2017/01/07 - 2017/01/07
667位(同エリア4231件中)
玄白さん
現役時代の一時期、同じ部門に所属していたK君が新年のホームパーティをやるからと、招待を受けたので上京。
最近ではめったに上京の機会はないので、早めに出かけて全く毛色が異なる2つの博物館を巡ってきた。 一つは、以前から一度訪れたいと思っていた東京国立博物館所属の法隆寺宝物館、もう一つは、自分の愛用カメラのメーカーであるニコンのプライベートな博物館「ニコンミュージアム」である。
20数年前、江上波夫「騎馬民族国家」(中公新書)を読んで、大和朝廷の起源が古墳時代中頃にユーラシア大陸から朝鮮半島を経て日本に渡来し弥生系日本人を支配した北方アジア系騎馬民族の征服王朝だったという壮大な歴史仮説にロマンを感じ大いに興味を魅かれた。江上の騎馬民族征服王朝説に関連して様々な古代史家の著作を読み漁り、古墳時代、飛鳥時代の歴史に興味の幅が広がっていった。飛鳥時代の文化的衝撃と言えば仏教伝来である。そんな背景から日本に初めて入ってきた仏像、仏具がどんなものか、平安以降の仏像とどう違うか、実物を見てみたいと思ったのである。ただし、古美術品としての仏像への関心であり、仏教への信仰心は持ち合わせていない不信心者であるが・・・
飛鳥仏の特徴と言えば、口元がわずかに微笑んでいるかのような形の、いわゆる「アルカイックスマイル」。アルカイックスマイルの起源は古代ギリシャ彫刻にあり、動きと表情に乏しいエジプト彫刻の影響を受けた初期古代ギリシャで、口元だけは微笑んでいるような表情を付けた表現が最初だと言われている。ガンダーラ地方で初めて仏像が出現し、アレキサンダー大王の東方遠征でギリシャ文化と東方文化が融合したヘレニズム文化の影響を受けた仏教美術が中国、朝鮮経由で日本に渡来したものとされている。高々30cmほどの小さな仏像を通して、遠い過去に古代エジプト、ギリシャと飛鳥時代の日本が繋がっているという歴史に壮大なロマンを感じたひとときであった。
ニコンは今年が創立100周年という長寿企業である。戦前は潜望鏡など光学兵器が主力だったが、戦後、カメラや顕微鏡など民生用光学機器に事業転換し現在に至っている。ニコンミュージアムは100周年に向けて一昨年開設され、現在100周年記念「植村直己 極地の撮影術」という企画展が開催されているので見に行ってみた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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1年8ヶ月ぶりの東京国立博物館。2015年5月の「鳥獣戯画」特別公開企画展以来だ。本館は、時間があれば覗くことにして、法隆寺宝物館へ。
参考
http://4travel.jp/travelogue/11021567
(激混みの「鳥獣戯画」展に怯み、トーハク本館で刀剣女子に圧倒される) -
法隆寺宝物館。
鳥獣戯画展を見に来た時に、こちらにも来たかったのだが、あいにく、当時は改装工事で、閉館中だった。飛鳥時代の古美術品の展示館なのだが、建物は現代風のデザインである。
明治の廃仏毀釈により、宝物の維持ができなくなった法隆寺は、金銅仏を中心に300点あまりの宝物を皇室に献上したのだが、戦後国に移管され一般公開されるようになった。現在の建物は1999年に竣工した2代目の展示館である。 -
明るいガラス張りのロビーからの眺め。館の前は人工池が設えられ、その向こうには旧因州池田屋敷表門だった黒門が見えている。
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ロッカーにホームパーティ用に自分で作った広東風叉焼などの料理を預け、見学スタート。
この宝物館はストロボさえ使わなければ自由に撮影可能なのが良い。しかも本館に比べると、人が少なく、静かな環境でたっぷり鑑賞できる。なお、展示室、特に仏像は、作品保護のため照明を暗くしてあるので、ISO感度を目いっぱい上げての手持ち撮影なので、画質は非常に悪いが悪しからず!
第1室は灌頂幡(かんじょうばん)の展示。
幡とは、仏堂内の柱に懸けたり、境内の竿の先に懸けたりして荘厳な雰囲気を演出する仏具のこと。7世紀飛鳥時代の小幡の実物 -
2階に通じる階段室に展示されている灌頂幡。天蓋が付けられた幡である。古代インドで国王の即位の儀式などの時に四大海の水を注ぎかけて祝うという風習が仏教に取り入れられたもので、、人々の頭上に幡を掲げることで、頭に水を注ぎ仏弟子になる儀式を受けたのと同等だという意味があるのだという。平安時代以降の仏教が日本独自に変節する前の、伝来元のインドの習俗の余韻が残っているというのが、飛鳥時代の仏具らしい。
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宝物館のメイン展示の法隆寺献納金銅仏群(通称四十八体仏)。
実際には49件57体だが、一つは後世の作なので、飛鳥時代の仏像としては48件56体ということになる。
いずれも20~40cmほどの小さな仏像である。 -
飛鳥時代末期の作とされる観音菩薩立像。東京国立博物館作品番号N169
どこか、インド風の風貌である。
飛鳥時代推古朝は、天皇家の皇子や有力豪族(聖徳太子、蘇我氏など)が、大規模な寺を造営し始めた時代だが、奈良時代の国家鎮護のように政治支配とリンクした仏教とはなっていない。まだ、素朴な新興宗教的色彩が残る時代と考えてよいだろう。(素人の独断かもしれないが・・・) -
イチオシ
作品番号N181 7世紀飛鳥時代の観音菩薩立像
ほとんどの観音菩薩立像が直立なのだが、これは、わずかに上半身が傾いていて、たおやかさが感じられる。胴体に対して頭が大きく、装身具も比較的簡素であり、飛鳥時代初期の古さの残る仏像。 -
作品番号N174 7世紀後半の飛鳥時代の観音菩薩立像
大ぶりの三面頭飾、連珠をあしらった胸飾り、二重瞼など、本像は7世紀後半に入って制作された仏像に一般的に見られる特徴が現れている。保存状態がよかったのか、鍍金の品質がよかったのか、金メッキがほぼ全面に残っていて、薄暗い照明の中でも鮮やかさが際立っている。 -
作品番号N179 7世紀飛鳥時代の観音菩薩立像
あどけない目鼻立ち、頭部や手足に対して体幹の小ささが目立つ。飛鳥時代後期の白鳳時代に移行する時期に流行した童子形像の典型例である。童子形像の源流は、朝鮮の新羅、さらには中国の斉周から隋の彫刻に求められるといわれるが、この像のように眉と目が大きく離れた特色ある顔立ちは中国や朝鮮の仏像には無いらしく、仏教伝来から100年ほどで、すでに日本独自の作風が出現し始めていたというのが興味深い。 -
作品番号N189 7世紀飛鳥時代の観音菩薩立像
裙(もすそ)の裾をたくし上げ、足首をのぞかせた特色ある着衣がユニーク。同種の着衣形式が、開元7年(719)の銘をもつ統一新羅初期の石造弥勒菩薩立像にもみられ、ともに唐代におけるインド風尊重の傾向を反映して造立されたものと言われている。
ちなみに裙とは、女性が腰から下に着ける肌着のこと。観音菩薩に男女の性はないものとされているようだが、多くの観音菩薩像がやさしい顔立ち、たおやかな体つきから女性のイメージがぬぐえない。かの親鸞聖人でさえ、女性との肉体関係を断ち切れないと懺悔したとき、観音菩薩が現れ、我れが女人となって、汝に添い遂げようと告げたと言われている。 -
作品番号N187 7世紀飛鳥時代の観音菩薩立像
左掌に未敷蓮花(あるいは宝珠か)をのせ、右手で裙裾をたくし上げている。何やら艶っぽいこんな仕草からは、やっぱり観音菩薩は女性だと思いたくなるのである。 -
作品番号N185 7世紀飛鳥時代の観音菩薩・勢至菩薩立像
向って右の像が観音菩薩、左が勢至菩薩。右の像の宝冠には化仏、左の像には水瓶があるので、それが区別の目安なのだそうだ。ブレた写真なので、拡大してもよく分からないのだが・・・
化仏とは、仏教の最高位の如来が衆生を救うために観音の姿で現れたことを示すために、本来の仏である如来を小さな姿で観音の頭上に置いたものだという。
勢至菩薩とは、智慧の光で生あるものすべて救済し、菩提心の種を与えるという菩薩で、頭上の水瓶には、智慧の水が入っているとされる。
両菩薩は阿弥陀如来の脇侍として表されるので、この2つの仏像も本来は阿弥陀如来とワンセットだったはずである。 -
作品番号N153 7世紀飛鳥時代の如来立像
N179の観音菩薩立像と同様、胴体にたいして頭や手足が異様に大きい如来像。いわゆる童子形像である。 -
作品番号N149 7世紀飛鳥時代の如来立像
飛鳥時代前期、推古天皇、聖徳太子が生きた時代の仏像で、鞍作止利という渡来系仏師のグループの作と言われている。口元はアルカイックスマイル、左右対称の造型、図案化された衣の襞など、飛鳥仏の典型ともいえる仏像である。
釈迦如来と阿弥陀如来は姿形がそっくりで区別が難しい。解説にはどちらとも書かれていないが、印相(手の形)からこれは釈迦如来だろう。 -
作品番号N148 7世紀飛鳥時代の如来倚像
台座に腰かけて両足をダランと垂らしている、何とも変わった姿勢の仏像である。仏像の姿勢としては、立っているか、台座に胡坐をかいているか、例外的に広隆寺の弥勒菩薩のように腰かけても片足をもう一方の足に乗せている半跏像の3種類しかないものと思っていたが、こんな姿勢の仏像があるとは知らなかった。
飛鳥時代から白鳳時代だけに見られる特異な姿勢だという。 -
作品番号N145 7世紀飛鳥時代の如来座像
推古31年(623)に鞍作止利仏師によって造られた法隆寺金釈迦尊像の中尊とよく似た形なので、止利仏師グループの一員によって作られたものと推測されているという。
仏像本体に比べ、巨大な台座が目を引く。 -
斜め横から顔の表情をアップで。
分厚い唇のアルカイックスマイルと、アーモンド型の眼の形が特徴的だ。全体的には定型的だが、顔の表情は仏像ごとに微妙に違うところがあるということは、モデルとなった人物がいたのだろうか? -
飛鳥仏は、真横から見ると直立不動で、動きは乏しい。これも飛鳥時代の仏像の特質の一つ。
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作品番号N145 7世紀飛鳥時代の阿弥陀如来倚像&両脇侍像
左右脇侍の宝冠にそれぞれ観音菩薩を示す化仏と勢至菩薩を示す水瓶があるので、中尊は阿弥陀如来であることが確かなわが国最古の阿弥陀三尊である。阿弥陀の印相からは釈迦如来のようでもあるのだが、脇侍の宝冠から阿弥陀如来と確定されている。
如来の種類を見分けるのは難しい。 -
作品番号N143 7世紀飛鳥時代の一光三尊阿弥陀如来像
一枚の大きな光背に本尊の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の両脇侍を配置した仏像。
誰も見ることが出来ないという善光寺の絶対秘仏とされている本尊がこの形式だという。善光寺の一光三尊像は、欽明天皇十三年(552年)、日本に仏教が伝来した時に、百済より贈られたもので、いわば日本の仏像の元祖と言えるものらしい。この法隆寺宝物館の仏像は、善光寺の絶対秘仏の写しと言われている前立本尊を参考に作られたものかもしれない。 -
イチオシ
作品番号N156 菩薩半跏像
台座下框に刻銘があり、「丙寅年に高屋大夫が死別した夫人のために発願造立した」と書かれているという。「丙寅年」の年代比定をめぐっては推古14年(606)と天智5年(666)の2説があり定まってはいないが制作年が明らかになっている珍しいケースである。
四十八体仏の中でも重要なものと位置づけられているようである。 -
イチオシ
作品番号N164 7-8世紀白鳳時代の菩薩半跏像
右手の指先を頬に当て、右足を左ひざにのせて、物思いにふけっているような仕草の菩薩像である。7世紀後半から8世紀初頭になって表れた新しいスタイルの像である。動きに乏しく、ぎごちない姿の飛鳥時代の像に比べ、動きが表現され洗練された造型になっている。 -
作品番号N165 観音菩薩立像 白雉2(651)
これも台座の刻銘から制作年が特定されている。651年といえば、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺、天皇家と有力豪族の合議による支配から天皇家中心の政治へと大きな変化となった大化の改新の6年後のことである。 -
作品番号N191 摩耶夫人及天人像 7世紀飛鳥時代
摩耶夫人(まやぶにん)とは、釈迦の母親である。
摩耶夫人が故郷へ帰る途中に従者とともに立ち寄ったルンビニー園で、花をつけた無憂樹の枝を手折ろうとしたその時、夫人の右腋下から釈迦が生れ出たとされている。この劇的な場面を表現した、めずらしい群像である。
なお、ルンビニーとは、現在のネパール南部のタライ平原にある小さな村の名前。ここは釈迦の生誕地ということで仏教の八大聖地のひとつであり、1997年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。 -
第2室の壁際には、数多くの光背も展示されている。仏像の背後に取り付けられていて荘厳さを際立たせるものである。如来や菩薩が発して三界をあまねく照らす光を表しているものとされている。
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第2室の金銅仏の部屋でずいぶん時間を使った。
次は第4室の楽器展示室へ。この日は第3室の面の展示室はオープンしていなかった。
作品番号N107 彩絵鼓胴 8世紀奈良時代のもの。現在では彩色は大部分はげ落ちてしまっているが、わずかに残っている顔料から、当時の鮮やかに彩られた鼓の姿が偲ばれる。 -
作品番号N106 羯鼓
これも鼓の一種だが、時代は下り、室町から桃山時代のものと言われている。 -
第5室 金属製の仏具が展示された部屋へ。
この部屋での一番の目玉は竜首水瓶。(作品番号243)7世紀飛鳥時代の作
長い首と下にふくらむ胴に把手を取り付けた器の形は、ササン朝ペルシャが起源だそうだ。かつて銀製と考えられ、「銀龍首胡瓶(ぎんりゅうしゅこへい)」として国宝に指定されたが、鋳造した銅の器に金と銀をメッキしたものだと後の分析でわかった。銀製と思われ国宝に指定されたものの、実は銀製ではなかったとしても一旦国宝に指定されると取り消されることはないらしい。 -
作品番号N84 法隆寺印
大宝元年(701年)朝廷の役所で初めて官印が用いられるようになったが、それに準じた公印として神社、寺院の印も用いられた。これは銅製の法隆寺の公式のハンコである。
公文書に印鑑を用いるという風習は、1300年を経た現代日本でも連綿と続いている。 -
銅鏡もいくつか展示されている。これは海獣葡萄鏡(作品番号N72) 7世紀唐の時代のもので白銅製。
銅鏡は、弥生時代中期に中国から伝来し、古墳から頻繁に出土している。特に三角縁神獣鏡と言われる青銅の鏡は、卑弥呼が魏の皇帝から賜ったものという説で、邪馬台国ブームの時に広く知られるようになった。
古代の人達は、自らの姿を映し出すという鏡に神秘性を感じ、祭祀の重要な宝物として扱ってきたのである。近代に入りガラス製の鏡に置き換わるまで、銅鏡は長期にわたり使われてきた。 -
最後は第6室 仏画を展示しているへ。
不動明王二童子像。14世紀南北朝時代のもの -
弥勒菩薩像。 時代は新しく、18世紀江戸時代の作である。
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あまり時間はなかったが、本館も急ぎ足で回ってきた。本館の常設展示は、日本美術。膨大なコレクションがあり、1、2か月毎に展示品を入れ替えている。
本館の常設展示も、撮影禁止のマークがないかぎり撮影OKである。まずは一階のジャンル別展示ルームへ。
彫刻の部屋にて。木造の十二神将。12世紀、鎌倉時代作 -
漆工芸ルームへ。
蒔絵が施された硯箱。作者は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家である本阿弥光悦である。漆工芸は日本で独自に発展を遂げた工芸で、蒔絵の技法による作品は世界に誇れる美術品である。何しろ、漆器の英語はjapanなのである。 -
華麗な源氏物語蒔絵源氏箪笥。これも江戸時代の作。
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刀剣展示ルーム。
鳥獣戯画展を見るために2015年5月に来たときは、この部屋だけ若い女性でごった返していた。後で知ったことなのだが、「刀剣乱舞」というオンラインゲームが若い女性に人気で、刀剣に魅了された刀剣女子が押し寄せていたのである。そのときほどではないが、相変わらず、刀剣展示ルームには若い女性が多い。 -
刀剣女子たちは、刀身だけでなく目貫、鍔など付属する小物もアクセサリーを眺める感覚で楽しんでようだ。オジサンの刀剣趣味より、彼女たちの方が幅広い楽しみ方をしているのかもしれない。
ホームパーティ会場のK君の自宅は品川区だ。その前にニコンミュージアムもみてみたいので、トーハクは、ここで時間切れ。
ところで、冒頭記した江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」について、補足のコメントを記しておきたい。
江上説は、その後の考古学的、歴史学的実証研究の積み重ねから、現在ではほぼ否定されている。しかし、皇国史観一色だった戦前の歴史学が、戦後どのように歩むべきか混沌としていた時期に、日本国内の細かい歴史考証にこだわるのではなく、東アジア全体の政治情勢を俯瞰し科学的考古学による実証と結びつけて、グローバルな観点から歴史を見るという新しい視座を与えた功績は大きいと言えよう。その壮大にして明解な論理による学説の組立ては、一般の人をも魅了する特筆すべきものだった。 -
ニコンミュージアムは、東品川のインターシティC棟の2階にある。ニコンは2年前に、インターシティC棟に本社を移している。
冒頭記したようにニコンは今年創立100周年を迎える。その記念事業として、一昨年、ニコンミュージアムを開設した。むろん、入場料は取られない。 -
「植村直己 極地の撮影術」企画展は4月1日まで開催されている。
植村直己は昭和16年生まれの兵庫県出身の登山家、冒険家。1966年のモンブラン単独登頂から1970年のマッキンリー登頂まで5大陸の最高峰登頂、特に1970年のエベレスト登頂は日本人初であった。1974年には北極圏を犬ぞり単独行で12000km走破、4年後には犬ぞり単独行で北極点到達などの冒険に成功している。しかし、1984年2月、冬季のマッキンリー単独登頂に挑み登頂は成功したが、下山時に遭難してしまった。
北極圏での冒険行にあたって、その行動記録、極寒の北極圏での絶景など数々の優れた写真を撮影した植村だが、それを撮影機材面でバックアップしたのがニコンだった。 -
白熊の毛皮で作られた防寒服。これを着て北極圏を走破したのである。
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イチオシ
実際に植村が北極圏踏破で使用した「ニコンF2チタンウエムラスペシャル」の実物。ニコンFの後継機であるニコンF2も信頼性では定評あるカメラだったが、植村の冒険での過酷な環境下では壊れてしまったという。そのため、植村の要請を受けてさらに堅牢性を高めるため、ボディの一部をチタンに変えたり、極寒の環境下でフィルム給送のトラブルを失くすために、圧板に帯電防止コーティングしたり、フィルムの巻き取り方向を逆にしたりといった改造を行った。
傷だらけの痛々しい外観になっているが、この特別バージョンのカメラにより、見事に北極の過酷な環境下でも撮影に成功したという。
その後、ウエムラスペシャルの研究開発を生かして、過酷な撮影条件で使用される報道写真用に、「ニコンF2チタン」を商品化し、主として新聞社、雑誌社の報道部門に一般販売された。 -
「ニコンF2チタンウエムラスペシャル」を使って植村が撮影した写真も展示されているが、その写真は著作権の問題で撮影禁止となっていた。
植村が北極冒険行で使用した犬ぞりと資材の荷物も展示されている。 -
ニコンミュージアムのシンボル的展示、巨大な合成石英インゴット。
長さ1.3m、直径80㎝はあろうか。これだけ大きな石英ガラスなのに、驚くほど透明度が高く、ほとんど光が吸収されない。普通の窓ガラスをこれだけの厚みに重ねると光は、ほとんど透過しないはずである。全く異物の混入や不均質、歪みが無い高品質の大きなガラス塊を作成するというのは、相当な技術的困難を伴うはずだが、それを実現した技術力は驚異的とさえ言える。
なお、この石英ガラスは、カメラのレンズに使われるわけではなく、半導体露光装置の投影レンズに使われるものである。 -
戦後、軍需産業から民生品事業に転換したニコン。初代のカメラ「ニコンI型」から最新のデジタルカメラに至るまで、450点のカメラとレンズが一同に会して展示されている。玄白はカメラオタクではないが、カメラ好きにとっては、一日眺めていても飽きない壮観な展示だろう。
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ニコンの最初の一眼レフカメラ「ニコンF」(1959年発売)と最新のデジタル一眼レフカメラ「ニコンDf」(2013年発売)
この2機を並べた展示の意図は、ニコンは半世紀以上にわたってマウント(カメラボディとレンズを結合する機構のこと、ニコンでは初代一眼レフにちなんでFマウントと呼んでいる)を変えていないことをアピールすること。
カメラは露出やピント合わせの自動化、手振れ防止など新技術の発展に伴って、カメラボディとレンズの間で伝達しあう情報量が増えたため、技術的にはマウントを新しくするという発想が自然なのである。しかし、一眼レフカメラシステムの最大の魅力は、様々なレンズを自由に交換して撮影できるということ。マウントを変更してしまうと、それまでのレンズが使えなくなるということをユーザーに強要することになる。
一眼レフの2強と言われるニコンとキヤノンで、この点に関する考え方が対極にあるのが面白い。ニコンは、たとえ古いレンズでもユーザーにとっては思い入れがあったり、古いレンズでも特徴的な写りの特性があるレンズがあるから、レンズの互換性は最大限尊重しなければならない、技術的に困難であっても、上位互換性を保ちながら最新技術を取り入れるべきと考えている。一方、キヤノンは最新技術を最高性能で提供するためには、技術進歩に応じてマウントを変更することは当然だという考え方である。ユーザーにとっても、どちらが良いと考えるか、意見が分かれるところであろう。 -
半世紀以上にわたるニコンのカメラ事業の中では、さまざまなエポックメイキングなトピックスに事欠かない。そんなユニークなトピックスが各コーナーで紹介されている。
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ニコンといえば、大方の人はカメラの会社というイメージであろう。しかし、1980年代以降は、カメラの他に半導体露光装置(半導体チップの回路パターン原版を縮小投影露光してシリコンチップに焼き付けるという半導体製造装置で、半導体製造プロセスの中核となる装置)が、カメラと並ぶ事業の柱になっている。カメラがフィルムからデジタルに移行する直前には、不振のカメラに変わり、ニコンの屋台骨を支えて来たという歴史がある。
写真は、初代の半導体露光装置である。 -
イチオシ
半導体露光装置は、史上もっとも精密な機械と言われている。最先端の半導体露光装置ではチップの回路線幅が0.00003mmの微細な回路パターンを作れるのだそうだ。どれくらい細いかというと、髪の毛の太さのざっと1/3000の太さなのである。デジカメの記録媒体であるSDカードの容量数十ギガのものが数千円で手に入るのは、こういった想像しがたいような超精密な装置があるおかげなのである。
しかし、最近の経済ニュースによると、ニコンはこの半導体露光装置でオランダのメーカーに圧倒され、デジカメも市場の縮小で苦境に陥っているという。ニコンのカメラを愛用している一ユーザーとしては、ぜひニコンには頑張って苦境を脱してほしいと思うのである。
そんなことを思いながらK君の自宅のホームパーティに向かった。
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この旅行記へのコメント (4)
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- クッシーさん 2017/01/25 01:12:33
- 東京で見られるなんて!
- 玄白さま、こんばんは。
昨年、正倉院展に行ったのですが、その際に見た「なら仏像館」の展示のすばらしさに
感動したのを思い出しました。
飛鳥時代の仏像の数々が東京でも常時見られるのですね!
東京に法隆寺宝物館があることを知らなかったので、お写真拝見し感激しております。
近いうちに是非行ってみたいと思います。
クッシー
- 玄白さん からの返信 2017/01/25 10:36:12
- RE: 東京で見られるなんて!
- クッシーさん、こんにちは
鎌倉からだったら、気軽に行けますから、いいですね。
本館と違ってこちらはお客さんが少なく、静かにゆっくりと鑑賞できます。
ただ、撮影OKなのですが照明が暗いのでブレた写真になりやすいです。展示品の保護のためには、やむを得ないのでしょうけれども。
行かれたら、旅行記アップお願いします! 自分が行ったところの他の方の旅行記を拝見するのが好きです。人によって、見方、捉え方の違いが面白くもあり、勉強にもなります。えっ、こんなのもあったの!見逃した!と後悔することも多いですが・・・
玄白
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- こあひるさん 2017/01/18 17:59:16
- 師匠、行かれましたか〜〜!
- 師匠、こんばんは。
法隆寺宝物館、行かれたのですね〜〜!!
撮影OKなのがとても嬉しい博物館ですが、けっこう暗いので、わたしの写真は、ほとんどがボケボケになっちゃってうまく撮れませんでしたが・・・さすが師匠・・・キレイに撮られているので嬉しくなっちゃいました。
飛鳥時代の仏像は、基本的には奈良にあるし、しかもたくさん残っているわけではないので・・・無事に保管されていてほんとうに有り難いですよね〜。
師匠のお写真を見て・・・また見に行きたくなっちゃいましたよ〜。
こあひる
- 玄白さん からの返信 2017/01/18 21:56:31
- RE: 師匠、行かれましたか〜〜!
- こあひるさん、こんばんは!
ハイッ、行ってきましたよ〜 、ようやく。
館内は暗くて、撮影はやっぱりうまくいきませんでした。みかけはきれいに撮れているようでも、拡大すると結構ボケたりブレたりしてます。
こあひるさんの2年くらい前(?)の法隆寺宝物館旅行記拝見して、焼けぼっくいにまた火ががついたように、飛鳥時代の歴史に凝っていた昔を思い出し、無性にここに行きたくなっていました。
正倉院より一時代古い古美術品が一同に集められている法隆寺宝物館のコレクション、本当に貴重です。金銅仏がある第2室だけで2時間以上使ってしまいました。
玄白
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