1987/09/07 - 1990/05/05
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みどくつさん
これは、1988年の春、僕がバルセロナでスペイン語学校に通っていたときの話。
2月10日を過ぎると、バルセロナのランブラス通りに急に日本人学生の姿が増える。
この時期のヨーロッパは旅のオフシーズン。
だから、こぎれいな身なりをした東洋人の若者が数人固まってきょろきょろ歩いているとすごく目立つ。
みんな同じ旅行案内書(あの「地球の何とか」というとんでもない本だよ)をポケットにいれ、手に持っている。
スペイン語はおろか英語もまともに話せないのが共通している。
まあスペイン人も英語はほとんど話せないのだから変わりはないんだけれど。
行く所も(某洋酒メーカーのコマーシャルで有名になったというだけの理由で)ガウディの建築がメインだ。
特にサグラダファミリア見学は、日本人が集まっているのが興味深い。
何しろサグラダファミリアの受付には日本人専用に日本語で書かれたパンフレットが置いてあって寄付を募っている。
来場記念に記帳するノートの80%が日本人の名前だ。
でも僕は「みんながみんなサグラダファミリアに感心する割りに、寄付が少ないじゃないか」なんてイヤミは言ったりしないよ。
日本人のやることはしょせんファッションなんだって知ってるからね。
さて、僕はスペイン語を学ぶという建て前で、バルセロナのインターナショナルスクールという英語学校に通っていた。
英語学校に外国人向けのスペイン語学校が併設されていたのだ。
むろんバルセロナのように朝からバールで小学生がビールを飲むという評判のある町で、酒好きの僕が勉強に集中できるはずがない。
試験を受けて張り切って入学した中級クラスから2週間後には、なぜか、初級クラスに移ってしまっていた。
バルセロナの英語学校のスペイン語クラスは、世界各国からの学生が集まっていた。
アメリカ人・イタリア人・イギリス人・スゥエーデン人・フランス人・南アフリカ人の年齢もさまざまだ。
午前中3時間の授業が終わると、まず学校付属の喫茶店で時間をつぶし、午後1時までレストランが開くのを待つ。
そこで誰かが提案する今日の「安くておいしい」お薦めのレストランに向かうことになる。
ぼくらの行くレストランは、スープ・肉料理・サラダ・パエージャ(またはパスタ)・デザート、それにワインのハーフボトルがついて1人当たり500ペセタぐらいだ。
この頃のスペインの通貨ペセタはだいたい1ペセタ=1円という換算レートだったので、約500円といった所だ。
これに当然ワインのフルボトルを数本追加して、4時頃まで同じテーブルでくだをまく。
これが昼食時間で、このレストランはこの後一時店を閉めて、また夕方店を開けることになる。
ここで知り合った日本人学生が、神戸大学の古谷君。
卒業旅行でイラン・イラク戦争のただなかをインドからイスタンブールまでバスで旅行をした。
飛行機でバルセロナまで飛び、スペイン語学校に通い出した。
僕は、学校の白人とつき合うのにすこし飽きてきていた。
授業が終わった後、イギリス人のトムとアメリカ人のフィービーちゃんが昼食に誘うのを断って、僕が古谷君に言った。
「昨日、けっこう可愛い日本人の女の子を見たよ。しかも団体で」
「卒業旅行のシーズンですからね。学生のくせにツアーで旅行するなんて、あいつら何を考えてるんでしょうかね」
「僕は学校が終わったらね、日本人の女の子を見つけて町を案内してあげようと思ってるんだ。暇だし外人と飯食うのも飽きちゃったしね」
「西本さん、それはナンパってことじゃないですか!」
「日本ではそういうかもね。でもスペインでは女の子に声をかけるのは礼儀だもの」
「そういえばそうですね。スペイン流を教えてあげるのも親切ですよね」
学校の初級クラスでも落ちこぼれ、すっかりラテン系の人間になっていた古谷君と僕は、こういうところはぴったりと息が合う。
早速2人で足取りも軽く、ランブラス通りに出かける。
学校は通りの北の端カタロニア広場のすぐ近くにある。
広場に出て南へ、コロンブスの像のある港の方向へ歩き出す。
道路の中央が歩行者用のプロムナードになってて小さな店がいっぱい並んでいる。
道の両側に並ぶ街路樹が屋根になって日陰を作っているが、それでも地中海の明るい日差しは葉の間からたくさんこぼれ落ちてくる。
いるいる。
2〜3人ずつ固まってウエストポーチをつけて不安そうに歩いている女の子たち。
紛れもなく懐かしいセニョリータス・ハポネサス(日本人の女の子たち)だ。
女の子が多過ぎて目移りをしてしまうね。
どれにしようかな?
「西本さん、あの子がいいですよ」と古谷君が耳元でささやく。
小柄で痩せた可愛い女の子がちょっと不安そうな顔をして通りの花屋の前に一人でいるのを見つけたのだ。
「こんにちは!日本人でしょう?町を案内してあげようか」と、僕が声をかける。
女の子は急に日本語で話しかけられて、ちょっとびっくりしたようだった。
「バルセロナにはずいぶん長くいるんですか?」と、不安そうに聞く。
僕を不審そうな目で頭のてっぺんからつま先まで見る。
いい年をしたおじさんがジーンズとアーミージャケットを着て、髭を生やした若い学生と一緒ににこにこして立っている。
これの、いったいどこが変なのだろう?
「そうね、僕たちここでスペイン語学校に行ってるからね。ずいぶん長いよ」
「それじゃあ、あの花屋さんに写真取ってもいいかどうか、スペイン語で聞いてくれません?ヨーロッパじゃ勝手に写真取っちゃいけないっていうでしょ」
ドキッ!
そんなことを急に言われても困るよ。
なにしろ連日、午後1時からワインを2本開けての食事、その後のビール、寝る前のナイトキャップのシェリー酒といった酒びたりの生活。
日本で覚えたスペイン語のほんのすこしの単語も忘れているくらいなのに。
「そんなこと聞かなくったって、スペインは大丈夫ですよ。写真を撮っちゃまずいのはフランスのことですよ。ここは大丈夫、ぼくらずーっとここにいるんですから」と古谷君がうまくごまかす。
なぜこの頭の良さがスペイン語の授業中に出ないのだろう。
不思議だ。
「じゃあ、写真取ってあげるから花屋さんの前に立ってごらん」と、僕。
すると女の子はぼくらをじろっと睨みつけてこう言った。
「わかってるわよ。あなたたち私のカメラ持って逃げる気でしょ。わたし陸上競技やってるんだから、足速いのよ。逃げても追いついちゃうから!」
古谷君と顔を見合わせ、こいつの顔は確かにどこか怪しげだと、お互い納得する。
泥棒じゃないことを証明するために古谷君のバッグを女の子にもたせて写真を撮ってあげる。
冗談好きの僕も女の子の言葉に衝撃を受けて、カメラを持って逃げるギャグをする気もない。
食事に誘っても「今夜はツアコンと5000円のパエージャ(!!)の約束があるから」と断られてしまう。
それにしてもおかしな話だ。
僕たちの知ってるとてもおいしいパエージャだって、鍋に山盛りで2人で600円なのに。
ショックでナンパを続ける気がしぼんでしまった僕たちは、暇つぶしに一木さんのところへ行くことにする。
一木さんはバルセロナで日本人向けペンションを始めようと内装工事をやってる最中だ。
旅行経験もずいぶんある人なのでこの話を聞かせたら何かアドバイスをくれるかもしれない。
僕らが訪ねていくと、一木さんは仕事の手を休めてお茶に誘ってくれた。
僕たちの話を聞いて、言った。
「それはだね、ツアーの添乗員のせいだな。スペインに長くいる日本人にはろくなのがいないからと注意してるんだ。僕にも経験があるよ。以前、日本人の女の子が道に迷ってるようだったので教えてやろうと近づいていくと、逃げるんだよ。結局誤解だとわかったんだけど、その時もツアコンがスペインにいる日本人について、ずいぶんひどい話をしてたものな」
なーるほど、そうだったのか。
つまり「長期にスペインに滞在して語学学校に通ってる」という僕たちのセールスポイント(と思いこんでいたもの)は、ツアーで来る女の子たちに取っては最低最悪、極悪非道の要注意人物の証明ということになっていたのだ。
パエージャの件も、添乗員とレストランが組んででっちあげた、特別に高くて添乗員へのリベートも含んだ、日本人向けのコースという話だ。
でもまあそれはこんなやくざな業界では良くあること。
もともとこんなツアーに参加する方が悪いのだ。
僕たちは女の子に逃げられた理由さえわかればそれでいい。
そこを訂正すれば良いだけだ。
僕らは2人とも関西の国立大学に通った、結構頭のいい、機転のきくアホな人種だ。
古谷君と僕は、またランブラス通りへ戻った。
2人組の日本人の女の子を見つける。
何か捜してる雰囲気だ。
「こんにちわ!日本の方ですか?」僕が、あくまでもさわやかに声をかける。
「ええ、そうですけど」
「ああ良かった!僕たち今日バルセロナに着いたばかりなんですけれど。おなかすいちゃって。どこか、いいレストラン知りませんか?」
これでバッチリさ。
旅慣れてない旅行者みたいだもの。
女の子たちは顔を見合わせて、後ずさりをしながら返事をした。
「えーっ。私たちも知りません!」
古谷君があせって一歩乗り出して、言った。
「僕たち、安くておいしいところ知ってますから、一緒に食事しませんか?」
おいおい、僕たちは「今日バルセロナに着いたばかり」なんだよ。
「結構です。間に合ってますから」
女の子たちは何か危険を感じたみたいに、夕闇のせまるランブラス通りから足速に去っていった。
「あーあ、逃げられちゃった」
2人、顔を見合わせて、ため息をつく。
古谷君が、つい地を出して関西弁で言う。
「だっさい女やなぁ。今まで男に声をかけられたことないんとちゃいますか!」
「無理もないよ。日本というアジアの片田舎から、ヨーロッパに出てきたばっかりなんだからさ」
「どうも日本人というのはヨーロッパの感覚に合いませんね」
「やはり僕たちってさ、スペインに長く居過ぎて、インターナショナルになっちゃったから、日本人とずれてるんだよ」と推論する。
「ランブラス通りをうろついてるような田舎者の日本人とは感覚的に合わないんだ」と、僕が結論を出した。
古谷君は黙って少し考えた後で、きっぱりと言った。
「西本さん、僕は明日サグラダファミリアに行きますよ!」
僕はびっくりして古谷君の瞳をジーッと見たが、すべてを理解した。
僕は重々しく言葉を出した。
「じゃあ、僕はピカソ美術館の前で網を張ることにしようか」
2人はもうすっかり暮れたランブラス通りで、声を揃えた。
「頑張ろうぜ!」
おいおいこれじゃあ、僕たち、本当に怪しい人たちになってしまってるんじゃないのかい?
【旅行哲学】日本でできないことも、海外だと簡単にできる。それは、日本の自分が何かに囚われているからかな?
- 旅行の満足度
- 4.5
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