2016/12/04 - 2016/12/04
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ばねおさん
小さなイベントのために3年ぶりに訪れたパリ。
この3年の間にはいろいろな出来事があった。
フランスだけに限定しても、昨年のパリ同時多発テロ、ニースの事件。
パリの友人知人たちの消息にも変化があり、決して他人事とは思えない。
再会を果たせた人、果たせなかった人...
「ひとはいつも自分が歴史の転換期にいると思っている」とは有名な歴史家の言葉だが、いまは本当に転換期ではなかろうか
そんな思いにとらわれながら12月の日曜日、パリ郊外のムードンを訪ねた。
訪れたのは、同地にあるロダン美術館とジャン・アルプ財団。
どちらも制作に取り組み生活を送った場を美術館として公開している。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
パリ市内からムードンへの行き方は二通りあるようだ。
ひとつはメトロ12番線の終点 Marie d'Issy からのバス利用
もうひとつは、郊外線R.E.R のC線である。
ほかにトラムでの方法もあるようだが、こちらは不案内。
結局、R.E.R線で向かうことにして
下車駅は一般的なアクセス方法のMeudon Val Fleury駅ではなく
ひとつ手前であるd'Issy駅に決めた。
地図で見ると、最初に訪れる予定のロダン美術館は両駅の中間点にある。
乗り降りを同じ駅にするより、歩いて変化が楽しめるかもしれないという単純な発想からである。 -
R.E.R線というと汚い車両を想像してしまうのだが
往路の車両は比較的新しいもののようで座席もこのようにきれいであった。 -
R.E.RのC線でVersailles Rive Gauche行に乗ったつもりでいたところ、実はだいぶ遠くに行ってから間違いに気づき、慌てて分岐のシャン・ド・マルス・トゥールエッフェルまで戻った。
C線は途中のシャン・ド・マルス・トゥールエッフェルで2方向に分かれる。
乗車駅のオーストリッツ駅の同じホームからC線のPontoise行の電車が出るので、間違えないようにと思いながら起こした失敗なので、我ながら呆れてしまった。
こうしたことがなければ決して訪れることのない駅だろうからと思い、引き返し地点を記念に一枚。駅の名はEpinay sur-Seine。 -
さいわいシャン・ド・マルス・トゥールエッフェル駅ではVersailles Rive Gauche行の電車がほどなくやってきて、ここから再出発。
時刻表の行先表示を何度も確かめて乗車したが、どうも最近視力の衰えを感じている。
視力の衰えは判断力の低下につながっているのかもしれない。 -
d'Issy駅を下車すると、すぐに上り坂が待っていた。
周囲には緑の多い静かな住宅が広がり、左手にはロダン公園なるものがあった。
天気も良く、寒さもないので歩くには絶好の日よりであった。
坂の途中にあった切れ込みのように丘の上下をつないでいる階段。
眺望の利くところに出ると高低差がよく分かる。
それにしても上り下りは大変だろう -
葡萄の道沿いにあったムードン歴史解説の標。
ムードンの歴史はとても古く、近年では有名な森と天文台とで知られている。
何がきっかけだったかは思い出せないのだが、パリ南西部にあるこの地名は
若い頃から自分の記憶にある。 -
d'Issy駅から30分近くは歩いたであろうか、
ようやくロダン美術館(Musee RODIN)の正面に立った。
ミュゼと冠されており、パリの有名なロダン美術館に対してムードンのロダン美術館あるいはヴィラ・デ・ブリヤンと称されているが、ロダン記念館と呼んだ方があるいは分かりやすいのかもしれない。
入場券を求めようとしたら、今日は無料の日であると告げられ、荷物検査を受けて通された。
そうだった、今日は日曜日。 -
門をくぐるとすぐに、奥へと誘うような綺麗な並木道が続いていた。
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並木道が切れた先に現れたのが、煉瓦とスレートの外壁が特徴のヴィラ・デ・ブリヤン(La villa des Brillants=輝く家)
かってのロダンの居宅兼アトリエである。 -
建物沿いに回り込むと、ガラス張りの大きなアトリエがベランダに張り出している。
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恐らく北向きに作られているのだろうが、自然光を存分に取り入れられる大きなアトリエ。
夏には前面のベランダで食事をしていたとのこと。 -
ヴィラ・デ・ブリヤンの室内のアトリエには、いくつもの石膏像が並べられていた。
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外光が入り、白と薄い緑を基調とした明るいサロン。
家具は少なく簡素だが居心地のよさそうな雰囲気である。 -
サロンに続くダイニングには食卓に食器が並べられ、中央には古代彫刻の像が置かれている。
詩人リルケもロダンの秘書生活をしていた時期には、ここで共にテーブルを囲んでいたに違いない。 -
ベランダの先、ヴィラの建つ場所から一段下がった敷地にある展示館。
かなり大きなもので、一見すると倉庫のような印象を受けるが、近くにいくと優美さのある建造物である。
ファサードにはchateau d'Issy(17世紀)の一部が移築され再利用されている。 -
内部は壁のない大きな空間が広がっていて、中央には壇が設えられ何体もの大きな石膏像が展示されている。
ロダンは後々まで分かるようにと制作の各段階を石膏で型取らせていたため、作品が完成するまでの過程をわれわれは辿ることができる。
だがその思索の経路を追うことは容易ではない。 -
入館してすぐの右手に聳えるロダンのライフワーク『地獄の門』の石膏。
門上部の『三つの影』以外の人物は配されていないが、圧倒的なスケールで迫ってくる。
パリ装飾美術館の表門のために政府から依頼を受けたロダンが、ダンテの「神曲」から制作の着想を得たことはよく知られている。
結局この作品は37年間を費やしてもなお未完のままでロダンの死を迎え、鋳造されたのは死後のこととなった。
発注した政府からは受け取りを拒否され、結局この門が開かれることはなかった。
言葉遊びのようになるが、あらゆる装飾性を排除しようとしたロダンに装飾性のある門を期待したことが間違っている。 -
こちらは東京上野の西洋美術館に展示されている『地獄の門』。
ロダンの死後、鋳造された7体の内一番最初の鋳造とされる。
この門のための『考える人』も在るべきところにある。
(2014年撮影) -
近くにあるショーケースには、人体の四肢のさまざまな形と大きさのパーツが展示されている。
これらを組み合わせることで様々な可能性を試みたロダンのアッサンブラージュの技法を窺い知ることができる。 -
『カレーの市民』の石膏像
英雄像を期待したカレー市から受領を拒まれた挙句にようやく納まったものの、地面にじかに像を置くというロダンの願いが叶ったのは、ロダンの死から6年経った後だった。
こうした形で置かれると、いろいろな角度から6人の人物の表情がよくみてとれる。 -
一方こちらは上野の西洋美術館前庭
高い台座の上に『カレーの市民』が展示されている。
これでは下から見上げるほかない。
ロダンの望んだ方法で展示される日はいつ来るのだろうか -
いくつかのバルザックの立像がある。
これも又、依頼主の文芸家協会から、フランスの誇る偉大な作家を侮辱するものとして引き取りを拒否された作品である。
ロダンのバルザック像にかける多大な情熱は、リルケが詳しく記しているが
装飾性を排除し、真実と物事の本質をとらえ究めようとするロダンの在り方は
正しく理解されることの難しさを教えてくれる。 -
長らく日の目をみることのなかったバルザック像が鋳造され
パリのラスパイユ通りに設置されたのは1939年に至ってのこと。
モンパルナスVavinの交差点に近い喧噪のなかで、微妙な傾き姿勢で彼は何を思い何を見ているのだろうか。
このすぐ近くにはロダンも教鞭をとったというグランショミエールがある。 -
1902年創設のアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール。
写真は入り口の表示と建物内部のすり減った石の階段。
幾多の人びとがここを通ったのだろう
教えあるいは教わるという立場の違いはあるが、マチス、モディリアーニ、フジタ、イサム・ノグチ、ジャコメッティ、タマラ・ド・レンピッカ等々名を成した芸術家たちの歴史もここにはある。
著名な人物の名と並べるのはおこがましいとは思うが
実は自分もここには通ったことがある。
外国人であれ誰であれ、ここは開かれた自由なアトリエなのだ。
何年か前、ここのアトリエに日本のTVカメラが入り、放送したのを日本で観たことがある。自分が座った場所、見知った顔が映し出され懐かしさに駆られたが、紹介役を務める日本の有名女優の傍若無人な態度にはまったくあきれる思いがした。 -
展示館にある一つ一つの作品は、それが習作と位置づけられるものであれ、パリのロダン美術館でみられる完成形とはまた別の深い味わいを与えてくれる気がする。
-
展示館の外に出ると誰もいない冬の陽射しの木陰に『考える人』が居た。
その像の前にはロダンと生涯の伴侶であったローズが並んで葬られている。 -
ファサードを背に、『地獄の門』のために構想された『考える人』が
蔦で覆われた墓を見守っている。
まるでモノトーンの世界のような静寂さの中に
手向けられた花束の赤いリボンだけが際立っていた。 -
ヴィラ・デ・ブリヤンを囲む広大な敷地はほとんどが草地で、セーヌ川の方向に緩やかな傾斜となっている
ロダンが住んでいたころは、周囲は葡萄畑が広がりセーヌ川を眺望できる環境であったという。 -
庭に点在する椅子のひとつに腰をおろし、眺望を楽しみながら
ここで弁当でもひろげたら旨かろうに、と思うのだが
あいにくとその用意がないのが残念
こうした時のためにせめて熱いコーヒーなり、ワインの小瓶なりを携行すればよいのに、といつも思いながら常に忘れている。 -
ロダン美術館をあとにアルプ財団へ向かう
途中で行きかうひともなく実に静かな地域だが、路上にはほとんど隙間なく
駐車車両が並んでいる。 -
アルプ財団へ向かう道筋に出会った古めかしい建築物の一群。
-
奥には立派な教会の尖塔らしき建物も見える
-
一体ここは何だろうと近くの説明書きをみると
かってガリエラ公爵夫人が設立した孤児、老人のための施設らしい。
今は何やら職業訓練校のような...?
ガリエラ公爵夫人とはパリのガリエラ宮殿(モード博物館)の主と同一人物なのかもしれないが詳らかでないので今後の宿題としておこう
歩いていると思いもかけぬ出会いがあるものだ -
その施設の向かいには、これも又かなり古い礼拝堂らしき建物があった。
大いに興味をそそるのだが、ロダン美術館で多くの時間を費やしてしまったので
ここはちょっと我慢して次の予定地アルプ財団を目指した。
やりたいことはやたらと多く、できることは少なく
そして時間は限られる... -
てこてこ歩いているうちに方向標識をみつけ、その中にアルプ財団の表示もあった。
アルプ財団の案内表示はほとんど期待していなかったので、これは軽い驚きだった。 -
さらにその先を行くと、道の分岐地点に今度はアルプ財団だけの方向表示が立てられていた。
これをみると財団の存在は疎かにはされていないのだな、と感じる -
その表示板から数十メートル先の坂の途中にめざす建物はあった。
あったのだが...扉はしっかり閉まっており、押しても引いても開かない -
ごく地味ではあるが、Fondation Arp と書かれているのでここで間違いはない。
横にある小さなブザーボタンを押してみると
扉のロックが外れた音がした。 -
で、入場したのだが、今度は閉まった赤いドアが待っていた
特に何の案内もないので、かまわずドアを開けると、そこはただちにジャン・アルプの世界だった。 -
アルプ特有の有機的な曲線造形があちらこちらにあり、数人の熱心な鑑賞者たちが見入っている。中には日本人らしき姿も
早速、入場券を購入し鑑賞者のお仲間入りをしようとしたところ、玄関横の事務室で管理人のマダムが椅子を勧めてくれた。
まあお座りなさいということで
何を話したのか大方忘れてしまったのだが、アルプを知っているか?という質問から始まったように思う。 -
アルプについては前に訪れたストラスブールの話などをたどたどしく説明し、一応マダムを安心させたようだ
まさか訪問者全員におこなっている訳ではなかろうが、入場にあたって口頭試問が待っていたとは...
赤い扉と窓枠がアクセントになっているこの特徴ある建物は、アルプの妻ゾフィー・トイバーの設計によるものであるという。
部屋には二人が暮らした頃の調度品や、古い写真類も飾られていた。
管理人のマダムはあまり写真撮影はしてほしくないような口ぶりで
こちらも撮影が目的ではないので、記憶を補完する最小限の範囲にとどめた -
庭にはいくつもの作品が据えられ、自由に見ることができる。
必ずしもアルプの作品に限ったことではないが、彼のコンクレシオンには正面とか横とか向きというものがない。
見る角度によって形は常に変容する。
さらに言えば、始めも終わりもないとしてもいいのかもしれない。
変わらないのは感じられる温もり
かってのアトリエらしき平屋の建物内には様々な小作品が展示されている。
さらにその向かいの小さな家屋には書籍などの資料があり、観覧者の動きに応じて管理人のマダムが照明を点けているようだ。 -
ジャン・アルプについては、別の旅行記で触れているので重複は避けたいが
当時はドイツ領となっていたアルザスで生まれたハンス・アルプがナチスの台頭に反発してフランス人となり、ジャン・アルプと名乗るようになった来歴からもわかるように彼の生き方には強いポリシーがある。
戦争に対する嫌悪、機械文明への皮肉とユーモア自然に対するまなざし
この美術館の存在をもっと宣伝して、看板も大きくカラフルなものを設置しようとする行政の働きかけを断り、住宅街の中にひっそりとたたずむ現状を良しとする姿勢に何やらアルプの精神をみるような気がした。
管理人のマダムはそれを具現化しているのかもしれない。 -
アルプ財団をあとに、Meudon-val-fleury駅へ下る道を辿った。
途中テオ・ファン・ドゥースブルフの幾何学的な白い家を右手に見ながら
あれこれ反芻してみる。
抽象を目指したロダンと具象を求めたアルプ
作品はまるで逆ではないかと言われそうだが、今の自分の考えはこういうことかな
と -
駅近くまで来たが商店はいずれも閉まっている。
日曜日などで当然ではあるが、ここまで昼食もとらずにやって来たのでさすがに喉は渇き、腹は鳴っている。
あきらめて電車に乗ろうと思ったのだが、角の店の中でピザを囲んでいる様子が目に入った。
ピザ屋なのだが、果たして営業中なのか、それとも仲間内だけで食事を楽しんでいるものなのか判断しかねていたら、内から扉が開きどうぞという。
店内にはいると一組だけの客がテーブルを囲み、店主夫婦も交えて談笑中
どうやらイタリア人らしく同郷同士で話に花を咲かせていたらしい。
すっかり喉が渇き空腹を覚えていたので迷わずビールとピザを注文
やがて出てきたピザの巨大さにたじろいだが、その旨いこと美味いこと
ビールをお代わりしてすっかりこちらはご機嫌になってしまった。
値段も驚くほど安い
気取りのないイタリア人夫婦のあたたかなもてなしに接して
ムードンの丘の締めくくりとしては悪くないと、つくづく思った。
店の名はたしかPizzeria dudiであったと思う。
ムードンへ行ったらぜひ寄ってほしい店だ。 -
ピザとビールですっかり空腹を満たし、温かなイタリア人夫婦のおかげで
ムードンはとても良い所だと確信しながら改札口に向かう。
跨線橋からみて、上方はヴェルサイユ方面、下方がパリ方面だ。
ここは以前であればゾーン(Zone)3の交通区域にあたるが、ゾーン制が廃止になったおかげで、手持ちのNavigoで往来できる。
便利になったものだ。 -
Meudon-val-fleury駅のプラットホーム。
駅名の壁だけがレンガのような壁になっているのは意図した工夫だろうか。 -
さて、帰りの電車だが座席はこんな状態。
擦り切れて変色して、いささか変形までしている。
自分のようにジーンズなら何も構わないが、少しこぎれいな服装ならちょと座るには迷いが出そうなR.E.R
でも、これがスタンダードといえるかも
さあ、外国人にもいささかも容赦しないパリに帰ろう。
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