2015/05/28 - 2015/05/28
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
お昼の1時過ぎ、ジョットの鐘楼から下りて、ふと大聖堂を見たら、なんと誰も並んでいないではないですか! しめた! よしっ! とばかりに大聖堂に飛び込みます。2回目のフィレンツェで、ようやく花の大聖堂の内部に入ることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大聖堂に入場します。「静かにしてくださいね」のお願い看板を撮ったのは良いのですが、その後、1枚も大聖堂全体の写真を撮っていません。なあんにも考えないで行動しているのが良く分かりますね。
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そして、いきなり床です(汗)! それも撮り方がひどい。もう少しまともな撮り方が出来ないものか・・・情けなくなりますね(泣)。16世紀の大理石の床にまずは魅了されたようです。
クーポラに上って内側から見下すと、床の全体像が掴めて良かったのですが、短時間の滞在で鐘楼とクーポラ2つ上るというのはきついというもの・・・ -
あんまりひどい写真ばかりなので、よほどサイトからお借りしようと思ったのですが、雰囲気だけは伝わりそうな自前の写真が1枚あったので、これで勘弁ください。
ゴージャスな外側と比べると、とても地味でただっ広い空間が広がっていました。全長153m。左翼廊から右翼廊までの長さが90m。床からクーポラの先までの高さが90mもあるそうです。
さあ、宝物探しに出かけましょう! -
最初に見つけたのは、柱に描かれた聖ツァノビーSan Zanobiの姿です。彼は4世紀から5世紀初めにかけてのフィレンツェの最初の司教で、優れた説教者として、当時の教皇ダマスス1世(在位366年〜384年)に重用されました。大聖堂の後陣には彼の聖遺物が安置されています。どうもその写真も撮り損ねたみたいです。
彼の足元に跪いているのは、助祭を務めた聖クレチェンツォと聖エウジェニオの2人です。ジョヴァンニ・デル・ビオンドの1370年〜80年頃の作品です。
メディチ家の紋章も下にしっかりと見えていますね。 -
次に目に留まったものは、カウンターファサードの中央扉の上にあった大きな24時間時計と、その下のモザイク、フレスコ画です。
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こちらはルネッサンス初期の画家パオロ・ウッチェロ(1397年〜1475年)によって作られた、礼拝に用いられていた24時間時計です(1443年)。これって動いているのかしら? 針が何本もあって、どう読んだら良いのかわかりませんでした。一番長い針は6を指しています。
大聖堂で18世紀まで使用されていたとのことですので、今は動いていない可能性が高いです。
時計の周りのフレスコは4人の福音記者達かなあ・・・凄く不気味な絵です。皆ゾンビのような目つきをしていますよ。 -
ルーネット部分のモザイクは、ゴシック芸術全盛のフィレンツェを代表するガッド・ガッディ(1240年頃〜1312年)作の「聖母戴冠」。先ほど訪れた聖ジョヴァンニ洗礼堂にも彼のモザイクがありましたね。ガッドはタッディオ・ガッディの父親だそうで、画家ですが、モザイク制作で特にその名を知られています。前の旅行記で書いたように、チマブエやジョットとも親交があったようですが、彼の生涯について詳しいことはあまりわかっていません。
キリストと聖母が身に着けている衣服のひだの1本1本まで丹念に形作られているのが大変印象的です。 -
実は、ガッド・ガッディのモザイクには昨年も出会っていました。
こちらはフィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会の後陣部分にあった彼のモザイクです。ここでもキリストの衣服に注目。裾のひだの部分の細かさ、優美さに共通点を見出したような気がしました。 -
イチオシ
ルーネットの左右にあったフレスコには、天使の音楽隊の姿がありました。バロック芸術の旗頭サンティ・ディ・ティト(1536年〜1603年)の1589年の作品です。
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イチオシ
フィレンツェ初心者の私はまだヴェッキオ宮、サンタ・マリア・ノヴェッラの内部も見ていないのですが、この二つの場所にはサンティ・ディ・ティトの作品が沢山あることがわかりました。
ヴァザーリが提唱したマニエリスムでは、 肉体の誇張や、仕草の複雑化、わざと目立たせるための彩色等が採用されてきましたが、ティトの絵はあくまでも自然でシンプルで、わかりやすいもの。彼もローマで学んだマニエリスムを最初は用いていたそうなのですが、極端な行き過ぎは必ずや回帰を生むんですね。
よ〜し! 次はティトの絵を見るぞ〜!
次回のフィレンツェ訪問の楽しみが増えました。 -
カウンターファサードの全体像をもう一度!
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続いて床第二弾です。OPAとはOpera di Santa Maria del fioreの略で、大聖堂の管理団体です。1296年設立で、ドゥオモに関する全ての美術品の発注、管理、維持などを行っています。
床の円形模様を上から見た〜い! -
2つのアーチの壁一杯に描かれた2枚のフレスコは、一見同じ画家によって描かれたものと思われますが、実は違います。
右側は前述の大時計の文字盤を描いた画家パオロ・ウッチェロによる葬送モニュメントです(1436年)。フレスコによるモニュメントと言うのは珍しいですねえ。徹底した遠近法の使用が彼の絵の特徴だそうです。
左側の騎馬像を描いたのは、アンドレア・デル・カスターニョ(1421年頃〜1457年)。右の絵に遅れること20年。ウッチェロと同じ技法を用いて、傭兵隊長(コンドッティエーレ)ニッコロ・ダ・トレンティーノを描き上げました。カスターノの絵は、遠近法の他、リアリズム手法を多く取り入れているのが特徴です。
2枚のフレスコは当然のことながら、しばしば比較の対象となっています。 -
右側のイギリス人傭兵隊長サー・ジョン・ホークウッド(1320年〜1394年)に捧げられた葬送モニュメントです。ホークウッドは1390年にはフィレンツェ総司令官を務め、フィレンツェの町を宿敵ミラノから守り、人々から救世主と呼ばれました。イタリア名をジョヴァンニ・アクートと言います。
遠近法に厳格だったウッチェロの作品は、騎馬像の台座を真正面よりやや左側から見ている構図になっていて、彼のこだわりが随所に感じられ大変興味深いです。 -
ニッコロ・ダ・トレンティーノの伝記を読むと、彼はミラノのヴィスコンティ家、ナポリの女王ジョヴァンナ2世、フィレンツェ共和国、教皇と、お金を貰えるスポンサーのためなら誰彼かまわず働いた感があります。まあ傭兵とはそういうものでしょう。
しかしながら、1427年のマクローディオの戦いに勝利した後はフィレンツェのためだけに働いたようです。1432年にはサン・ロマーノの戦いにも勝って、トレンティーノはフィレンツェの総司令官に就任しますが、1434年にヴィスコンティ軍にとらえられ、その時のけががもとで翌年亡くなりました。
パオロ・ウッチェロ、アンドレア・デル・カスターニョはフラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ドメニコ・ヴェネツィアーノらと共に、15世紀半ばのフィレンツェを代表する画家に挙げられています。 -
大聖堂内の数少ない祭壇の中に納まっていたのは、ベルナルド・チウファッニ作のダヴィデ王の像です。キリスト教の聖人以外の人物がこういう場所に祀られているのも珍しい??
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フレスコで描かれた葬送モニュメントがここにもありましたよ。左は1363年〜70年までフィレンツェの司教だった裕福なコルシーニ家出身ピエトロ・コルシーニ(1422年)、右は修道僧ルイジ・マルシッリ(1439年)のモニュメント。これらは共にビッチ・ディ・ロレンツォ(1373年〜1452年)の作品です。やはりフレスコだけだと少々味気ない気がしません?
中央の祭壇の中には、預言者イサイア。上の写真と同じチウファッニの作品です。大変迫力のある顔をしています。 -
こちらは、唯一ぶれていなかった1枚で(泣)、クーポラを支える柱に付随した祭壇にあった使徒聖マタイ像です。彼のシンボルは人または天使ですが、ここでは子供の天使に付きまとわれていますね。
16世紀の彫刻家ヴィンチェンツォ・ロッシの作品。他にも彼の作品聖トマゾがありました(ボケボケ〜!)ロッシの作品の多くはヴェッキオ宮殿が所蔵しています。
実はこの使徒シリーズ。大聖堂(OPA)はダヴィデ像を作り上げたばかりのミケランジェロに依頼したのですが、彼はローマのユリウス2世に呼び出され、結局フィレンツェに帰ってくることはなかったのだそうです。 -
「(ダンテの)神曲がフィレンツェを照らしている」という、一風変わったタイトルを持つこちらのフレスコは、フラ・アンジェリコの影響を強く受けている画家ドメニコ・ディ・ミケリーノの作品です。1456年。
なかなか興味深い絵ですね。中央には隣の洗礼堂で洗礼を受けたという、ダンテ自身が彼の詩「神曲」を開いて見せている姿。右側にはいくつもの塔がそびえるフィレンツェの町が描かれています。もっとも、彼が生きていた時代(1265年〜1321年)にはまだ大聖堂のクーポラは完成していなかったはずなんですが・・・
背後には「煉獄山」があって、大勢の人々が清めの苦行を受けています。その頂はアダムとイヴで象徴される楽園でしょうか? そして左手前にはダンテ自ら手で指し示している地獄の沙汰が描かれています。空には太陽や月、惑星などの天体が見えますね。
5か月間を費やしたこの大作、大聖堂からは大絶賛で迎えられたそうです。 -
主祭壇と後陣も、大変シンプルです。目立つのは、色鮮やかなステンドグラスのみ。バッチョ・バンディネリ制作の主祭壇の背後では、ベネデット・ダ・マイアーノによる木製の十字架が、優しい光を浴びていました。1495年〜97年頃の作品。彼はジュリアーノ・ダ・マイアーノの弟で、兄弟は背後に二つある聖具室の寄せ木細工の戸棚を共同で制作しています。
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ベネデット・ダ・マイアーノのキリスト像は高さ190cm、横幅177cm、厚みが29cmという小さなものです。2010年から4年間の修復期間を終えて、昨年主祭壇に戻ってきたばかりだそうです。19世紀に行われた修復で用いられたブロンズを取り除く作業が最も時間がかかり、神経を使ったというレポートを読みました。青い腰布もオリジナルの色になるまで何度も染め直し、蘇った色なのだそうです。
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クーポラの真下までやって参りました。思ったより大きいと感じませんでした。天窓(ランターン)から光が飛び込んできて、クーポラの内側いっぱいに描かれたフレスコを明るく映し出します。クーポラに上る際には、円形のステンドガラスがある窓の上の縁の部分を歩けるのかしら? 間近にあのフレスコを見ることが出来るのであれば、クーポラに上る価値は十分ありますね。
ブルネレスキは、クーポラの内側をまばゆい金色に輝かせるプランを考えていましたが、1446年、彼の死によりプロジェクトは中断。最終的にはトスカーナ大公コジモ1世が「最後の審判」を描くよう指示を出し、工事が始まったのはブルネレスキの死から100年以上たった1568年のことでした。
この途方もない大事業はジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ツッカリによって始められましたが、ヴァザーリは1474年に亡くなるまで黙示録での「24人の長老」のうち、4人分を描き上げただけでした。残る仕事は全て、ツッカリと彼の協力者達により、1579年までかかって完成にこぎつけたのです。 -
ヴァザーリの長老たちの姿は、ランターンのすぐ外側の一番狭い層にあります。クーポラは八角形をしているので、一つの面に3人ずつ。肉眼では全く識別できない距離です。黙示録では、この24人の正体は明らかにされていませんが、ここではキリストの使徒12人とヤコブの12人の息子の姿が描かれているそうです。
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ツッカリの画法は、乾かしてから描く「セコ」法で、ヴァザーリの「フレスコ」=新鮮とは全く逆の画法なのだそうです。数多くの「最後の審判」を見てきましたが、登場人物は共通するものの、描き方にこれほどヴァリエーションがある題材は他にないと思っています。
大聖堂でも地獄に注目して、「最も恐ろしいと思われる場面」をズームしてみました。ああ、でもこれが限界。もっと近くに見たかったなあ・・・ -
後陣には左右に聖具室へと続く扉があり、その扉の上のルーネット部分には、アンドレア・デッラ・ロッビアの叔父に当たるルカ・デッラ・ロッビアのテラコッタがありました。
何枚も撮っているのですが、なぜかこんな写真、あるいはピンボケしか見当たらないので、ウィキペディアからお借りした写真を次に載せます。 -
「キリストの昇天」です。こちらは1446年の作。とても薄暗い後陣に華やいだ一角を作っています。キリストの両側に生えている樹木がなんて生き生きしているのでしょう。天に昇るキリストの「命」を象徴しているかのようで、大変印象的でした。
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後陣左側の聖具室入り口上のルーネットにあったのは、ルカ・デッラ・ロッビア1444年の作品「キリストの復活」です。こちらが先でしたねえ。
背景の青を除けば、ほとんど白一色の世界ですが、構図は右側のものより複雑です。すっかり眠りこけている兵士たちの背後で、キリストは天使達に見守られて復活を果たします。残されたわずかのスペースには、4種類の草木が、ここでも生命の源のように勢い良く描かれています。こちらの画像もウィキメディアよりお借りしました。 -
大聖堂のステンドグラスの美しさを伝えるのには腕が悪すぎるのですが、恥ずかしながら何枚かアップします。
大聖堂には全部で44枚のステンドグラスの窓があり、14〜15世紀のイタリア建築では最大の数を誇ります。側廊と翼廊には、新旧訳聖書から聖人達、クーポラの丸窓にはキリストと聖母の姿が描かれています。制作は1434年〜55年にかけて、ドナテッロ、アンドレア・デル・カスターニョ、パオロ・ウッチェロ等が中心となって行われました。
最初の1枚は、「聖ロレンツォと天使達」。ロレンツォ・ギベルティの作品。 -
クーポラの丸窓シリーズです。これが最も美しかったかもしれないと思っています。ドナテッロ、ドメニコ・ディ・ピエロ、アンジェロ・リッピの共作で、「聖母戴冠」1434年〜37年。
画家はデッサンを提出して、シビアなコンペに勝ち残らないと、描くことが出来ません。この1枚はロレンツォ・ギベルティとのコンペに勝って、二人の弟子と共にドナテッロが完成させたもので、主祭壇の後ろ側の一番目立つ場所にありました。 -
ロレンツォ・ギベルティとベルナルド・ディ・フランチェスコの「キリストの昇天」1443年。丸窓の周りがカラフルな花模様で飾られています。同じ花模様はキリストと聖母の衣服にもあしらわれていて、この花が重要な意味を持つのかなと考えてしまいました。
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これもロレンツォ・ギベルティ作と言われていますが、上段の玉座の聖人の名前がわかりません。ギベルティは洗礼堂の扉制作にかかりっきりの20年を過ごしたと思っていたのに、ステンドグラスの制作にも精力的に関わっていて、作品の多さにも驚かされます。
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翼廊にあったステンドグラスには、6名ずつの聖人像が描かれていました。詳しい個々の聖人名は調べていません。まあ、割とありきたりと言うか・・・
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その2です。
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撮ったのはこれだけです。一番有名なギベルティ作「聖母被昇天」には気が付かなかったようですよ。
尻切れトンボになってしまいましたが、大聖堂の宝物探検はこの位にして、次に昨年から訪れたかった地下に残る聖レパラータ教会の遺構を探索しましょう。 -
これは昨年撮った大聖堂のファサードにある聖レパラータの像です。1296年にドゥオモが着工する前には、ここにはそれまで、町の守護聖人であった聖レパラータ教会Santa Reparata di Cesarea di Palestinaがありました。
広さは現在の大聖堂のおよそ1/4位でしょうか。現在のファサードよりやや洗礼堂よりに4世紀後半から5世紀前半にかけて建てられた教会は、1965年から74年にかけて行われた発掘調査で発見されたそうです。勿論、教会の存在自体はわかっていたのでしょうが、あまりにも最近ですよね。現代に生きていて良かったと思います。 -
壁のパネルには、「4世紀終わりから5世紀にかけて、ローマからメディオラヌム(ミラノのこと)を南北に結んでいた道に沿って、いくつかの教会が建てられた」と書いてありました。
洗礼堂、司教館、牧師館、病院、墓地等とともに東西の向きに建てられた教会は、サン・ミケーレ・ヴィスドミーニ、サン・サルヴァドーレ・アル・ヴェスコヴォ、そして宗教建物群の中心的な存在であるサン・レパラータでした。328年生まれのフィレンツェの最初の司教ツァノービの聖遺物は、司教座と共に、おそらく9世紀頃にサン・ロレンツォからこの教会に移されたと考えられています。
ですから正確には、聖レパラータ聖堂ですね。 -
大聖堂の地下に、こんな広い空間が広がっていたと言うだけでも凄いことですが、元々あった場所から可能な限り、遺構を移動させることなく、そのままの姿で展示されていたことには、驚きを禁じえませんでした。
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現在の大聖堂の床から2.7m下に、聖レパラータ聖堂が建つ前の、ローマ時代の舗装の跡(粘土と石)が残っています。
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床に残されたモザイクを見て、一気に興奮状態に突入します。
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発掘調査で見つかった、石の断片などの展示です。
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聖レパラータ聖堂は三廊式。身廊と側廊は左右14本ずつの列柱で隔てられていました。教会の床はモザイクで敷き詰められていましたが、特に身廊の部分で多く見つかっています。4世紀末〜5世紀。
デザインは様々で、一番多いパターンが四葉のロゼット。右側には一段高くなった場所に、大理石や平たい石を敷いた異なったパターンが見られます。この部分は、780年〜900年頃に行われた教会の再建後に作られた床と思われます。 -
八角形の中に花柄やキリスト教のシンボルの一つゴブレットなどが並んでいるパターン。
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こちらはとても状態の良いエリアです。中央付近に3つ並んでいる、二つの輪を十字につなげた模様はなんと呼ぶのでしょう? ローマ帝国時代の遺跡でもこの模様よく目にしました。
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サンタ・マリア・フィオーレが完成すると、地下の古い教会の一部は埋葬場所として使用されるようになります。並んでいるのは14世紀の墓石です。
狼の下に5つの〇は紋章でしょうか? 1313年に亡くなった、「エルサレムの騎士・修道士のニコラ・スクアルチャルーピの墓」とあります。十字軍の時代は第10回が1271年〜72年なので、十字軍従軍者には該当しませんね。 -
ここは多分、左側廊の、墓石が並んでいたエリアです。ローマ帝国時代に比べると、石の積み方が粗いような気がします。
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前述したように、780年〜900年頃のフランク王朝、オットー朝時代に、聖レパラータ教会は初めての再建工事を行います。この工事で、28本の列柱の代わりに14本の壁柱が取り付けられ、新たな礼拝堂が追加されました。床は20cmかさ上げして、新たな舗装を行っています。下のモザイクとその出来ばえを比較してみてください。
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ここにも美しいモザイクが残っていました。アフリカ文化の影響が見られるそうです。5世紀。
中央には、ラテン語の碑文のモザイクが見られました。 -
あまり他所ではお目にかかったことのないパターンです。
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こちらは、最も古い時代のもので、中央には大きなクジャクが羽を広げています。真っ赤なその羽に注目! 4世紀。
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クジャクにズームイン! ギリシャ神話に出てくる、100の目を持つ巨人アルゴスがヘルメスに殺された後、クジャクの尾羽になったという話を思い出してしまいました。
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その隣には、先ほど見た花とゴブレットのパターン。こちらは5世紀のもの。
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何枚も同じような写真を撮ってしまいました・・・
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初期の聖レパラータ教会を支えていた列柱の土台も残っていました。
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レンガの壁にも、八角形にラテン十字のデザインを発見! これは10〜11世紀の再建後の構築物だと思われます。床のレンガは実にお粗末・・・
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所々の壁には出土した柱や装飾の一部が所狭しと並べられています。
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フィレンツェと言えばメディチ家。大理石で作ったその大きな紋章と
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一族の繁栄に貢献したジョヴァンニ・デ・メディチの大変立派な墓がありました。1352年に亡くなったということは、あの有名なジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ( 1360年〜1429年)ではなく、その更に先祖のジョヴァンニ・ディ・アラマンノ・デ・メディチだそうです。この人物に関しては調べても何も出てこないので、詳細は分かりません。
1296年以来、メディチ家は町のゴンファロニエーレ(旗手)Gonfaloniereを務めていました。これは一種の町奉行のような役職で、このジョヴァンニ氏にもその称号がついていました。
通常、メディチ家の歴史はジョヴァンニ・ディ・ビッチから始まっているし、一族の墓所の多くは菩提寺のサン・ロレンツォにありますよね。同じ名前多すぎ〜! -
メディチとは医者、医薬と言う意味ですが、紋章の6つの玉は丸薬、あるいは吸い玉なのだそうですよ。
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展示品の多くがローマ帝国時代からのもので、じっくりと見ていったら時間がかかりそうでした。
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立派なスラブ2点です。読めたら面白いでしょうね。右のスラブには、鹿の角らしきもののレリーフがありますよ。
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1363年という年号がついた、ピサのメッセール・セルチェーロの墓。これもレリーフが大変綺麗です。
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墓の背後の壁に残っていたフレスコです。全くもって意味がわからない???
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こちらのフレスコはピエタのように見えますが、キリストが棺に入っているようにも見えます。悲しみに暮れる聖母と聖ヨハネが気が付かないうちに、キリストが復活? なんてことはないですよね。肝心の上半分が失われています。
現在の大聖堂建築工事が行われていた1296年から100年ほどは。人々は地下にある教会のミサに出席し続けたようで、このフレスコもその時代のものだと言われています。 -
正面に見える豪華な金の縁どりのついた衣服をまとった寝姿は、ジャコポ・カヴァルカンティという方の墓碑です。彼自身に関する記録はありませんが、その兄弟グイドはダンテの友人で、おそらく裕福な家庭の子息だったと思われます。
1302年に作られた墓碑には彩色が施され、所々にまだ色が残っています。
他にもたくさんの墓が並んでいましたが、もうきりがないのでやめましょう。 -
聖レパラータの主祭壇にやってきました。4世紀末の教会とは思えない、モダンな祭壇に見えます。この上に、大聖堂があるというのを暫し忘れていましたが、これを見て思い出しましたよ。
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こちらの十字架もコピーかしら? 主祭壇脇に立てられていましたが、何の説明もありませんでした。
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いよいよ、聖レパラータ教会の一番重要な場所に入って参りましたよ。こちらが3世紀の聖人レパラータ。アルノルフォ・カンビオの手による石像です。勿論ここにあるのはコピーで、オリジナルはドゥオモ付属美術館にあります。1300年〜1310年頃の作品。
まだ10代の初め位ではないかと思える幼い少女です。パレスティナのカエサレア出身。調べてみたら、デキウス帝の迫害により、11歳で斬首された殉教者とありました。隣の壁の中に、彼女の聖遺物が収められた棚が見えました。
遠いパレスティナの少女の受難に対する信仰は、中世初めにヨーロッパに伝わり、特にイタリアのフィレンツェ、アトリ、ナポリ、キエティなどで信者を集めました。パレスティナからどういう経路で聖遺物がここに運ばれたのでしょうね? -
そして、こちらが現在の大聖堂建設に最も貢献したと思われるフィリッポ・ブルネレスキ(1377年〜1446年)の墓です。この墓が発見されたのは、なんと! 1972年の8月のことだそうです。
壁にかかっている碑文に「フィレンツェの天才 フィリッポ・ブルネレスキの偉大なる肉体」 と書かれていたことが決め手となりました。彼ほど、大聖堂に埋葬されるのにふさわしい人はいないでしょうね。
ここには彼の彫像も立派な葬送モニュメントもありませんが、大聖堂そのものが、彼に贈ることが出来る最良のモニュメントなのかもしれません。 -
それでは、大聖堂を出て、ブルネレスキに会いに行きましょう。
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外はご覧の通りいつもの喧騒のフィレンツェでした。目の前はピガッロのロッジアです。これはフィレンツェにたくさんある公共のロッジアの一つで、二つの慈善団体が管理しています。このロッジアは、捨て子、孤児、病気の子供などを助けるために、1352年〜1358年にかけて建てられました。アルベルト・アルノルディの建築も見事です。
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大聖堂の脇をクーポラに向かって歩いていくと、いらっしゃいましたよ。
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フィリッポ・ブルネレスキは今日も彼の驚異の創造物 大聖堂のクーポラを見上げていました。まるで、まだ建築途中であるかのように、手に技術用具を抱えながら厳しい視線を送っています。
彼の彫像はここでクーポラを見続け、彼の肉体は大聖堂と言うモニュメントの下に眠る。なんと!理想的ではないですか。 -
クーポラを見上げることのできる場所はパラッツォ・デイ・カノニーチ(カノンの宮殿)のファサードです。狭かった大聖堂南側広場を4年かかって整備し、偉大な建築家のための特別席(ニッチェ)を用意した後の1838年、ルイジ・パンパローニによって製作されました。
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もう一人忘れてはなりません。最初に大聖堂を設計したアルノルフォ・カンビオです。二つのニッチェは二人のために用意されていました。こちらもルイジ・パンプローニ制作で1830年の作品です。
カンビオはパネルと巻物の両方を携えていますね。眼光は鋭いですが、ブルネレスキに比べると、執着心を持っていない表情に見えます。 -
疲れたので、この絶景をおかずに、ランチを取ることにしました。
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場所柄、思った通り味はイマイチでしたが、隣席の英語に苦労しているアルゼンチン人観光客との会話を楽しみました。英語よりスペイン語の方が通じると思うと言ったのですが、彼はスマホを片手に、一生懸命食べたいものを英語で説明。しかしながら、店員は実にそっけない態度でした。
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クイックランチを終えるともう3時近くになっていました。時間が余ったらピッティ宮に行こうかなと考えていたのですが、これから行っても中途半端になるしと、昨年見逃したサンティッシマ・アヌンツィアータ教会に向かうため、セルヴィ通りを進みます。
途中にあったサン・ミケーレ教会。オリジナルの教会は1368年、大聖堂の拡張工事に伴い立ち退きを余儀なくされ、この地に再建されました。 -
フィレンツェの祠第1号。
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程なく、お気に入りの広場が見えて来ました。サンティッシマ・アヌンツィアータ広場です。中央に立つ騎馬像は、メディチ家のフェルディナンド1世。昨日アレッツォでお目にかかったばかりでしたね。メディチ家、いや正確に言うとトスカーナ大公国は、彼の治世下で繁栄がピークに達したと言われています。
彼の背後に見える教会がサンティッシマ・アヌンツィアータ教会です。この広場の界隈で残り少ないフィレンツェ滞在を楽しむことにしましょう。
長くなってきたので、この続きは イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その72 フィレンツェ3で!
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この旅行記へのコメント (4)
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- マリアンヌさん 2016/08/16 13:23:14
- 聖レパラータ教会☆
- junemayさん、こんにちわ。
フィレンツェは、旅の起点にするもなかなかじっくり見ることが出来ず、未だに行ったことがない教会数知れずです。
その上、ドゥーモはツアーなどで普通にすごいなぁと訪れたきりで、最近は中に入っていないんです。
いつもどおり、丁寧に説明いただき、ホント宝の山ですね。
知識がおありとはいえ、調べるの大変でしょうね。
読ませていただき、いつも感心するばかりですが、ありがとうございます。
そして地下の聖レパータ教会、恥ずかしながら初めて知りました!
なんて素晴らしいのでしょう。
ローマならともかくフィレンツェにもこんなに素晴らしい保存状態で古いものが残っていたんですね。
フィレンツェ再訪時は、是非たずねてみたいです。
最近、王妃マルゴ関係の本を読んでるのですが、彼女の母は、カトリリーヌ・ド・メディシス、彼女もドゥーモ見たのかかなぁと・・・
そしてカトリーヌの父の名は、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(ウルビーノ公ロレンツォ2世)つまり有名なロレンツォ・イル・マニフィーコの孫です。
同じ名前ばかりだからややこしいですね(笑)
続き楽しみにしてま〜す。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/08/16 14:47:00
- RE: 聖レパラータ教会☆
- マリアンヌさん こんにちは。
お久しぶりです。旅行からお帰りでしょうか?
フィレンツェはローマや京都、奈良同様、何度訪れても制覇するのが難しい古い都なので、私なんぞまだ、ほんの上っ面を撫でただけなのですが、大御所のマリアンヌさんでもそうと聞き、ちょっぴり安心いたしました。
調べるのは趣味なので何ともないのですが、どんどん横道に逸れていってしまうので困っています。知らないこと多すぎ! 覚えたところで、また片っ端から忘れてしまうんですから、目も当てられません。
メディチ家の家系図を調べて、墓の主を調べようとしたのですが、同名が多すぎで、その割に収穫がないので、こちらはさっさとあきらめました。体系的に理解する なんてことは所詮不可能だと悟り、このところは開き直っています。
またのおいでをお待ち申し上げております。ありがとうございました。
junemay
> junemayさん、こんにちわ。
>
> フィレンツェは、旅の起点にするもなかなかじっくり見ることが出来ず、未だに行ったことがない教会数知れずです。
> その上、ドゥーモはツアーなどで普通にすごいなぁと訪れたきりで、最近は中に入っていないんです。
> いつもどおり、丁寧に説明いただき、ホント宝の山ですね。
> 知識がおありとはいえ、調べるの大変でしょうね。
> 読ませていただき、いつも感心するばかりですが、ありがとうございます。
>
> そして地下の聖レパータ教会、恥ずかしながら初めて知りました!
> なんて素晴らしいのでしょう。
> ローマならともかくフィレンツェにもこんなに素晴らしい保存状態で古いものが残っていたんですね。
> フィレンツェ再訪時は、是非たずねてみたいです。
>
> 最近、王妃マルゴ関係の本を読んでるのですが、彼女の母は、カトリリーヌ・ド・メディシス、彼女もドゥーモ見たのかかなぁと・・・
> そしてカトリーヌの父の名は、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ(ウルビーノ公ロレンツォ2世)つまり有名なロレンツォ・イル・マニフィーコの孫です。
> 同じ名前ばかりだからややこしいですね(笑)
>
> 続き楽しみにしてま〜す。
> マリアンヌ
>
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- とし坊さん 2016/08/15 22:26:22
- 素晴らしいですね
- いつもながらの詳細で適切な解説お見事です
イタリアやっぱりいいですね、お目当てのところまではもうすぐですね
楽しみですネ
- junemayさん からの返信 2016/08/16 14:30:34
- RE: 素晴らしいですね
- とし坊さん こんにちは。
いつも気に掛けていただいて、ありがとうございます。
お盆休みはいかがお過ごしでしたか?
相変わらずのマイペースですが、ようやく次の次の旅行記からラヴェンナです。
あともう少しお待ちくださいね。
junemay
> いつもながらの詳細で適切な解説お見事です
> イタリアやっぱりいいですね、お目当てのところまではもうすぐですね
> 楽しみですネ
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