2016/11/20 - 2016/11/20
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bakanekoさん
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日本一の桜の名所、吉野山。桜だけではなく、紅葉でも有名です。世界遺産の名所旧跡など、見どころはたっぷりです。
大峰連山の北から南へ約8キロの尾根一帯が、吉野山です。ここは日本古来の山岳神道、修験道の聖地。世界遺産の蔵王堂は、木造建築として日本で二番目の大きさを誇ります。吉野山は今でも尊崇を集めるパワースポットです。
平安の昔より、日本史の舞台としてたびたび登場し、後醍醐天皇の南朝が逃れて御所を開いた、南北朝の争乱の主な舞台になりました。西行法師や豊臣秀吉ら歴史上の人物が愛し、数々の遺構が残ります。
自然の美しさは趣き深く、歴史に思いを馳せさせます。赤や黄色に染まる紅葉のシーズンは、春の桜と並び、吉野山が最も美しく飾られる季節です。
山々に広がる、桜もみじは、楓もみじよりも早く色づきます。山頂から麓に広がるグラデーション素晴らしい光景です。
高城山展望台
奥千本の水分神社から10~15分ぐらい登ってゆくと高城山(標高702m)展望台に着きます。ここは、桜だけでなく秋の紅葉も奇麗なことで知られているそうです。展望台からの見晴らしは素晴らしく、金剛山、葛城山、二上山、竜門岳、烏の塒屋山(からすのとややま )が、パノラマで眺められます。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
11月19日前日は雨で風が少しあった。そのため、吉野進出を翌日にずらし、奈良公園に紅葉を見に行く。また吉野の紅葉はピークを過ぎ始めている。
11月20日をXDAYとした。20日朝4時に起きれず、5時に起きる。用意をし、いそいそドアを開ける。
私「・・・・・・・・オールスターが!!」
土門「そろったぞ」入江「もう土門さんとは打ち合わせ済みだ。今日は仲良く吉野山だ」楠木「今日は行かなあかんのや」
私「楠木さんまで正装ですか?その壮年の僧形の方は、ひょっとして佐藤さん」
佐藤「今日はいろいろあるようなのでこの年齢に化けました。西行と呼んでください」
私「はぁ」
土門先生は前かご、入江先生は、バイクのリヤキャリアに立ち用意しています。
私「ちょっと待ってください。防寒服の上に合羽をきます。吉野は寒い。」
皆さん「早く早く」
天王寺をバイクと騎馬 2人が進んでゆきます。
私「土門先生 薄ら笑いですか・・・」
土門「寒い・・・・」
いつもの25号線を河内国分に向かいます。
騎馬2名を従え、高田バイパスを全速力70キロで駆け抜けてゆきます。霧がどっぷりとかかり畝傍山も麓が見えません。
私「おおっ入江泰吉の世界だ。」
入江「霧より吉野だ!!早く行け。」桜井に入りガソリンを補充します。そして、なか卯で豚汁定食を280円で食べます。
皆「早く食べるんだ。いくぞ」
私「何をそんなに焦っているのですか?」
バイクはどんどん進み高取町を越え大淀町へ。
すごい霧です。前が見えないくらい。
私「前が見えません。こりゃ徐行や」
入江「出しすぎたかな」
土門「馬鹿者お前が曇っとるんだ。」
私「今更、心が曇っとると言われても」
土門「メガネのレンズが曇っとる」
いやいやゴーグルをかけていたのですが、
ほんとに中のレンズまで真っ白に・・・・・恐るべし奈良。
恐るべし奈良の霧。いや入江泰吉。
吉野川に近づくと霧が晴れてきました。
吉野川に架かる橋を通ります。もう明るくなってきました。みなで吉野神宮の坂を上ってゆくと、一人の男が馬に乗り立っています。
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楠木「主上!! 皆様下馬されませ。後醍醐天皇さまであります。」
後醍醐「正成!!この間は休みにすまなんだなあ。鎌倉に囲まれて難儀してたんや。みなも気使わんといて。時代も時代やしなあ」
私「朝廷再建もええとこまで行ったのに、楠木さんの比叡山籠城の話聞かんからえらい目におうた後醍醐さん」
後醍醐「それ言いな。わしも若かったんや。難しいこと言わんと、それより吉野の日出じゃ。早う下千本の駐車場まで行くぞ」
みなドドドドと後醍醐帝の後についていきます。 -
後醍醐「ええやろ」
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皆さん感動で声も出ません。
後醍醐「朕も満足である。いやいやこの際、たかはると呼んでくれても結構やし」
私「はぁ」 -
後醍醐「霧も出しておいたぞ」
一同「アッ!!」
一人の男が顔をくしゃくしゃにして走ってゆく。 -
みんな「おおー入江先生が・・・・。主上!!なんてことを」
土門「同業者のわしが連れてくる・・・アーティストは、繊細でな」 -
土門先生が、泣きはらした入江先生を連れてくる。
土門「わしには、奈良の霧の写真は撮れん。さすがだなあ。入江さん。さあ展望台に行こう」
入江「ハッハッハッ 私しか撮れんよ!!」
一同「おおっ!!立ち直った!!」 -
後醍醐「皆、高城山展望台に行くぞ。そうそう花矢倉にちょっと寄って 」
楠木さんも西行さんもみんな馬を飛ばします。 -
おおっ ついた。高城山展望台。
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後醍醐「この辺かなあ。ええとこは。」
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まさに紅葉の絨毯です。
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後醍醐「寒」
楠木「主上 お体に」
後醍醐「正成!!ラーメン食べたなった。今度また北大路の天下一品行こか」
私「ええっ 京都に行かはるんですか」
後醍醐「もうこのご時世やしなあ。北も南も関係あれへん。たまにお忍びで天下一品の本店に行くねん。」
私「やっぱり本店は違いますか。」
後醍醐「そりゃ違う。うちとこの南朝も本家やからなあ。」 -
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土門、入江「お上が出るとわしらの出番が」
入江「現人神だしなあ」 -
しばし高城山の紅葉を
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西行「皆さん曇っているので、もう少し上りましょう」
西行庵より上に向かって登ってゆきます -
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大台ケ原のほうでしょうか。
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入江「まあこの面々では、歌書よりも軍書に・・・だな」
1336年(建武3年)、後醍醐天皇は神器を持って京都を逃れ、吉野山に別の朝廷(南朝または吉野朝とも呼ばれる)を置いた。1339年(延元4年/暦応2年)に後醍醐天皇は吉野で崩御し、後村上天皇が即位する。しかし1348年(正平3年/貞和2年)には楠木正行らが四條畷の戦いにおいて足利方の高師直に敗北し、さらに吉野にも攻め入られ南朝は賀名生へ移った。このあと長慶天皇・後亀山天皇の南朝側天皇が続いた。
のちに東花坊(蕉門十哲の一人、各務支考)が南朝の悲しい歴史に思いを寄せて「歌書よりも軍書に悲し吉野山」と詠んだ。 -
私「写真より世相に詳し土門拳」
土門「しばくぞ」
少し晴れた展望台を -
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晴れると違う
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後醍醐「吉野南朝ツアーにおいでくださりありがとうございます。皆さんの志で南朝はいつか京に戻ります。それでは、朕の家へご案内」
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途中坂を転げ落ちながら
楠木「まるで鵯越や」 -
後醍醐「柿の向こうが家や」
如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺である。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある。 -
途中少し蔵王堂に酔って
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如意輪寺
平安時代の延喜年間(901年 - 922年)に日蔵上人により開かれたと伝わる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされたが、天皇は還京叶わぬまま崩御して本堂裏山に葬られた。以来寺運は衰えたが、慶安3年(1650年)文誉鉄牛上人によって本堂が再興され、その際に真言宗から浄土宗に改宗した。
正平2年(1346年)12月、楠木正成の長男・楠木正行が四條畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。
芭蕉は、ここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残している。 -
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後醍醐「そしたらこれで・・・bakanekoさんまた京都ででもラーメン食べよ。尊氏が家庭問題で相談乗ってくれてうるさいんや」
私「敵では・・・・」
後醍醐「兄弟げんかの仲裁や。またスマホにメールするわ。みんなご苦労さん。じゃ」
塔尾陵
大塔宮護良親王の死後、後醍醐天皇は建武の中興を果たします。しかしそれも束の間の夢と破れた後醍醐天皇は、延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せ、その後も吉野山にいて吉野行宮(よしのあんぐう:奈良県吉野郡吉野町・南朝)を起こしますが、延元4年(1339年)8月16日、皇位を後村上天皇に譲った後、52歳でこの世を去ります。後醍醐天皇が病の床に伏されたとき次のような歌を詠まれています。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
と詠み都を憧れつつ、吉野金輪王寺でついに崩御されたそうです。 後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、後醍醐天皇のごいしどおり、京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。この如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇、その皇子の「世泰親王」が一緒に葬られています。後醍醐陵の手前右手にあります。この御陵は、明治新政府以降、宮内庁が管理されています。 -
みんな大物の出現でくたくたです。
前に土門先生、後ろに入江先生を乗せて。
西行、楠木「わしらは、河内へ」
私「西行さん 次は佐藤さんで」
西行「了解」 -
紅葉の中をケーブルが行く。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ryujiさん 2017/01/31 09:16:12
- 昨今、見させてもらってま〜す!
- はじめまして、bakanekoさま。 私はryujiと申します。
小生はこのフォートラを毎日見て楽しんでいる一老人です。(そこそこの旅行記の投稿も) このフォートラの印象で全体的にはスタンダードと申しますか、(つまらないとは申しません)いささか変わり映えが乏しく感じておりました。 そんな中での新風を小生は発見しました。
タイトルの旅行記を拝見拝読しました。 いい〜ですねぇ〜、bakanekoさんは独自の世界観なるものをお持ちのようですね。 少なくとも小生はそう思います。 特にこの旅行記は、よりユニークで新鮮に感じました。
発想がいい。 二人のカメラマン・西行法師・楠木正成・後醍醐天皇・bakanekoのキャストで、ドラマを見るように楽しみました。
小生は日本史に少なからず興味を持っていて、南北朝時代もその一つです。 南朝・後南朝に於ける悲話は胸を打ちます。 その意味で吉野地方・川上村へは是非おとづれたいものです。
素敵な旅行記に感謝です。 これからの旅行記も楽しみにしております。
ryuji
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