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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />朝オルヴィエートを発って、今回の旅で昨年の目的地と唯一重複するフィレンツェ経由でボローニャに向かいます。昨日アレッツォに出かけたときと同じ8:44発のレジョナーレ(普通列車)に乗り込みました。<br />

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その70 フィレンツェ1

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2015/05/28 - 2015/05/28

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junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

朝オルヴィエートを発って、今回の旅で昨年の目的地と唯一重複するフィレンツェ経由でボローニャに向かいます。昨日アレッツォに出かけたときと同じ8:44発のレジョナーレ(普通列車)に乗り込みました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 3日間滞在したオルヴィエートの駅です。ここから少し離れた線路をイタロが走っていて、時々その赤い雄姿を見かけます。何せイタロの場合、ローマの次の停車駅がフィレンツェなので、お呼びでなし。

    3日間滞在したオルヴィエートの駅です。ここから少し離れた線路をイタロが走っていて、時々その赤い雄姿を見かけます。何せイタロの場合、ローマの次の停車駅がフィレンツェなので、お呼びでなし。

  • 昨日訪れたアレッツォを過ぎてしばらく行くと、車窓からご覧のような古城が見えました。モンテッキオという町の近くです。高い塔が目立っていますね。<br /><br />城は9世紀の建造。13世紀にはアレッツォの町が城を買い取って、要塞を現在見るような強固なものにしたそうです。その後城の持ち主はフィレンツェの町に移り、18世紀にはトスカーナ公レオポルド2世の所有地となりました。現在は私有地になっていて、一般公開はされていないようです。

    昨日訪れたアレッツォを過ぎてしばらく行くと、車窓からご覧のような古城が見えました。モンテッキオという町の近くです。高い塔が目立っていますね。

    城は9世紀の建造。13世紀にはアレッツォの町が城を買い取って、要塞を現在見るような強固なものにしたそうです。その後城の持ち主はフィレンツェの町に移り、18世紀にはトスカーナ公レオポルド2世の所有地となりました。現在は私有地になっていて、一般公開はされていないようです。

  • 城はカスティリオン・フィオレンティーノの駅に停車するまで見え続け、やがて視界から消えました。フィレンツェまではあと1時間。

    城はカスティリオン・フィオレンティーノの駅に停車するまで見え続け、やがて視界から消えました。フィレンツェまではあと1時間。

  • 10:57に、定刻通り、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラに到着。1年ぶりのフィレンツェです。17:45発の列車でボローニャに向かうので6時間ほど時間があります。どこへ行こうか全く考えてこなかったので、いきあたりばったりのフィレンツェになりそうな按排。<br /><br />さてどうする?

    10:57に、定刻通り、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラに到着。1年ぶりのフィレンツェです。17:45発の列車でボローニャに向かうので6時間ほど時間があります。どこへ行こうか全く考えてこなかったので、いきあたりばったりのフィレンツェになりそうな按排。

    さてどうする?

  • 隣のホームにイタロが到着していました。やはりフェラーリの会長が出資しただけあって、スタイル抜群ですよね。この赤い車体!

    隣のホームにイタロが到着していました。やはりフェラーリの会長が出資しただけあって、スタイル抜群ですよね。この赤い車体!

  • 荷物を無事預けて(7.8ユーロ!)、駅前広場に出ましたよ。サンタ・マリア・ノヴェッラが出迎えてくれています。<br /><br />途端にぎんぎんぎらぎら太陽が! ああ〜なんてフィレンツェは暑いんでしょう。昨年のように35度はなさそうだけれど、今までが涼しかっただけに体に堪えます。<br /><br />今気が付いたのですが、駅前の広場に止めてある自転車ってレンタサイクルかしら???

    荷物を無事預けて(7.8ユーロ!)、駅前広場に出ましたよ。サンタ・マリア・ノヴェッラが出迎えてくれています。

    途端にぎんぎんぎらぎら太陽が! ああ〜なんてフィレンツェは暑いんでしょう。昨年のように35度はなさそうだけれど、今までが涼しかっただけに体に堪えます。

    今気が付いたのですが、駅前の広場に止めてある自転車ってレンタサイクルかしら???

  • とりあえずドゥオモ 花の大聖堂にご挨拶しなくてはと思い、勝手知ったる道をドゥオモに向かって歩き出します。あそこにあるのは、もしかしてオベリスク?<br /><br />オベリスクを見るのはローマ以来。昨年は殆ど注目しなかった代物です。駅前の統一イタリア広場(ピアッツァ・デッルニタ・イタリアーナ)にありました。

    とりあえずドゥオモ 花の大聖堂にご挨拶しなくてはと思い、勝手知ったる道をドゥオモに向かって歩き出します。あそこにあるのは、もしかしてオベリスク?

    オベリスクを見るのはローマ以来。昨年は殆ど注目しなかった代物です。駅前の統一イタリア広場(ピアッツァ・デッルニタ・イタリアーナ)にありました。

  • はは〜ん。近くで見るとこれはオベリスク風のモニュメントで、本物ではありませんね。1882年、イタリア統一の戦いの間に戦死された犠牲者の霊を弔うために、ジョヴァンニ・ピーニの設計で建てられたものです。オベリスクが建つと同時に広場の名前もイタリア統一広場へと変わったのだそうです。

    はは〜ん。近くで見るとこれはオベリスク風のモニュメントで、本物ではありませんね。1882年、イタリア統一の戦いの間に戦死された犠牲者の霊を弔うために、ジョヴァンニ・ピーニの設計で建てられたものです。オベリスクが建つと同時に広場の名前もイタリア統一広場へと変わったのだそうです。

  • いきなり、気が付いたら教会に飛び込んでいました。こうなったら、もはや「教会病」かもしれません。扉が開いていたというそれだけで飛び込んだので、ファサードの写真もありません。<br /><br />こちらはあるサイトからお借りした写真です。勿論、名前はわかっていましたよ。サンタ・マリア・マッジョーレ。ローマじゃないですよ。フィレンツェのサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。<br /><br />素敵ですよね。このロマネスクの佇まい。フィレンツェに現存する、そして聖母マリアに捧げられた、最古の教会の一つで、教会の資料によると930年には記録が残されているそうです。建物は11世紀の建造。13世紀にファサードと外壁の大規模改修を行っています。<br /><br />目の付け所は良かったんだ・・・なんちゃって!

    いきなり、気が付いたら教会に飛び込んでいました。こうなったら、もはや「教会病」かもしれません。扉が開いていたというそれだけで飛び込んだので、ファサードの写真もありません。

    こちらはあるサイトからお借りした写真です。勿論、名前はわかっていましたよ。サンタ・マリア・マッジョーレ。ローマじゃないですよ。フィレンツェのサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。

    素敵ですよね。このロマネスクの佇まい。フィレンツェに現存する、そして聖母マリアに捧げられた、最古の教会の一つで、教会の資料によると930年には記録が残されているそうです。建物は11世紀の建造。13世紀にファサードと外壁の大規模改修を行っています。

    目の付け所は良かったんだ・・・なんちゃって!

  • 内部は三廊式でゴシック様式になっていました。身廊はクロスヴォールト3つ分で、四角い柱が身廊と側廊を隔てるアーチを支えています。翼廊はありません。ほぼ長方形の形でした。<br /><br />両側廊は壁も天井もフレスコやらスタッコやらで飾り立てられているのですが、身廊と主祭壇については一部の彫刻、フレスコ等を除き殆どむき出しのままの状態で、とても殺風景に思えます。設計者はどのような意図だったのかなと考えながら、早足で内部を一周しました。

    内部は三廊式でゴシック様式になっていました。身廊はクロスヴォールト3つ分で、四角い柱が身廊と側廊を隔てるアーチを支えています。翼廊はありません。ほぼ長方形の形でした。

    両側廊は壁も天井もフレスコやらスタッコやらで飾り立てられているのですが、身廊と主祭壇については一部の彫刻、フレスコ等を除き殆どむき出しのままの状態で、とても殺風景に思えます。設計者はどのような意図だったのかなと考えながら、早足で内部を一周しました。

  • ほらっ!  側廊は賑やかなバロック装飾てんこ盛りですよ。

    ほらっ!  側廊は賑やかなバロック装飾てんこ盛りですよ。

  • 左側廊にある、ボーニ礼拝堂です。祭壇画はマッテオ・ロッセッリ作の「聖母が幼子キリストを聖フランチェスコに手渡して見せている場面」。そんなことは実際に起こったわけがないんですがね・・・背中を見せている右側の男性はキリストの養父聖ヨーセフでしょうか?<br /><br />ロッセッリ(1578年〜1650年)はフィレンツェ生まれ、後期マニエリスム、初期バロック時代の画家です。

    左側廊にある、ボーニ礼拝堂です。祭壇画はマッテオ・ロッセッリ作の「聖母が幼子キリストを聖フランチェスコに手渡して見せている場面」。そんなことは実際に起こったわけがないんですがね・・・背中を見せている右側の男性はキリストの養父聖ヨーセフでしょうか?

    ロッセッリ(1578年〜1650年)はフィレンツェ生まれ、後期マニエリスム、初期バロック時代の画家です。

  • ボーニ礼拝堂の祭壇画の両側には、18世紀の画家ヴィンチェンツォ・メウッチによるフレスコが描かれていましたが、中でも左側のアークエンジェル ラファエッロに心惹かれました。<br /><br />メウッチはメディチ家最後の人間と言われているアナ・マリア・ルイサ・デ・メディチの依頼で、メディチ家の菩提寺である聖ロレンツォ教会のドームに「栄光のフィレンツェの聖人達」(1742年)を描いたことで、一躍有名になりました。

    ボーニ礼拝堂の祭壇画の両側には、18世紀の画家ヴィンチェンツォ・メウッチによるフレスコが描かれていましたが、中でも左側のアークエンジェル ラファエッロに心惹かれました。

    メウッチはメディチ家最後の人間と言われているアナ・マリア・ルイサ・デ・メディチの依頼で、メディチ家の菩提寺である聖ロレンツォ教会のドームに「栄光のフィレンツェの聖人達」(1742年)を描いたことで、一躍有名になりました。

  • メウッチについては、天才マサッチオの師であるマソリーノのフレスコを(修復のために)「上から塗り替えた画家」というあまり良くない印象を持っていたのですが、実際に彼の作品を見て、その素晴らしい色調と構図に魅了されました。<br /><br />同じボーニ礼拝堂のヴォールト部分もメウッチの1750年頃の作品です。

    メウッチについては、天才マサッチオの師であるマソリーノのフレスコを(修復のために)「上から塗り替えた画家」というあまり良くない印象を持っていたのですが、実際に彼の作品を見て、その素晴らしい色調と構図に魅了されました。

    同じボーニ礼拝堂のヴォールト部分もメウッチの1750年頃の作品です。

  • 主祭壇の左に位置しているフィレンツェの名門 ベルナルド・カルネセッキ礼拝堂です。18世紀に作られた祭壇は、コリント式の黄色い大理石の柱が大変目立ちます。祭壇のペディメントにあるキリストの磔場面のフレスコは、ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコの作。アレッツォ生まれのこの画家は主にフィレンツェで活躍しました。その上のヴォールト天井は「イサクの犠牲」でした。<br /><br />そして、祭壇に飾られているのは、コッポ・ディ・マルコヴァルド(1225年〜1276年)作の「聖母子と聖人達」Madonna Reliquiarioのパネルです。いやパネルとレリーフが合わさった物と言うべきか・・・

    主祭壇の左に位置しているフィレンツェの名門 ベルナルド・カルネセッキ礼拝堂です。18世紀に作られた祭壇は、コリント式の黄色い大理石の柱が大変目立ちます。祭壇のペディメントにあるキリストの磔場面のフレスコは、ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコの作。アレッツォ生まれのこの画家は主にフィレンツェで活躍しました。その上のヴォールト天井は「イサクの犠牲」でした。

    そして、祭壇に飾られているのは、コッポ・ディ・マルコヴァルド(1225年〜1276年)作の「聖母子と聖人達」Madonna Reliquiarioのパネルです。いやパネルとレリーフが合わさった物と言うべきか・・・

  • なんて神々しいんでしょう!<br /><br />初めは彫像のように思いましたが、目を近づけてみると背面のパネルと一体のレリーフです。聖母の顔の表情からしてビザンチン時代のものかなと思いましたが、13世紀の作品だそうです。木製のパネルにはひび割れが何か所かあり、劣化が進んでいるようでした。<br /><br />プラデッラの2枚は、「受胎告知」と「キリストの墓に出向いた婦人たち(白い天使がキリストの復活を告げている)」。こちらはフィレンツェの画家の作品ですが、名前がわかっていません。<br /><br /><br />実はコッポ・ディ・マルコヴァルドの作品には、オルヴィエートの大聖堂付属美術館でお目にかかっています。

    なんて神々しいんでしょう!

    初めは彫像のように思いましたが、目を近づけてみると背面のパネルと一体のレリーフです。聖母の顔の表情からしてビザンチン時代のものかなと思いましたが、13世紀の作品だそうです。木製のパネルにはひび割れが何か所かあり、劣化が進んでいるようでした。

    プラデッラの2枚は、「受胎告知」と「キリストの墓に出向いた婦人たち(白い天使がキリストの復活を告げている)」。こちらはフィレンツェの画家の作品ですが、名前がわかっていません。


    実はコッポ・ディ・マルコヴァルドの作品には、オルヴィエートの大聖堂付属美術館でお目にかかっています。

  • こちらの煌びやかな祭壇画が、オルヴィエートの美術館にあった1枚です。カルネセッキ礼拝堂のパネルは、こちらのものよりも古い時代のものに感じますが、聖母子の両側に立つ天使像には明らかに共通点があるように思いました。そして、この後すぐ聖ジョヴァンニ洗礼堂で、私は彼の最高傑作に巡り合うのです。<br /><br />写真の作品については、面白いエピソードも盛り沢山なので、ご興味のある方は、お読みくださいね。<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11143079

    こちらの煌びやかな祭壇画が、オルヴィエートの美術館にあった1枚です。カルネセッキ礼拝堂のパネルは、こちらのものよりも古い時代のものに感じますが、聖母子の両側に立つ天使像には明らかに共通点があるように思いました。そして、この後すぐ聖ジョヴァンニ洗礼堂で、私は彼の最高傑作に巡り合うのです。

    写真の作品については、面白いエピソードも盛り沢山なので、ご興味のある方は、お読みくださいね。

    http://4travel.jp/travelogue/11143079

  • 主祭壇の前には、地下のクリプトに降りる階段が口を開けていましたが、入り口にはロープが!

    主祭壇の前には、地下のクリプトに降りる階段が口を開けていましたが、入り口にはロープが!

  • 後陣には1967年に設置されたマスチオーニ社製のパイプオルガンがデーンと構えていました。その前に小さなキリストの十字架像。青みがかったステンドグラスが美しい光を放っています。

    後陣には1967年に設置されたマスチオーニ社製のパイプオルガンがデーンと構えていました。その前に小さなキリストの十字架像。青みがかったステンドグラスが美しい光を放っています。

  • 左右の壁には、非常に地味ですが、14世紀の画家ヤコポ・ディ・チオーネの興味深いフレスコを見ることが出来ます。彼の作品は世界中に散らばっていて、昨年訪れたフィレンツェのサン・ロレンツォ教会にかつてあった有名なトリプテック(多翼祭壇画)は現在、ホノルルの美術館にあります。そのほか、ロンドンのナショナル・ギャラリーやヴァチカン、ワシントンDC等の美術館が彼の作品を所蔵していて、肝心のフィレンツェではなかなかお目にかかることができません。<br /><br />主祭壇の左側にあったのは、かなり傷んでいますが、単色に近いフレスコ画「ヘロデ王の幼児虐殺」です。こちらは、ヘロデ王が救世主が誕生したことを伝え聞いた場面でしょうか?<br /><br />

    左右の壁には、非常に地味ですが、14世紀の画家ヤコポ・ディ・チオーネの興味深いフレスコを見ることが出来ます。彼の作品は世界中に散らばっていて、昨年訪れたフィレンツェのサン・ロレンツォ教会にかつてあった有名なトリプテック(多翼祭壇画)は現在、ホノルルの美術館にあります。そのほか、ロンドンのナショナル・ギャラリーやヴァチカン、ワシントンDC等の美術館が彼の作品を所蔵していて、肝心のフィレンツェではなかなかお目にかかることができません。

    主祭壇の左側にあったのは、かなり傷んでいますが、単色に近いフレスコ画「ヘロデ王の幼児虐殺」です。こちらは、ヘロデ王が救世主が誕生したことを伝え聞いた場面でしょうか?

  • 主祭壇の右側にあるフレスコの方が、メインの部分がしっかりと残っていました。同じテーマで、ヘロデ王の部下たちが2歳以下の男の子を手あたり次第虐殺している場面が描かれていました。いつごろの作品かはわかりませんでしたが、ヤコポ・ディ・チオーネの年表を見ると、1325年〜1390年頃 とありました。

    主祭壇の右側にあるフレスコの方が、メインの部分がしっかりと残っていました。同じテーマで、ヘロデ王の部下たちが2歳以下の男の子を手あたり次第虐殺している場面が描かれていました。いつごろの作品かはわかりませんでしたが、ヤコポ・ディ・チオーネの年表を見ると、1325年〜1390年頃 とありました。

  • 主祭壇右側の礼拝堂です。こちらも、美しいステンドグラスが祭壇画の役目を果たしているようです。

    主祭壇右側の礼拝堂です。こちらも、美しいステンドグラスが祭壇画の役目を果たしているようです。

  • 何枚かあった柱のフレスコから1点紹介します。フレスコの大半を描いたのはマリオット・ディ・ナルド(1365年頃〜1424年)と言う画家兼彫刻家だそうですが、彼については殆どその正体がわかっていません。彼の作品はサンタ・マリア・ノヴェッラやフィレンツェ大聖堂付属美術館にも何点か残っています。<br /><br />こちらは目の守護聖人聖ルチアです。はっきりと確認できませんが、右手に彼女自身の「目」を捧げ持っています。

    何枚かあった柱のフレスコから1点紹介します。フレスコの大半を描いたのはマリオット・ディ・ナルド(1365年頃〜1424年)と言う画家兼彫刻家だそうですが、彼については殆どその正体がわかっていません。彼の作品はサンタ・マリア・ノヴェッラやフィレンツェ大聖堂付属美術館にも何点か残っています。

    こちらは目の守護聖人聖ルチアです。はっきりと確認できませんが、右手に彼女自身の「目」を捧げ持っています。

  • フレスコをあと2点紹介。パンチアティーキ礼拝堂祭壇脇のフレスコ。17世紀の画家ドメニコ・プリャーニの作品。

    フレスコをあと2点紹介。パンチアティーキ礼拝堂祭壇脇のフレスコ。17世紀の画家ドメニコ・プリャーニの作品。

  • そしてこちらは、礼拝堂の一つの祭壇画だった「授乳の聖母子」。立派な玉座にお座りです。身にまとっている赤い衣が鮮やかでした。

    そしてこちらは、礼拝堂の一つの祭壇画だった「授乳の聖母子」。立派な玉座にお座りです。身にまとっている赤い衣が鮮やかでした。

  • 礼拝堂のうちのいくつかは前述のカルネセッキ家で占められていました。こちらはカルネセッキ家のツァノービ・ディ・バルトロメオ礼拝堂のヴォールト部分。16世紀末から17世紀初めにかけてフィレンツェを中心に活躍したベルナルディーノ・ポッチェッティの作品です。<br /><br />セピアカラーとでもいうべき、くすんだ色彩で統一されていて、ヴォールト一杯に描かれた様々な形のフレームが浮き上がって見えていますね。

    礼拝堂のうちのいくつかは前述のカルネセッキ家で占められていました。こちらはカルネセッキ家のツァノービ・ディ・バルトロメオ礼拝堂のヴォールト部分。16世紀末から17世紀初めにかけてフィレンツェを中心に活躍したベルナルディーノ・ポッチェッティの作品です。

    セピアカラーとでもいうべき、くすんだ色彩で統一されていて、ヴォールト一杯に描かれた様々な形のフレームが浮き上がって見えていますね。

  • オルランディーニ-コンチーニ礼拝堂は、身廊部分のルーネットにフレスコがあった唯一の礼拝堂です。

    オルランディーニ-コンチーニ礼拝堂は、身廊部分のルーネットにフレスコがあった唯一の礼拝堂です。

  • 祭壇のレリーフはフランチェスコ・コッリーナの作品。この彫刻家の素性も殆どわかっていないようです。このレリーフが面白い(と言っては失礼ですが、)のは、キリストの磔場面の右側で、聖ミケーレがルシファーを懲らしめている場面が描かれているところ。この二つの場面が合体したのを見るのは初めてです。<br /><br />ラテン語の碑文には「彼は全人類の罪を贖うために十字架で尊い血を注ぎ出された」と書かれていました。な〜るほど!

    祭壇のレリーフはフランチェスコ・コッリーナの作品。この彫刻家の素性も殆どわかっていないようです。このレリーフが面白い(と言っては失礼ですが、)のは、キリストの磔場面の右側で、聖ミケーレがルシファーを懲らしめている場面が描かれているところ。この二つの場面が合体したのを見るのは初めてです。

    ラテン語の碑文には「彼は全人類の罪を贖うために十字架で尊い血を注ぎ出された」と書かれていました。な〜るほど!

  • となると、ヴォールトのフレスコは、天の父なる神に追い出されたルシファーの姿かしら?

    となると、ヴォールトのフレスコは、天の父なる神に追い出されたルシファーの姿かしら?

  • 祭壇の下にあった「ピエタ」はジョヴァン・バッティスタ・カッチーニの作品でした。<br /><br />何の下調べもせず、飛び込んだ教会にしては収穫がありました。流石にフィレンツェです。いま改めて調べてみたら、見逃した作品も多々あったようですが、あくまでも私の好みを撮っただけですので、ご了承くださいね。<br /><br />さ〜てと。ゆっくりはしていられないんです。終わりの時間が決まっているフィレンツェ滞在。まずは大聖堂にご挨拶。

    祭壇の下にあった「ピエタ」はジョヴァン・バッティスタ・カッチーニの作品でした。

    何の下調べもせず、飛び込んだ教会にしては収穫がありました。流石にフィレンツェです。いま改めて調べてみたら、見逃した作品も多々あったようですが、あくまでも私の好みを撮っただけですので、ご了承くださいね。

    さ〜てと。ゆっくりはしていられないんです。終わりの時間が決まっているフィレンツェ滞在。まずは大聖堂にご挨拶。

  • と思ったのですが、その前でまたしても立ち往生していしまいました。な〜んだ。がっくり・・・サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、昨年来た時と変わらず、工事中でした。<br /><br />それにしても凄い人だこと。しばらく田舎町を歩いてきた私には大都会の雑踏疲れます。懐かしいフィレンツェのドゥオモが洗礼堂の彼方に顔を覗かせました。<br /><br />こんにちは! 1年ぶりにお会いしましたね!

    と思ったのですが、その前でまたしても立ち往生していしまいました。な〜んだ。がっくり・・・サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、昨年来た時と変わらず、工事中でした。

    それにしても凄い人だこと。しばらく田舎町を歩いてきた私には大都会の雑踏疲れます。懐かしいフィレンツェのドゥオモが洗礼堂の彼方に顔を覗かせました。

    こんにちは! 1年ぶりにお会いしましたね!

  • 洗礼堂には前回は入場していないので、今日は迷わずにチケットを買い求めます。切符売り場では、洗礼堂の他、ドゥオモのクーポラ、ジョットの鐘楼、ドゥオモ地下にあるサンタ・レパラータの聖堂、ドゥオモ付属美術館がセットになったチケットが10ユーロで販売されていたので、「付属美術館も入れる〜!!」と喜び勇んでそのチケットを購入。<br /><br />ところがです。ドゥオモ付属美術館は後で行ってみたら来年まで(つまり今年まで)閉館中! またまたがっくり・・・2016年3月以降はオープンしていますよ! ただし15ユーロに値上げされているようです。<br /><br />フィレンツェの切符売り場さん。美術館は工事中で今は見れないと、一言書いておいてくれたら良いのに。

    洗礼堂には前回は入場していないので、今日は迷わずにチケットを買い求めます。切符売り場では、洗礼堂の他、ドゥオモのクーポラ、ジョットの鐘楼、ドゥオモ地下にあるサンタ・レパラータの聖堂、ドゥオモ付属美術館がセットになったチケットが10ユーロで販売されていたので、「付属美術館も入れる〜!!」と喜び勇んでそのチケットを購入。

    ところがです。ドゥオモ付属美術館は後で行ってみたら来年まで(つまり今年まで)閉館中! またまたがっくり・・・2016年3月以降はオープンしていますよ! ただし15ユーロに値上げされているようです。

    フィレンツェの切符売り場さん。美術館は工事中で今は見れないと、一言書いておいてくれたら良いのに。

  • 外観は工事中のため写真に撮れなかったので、またまたいきなり内部です。こちらは超人気スポットなので、皆さんよくご存じでしょうが、当方初めてゆえに口あんぐりです。<br /><br />洗礼堂のある場所は、銀行家、政治家、そして歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラーニが13世紀末に彼の著書「新年代記」に記したところによれば、ローマ帝国時代の軍神マルス(フィレンツェの町の守護神)に捧げる神殿でした。これが通説となっていました。<br /><br />ところが20世紀の発掘調査によれば、洗礼堂が面している広場には紀元1世紀に作られた城壁があったことが判明。洗礼堂は城壁の縁に建てられた防御のための塔、あるいはそれに類する建物の上に構築された可能性が高くなりました。<br /><br />とはいえ最初の八角形をした洗礼堂が建てられたのが4世紀末または5世紀初頭というのは確かだそうです。当時洗礼堂はフィレンツェの上流貴族の墓地の中にあったと言われています。

    外観は工事中のため写真に撮れなかったので、またまたいきなり内部です。こちらは超人気スポットなので、皆さんよくご存じでしょうが、当方初めてゆえに口あんぐりです。

    洗礼堂のある場所は、銀行家、政治家、そして歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラーニが13世紀末に彼の著書「新年代記」に記したところによれば、ローマ帝国時代の軍神マルス(フィレンツェの町の守護神)に捧げる神殿でした。これが通説となっていました。

    ところが20世紀の発掘調査によれば、洗礼堂が面している広場には紀元1世紀に作られた城壁があったことが判明。洗礼堂は城壁の縁に建てられた防御のための塔、あるいはそれに類する建物の上に構築された可能性が高くなりました。

    とはいえ最初の八角形をした洗礼堂が建てられたのが4世紀末または5世紀初頭というのは確かだそうです。当時洗礼堂はフィレンツェの上流貴族の墓地の中にあったと言われています。

  • 現在の洗礼堂がフィレンツェの経済的発展、政治的重要性を鑑みて、ロマネスク様式で建てられたのは1059年のこと。さらに装飾が付け加えられ、最終的に1128年に完成しました。<br /><br />15世紀と16世紀の間には3つのブロンズ製の扉、そして彫像などが追加され、大聖堂と同等の重要性を持つことを世に知らしめました。<br /><br />内部は直径25.6mの八角形をしています。8と言う数字は6日間の創造、1日の休息の後の「再生」を表しているのだそうです。

    現在の洗礼堂がフィレンツェの経済的発展、政治的重要性を鑑みて、ロマネスク様式で建てられたのは1059年のこと。さらに装飾が付け加えられ、最終的に1128年に完成しました。

    15世紀と16世紀の間には3つのブロンズ製の扉、そして彫像などが追加され、大聖堂と同等の重要性を持つことを世に知らしめました。

    内部は直径25.6mの八角形をしています。8と言う数字は6日間の創造、1日の休息の後の「再生」を表しているのだそうです。

  • 多色大理石をふんだんに用いたインテリアはローマ帝国時代の建物を髣髴させます。いま見えているのは八面の壁のうちの第一層と第二層。つまり八角形の辺に当たります。<br /><br />第一層には金色の柱頭のついた列柱と壁柱があって、その上のエンタブラチュアを支えています。壁は白いカラッラ大理石と緑のプラート大理石で幾何学的な寄せ木模様を形成しています。<br /><br />洗礼堂ですから当然洗礼盤が中央に置かれているはずなのですが、なにも置かれていませんでした。1128年にドゥオモ(大聖堂)地下の聖レパラータ教会からここに移された洗礼盤は、洗礼中の子供が溺れる事故を受け、1576年トスカーナ大公フランチェスコ1世(ディ・メディチ)の命令により取り外されたそうです。<br /><br />代わりになぜか、小さめの洗礼盤が南側の壁近くに残されていました。ここに設置されたのは1658年のことですが、制作されたのは1371年のこと。アンドレア・ピサーノの弟子たちによる作品と言われています。

    多色大理石をふんだんに用いたインテリアはローマ帝国時代の建物を髣髴させます。いま見えているのは八面の壁のうちの第一層と第二層。つまり八角形の辺に当たります。

    第一層には金色の柱頭のついた列柱と壁柱があって、その上のエンタブラチュアを支えています。壁は白いカラッラ大理石と緑のプラート大理石で幾何学的な寄せ木模様を形成しています。

    洗礼堂ですから当然洗礼盤が中央に置かれているはずなのですが、なにも置かれていませんでした。1128年にドゥオモ(大聖堂)地下の聖レパラータ教会からここに移された洗礼盤は、洗礼中の子供が溺れる事故を受け、1576年トスカーナ大公フランチェスコ1世(ディ・メディチ)の命令により取り外されたそうです。

    代わりになぜか、小さめの洗礼盤が南側の壁近くに残されていました。ここに設置されたのは1658年のことですが、制作されたのは1371年のこと。アンドレア・ピサーノの弟子たちによる作品と言われています。

  • 洗礼盤のアップです。キリストの洗礼場面が目に飛び込んできました。周りの装飾も草木模様あり、タイルありととても手が込んでいますね。

    洗礼盤のアップです。キリストの洗礼場面が目に飛び込んできました。周りの装飾も草木模様あり、タイルありととても手が込んでいますね。

  • 第二層は、真ん中に壁柱のある連窓が、一つの面に対し3つずつ続いています。上部には第一層と同じような白と緑の大理石の寄せ木模様。下部には聖人達のモザイクが並べられていました。

    第二層は、真ん中に壁柱のある連窓が、一つの面に対し3つずつ続いています。上部には第一層と同じような白と緑の大理石の寄せ木模様。下部には聖人達のモザイクが並べられていました。

  • 元々、第二層はマトロネアMatroneaと言って、女性が参拝するための回廊(ギャラリー)になっていたそうです。手前の連窓のガラス越しに、そのギャラリーの壁の装飾が写っていますが、大変美しいので、何枚か並べますね。個人的な趣味の世界で〜す。

    元々、第二層はマトロネアMatroneaと言って、女性が参拝するための回廊(ギャラリー)になっていたそうです。手前の連窓のガラス越しに、そのギャラリーの壁の装飾が写っていますが、大変美しいので、何枚か並べますね。個人的な趣味の世界で〜す。

  • 第三層も見えています。こちらにも聖人像のモザイクが! チマブエの友人だったガッド・ガッデイの作だそうです。<br /><br />ギャラリーのモノトーンのモザイクアーチがすんばらしい〜! 

    第三層も見えています。こちらにも聖人像のモザイクが! チマブエの友人だったガッド・ガッデイの作だそうです。

    ギャラリーのモノトーンのモザイクアーチがすんばらしい〜! 

  • 手前の壁と同じような幾何学模様が見えます。

    手前の壁と同じような幾何学模様が見えます。

  • こちらは彩色されたモザイクのアーチが圧巻です。左右のニッチェに彫像も見えますね。全部で4体。

    こちらは彩色されたモザイクのアーチが圧巻です。左右のニッチェに彫像も見えますね。全部で4体。

  • こちらも聖人像が描かれたモザイクのアーチのようです。右側のアーチには空想動物も見ることが出来ます。

    こちらも聖人像が描かれたモザイクのアーチのようです。右側のアーチには空想動物も見ることが出来ます。

  • 左側のアーチの幾何学模様は見たこともないような複雑なデザイン。右側のアーチの動物はクジャクの番(つがい)のようです。

    左側のアーチの幾何学模様は見たこともないような複雑なデザイン。右側のアーチの動物はクジャクの番(つがい)のようです。

  • あのギャラリーを歩いてみたいと心底から思いました。いま調べたら、月水金の16:30〜18:00にガイド付きツアーがあるようです。30ユーロ! 高いけれど次回は必ず歩きたいですね。<br /><br />これにてしつこい第二層はお終い・・・結局8枚全部並べてしまいました(汗)。

    あのギャラリーを歩いてみたいと心底から思いました。いま調べたら、月水金の16:30〜18:00にガイド付きツアーがあるようです。30ユーロ! 高いけれど次回は必ず歩きたいですね。

    これにてしつこい第二層はお終い・・・結局8枚全部並べてしまいました(汗)。

  • 洗礼堂の祭壇は20世紀初頭、アレッツォ生まれの建築家ジュゼッペ・カステッルッチが、オリジナルの断片を集めてネオ・ロマネスク様式でリメークしました。カステルッチはアレッツォの大聖堂鐘楼の尖塔や聖ドメニコ教会の大規模改修も手掛けています。<br /><br />ジローラモ・ティッチアティが1732年に制作したオリジナルは現在ドゥオモ付属美術館に所蔵されています。<br /><br />祭壇上のヴォールトのモザイクには、中央に神の子羊、両側に大司教と預言者が描かれています。これも豪華で美しい! 13〜14世紀。

    洗礼堂の祭壇は20世紀初頭、アレッツォ生まれの建築家ジュゼッペ・カステッルッチが、オリジナルの断片を集めてネオ・ロマネスク様式でリメークしました。カステルッチはアレッツォの大聖堂鐘楼の尖塔や聖ドメニコ教会の大規模改修も手掛けています。

    ジローラモ・ティッチアティが1732年に制作したオリジナルは現在ドゥオモ付属美術館に所蔵されています。

    祭壇上のヴォールトのモザイクには、中央に神の子羊、両側に大司教と預言者が描かれています。これも豪華で美しい! 13〜14世紀。

  • 写真は、ドナテッロとミケロッツォ・ミケロッツィが制作した対立教皇ヨハネス23世の葬送モニュメントです。対立教皇というのは、正当な教皇に対抗して即位した(させた)教皇のことで、15世紀に至るまでなんと40名を数えます。<br /><br />ヨハネス23世(在位1410年〜1415年)の時代はまさに教会大分裂の時期でした。正式な教皇グレゴリウス12世(在位1406年〜1415年)の他に 、アヴィニョンの対立教皇ベネディクトゥス13世(在位1394年〜1417年)にヨハネス23世、という3人の教皇が互いに「我こそは」とその正当性を競い合っていたのです。<br /><br />ヨハネス23世はどうやら莫大な遺産をこの洗礼堂に遺したようですよ。な〜るほど!

    写真は、ドナテッロとミケロッツォ・ミケロッツィが制作した対立教皇ヨハネス23世の葬送モニュメントです。対立教皇というのは、正当な教皇に対抗して即位した(させた)教皇のことで、15世紀に至るまでなんと40名を数えます。

    ヨハネス23世(在位1410年〜1415年)の時代はまさに教会大分裂の時期でした。正式な教皇グレゴリウス12世(在位1406年〜1415年)の他に 、アヴィニョンの対立教皇ベネディクトゥス13世(在位1394年〜1417年)にヨハネス23世、という3人の教皇が互いに「我こそは」とその正当性を競い合っていたのです。

    ヨハネス23世はどうやら莫大な遺産をこの洗礼堂に遺したようですよ。な〜るほど!

  • ヨハネス23世だけでなく、何人かの選ばれた特権階級の個人(勿論お金を沢山寄贈した人でしょう)は、洗礼堂内に埋葬されることを許可されました。写真に見える石棺もそうした方々の墓です。<br /><br />その名を聞けば納得しますが、左側の墓はグッチョ・デ・メディチ。1300年代にその最初の王朝をフィレンツェに築き上げたメディチ家の一員でした。<br /><br />その右隣は、洗礼堂が捧げている洗礼者聖ジョバンニ(聖ヨハネ)像です。

    ヨハネス23世だけでなく、何人かの選ばれた特権階級の個人(勿論お金を沢山寄贈した人でしょう)は、洗礼堂内に埋葬されることを許可されました。写真に見える石棺もそうした方々の墓です。

    その名を聞けば納得しますが、左側の墓はグッチョ・デ・メディチ。1300年代にその最初の王朝をフィレンツェに築き上げたメディチ家の一員でした。

    その右隣は、洗礼堂が捧げている洗礼者聖ジョバンニ(聖ヨハネ)像です。

  • 洗礼堂の床工事は1209年に始まりました。パターンが何種類かあって非常に複雑です。<br /><br />レース編みのような繊細な白を基調としたこちらの床は「十二宮のバラ」rosone dello zodiacoと呼ばれています。手前のほんのちょっとだけ写っている方が美しかったのですが、撮るタイミングが悪くてなかなか写せませんでした。<br /><br />背後に見えるペアの聖水盤はアルノルフォ・カンビオの弟子によるものだそうですよ。

    洗礼堂の床工事は1209年に始まりました。パターンが何種類かあって非常に複雑です。

    レース編みのような繊細な白を基調としたこちらの床は「十二宮のバラ」rosone dello zodiacoと呼ばれています。手前のほんのちょっとだけ写っている方が美しかったのですが、撮るタイミングが悪くてなかなか写せませんでした。

    背後に見えるペアの聖水盤はアルノルフォ・カンビオの弟子によるものだそうですよ。

  • 床だけ眺めていても1日たっぷりかかりそうな、洗練された文様が延々と続いていました。溜息しか出ません・・・

    床だけ眺めていても1日たっぷりかかりそうな、洗練された文様が延々と続いていました。溜息しか出ません・・・

  • さて圧巻のヴォールトに参りましょう。またしつこいかも!<br /><br />ドームをすっぽりモザイクで包み込んでいく工事は困難を伴い、また大変な資金を必要としました。作業は1240年から60年がかりで行われました。<br /><br />中央の天窓(ランターン)の周りは花瓶と花と初期キリスト教のシンボル的な動物達のデザイン。その下段に天使達が階層ごとに並んでいます。更にその下には中央に大きな「最後の審判」のキリスト像。彼の足の下では死者達が復活してきています。ルカ・シニョレッリの絵が浮かんできてしまいます。<br /><br />一番下には、向かって左側に大司教らにより招かれた人達が天国へと上っていきます。右側は、その反対で悪魔のいる地獄に堕ちていくのです。

    さて圧巻のヴォールトに参りましょう。またしつこいかも!

    ドームをすっぽりモザイクで包み込んでいく工事は困難を伴い、また大変な資金を必要としました。作業は1240年から60年がかりで行われました。

    中央の天窓(ランターン)の周りは花瓶と花と初期キリスト教のシンボル的な動物達のデザイン。その下段に天使達が階層ごとに並んでいます。更にその下には中央に大きな「最後の審判」のキリスト像。彼の足の下では死者達が復活してきています。ルカ・シニョレッリの絵が浮かんできてしまいます。

    一番下には、向かって左側に大司教らにより招かれた人達が天国へと上っていきます。右側は、その反対で悪魔のいる地獄に堕ちていくのです。

  • キリスト像と反対の方角から眺めた1枚です。「最後の審判」が描かれている3枚の三角形以外の部分は、天使達の下には4つの段が並んでいます。<br /><br />上から「創世記からの物語」、「ヨセフ(ヤコブの子)の物語」、「マリアとキリストの物語」、「洗礼者聖ヨハネの物語」から成り立っています。<br /><br />ではもう少し詳しく見ていきましょう。

    キリスト像と反対の方角から眺めた1枚です。「最後の審判」が描かれている3枚の三角形以外の部分は、天使達の下には4つの段が並んでいます。

    上から「創世記からの物語」、「ヨセフ(ヤコブの子)の物語」、「マリアとキリストの物語」、「洗礼者聖ヨハネの物語」から成り立っています。

    ではもう少し詳しく見ていきましょう。

  • 巨大なキリスト像のある1枚とその両脇の2枚は、天使像も含めて、先ほどサンタ・マリア・マッジョーレ教会で見たばかりのコッポ・ディ・マルコヴァルドにより描かれました。なんという壮大な作品なのでしょう!!<br /><br />第二段には、開いた本を持つキリストの左右に、羽が沢山生えた熾天使セラフィム(赤)と智天使ケルビム(青)最も位が高い天使たちです。なんだか昆虫か蜘蛛のような姿ですねえ。<br /><br />その下には三段分を使った大きなキリスト像が下界を見降ろしています。

    巨大なキリスト像のある1枚とその両脇の2枚は、天使像も含めて、先ほどサンタ・マリア・マッジョーレ教会で見たばかりのコッポ・ディ・マルコヴァルドにより描かれました。なんという壮大な作品なのでしょう!!

    第二段には、開いた本を持つキリストの左右に、羽が沢山生えた熾天使セラフィム(赤)と智天使ケルビム(青)最も位が高い天使たちです。なんだか昆虫か蜘蛛のような姿ですねえ。

    その下には三段分を使った大きなキリスト像が下界を見降ろしています。

  • 「永遠の生命を与えられた者達」はキリストの右手で祝福を受けますが、やはり、皆が興味あるのは、キリストの左手により裁かれた「地獄に落ちる者達」ですね。彼らは、世にも恐ろしい罰を受けることになります。<br /><br />火で焼かれ、串刺しにされ、石で砕かれ、へビにズタズタにされ、恐ろしい獣たちにかじられたり引き裂かれたりするんですって!

    「永遠の生命を与えられた者達」はキリストの右手で祝福を受けますが、やはり、皆が興味あるのは、キリストの左手により裁かれた「地獄に落ちる者達」ですね。彼らは、世にも恐ろしい罰を受けることになります。

    火で焼かれ、串刺しにされ、石で砕かれ、へビにズタズタにされ、恐ろしい獣たちにかじられたり引き裂かれたりするんですって!

  • 一番下の段に注目!選ばれし者達は、白い巻紙を持った巨大な天使の後についてぞろぞろ・・・いつだって、天国組はなぜか嬉しそうには見えないなあ。

    一番下の段に注目!選ばれし者達は、白い巻紙を持った巨大な天使の後についてぞろぞろ・・・いつだって、天国組はなぜか嬉しそうには見えないなあ。

  • それに比べて、ありとあらゆる想像力を駆使して展開される地獄のドラマは迫力があります。こちらの方が数倍楽しめます。罰当たりかしら・・・

    それに比べて、ありとあらゆる想像力を駆使して展開される地獄のドラマは迫力があります。こちらの方が数倍楽しめます。罰当たりかしら・・・

  • 正面の3枚を除いた5枚の三角形部分は、デッサンを提出したヴェネツィアのマエストロを含めた地元の画家達により描かれました。画家の中にはガッド・ガッディやチマブエも含まれていました。<br /><br />上から三段目の創世記はアダムとイヴの創造です。五段目のキリストとマリアの物語は受胎告知から始まっています。右隣りはマリアの従妹?エリザベスを訪ねる「訪問」。この絵はチマブエのデッサンを元にしたそうです。そして「聖誕」。<br /><br />ヨセフ(ヤコブの子)と洗礼者聖ヨハネについては、知識が全くないので見るだけです!

    正面の3枚を除いた5枚の三角形部分は、デッサンを提出したヴェネツィアのマエストロを含めた地元の画家達により描かれました。画家の中にはガッド・ガッディやチマブエも含まれていました。

    上から三段目の創世記はアダムとイヴの創造です。五段目のキリストとマリアの物語は受胎告知から始まっています。右隣りはマリアの従妹?エリザベスを訪ねる「訪問」。この絵はチマブエのデッサンを元にしたそうです。そして「聖誕」。

    ヨセフ(ヤコブの子)と洗礼者聖ヨハネについては、知識が全くないので見るだけです!

  • 創世記では、アダムとイヴが知恵のリンゴをかじってエデンの園から追い出されるまでの物語。<br /><br />マリアは無事キリストを生んで、東方三博士の礼拝を受けています。そして三博士たちは夢を見ます。右は三博士達の旅路が描かれています。ちょっと小さいですが、海の中に魚やタコが泳いでいますよ。この部分は順番が逆でないかしら? 通常は三博士は「夢を見て」「旅に出て」「聖誕を礼拝」だと思うのですけれどね。

    創世記では、アダムとイヴが知恵のリンゴをかじってエデンの園から追い出されるまでの物語。

    マリアは無事キリストを生んで、東方三博士の礼拝を受けています。そして三博士たちは夢を見ます。右は三博士達の旅路が描かれています。ちょっと小さいですが、海の中に魚やタコが泳いでいますよ。この部分は順番が逆でないかしら? 通常は三博士は「夢を見て」「旅に出て」「聖誕を礼拝」だと思うのですけれどね。

  • 創世記は「先祖の仕事」、「カインとアベルの犠牲」、「カイン アベルを殺す」です。<br /><br />マリア&キリストは「神殿でのお披露目」、「ヨセフの夢」(ヨセフはマリアが救世主を生むというお告げを夢で見たのです。どうしてそれがここに出てくるのか???)、「エジプトへの逃避」です。

    創世記は「先祖の仕事」、「カインとアベルの犠牲」、「カイン アベルを殺す」です。

    マリア&キリストは「神殿でのお披露目」、「ヨセフの夢」(ヨセフはマリアが救世主を生むというお告げを夢で見たのです。どうしてそれがここに出てくるのか???)、「エジプトへの逃避」です。

  • 創世記は「レメク、 カイン、トバルカイン」といったカインの子孫が次々に出て来てわからなくなってきました。トバルカインという人は、鍛冶屋の始祖だそうです。そして争いばかり続ける人間に対し怒った神はノアに方舟を作るよう命じます(中)。右は方舟を作っている場面です。<br /><br />マリア&キリストの物語は、「ヘロデ王の幼児虐殺」、急に飛んで「最後の晩餐」、「ユダのキス」と続きます。時系列に基づいたストーリーにはなっていないみたいです。

    創世記は「レメク、 カイン、トバルカイン」といったカインの子孫が次々に出て来てわからなくなってきました。トバルカインという人は、鍛冶屋の始祖だそうです。そして争いばかり続ける人間に対し怒った神はノアに方舟を作るよう命じます(中)。右は方舟を作っている場面です。

    マリア&キリストの物語は、「ヘロデ王の幼児虐殺」、急に飛んで「最後の晩餐」、「ユダのキス」と続きます。時系列に基づいたストーリーにはなっていないみたいです。

  • 創世記は、何もかもがぎっしりと詰め込まれた「ノアの方舟」、「大洪水」で終わっています。<br /><br />キリストの物語は、「磔」、「十字架降下」そして最後は「ご婦人方のキリストの墓への訪問」で終わっています。先ほどのサンタ・マリア・マッジョーレ教会でこれも見ましたね。ご婦人方の中にはマグラダのマリアが含まれていました。墓は空っぽで、キリストの復活を天使が告げるのでした。<br /><br />もっと近くで見てみたいと、モザイクへの思いは募るばかりです。目がしょぼしょぼするまで見つめていましたが、結局首の痛さに負けて退散しました。

    創世記は、何もかもがぎっしりと詰め込まれた「ノアの方舟」、「大洪水」で終わっています。

    キリストの物語は、「磔」、「十字架降下」そして最後は「ご婦人方のキリストの墓への訪問」で終わっています。先ほどのサンタ・マリア・マッジョーレ教会でこれも見ましたね。ご婦人方の中にはマグラダのマリアが含まれていました。墓は空っぽで、キリストの復活を天使が告げるのでした。

    もっと近くで見てみたいと、モザイクへの思いは募るばかりです。目がしょぼしょぼするまで見つめていましたが、結局首の痛さに負けて退散しました。

  • サン・ジョヴァンニ洗礼堂の南扉はブロンズに金メッキを施した縦577cm×横428cm(2枚分)で、1329年〜36年の間に、アンドレア・ピサーノの設計で作られました。私のお気に入りは、左側下から2番目の希望ラ・スペランサと呼ばれる天使像です。<br /><br />周りの植物をモチーフにしたフレームはロレンツォの息子ヴィットーレ・ギベルティの作です。<br /><br />この扉が出口となっていたので、両方の扉を一緒に撮ることが出来ませんでした。

    サン・ジョヴァンニ洗礼堂の南扉はブロンズに金メッキを施した縦577cm×横428cm(2枚分)で、1329年〜36年の間に、アンドレア・ピサーノの設計で作られました。私のお気に入りは、左側下から2番目の希望ラ・スペランサと呼ばれる天使像です。

    周りの植物をモチーフにしたフレームはロレンツォの息子ヴィットーレ・ギベルティの作です。

    この扉が出口となっていたので、両方の扉を一緒に撮ることが出来ませんでした。

  • 28枚のクローバー型の内フレームの中には、20枚の洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)の生涯と8枚の天使達の像が描かれています。<br /><br />こちらは向かって左側の扉のうちの上の8枚です。<br /><br />聖ヨハネはザカリアと妻エリザベスの間に生まれた子で、彼の誕生も、天使によるお告げを受けています。マリア、キリストとは親戚関係(従妹同士?)にあり、マリアがエリザベスの家を訪問する場面はしばしば目にしますね。ヨハネは救世主が訪れることを人々に伝え、悔い改めることにより罪の許しを得る洗礼を授けていた巡回説教師、預言者だったと言われています。<br /><br />扉には彼の受胎告知、誕生、説教活動などの物語が綴られています。<br />

    28枚のクローバー型の内フレームの中には、20枚の洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)の生涯と8枚の天使達の像が描かれています。

    こちらは向かって左側の扉のうちの上の8枚です。

    聖ヨハネはザカリアと妻エリザベスの間に生まれた子で、彼の誕生も、天使によるお告げを受けています。マリア、キリストとは親戚関係(従妹同士?)にあり、マリアがエリザベスの家を訪問する場面はしばしば目にしますね。ヨハネは救世主が訪れることを人々に伝え、悔い改めることにより罪の許しを得る洗礼を授けていた巡回説教師、預言者だったと言われています。

    扉には彼の受胎告知、誕生、説教活動などの物語が綴られています。

  • こちらは向かって左側の扉のうちの下の8枚です(上の2枚は一つ上の写真と重複)。<br /><br />この中で唯一理解できる場面は右側上から2段目の「キリストの洗礼」です。ヨルダン川で洗礼を受けるキリストの傍らでは、天使が見守っています。「キリストの洗礼」の次は、右側の扉の左上へと続きます。

    こちらは向かって左側の扉のうちの下の8枚です(上の2枚は一つ上の写真と重複)。

    この中で唯一理解できる場面は右側上から2段目の「キリストの洗礼」です。ヨルダン川で洗礼を受けるキリストの傍らでは、天使が見守っています。「キリストの洗礼」の次は、右側の扉の左上へと続きます。

  • こちらが右側の扉です。小さすぎて詳細がわかりませんね。<br /><br />聖ヨハネは義理の娘サロメに唆されたヘロデ王に首を切られて殺されました。上から三段目右側で、彼は断首されています。そして下から三段目右側の1枚は物語の最後「洗礼者の埋葬」です。

    こちらが右側の扉です。小さすぎて詳細がわかりませんね。

    聖ヨハネは義理の娘サロメに唆されたヘロデ王に首を切られて殺されました。上から三段目右側で、彼は断首されています。そして下から三段目右側の1枚は物語の最後「洗礼者の埋葬」です。

  • 3つの扉の内、おそらく一番有名な、ロレンツォ・ギベルティ作の「天国の扉」は工事中シートの中でした。これじゃあ写真写しても意味ないなあ と諦めていたのですが、・・・

    3つの扉の内、おそらく一番有名な、ロレンツォ・ギベルティ作の「天国の扉」は工事中シートの中でした。これじゃあ写真写しても意味ないなあ と諦めていたのですが、・・・

  • 後刻再度この扉の前を通りかかったら、誰かが触ったのか、シートを留めていた紐の色が変わっていて、シートがめくれた部分から少しだけ中が覗けるようになっていました。<br /><br />「天国の扉」は大聖堂の正面に位置していて、金細工師で彫刻家のロレンツォ・ギベルティが息子のヴィットーレと共に1425年から52年まで、26年の歳月をかけて完成させたフィレンツェのルネッサンスを代表する作品です。但しこちらはコピーです。<br /><br />1966年にフィレンツェを襲った大洪水で被害を受けました。修復を受けたオリジナルは「閉館中」(プンプン!)のドゥオモ付属美術館にあります。

    後刻再度この扉の前を通りかかったら、誰かが触ったのか、シートを留めていた紐の色が変わっていて、シートがめくれた部分から少しだけ中が覗けるようになっていました。

    「天国の扉」は大聖堂の正面に位置していて、金細工師で彫刻家のロレンツォ・ギベルティが息子のヴィットーレと共に1425年から52年まで、26年の歳月をかけて完成させたフィレンツェのルネッサンスを代表する作品です。但しこちらはコピーです。

    1966年にフィレンツェを襲った大洪水で被害を受けました。修復を受けたオリジナルは「閉館中」(プンプン!)のドゥオモ付属美術館にあります。

  • 扉の物語が始まるのは左側上の「アダムとイヴ」のパネルからです。<br /><br />ここでは、アダムの創造、イヴの創造、原罪、楽園からの追放 が描かれています。<br /><br />

    扉の物語が始まるのは左側上の「アダムとイヴ」のパネルからです。

    ここでは、アダムの創造、イヴの創造、原罪、楽園からの追放 が描かれています。

  • 続いて右側扉の一番上の「カインとアベル」に移りますが、写真がなかったので、サイトからお借りしました。<br /><br />これはギベルティのオリジナル(美術館所蔵)です。中央右側で斧のようなものを振り上げているのがカイン。人類史上最初の「殺人」場面です。

    続いて右側扉の一番上の「カインとアベル」に移りますが、写真がなかったので、サイトからお借りしました。

    これはギベルティのオリジナル(美術館所蔵)です。中央右側で斧のようなものを振り上げているのがカイン。人類史上最初の「殺人」場面です。

  • 3番目は写真上の「ノア」。人類共通の祖先であるノアは、500歳で息子を3人もうけ、600歳で方舟を完成させ、950歳で亡くなったそうです。

    3番目は写真上の「ノア」。人類共通の祖先であるノアは、500歳で息子を3人もうけ、600歳で方舟を完成させ、950歳で亡くなったそうです。

  • 写真上の4番目はアブラハムの物語になります。小さすぎて見えな〜い!<br /><br />ウィキペディアによると、アブラハムという人は、ユダヤ教では全ユダヤ人、アラブ人の系譜上の祖。イスラム教ではイブラヒムと呼ばれていて、ノア、キリスト、モーゼ、ムハンマドと共に5人の預言者の一人なのだそうです。勿論、キリスト教では最初の預言者として、「信仰の父」とも呼ばれています。

    写真上の4番目はアブラハムの物語になります。小さすぎて見えな〜い!

    ウィキペディアによると、アブラハムという人は、ユダヤ教では全ユダヤ人、アラブ人の系譜上の祖。イスラム教ではイブラヒムと呼ばれていて、ノア、キリスト、モーゼ、ムハンマドと共に5人の預言者の一人なのだそうです。勿論、キリスト教では最初の預言者として、「信仰の父」とも呼ばれています。

  • 左部分が欠けてしまいましたが、5番目は、アブラハムの息子イサクとその双子の息子たちエサウとヤコブ です。<br /><br />ヤコブはエサウと仲たがいして家を出て、後に兄と和解しに行く途中、天使と争って勝ち、「イスラエル」(勝つ者、神)という名を与えられ、それがイスラエルと言う国の由来となったとされています。<br /><br />扉には、狩りに出かけたエサウが父イサクに迎えられる場面、イサクがヤコブを祝福する場面などが描かれています。

    左部分が欠けてしまいましたが、5番目は、アブラハムの息子イサクとその双子の息子たちエサウとヤコブ です。

    ヤコブはエサウと仲たがいして家を出て、後に兄と和解しに行く途中、天使と争って勝ち、「イスラエル」(勝つ者、神)という名を与えられ、それがイスラエルと言う国の由来となったとされています。

    扉には、狩りに出かけたエサウが父イサクに迎えられる場面、イサクがヤコブを祝福する場面などが描かれています。

  • 6番目は、洗礼堂のヴォールトにも物語が描かれていた、ヤコブの子ヨセフです。イスラエルを飢饉から救った人物だそうですよ。<br /><br />扉には、兄弟の妬みを買い、井戸に突き落とされ、その後キャラバンの商人に売られてしまうヨセフ、隊商でエジプトに行き、ファラオ(王)に認められ宰相となるヨセフ、大飢饉を救ったのち、兄弟と和解するヨセフが描かれているそうですが、正直、左手前の井戸に突き落とされた場面以外はよく理解できませんでした。ドームのような建物の描写が凄いですね!

    6番目は、洗礼堂のヴォールトにも物語が描かれていた、ヤコブの子ヨセフです。イスラエルを飢饉から救った人物だそうですよ。

    扉には、兄弟の妬みを買い、井戸に突き落とされ、その後キャラバンの商人に売られてしまうヨセフ、隊商でエジプトに行き、ファラオ(王)に認められ宰相となるヨセフ、大飢饉を救ったのち、兄弟と和解するヨセフが描かれているそうですが、正直、左手前の井戸に突き落とされた場面以外はよく理解できませんでした。ドームのような建物の描写が凄いですね!

  • 7番目はモーゼ。シナイ山の頂で、神から十戒の石板を手渡されている場面が描かれていますね。そのほかにも山の中腹で思い悩むモーゼ、偶像崇拝に走る民をたしなめるモーゼなどが登場しています。<br /><br />左奥のテントのような建物に興味を覚えたのですが、エジプトから民を引き連れて放浪する際に使われたものかしら?

    7番目はモーゼ。シナイ山の頂で、神から十戒の石板を手渡されている場面が描かれていますね。そのほかにも山の中腹で思い悩むモーゼ、偶像崇拝に走る民をたしなめるモーゼなどが登場しています。

    左奥のテントのような建物に興味を覚えたのですが、エジプトから民を引き連れて放浪する際に使われたものかしら?

  • 再びサイトからお借りした8番目はヨシュア。モーゼに従い、不平を洩らさなかったヨシュアはモーゼから後継者に抜擢されます。<br /><br />出エジプト記における主要な人物で、約束の地カナンに入った後、神のために、イスラエルのために戦いを続け、この地を確保したのです。上に描かれた大きな城はどこの町でしょう? 城の下にはまた大きなテントが沢山描かれています。

    再びサイトからお借りした8番目はヨシュア。モーゼに従い、不平を洩らさなかったヨシュアはモーゼから後継者に抜擢されます。

    出エジプト記における主要な人物で、約束の地カナンに入った後、神のために、イスラエルのために戦いを続け、この地を確保したのです。上に描かれた大きな城はどこの町でしょう? 城の下にはまた大きなテントが沢山描かれています。

  • 9番目はイスラエルの王ダヴィデ。一介の羊飼いから、初代イスラエル王に仕えるようになり、初代王の戦死後は、背景に描かれたエルサレムを都として、自らが40年間王として君臨しました。

    9番目はイスラエルの王ダヴィデ。一介の羊飼いから、初代イスラエル王に仕えるようになり、初代王の戦死後は、背景に描かれたエルサレムを都として、自らが40年間王として君臨しました。

  • これが最後の10枚目です。イスラエルの名君とうたわれたソロモン王と多分現在のエチオピア辺りにあったシバ王国の女王(シバの女王)が描かれています。アレッツォのピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコを思い出しますね。<br /><br />ロレンツォ・ギベルティによるもう一つの北の扉は、見ることが出来ませんでした。片手落ちですが、仕方なし。とにかく、この天国の扉には、一つのパネルに様々な物語を押し込めているのが特徴で、10のパネルに全部で50の場面と言われていますから、平均5つのエピソードが凝縮されているのが特徴です。

    これが最後の10枚目です。イスラエルの名君とうたわれたソロモン王と多分現在のエチオピア辺りにあったシバ王国の女王(シバの女王)が描かれています。アレッツォのピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコを思い出しますね。

    ロレンツォ・ギベルティによるもう一つの北の扉は、見ることが出来ませんでした。片手落ちですが、仕方なし。とにかく、この天国の扉には、一つのパネルに様々な物語を押し込めているのが特徴で、10のパネルに全部で50の場面と言われていますから、平均5つのエピソードが凝縮されているのが特徴です。

  • シートをめくりながらの撮影を終えて、改めて大聖堂にご挨拶。なんと麗しいお姿! 完成度の高さでは、この大聖堂の右に出るものはないと思っています。ドゥオモを拝めただけで、フィレンツェに寄った価値があったというものです。

    シートをめくりながらの撮影を終えて、改めて大聖堂にご挨拶。なんと麗しいお姿! 完成度の高さでは、この大聖堂の右に出るものはないと思っています。ドゥオモを拝めただけで、フィレンツェに寄った価値があったというものです。

  • 高いところに上る気はあまりなかったのですが、何せ洗礼堂を見終わり、期待していたドゥオモ付属美術館が閉館となれば、あとは大聖堂の中とクーポラ、ジョットの鐘楼しかありません。2つ上るのはしんどいので、熟考の末、少し行列が短かったジョットの鐘楼を選びました。

    高いところに上る気はあまりなかったのですが、何せ洗礼堂を見終わり、期待していたドゥオモ付属美術館が閉館となれば、あとは大聖堂の中とクーポラ、ジョットの鐘楼しかありません。2つ上るのはしんどいので、熟考の末、少し行列が短かったジョットの鐘楼を選びました。

  • 昨年散々撮ったのに、また懲りもせずに撮ってますよ! 右翼廊手前にある「規範の扉」Porta dei Canoniciの上のルーネットです。下から見上げたので、聖母子と天使像が寸詰まりになってしまいました。<br /><br />ニッコロ・ディ・ピエロ・ランべルティ(またはロレンツォ・ディ・ニッコロとも言われています)の14世紀末頃の作品です。

    昨年散々撮ったのに、また懲りもせずに撮ってますよ! 右翼廊手前にある「規範の扉」Porta dei Canoniciの上のルーネットです。下から見上げたので、聖母子と天使像が寸詰まりになってしまいました。

    ニッコロ・ディ・ピエロ・ランべルティ(またはロレンツォ・ディ・ニッコロとも言われています)の14世紀末頃の作品です。

  • ジョットの鐘楼に上るには、昨年まではちょうどこの辺り、全く日陰のない炎天下で暫し並ばなければなりませんでした。鐘楼には今見えている扉から数人ずつ入場を許されます。待ち時間を利用して、ジョットの鐘楼を細切れで写しましょう。<br /><br /><br />大聖堂のファサードと並んで建つという、鐘楼としては珍しい位置に建設を進めたのは、一連の教会建物群の中でもその重要性を大いにアピールしたかった初代設計者であるアルノルフォ・カンビオの願望を反映していると言われています。塔の工事は1298年に始まり、約60年後の1359年に終了しています。その間に、責任者はジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ)、彼の弟子アンドレア・ピサーノへと引き継がれ、最後にピサーノの弟子フランチェスコ・タレンティが担当しました。それでも大聖堂に比べると、100年以上早く完成を迎えています。<br /><br />ジョットは仕事を引き継いでからわずか3年足らずで亡くなっています。今見ている六角形とその上の菱形のパネルが並ぶ層はジョットの下絵を元に、アンドレア・ピサーノ(六角形のパネルに関しては、ルカ・デッラ・ロッビアも担当している)が彫刻した部分です。

    ジョットの鐘楼に上るには、昨年まではちょうどこの辺り、全く日陰のない炎天下で暫し並ばなければなりませんでした。鐘楼には今見えている扉から数人ずつ入場を許されます。待ち時間を利用して、ジョットの鐘楼を細切れで写しましょう。


    大聖堂のファサードと並んで建つという、鐘楼としては珍しい位置に建設を進めたのは、一連の教会建物群の中でもその重要性を大いにアピールしたかった初代設計者であるアルノルフォ・カンビオの願望を反映していると言われています。塔の工事は1298年に始まり、約60年後の1359年に終了しています。その間に、責任者はジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ)、彼の弟子アンドレア・ピサーノへと引き継がれ、最後にピサーノの弟子フランチェスコ・タレンティが担当しました。それでも大聖堂に比べると、100年以上早く完成を迎えています。

    ジョットは仕事を引き継いでからわずか3年足らずで亡くなっています。今見ている六角形とその上の菱形のパネルが並ぶ層はジョットの下絵を元に、アンドレア・ピサーノ(六角形のパネルに関しては、ルカ・デッラ・ロッビアも担当している)が彫刻した部分です。

  • その上の中段部分のニッチェには各面4体ずつの王、シュビラ、預言者、大司教らのレリーフが並んでいます。初め彫像かと思っていましたが、像の背中部分が完成していないので、高浮彫ハイ・レリーフなのだそうです。<br /><br />各々の像は主体ではなく、あくまでも鐘楼を彩る装飾の一部という割り切った考え方に基づいて工事は進められました。この部分は、アンドレア・ピサーノの他、ナンニ・ディ・バルトーロ、ドナテッロといった彫刻家が担当しています。<br /><br />今見えているのは、左から預言者マラキア(ドナテッロ)、預言者ザッカリア(バルトーロとドナテッロ)、アブラハムのイサクの犠牲(バルトーロ)、預言者イサイア(ドナテッロ)です。これらの彫像のオリジナルは全てドゥオモ付属美術館にあって、ここにあるのはコピーだそうです。

    その上の中段部分のニッチェには各面4体ずつの王、シュビラ、預言者、大司教らのレリーフが並んでいます。初め彫像かと思っていましたが、像の背中部分が完成していないので、高浮彫ハイ・レリーフなのだそうです。

    各々の像は主体ではなく、あくまでも鐘楼を彩る装飾の一部という割り切った考え方に基づいて工事は進められました。この部分は、アンドレア・ピサーノの他、ナンニ・ディ・バルトーロ、ドナテッロといった彫刻家が担当しています。

    今見えているのは、左から預言者マラキア(ドナテッロ)、預言者ザッカリア(バルトーロとドナテッロ)、アブラハムのイサクの犠牲(バルトーロ)、預言者イサイア(ドナテッロ)です。これらの彫像のオリジナルは全てドゥオモ付属美術館にあって、ここにあるのはコピーだそうです。

  • ペストの流行により、工事は1348年から50年の2年間中断を余儀なくされましたが、建築家フランチェスコ・タレンティが、それまでの層とはスタイルが異なる、大きな窓を伴った画期的なデザインで、1359年に最上部を完成させています。<br /><br />窓があることで、塔が持つ重苦しさが吹き払われたような気がします。下段、中段のイメージを損なうことなく、美しいシルエットを保ったまま、更に上品さも加味したタレンティの才覚には脱帽です。

    ペストの流行により、工事は1348年から50年の2年間中断を余儀なくされましたが、建築家フランチェスコ・タレンティが、それまでの層とはスタイルが異なる、大きな窓を伴った画期的なデザインで、1359年に最上部を完成させています。

    窓があることで、塔が持つ重苦しさが吹き払われたような気がします。下段、中段のイメージを損なうことなく、美しいシルエットを保ったまま、更に上品さも加味したタレンティの才覚には脱帽です。

  • 大聖堂で一番好きな扉「鐘楼の扉」Porta del Campanileです。14世紀に作られた、最も鐘楼に近い場所にある扉です。空っぽのニッチェ下に見える三角形部分のピンクの石は「ペルリーノの薔薇」と呼ばれています。中央のひと際赤い石が個人的には好みです。

    大聖堂で一番好きな扉「鐘楼の扉」Porta del Campanileです。14世紀に作られた、最も鐘楼に近い場所にある扉です。空っぽのニッチェ下に見える三角形部分のピンクの石は「ペルリーノの薔薇」と呼ばれています。中央のひと際赤い石が個人的には好みです。

  • こんなところにも受胎告知が・・・ ラテン語で、「主のはしためを見よ」Ecce ancilla domini と書かれています。<br />

    こんなところにも受胎告知が・・・ ラテン語で、「主のはしためを見よ」Ecce ancilla domini と書かれています。

  • 大聖堂と鐘楼。どちらも同じくらい美しい・・・

    大聖堂と鐘楼。どちらも同じくらい美しい・・・

  • ようやく鐘楼の扉前までやって参りましたよ。ルーネット部分には神の子羊。3体の彫像は、「贖い主(キリスト)と2人の預言者」です。ちょうど今右側の預言者の頭に黒いハトが羽を休めています。キリストを見上げている最中にハトに頭に乗られて、大変迷惑そうな表情ですよ(笑)。<br /><br />全部で26枚の六角形のパネルには、創世記に触発された「人類の歴史」が描かれています。いま見えている左側は「祭りの芸術(テスピスの戦車)」、右側は「ユークリッド建築(幾何学的芸術)」を表しているのだそう。難解ですねえ。芸術については、他にも様々な芸術(音楽、薬学、狩猟、詩、毛織物等)についてのパネルがありますが、いずれも薄っぺらな知識では理解が困難です。「ジョットの知性と熟考の末の産物」と考えることにして、ここで深追いするのはやめておきましょう。<br /><br />

    ようやく鐘楼の扉前までやって参りましたよ。ルーネット部分には神の子羊。3体の彫像は、「贖い主(キリスト)と2人の預言者」です。ちょうど今右側の預言者の頭に黒いハトが羽を休めています。キリストを見上げている最中にハトに頭に乗られて、大変迷惑そうな表情ですよ(笑)。

    全部で26枚の六角形のパネルには、創世記に触発された「人類の歴史」が描かれています。いま見えている左側は「祭りの芸術(テスピスの戦車)」、右側は「ユークリッド建築(幾何学的芸術)」を表しているのだそう。難解ですねえ。芸術については、他にも様々な芸術(音楽、薬学、狩猟、詩、毛織物等)についてのパネルがありますが、いずれも薄っぺらな知識では理解が困難です。「ジョットの知性と熟考の末の産物」と考えることにして、ここで深追いするのはやめておきましょう。

  • さあ、ようやく上りますよ。四隅の控え壁(バットレス)で支えられた高さ84.7mの鐘楼です。行く手には414段の階段が待ち受けています。

    さあ、ようやく上りますよ。四隅の控え壁(バットレス)で支えられた高さ84.7mの鐘楼です。行く手には414段の階段が待ち受けています。

  • ようやく、洗礼堂を越したかな・・・工事はまだまだかかりそうですね。聖ロレンツォ聖堂のクーポラが見えて来ました。

    ようやく、洗礼堂を越したかな・・・工事はまだまだかかりそうですね。聖ロレンツォ聖堂のクーポラが見えて来ました。

  • クレーンの姿が見えないことはないフィレンツェの町。尖がりさん達は、左からサンタ・クローチェ聖堂、バルジェッロ国立美術館、バディア・フィオレンティーナ教会、ヴェッキオ宮殿です。

    クレーンの姿が見えないことはないフィレンツェの町。尖がりさん達は、左からサンタ・クローチェ聖堂、バルジェッロ国立美術館、バディア・フィオレンティーナ教会、ヴェッキオ宮殿です。

  • 大聖堂のクーポラからこちらを見降ろしている人達がいますね。こんなに標高差はないはず・・・ということはまだてっぺんには程遠いということですね。ジョットの鐘楼は途中で休める場所があるので、クーポラより楽という話です。

    大聖堂のクーポラからこちらを見降ろしている人達がいますね。こんなに標高差はないはず・・・ということはまだてっぺんには程遠いということですね。ジョットの鐘楼は途中で休める場所があるので、クーポラより楽という話です。

  • この角度からの大聖堂は鐘楼からしか撮ることが出来ませんね。なんて大きなクーポラなんでしょう。

    この角度からの大聖堂は鐘楼からしか撮ることが出来ませんね。なんて大きなクーポラなんでしょう。

  • 下からは窺い知れない、バルコニー伝いの屋根です。

    下からは窺い知れない、バルコニー伝いの屋根です。

  • フランチェスコ・タレンティの制作した方立のある連窓(まだ最下層の窓です!)までやってきましたよ。この優雅なねじれにうっとりです。

    フランチェスコ・タレンティの制作した方立のある連窓(まだ最下層の窓です!)までやってきましたよ。この優雅なねじれにうっとりです。

  • だいぶ近づいてきたぞ〜

    だいぶ近づいてきたぞ〜

  • ここが最も上の三連窓のある階です。ここがてっぺんだと思って、くつろいでいる人達もいました。

    ここが最も上の三連窓のある階です。ここがてっぺんだと思って、くつろいでいる人達もいました。

  • ジョットの鐘楼には全部で7つの鐘があると書かれていましたが、実際には使われているのが7つで、こちらの鐘はその中には入っていません。見苦しい落書きが痛々しい・・・

    ジョットの鐘楼には全部で7つの鐘があると書かれていましたが、実際には使われているのが7つで、こちらの鐘はその中には入っていません。見苦しい落書きが痛々しい・・・

  • 最終段階でかなりよれよれになっていた私に、陽気なアメリカ人達が、かつてオバマ大統領がはやらせた”You can do it! ”の大喝采! こうなったら頑張らずにいられません。お蔭でようやくてっぺんの展望台に到着です。<br /><br />大聖堂クーポラの展望台が90mだから、6mほどこちらが低いのですが、こんな位置からクーポラを見ることが出来るのは鐘楼に上った人たちだけの特権。いやはやなんとも素晴らしいとしか言えません。

    最終段階でかなりよれよれになっていた私に、陽気なアメリカ人達が、かつてオバマ大統領がはやらせた”You can do it! ”の大喝采! こうなったら頑張らずにいられません。お蔭でようやくてっぺんの展望台に到着です。

    大聖堂クーポラの展望台が90mだから、6mほどこちらが低いのですが、こんな位置からクーポラを見ることが出来るのは鐘楼に上った人たちだけの特権。いやはやなんとも素晴らしいとしか言えません。

  • 先ほどまではお互い競い合っていた尖がりさん達も、今では完全に敗北を認めて、下の方でおとなしくしていますね。但し、ヴェッキオ宮殿の塔は高さ95m。負けました・・・

    先ほどまではお互い競い合っていた尖がりさん達も、今では完全に敗北を認めて、下の方でおとなしくしていますね。但し、ヴェッキオ宮殿の塔は高さ95m。負けました・・・

  • ジョットの鐘楼の屋根というのも、実際に上らないと見ることの出来ないものの一つ。方形屋根になっていて、中央に避雷針がついていました。

    ジョットの鐘楼の屋根というのも、実際に上らないと見ることの出来ないものの一つ。方形屋根になっていて、中央に避雷針がついていました。

  • 昨年訪れたサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂。自分が知っている建物ばかり撮っていますよ。

    昨年訪れたサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂。自分が知っている建物ばかり撮っていますよ。

  • これも昨年入れなかったベルヴェデーレ要塞をフォーカスしたのですが、おまけで手前のヴェッキオ宮殿の塔の先が綺麗に撮れていました。<br /><br />先っぽにフィレンツェの町の紋章がついた避雷針?を上っていくのはライオンのようでしたよ。緑色をしたブロンズ製の屋根までばっちり見えました。

    これも昨年入れなかったベルヴェデーレ要塞をフォーカスしたのですが、おまけで手前のヴェッキオ宮殿の塔の先が綺麗に撮れていました。

    先っぽにフィレンツェの町の紋章がついた避雷針?を上っていくのはライオンのようでしたよ。緑色をしたブロンズ製の屋根までばっちり見えました。

  • 南西に当たるレプッブリカ広場方面と・・・

    南西に当たるレプッブリカ広場方面と・・・

  • 南東に当たる聖ロレンツォ、緑の屋根の中央市場方面です。最高の天気!

    南東に当たる聖ロレンツォ、緑の屋根の中央市場方面です。最高の天気!

  • 洗礼堂ははるか下にありました。

    洗礼堂ははるか下にありました。

  • 北は塔の類が一切ありません。トスカーナ州庁舎のあるパンチャティキ宮(左中程の茶色い建物)がわずかに目立っている位。大きな通りが3本、町を貫いていますね。

    北は塔の類が一切ありません。トスカーナ州庁舎のあるパンチャティキ宮(左中程の茶色い建物)がわずかに目立っている位。大きな通りが3本、町を貫いていますね。

  • 最後にもう一度クーポラです。1418年、ロレンツォ・ギベルティ、ドナテッロ、そしてナンニ・ディ・バンコと並居る強豪を振り落とし、見事にクーポラを架ける工事を請け負ったフィリッポ・ブルネレスキは、1434年にその工事を見事に完成させます。その上にあるブロンズ製の球は、アンドレア・デル・ヴェロッキオの制作。ヴェロッキオの弟子にはあのレオナルド・ダ・ヴィンチがいて、レオナルド自身、球の設置に関わっているそうです。<br /><br />この風景くせになりそうに魅力的。せっかくだからもう少し休んでいきましょう。<br />長くなってしまったので、このへんで一旦お開きに。続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その71 フィレンツェ2で!<br /><br />

    最後にもう一度クーポラです。1418年、ロレンツォ・ギベルティ、ドナテッロ、そしてナンニ・ディ・バンコと並居る強豪を振り落とし、見事にクーポラを架ける工事を請け負ったフィリッポ・ブルネレスキは、1434年にその工事を見事に完成させます。その上にあるブロンズ製の球は、アンドレア・デル・ヴェロッキオの制作。ヴェロッキオの弟子にはあのレオナルド・ダ・ヴィンチがいて、レオナルド自身、球の設置に関わっているそうです。

    この風景くせになりそうに魅力的。せっかくだからもう少し休んでいきましょう。
    長くなってしまったので、このへんで一旦お開きに。続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その71 フィレンツェ2で!

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