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唐津から玄界灘に沿って走るJR筑肥線で、「海の細道」の旅の最後の訪問地博多へ。<br /><br />博多駅には30数年来の友人が待っていてくれていた。<br /><br />芭蕉の西国行脚の夢を辿って長崎を旅した各務支考は、久留米から柳川に遊び、太宰府に足を進め天満宮に参詣した後博多にはいり、最後に小倉経由で下関を訪れる。<br /><br />博多は軍師黒田官兵衛(如水)とその息子長政が築いた福岡城の城下町。<br /><br />私は翌朝その福岡城の名残を最も残す大濠公園を訪れる。<br /><br />私の西国行脚に倣った「海の細道」の旅は博多を経由し、最後に太宰府天満宮を終着地とすると予め決めていた。<br /><br />それには2つの理由があった。<br /><br />理由その1:芭蕉が最期に詠んだとされる ”旅に病んで 夢は枯野を駆け巡り”の句の”枯野”は、九州筑紫野の事であったろうと云われており、太宰府天満宮は筑紫野のど真ん中に鎮座する故。<br /><br />理由その2:芭蕉は28歳で俳諧の道で身を立てる決意をし、郷里の上野天満宮に初の句集「貝おほひ」を奉納し、江戸へ発つ。<br /><br />芭蕉は西国行脚の旅をしたならば、天満宮の元祖太宰府天満宮を訪れ、芭蕉の句集の集大成とも云うべき”奥の細道”を奉納し、俳人として功成った事を報告し、感謝の意を捧げたかったでろうと思うが故。<br /><br />また個人的にも太宰府天満宮を訪れたい理由があった。<br /><br />私は”日本の神を覗く旅路”で夫々の宗派の総本山巡りをしたが、天神信仰の総本山として北野天満宮だけを訪れて太宰府天満宮に参詣していないことに、何処か心に後ろめたさが淀んでいた。<br /><br />*注:太宰府天満宮は菅原道真が没した地で905年に建立されており、北野天満宮は菅原道真の怨霊を恐れて、太宰府天満宮より42年後の947年に建立されている。<br /><br />私の芭蕉を追う旅は2011年4月、深川の「奥の細道」の”旅立ち”に始まり、2013年9月からは、芭蕉が晩年を過ごし永眠する琵琶湖湖南、芭蕉終焉の地・大阪を旅した。<br /><br />傘壽を迎えた今回の芭蕉の西国行脚の夢を「海の細道」に沿って辿った、私の芭蕉を追う最後の旅も、どうやら無事終えることができた。<br /><br />ここまで旅するのに5年を要している。<br /><br />これも天神様のお陰なのだろうか。<br /><br />12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮 目次<br /><br />12,-1青春の思いでに浸った博多の夜<br />12,-2福岡(黒田)城の外堀だった大濠公園<br />12,-3芭蕉が生前の最後の夢で駆け巡った筑紫野に鎮座する太宰府天満宮<br /><br /><br />奥の細道を訪ねて[第1回]旅立ちの第1歩松尾芭蕉ゆかりの深川(目次)<br />http://4travel.jp/travelogue/10559644<br /><br />奥の細道を訪ねて最終回(第16回)結びの地・大垣まで (目次)<br />http://4travel.jp/travelogue/10733786<br /><br />奥の細道を訪ねて:付録・芭蕉が愛し、永眠する琵琶湖湖南エリア(目次)<br />http://4travel.jp/travelogue/10819128<br /><br />奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 (目次)<br />http://4travel.jp/travelogue/10872827<br /><br />2016冬家族旅行プラス傘寿旅行・海の細道周遊旅情(目次)<br />http://4travel.jp/travelogue/11100593

傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮(目次)

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2016/01/28 - 2016/01/29

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WT信

WT信さん

唐津から玄界灘に沿って走るJR筑肥線で、「海の細道」の旅の最後の訪問地博多へ。

博多駅には30数年来の友人が待っていてくれていた。

芭蕉の西国行脚の夢を辿って長崎を旅した各務支考は、久留米から柳川に遊び、太宰府に足を進め天満宮に参詣した後博多にはいり、最後に小倉経由で下関を訪れる。

博多は軍師黒田官兵衛(如水)とその息子長政が築いた福岡城の城下町。

私は翌朝その福岡城の名残を最も残す大濠公園を訪れる。

私の西国行脚に倣った「海の細道」の旅は博多を経由し、最後に太宰府天満宮を終着地とすると予め決めていた。

それには2つの理由があった。

理由その1:芭蕉が最期に詠んだとされる ”旅に病んで 夢は枯野を駆け巡り”の句の”枯野”は、九州筑紫野の事であったろうと云われており、太宰府天満宮は筑紫野のど真ん中に鎮座する故。

理由その2:芭蕉は28歳で俳諧の道で身を立てる決意をし、郷里の上野天満宮に初の句集「貝おほひ」を奉納し、江戸へ発つ。

芭蕉は西国行脚の旅をしたならば、天満宮の元祖太宰府天満宮を訪れ、芭蕉の句集の集大成とも云うべき”奥の細道”を奉納し、俳人として功成った事を報告し、感謝の意を捧げたかったでろうと思うが故。

また個人的にも太宰府天満宮を訪れたい理由があった。

私は”日本の神を覗く旅路”で夫々の宗派の総本山巡りをしたが、天神信仰の総本山として北野天満宮だけを訪れて太宰府天満宮に参詣していないことに、何処か心に後ろめたさが淀んでいた。

*注:太宰府天満宮は菅原道真が没した地で905年に建立されており、北野天満宮は菅原道真の怨霊を恐れて、太宰府天満宮より42年後の947年に建立されている。

私の芭蕉を追う旅は2011年4月、深川の「奥の細道」の”旅立ち”に始まり、2013年9月からは、芭蕉が晩年を過ごし永眠する琵琶湖湖南、芭蕉終焉の地・大阪を旅した。

傘壽を迎えた今回の芭蕉の西国行脚の夢を「海の細道」に沿って辿った、私の芭蕉を追う最後の旅も、どうやら無事終えることができた。

ここまで旅するのに5年を要している。

これも天神様のお陰なのだろうか。

12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮 目次

12,-1青春の思いでに浸った博多の夜
12,-2福岡(黒田)城の外堀だった大濠公園
12,-3芭蕉が生前の最後の夢で駆け巡った筑紫野に鎮座する太宰府天満宮


奥の細道を訪ねて[第1回]旅立ちの第1歩松尾芭蕉ゆかりの深川(目次)
http://4travel.jp/travelogue/10559644

奥の細道を訪ねて最終回(第16回)結びの地・大垣まで (目次)
http://4travel.jp/travelogue/10733786

奥の細道を訪ねて:付録・芭蕉が愛し、永眠する琵琶湖湖南エリア(目次)
http://4travel.jp/travelogue/10819128

奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 (目次)
http://4travel.jp/travelogue/10872827

2016冬家族旅行プラス傘寿旅行・海の細道周遊旅情(目次)
http://4travel.jp/travelogue/11100593

同行者
一人旅
交通手段
JR特急 JRローカル

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