2016/08/25 - 2016/08/27
6位(同エリア241件中)
- #安土城郭資料館
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■夏のロングドライブひとり旅~♪古き良き時代の町並みを訪ねて
~滋賀県近江八幡市・彦根市・長浜市&京都府美山町&徳島県脇町・池田町&香川県まんのう町~
【 手記 】
訳あって、ひと月ばかり4トラを休止しておりました。また休止しなければならない状況になるかもしれませんが、やっと4トラを覗く時間ができたので、とりあえず2016夏のロングドライブ旅記をアップしました。
老体にムチ打ちあげて^^近畿地方の近江八幡・彦根・長浜・美山と四国の徳島県美馬・三好・香川県まんのう町辺りの古き良き時代の町並みをウロチョロしてきました。
京都府美山町からは走行距離が距離だけに疲れ果てた身体と相談しながら明石大橋を渡って、250km彼方の四国徳島へなんとか突入して行きました。
道順だけは適当に考えていましたが、いつものように旅内容はほぼ無計画、出たとこ勝負の旅でした。強力ドリンクを揃えて安全運転!気晴らしにのんびりと走り回ってきました。
宿の予約はなし。無ければ車中泊です。天候が怪しそうだったですが、一応、目標は「美山かやぶきの里」を肉眼で見ること。それと15年前に夫婦で宿泊したことのある徳島のホテルに再度宿泊して内部を確認することでした。想い出さがしの旅です。
九州大好き人間なもんで本当は九州阿蘇方面へ行きたかったのですけれども、まあ、どこでも走り回っていると何か新しい発見と意外な出会いがあるモンですネ。九州へは後日、10月と12月に行ってきました。この2月2日からも南九州へ出かけて参ります。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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■夏のロングドライブ旅♪~古き良き時代の町並みを訪ねて~
訳あって、ひと月ばかり4トラを休止しておりました。また休止しなければならない状況になるかもしれませんが、やっと4トラを覗く時間ができたので、とりあえず2016夏のロングドライブ旅記をアップしました。 -
▽山陽自動車道 吉備SA 上り線
道順だけは適当に考えていましたが、いつものように旅内容はほぼ無計画、出たとこ勝負の車旅でした。旅立ちの前に強力ドリンクを取り揃えたので、5本だけ積み込んでいざ出っ発で~す! go for a drive in one's car =3=3 -
▽山陽自動車道 吉備SA 上り線
老体にムチ打ちあげて^^近畿地方の近江八幡・彦根・長浜・美山と四国の徳島県美馬・三好・香川県まんのう町辺りの古き良き時代の町並みをウロチョロしてきました。 -
▽中国自動車道吹田ジャンクション⇒名神高速道路
京都府美山町からは走行距離が距離だけに疲れ果てた身体と相談しながら明石大橋を渡って、250km彼方の四国徳島へなんとか突入して行きました。チカレタ^^; -
▽名神高速道路
宿の予約はなし。無ければ車中泊です。天候が怪しそうだったですが、一応、目標は「美山かやぶきの里」を肉眼で見ること。それと15年前に夫婦で宿泊したことのある徳島のホテルに再度宿泊して内部を確認することでした。想い出さがしの旅です。 -
▽八幡堀周辺古い町並み散策/滋賀県近江八幡市小幡町中
九州大好き人間なもんで本当は九州阿蘇方面へ行きたかったのですけれども、まあ、どこでも走り回っていると何か新しい発見と意外な出会いがあるモンですネ。九州へは後日、10月と12月に行ってきました。明日(2月2日)からも南九州鹿児島へ出かけて参ります。 -
▽八幡堀運河/滋賀県近江八幡市大杉町
5年ぶりの訪問です。八幡掘は約400年前に開かれた運河です。 -
▽八幡川緑地/滋賀県近江八幡市大杉町
八幡堀の水郷風景で有名な近江八幡は全国に名をはせた「近江商人」の屋敷を始めとして、数多くの歴史的建造物が城下町の遺構とともに残る町です。 -
▽八幡川緑地/滋賀県近江八幡市大杉町
近江八幡の町は豊臣秀吉の養子となり「悲運の関白」でしられる三好信吉(後の豊臣秀次)によって造られました。 -
▽八幡川緑地/滋賀県近江八幡市大杉町
本能寺の変後、秀吉は数少ない親族である秀次に近江20万石を与えます。 -
▽八幡川緑地/滋賀県近江八幡市大杉町
秀次は安土の西方5kmの八幡山に城を築きくと、城下町は京都に似せた碁盤目状に町割りし、旧安土城下から商工人を移住させ、楽市楽座によって町を繁栄させました。 -
▽八幡川緑地/滋賀県近江八幡市大杉町
八幡堀は城の内堀であると供に、琵琶湖から城下への水運を目的とした運河も兼ね、八幡城下町は大津、堅田と並ぶ琵琶湖三代港のひとつとしてさらに発展します。 -
▽八幡堀/滋賀県近江八幡市大杉町
その後秀次は100万石に加増され尾張清洲へ転封、一時期京極氏が入りますが廃城となりると、八幡は城下町から在郷町へと再出発することになります。 -
▽八幡堀/滋賀県近江八幡市大杉町
天秤棒を肩に全国を行商して歩いた近江商人は、近江の産物を売り歩き、帰途で諸国の産物を仕入れて別の場所で売るという「諸国産物廻し」を行い富を築きました。 -
▽八幡堀沿い/滋賀県近江八幡市大杉町
「近江の千両天秤」という諺は天秤棒一本で千両を稼ぎ、千両稼いだあとも行商をやめずに商売に励むと近江商人の商魂をあらわしています。 -
▽八幡堀沿い/滋賀県近江八幡市大杉町
やがて近江商人は全国に販路を広げ各地に支店を持つと、地域の物価格差などの情報を素早く入手し、そのネットワークを駆使して大豪商へと成長していきます。 -
▽八幡堀沿い/滋賀県近江八幡市大杉町
その近江商人の本家・本店は八幡に構える事ということが家訓として決められ、八幡は豪商の町となります。 -
▽八幡堀沿い/滋賀県近江八幡市大杉町
やがて近江商人の商売内容は当初の流通販売から金融業へと変わっていきます。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
幕末から明治になり、それまで融資していた大名や武士階級が消滅すると、資金を回収できなくなった近江商人は大打撃を受けました。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
さらに交通機関の発達はそれまでの流通システムの再構築を迫り、近江商人は京・大坂・東京などへ本店を移していきました。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
おねがい地蔵さま
近江にとどまった一部の商人は地元経済を支える中心となっていきます。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
この周辺は国の重要伝統的建造物保存地区にも指定されています。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
牛や馬を繋いでおく「環金具」でしょうか。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
新町通りの江戸末期から明治にかけて建てられた家々は、屋根に防火用の壁である「うだつ」をあげています。豪商の邸宅では家を火災から守るために、屋根に「うだつ」をあげました。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
重要文化財旧西川家住宅
先端に電球のソケットがついている。店先を照らしていた昔の外灯でしょうか。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
近江八幡を築いた悲劇の関白について少し触れます。豊臣秀吉の子・鶴松が幼くして亡くなると、秀吉は甥の秀次を養子にし「関白」を譲ります。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
市立資料館
しかし、秀吉に秀頼が誕生すると秀次は謀反の疑いで失脚に追い込まれ高野山で切腹。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市新町
その翌日には秀次の子、正室、側室、39人が処刑され、さらに秀次に使えた重臣や親族までも連座して粛正されたのでした。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市為心町
近江商人とは・・・近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴です。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市為心町
楽市楽座の自由商業主義のもと、活発に活動を続けた八幡商人たちは、秀次没後まもなく天領となった近江八幡の町から、天秤棒を肩に全国に活動を広げます。 -
▽白雲館/滋賀県近江八幡市為心町
白雲館は、明治10年、八幡商人たちにより、子どもの教育充実を図るために建てられた、かつての八幡東学校です。 -
▽白雲館/滋賀県近江八幡市為心町
現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市宮内町
京の加悦寿司 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市多賀町
かわらミュージアムは、平成7年に近江八幡市が、地場産業である八幡瓦の普及と先人の技術や知恵を後世に伝え、町づくりの拠点として生かしていくために建設されました。 -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市多賀町
かわらミュージアム -
▽滋賀県近江八幡市古い町並み散策/滋賀県近江八幡市宮内町
太鼓のモニュメント 八幡まつりで使われるものだそうです。 -
▽日牟禮八幡宮/滋賀県近江八幡市宮内町
JR近江八幡駅の北西約2.3km、八幡山(271.9m)の南麓にある神社です。 -
▽日牟禮八幡宮/滋賀県近江八幡市宮内町
楼門 この神社は古くから八幡商人の信仰を集めているそうです。 -
▽日牟禮八幡宮/滋賀県近江八幡市宮内町
能舞台 左義長まつり近江八幡御馬揃え -
▽日牟禮八幡宮/滋賀県近江八幡市宮内町
本殿 祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめかみ)の三柱。 -
▽八幡山ロープウェー/滋賀県近江八幡市宮内町
5年ぶりの訪問、懐かしい。 -
▽八幡山ロープウェー/滋賀県近江八幡市宮内町
山麓から山頂へは約4分で到着します。 -
▽八幡山ロープウェー/滋賀県近江八幡市宮内町
八幡山から琵琶湖を望む風景. 八幡山ロープウェーからは近江八幡の町並みだけでなく、さまざまな湖国滋賀の風景を楽しむことが出来ます。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
八幡堀から近くの安土城郭資料館へ移動してきました。JR安土駅南広場にある城郭を思わせるような建物が城郭資料館。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
入口 ここは8年ぶりの訪問です。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
この資料館には、織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されています。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
安土城は、金箔瓦をいただき、外観5層内部7階で、内部は狩野氷徳(かのうえいとく)の襖絵や異国文化の調度で飾られていた豪壮華麗な城です。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
安土城は、本格的な天主閣をもった初めての城といわれます。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
外人教師ルイス・フロイス(1532-1597)が本国に送った書簡に書いたことで、ヨーロッパ中に紹介された。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
安土城の復元図 屏風絵風陶板壁画 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
その天主閣が細部まで忠実に再現されており、安土城の姿を偲ぶことができます。また、ローマ宣教師によって献上され、日本で初めて織田信長が飲んだといわれるローマコーヒーを味わうことができます。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
織田信長公オリジナル南蛮甲冑 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
20分の1スケールでつくられた安土城天主 真っ二つ -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
20分の1スケールでつくられた安土城天主 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
20分の1スケールでつくられた安土城天主 真っ二つになり、各階を見ることができます。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
左のちょっと大正チィックな服装の人は観光客のようですヨ。 -
▽織田信長の安土城郭資料館/滋賀県近江八幡市安土町
お土産コーナー -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
近江八幡市から想い出ふかい彦根キャッスルロードまでやってきました。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
京橋口休憩所Pへくるまを止めて散策開始です。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
京橋口休憩所 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
あら、まったく売れないわたくしの車と同じ車がとまっていた。めずらしい。肩身の狭い〇菱車です。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
彦根城(滋賀県)のマスコットキャラクター ひこにゃん -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
ここで大変なことが…レンズの故障です。接点の接触エラーが出て動かなくなってのです。ガビ~ン!!(後日修理に出して修理費18000円也、10月にはカメラ本体をコンクリの上に落っことして壊してしまい、ろくなことがなかった。) -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
仕方ないので、ここからの旅記録は予備カメラ&コンデジの使用と相成りました。ちょっと画質が落ちますが、4トラ記では支障はないかナ。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
懐かしき通りです。彦根城下でまず目に入るのが、本町に造られた「夢京橋キャッスルロード」。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
菓心おおすが夢京橋店 11年半前に妻といっしょに訪れた時、ここでお土産を買いました。
白漆喰に黒の真壁造りの伝統的家屋を模した現代建築物ですが、城下町再現の中心的な役割を担い、周辺に残る江戸時代に建てられた古い街並み整備保存の原動力になっています。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
町人町の町割りが残る城町~本町には紺屋町、魚屋町、職人町、牢屋町、桶屋町など城下町ならではの旧称が今でも残されています。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
築100年以上経つ伝統的な商家が数多く残されていますが、連続性は失われていました。中には老朽化が目立つ建物も多く見られ、修築保存が急がれます。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
彦根は彦根城を中心に伝統的な古い街並みや情緒が残る井伊家35万石の城下町。
国宝の天守閣は、明治新政府の廃城令によって全国の城が次々と破却されるなか、参議大隅重信が名城の消失を惜しみ、たまたま近江巡幸中の明治天皇に奏上して取り壊しを免れました。さらに第2次世界大戦で戦災を免れ、城下町の面影が色濃く残される事になりました。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
徳川四天王一人井伊直政は、関ヶ原の勲功を持って石田三成の居城であった近江佐和山に18万石で封じられ、西国36カ国の監視という特別の任務を与えられます。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
明性寺
直政は城を佐和山から磯山へ移すことを決めますが着工前に病没してしまいます。それを引き継いだ子の直勝(直継)は、新たに彦根山(金亀山)への移築を決め、約20年の歳月をかけて完成します。築城は徳川家康の命で幕府普請として七カ国12大名を動員して大掛りに進めらました。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
彦根城
この井伊直勝は病弱で大坂の陣への参陣もかなわず、代わって弟直孝が参陣。直勝は彦根藩を継ぐ事が許されず、2代藩主は弟直孝が継いで、直勝は新たに別家を立て3万石の上野安中藩が成立します。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市本町
スミス記念堂
以降彦根藩は井伊家が幕末までの260年余り、17代の長きに渡って受け継ぎま
す。筆頭譜代である井伊家は歴代で数多くの大老を輩出しました。なかでも幕末の混乱期に大老職を務めた井伊直弼は鎖国日本を開国へと導き、歴史に重要な足跡を残します。 -
▽再訪・彦根キャッスルロードを散策/滋賀県彦根市金亀町
彦根城表門橋 想い出ふかい場所です。
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▽彦根城天秤櫓/滋賀県彦根市金亀町
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。 -
▽彦根城/滋賀県彦根市金亀町
彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。 -
▽米原駅前H泊/滋賀県米原市米原西
疲れました。歳だな。セブンのまろやかビールを飲んで熟睡 zz・・ -
▽長浜バイパス/滋賀県長浜市加田町
2日目行動開始です。この日は長浜・木之本・美山の古い町並み観光をしました。左手に長浜バイオ大学ドームが見えてきました。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
長浜を初めて訪れたのは2005年3月。11年半前のことです。今回で4度目です。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
北国街道沿いに続く古い街並の一角にある総称「黒壁スクエア」 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなど魅力あふれるお店が、古い街並の中に点在しています。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
また、まちなかを少しはなれると、日本一大きな琵琶湖や山々に囲まれた自然豊かな風景が広がります。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
長浜・黒壁スクエアは、古いまちなみの中の伝統や新しいアート、自然の豊かさを同時に楽しむことのできる場所です。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
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▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
西日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約200万人の観光客が訪れる滋賀県随一の人気観光スポットです。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
江戸時代から明治時代の和風建造物が今も残る情緒ある町並みです。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
旧市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築の保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8社が出資)「黒壁」が1988年に設立されました。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
「黒壁」設立の主目的である旧第百三十銀行の保存と再生は同建築が1989年に黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンすることにより達成されました。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
常夜灯 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大手門通り -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
曳山博物館 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大手門通り -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺表参道・・・大通寺の門前には石畳の表参道がのび、白壁や格子で統一された町家が軒を連ねています。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺表参道 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺表参道 大通寺山門の威容 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺表参道 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺・・・真宗大谷派長浜別院である大通寺は、古くから「ごぼうさん」の名で親しまれています。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
本堂(阿弥陀堂)・・・重要文化財である本堂や広間をはじめ多数の伽藍群により構成され、荘厳な寺観を形成しています。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺蓮池にて -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺蓮池にて -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
大通寺蓮池にて -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
古き良き町並みです。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
アーケード -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
長浜アートセンター アルフィーの坂崎幸之助コレクション展をやっていました。坂崎氏と妻とは学生時代に友人だったようです。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
長浜旧開知学校・・・駅前通り沿いに建つ木造3階建、八角塔屋付の擬洋風建築。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市北船町
出会い像・・・長浜を代表する歴史上の人物羽柴秀吉と石田三成の「出逢い」を表現した銅像。 -
▽再訪・情緒ある町並み黒壁スクエア散策/滋賀県長浜市元浜町
このあと同じ長浜市の木之本へ向かいました。 -
▽JR木ノ本駅/滋賀県長浜市木之本町
駅前に駐車して散策開始です。ここ木ノ本を散策するのは初めてです。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
地蔵坂 木之本の地蔵さんで知られている木之本町。正面に地蔵院があります。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 冨田八郎家・・・450余年の歴史を持つ滋賀の古酒蔵。地酒清酒「七本槍」の造り酒屋です。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 冨田八郎家・・・切り妻造り、中二階、格子、平入り、桟瓦葺、大戸付きだが、屋根は複雑で三層になっています。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 本陣薬局・・・木之本地蔵を出て南直ぐに、木製の薬看板を掲げた薬屋、本陣薬局竹内家があります。木之本宿の本陣で今は薬局です。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 本陣薬局・・・古風な看板。建物は切り妻造り、低い中二階、平入り、桟瓦葺で入り口に「駒繋ぎの環」が取り付けられていました。 -
▽木之本地蔵院/滋賀県長浜市木之本町
眼病平癒の仏さまとして知られる時宗の寺。境内に立つ6メートルの地蔵像は秘仏である本尊を模しており「木之本のお地蔵さん」が全国から訪れる参拝客を出迎えます。 -
▽木之本地蔵院/滋賀県長浜市木之本町
寺の歴史は古く、白鳳時代に遡ります。空海、木曽義仲、足利尊氏、足利義昭も参拝した記録があり、賤ヶ岳の合戦では秀吉が陣を置いたといわれています。 -
▽木之本地蔵院/滋賀県長浜市木之本町
木之本地蔵院は、眼の仏さまであり、片目をつむった身代わり蛙たちが住んでいます。 -
▽木之本地蔵院/滋賀県長浜市木之本町
お寺に住む蛙は、多くの人々が眼の病気で困っているのを見て、「すべての人々の大切な眼がお地蔵さまのご加護をいただけますように」と、自らが片方の目をつむることによって身代わりの願をかけたと言い伝えられています。 -
▽木之本地蔵院/滋賀県長浜市木之本町
明治天皇木之本行在所 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
木ノ本は古来から浄信寺地蔵の門前町として、また、北国街道と北国脇往還との分岐点として、本陣を持つ宿場町として栄えました。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
天正13年(1585)山内一豊がこの地の知行を命じられ、その後石田三成が20万石で佐和山城に入りこの地を支配しました。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
関ヶ原の戦い後は彦根藩井伊家の知行地となり、元禄11年(1698)の記録では、地蔵前の高札場から南に119軒、北に74軒、計193軒が立ち並ぶ宿場町でした。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
当時の家並みは一筋街として人家は街道の東西両側に並んでいたそうです。民家の最大の間口のものは15間(27m)もありました。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
そしてその後も大きな変化がなく、宿場として繁栄していたとはいえ、その大部分は農家で、問屋、馬持、本陣、脇本陣、旅篭等が点々とその間に混在し、且つ数十戸の商舗が混じっていました。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 木之本牛馬市跡
木之本における牛馬市は室町末期の開始と云われ、伊勢・美濃・尾張の商人がこの地で売買し、近世に入り彦根藩も保護奨励しました。 -
▽木之本古い町並み散策/滋賀県長浜市木之本町
北国街道 伝馬所跡 -
▽JR木ノ本駅/滋賀県長浜市木之本町
駅前の花壇に咲いていたコスモス -
▽国道303号線/滋賀県長浜市西浅井町
木之本を後にして若狭鯖街道熊川宿へ向かいます。ブーッ=3=3 -
▽国道303号線沿いの町並み/滋賀県長浜市西浅井町
道中、古そうな集落があったので寄り道をば。 -
▽道の駅マキノ追坂峠/滋賀県高島市マキノ町海津
ここは3度目。 おっさかとうげ と読みます。休憩~♪朝穫の新鮮野菜を中心に、鯖寿司、お弁当、佃煮、お惣菜など地元で生産された食材を原材料にした加工品や特産品等が置いてあります。 -
▽道の駅マキノ追坂峠/滋賀県高島市マキノ町海津
琵琶湖が見える。 -
▽琵琶湖畔/滋賀県高島市今津町
遠くに見える小さな島は竹生島です。彦根で主力のレンズが壊れてしまったのでこのカメラ・レンズではやはり画質が良くないナ^^; -
▽道の駅若狭熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
予備カメラ&コンデジを駆使しています。 -
▽道の駅若狭熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
お土産をいっぱい買いました。 -
▽道の駅若狭熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
鯖街道ミュージアム
若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716~83)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(安永5年 1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。 -
▽道の駅若狭熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
鯖街道ミュージアム
若狭をほぼ東西に走る「丹後街道」は、東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴あるいは宮津までの幹線道路でした。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通り、熊川を経て、滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬より京都への道を言います。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
しかし、より正確に言うならば、小浜から日笠までは「丹後街道」であって、日笠から京への道を「若狭街道」と言うべきかも知れません。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
「鯖街道」もいつの頃からかこの呼び方をされていますが、熊川の古い文書には由来となるはずの若狭湾の鯖とわかる記載は見当たりません。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
しかし18世紀後半になって若狭湾で多種類の海産物に混じり大量の鯖が水揚げされるようになった事や小浜の『森田宗太郎家文書』によれば宝暦(1751~63)以後、若狭の海で鯖が大量に漁獲され、これを京都の人々が大衆魚として広く庶民が賞味し、また祭礼にも欠く事が出来なかったためだ、とも考えられます。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
これらが運ばれた道は幾通りもありましたが、鯖の運ばれた道の総称が「鯖街道」であると言っても良いでしょう。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
熊川は、もともと戸数40ほどの小さな寒村であったという事です。室町時代に、戦略上の要地として足利将軍直属の武士、沼田氏が山城を構えたところであり、今もその遺構を確認する事が出来ます。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
さらに、豊臣秀吉の相婿(実際は再従姉妹の夫)でもあり秀吉に重用された浅野長吉(長政)が、 小浜城主になった時に交通・軍事の要衝として、熊川に対し天象17年(1589)に諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったのです。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
以来、若狭代々の領主は、この政策を受け継ぎ熊川は江戸時代を通じて近江国境に接する宿場町として大いに繁栄していきました。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
江戸時代初期から中期にかけて、熊川宿の戸数は200戸を越えていたようですが、現在では100戸ほどになっています。 -
▽若狭鯖街道熊川宿/福井県三方上中郡若狭町熊川
丹後街道(国道27号線)へ出ます。 -
▽丹後街道(国道27号線)/福井県小浜市太興寺
このあと今回の車旅の目的地である「美山かやぶきの里」へ向かいました。あら~空模様が怪しいゾ。 -
▽国道162号線/福井県小浜市下田周辺
天気予報通り、やはり雨か。しかもスコールです。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
到着~♪ 雨が少し強い。。。トホホ・・ -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
ここは初めて来たので、様子かよくわかりません。とにかくグルグルと歩き回ってみましょう。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
お土産&お食事処 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
若狭街道沿いに開けた美山町には独特の建築物や文化が伝わっています。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
そのひとつがかやぶき屋根の家。北地区に存在する50棟の家屋のうち、38棟がかやぶき屋根で、寛政8年(1796)築の最古の家をはじめ、江戸時代に建てられた18戸はいずれも北山型の入母屋造りの民家です。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
三方を囲む山、清らかな由良川の流れがうまく調和し、農村の原風景を形造っているこの地域は、平成5年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
資料によると・・・集落は中世には丹波国弓削荘に属し、林業を主産業とする山村集落であった。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していた。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
そういった背景から、この集落の建築や生活様式はいろいろな地方の影響を受けたといわれる。北村は近世には篠山藩に属し、近隣の村とともに「知井9か村」と称された。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
1993年(平成5年)、周囲の水田と山林を含む集落全体127.5ヘクタールが、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
地区では「かやぶきの里保存会」を組織し、歴史的景観の保全と住民の生活を両立すべく、さまざまな検討を重ねた。その結果、住民が出資し、「有限会社かやぶきの里」を設立し、建造物の維持管理および観光施設としての運営を組織的におこなうようになった。・・・とあります。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
古き良き昭和の時代を彷彿とさせる集落 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
葺き替え・・・茅葺き屋根の維持のためには数十年毎に葺き替えをする必要がある。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
一時、茅葺き職人の後継者がいなくなりそうだったが、近年、住民の中から職人が誕生した。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
茅葺き屋根の住居は火に弱い建物である。2000年には「かやぶき交流館」が火事で焼失しており(2年後に再建)、火災対策は重要事項となっている。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
住居の母屋毎に「放水銃」が配備されている。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
普段は小屋の形をした収納箱の中に収納されているが、使用時は(おそらく遠隔操作により)液圧シリンダーにより小屋の屋根が開き、放水銃が迫り出すようになっている。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
長閑な山里にユリの花がひそかに咲いている。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
-
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
集落内の住宅は山麓の傾斜地を整地して建てられており、宅地正面には石垣を築く。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
現存している茅葺き屋根の家屋の多くが江戸時代中頃から末期にかけて建てられたものであり、「北山型民家」に分類される。丈の高い入母屋造の屋根と神社の千木のような飾りが特色である。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
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▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
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▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
今では珍しくなった茅葺き屋根の家屋がここには数多く残っている。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
案山子 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
放水 WEBサイトより。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
以上で散策終了。空は回復の兆し。 -
▽雨の中、美山かやぶきの里散策/京都府南丹市美山町
お土産買って
このあと京都美山町から徳島市までおよそ250kmの道のりを走っていきました。 -
▽神戸淡路鳴門自動車/兵庫県神戸市垂水区東舞子町
明石海峡大橋 -
▽神戸淡路鳴門自動車/兵庫県淡路市岩屋仮田
淡路サービスエリア下り ライトアップ -
▽神戸淡路鳴門自動車/兵庫県淡路市岩屋仮田
淡路サービスエリア 明石大橋 -
▽再訪・徳島市内のホテル/徳島県徳島市中央通
15年前に夫婦で宿泊したことのあるホテルに再度宿泊。昔から2人で四国へ行くことが少なくて、旅行で宿泊したことのあるホテルは唯一ここだけなのです。(結婚式の出席以外) -
▽再訪・徳島市内のホテル/徳島県徳島市中央通
なんなんでしょうか?部屋ナンバーが703号!不思議なことがあるもんです。実は今回2度連続なんですよ。 -
▽ホテル近くの居酒屋/徳島県徳島市中央通
夕食。なんという名前のお店だったかな?忘れました。 -
▽阿波室戸シーサイドライン/徳島県徳島市中央通
3日目早朝、徳島市内のホテルを出発です。 -
▽徳島自動車道/徳島県阿波市市場町
徳島インタON。うだつの町並み脇町へ向かいます。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
3年ぶりです。もう3年経ったんだ。道の駅の駐車場からうだつの町並みへ歩いて行きます。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
旧脇町では、1984(昭和59)年、「脇町の文化を進める会」が発足、多彩な文化活動を行うと同時に、「町並み保存のシンポジウム」や、「まちづくりフォーラム」等を開いて町民を啓発、意識の高揚に努めました。
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
続いて建設省から「手作り郷土賞」と「日本の道百選」に選ばれました。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
大塚のボンカレー 松山容子さんでしたっけ。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
旧脇町は、1988(昭和63)年、市街地景観条例を制定するなど保存対策を進め、同年9月16日には保存地区を決定しました。
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
文化庁は、これらのことを受けて、全国で28番目の町並みとして選定しました。
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
脇町の「うだつの町並み」の特徴は・・・
東西に通じるメインの道路の長さは約430m、指定地区の面積は5.3ha、伝統的建造物は85棟、環境物件(石垣や井戸等)65件、修景物件(母屋、塀等)94件です。※認定当初、伝統的建造物は88棟あったが、建物の劣化、倒壊により3棟減となりました(H24年11月追記) -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
通りに面した母屋のうち、伝統的な町屋は50戸あり、そのうち22戸が間口四間半(9m)以上の規模となっています。敷地の奥行きは間口に比べて深く、80m以上のところもあります。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
建物の特徴は、屋根は本かわらぶきであり、2階の窓は防火に重点をおいた「虫籠窓」となっています。2階の屋根の両端にしっくい塗りの「うだつ」があります。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
建物で最古のものは、1707(宝永4)年の棟札は確認されています。保存計画では、昭和のものまで含めて母屋の7割となっています。
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
地元では全戸が参加して、保存会を結成。一致団結して、町並み保存と修復に努めています。また、住民有志は、ボランティア活動として、町並み見学者の案内にあたり、隠れた協力者となっています。
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
美馬市となった現在も、諸施設の改善等に力を入れ、観光地として魅力あるものに仕上げていくことに積極的です。美馬市HPより -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
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▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
美馬市観光文化資料館 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
美馬市観光文化資料館 うだつまる -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
自働電話と書かれたレトロな公衆電話ボックス -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
脇町は吉野川北岸の主要街道の撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり、さらに吉野川に面するため舟運の利用にも適した位置にあります。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
この町並みは、脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展したものです。現在は明治時代頃のものを中心として江戸中期~昭和初期の85棟の伝統的建造物が建ち並んでおり、近世・近代の景観がそのまま残されています。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
卯建(うだつ)はもともと防火のために設けられたものですが、富の象徴としての意味合いが強くなっています。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
修理中、うだつにシートが掛けられている。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
-
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
手づくり郷土大賞碑 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
脇町立図書館 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
格子作り -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
うだつ(卯建)・・・江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した小屋根付きの袖壁。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
ニッキ水が置いてあったので5本買いました。美味いというか、懐かしい味です。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
お店のおばあちゃんに持ってもらい記念写真を撮った。ハハ・・ -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
小雨の中、予備のカメラを使って撮っているので画像(コントラスト)がなんとなく悪いな。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
おみやげ喫茶 藍蔵
徳島県の吉野川流域は、江戸時代から明治時代にかけて、藍染めが盛んに行われた地域でした。 -
▽再訪・脇町うだつの町並みを歩く/徳島県美馬市脇町
おみやげ喫茶 藍蔵 -
▽徳島自動車道吉野川SA/徳島県三好郡東みよし町
うだつの町並み第2弾、池田町へ行く途中に想い出があるSAなもので立ち寄りました。 -
▽徳島自動車道井川池田料金所/徳島県三好市井川町
井川池田料金所OFF 池田の町へ -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
7年ぶりの訪問になりました。近くのスーパーの駐車場に車を止めて散策開始です。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
池田町は徳島県の最西部の町です。交通の要衝として、たばこ等の集積地として発展した池田の旧街道に残る古いたたずまいです。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
蔦監督だ。 「勝利監督インタビュー、池田高校の蔦監督です!」この声が甲子園から全国に流れること実に37回。優勝3回、準優勝2回、甲子園出場は春夏合計で14回と高校野球史上に残る名監督です。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
なんじゃーこりゃ! -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
愛媛県、香川県との県境を接する池田町は「四国の十字路」と呼ばれ、四国各地を結ぶ交通の要衝であり、阿波西部における経済、産業、文化の中心でした。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
岐阜県飛騨地方で昔から作られている「さるぼぼ」のような人形がぶら下げてある。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
たばこ資料館・・・100年以上前のたばこ業者の住まいを利用したもので、四季折々の花が咲く美しい庭園や書院造りの構造を活かした離れ座敷なども公開され、当時の繁栄を偲ぶことができます。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
幕末から明治にかけて、刻みたばこで栄えた池田。年代順に帳簿やたばこの葉、機械などたばこにちなんだ資料約200点を展示しており、たばこの歴史を学ぶことができます。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
たばこ資料館 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
池田は古くから軍事的な要地でもあり、戦国期には大西氏によって大規模な白地城が築かれました。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
その後四国を支配した長曽我部氏の時代になり本格的な城下町として整備が行われます。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
やがて秀吉の時代を経て、江戸時代に入ると白地城は一国一城令によって取り壊され、かわりに行政庁舎としての池田陣屋が置かれます。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
山々に囲まれ平地の少ない池田では、傾斜地を利用した煙草の生産・加工が主な産業でした。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
また吉野川の水運を利用した河港としても発展していきますが、煙草の国有化や鉄道の開通によって地場産業としてはいずれも衰退していきます。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
国道192号が池田町の中心市街を迂回しているため、町のメインストリート沿いには大正期から昭和初期に建てられた重厚な土蔵造りの家並みが連なり、在郷町の面影が残されています。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
阿波地域の商業町で競うように施された「うだつ・卯建」はこの池田町でも例外ではなく、各家々の二階屋根にどっしりと構えています。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
池田の字名はなぜか”カタカナ”なのですが、旧道と国道に挟まれた町筋である「マチ」地区に卯建のある古い町並みが最も多く残され、現在町並み整備も進められていました。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
-
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
旧道を歩いている人がいません。新道が出来て、流れが変わるということはどこでもよくあることです。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
古き良き時代の町並みです。 -
▽再訪・池田うだつの町並みを歩く/徳島県三好市池田町
以上で終わり。帰路につきました。歩き回ると疲れますねー。 -
▽阿波別街道(国道32号線)を北上/徳島県三好市池田町
昔は洒落ていたんでしょうね。看板に白雪姫と七人の小人と書いてある。今は廃屋のようです。 -
▽阿波別街道(国道32号線)を北上/香川県三豊市財田町
香川県へ入りました。讃岐七富士のひとつ飯野山かな?遠くに見えます。 -
▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
昼飯ですダ。セブンのぶっかけうどんです。 -
▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
空の夢二宮忠八飛行館・・・ライト兄弟が有人動力飛行に成功する14年前、世界で初めて飛行原理を着想した二宮忠八。 -
▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
二宮忠八飛行館・・・国道32号線沿いの樅の木峠にあり、二宮忠八翁の子ども時代の好奇心や視点、また、夢を実現するための努力等をテーマにした展示や実際に考案した「からす型飛行器」「玉虫型飛行器」の模型を展示しています。 -
▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
慶応2年、八幡浜で生まれた二宮忠八は、子供の頃から探究心の強い少年でした。
貧しかった少年時代、自分で考案した“忠八凧”を売っては学費の足しにしていたそうです。
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▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
やがて成人した彼はある時、カラスの巧みな翼さばきを見て“空を飛ぶ”法則を発見、研究を重ねた末、船のスクリューにヒントを得たプロペラ、滑走用の3つの車輪、聴診器のゴム管を細かく切り動力とした、最初の模型飛行器“烏型模型飛行器”を完成させました。
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▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
明治24年4月29日、忠八25歳の春、丸亀練兵場で行われた飛行実験で、聴診器のゴムを動力にわずか10mではありましたが見事に“空を飛ぶ”実験に成功、それはアメリカでライト兄弟が飛行実験に成功する12年前、現代の飛行原理へとつながる動力飛行機が、日本で初めて空を飛んだ瞬間でした。
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▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
彼はまた人を乗せて飛ぶため、大きさ約2mの複葉機“玉虫型模型飛行器”も作りましたが、当時彼の夢を理解し、援助しようという人もなく、自ら資金を作り研究再開の見通しがたった矢先、ライト兄弟の有人飛行実験成功を知り、製作中の飛行機をハンマーで破壊。以後飛行機の研究から一切身を引きました。 -
▽道の駅「空の夢もみの木パーク」/香川県仲多度郡まんのう町
二宮忠八飛行館 玉虫型飛行機
以上で今回の車旅が終了です。ここから広島市の自宅までおよそ210km、帰路につきます。 -
▽琴平駅近く/香川県仲多度郡琴平町
こんぴらさん訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10868429 -
▽瀬戸中央自動車道/南備讃瀬戸大橋
いい気分転換になった。旅に出ても、愛車をコロがして景色の良いところをウロチョロさえすれば、それだけで満足できているようなところがあります。 -
▽瀬戸中央自動車道/岩黒島橋
以上で「夏のロングドライブひとり旅♪」終了です。=3=3 チカレター!
~滋賀県・京都府・徳島県・香川県の古き良き時代の町並みを訪ねて~
≪ 完 ≫
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この旅行記へのコメント (6)
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- 元カニ族さん 2017/02/08 11:48:40
- 彦根市生まれの私、懐かしい写真が満載
- 故郷を離れて、半世紀以上!
懐かし、故郷の写真が満載の素晴らし旅行記ですね。
同時に、私に記憶にある故郷とすっかり変わっています。
特に、近江八幡の変貌が大きいですね。
当時、彦根は井伊家の牙城で、観光に力を入れていましたが・・・・
近江八幡もいつしか、観光に力を入れるようになったようですね。
今年は、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」
井伊家の源流がドラマになり、静岡県浜松市の井伊谷と滋賀県彦根市が、ブームとなりそうですね。
元カニ族
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2017/02/11 05:49:00
- RE: 彦根市生まれの私、懐かしい写真が満載
- 元カニ族さん おはようございます。お返事遅れまして申し訳ございません。
> 故郷を離れて、半世紀以上!
> 懐かし、故郷の写真が満載の素晴らし旅行記ですね。
> 同時に、私に記憶にある故郷とすっかり変わっています。
> 特に、近江八幡の変貌が大きいですね。
> 当時、彦根は井伊家の牙城で、観光に力を入れていましたが・・・・
> 近江八幡もいつしか、観光に力を入れるようになったようですね。
> 今年は、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」
> 井伊家の源流がドラマになり、静岡県浜松市の井伊谷と滋賀県彦根市が、ブームとなりそうですね。
>
夏に琵琶湖周辺をぐるっと回ってきました。元カニ族さんの故郷でしたか。お役に立てたようで良かったです。
元カニ族さんは2014年に大学卒業50周年ということは、おそらくわたくしよりひとまわり年配の方とお見受けいたします。旅行記をその都度拝見させていただいております。いろんなご経験が御有りでビツクリです。
わたくしの大学生時代は1970年ころから、東京で過ごしました。カニ族と言った言葉は知ってはおりましたが、だんだんと消え失せていく時代であったと記憶しております。なんもかんも無かった時代から便利な世の中になっていき、旅行もけっこう楽をして遠くまで行くことができるようになっていたと思います。新婚旅行などは猫も杓子もハワイかグアム、ブームでしたね。
わたくしはバイクでよくいろんなところを巡っていました。と言ってもせいぜい400〜500km、遠距離走は少なかったです。座席の後ろに鍋や着替え・ぐるぐる巻きにした毛布などを積んでツーリングに出かけていました。自分用のカメラも持ってなくて当時の記録写真がほとんど残っておりません。でも、そのころの経験は社会に出てから経験したことよりなぜだか鮮明に、そして美しく頭の中に残っております。
元カニ族さんのようにリュック背負って力感あふれる旅などしたことはありませんが、旅行記を拝見させていただくにつれて、ちょこっと共感を覚えるところがありました。ありがとうございました。それではまたよろしくお願いいたします。
-
- 白い華さん 2017/02/01 11:45:35
- 明日からの 「南九州の 旅」が 安全・・・で ありますように。。。
- 今日は。
いろいろ、お忙しそう!ですが、「明日からは、 南九州・鹿児島方面!に 行かれる」とのこと。
「お元気!で 気まま・・・な ドライブ旅」と 知り、安堵!していますよ。 (笑)
ほんと、 「素敵な 風景!を カメラに 収めながら・・・の 旅」って 最高!の 楽しみ。って 同感デス。
また、「男ひとり! 大きな 車・・・なら、車中泊」って 楽チン!だし、いいのでは〜 ?
四国の 「奥様!と 泊まった・・・ホテル。では、偶然にも、同じ!部屋」とは。。。
同じ! ホテル & 部屋番号・・・は、感慨深い!もの。そして、感動を 覚えました。
滋賀県の 鯖街道。北国街道・・・の あまり、知られていない! 田舎町。
そんな 風景!も、 興味深々・・・に 楽しく、拝見しています。
そうゆう 場所!にも、「古い!薬屋さん・・・の 見事な 絵看板が ズラリ!と 残ってたりして。 でも、 壊したら、価値が 無くなったりして・・・」って ホント、貴重な 素晴らしい〜!シーン。って 思いました。
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いろいろ、ありましょう。が、「安全運転!で お出掛け・・・くださいね」。
なかなか、行かれない・・・西日本。なので、「godzillaさんの 素晴らしい〜!腕前の カメラ。 ますます・・・楽しみ!」です。
『 京都・美山 茅葺き屋根・・・の 里・風景 』 には、 いつか、『 京都・伊根 舟屋風景 & 天橋立て 』 と 共に、訪れてみたい。と 思っています。
今日は、久しぶり・・・に、 お話できて、嬉しかったです。
これからもよろしくお願いします。
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2017/02/08 05:53:57
- RE: 明日からの 「南九州の 旅」が 安全・・・で ありますように。。。
- 白い華さん おはようございます。
いつもありがとうございます。一昨日九州から帰ってきました。
入間へは何度か行ったことがありますが、いいところがありますねー。築60年、洋風の歴史ある町並みも素敵です。40件もあるのですか。ちょっと歩いてみたい気もします。ムーミン公園の建屋の形も面白い。
はい。わたくしは元気でピンピンしています。義母の介護がひと段落したので、久しぶりに鹿児島まで長距離走へ出かけて羽根を伸ばしてきました。ラッキーなことにホテルはちょうど空きがあったりしてすべてOK、早めにチェックインをして疲れを取りながらのノンビリ旅でリフレッシュできました。
そうなんですよ。四国では結婚式・仕事以外で、過去に夫婦で泊まったホテルは1か所だけ、部屋番号が703!あれ〜って思いました。完全退職時に手続きをしに行った年金機構でも整理番号が703!義母に伝えると(整理券の写真を撮っていたのです^^)「長いことご苦労様って、(妻が)一緒に付いて行っているのよ」って言ってました。MechaGodzilla&703の703は妻の名前なんです。
昔ながらの古き良き町並みや山間の村などを調べては訪れているのですけれども、あまり観光地化されてすぎていると魅力が失せているような気がします。長浜や近江などはそれなりに歴史・町並みを楽しめますが、整備されすぎていかにも今風の古い町並みです。
美山は初めて行きました。でも雨天散策でトホホ・・・。特に雪景色や放水シーン時がベストなのでしょうが、長閑で素敵なところでした。ぜひ訪問されてください。
伊根の舟屋は時期によっては大混雑するようです。わたくしが訪れたときは大混雑していて大変でした。遊覧船に乗ってカモメに餌やりをしながらクルージングしたかったのですけれども・・・。
地域的に美山・伊根・天橋立はセットで行きやすいのでおすすめの観光地だと思います。いつか行かれてください。それではまたよろしくお願いいたします。
-
- ふわっくまさん 2017/02/01 08:27:44
- ロングドライブ♪
- MechaGodzila3&703さん、おはようございます。
今年も早や1ヶ月経ちましたが、何卒宜しくお願いします。
滋賀から京都府美山〜徳島〜香川と、一気に力作をアップされたのですね〜!
八幡堀沿いのレトロな街並みは日差しも夏らしく、寒い部屋で拝見するのも格別によかったです(^-^)
織田信長安土城郭資料館では、観光客も時代に合わせた服装で訪れていたそうで・・
その方は安土城が栄えた時代が、余程お気に入りなのかなぁーなど思いました。
途中で一眼レフの具合が悪くなって、コンデジ(たぶん紫色のものでしょうか・・)に変えられたようですが、やっぱりキレイで・・
私ももう少し研究しなければ〜と思っている、今日この頃です。
徳島のホテルではNo703のお部屋だったそうで、うだつの町並みも訪れられて〜思い出深い夏のご旅行でしたね。
朝顔のお花の写真も季節感があって、スゴク素敵でした〜☆
ふわっくま
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2017/02/01 08:57:03
- RE: ロングドライブ♪
- ふわっくまさん おはようございます。ご無沙汰しておりました。
早速メールありがとうございました。昨日から自分の時間が持てるようになり、久しぶりに4トラサイトを覗くことができました。
旅行記は昨夏のもので、だいぶん遅れてしまって記憶が定かでないルート・場所もありました。いろんなところへ行ってるので、記憶がゴチャゴチャになっています^^;
カメラは一眼を常時2台(または3台)積んでいますので、彦根からの記録は予備カメラ&レンズとコンデジ使用と相成りました。引き延ばすとザラいですが、4トラ旅行記のサイズではこれで十分だと思います。
ホテルの部屋番号はぐっとくるものがありました。これで2度目なんですが、バリバリ理系の自分なのですが、不思議なことがあるなと思いました。それではまたよろしくお願いいたします。
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