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記録的な豪雪は収まっていたものの重い雲が垂れ込め、大濠公園を後にする頃は雨となった。<br /><br />西鉄天神橋から西鉄二日市で乗り換え、終点太宰府へ。<br /><br />太宰府駅前の通りに沿って右へ進むと石の鳥居が迎え、ここが長い参道の入り口。<br /><br />参道の両脇には店が軒を連ね、よく見るとその大半が”梅ヶ枝餅屋”。<br /><br />カメラを向けると店のお兄さん方が愛想よくポーズを取ってくれる。<br /><br />お礼に買った梅ヶ枝餅をほうばり、店を冷やかしながら歩く。<br /><br />3番目の鳥居の前でやっと店やの連なりは終わり、漸く参道らしくなる。<br /><br />3番目の鳥居を潜ると山門の手前に紅白の鉢巻を絞めた、かの”御神牛”が横たわる。<br /><br />山門の先に”心字池”があり、朱の欄干の2重の太鼓橋が聖域へと導く。<br /><br />”手水舎”で身を清め、”楼門”を潜ると、正面に檜葺きの重厚な御本殿が姿を現す。<br /><br />御本殿の右脇に大きな梅の古木が茂り、「飛梅」の立て札が立つ。<br /><br />横に由来を記した案内板もある。<br /><br />しかしこの度のドカ雪で咲きかけた梅のはすっかり萎んでしまったらしい。<br /><br />ここが菅原道真公の墓所だったところで、後醍醐天皇の命で社殿が建てられる。<br /><br />現在の社殿は筑前国主だった小早川隆景が天正19年(1591年)建造したものと云うから、芭蕉が訪れていたら目にしたであろうと同じ御本殿。<br /><br />芭蕉の西国行脚の夢は、この御本殿に”奥の細道”を奉納することであったろう。<br /><br />私も2014年4月に始まった「奥の細道」の”旅立ち”からスタートした芭蕉の足跡を追う旅が、芭蕉の生まれ故郷伊賀上野、芭蕉がこよなく愛し、奥の細道の旅後の多くの時を過ごした琵琶湖湖南、そして大阪までの芭蕉の最期の旅路を辿り、傘寿を迎えるこの年(2016年)の旅まで、どうやら無事終えることができたことに感謝を込めて参拝。<br /><br />”絵馬”や”厄晴れひょうたん”が架かる御本殿裏に回り、身を縮めてしまった梅林を回遊し、再び御本殿の全面に出たところで、ひと株だけ健気に可憐な花をつけた紅梅に出会う。<br /><br />その脇にも多くの人の手で摩られ、金色に輝く鼻の”御神牛”が臥せっていた。<br /><br />最期に往路では目につかなかった、延寿王院”門前に建つ、菅原道真公の歌碑を拝して、”2016冬家族旅行プラス傘寿旅行・海の細道周遊旅情”の旅を終わりとします。<br /><br />この旅を終えて以降、2度、延べ3ヶ月の入院を余儀なくされ、旅行記のUPが遅れてしまいました。<br />それにつけても”海の細道の旅を終えていて、不幸中の幸いと感謝しています。<br /><br /><br />太宰府天満宮<br />http://www.dazaifutenmangu.or.jp/<br /><br /><br />傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮に戻る<br />http://4travel.jp/travelogue/11168532

12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮12,-3芭蕉が生前の最後の夢で駆け巡った筑紫野に鎮座する太宰府天満宮

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2016/01/29 - 2016/01/29

539位(同エリア1006件中)

WT信

WT信さん

記録的な豪雪は収まっていたものの重い雲が垂れ込め、大濠公園を後にする頃は雨となった。

西鉄天神橋から西鉄二日市で乗り換え、終点太宰府へ。

太宰府駅前の通りに沿って右へ進むと石の鳥居が迎え、ここが長い参道の入り口。

参道の両脇には店が軒を連ね、よく見るとその大半が”梅ヶ枝餅屋”。

カメラを向けると店のお兄さん方が愛想よくポーズを取ってくれる。

お礼に買った梅ヶ枝餅をほうばり、店を冷やかしながら歩く。

3番目の鳥居の前でやっと店やの連なりは終わり、漸く参道らしくなる。

3番目の鳥居を潜ると山門の手前に紅白の鉢巻を絞めた、かの”御神牛”が横たわる。

山門の先に”心字池”があり、朱の欄干の2重の太鼓橋が聖域へと導く。

”手水舎”で身を清め、”楼門”を潜ると、正面に檜葺きの重厚な御本殿が姿を現す。

御本殿の右脇に大きな梅の古木が茂り、「飛梅」の立て札が立つ。

横に由来を記した案内板もある。

しかしこの度のドカ雪で咲きかけた梅のはすっかり萎んでしまったらしい。

ここが菅原道真公の墓所だったところで、後醍醐天皇の命で社殿が建てられる。

現在の社殿は筑前国主だった小早川隆景が天正19年(1591年)建造したものと云うから、芭蕉が訪れていたら目にしたであろうと同じ御本殿。

芭蕉の西国行脚の夢は、この御本殿に”奥の細道”を奉納することであったろう。

私も2014年4月に始まった「奥の細道」の”旅立ち”からスタートした芭蕉の足跡を追う旅が、芭蕉の生まれ故郷伊賀上野、芭蕉がこよなく愛し、奥の細道の旅後の多くの時を過ごした琵琶湖湖南、そして大阪までの芭蕉の最期の旅路を辿り、傘寿を迎えるこの年(2016年)の旅まで、どうやら無事終えることができたことに感謝を込めて参拝。

”絵馬”や”厄晴れひょうたん”が架かる御本殿裏に回り、身を縮めてしまった梅林を回遊し、再び御本殿の全面に出たところで、ひと株だけ健気に可憐な花をつけた紅梅に出会う。

その脇にも多くの人の手で摩られ、金色に輝く鼻の”御神牛”が臥せっていた。

最期に往路では目につかなかった、延寿王院”門前に建つ、菅原道真公の歌碑を拝して、”2016冬家族旅行プラス傘寿旅行・海の細道周遊旅情”の旅を終わりとします。

この旅を終えて以降、2度、延べ3ヶ月の入院を余儀なくされ、旅行記のUPが遅れてしまいました。
それにつけても”海の細道の旅を終えていて、不幸中の幸いと感謝しています。


太宰府天満宮
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/


傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情12,「海の細道」の旅の終着地・黒田藩の城下町・博多と太宰府天満宮に戻る
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同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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