
2016/07/23 - 2016/07/24
69位(同エリア642件中)
ぺでぃまるさん
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前の旅行記で述べたように、土曜日の軽井沢のホテルの料金といったら( ;∀;)
そんなわけで移動がメインの初日は、軽井沢周辺にした方が、軽井沢の晩ごはん代くらいになるだろうと頭の中でそろばんパチパチ。松本も考えていましたが、できる限り近くに寄っておきたいと上田にしました。歴史好きにとって、上田の真田家というのは特別なモノの一つです。今も続く真田家へのリスペクトの精神を感じながら、短い間ですが上田を歩きました。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今年完成した“ルート イングランド”上田じゃなくて、“ルートイン グランド”上田にチェックインしましたが、何故か周囲に交通規制が引かれていました。全く前情報なく宿泊地を決めたのですが、正にこの日は祭り(上田祇園祭)の日だったよう。祭りの時の、何とも言えない浮ついた雰囲気がありました。
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所謂ルートインより、全体的に少しハイグレード仕様です。何より新しいなーって印象です。フロントの方は新人さんだったのか、道の質問にたどたどしかったのは、ホテルが新しいのもあるしご愛嬌ですかね。
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みすゞ飴本舗 飯島商店は、6種類の完熟国産果汁に寒天とグラニュー糖と水飴を加えてゼリーにしたみすゞ飴をはじめ、各種国産フルーツのお菓子を製造販売しています。お店は大正13年建築の登録文化財で、一見石造りのように見えますが、石目地という塗壁をした木造建築だそうです。
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上田の町を歩くと、至る所に大河の影あり。(大坂冬の陣と夏の陣で)倍返しだっ!!!
そういや奥さん、菅野美穂だな。 -
自動販売機もこれでもかと真田家仕様です。大河キャンペーンは滋賀では戦国がらみで慣れていますが、ここまでの熱さはすごいですよね。今は大河で石田三成推しですが、今回の大河の三成はもどかしいほど律儀で純情で不器用な感じが、今までのただ憎たらしいイライラ三成と違って新鮮ですわ。
そういや奥さん、堀北真希だな。 -
うわ〜、本格的な祭りやん( ̄□ ̄;)
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子どもは出店で食べたいと言っていたので、たこ焼きや唐揚げをつまんだものの、さすがにお腹を満たすまではいかない。祭りのためか、食べようと思ったお店も満席というmiserableな結果に。焼き鳥がそこそこ有名ということで飲み屋街方向に足を向けたが、子ども連れ旅行者にはハードルの高い雰囲気ばっかりでした。もっと歩くと写真を撮るのがメッチャ憚られるような飲み屋街もあったり、上田は昔からの中心地って印象でした。
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そこで上田らしい食べ物をっていうことで検索すると、独特のあんかけ焼きそばも有名とのこと。東信・北信地方を中心に食べられ、発祥の店の味と屋号を受け継がれた福昇亭におじゃましました。五目焼そば(あんかけ焼きそば)・ラーメン・ワンタンのみの潔いメニューと、そのミニサイズが組み合わされたセットで構成されています。たっぷりの野菜・豚肉・チャーシューで海のものがないのは、海なし県の近江ちゃんぽんに通じるものがあります(^^)
調べきっていなかった自分が悪いのですが、私の苦手な皿うどんのように麺を揚げているタイプでした(≧≦)フラットな視点で判断できる妻曰く、まあ普通だよねってことです。 -
さらに熱気を帯びてきた祭りの雰囲気からか、子どもは何となくテンション上がって、いらんことして(私に)怒られるパターン。
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小腹がすいたので、焼き鳥屋さんでチョイ飲みしたくなりました。好都合にカウンター空いていて、敷居の低そうな に入ることができました。食べて気付いたが、ここご当地のニンニク醤油の焼き鳥じゃないやん。間違えたことを子どもに説明したら、怒られた意趣返しとばかりニカニカ(・∀・)
予習は大事だねorz -
失敗も旅の楽しみではありますが、今日はご飯チョイスがイケてなかったな〜
明日からが本番の軽井沢、こういう時は早く寝ようヽ( ´O`)ゞ -
さて、早く目覚めた翌朝。女性の身支度は遅い一方、野郎どもは速攻で終了してしまいます。せっかくなので、妻はあまり興味なさそうな上田城址へ、子どもと朝の散歩と決め込みました。はしゃぐのは旅の楽しみとばかり、ちょこちょこ早いんですわ(-_-)
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上田城址には信州上田大河ドラマ館が設けられていました。上田と言えば、真田家は避けて通れませんので、以下その説明です。
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真田家が上田を本拠地としたのは、真田昌幸が上田城を築いてから昌幸の長男の真田信之が松代藩に移封されるまでの、たかだか40年に過ぎません。しかし昌幸によって徳川軍を寡兵で二度も撃退して、上田の真田家の名を天下に轟かせました。昌幸の次男の真田信繁(幸村)は大阪の陣で豊臣家と運命を共にした悲劇の名将として記憶され、信之は父・弟とは別れて徳川家に付くことで、明治まで真田家の家名を守ったのでした。
戦国武将としての武勇と悲劇が、真田家には凝縮されているためか人気がありますよね。 -
逆に気の毒な位に思うのが、信濃小諸(おとなりで東軍!)から真田家に代わって入った仙石家と、その後に但馬出石から入封して160年に渡って治めた藤井松平家(徳川ルーツの松平家!)です。上田は40年程しか治めていない真田家の町とばかり、真田一色で旗印の六文銭が町の至る所にありました。肥後熊本はほぼ細川家が治めていたものの、オラが町の殿様は加藤清正のパターンなんでしょうか。
上田城正門である東虎口櫓門の横にあるデッカイ石が、信之が(昌幸の形見と)松代に持って行こうとしたけど重すぎて断念した真田石です。 -
信之は第二次上田合戦で破却された上田城の再建を申請しましたが、徳川家トラウマの場所ゆえか、許されることはありませんでした。その後仙石家が入ってから上田城の再建が許されたのは、徳川幕府としては上田に真田家を置いておきたくなかったんでしょうね。という訳で、現在残っている上田城の遺構は仙石家によって復興されたものなんですね(´・ω・`)
しかし上田の人々の心は真田家にあるようで、城内にある藤井松平家を祀る松平神社を、明治になってから真田神社と改称なんかされてます。 -
真田神社の裏にある井戸は真田井戸と呼ばれ、抜け穴として上田城の北の砦に繋がっていたという伝説があるとのことです。
多分ないでしょうが、こういう浪漫感じるエピソードは嫌いじゃないですね。 -
六文銭は三途の川の渡し賃で、決死の覚悟であるという意味があります。強者に立ち向かう真田家の姿が、判官贔屓の日本人の心に合うから人気はあるんでしょうね。
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ホテルに戻る道中の電灯にまで六文銭。
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軽井沢に行く前に、妻子に少し自由をもらって、少し町の北側にある柳町に寄らせてもらいました。以下柳町に関して記します。
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上田城の再建が叶わなかった信之は、第二次上田合戦にて荒廃した城下町の再建に取り掛かりました。
軒並みの揃った平入りの町屋と石畳で、スッキリとした風景を構成しています。 -
旧北国街道沿いで柳の木が多かったことから名付けられた通りには、北国街道と上州街道との分岐もある交通の要衝として、参勤交代や佐渡金山からの金の通路として多くの往来がありました。旅籠屋や商家が軒を連ね、往時には呉服屋だけでも25軒あったと言われています
岡崎酒造は1665(寛文5)年の創業で、現在は女性杜氏が頑張っておられます(代表銘柄は亀齢)。 -
周囲の近代化に取り残されて偶然残った古い家並みを活かそうと、1992年に柳町まちづくり協議会が設立されました。景観協定によって歴史的景観の保全に努め、空き店舗への新店誘致が積極的に行われました。
この浅黄色の町屋は、カフェの森文。 -
取り組みが功を奏して、現在はベーカリー・カフェ・ワインショップ・酒造・蕎麦店などの店舗が並んでいます。
朝早いせいか、観光客の姿はほぼなかったです。上田の観光は上田城址で完結しちゃうのかな? -
でもこの柳町で残念なのは、道を挟んだ反対側には全くと言っていいほど町家が残っていないんです。そういう意味では、凄く期待してココに来るのはやめた方がイイですかね。
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上田は周囲を高い山々に囲まれているためか晴天率が高く、年間の平均降水量が約900mmと全国でも有数の少雨乾燥地帯です。逆に降雨量が少ないため、火災への備えが徹底していた上田には大火はありませんでした。しかし明治2年の争乱により町家は焼失し、町割りだけが残されることになりました。
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現在残っている町並みには、火に強い土蔵造りの建物が多いことからもそれを示しています。
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東京に本店を構える天然酵母パン屋さんの“ルヴァン”、粋なパン屋さんだわ。
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お店にお邪魔しましたが、パンの香ばしい匂いがたまりません。今回はパンは軽井沢で楽しもうと、グッと我慢しました(≧へ≦)
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これでもかと真田家をリスペクトする町・上田を後に、今回の目的地の軽井沢へと向かいました。
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