2015/06/12 - 2015/06/13
20位(同エリア110件中)
クッキーさん
アムステルダムからライデンに移動した後、運河沿いの家並みに心惹かれながらも まずはオランダを代表する風車博物館と、日本にゆかりの深いシーボルトハウスを訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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アムステルダム13:12発、ライデン13:48着。
ライデン駅は アムステルダムとは一変し 超近代的な建物。 -
チケットは8,8ユーロですが、やはり手数料は1ユーロかかります。
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アムステルダムからライデンまではわずか30分余りなので、一般的には日帰りで訪れる場所なのでしょうが、この日は金曜日ということで、連泊していたホテル料金が前日の倍近くになっていたので、ライデンを訪れるので どうせならと ライデンでの宿泊を決めました。
駅からすぐそこに見えるイビスライデンセンターです。 -
ホテルのフロント。
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まだ2時過ぎという時間帯なのに、入室できました。
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昨日までのホテルに比べると 雲泥の差の広さです。
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シャワーブースだけですが 問題なし。
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洗面所も広いです。
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窓から見える風景も広々。
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あれが風車博物館ですね。この後 訪れます。
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2時半過ぎから 街歩き開始。
一旦駅前に出てStationswegをまっすぐ南下する大通りを歩きます。 -
歩道まで広がって置かれているカフェテーブル。
観光客よりも地元の人が多いようにみえます。アジア系の留学生っぽい女性が数人 自転車で走っているのを見かけて ちょっとびっくりしました。 -
すぐに運河にぶつかります。 この広い川のようにも見える流れは マレーシンゲルという運河で、昔、市を取り囲む市壁の外堀でもあったそうです。
護岸が自然感いっぱいで まるで川辺公園みたいです。
運河を渡ると ライデン市街地です。 -
市街地に入り、すぐ東に見えるのが風車博物館でもあるDe Valk。
川辺の小路に沿って進むと、一角にこんな乙女の像が。 -
さきほどホテルの窓から見えた 風車博物館です。
風車De Valk(デ・ファルク)は主にライデン市の食料を賄う目的で建てられた粉引き用風車です。19世紀まで活躍し、電力の普及とともに役目を終え、現在は市立博物館になっています。粉引きから揚水、そして製材など、オランダでは風車は電気が存在する前の主要動力源だったのです。
ホテルから見た時には、とても可愛らしく思えたのですが、近くに来るとびっくりする位の大きさです。 -
このデ・ファルク なんと7階建てです。
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入場料は4ユーロ。入り口でチケットを買い順路に沿って進むと、まず住居階を見ることが出来ます。
1階部分はオランダで唯一残っている粉屋の住居だそうです。キッチンやリビング、応接間の家具は1900年に作られたものです。
こちらが住居スペースですね。リビングみたい。 -
仕事部屋?書斎?
風車が現役で活躍していたころは、この風車内に風車守が住んでいました。 -
順路に沿って梯子を上り、各階を見学します。
上部階は粉引き階です。稼動期は主にとうもろこしの粉を挽いていました。現在も時折粉をひく様子を見ることが出来るそうですが、この時は稼働していないようでした。
石器時代の 石の貨幣じゃないですよね。 -
レトロな台所。
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1階と2階のベッドルームの一部にある展示室には、視聴覚プログラムや穀物の製粉の歴史が展示されており、その中には実際に使われていたオランダの古い道具のコレクションもあります。
展示品。 -
もちろん風車の展示がメインです。
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日用品。
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昔日の面影。
ここまで歩いてきた街並みと あまり変わっていないようなのが不思議。 -
ライデンの古地図のようです。
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風車の歴史や風車の部品、模型などがある展示階です。
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風車模型。
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風車模型。縦長の風車は狭い場所用かしら。
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急勾配の 梯子並みの階段です。
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風車模型は こんな風に展示されています。
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ライデン市街を見下ろすデッキに出られました。
風車からの眺望。
中央を横切る道路は 駅から続くStationsweg。 -
風車からの眺望。
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風車からの眺望。
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風車からの眺望。
運河と 運河を縁どる緑が素敵です。 -
風車からの眺望。
ガラッと変わった 近代的なビル群。 -
間近から風車を見上げます。
下にある入口から出られました。壁が斜めなのでドアも斜めについてます。 -
風車の羽を真近で見ると、あらためてその巨大さに驚かされます。
羽は直径27mだとか。 -
上の方の内部はこんな感じです。
天井の梁が立派です。
内部の見学は、あっさりと 20分もかからずに終えてしまいました。 -
なにしろ ライデンでの目的は その街歩きですから。
西に見えるのが国立民族学博物館です。 -
国立民族学博物館の中庭からも一枚。
興味をおぼえながらも、街歩きを優先させます。 -
南へ進んで、
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街角。
わんこは置物ではありません。
わずかな土を有効に活用した植栽です。
石畳の小路に使われている石のブロックは 国外から買い求めたものだそうです。 -
四辻。
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跳ね橋が視界にとびこんできました。
レンブラント橋だそうです。ライデンは、画家レンブラントの出身地です。 -
モルスポールト(Morspoort)
中世の頃、ライデンには12基の市門がありましたが、何百年もの時を経て今なお残るのはモルスポールトとゼイルポールト(Zijlpoort)のみとなっています。モルスポールトは、ライデンの町の西端に位置しています。
かつてこの市門は、ライデンの町に入るのに一番通りたくない市門でした。というのは、絞首刑に科された罪人たちがさらし者になっていた場所だったからです。 -
モルス(Mors)という名前は「泥沼(モラス:morass)」に由来しているのだとか。かつて、ライデン西部はぬかるんだ草地でした。モルスポールトが1611年に完成した時、「モルスポールト」と呼ぶのがぴったりだということになったのだそうです。
この市門には、町の衛兵が常に配備されていました。ここは、町の防衛を担う城壁だったのです。また、キューポラは、一時期牢獄として使われていたこともありました。 -
門越しに見えているのはモルス通り。
自転車がビュンビュン走り抜けるので カメラを構えるには注意が必要です。 -
跳ね橋から見えているのはプット風車(De Put)。先ほどのデ・ファルクとは形が全然違いますね。
この風車はレンブラントが住んでいた頃のたたずまいを再現するべく、橋とともに作られたレプリカの風車だそうです。 -
跳ね橋に興味津々。
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運河沿いの家並み。
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モルスポールトを通り越して運河沿いに歩きます。
海賊船っぽくも見える帆船が見えていたりして、非日常感がいっぱい。 -
運河に浮かんだボートの中では ガールズトークが盛り上がっているようです。
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レンブラント公園。
建物の正面の この像、レンブラントが自画像を描いている銅像だということですが、こんな子供っぽい像でいいのでしょうか?
この公園に隣接して、レンブラントの生家跡があるそうなのですが、
ここまで歩いてきた時に、まさかのメモリーカード切れ。
一旦ホテルに戻ることにしました。いつもなら予備のメモリーカードを持っているのに、この日に限ってうっかり忘れていました。 -
ホテルまでは運河沿いに歩いてすぐでした。引き返せる距離で気付いてよかった。
仕切り直しで、街歩き再開です。 -
再びの跳ね橋。
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運河沿いに置かれたベンチで寛ぐ人の姿も見えます。
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舟遊びを楽しむ人達。
平日の金曜日ですよ、観光客でしょうか。
交通の要衝だったGalgewaterです。 -
運河の向こうに見える この建物は、アムステルダムでも見かけた建物と雰囲気がそっくりです。
今も帆船が停泊している北岸にある この特徴的な建物は、 1612年 オランダ様式で建造の大工工房Stadstimmerwerfだそうです。 -
さきほど内部見学した風車デ・ファルクも見えています。
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運河のたもとには、第一次世界大戦の際に食糧供給に貢献したライデン市長・Nicolaas Charles de Gijselaarを記念したモニュメントが飾られています。1920年代に作られたそうです。
この先 市街地の南西にある運河Rapenburgラペンブルグ沿いは、かつて富裕層が邸宅を構えた場所です。
Rapenburg運河の北端から。 -
運河を左手に見ながら進み、最初の階段のある玄関の建物がシーボルトハウスです。
ジャパンミュージアムとあります。
かつてシーボルトが住んでいた家です。かつては四軒続きの家だったそうですが、16世紀のはじめには一つの建物となったそうです。以来、国指定の文化財になるまでにシーボルトを含む8名の名士がここに住み、改装を重ねたそうです。最後に日本人女性建築家が改装を手掛け、2005年にシーボルトハウスとしてオープンしました。 -
玄関を入ってすぐの受付。
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シーボルトハウスの入場料は8ユーロ。
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パノラマ室には、植物、生活用品、武器、着物、鉱物などシーボルトが収集した膨大な品々が天井まで届くガラスケースに展示されています。
異国で こういった日本の展示品を見るのは不思議な感覚です。 -
17世紀のヨーロッパは「博物学」の冒険時代であり、はるかな異境で はじめて見る動・植物や鉱物を持ち帰った研究者たちは、あたらしい陸地を発見した航海家と同じような賞賛を浴びたそう。
ドイツ・バイエルン州の出身であるシーボルトも 博物学的冒険への野望がおさえがたく、いろいろと手をまわして いわばオランダ人に化けて江戸時代の長崎にやってきたのです。 -
彼の野望は 当時のオランダの政策に適合しており、「ありとあらゆる日本の物を収集せよ」とオランダ政府から特命を受けたシーボルト。
ヨーロッパで有数のヴュルツブルグ大学の医学部の出身であるだけでなく、諸学に通じていたシーボルトはその立場を活かし、博物学的な採集を始めました。 -
裏庭に立つシーボルトの胸像。
『解体新書』が翻訳されてから50年以上経っていたこの時期、日本における蘭学はその基礎が出来上がっていたため、シーボルトのもとには、各学問上で卓抜した人たちが集まってきました。
彼は当初、出島の蘭館で教授し、ついで長崎郊外の鳴滝に学舎を興してここで教授をし、かつ日本についての基礎資料の多くを収集したのです。 -
博物学的な採集をする一方、門人たちから日本についてのオランダ語論文を、課題提出というかたちで得ていきました。
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シーボルトが連れて帰った後、剥製にされた猿や犬も展示されています。
猿は近辺で騒ぎを起こし、たびたび新聞にも登場したのだとか。 -
日本の商家の模型。
「シーボルトは、持ち帰るには大きすぎるものは縮尺大に模して作らせた。この豪商の町屋には、現物と同じ材料ができうる限り使用されているが、屋根は彩色した紙である」 -
地図の部屋では、持ち出しを禁止されていた地図などが棚に所蔵されており、棚を引き出しながら閲覧することができます。
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伊能忠敬の『日本沿海実測図』の入手を図ったシーボルト事件で、日本を去りましたが、
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江戸期の日本にとって、シーボルトは 生のヨーロッパ文明だったんですね。
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美術品の数々。
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工芸品。
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工芸品。
帰国したシーボルトは、オランダのために働きましたが、医師としての仕事はしなかったそうです。
その後半生は、日本についての博物学、人類学的な先駆者としての名声につつまれ、また東インド会社の日本関係の顧問をしたり、外交上のしごとをしたりしたそうです。<オランダ紀行より> -
展示品。
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現代アート。
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館内。
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味のある階段を下りたところにある地下1階のお部屋は この建物のオリジナルの姿が見られる唯一の場所だそうですが、カメラには収めていませんでした。
30分足らずで退出してしまったのは 関心が薄かったせいですね。
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