2016/09/16 - 2016/09/16
252位(同エリア6059件中)
nonさん
ウィーン・ブダペスト【街歩き♪カフェ巡り♪(4)】「華麗なるハプスブルク家の帝都を巡る旅」
【日程】2016年9月14日(水)~ 2016年9月23日(金)(8泊10日間)
【滞在都市】ウィーン3泊→ブダペスト1泊→ウィーン4泊
【目的】華麗なるハプスブルク家の帝都を巡る旅
ウィーン2日目です♪
初日は朝から旧市街の街歩き、カフェ巡りをしながら教会コンサートや楽友協会コンサートと、音楽の都ならではのウィーンを心ゆくまで楽しみました。
今日のメインテーマは、旧市街を囲む’リンク大通り’の「壮麗建築ウオッチング」♪
19世紀前半、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の都市計画で、かつての城壁が撤去され次々と壮麗な公共建造物が出現しました。
その壮観な街並みは、「まるで西洋建築様式の野外ミュージアムのよう!」と称されています♪
夜は、バロック建築の傑作と言われている、’カールス教会’でのコンサートを予約しています(^^)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
08:15。
今日も上々のお天気です♪夜もぐっすり眠れて気分もすっきり(^^)
本日の朝食は、こちらでいただくことにしました!
ホテル前の’denns BIOMARKT’(デンス ビオマルクト)
いつも’BIOマーケット’と呼んでましたが、正式店名は上の通りです(^^; -
実はこの新しいスーパー、とてもお勧めなんです!
エコ大国ドイツ資本のスーパーで、ウィーンをはじめオーストリア全土にチェーン展開中。
扱っているのは店名の通り、全てBIO、つまりオーガニック認証されたもののみです。
洗剤やコスメなどの日用品も充実していて、商品数は6000点以上もあるそう。
この店内の一画に、自家製パンやお惣菜のコーナーもあってイートインが可能なんです♪ -
正面から入ってすぐに、イートイン・カフェがあります。
窓際に3セットくらい置かれたテーブル&チェアは、カジュアルモダン。 -
清潔感のあるガラスケース。
自家製パンやサンドウィッチ、ハムやベーコン、ソーセージやお惣菜などが色々と並んでいます。 -
ドイツ系のパンがずらり。
一般的にどっしり固めのパンが多いのですが、クロワッサンのようなサクッとした食感のパンもありますよ。 -
こちらは、手作りの調理パン。
野菜やほうれん草のパイ 2ユーロ~。
サンドウィッチ系 3.5ユーロ位。
忙しい朝でもパッと選んでテイクアウトできますね! -
こちらも自家製。
ハム・ベーコン・ソーセージなど、好きな量をその場でスライスしてもらえます。
100gあたり、約2~3ユーロ。
日本の高級スーパーやデパ地下だともっと高めですよね。
しかもどれも美味しそう!
一種類選んで、サンドウィッチを作ってもらいます♪ -
では、いただきます♪
カイザーゼンメル・ハムサンド(右)
ポテトパイ(左)、ひまわり種のパン(奥)
思った通り、作り立ては最高に美味しいです(^^)
飲み物は、たっぷりした泡立てミルク入りのメランジェ。
合計11.7ユーロ(カード払い)でした。 -
Vegan(ビーガン)のコーナー。
最近よく聞く’ビーガン’とは、卵や乳製品も摂らない完全菜食主義のこと。
こだわりのある人には嬉しい品揃えですね。 -
小分けされた加工食品も便利です!
どれも2~3ユーロとお手頃。
何種類か選んで、一緒にビールも購入しましたよ♪
ただ難点は、これらの商品はほとんどドイツ語表記。
意味が分かればもっと楽しく選べるのに、チンプンカンプンでした(;; -
有機栽培、自然農法の野菜・果実コーナー♪
ウィーン近郊では農作物も豊富だそう。
どこのレストランでも、サラダがとても新鮮でした! -
ホテルに一旦戻って、09:30頃お出かけ開始♪
まずは、金色の’ヨハン・シュトラウス2世像’でおなじみの’市立公園’を目指します。
この辺りは静かな住宅地でしょうか。
街がとても綺麗で落ち着いています。
ゴミひとつ落ちてない感じ! -
建物の外観も、どれもエレガントな印象♪
日本とは違って洗練された美意識を感じます。 -
朝日のあたるカフェテラス♪
車道沿いだけど、交通量は少ないので静かです。 -
しばらく歩くと、トラムの走る’リンク大通り’に出ました。
ここもかつては城壁があった場所。
緑の向こうが、1862年にウィーン市民のために造られた’市立公園’です♪ -
一歩足を踏み入れると、開放感があってとても爽やかな感じ!
駅への近道があるので、通勤途中の人もいますよ!
こんな感じでベンチが並んでいるのもウィーンらしいですね(^^) -
こっちは自転車通学でしょうか(^^)?
-
この公園は観光客にも大人気♪
というのも園内のあちこちに、ウィーンを代表する音楽家や偉人達の彫像が配置されているから(^^)
こちらは’シューベルト像’
ウィーンで生まれ育ち、ウィーンで没した彼の生涯は、わずか31年と短いものでしたがとても充実していたようです。
少年期には、ウィーン少年合唱団の一員として王宮礼拝堂で歌っていました。 -
’フリードリヒ・フォン・アメリング像’
台座に絵の具セットのレリーフがありますね!
アメリングは、19世紀のウィーンで活躍した画家です。
金銀細工師の家に生まれ、伝統的なアカデミーで学んだ後パリやローマに留学しました。
特に肖像画が素晴らしく、まるでその人の息遣いが聞こえるような優しく上品な描き方をしているのが特徴。
2012年の’リヒテンシュタイン展’にも何点か展示されていたので、お気に入りの人もいるのでは?
皇帝フランツ1世や貴族達の注文が多かった、というのも納得です! -
冬の厳しいウィーン。
陽射しの降り注ぐ緑いっぱいの公園は、市民の憩いの場です(^^) -
豊かな自然の景観を楽しめるよう、イギリス風に設計された公園です。
-
秋らしく、ススキの穂も風にそよいでいます。
-
前を見ると、時計塔がありました。
でも、10:30前?
なんと30分も進んでいますよ!
ここは待ち合わせスポットみたいだけど、大丈夫かな~?
みんなスマホを見ています(^^; -
こちらの彫像は、’HANS MAKART’(ハンス・マカルト)
衣装やポーズが何だか演劇的?
それもそのはず、19世紀にリンク大通りの都市計画が持ち上がった時の芸術担当でした。
元々は歴史画家として活躍。
その正統派スタイルは、当時の都市計画で主流だった古典様式にも合致し美術史博物館、自然史博物館の室内装飾や、オペラ座、ブルク劇場の舞台芸術なども任されるようになりました。
フランツ・ヨーゼフ1世とシシィの銀婚式パレードの時も、羽飾りを付け白馬にまたがった姿で先導し祝祭ムードを華やかに盛り上げたそうですよ♪ -
そしてこちらが、観光客のお目当て、’ヨハン・シュトラウス2世’
「ワルツの父」と称されるヨハン・シュトラウス1世の長男で、「ワルツ王」と呼ばれています♪
1921年の除幕式では、ウィーンフィルがこの前で’美しく青きドナウ’を演奏したそうですよ。
作られた当初も金色でしたが、実は1935~1991年の間は金が剥がされた状態でした。
第一次大戦の敗戦を受け、金では贅沢過ぎるということでなんと、黒色に・・・ -
ちょっと想像できませんが、とにかく元通りになって良かったですね!
バイオリンを弾きながら指揮をとっていたヨハン・シュトラウス2世の姿が再現されています♪
周りを囲んでいるのは、純白の大理石で彫られた’ドナウの乙女達’です。 -
公園内の案内板。
こうしてみると、さっきの池はかなりの大きさです!
川はドナウ川の支流、ウィーン川ですがコンクリートで護岸されていました。 -
ただ今、10:00前。
こちらの花時計は正確です(^^;
向こうに見えるのは・・・ -
’クアサロン’
1867年に建造された、ルネサンス様式の瀟洒な建物です。
クア、とあるように当初は療養所として建てたもの。
1868年にヨハン・シュトラウスコンサートが開催されてからは、市民のためのコンサートサロンとして定着しました♪
オペラやコンサートのオフシーズンでも、ほぼ毎晩ウィーン風コンサートが楽しめます(^^) -
公園から出ると、このような門がありましたよ。
レストランも併設されているようです。 -
リンク大通り沿いに建つ、ホテル’マリオット’
この辺りには団体ツアー向けのモダンなホテルが多いようです。 -
’NEUBAUER’
有名なバイオリン工房のようです。 -
市立公園の近くにある’ベートヴェン広場’まで来ました♪
30歳過ぎという若さで音楽家にとっては致命的な難聴を患い、自然の中に身を置くことを好んだベートーヴェン。
深い絶望のあまり、弟に遺書を書いたこともあります。 -
ベートーヴェンが生まれたのはドイツのボン。
音楽家の父から第二のモーツァルトになるようにと、厳しい英才教育を受けました。
17歳の時、モーツァルトに師事するためウィーンを訪れています。
ウィーンに着いてまもなく母が危篤になったためボンに戻り、22歳の時に再びやって来た時はすでにモーツァルトは亡くなっていました。 -
その後もベートーヴェンはウィーンに留まり、1827年に亡くなるまでの35年間をこの地で過ごしました。
その間何十回も引越しを重ねたため、ウィーン周辺にはベートーヴェンゆかりの場所がたくさん残っています。 -
1866年、ネオゴシック様式で建てられたこの風格ある建物!
一体何だろう~?と思ったら・・・ -
’AKADEMISCHES GYMNASIUM WIEN’のプレートがありました。
なんと、普通科の高校(ギムナジウム)です(^^;
現在のオーストリアの学校制度は、18世紀の半ばに女帝マリア・テレジアがその基礎を築いたもの。
オーストリア継承戦争の苦い経験をふまえ、従来の封建制度から中央集権的な近代国家を目指して大胆な政策を次々と打ち出しました。
教育制度においては、小学校を新設し義務教育を実施。国民に学問を奨励しました。
オーストリアの公教育は、学費、通学費など無料だそうですが、こうした優れた指導者がいたからこそですね!
ちなみに海外からの留学生に対しても同様のサポートがあるようです。
恵まれた環境で本格的な音楽教育を受けるため、優秀な日本人もたくさん学んでいます♪ -
’コンチェルトハウス’
ユーゲントシュティール(世紀末様式)の上品な建物。1913年完成。
フランツ・ヨーゼフ1世もこけら落とし公演に臨席しました♪
オープン時より、クラシック音楽に限定せず国際色豊かな多彩なプログラムをモットーとしています。
音楽家たちが活躍できる場がたくさんありますね! -
自転車の一群が軽やかに通り過ぎていきます(^^)
ウィーンの街を疾走するなんて、気持ち良さそう! -
朝の公園から、リンク大通りと結構歩いたのでそろそろカフェ休憩します♪
9月半ばなのにまだ残暑がきつくて、のどもカラカラに・・・
お目当ては向こうに見える歴史的なカフェ’シュバルツェンベルク’ -
通りのど真ん中に建つ立派な騎馬像。
元名門貴族のシュバルツェンベルク公だそうです。 -
この辺りは、トラムが右へ左へと行き交っています。
これは新型車両。 -
こちらは旧型車両。
安全確認している車掌さんが、のどかな感じです(^^) -
交通量が多くなってきたので、横断歩道を渡らないと危険です。
-
こちらがカフェ’シュバルツェンベルク’のエントランス♪
テラス席はすでにたくさんのお客さんで賑わっています。 -
店内の様子♪
1861年創業と、リンク沿いで最も古いカフェ。
さすがに歴史と伝統を感じます。
大理石のテーブルと曲げ木の椅子、というのがトラディショナルなスタイル。 -
シャンデリアもクラシカル♪
夜もきっと素敵な雰囲気なんでしょうね! -
そして、給仕は黒服の男性(^^)
-
こちらがメニューです。
冷たいものが飲みたかったので、搾りたてグレープフルーツジュース(4.8ユーロ)とアップルジュース(3.9ユーロ)を注文。
とても濃厚なフレッシュジュースでした! -
窓側の席だったので、外の様子も見えましたよ♪
-
木立ちの向こうに建っているのは、’ホテル・インペリアル’
ジュースで元気をもらって、街歩き再開です♪ -
街角のモーツァルト達♪
昨夜の’モーツァルト・コンサート’のチケットを販売中。
この後もあちこちで声をかけられましたが、「もう行ったのよ。とても楽しかったわ!」と言うと、みんな「それは良かった!」と笑顔を返してくれました(^^) -
’ホテル・グランド’
通り沿いのカップルシート(^^)
目立つので勇気がいりますよ! -
深紅のベルベットが、風格と気品を添えるエントランス。
-
少し歩けば’オペラ座’です。
-
ここをぐるっと周って、ちょっと寄り道をします(^^)
ハプスブルク家の華やかな歴史に欠かせない、とある場所へ・・・ -
歩行者専用の優雅な’ケルントナー通り’を横目に見て・・・
-
老舗カフェ’モーツァルト’を通り過ぎ・・・
-
’アルベルティ-ナ美術館’の向こうを目指します。
-
ワイン居酒屋、’アウグスティーナ・ケラー’の辺り。
もうすぐです! -
有名な階段♪
今回はゴッホ展なので、南アルル時代の傑作’種まく人’ -
マリア・テレジアイエローの素敵な建物がありました♪
でも、ここではなく・・・ -
ミヒャエル門に向かう道の途中。
目指す教会の尖塔が見えてきました! -
’アウグスティーナ教会’
ここはハプスブルク家にとって、とても重要な教会です。
元々は14世紀にぽつんと建てられたアウグスティン派の教会でしたが、17世紀の王宮増改築にともない王宮内に組み込まれた宮廷教会となりました。
納骨堂には、ハプスブルク家当主の心臓が安置されています。 -
内部は白とゴールドを基調としたゴシック様式。
窓からの光もふんだんに降り注ぎ、とても明るい感じです。
ただ、この時執り行われていたのは厳かな’お葬式’
中には立ち入れないため、後方で静かに拝観させていただきました。 -
ここは1634~1918年まで宮廷教会だったので、ハプスブルク家の様々な儀式も執り行われました。
1736年 マリア・テレジアとフランツ・シュテファンの挙式。
初恋を実らせた相手との幸せな結婚生活が始まりました。
1770年 マリー・アントワネットとルイ16世(代理)の挙式。
マリア・テレジアの末娘は政略結婚で仇敵ブルボン家に嫁ぎま
した。
1810年 ナポレオン1世(代理)とマリー・ルイーズの挙式
跡継ぎを欲しジョセフィーヌと離婚したナポレオンが、屈服さ
せたハプスブルク家の長女と再婚。
1854年 フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの挙式。
生涯にたった一度だけ母太后に反抗して、お見合い相手の妹と
結婚。
その後シシィは、心身の自由を求めて放浪の人生を送ることに
なります。
-
諸国が入り乱れ、陰謀や駆け引きで覇権争いが絶えなかった時代。
お互いの国益にかなう’政略結婚’は、当時ごく当たり前のことでした。
マリア・テレジアも、国のために16人も子どもをもうけ娘達を次々と’切り札’として相手国に嫁がせています。
そこに見えるのは母としての愛情よりも、国を最優先させる女帝の冷徹さ。
そんな中で一人だけ、恋愛結婚を許され幸せな生涯を送ったのが・・・ -
’マリア・クリスティーナの記念碑’カノーヴァ作(1805年)
マリア・クリスティーナはマリア・テレジアの誕生日に生まれた四女。
幼い頃から聡明だったマリアは、母に溺愛され政略結婚からも逃れることができました。
お相手はザクセン公のアルベルト。
小国ながらも幸せな結婚生活を送り、56歳でその生涯を終えています。
この記念碑はその死を悲しんだアルベルトが、カノーヴァに依頼したもの。
「最高の妻へ アルベルトより」という碑文が刻まれています。
(正面に行けなかったので、斜めからの写真です) -
静かに佇んでいる教会の長椅子。
-
’ヨーゼフ2世広場’
騎馬像の主は、マリア・テレジアの跡を継いだ息子ヨーゼフ2世。
啓蒙主義的な政策を次々と実施し、更なる近代化を推進した皇帝です。 -
農奴解放、宗教寛容、行政や教育の改革など、それまでの特権的な保守層(教会や貴族勢力)から抵抗されながらも市民生活の向上に努めました。
子どもが授からず悩んでいた妹のマリー・アントワネットのために、ルイ16世に進言した話も有名です。
モーツァルトの映画にも登場しましたね(^^) -
ミヒャエル宮の通路を通って、再びリンク大通りに向かいます♪
-
途中には、レトロな雰囲気のお店が並んでいますよ(^^)
-
王宮(ホーフブルク)コンサートのチケット売場♪
ホーフブルク・オーケストラによって、’舞踏の間’や’祝祭の間’で開かれるコンサート。
絢爛豪華な王宮の中で、モーツァルトやヨハン・シュトラウスなどの世界に浸れるので観光客に人気があります(^^) -
渋い雰囲気のお土産屋さん。
-
プティポワン専門店’マリア・シュトランスキー’
プティポワンは、マリア・テレジア時代の宮廷で生まれた繊細なゴブラン織り刺繍のこと。
ロココ風の花柄が細かくステッチされた小物やバッグを持てば、気分は貴婦人♪
私もアンティークのパーティバッグを持っています(^^; -
おじさま方がビールを飲んでいますね。
ソーセージやパテなどのおつまみもあります。 -
お土産屋さんのショーウインドー。
ハプスブルク家の紋章が入った陶器製のビアマグ、カッコいいです♪
下の段にある鎧の騎士達も!
ただお値段が分かりませんでした(^^; -
通路を抜けると、広々とした王宮の中庭です。
-
ナポレオンに屈服し、最後の神聖ローマ帝国皇帝となったフランツ2世。
その後、オーストリア皇帝フランツ1世を名乗ることに。 -
ハプスブルク家の王冠と皇帝カール6世の紋章。
美しい女神達に囲まれていますね。 -
一番古いスイス門の紋章。
13世紀末に造られたので、この時はまだ単頭の鷲です。
単頭の鷲はローマ帝国の紋章だったので、後継者を自負する神聖ローマ帝国も権威の象徴として用いました。
双頭の鷲が定着するのは、15世紀になってから。
紋章の歴史も奥が深いですね。 -
フィアカーの行き交う英雄広場に出ました♪
この先のブルク門を抜けると、リンク大通り。
ここからの街歩きは、フランツ・ヨーゼフ1世の都市計画によって次々と誕生した壮麗な建築物をウオッチングします!
オペラ座を皮切りに、国会議事堂や市庁舎、ブルク劇場、ウィーン大学などが立ち並ぶさまは、「まるで西欧建築様式の野外ミュージアム!」と言われるほど♪ -
城壁が取り壊され、トラムの路線となった大通り。
-
なんと、フィアカーも一緒に並走していてビックリしました(^^)
-
リンク大通り沿いにまず目にしたのが、ギリシャ神殿風の’国会議事堂’!
民主主義発祥の地、ギリシャの古典様式が国会議事堂にふさわしいということで採用されました。
1833年完成。 -
英知を司るアテナ女神像。
右手に持っているのは、勝利の女神二ケです。 -
騎馬像の躍動感が感じられるアングル(^^)
-
国会議事堂のお隣は、’ラートハウス・パーク’
’市庁舎’前に広がる大きな公園です。
やっぱりベンチはウイーン式。
くっついて並んでいますよ(^^) -
次に目を奪われたのは、華麗なネオ・バロック建築の’ブルク劇場’♪
ヨーロッパ演劇界でも最高峰の劇場と称されています。1888年完成。
階段ホールに、初期クリムトの貴重な天井画があることでも有名。
豪華な劇場内を巡る内部見学ツアーが、毎日15:00から開催されています。 -
’ブルク劇場’にちょうど向かい合う形で’市庁舎’が建っています。
こちらは5本の尖塔が高くそびえる、ネオ・ゴシック様式。
窓や外壁の装飾も、手の込んだ繊細な造りの建物です。1883年完成。
市庁舎前の広場は、何だかとても賑やかな雰囲気。
そう、街の看板で見かけたあのサーカスが開催中です♪
両側に、ずらりと食べ物屋さんも。
年間を通してイベントや祭典が行われるので、何かしら楽しめる広場です(^^)
7~8月は夏のフィルム映画祭(巨大なスクリーンで野外上映されます)
クリスマス前は’アドヴェント・マーケット’
1~3月は’アイスドリーム’という屋外スケート場など♪ -
市庁舎の真ん中の尖塔は、約105mとウィーンで一番の高さです。
頂上に立っているのは’市庁舎の男’(ラートハウスマン)と呼ばれる騎士。
「隣の’ヴォティーフ教会’(99m)より高くならないように」という皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の要望で建物全体の高さを98mにおさえ、騎士像を設置することで今の高さを実現したそうです。 -
こちらがサーカスの入口のようです♪
まだ開演前なのか、ゲートが閉まっていました。 -
近くで見上げてみると、高さが実感できます。
窓辺に飾られた赤いお花がアクセント♪
市庁舎は週3回(月・水・金)行われるガイドツアー(無料)によってのみ、内部の見学が可能です。
時刻はただ今12:45過ぎ・・・
ツアーは13:00開始なので、撮影しながらも急いで入口を探します! -
参加者は、市庁舎内のインフォメーションセンターに集合、なのですが・・・
その入口がどこなのか、中々見つかりません。
ぐるっ~と半周ほど回って、ようやくそれらしき場所を発見!
なんと市庁舎の真裏でした(^^; -
中に入ると、美しいゴシック空間が広がっていました♪
観光情報のパンフレットなどもたくさん置いてあります。 -
このカウンターで、直接申し込みます(事前予約は不要)
身分証明書(パスポートのコピーでも可)を預け、オーディオガイドを借りました。
(残念ながら日本語はなし) -
皆さん、こんな感じで待っています(^^)
しばらくするとガイドさんが登場♪
ドイツ語と英語による説明が始まりました。 -
ガイドさんと一緒に中庭へ。
-
ここは、かつて馬車を停めるエリアだったようです。
今は遊歩道やベンチが整備されて、訪れた市民が一息つけるような感じ(^^) -
どっしりとした趣きのネオ・ゴシック建築に囲まれた空間。
外観からは分からなかったので驚きました!
ちなみに市庁舎は、横巾127mに対して奥行きは152m。
このような中庭がいくつか造られた回廊型の建物になっています。 -
ガイドさんの説明に耳を傾ける人、オーディオガイドを聞く人・・・
皆さん、まちまちのようです。 -
市庁舎は1872~1883年にかけて建てられ、1885年に市役所としての機能が完全に移行したそうです。
それまでは昨日見た’旧市庁舎’が活躍していました。 -
中庭を囲む回廊を見ながら、建物内に戻ります。
-
重厚な大理石の階段ホール。
-
ここを上っていきます。
-
まるで宮殿のようにゆったりした階段。
赤じゅうたんの上を歩くのは、とても厳かな気分です。 -
いつも最後に自撮りをしていた女性(^^)
-
2階の廊下を歩きます。
-
廊下には、写真のようなクロークがずらりと並んでいました。
というのも、市庁舎内には長さ71m、巾20mの’祝典ホール’があり、毎年盛大な’舞踏会’が開催されているそう♪
一度に1500組のカップルが同時にワルツを踊ることができる、華麗な空間があるそうですが・・・
残念ながら今回の見学ルートには入っていませんでした。 -
きっと舞踏会の日には・・・
華やかに着飾った紳士&淑女達が、ここを優雅に歩くのでしょうね♪ -
続いて通されたお部屋。
何かのセレモニーが行われた場所だったような?
市庁舎内には、大小合わせて1575室あるそうです。 -
壁には、由緒ありそうな布製の古い紋章が並んでいますが・・・
いつも撮影しながら最後にガイドさんに追いつくので、全く聞き取れず(^^;
この頃はオーディオガイドも何番なのか?もはや分からなくなっています。 -
真ん中あるのは、オーストリアの紋章ですよね。
-
2階の途中にはバルコニーがあって・・・
-
中庭全体を見渡すことができますよ♪
-
いよいよ次は、ウィーン市議会の議場です。
ウィーンは単独で連邦州と同じ地位を有するため、ウィーン市議会は連邦議会と対等の位置付けになります。
この市庁舎も、当時のウイーン市が主導して建設したもの。
(他の公共建造物は、帝国政府が音頭をとりました) -
窓には色鮮やかなステンドグラス。
中央には、巨大なシャンデリアが吊るされています。
向こうの壁に見えるのは・・・ -
堂々たる女帝マリア・テレジアと息子のヨーゼフ2世が中央に描かれたフレスコ画。
-
一般的に’女帝’と呼ばれるマリア・テレジアですが、表向き皇帝位についていたのは夫のフランツ1世(フランツ・シュテファン)
フランツ1世が亡くなった後、ヨーゼフ2世が皇帝位を継ぎマリア・テレジアと共同統治を行いました。
はじめは上手くいっていた二人・・・
ところが、ヨーゼフ2世が啓蒙思想に傾倒し進歩的な改革を進めるようになると、次第に意見の対立が目立つようになります。 -
何しろ、時は’フランス革命’に象徴されるように絶対君主制から市民革命へと歴史が大きく動いていた時期。
二人ともその身を案じていたマリー・アントワネットが、国民の反感を買い公開処刑までされた時代です。
ともに人気のあった二人とはいえ、政治の舵取りがいかに難しかったか・・・ -
こうして議場に腰かけていると、様々なことが感じられます。
-
市民のための傍聴席でしょうか。
-
天上の様子。
-
木製で金箔の貼られた格子天井。
-
真ん中に吊るされた巨大なシャンデリア。
建設当時、あまりにも巨大なために、窓が取り付けられる前に運び込まれていたそうです。 -
紋章のあるステンドグラス。
-
そして、ツアーの最後はこちら。
-
旧市街を囲む城壁が残っている頃のウィーンが描かれています。
-
ここから再び一階に下りて、約50分のツアーが終了し解散となりました。
-
時刻は、ちょうど14:00。
お昼抜きだったので、さすがにお腹が空いてきました・・・!
ランチはこちらでいただきます(^^) -
市庁舎にある昔から有名な、’ラートハウス・ケラー’♪
外観からは全く想像できませんが、地下に広~い空間があって内装の異なるレストランがいくつかあるのです。
2005年に大々的に改修されて、更にバージョンアップしたもよう!
雰囲気だけでなくお料理、サービスとも評価の高いレストランなので楽しみです♪
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