2016/12/29 - 2017/01/04
224位(同エリア532件中)
なかさん
「聖地エルサレム滞在」のツアーに参加。
12月29日(木)ソウル経由で、テルアビブ着。車でエルサレムへ。
12月30日(金)エルサレム旧市街観光。ウェスタン・ウォール・トンネル、嘆きの壁、ダビデの町。
12月31日(土)オリーブ山、ゲッセマネの園、シオンの丘、ダビデの塔、ヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会。
1月1日(日)神殿の丘、ベツレヘム、エン・カレム、新市街。
1月2日(月)マサダ、死海。
1月3日(火)ガリラヤ湖、ナザレ、テルアビブ、ヤッフォ。空路でソウルへ。
1月4日(水)ソウル着後、乗り換えて帰国。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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9時半の出発まで時間があったので、8時過ぎに街をぶらぶらと散策。
旧市街内を東西に走る道路、David st.。右側の黒の観光客用掲示が所々にあり、道はわかりやすい。表示は、上と真ん中が公用語のヘブライ語とアラビア語、下が英語。 -
途中、南に下って、Jewish quarter st.を通りユダヤ人地区に。
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「フルヴァ広場」と「フルヴァ・シナゴーク」。前日の日没後から安息日なこともあってか、人が少なく静か。
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左は、居住区に突然現れた第一神殿時代の城壁。
街並みや建物が、昨日訪れたイスラム地区と比べると豪華できれい。 -
通りには、トイレもある。
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武装した警察が巡回している。
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アルメニア人地区に入って、「聖マルコ教会」。
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今日の予定は、新約聖書のイエスの足跡巡り。9時半に出発して、まずは車で「オリーブ山」に(標高約800m)。
中央の黄金色の建物は、神殿の丘にある「岩のドーム」。手前は、岩の墓が並ぶ「ゲデロンの谷」。ダビデ王の時代から3000年も続く墓地の集落。 -
旧約聖書に、終末の日に救世主が現れ、墓から死者が蘇ると書かれているので、ここでの埋葬が多い。
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徒歩で坂を下り、「主の泣かれた教会」へ。古代の共同墓地の跡。
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イエスがいた頃の墓。縦幅は大腿骨、横幅は頭蓋骨のサイズ。
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子ども用サイズは小さい。
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「主の泣かれた教会」外観。
イエスはオリーブ山からの帰り、エルサレムを見渡し、将来を案じて泣いたという新約聖書の記述に基づいて1955年に建てられた。建物の形は涙の粒を表している。信者がイエスが見た景色が見えるよう、祭壇の後ろ(西側)に窓を設置している。 -
坂道を下る途中で、中国人の団体客に遭遇。
ガイドさんによると、この数年、中国人観光客が急増、日本人は激減。土産物屋の前を通ると、よく「ニーハオ」と声を掛けられたが、以前は「コンニチハ」と呼びかけられたそう。 -
さらに下って、「万国民の教会」。
1919年、様々な国からの献金によって再建されたことが、名前の由来。内部のモザイク画はビザンツ様式で、中央は岩の上で祈る「苦悶のキリスト」。 -
内装は、捕らえられた時の夜をイメージして黒や紫が基調。天井が低いのは苦悶を表している。
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道路を挟んで向いにある城壁には、二つのアーチ。
八つの城門の内、唯一閉ざされている「黄金の門」。終末の日に救世主が現れた際、門が開いてここから旧市街に入ってくると信じられている。門の下に並んでいるのはイスラム教徒の墓。 -
同じ敷地内にある、「ゲッセマネの園」。
イエスが普段から祈りのためによく訪れていた場所であり、最後の晩餐の後に祈りを捧げ、ユダに裏切られ捕えられた場所とされる。庭園内には、8本のオリーブの木が並ぶ。 -
万国民の教会、外観。
モザイクのファサード(建築物の正面デザイン)が素晴らしい。 -
車で移動して、シオンの丘の「鶏鳴教会」へ。
ユダヤ教の祭司カヤパの屋敷跡。ゲッセマネの園で捕らえられたイエスが、連れて来られた場所。名称は、弟子の一人ペテロが、イエスの「今日、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」という言葉通り三度嘘をついたことに由来する。 -
上階裏入口の門扉のレリーフには、この三度の否認の話が描かれている。左の青い服装のイエスが三本の指を立てて、右の赤い服装のペテロを指し示している。
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二階の教会内部。
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天井には、十字架状のステンドグラス。
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地下にある石の部屋。イエスが、最後の夜を明かした牢獄。
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階段を下りて、牢獄内部に入ってみる。小さな講壇には、何か国語もの詩篇が用意されており日本語もあった。
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19世紀に発掘され、2000年前のものであると確認されている石の階段。
エルサレムにある多くの遺跡は、その後の破壊の繰り返しでがれきの下に埋もれてしまっているが、この石段は実際にイエスが歩かれた可能性が高いと言われている。 -
次に、「最後の晩餐の部屋」へ。
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最後の晩餐の部屋。
弟子たちと最後の夕食を摂り、ユダの裏切りを予告したと言われている場所。この食事後、ゲッセマネで捕まる。
現在の建物は十字軍が建てたもの。その後、イスラム教徒によってモスクに改築されており、壁の一部にミフラーブ(メッカの方角を示す祭壇)があり、ステンドグラスもイスラム風。
ちなみに、当時はダ・ヴィンチの絵のようにテーブルで食事をする習慣はなく、床に肩肘をついて横臥しながら食事していたよう。 -
「ダビデ王の像」。
音楽の才能にも長けており、竪琴を弾いている。最後の晩餐の部屋の真下に、「ダビデの墓」がある。 -
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「シオンの門」を通って、旧市街へ。アルメニア人地区のレストラン「Bulghourji」で昼食。
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メインは羊と鶏の肉。
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クリスチャンの地区なので、内装がクリスマスモード。
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次に、「ダビデの塔」。
元々は、紀元前にヘロデ王が建てた要塞だが、現在はエルサレムの歴史を学ぶ観光者向けの歴史博物館。
ファサエルの塔から北西側を一望。城外の左の高いビル群は新市街、右の赤い屋根の建物は泊まった「グロリア・ホテル」。 -
逆の南側。ダビデの塔内。左の高い建物は、17世紀、オスマン朝時代に建てられたミナレット。
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西側には、聖墳墓教会、岩のドーム、オリーブ山が見える。
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明日訪れる予定の、岩のドームの内部の模型。
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地下にあった、19世紀のエルサレムの模型。
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徒歩で、Greek orthodox patriarchate st.を通り・・・
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「聖墳墓教会」の北側の通りを通過。
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茶葉の販売。
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Souq Khan El Zeit st.を北へ。昨日一人で来た時と違い、観光客と一般客でごった返し。
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正面は、ダマスカス門。
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Al-Wad st.を南進。この辺りは完全にムスリム地区。
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ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)出発地。
ここは、ムスリム地区にあるキリスト教の聖地。聖書にある、イエスがピラトの官邸で判決を受けてから、最後のゴルゴダの丘までの道のりと信じられているルートの始まり。ルートは約1㎞。イエスにまつわる出来事ごとに計14か所のステーション(留)と呼ばれる中継点が設けられている。
ただし、ガイドさんによると、数世紀に渡る破壊と再建の繰り返しによって、この辺りの地面は当時よりも数メートルは高いとのこと。イエスが実際に歩かれたという意味で言えば、先ほどの鶏鳴教会の石段の方が可能性は高いそう。 -
第二留『十字架を背負わされる』。
「鞭打ちの教会」内のステンドグラスには、鞭打ちを受けるイエスの姿が表されている。 -
教会の入口は、茨の冠の形。
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同じ敷地内にある「有罪判決の教会」内部。
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第一留『判決を受ける』。
通りの向かいの男子の小学校にある。敷地内にあるため入れず。当時はアントニオ要塞があり、そこで判決を受けたとされる。 -
「エッケ・ホモ教会」のアーチ。
エッケ・ホモとは、ラテン語で「この人を見よ」という意味。ローマ帝国のピラト総督が、イエスの死刑を回避しようとして群集に向かって叫んだ言葉。 -
第3留『最初に倒れる』。
第4留『マリアと出会う』。
al-Wad st.との角にあるアルメニア使途教会。最初に倒れた場所と、マリアが自分の息子を見たとされる場所だが、聖書には記述はない。 -
ムスリム地区のせいか、イスラエル支持派はこの辺りを通らないのか、近くの土産物屋のTシャツは内容がアラブ寄り。
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第5留『シモンが代わりに十字架を背負う』。
巡礼に来て、たまたま通りがかったシモンが、ローマ兵に無理矢理に十字架を背負わされた場所。ここを曲がり、西に向かう。 -
階段を登る。
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第6留『ベロニカが顔を拭く』。
現在は、ギリシャ正教のベロニカ教会。ベロニカがイエスに布を差し出し、イエスはそれを受け取って汗を拭いた場所。布には、血の染みによってキリストの顔が浮かび上がる奇跡が起こったという。 -
登って来た道を振り返る。
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ここで、小休憩。こちらではザクロが豊富に取れるのか、山積みした生ジューススタンドをよく見かけた。
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第7留『二度目に倒れる』。
当時のエルサレムの城壁はここまでで、この後この門を抜けてゴルゴダの丘に向かった。 -
Souq Khan El Zeit st.を南に進み、西に曲がる。
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第9留『三度目に倒れる』。
左側がコプト教会入口。ここも聖書の記述はない。 -
エチオピア正教の修道会を抜けて、聖墳墓教会の前庭から中に入る。
ここは、キリスト教徒にとっては、ベツレヘムの聖誕教会と並んで最も重要な教会。
紀元326年にコンスタンティヌス皇帝の母ヘレナがエルサレムを巡礼し、キリストの墓と十字架の破片を発見したとされる場所。 -
「塗油の石」。
入ってすぐに、イエスの亡骸に香油を塗ったと伝えられる赤大理石の台がある。以前は、第13留とされていた。 -
二階のローマ・カトリック小聖堂に第11~13留があるが、礼拝中で入れず。後回しにする。
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アルメニアの司祭。この辺りは、アルメニア正教の管理下。
いくつかの教派が共同管理しているが、仲が悪く、数年前にもギリシャ正教とアルメニア正教の修道士が殴り合いの乱闘を起こしている。教会の門扉は各派が所有権を主張しているため、毎朝、扉を開けるのはイスラム教徒。 -
第14留『イエスの墓』。
ヴィア・ドロローサの終点。アナスタシス(復活聖堂)に、イエスが3日後に復活を遂げたとされる「石墓」がある。今年6月から修復中のよう。行列が長いので入るのは諦める。 -
礼拝が終わったため、階段を上がって入場。第11留『十字架に張り付け』。
十字架に打ち付けられたイエスが描かれている。 -
第13留『亡骸を受け取る』。
第11留の左に、スターバト・マーテル(Stabat Mater「悲しみの聖母」)という聖母マリアの小祭壇が設けられ、ここでマリアがイエスの遺体を受け取ったと伝えられている。1778年にリスボンより寄進されたもの。 -
第12留『息を引き取る』。
小聖堂の祭壇に磔になったイエスのイコンがあり、足元に十字架が立てられたとされる岩のくぼみを示す銀製の円形プレートがある。その穴に手を入れて岩を触ることができる。 -
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第10留『衣服をはぎ取られる』。
聖墳墓教会の入口右側にある、ドームのローマ・カトリック小聖堂がゴルゴタの丘。ローマ兵が、イエスの衣服をくじで分け合ったとされる場所。
二階の窓から中途半端にかかっている梯子が「不動の梯子」。各教派の対立の結果、協定により勝手に動かせないとか。 -
今日の日程は終了。ホテルへの帰途で、ユダヤ関連の土産物屋。
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Christian quarter st.を南へ。
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この後、ホテルに戻り小休憩。
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夕食前に散策していると、西の外壁で光と音楽のショーを見つける。
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ユダヤ教のシンボル、七枝燭台のメノーラーの画。
安息日が終わったせいか、人が多く集まって来て写メを撮っていた。 -
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その後、ホテルから聖墳墓教会周辺のキリスト教徒地区を散策。
イルミネーションが華やかだが、まだ7時半なのに人通りがない。今日、大晦日は、キリスト教にとって休みだからか。 -
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ビュッフェスタイルのホテルの夕食に飽きてきたので、近くの「Jaffa Gate Falafel」でテイクアウト。
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ファラフェル・ピタ。
「ピタ」は中東で有名な中が空洞のパン。そこに、ヒヨコ豆のコロッケ「ファラフェル」や野菜等をサンドしたもの。$5(16NIS)。カールズバーグ・ビール500mlが一本、$3。
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