2016/06/08 - 2016/06/08
94位(同エリア501件中)
ベームさん
6月8日、15日目。
今日は午前中ベルン郊外にヘルマン・ヘッセが第1次世界大戦を挟んで7年間住んだ家を探し、パウル・クレー・センターを見物、午後ベルン市内に戻りました。1日で3回も大雨に見舞われました。
写真は「有頂天」、パウル・クレー。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヘッセのベルンでの住まいはベルンの郊外オスターミュンディゲンにありました。
ホテルの前の停留所ヒルシェングラーベンからトラムでまずブルンナーデルンまで。
トラムは時計塔のある広場をを右に曲がり、アーレ川に掛かるキルヒェンフェルト橋を渡りました。 -
橋から連邦議事堂の後ろが見えます。
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ブルンナーデルンのバス停。ここでバスに乗換え。
トラムとバスの停留所が少し離れていてバスが私を追い越していく。手を振って走ったけれどもバスは無情にも行ってしまった。次のバスを待つ。 -
バスをヴェルティ通りで降ります。ホテルから乗換えを入れて30分ちょっとでした。
ヴェルティ通りとはその先にスイスの画家アルベルト・ヴェルティの家があったことに由来します。 -
ヴェルティ通りを先に進みます。
ヴェルティはその家に1908年から死の年の1912年まで住んでいました。 -
そしてその家こそヴェルティの死後友人だったヘッセが借りて移り住んだ家なのでした。
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メルヒェンビュール通りに突き当たります。
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メルヒェンビュール通り26番地がヴェルティが住み後ヘッセが住んだ家です。もっとも当時の番地と今の番地が同じかどうか分かりません。
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グーグルマップでおおよその見当は付けていました。またこの辺り人家は多くありません。ヴェルティやヘッセ自身が描いた家の絵を頼りに探します。
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この家のような気がします。
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かなり大きな家です。
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なんとか中を覗けないかと。
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右の木立の内側です。
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裏の方に回り込んでみました。
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チラリと建物が見えます。
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丸いベルン風の破風のついたベルン様式の家。
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間違いありません、ヘッセの家です。写真で見たヘッセ自身の絵とそっくりです。
ドイツ、ボーデン湖畔のガイエンホーフェンから移ってきたヘッセ一家が1912年から1919年まで住んだ家です。
1915年フランスの作家ロマン・ロランが訪ねてきて二人の間に交流が始まったのもこの家です。 -
アルベルト・ヴェルティの描いたベルンの家。
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ヘッセの描いたベルンの夢の家。ヘッセは夢の家と呼びました。
ヘッセはこう書いています。「それは、丸いベルン風の破風のついたベルン様式の田舎の邸宅で、・・・・。17世紀に建てられ、帝政時代の様式の増築部分と内装部分をもつ家で、・・・、一本の巨大なニレの木にすっぽり覆い隠された家であった」 -
この家でヘッセは「インドから」、「ロスハルデ/湖畔のアトリエ」、「クヌルプ」、「青春は美わし」、「デーミアン」等を執筆。
他方第1次世界大戦勃発後はドイツ人の戦争捕虜支援、反戦のプロパガンダ活動など多忙な生活を送りました。 -
しかし家庭生活では破局が訪れつつありました。
1916年父の死、3男の重病、マリーア夫人の精神分裂症の発症。1918年夫人の精神病院入院。第1次世界大戦の反戦活動にたいするドイツ国民からの非難、中傷。
ヘッセ自身も過労から神経症を発し精神病院での治療を受けるようになります。 -
庭の一部。
ヘッセによると、「家から下手に向かって、石の階段をはさんで・・・二つのテラスに分けられた庭園には美しい果樹の木立があり、・・・、可愛らしい石造りの泉水が水音をたてていた」
1919年、ついにヘッセは家庭を立て直すため、自分を立て直すため、妻を精神病院に残し子供たちは友人や学校の施設に預け単身ルガーノの近くモンタニョーラに移ったのでした。モンタニョーラは終の棲家となります。 -
表に回ってみました。朽ちかけた門柱に26とあるではありませんか。メルヘンビュール26番地です。番地も昔と同じでした。
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門柱の先、垣根を右に回り込むと、
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門はピタリと閉ざされています。人の住む気配はありませんでした。
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壁にも26の数字があります。
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ヘッセが眺めたであろう周りの景色。晴れていたらアルプスの連山が見えたそうです。
ヘッセはこうも書いています。「南面の大きなヴェランダを一本のフジの巨木が取り囲んで生い茂っていた。そのヴェランダからは、・・・、ユングフラウの巨峰群を中心に、トゥーンの前山地帯からヴェッターホルンにいたる連山のすべてを含む山脈を一望することが出来た」 -
ヘッセの家を見つけられて嬉しいです。しかし気が咎めました。モンタニョーラといい此処といい人の家をこそこそと盗み撮りするのは後ろめたいことです。
こういう謂れのある建物はオープンにしてくれたらなあと恨めしく思いました。 -
ヴェルティ通り。
アルベルト・ヴェルティ。1862~1912年。画家。ミュンヘンで学びアーノルト・ベックリンの影響を受ける。
馴染みのない名前ですが通りに名が付いているということは、スイスでは有名な画家だったのでしょう。
ヴェルティの絵を数枚末尾に載せました。 -
次に目指すはパウル・クレー・センターです。
グーグルマップで見るとヘッセの家から歩いて行けるところです。 -
パウル・クレー・センターへの途中大雨に逢いました。
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小さな折りたたみ傘など役に立たずずぶ濡れです。
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人に道を尋ねること2回、歩くこと約20分、嬉しや見えてきました。
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パウル・クレー・センターです。
ヘッセの家から20分強でしたか。 -
波型の屋根を持つ建物が3棟並んでいます。
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正面が入り口です。
開館20分前くらいに着きました。中では館員が開館準備をしています。外では大雨の中傘を差しながら数人が中を覗きこんで待っています。でも中へ入れてくれません。 -
10時、ようやく中に入れました。
パウル・クレー・センター:2005年開館。設計はパリのポンピドー・センターを設計したイタリアの建築家レンゾ・ピアノ。波の形をした三つの建物から成っており、それを繋ぐガラス張りの通路は150mあります。
切符売り場と売店。スイスパスが使えます。 -
パウル・クレーの作品4000点以上を保管し、クレー研究の拠点としての機能のほか併設した子供美術館では教育を通じての芸術振興に力を注いでいます。パンフレットより。
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結婚直後のクレーとリリー夫人。1906年。
パウル・クレー:1879~1940年。ベルン近郊で音楽家の両親のもとに生まれる。子供のころから音楽と絵の才能があったが結局絵画をとる。
1906年ミュンヘンに出てフランツ・シュトックに学ぶ。そのころ後の青い騎士グループとなるカンディンスキー、マッケ、マルクと知り合う。 -
左からパウル・クレー、リリー・クレー(クレー夫人)。1927年、48歳。
1914年のチュニジア旅行が転機となり画家としての頭角を現してくる。
1921~1931年ヴァイマール、デッサウのバウハウスで教師を務めた。 -
左クレーとリリー夫人、1935年、56歳。右アトリエのクレー、1938年。
ドイツにヒットラー政権誕生後ナチにより退廃芸術家とみなされベルンに移る。これ以降膨大な数の作品が生み出されるが、難病の皮膚硬化症に冒され手が思うように動かせなくなったため晩年の作品は単純化された線による造形が主となった。
1940年ロカルノ近郊で死去、60歳。主にウィキペディアより抜粋。 -
無題/公園の散歩者。1895年。
以下クレーの作品です。作成年代順に並べました。訳の変なものもあると思います。 -
軽業師。1916年。
ペン画。 -
デッサン、悲しんでいる子供のダンス。1921年。
ペン画。 -
天才/バレーの人物。1922年。
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投げ矢の家。1922年。
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明るい広々とした展示室。
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綱渡りの男。1923年。
リトグラフ。 -
217。1923年。
ペンと鉛筆画。 -
大判”O”。1925年。
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モザイクの習作。1925年。
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大股ぎ。1926年。
エンピツ画。 -
出帆。1927年。
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高ーい! 1928年。
エッチング。 -
踊り子エレン・Y。1929年。
ペンと鉛筆。 -
山の島の空中風景。1929年。
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花園。1930年。
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漂うもの。1930年。
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無題/3組の花と洞窟。1930年。
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無題/花と葉の構図。1932年。
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どうして走るの?。1932年。
エッチング。
これなどどうしても子供の絵に見えてしまいます。 -
如何にして万物は成長するか。1932年。
水彩画。 -
巻きひげ。1932年。
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秋風の中のダイアナ。1934年。
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車輪と共に。1934年。
病の影響か線描による作品が増えてきます。 -
始まりの風景。1935年。
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見つかった逃げ道。1935年。
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配慮の無い焦り。1935年。
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訪問者はちらほら。
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雌の親。1937年。
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調和のとれた戦い。1937年。
芸術家の頭の中は凡人には理解不能です。 -
不安定な道しるべ。1937年。
水彩画。 -
緑の中の緑。1937年。
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灰色の男と浜辺。1938年。
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マントを着て。1938年。
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捕まえた。1939年。
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騎士。1939年。
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有頂天または高慢。1939年。
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踊る花。1939年。
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ある踊り子の再構築/試作。1939年。
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踊る植物。1940年。
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歩きながらのお喋り。1940年。
ペン。
子供が描いたようなデッサンですが。不自由な手で描いたのでしょう。 -
無題。1940年。
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何処へ。1940年。
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上と下。1940年。
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無題/子供と凧。1940年頃。
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こんなポスターがありました。
1900年/明治33年、芸者姿のMADAME SADAYACCO、パリ公演のポスター。
クレーは1902年4月、フローレンスで貞奴の舞台を見て日記の中で「彼女のエキゾチックなパフォーマンスに深く感銘を受けた」と書いています。
川上貞子(貞奴)は夫川上音二郎一座と共に明治32年から35年にかけて数回アメリカからヨーロッパにかけて武士と芸者を演目にした芝居公演を打っています。まだ珍しかった日本の風習、特に美しい衣装を着た貞奴の踊りは大人気だったそうです。クレーはその時に見たのでしょう。 -
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外はまだ雨が降りしきっています。
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モーリス・E・ミュラー・ザール。
パウル・クレー・センター設立者の一人。 -
なにか特別展が開かれています。
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中国の古い文書、契約書類がいっぱい展示されていました。
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子供美術館「クレアヴィヴァ」。
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ここでは子供たちに様々な造形の指導を行っています。
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勉強の次は絵の鑑賞だ。
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先生に引率されて。
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このカフェで昼にしました。
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雨は上がったようです。
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センターを後にしました。
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建物の外に立つ「不安定な道しるべ」。
クレーの絵と同じに造られています。 -
バスでベルン市内に戻りました。
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パウル・クレー・センター。
WEBより。
立地となった丘陵のなだらかな起伏をイメージして屋根は波の形にデザインされています。三つの建物は長さ150mの通路でつながれています。 -
アルベルト・ヴェルティ:家族の絵。
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アルベルト・ヴェルティ:夢の家。
多分ベルンの家でしょう。アルプスが見えています。 -
アルベルト・ヴェルティ:霧の騎士。
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2016/08/24 22:52:49
- ヘッセの夢の家、執念ですね
- ベームさん、こんばんは。
ヘッセの住んだ夢の家を絵から探し当てるなんて、もう執念としか言いようがないですね。
ベームさんのヘッセに対するこだわりはすごいものがありますね。
ところでこのベルンの家は、ヘッセが最初の妻と二人の間の子供たちと住んだ家でしょうか。年代からいくとまだ若いころと思われますが。
今、私の旅行記もチュービンゲンに差し掛かっていまして、ヘッセの孫娘のことを調べていたのでした。
私にはベームさんほどの熱意はありませんが、いろいろなことがわかるのは大変面白いですね。
次はフリブール、スイスのフライブルクですか。なかなかここの旅行記を書かれる方はいらっしゃいませんので、楽しみに拝見します。
私も10年以上前に行ったことがあります。
himmel
- ベームさん からの返信 2016/08/25 19:30:51
- RE: ヘッセの夢の家、執念ですね
- himmelさん、
書き込み有難うございます。
ベルンの家がヘッセ探訪の最後となりました。スイスに行ってアルプスにも登らず何しに行ったんだと笑われそうです。
ヘッセが新婚後最初に住んだところがボーデン湖畔ガイエンホーフェンで、ベルンは2番目の町です。1912年、ヘッセ35歳の時で若くはありませんでした。ガイエンホーフェンで3人の男の子が生まれていますのでベルンの家にはヘッセ、マリア夫人と子供3人で住んだことになります。
でもベルン時代は旅行記にも書いたようにヘッセにとってつらい時期でした。3男マルティンの重病、妻の精神疾患と入院、第1次世界大戦の勃発と反戦活動などヘッセ自身にも心労が重なり、ついにヘッセ一人ルガーノ近郊のモンタニョーラに移り一家は離散してしまいました。
チュービンゲン、懐かしい町ですね。ヘッセの孫娘が住んでいるのですか。多分長男ブルーノか二男ハイナーの子供でしょうがもう相当のお年でしょう。ヘッセについての書物はいろいろ読んでいますが孫について書かれている物には出会っていません。お調べになったことを知りたいものです。
列車のコンパートメントは気持ち悪いですね。囲まれた空間に見知らない人と閉じ込められるのは男でも不安を感じます。ましてやお金をやり取りしていた所をみられたなんて危機一髪でしたね。でもhimmelさんの問いかけが功を奏したのでしょう。無事でよかった。
フリブール/フライブルクに行かれたことがあるのですか。himmelさんの旅行記にスイスはあまり出てきませんが写真が残っているのでしたら是非アップしてください。
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旅行記が終わってしまって半ば虚脱状態です。スイスのピエタ集でも作ろうかと思っています。
ベーム
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