2015/06/12 - 2015/06/13
19位(同エリア110件中)
クッキーさん
観光のノルマのように博物館の見学を終えたからには、街歩き三昧です。夕刻のライデンの街を あてもなくうろつきます。
運河沿いに立ち並ぶレンガ造りの家並みや 石畳に面した家並み共に 派手さはないものの、質朴ながら小奇麗な姿に すっかり心奪われました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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シーボルトハウスを出て 南へ。
ふと右手を見ると 素敵な石畳の小路が細い運河沿いに続いているのが目に留まりました。
運河を横切る小さな橋の向こうに見える白い門は 1645年建造の門Doelenpoort。
門の上で馬にまたがっているのは、弓矢の射手の守護聖人聖ゲオルギウスです。 "doel"とは的のことで、かつてライデンの市民警備隊は、この門の向こうにある練習場で弓矢の腕を磨いたのだとか。 -
現在は、門の向こうのほとんどがライデン大学関連の建物だそうです。
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橋を渡った門の辺りから 運河沿いの左手の家並みを。
静かな住宅街の趣です。 -
そこから右手の家並みです。
奥の通りが シーボルトハウスがあるラペンブルグです。 -
運河の交差点に架かる橋の南側の運河沿い。
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ラベンブルグに戻って運河沿いに歩いていると、運河の対岸には古代博物館。
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その近くに架かる橋の右手の奥に見えているのが ライデン大学のようです。
学生たちの姿がちらほらと見えています。
町の建物と大学の建物が混在しているようです。
この年では、さすがに学生に紛れて中に入るのはためらわれたのですが、勇気を出して構内だけでも回ってみればみたらよかった。
この旅では、好奇心が 以前より少し薄れているのを実感しています。 -
この立派な建物は1440年に立てられたドミニコ会女子修道院の建物で、のちにライデン大学の一部となったもの。
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橋を渡って東岸に行くと、Rapenburg。
心惹かれる小路。 -
小路の雰囲気に誘われて奥へ。
敷き詰められた石のブロックは、山のある国から買い求めたもの。
『オランダ人は海にダムを築くことによって、国土をつくったが、街路の角石まで外国から買ったのである。
この国では、国土が私物ではなく、みなで所有すべきものとなっているのは当然といっていい。』<オランダ紀行> -
クロワ通り。
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クロワ通りの奥にある広場にカフェテーブルが並べられ、とても落ち着いた雰囲気です。
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その静かな一角に建っているのが聖ピータース教会。
1121年創建のライデン最古の教会です。15世紀頃から後期ゴシック様式による現在の形となりました。
内部は広々とし、オランダの著名人である医学者のヘルマン・ブールハーヴェー、画家のヤン・ステーン、ピューリタン指導者のジョン・ロビンソンなどの名が刻まれているそうです。 -
広場の一角。
鉢植えばかりなのに、配置がよく考えられています。 -
クロワ通りの奥に続く小路を辿ると、聖ピータース教会の入口が見えました。
ツアーの方たちが、何か説明を受けていました。 -
クロワ通りをそのまままっすぐに進むと、市役所があるブレー通りに出るようですが、教会前の小路の雰囲気に惹かれて ヘーレン通りを南へ。
市役所は 1597年建造ルネサンス様式のファサードが目をひく建物だそうです。 -
ヘーレン通りを抜けると もとのラペンブルグにでてきたみたい。
レンガに映えるバラの植栽。 -
ラペンブルグ沿いの運河は この辺りで大きくカーブしています(写していませんが)。
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対岸の建物は 先程も見かけた ライデン大学の建物。
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気になるファサード。
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門扉の奥をチラ見。
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もう この辺りがどこなのか 全く不明。
ただあてもなく 雰囲気の良さそうな石畳の通りをぶらついているだけ。
ここまで まだ2時間ほどしか歩いていませんが、この街の佇まいが大好きになりました。 -
大きな運河に出てきました。
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静かな運河です。
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その先の 細めの運河にもボートが浮かんでいます。
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石畳の小路に映える植栽。
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壁面を一面に覆う緑のカーテンに 緑の扉がマッチしています。
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同じような家並みが続くので、目印代わりに撮ってみた 公共の建物。
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グーグルマップで確認しようと思いつつ 見つけられず。
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運河沿いに現れたのは Van Der Werfpark。
1807年、この場所で船の積荷の火薬が爆発し大惨事となります。 市民は残った更地の一部に公園を造り、ライデン開放時の市長の名前をつけました。
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ステーンスウール通りに沿って。
運河の端に 城門ゼイルポールトがあるかと思っていたのですが、どうも違ったみたいです。
この辺りで 方向転換。 -
北岸にあるこの教会は 爆発による倒壊を奇跡的に免れ、事故後にライデンを見舞いに訪れた当時のホラント王ナポレオンの弟ルイ(蘭:Lodewijk)から礼拝堂を与えられLodewijkskerkという名になりました。
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運河沿いを離れて ステーンスウールの先の交差点を左手に進むと、
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ボーテルマルクトを北上中。ここも運河沿いの通りです。
運河沿いの景色が これまで以上に素敵です。
運河に浮かぶボートで 食事を楽しむ人々の姿が見られます。 -
橋を渡って対岸へ。
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対岸の通り、ニーヴェレインから奥の小路を。
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ニーヴェレインから。
運河に浮いているのは 開放感あふれるボートレストランです。 -
帰国後に調べていてわかったことなのですが、この運河の手前を北に向かった所に市役所があるのです。
『市役所は、この古い都市にとって城のようでもある。古びた皮革色のレンガに、白枠の窓、それに玄関にのぼる十数段の石段までが、構造美の脇役をつとめている。』<オランダ紀行>
旅行前に知っていたら、どうしたって探していたのですが・・・ -
この時は ただ要塞を見つけることしか頭になかったのです。
ビュルフト要塞は この辺りにあるはずです。
ブルグ通りを振り返って。 -
ビュルフト要塞入口の門。門の上にライデンの紋章と剣を持つライオンが見えます。1658年に建造されたものだそうです。
ライデンの紋章とともに刻まれているのは"PUGNO PRO PATRIA(I fight for my country)"という文言。
要塞のふもとにある1652年建造の 市の宿泊施設は、現在は市立図書館になっています。
この門をくぐると、広場にカフェがオープンしており けっこう賑わいを見せています。 -
この麓のカフェは、もともとは宿泊施設に併設されていたものだそうです。
カフェに並べられた椅子の間を遠慮がちに通り抜けて 正面の階段から要塞に登ります
ビュルフト城塞は ライデン中心部にそびえ立つ要塞です。
要塞入口およびフェンス入口を飾る紋章は、ライデン市長のもの。 -
要塞は 旧ライン川が新ライン川と合流する地点の内側に盛り土をして造った丘の上に造られた円形の建物です。丘の高さは12m。
11世紀に築かれた木造の砦は、12世紀半ばに石造りの砦に建てかえられました。
昔は街の防衛の役割を果たしており、敵が迫ってきてもすぐに気づくことが出来るよう、この要塞の頂上からはライデンの街全体を見渡すことができる構図になっています。 -
1568年にオラニエ公ウィレム1世を筆頭に、ネーデルラント諸州はスペインに対する独立戦争を起こしますが、その中でライデンは1573年から1574年にスペイン軍に包囲されます。
市民はこの城塞に立てこもり、激しい攻撃と飢えに耐え続けたのです。 -
それにしても この狭い空間に、ライデン市民の老若男女のすべてが籠城したというのが どうにも不思議です。
ついに1574年10月3日に、オランダ側が水門を破壊することによってスペイン軍を水攻めにして 退却させることに成功。
ライデンの人たちにとって、ここは記念すべき勝利の場所なのです。
この反乱の指導者だったオラニエ公ウィレム1世が、ライデン市民に、その功をたたえて何年か免税にしたい、というと、市民の側は、「それよりも大学をつくってほしい。」と申し出て、ライデン大学がつくられたのだそうです。 -
要塞の上からは 周辺の風景がよく見えます。
右に見えている建物が ホーグランツ教会です。
1315年創建のライデンで2番目に古い教会であり 現在の建物は、1375年から後期ゴシック様式で建てられ始めて未完のままだそうです。
16世紀にプロテスタント教会となったため聖像などはないのですが、白を基調とした内装と大きな窓のため光に満ちた独特の雰囲気があるそうですが、この教会にも入場していません。
要塞の側にそびえるように堂々と立つ姿だけを味わいます。 -
これだけの高さでもさえも街を見渡せるスポットになっているというのは、ライデンが 如何に低地ばかりであるか、ということの表れでしょうね。
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中世では、この高さの要塞でも十分だったのですね。
ところで、そもそも何でネーデルランドは 飛び地のような状態のスペイン領になったのか・・・
政治的に分裂状態にあったネーデルラントは 14世紀末にブルゴーニュ公国の一部となります。
1477年にブルゴーニュ公女とオーストリア大公の結婚によって ネーデルラントはハプスブルク家の所有となりました。ハプスブルク家は1556年にカルロス1世がネーデルラントをフェリペ2世に与えてその後はスペイン領となったのです。 -
当時のスペイン王家・・ハプスブルグ家の得意技だったそうなのですが、
各地の有力な家と婚姻関係を結ぶことで、これらの家の領地を吸収していったのです。もちろん所領を継承する際に紛争になることもありましたが、そこは自慢の軍事力に物を言わせたのです。 -
運河沿いまで戻ってきました。
もうすぐ6時になる時刻。ボートレストランは さらに賑わいをみせています。 -
その近くのVisfontein。
1693年に造られたこの噴水は、1878年まで対岸の丘に建つビュルフト要塞から水が引かれていたのだとか。 魚の商人に重宝され、通りの名もVismarkt(英:Fish Market)です。 -
先ほど要塞へ行く時に渡った橋から 少し先に歩いた辺りの運河に 屋根付きの素敵な橋が架かっていたようなのですが、見事に見逃してしまったようです。
この辺りは とても素敵な雰囲気。
でも、この辺りで佇むだけでなく もう少し歩き回れば屋根付きの橋の所まで行けたはず・・・と思うと若干の口惜しさもおぼえます。 -
アールマルクト辺り。
運河に ボートカフェが蓮の花のように いくつも浮かんでいます。
ライデンの訪問を決定したのは、ももんがあまんさんの旅行記内の この場所の写真でした。 -
運河に浮かぶボートレストランの中に入る勇気もなく、 どうしようかと思っていたら、またまた見つけてしまったのがこのレストランチェーン。
もう閉店間近という風で 選択肢は少なかったのですが、なんとか夕食を済ませられました。
9.35ユーロ也。 -
3時間余りの散策で ずいぶん疲れちゃっていたのかな。
このまま ずっとこの風景を目の前にして佇んでいたい気分です。 -
Oude RijnとNieuwe Rijnの合流地点の南西岸にある この建物は計量所。
1658年建造。正面の浮彫が示すように、水上を運ばれてきた品物が、ここで公正に量られ取引されました。 このおかげで、商人は重量をごまかされる心配がなくなり、ライデンに より物資が集まるようになったといいいます。
現在は、ギャラリーやコンサート会場として利用されているそうです。 -
計量所正面の浮彫。
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在りし日の姿。
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計量所前の橋を渡って、 Haarlemmerstraatと交わる地点にあるのが新古典主義様式のHartebrugkerk。
宗教改革により歴史ある教会の多くがプロテスタントの教会となったため、ライデンでは比較的新しい1836年に建造されたカトリックの教会です。 -
そのまま 北へ伸びるStill Mare沿いに進むと、
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跳ね橋の手前右手に 八角形ドームをもつ建物。
1649年、ライデン(およびホラント州)で宗教改革後初の建造となったプロテスタントの教会Marekerkです。 -
跳ね橋。
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海外のマクドナルドには 一度も入ったことはないのですが、外観を見る限り、どこも見事に街並みに溶け込んでいます。
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壁際の紋章が素敵。
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廃墟のような建物。
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在りし日の姿。
かつての教会でしょうか。 -
街角。
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多分この辺りはHaarlemmerstraat
このHaarlemmerstraatを東へ進み続けるとぶつかる市街地の北東の端に 城門ゼイルポールトがあり 城壁の一部が残っており、登ることができるそうです。
この城門に関して もう少し調べておけばよかったと後悔しきり。
街歩き三昧と云いながらも けっこう見残したところがありますね。 -
街歩きを始めた 最初の場所に戻ってきました。
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左手の建物は見晴らしの良さそうなレストラン。
確か トリップアドバイザーでチェックしていたような気がしますが・・ -
この日の歩数は33,803歩。
朝 アムステルダムのホテルを出た後、運河ツアー中の1時間と列車での移動時間以外 ずっと歩き続け、立ち続けだったのです。
老齢の身には けっこうハードな一日だったかも。
この日 ライデンで歩き回ったのは ほぼこの地図の通り。 -
翌日の朝ご飯は これらの果物と日本から持参した何か?
さて これらの果物はどこで手に入れたのか??記憶にないのが がっかりです。 -
翌朝のライデン駅。
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駅の構内。
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デンハーグ経由でデルフトに向かいます。
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列車内。
荷物が重いけれど、折角ですから二階席へ。
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