1987/09/07 - 1990/05/05
375位(同エリア786件中)
みどくつさん
1989年6月16日、僕はいよいよ南米観光のメイン、マチュピチュ遺跡へと向かう。
切符は前日に、マチュピチュ遺跡への列車が出るサン・ペドロ駅へ行って購入していた。
ナスカの安ホテルで一緒になった薬剤師くんと一緒だ。
昨日、切符を買うときに、駅の窓口でちょっと迷っていたら、クスコの旅行代理店の人が、買い方を親切に教えてくれた。
クスコからマチュピチュ遺跡への往復切符がプルマン(という列車のクラス)で35000インティ。
この時期のペルーの通貨インティは毎日上下していたが、だいたいは1ドル=3000インティと考えられるので、約12ドル(この時期1500円程度)だ。
この列車は出発が午前5時半、帰りが午後4時。
帰りを一応翌日の17日にしたが、おそらく今日16日に戻ってくるつもり。
午前4時に起きて、4時45分にホテルを出る。
真っ暗なクスコを歩いて、駅に5時到着。
とても危険だといわれていたことだが、男2人なのでとにかく行ってみた。
夜明け前の駅前には、荷物を持った人がたくさんいた。
普通の列車があって、その前に観光客用の「PULLMAN」を少し遅れて先頭に連結する。
午前5時半、時間通りにマチュピチュ行きの列車はサンペドロ駅を出発する。
座席指定なので、薬剤師くんとゆったりと話をしていると、薬剤師くんが「切られた!」と声をあげる。
薬剤師君のデイパックが、きれいにスパッと、切られている。
あわてて中身を調べるが、何もなくなっているものはない。
それまで聞いていた話では、「クスコの切り裂き泥棒はバッグを切るだけで、なにもしない。ただバッグから物が落ちてくるのを拾うだけだ」ということだ。
2人ともかなり注意をしていたつもりだったが、見事に(おそらくは)駅の人ごみできられたわけだ。
このあとも、クスコで協力隊の若者に会ったが、彼のデイバッグは切られたあとだらけだった。
それを縫って補修してあったのが笑えたね。
この時期、南米では「クスコのバッグ切り」はチョー有名だった。
南米旅行中の旅行者がバッグに切られた跡があると、「あ、クスコへ行ったでしょ!」とズバリ当てられたというほどなんだよ。
でも、僕でなくてよかった♪
実は、僕がこの薬剤師君と一緒に夜明け前のクスコの道を歩いたのはこれが理由だったのだ。
薬剤師君はちょっと痩せ型で、そんなに強そうには見えない。
僕は一応がっしりしていて、強そうに見えないことはない(実際は弱いけどね)。
二人が並んで歩いていたとして、切り裂き泥棒はどちらのバッグを狙うだろうか?
もちろん、痩せ型で弱そうな薬剤師くんのほうだ。
ナイショだが、僕はそれを考えていたんだ。
だから、僕ではなくて薬剤師くんのデイバッグが切られたことで、僕の理論が証明されたってわけ。
僕が心の中で「攻撃は弱いところに集中する」という理論を2人に適用していたことは、黙ってたけどね。
列車はクスコを出たあとすぐに、スイッチバックをやりながら山を登っていく。
高いところからクスコの市街の灯りが見えたのは感動的だった。
列車の中では、昨日切符を買うのを手伝ってくれたクスコの旅行代理店の若者が声をかけてきた。
挨拶をして、世間話をする。
彼は僕の席21番を彼の席18番に変えてくれた。
それで、列車の左側のステキな景色を見ることが出来たよ♪
途中でクスコを6時15分発の「AUTOWAGON」が追い抜いていった。
列車が104km地点に来ると、欧米人旅行者がここで数人降りた。
104km地点から、マチュピチュまでのトレッキングルートがあるということだ。
午前10時にマチュピチュ遺跡駅へ到着する。
すると…。
(マチュピチュ1)
- 旅行の満足度
- 4.5
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