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会社勤めをしていた頃は、NHK朝の連続ドラマを見ることは無かったが、10年ほど前に会社勤務を卒業してからは毎日が日曜日。朝の連ドラは今では朝食の友となっている。毎朝15分、ストーリーは日々展開し、毎日面白可笑しく、あっと言う間に半年間が過ぎてしまうが、この15分、半年間に人生人間のドラマが凝縮されている。過去10年間で幾つもの記憶に残る朝ドラがあったが最近の連ドラは主役よりも準主役脇役に光る配役も見られた。数年前に放送された南三陸鉄道、「あまちゃん」では、母親役のキョンキョン、小泉今日子を久し振りに画面で見たが、更にその母親役、宮本信子が多少歳老いたとは言え旦那の監督伊丹十三の急逝から約20年、以前と同じような元気な姿を見せていたのは喜ばしいものだった。<br /><br />今日参詣する石老山顕鏡寺。これも又朝ドラを見て急に思い立ったものだった。2年前「花子とアン」が放映され、主役の村岡花子の学友葉山蓮子を仲間由紀恵が演じることになった。仲間由紀恵は沖縄浦添の出身で、以前から良い女優だとは思っていたが、それ程着目はしていなかった。フアンではなかった。処が、この蓮子を演じる仲間は好演で、仲間と蓮子が二重写し、蓮子の生涯が仲間自身とダブって見えてきた。それ程の熱演で、役中の人物と同一視できるように思えた。<br /><br />それまで葉山蓮子は名前すらも知らなかったが、この朝ドラで、大変な女性、明治から大正昭和を生き抜いた、奔放華麗で可憐な女性と知った。旧華族柳原家の妾の子で、大正天皇の生母の姪で、天皇とは従妹同士の関係であったが、生家の経済的な事情もあり、不本意な幼少時代を送った。九州の炭鉱王の元へ人身売買のような形で嫁入りしたが、それに反発し嫁ぎ先を出奔、その後、宮崎滔天の息子宮崎龍介と恋仲になり、炭鉱王とは離縁して最後は宮崎の妻となった。大正3美人の一人で、歌人でもあり、日蓮宗に帰依していて、一字を取って白蓮と号した。その柳原白蓮がここ顕鏡寺に葬られているのを知ったのは、連ドラが終わった後からで、いずれここにはお参りに来たいとは思っていた。<br /><br />本堂の前から相模野を眺めて一休みし、背後の墓地に向かう。100数十基ある墓石の奥の方に宮崎家の立派な墓があった。宮崎家は九州荒尾の出身であるが、二人は風光明媚なこの土地が気に入り、ここ顕鏡寺に墓所を求めたのだ。墓碑銘を見ると龍介氏78歳、白蓮さんは更に長生きし、昭和42年、82歳で示寂されている。実に明治大正昭和を生き抜いた。晩年は目が不自由で視力が落ち、この山の光景も十分には見えなかったに違いないが、相模野の穏やかな風の香りは肌で感じたことだろう。静かな山間の墓地で、今日の初夏の太陽の下、今は夫、家族と共に静かな時を送っているだろう。

顕鏡寺の白蓮さんと石老山(6)柳原白蓮さん墓参。

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2016/06/19 - 2016/06/19

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ちゃお

ちゃおさん

会社勤めをしていた頃は、NHK朝の連続ドラマを見ることは無かったが、10年ほど前に会社勤務を卒業してからは毎日が日曜日。朝の連ドラは今では朝食の友となっている。毎朝15分、ストーリーは日々展開し、毎日面白可笑しく、あっと言う間に半年間が過ぎてしまうが、この15分、半年間に人生人間のドラマが凝縮されている。過去10年間で幾つもの記憶に残る朝ドラがあったが最近の連ドラは主役よりも準主役脇役に光る配役も見られた。数年前に放送された南三陸鉄道、「あまちゃん」では、母親役のキョンキョン、小泉今日子を久し振りに画面で見たが、更にその母親役、宮本信子が多少歳老いたとは言え旦那の監督伊丹十三の急逝から約20年、以前と同じような元気な姿を見せていたのは喜ばしいものだった。

今日参詣する石老山顕鏡寺。これも又朝ドラを見て急に思い立ったものだった。2年前「花子とアン」が放映され、主役の村岡花子の学友葉山蓮子を仲間由紀恵が演じることになった。仲間由紀恵は沖縄浦添の出身で、以前から良い女優だとは思っていたが、それ程着目はしていなかった。フアンではなかった。処が、この蓮子を演じる仲間は好演で、仲間と蓮子が二重写し、蓮子の生涯が仲間自身とダブって見えてきた。それ程の熱演で、役中の人物と同一視できるように思えた。

それまで葉山蓮子は名前すらも知らなかったが、この朝ドラで、大変な女性、明治から大正昭和を生き抜いた、奔放華麗で可憐な女性と知った。旧華族柳原家の妾の子で、大正天皇の生母の姪で、天皇とは従妹同士の関係であったが、生家の経済的な事情もあり、不本意な幼少時代を送った。九州の炭鉱王の元へ人身売買のような形で嫁入りしたが、それに反発し嫁ぎ先を出奔、その後、宮崎滔天の息子宮崎龍介と恋仲になり、炭鉱王とは離縁して最後は宮崎の妻となった。大正3美人の一人で、歌人でもあり、日蓮宗に帰依していて、一字を取って白蓮と号した。その柳原白蓮がここ顕鏡寺に葬られているのを知ったのは、連ドラが終わった後からで、いずれここにはお参りに来たいとは思っていた。

本堂の前から相模野を眺めて一休みし、背後の墓地に向かう。100数十基ある墓石の奥の方に宮崎家の立派な墓があった。宮崎家は九州荒尾の出身であるが、二人は風光明媚なこの土地が気に入り、ここ顕鏡寺に墓所を求めたのだ。墓碑銘を見ると龍介氏78歳、白蓮さんは更に長生きし、昭和42年、82歳で示寂されている。実に明治大正昭和を生き抜いた。晩年は目が不自由で視力が落ち、この山の光景も十分には見えなかったに違いないが、相模野の穏やかな風の香りは肌で感じたことだろう。静かな山間の墓地で、今日の初夏の太陽の下、今は夫、家族と共に静かな時を送っているだろう。

旅行の満足度
5.0

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  • 顕鏡寺の裏手には100基余りの墓石がならんでいる。

    顕鏡寺の裏手には100基余りの墓石がならんでいる。

  • あそこに宮崎家の墓があるがあれだろうか・・。聞いていた場所と少し違うようだが・・

    あそこに宮崎家の墓があるがあれだろうか・・。聞いていた場所と少し違うようだが・・

  • ああ、ここには大神田家の立派なお墓もある。大檀家なのだろう。

    ああ、ここには大神田家の立派なお墓もある。大檀家なのだろう。

  • 歴代住職の墓所だ。白蓮さんの墓はこの奥と聞いていた。

    歴代住職の墓所だ。白蓮さんの墓はこの奥と聞いていた。

  • ああ、あった。ここが宮崎家のお墓だ。

    ああ、あった。ここが宮崎家のお墓だ。

  • ああ、宮崎さん、白蓮さんの仏号が刻まれている。

    ああ、宮崎さん、白蓮さんの仏号が刻まれている。

  • その墓誌を見ると、宮崎氏は「石老院大観光居士」、白蓮さんは注書きとして「雅号柳原白蓮・妙光院心華白蓮大姉」と院号が記されていた。

    その墓誌を見ると、宮崎氏は「石老院大観光居士」、白蓮さんは注書きとして「雅号柳原白蓮・妙光院心華白蓮大姉」と院号が記されていた。

  • 今もなお訪れる人が絶えないという。

    今もなお訪れる人が絶えないという。

  • ここからも又相模の山が間近に見えた。

    ここからも又相模の山が間近に見えた。

  • 墓地は又初夏の太陽に焦がされていた・・。

    墓地は又初夏の太陽に焦がされていた・・。

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