2016/10/24 - 2016/10/24
134位(同エリア324件中)
naoさん
奈良県磯城郡田原本(たわらもと)町は、古くは「俵本」と表記され、弥生時代にすでに人が生活していた痕跡が見られる環濠集落遺跡(唐古・鍵遺跡)などが残る歴史ある町で、かつて交通の要衝として重要な役割を果たしてきた古代官道のひとつで、奈良市から橿原市を経て五條市に至る下ツ道(中街道)に沿って広がっています。
豊臣秀吉方として賤ケ岳の戦いで功名をあげた七本槍の一人平野長泰は、その功績により文禄4年(1595年)から田原本を所領するようになると、町場を整備し、商業の発展に努めます。
慶長7年(1602年)には、現北葛城郡河合町にあった教行寺を田原本御坊として移転することを認め、寺内町の建設を許可すると、教行寺を中心とした三町四方の人々は諸役が免除され、町の周囲に土塁や堀を巡らせ、入口に黒門を構えた寺内町が完成します。
長泰から家督を継いだ平野長勝が、寛永12年(1635年)から寺内町の北東部に接する地で本格的に田原本陣屋の整備に取り掛かると、町の領主権をめぐって教行寺と対立が起こります。
しかし、永らく続いた対立も、正保4年(1647年)に教行寺が広陵町へ移転したのを機に終息し、平野氏による田原本一円の支配が確定します。
平野氏による領主支配が始まると、教行寺の跡地に本誓寺や浄照寺が建立され、周辺の農村部から人々が移り住むようになり、寺内町の東側周辺部の下ツ道(中街道)沿いに、現在の八幡町、味間町、材木町、堺町、南町、三輪町などの町が形成されます。
その後の田原本は、かつての交通の要衝に位置していたこともあって寺内町時代の繁栄がそのまま持続され、今井町にも比肩されるほどの商業の町へと発展し、下ツ道(中街道)沿いに大きな問屋が軒を連ねるに至ります。
外敵の侵入に備えた桝形やT字型のあて曲げなど、今も陣屋町特有の名残が残る町並には、切妻屋根の2階建てに、虫籠窓、格子、出格子、袖壁などをしつらえた伝統的な町家が連なっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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田原本町役場の駐車場に車を停めさせてもらって、旧寺内町の北東側から町歩きを始めます。
旧寺内町の角に、新しく作り替えられたんでしょうね、ピカピカの道標が立っています。 -
旧寺内町の町並みです。
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部分的に手が入れられている町家が多いとはいえ・・・
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かつての面影が十分伝わってくる町並みが続いています。
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袖卯建に挟まれた黒漆喰の壁が、この町家に精悍な表情を与えています。
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黒く塗られた千本格子が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
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昔ながらの酒屋さんの下屋の雨押さえに、びっしりと白漆喰の細かなナマコ模様が描かれています。
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その酒屋さんの前にある小さな祠。
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袖卯建のある大きな町家。
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瓜型の虫籠窓のある町家には、名栗加工の外格子がしつらえられています。
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町角に立つ古い道標は、「吉野」や「高野」の方角を示しています。
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瓜型の虫籠窓に変化を持たせた町家。
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黒漆喰の壁に、白いボーダーが映える町家です。
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下ツ道に面して建つ行者堂。
かつて大峰山詣での人々が、ここで道中の安全を祈願したそうです。 -
こちらは慶長8年(1604年)創業の、老舗和菓子屋さんです。
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創業以来四百余年の歴史を誇るこちらのお店は、現在の当主で18代目にあたるそうで・・・
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歴史の重みを糧に、今も和菓子を作り続けておられます。
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こちらの町家は、荒壁に黒い虫籠窓が開いています。
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田原本町の汚水枡の蓋。
町の花「スイセン」と、唐古・鍵遺跡から発掘された土器に描かれていた楼閣がモチーフになっています。 -
こちらは骨董品のお店です。
アートを通じて奈良県の豊かな文化や暮らしを発掘する『奈良・町家の芸術祭 はならぁと』の会場としても使われているようです。 -
田原本町の町並みです。
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2階の両側に卯建を上げたこちらの町家は、文房具の卸商を営むお店です。
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年月を経た「おきな筆」や「古梅園」の看板が、古くからの文具商であることを示しています。
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この欄間の格子は独創的で素晴らしいですね。
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こちらの薬局の角にも「吉野」や「高野」と書かれた道標が立っています。
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薬局の斜め向かいの道路の角が、大きく隅切りされています。
寺内町の町割りをするときに、何か意味を持たせたんでしょうか・・・。 -
こちらの建物は、旧奈良中央信用金庫本店だった建物です。
現在の本店は別の場所に移転しています。 -
風情あふれる本瓦葺の町家です。
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名栗加工の駒寄せが、かつての風格を感じさせます。
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見事な土塀を巡らせた町家。
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華美に過ぎない、端正な佇まいの町家です。
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装飾的なところは、幾重にも重なった屋根だけです。
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丸太の外格子が落とすリズミカルな影。
ちょっと歪ですが、自然丸太を使っているので仕方ないですね・・・。 -
2ケ所も玄関がある大きな町家です。
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南側に続く町並みです。
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ここからの3軒は・・・
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2階の手すりが特徴的な・・・
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町家が続きます。
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北側の町並みを振り返った光景です。
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水路際に立つ常夜燈。
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昔懐かしい消火栓。
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この町家をよく見ると、銅板部分がわずかしか見えませんが、1階下屋が晒し葺になっています。
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この通りに面して、平安時代創建の津島神社がありました。
いつものように狛犬を見に・・・。 -
津島神社の、阿形の狛犬と・・・
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吽形の狛犬。
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では、町並みに戻ります。
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この町家に、素晴らしい職人技がありました。
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そう、この欄間格子です。
デザインの秀逸さもさることながら、細かな手仕事に感嘆させられました。 -
南側の町並みです。
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大和造りの町家がありました。
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かつての茅葺部分は鉄板で覆われていますが、大和造りの特徴はよく残っています。
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和風の板塀に挟まれて、洋風チックな町家が建っています。
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洋風チックな町家の板塀越しに、見事な見越しの松が枝を広げています。
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手前の妻壁部分にも窓があったんでしょうが、黒い外壁材で覆われています。
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逆に、こちらの町家は今風のアルミの出窓を開けています。
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石畳で舗装された通りに出ました。
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破風に付けられた木彫りの白い鶴とは対照的に、黒ずくめの町家です。
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この辺りは、田原本陣屋の整備をきっかけに町の領主権をめぐって平野長勝と対立した教行寺のあったところです。
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永らく続いた対立も、教行寺が広陵町へ移転したのを機に終息すると、跡地に本誓寺や浄照寺が建立されました。
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こちらは浄照寺の太鼓楼です。
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浄照寺の前にカラーバージョンの汚水枡の蓋がありました。
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角地に建つこの町家は、2方向の通りに面する外壁がくっきりと白と黒に塗り分けられています。
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かつての茅葺屋根を鉄板で覆ったと思われる町家。
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現在、田原本町では奈良県、桜井市、天理市と連携して、「歩いて楽しい道づくり」や「地域の顔の見える道づくり」をモットーに、こどもやお年寄りに配慮した道路整備を目指して「ウォーキングトレイル事業」を推進されています。
この『大和・山の辺探訪物語』のサインは、「ウォーキングトレイル事業」の先行プロジェクトとして設置されたもので、「奈良らしさ」にこだわったサインの整備を通じて、様々な人々の役に立つより良い道路環境の創出に努めておられます。 -
何とも巨大な虫籠窓です。
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こちらは老舗らしい雰囲気が漂う料理屋さんです。
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ここに大きな提灯を吊るんでしょうね・・・。
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お隣の外壁に飾られているのは、人が足で踏んで田に水を入れる水車のようです。
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こちらは、田原本町の玄関口にあたる近鉄橿原線田原本駅です。
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奈良県内はもちろん、京阪神へのアクセス手段として、大勢の人々が乗り降りしています。
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窓廻りの太いボーダーが存在感を示す町家です。
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少し先の踏切を近鉄電車が走り去って行きます。
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「宇治茶」の看板は掛かっていますが、お休みのようで店を開けておられません。
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出格子もさることながら、大きな袖卯建が「これでもか!」と言わんばかりに自己主張しています。
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さて、田原本の町並みを歩き終えたので、町役場の駐車場へ車をとりに戻ります。
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