2014/11/08 - 2014/11/08
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「日本国宝展」
平成館 特別展示室 2014年10月15日(水) 〜 2014年12月7日(日)
会 場 東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間 9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜日、および11月1日(土)、2日(日)は20:00まで、土・日・祝休日は18:00まで開館)
11月28日(金)〜12月7日(日)は20:00まで開館(入館は19:30まで、ただし12月2日(火)は17:00まで)
休館日 月曜日
(ただし11月3日(月・祝)、11月24日(月・休)は開館、11月4日(火)、11月25日(火)は休館)
観覧料金 一般1600円(1400円/1300円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円)
中学生以下無料
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※春と秋の庭園開放では、庭園を自由に散策いただけます
春の庭園開放:2016年3月15日(火)〜4月17日(日) 10:00〜16:00
秋の庭園開放:2016年10月25日(火)〜12月4日(日) 10:00〜16:00
国宝展がまだ混雑していたので庭園から先に回りました。 -
応挙館 おうきょかん
尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院、明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848〜1938)邸内に移築、昭和8年(1933)当館に寄贈され、現在の位置に移されました。
室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられています。
松竹梅を描いた床張付がのこされています。
墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されていますが、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙揮毫当時の絵画空間が応挙館に再現されました。
木造平屋建て、入母屋造、瓦葺き、間口15m、奥行き9m、2室、廻り廊下を巡らしています。 -
九条館
もと京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていました。昭和9年(1934)九条家から寄贈され、現在の位置に移築されました。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。
木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造、間口15m、奥行き10m、2室、廻り廊下を巡らしています。 -
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六窓庵 ろくそうあん
慶安年間(1648〜1652)に奈良の興福寺慈眼院に建てられたもので、もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録とともに大和の三茶室といわれました。
明治8年(1875)に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877)に当館に移築されました。
その後、第二次大戦中再び解体され疎開しま したが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584〜1656)好み。水屋、寄付、腰掛などは明治14年(1881)に古筆了仲(こひ つりょうちゅう)によって設計、増築されたものです。
にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白 藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、明治18年(1885)に当館の所有になりました。
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転合庵 てんごうあん
小堀遠州が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。
その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに当館に寄贈されました。
木造平屋建て、切妻屋根、瓦葺き、二畳台目向切席、遠州好み。4畳半座敷、水屋などがあります。
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次はメインの国宝展へ。
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中は撮影禁止ですのでここまで。
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国宝展を見て、次は法隆寺宝物館に向かいました。
とてもモダンな建物ですので一度行ってみて下さい。 -
法隆寺宝物館は、当館所管の法隆寺献納宝物すべてをまとめて保存・展示する建物として、昭和39年(1964)に開館しました。
この旧宝物館では作品の保存上、公開は週1日に限られていました。そこで、保存機能をさらに高めながらも作品を広く一般に公開することを目的とし、平成11年(1999)に谷口吉生設計による新宝物館が開館しました。現在は、他の展示館と同様、週6日公開されるようになりました。
緑に囲まれ、人工池を配した明るい外観と、静寂な展示室は、平成13(2001)年度の建築学会賞を受賞しました。中2階にある資料室では、法隆寺献納宝物デジタル・アーカイブと関連図書が閲覧できます。1階にはレストランがあります。 -
仏像が並んでいて圧巻です。
法隆寺宝物館は撮影可能ですので仏像マニアの方にもオススメです。 -
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伎楽面の数々。
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国宝 指定名称:金銅灌頂幡1具
銅製透彫鍍金
全長約510.0 天蓋方65.0 幡身74.5〜82.6 幅32.7〜33.5
飛鳥時代・7世紀 -
幡(ばん)は寺院の堂の内外を飾る荘厳具の一つで、古代の幡の多くは染織品であった。
この灌頂幡は「法隆寺献納宝物」を代表する名品で、見事な透彫で如来や天人、雲、唐草文などを表した金銅板(銅板に金メッキ)を組み合わせて構成されている。最上部をおおう天蓋と、その中央に吊り下げた大幡からなる。
天蓋は4枚の金銅板を傘形に組み合わせて周縁に蛇舌(じゃぜつ)と呼ばれる飾金具をめぐらし、その下に多くの垂飾を垂らす。大幡は天蓋中央から吊り下げ、6枚からなる。
それぞれを蝶番で連ね、当初は下端に染織幡と同じく布製の幡足が垂れていたと推定され、その全長は10メートルにおよぶ。
天蓋、大幡ともに、雲の中で楽器を奏で、華や香などを献じる天人が配されるほか、大幡には周縁に忍冬唐草文の帯が透彫でめぐらされている。また大幡最上部の1枚には、如来とその両脇に従う菩薩の如来三尊像が透彫されている。
灌頂とは頭に水を注ぎ、仏の弟子としてある位に昇ったことを証する儀式。灌頂幡には、灌頂を受けることと同様な功徳があると考えられたのではないか、とされている。 -
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