中庭の壁のタイル模様。場所によって模様が微妙に異なる。フラクタル模様かな。(すみません、時間があったら後で説明を追加します。)
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乙女の中庭の壁のタイル模様。拡大。
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模様を1つ切り取りました。以下にこの模様の作り方を示します。
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イスラムの幾何学模様は基本的にコンパスと直線定規で作れます。ここでは簡単のため、直角三角定規を使っての作り方を説明します。
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乙女の中庭の壁のタイル模様。単純な周期構造では単調で退屈しますので、所々で周期構造を破り、躍動感を与えてますね。これもフラクタルかな。
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建物の絵です。カスティーリャ王国(Reino de Castilla)の紋章の城ですかね。イスラム装飾には珍しい。ムデハル様式だからかな。
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カルロス5世天井の間(Salon del techo de Carlos V)の床。床もイスラムの模様で埋め尽くされています。
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この床は様々な模様タイルが周期的に埋め込まれています。
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拡大しましょう。建物はカスティーリャ王国(Reino de Castilla)の紋章の城でしょう。動物はレオン王国の紋章のライオンで(「レオン」はスペイン語で ”Leon” と書きますが、日本語にすると「ライオン」です。)、スペインの国章にも使われてます。”PLVS VLTRA” (「プラス・ウルトラ」)はラテン語で「もっと先へ」の意で、これはスペインのモットーであり、スペイン国章にも書かれています。もともとはスペイン国王カルロス1世(Carlos I, 1500-1558)でかつ神聖ローマ皇帝カール5世(Karl V)(ラマンチャに風車を導入した国王です。)の座右の銘です。
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地図にこれからのコースを、すみません、後日説明ます。
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一段下がったところにあるトロイの庭(Jardín de Troya)です。
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横を見ると緑のカーテンか。
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トロイの庭に下りました。壁のアーチの向こうに緑が見えますね。ガレーの庭(Jardín de Galera)です。
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そちらには行かないで反対側の壁のアーチを潜るとダンサの庭(Jardín de la Danza)です。
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アカンサスの花
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後ろを振り返ると、アーチの向こうにトロイの庭、さらにその向こうにダンサの庭が見えます。
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さらに進んで左に見える階段を上ります。
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階段を上ったところで後ろを見る。
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前を見ると、マーキュリーの池(Estanque de Mercurio)だ。池の中にあるのはマーキュリーの像。左の建物はグルテスコ歩廊(Gareria del Grutesco)。
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グルテスコ歩廊とその塔。あとでこの裏側から見た写真を示します。
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池のふちを歩いて。
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マーキュリーの池の反対側に来ました。
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マーキュリーの像
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さて、それではパテオ・デ・バンデラス広場(Plaza del Patio de Banderas)に向かいますか。青い空に真っ白な家、ヤシの木にイスラム模様、セビリアだあ。
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こんなモデハル様式のマルケナ門(Puerta de Marchena)を通ってレティロ公園(Jardin del Retiro)に入った。
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うーん、素晴らしいレリーフだ。窓の右はレオン王国の紋章のライオン、左はカトリック両王の紋章の鷲ですかねえ。右下と左下は紋章のようです。左下はレオン王国とアラゴン王国の紋章を組み合わせたデザインです。どこかで見たことがあるような気がしますが思いだせません。
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青空に映えるピンクのブーゲンビリアとグルテスコ歩廊の塔。綺麗だねえ。この向こうはさっき見たマーキュリーの池です。
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薔薇に噴水か。こんな庭もいいねえ。
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パテオ・デ・バンデラス広場(Plaza del Patio de Banderas)に着いた。正面のアーチが出口方向です。まだ出ませんが。南西側から北西に見えるヒラルダの塔。
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パテオ・デ・バンデラス広場から北西に見える聖堂上部とヒラルダの塔。
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パテオ・デ・バンデラス広場から北西に見える聖堂上部とヒラルダの塔。
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広場の北東部から見たヒラルダの塔。
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アーチをぬけて白い建物の下を通ります。”JUDERIA” と書かれてますね。「中世のユダヤ人街」です。
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ふーん。ユダヤ人街か。真っ白な建物です。イスラムの豪華な装飾はありませんね。
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建物の角にある噴水。
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ユダヤ人街。
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ユダヤ人街。
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まだ続くユダヤ人街。窓の花が綺麗ですね。
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アルカサル初期の城壁。(付録3参照)
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城壁の脇を通って左に進みます。城壁の下部は色が明るく表面も滑らかです。その理由は後ほど明らかになります。
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ワシントン・アーヴィング(Washington Irvinc、1783-1859、米国人)のレリーフ。”RECUERDO DE SU AMOR A ESPANA 30 MAYO 1925” 「彼のスペインに対する愛を記念して。1925年5月30日」と書かれてます。彼は米国の対スペイン外交官であり、スペインに関する素晴らしい著書を残しています。
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いいねえ、観葉植物が置かれた玄関。モンステラか。このへんは路地で育つんだ。私は観葉植物大好き人間だから羨ましい。
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綺麗な花だ。
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綺麗だねえ。
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まだユダヤ人街だ。
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大きな2つの配管の間のプレートに、“MURALLA DE LA CIUDAD DE EPOCA ISLAMICA (S. XI-XII),QUE CONTIENE LAS CONDUCCIONES QUE EN PERIODO CRISTIANO SUMINISTRABAN AGUA AL REAL ALCAZAL Y A LA CIUDAD” 「イスラム時代(11~12世紀)の街の城壁で、キリスト教徒の時代にアルカサルや街に水を供給した配管が内臓されています。」と記されています。イスラム教徒が造った城壁を後に改造して配管を埋め込んだようです。その部分だけ城壁の色が変わり、表面も滑らかになっているのはそのためだったんですね。(付録3参照)
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ムリーリョ公園(Jardines de Murillo)にやってきました。コロンブス記念塔(Monumento a Cristobal Colon)です。フアン・タラヴェラ(Juan Talavera)のアイデアの元、1921年にドン・ホセ・ラギジージョとボニージャ(Don Jose Laguillo y Bonilla)によって建てられました。高さ23 m です。塔の最上部のライオンはスペイン帝国のシンボルで、地球に爪をかけています。中ほどには「イザベルとフェルナンド」という名の帆船があり、2本の支柱を繋いでいます。最下部の台座の壁面にはコロンブスのレリーフがあります。
蛇足
コロンブスはあまりに有名なので、説明するつもりはありませんが、ただ一つ。私は昔小学校か中学校で「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」と習いましたが、これはコーカソイドのエゴです。コロンブスがアメリカに到達したとき、すでに我々日本人と同じモンゴロイドの原住民が住んでいた訳ですから、「発見」はおかしい。しかも原住民から大略奪を行ない、挙句の果てに大虐殺をして文明を滅ぼしてしまったのですから、モンゴロイドからすれば、極悪人です。今はどう教えてるんでしょうかねえ。 -
帆船部拡大。
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さらに拡大。ぶらさっがっているのはコロンブスの略奪品かなあ。
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コロンブス記念塔近くの公園内からみた。メネンデス・ペラヨ通り(Av. de Menendez Pelayo)。
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メネンデス・ペラヨ通りとマラガ通り(Av. Malaga)の交差点。セビリアの旅はここまでです。
アディオス、セヴィージャ!
付録
1.セビリアの歴史
紀元前9世紀頃、現在のセビリアの地には既にタルテッソス王国がありました。この地域は鉱物資源に富み、紀元前8世紀にはフェニキア人と組んで、青銅(ブロンズ)期時代(ヨーロッパでは紀元前32~6世紀)の重要な材料であるブロンズの元素:錫と銅の貿易をしていました。やがてフェニキア人の勢力が増し、この地はフェニキアの植民都市となりましたが、紀元前9世紀末に建国されたカルタゴが勢力を拡大し、紀元前6世紀頃にはカルタゴの植民都市に代わります。しかし、3回に渡るポエニ戦争でBC146年にはカルタゴはローマに敗れ、支配者はローマに代わります。このローマは395年東西に分裂し、イベリア半島を支配下においた西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって、476年に滅ぼされてしまいます。その後この地はゲルマン系西ゴート王国の支配下に入りますが、711年にジブラルタル海峡を渡って侵入したダマスカスを首都とするウマイヤ朝(661-750)のイスラム教徒に制服され、この地は「イスビリア」と呼ばれるようになります。ウマイヤ朝は750年に滅び、イスラム・アッバース朝(750-1258)が領土の大部分を引き継ぎますが、セビリアはイスラム・後ウマイヤ朝(756-1031)、イスラム・ムラービト朝(1040-1147)、イスラム・ムワッビト朝(1130-1269)、イスラム・ナスル朝(1232-1492)の配下となります。この間、11世紀からはタイファという小国分立の時代になり、イスベリアはセビリアと呼ばれるようになって、タイファの一国であるセビリア王国の首都となります。この時代に街は大きく拡大し、1220年の「黄金の塔」をはじめとする防衛建築が完備されていきました。イスラム教徒侵入に対し、早くも718年には半島北部にアストゥリアス王国を建国したキリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)を始めており、半島の北側から国土を奪還していきます。セビリアを奪還したのはカスティーヤ王フェルナンド3世で、1248年のことです。これにより、セビリアはカスティーヤ王国の支配下となり、迅速なキリスト教化が図られて、大モスクはカトリックの大聖堂へ、アルカサル(付録2参照)はゴシック様式の宮殿へと変えられていきました。カスティーヤ王国の後代になると、ペドロ1世、カトリック両王の宮廷が置かれ、アメリカ大陸との独占的交易が17世紀までセビリアに大きな繁栄をもたらしました。スペイン陸軍が共和国政府に対して起こしたクーデターに始まるスペイン内戦(1936-1939)では、アフリカに近い位置にあったセビリアは、フランコ引きる反乱軍に早期に占領され、勝利したフランコの独裁政権(1939-1975)がスタートします。フランコの死後民主化が進み、1982年、セビリアはアンダルシア州の州都、セビリア県の県都となり、1992年には万博も開催されました。
2.カテドラル
カテドラルはセビリアのアルジャミーのモスク*)(各都市の主要モスク)の場所に建てられました。このモスクはモロッコのマラケシュを首都とするイスラム・ムワッヒド朝(al-Muwahhidun、本来のアラビア文字をラテン文字で置き換えてます。1130-1269)の第2代カリフ(君主):アブ・ヤクブ・ユースク(アブー=ヤクーブ・ユースフ)1世(1163-1184)の命により1172年からアウメ・ド・アリ・イブン・バッソによって建設が開始され、1198年に完成しました。モスクに付属するミナレット(礼拝時刻の告知(アザーン、adhan)のための塔)は1184年にイブン・パッソによって建設が始まり、1194年(1198年と言う説もあります。)にアリー・デ・ゴマーラによって完成しています。その後1248年、レコンキスタによってセビリアはカトリック両王の支配下となります(付録1参照)。当初このモスクはキリスト教会として使われていましたが、1388年の大地震で壊滅的な被害を受けたため、1401年カトリック教会参事会は “Hagamos una Iglesia tan hermosa y tan grandiosa que los que la vieren labrada nos tengan por locos”(完成した時それを見た人々が、我々は気が狂っている、と思われるくらい壮麗で壮大な教会を建てよう。)と決定します。1402年(1403年という説もあります。)から建設が始まり、約1世紀をかけて1506年に完成しました。完成後5年にして聖堂のドームが崩落し、再築が行われましたが、1888年、地震によってまたもやドームは崩落しました。この時の被害は大きくて、ドームの下にあった貴重な聖器物はすべて破壊され、再建・修復には20世紀初頭まで要しています。当初のモスクで現在残っているのは北側の入り口である免罪の門(Puerta del Perd?・n)とオレンジの中庭 (Patio de los Naranjos) だけです。サイズは奥行 116 m、幅 76 m で大聖堂としてはスペイン最大、世界ではサン・ピエトロ大聖堂(最大幅156 m、奥行211.5 m)、セント・ポール大聖堂(幅 74 m、奥行 157 m)に次いで第3の規模となります。一方ミナレットはフェルナンド3世(付録1参照)がセビリアを奪還した際、彼の命により大聖堂の鐘楼となりました。1558~1568年にはエルナン・ルイスがマニエリズム様式(ルネサンス後期の様式)の鐘楼部分を追加し、1568年バルトメロ・モレルが塔頂に風を受けて回転するGiraldillo(ヒラルディジョ、発音に関してはhttp://4travel.jp/travelogue/11177880 の付録2(2)で簡単に説明しましたので参照してください。)もしくは Santa Juana(聖フアナ)と呼ばれる風見の女神像を飾って現在の形になりました。「風見」はスペイン語で “giralda”(ヒラルダ)であることから、この塔は「ヒラルダの塔」と呼ばれています。この塔は高さ97.5 m、女神像を含めた高さは104.1 m (女神像自体は約4 m ですが、台座まで含めるとこの差がでます。)で最下部は1辺が13.6 m の正方形、上部には現在25個の鐘が取り付けられています。このカテドラルはアルカサル(付録3参照)、インディアス総合古文書館(Archivo General de Indias)とともに1987年ユネスコの世界遺産に登録されています。
*)「モスク」はイスラム教の礼拝堂で、アラビア語の “Masjid” (本来のアラビア文字をラテン文字で置き換えてます。発音は“マッシート”)が、英語の “mosque” となって、日本で一般化されたた呼び名ですが、スペイン語では “mezquita” (発音は“メスキータ”です。コルドバのメスキータはもう固有名詞化されてます。)ちなみにイタリア語では”Moschea”(モスケア)、フランス語では”Mosquee”(モスキー)、ドイツ語では “Moschee”(モシー)です。
3.アルカサル(Reales Alcazares)
アルカサル(Alcazar)はスペイン語で(特にアラビア風の)王宮や王城、城塞を意味し、その語源はアラビア語のal qasr(本来のアラビア文字をラテン文字で置き換えてます)です。コルドバを首都とした後ウマイヤ朝(付録1参照)は913年セビリアに駐屯地としてアルカサルを造ります。11世紀のタイファ時代、セビリヤ王国の統治者は、駐屯地を拡張し、今日アルカサルの西部分となっているアル・ムワラク(Al Muwarak)を造ります。12世紀になると、ムアッヒド朝(付録1参照)の統治者はその東に新たな宮殿を造ります。この部分は今日のクルセロの中庭(Patio dl Crucero)あたりです。フェルナンド3世は、レコンキスタでセビリアを奪還した1248年、このアルカサルに移り、数年後には主たる居城とします。彼の息子であるアルフォンソ10世は、ムアッヒド宮殿の多くをゴシック様式に改築します。1364~1366年、彼の息子であるペドロ1世は、豪華なムデハル様式のドン・ペドロ宮殿を建設します。彼はわざわざグラナダから建築家を呼び寄せ、イスラム建築の特徴を残すムデハル様式の宮殿を作らせました。その後も増改築が繰り返されたため、ゴシックやルネサンス様式も混じってます。1987年には、カテドラル、インディアス総合古文書館と一緒にユネスコの世界遺産に登録されています。
4.イスラム美術
イスラム教の創始者であるムハンマド(570年頃-632) はアラビア半島のメッカで生まれ、610年からその教えを説きますが、迫害に会い、622年にはメッカの北約350 km にあるメディナに移って、そこにイスラム教の礼拝堂であるモスクを造り、布教活動を続けます。ムハンマドの死後の661年、イスラム教徒はバグダッドの南東約 30 km のクテシフォンを首都とするサーサーン朝ペルシャ(226-651)を滅ぼして、ダマスカスを首都とするウマイヤ朝を設立し、隣国のビザンチン帝国(東ローマ帝国、375-1453)へとその領土を広げていきます。この関係でウマイヤ朝のイスラム美術は古代ギリシャ、ローマ美術の流れを引くビザンチン美術の影響を受けます。その後、アッバース朝はバグダッドを首都としたため、イスラム美術はサーサーン朝ペルシャの影響を受け、これらがさらにイスラム帝国ないで独自の発展をとげて現在のイスラム美術となっています。
(1)模様
イスラムは偶像崇拝を禁止したため、イスラム美術は人物を伴わない2次元・3次元模様で美を表現します。このうち2次元模様は基本的に、幾何学、植物、アラビア文字のカリグラフィー(文字を美しく見せるための書法。「書道」の英訳が ”Calligraphy” であることはご存知の通り。)、組紐模様の組み合わせで構成されます。ここで、幾何学模様は先史時代からの模様と古代ギリシャ幾何学に、植物模様は、古代ギリシャ・ローマ美術、初期キリスト教美術、サーサーン朝ペルシャ美術に、アラビア文字のカリグラフィーはアラブ系ナパテア人が4世紀頃には既に使っていた文字にその起源を持ちます。イスラム建築の壁や天井や床には、この模様が多用されていますが、幾何学、植物模様は基本的に同じ模様を周期的に並べて平面を充填していきます。しかし、これでは単調となるため、所々に周期性を破る模様を挿入する、もしくは異なる模様を並べて変化を持たせます。本説明では、幾何学模様に的を絞り、その作り方を示します。一見複雑な模様でも殆どの場合コンパスと直線定規だけで作ることができますが*)、直角はコンパスと直線定規で容易に作ることができるため、ここではコンパスと直角を定義できる三角定規を用いることにします。
*)「イスラムの幾何学模様は、直交座標系と極座標で作る」といった、難しい表現をしている解説書もありますが、数学的には誤りです。
本文で紹介した幾何学模様の作り方の例を幾つか示します -
幾何学模様1の作成法です。
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幾何学模様2の作成法です。
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幾何学模様3の作成法です。
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幾何学模様4の作成法です。
(2)イスラム建築
イスラム独特の建築様式は、ムハンマドがメディナに造ったモスクから出発しており、多柱式礼拝堂、馬蹄形アーチ、多弁型アーチ(arco lobulado、アーチ壁の内側をさらに小さな円筒面で繰り抜いたもの)、二重殻ドーム、スクィンチドーム、ペンデンティブドーム、(これら2つのドームは四角形の建物上に丸いドームを載せたものですが、技法が異なります。)ミフラーブ、ミナレット等、様々な構造や技法を持ちますが、本旅行記と関係するのは、建物の装飾であり、特に重要なものは、付録2(1)で説明した2次元模様を3次元に拡張したムカルナスです。ムカルナスをドーム天井に用いると、天の光がシャワーのように降り注ぐ壮麗な立体装飾となります。ムカルナスを2次元に投影すれば、コンパスと直線定規でできる幾何学模様になりますが、この模様の一つ一つを底面とした角柱をつくり、これを円筒面で繰り抜いて積層すれば、ムカルナスのドームやミラフーブとなります。造りかたは思うほど複雑ではありませんが、3次元構造の説明を2次元の平面上で行うのは大変ですので省略します。
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