2016/05/09 - 2016/05/09
612位(同エリア905件中)
山帽子さん
平成28年5月9日、彦根を後にして長浜へ。長浜駅着13時10分、長浜港から相変わらず小雨の降る中を、竹生島往復の観光船に乗船。竹生島では、竹生島港→宝巖寺本堂→三重塔→唐門・観音堂→舟廊下→都久夫須麻神社本殿→竹生島港と歩いた。長浜に戻り、北国街道と黒壁スクエアを訪ね、長浜から米原経由で帰途についた。写真は竹生島港の桟橋。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 新幹線 JRローカル 徒歩
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現存する日本最古の鉄道駅舎。長浜港に向かう途中で、長浜駅の傍の長浜鉄道スクエアに立ち寄った。
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先を急いでいたので入館せずに、駅舎内を覗いて長浜港に向かった。
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長浜港14時発の竹生島行きの観光船に乗船。雨のためか、乗客が少なく、船内最前部に座ることができ、船窓から竹生島を見ることができた。
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小雨降る竹生島に上陸。
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宝巖寺本堂へと急な165段の石段を上る。
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石段を息せき切って上ったところ。宝巖寺本堂前の広場。
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宝巖寺本堂(弁財天堂)。神亀元(724)年行基創建と伝えられる。西国三十三所観音霊場・第三十番札所。本尊は大弁財天(日本三弁財天のひとつ)と千手観音。
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宝巖寺本堂。
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宝巖寺本堂から見た本堂前の広場。写真の左手から、さらに石段を上ると三重塔。
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三重塔。平成12(2000)年再建。
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観音堂内部。三重塔から石段を下って観音堂へ。石段を下りきった所に桃山時代を象徴する唐破風の唐門があるのだが、残念ながら工事中で覆いがかかっており、見ることができなかった。唐門は現存する大坂城の唯一の遺構という。唐門をくぐって観音堂へ。
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観音堂。
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舟廊下。宝巖寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を結ぶ渡廊下。秀吉の御座船「日本丸」の部材を使って建てられたという。急斜面に建つために床下は舞台造り。後に舞台造りの写真登場。
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都久夫須麻神社本殿。写真左手に続く建造物は舟廊下。建物は伏見城の遺構と伝えられる。神社名の「つくぶすま」は竹生島の古名といわれ、平安時代の「延喜式」に載る由緒ある神社。
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都久夫須麻神社本殿。
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都久夫須麻神社本殿。
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都久夫須麻神社本殿から見る龍神拝所。建物の先は琵琶湖。
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龍神拝所の前、琵琶湖につき出した所に建つ鳥居。龍神拝所から「かわらけ」を投げ、鳥居をくぐると、願いが叶うという。鳥居の周辺には多数の「かわらけ」が落ちている。
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都久夫須麻神社から港に下る時に、見上げた舟廊下。
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舟廊下の舞台造り。
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舞台造り。
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鳥居の右手にあるは大木は、龍が湖から昇ってくると伝えられる神木。
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竹生島港。
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北国街道の街並み。竹生島から長浜に戻り、17時29分の列車に乗るまでの約1時間で、北国街道の街並みと黒壁スクエアの散策。長浜は中世以前は今浜と呼ばれていたが、天正3(1575)年、小谷城の秀吉がこの地に築城移転して、長浜と改称。近世の長浜は北国街道の宿駅機能を備え、かつ、米原などと並ぶ要港を持ち、水陸の要地として繁栄した。明治時代の東海道本線全通前には、ここが鉄道と湖上の連絡船の乗り継ぎ場所でもあった。
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北国街道の街並み。
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北国街道の街並み。
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北国街道の街並み。
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黒壁スクエア。北国街道沿いに残る明治時代の黒漆喰の建物とヨーロッパらからのガラス文化を融合させた、古い由緒ある街並み。ガラス工房、ガラスショップギャラリー、カフェなどが並ぶ。
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黒壁スクエア。
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長浜駅。北国街道、黒壁スクエアを大急ぎで散策し、長浜から米原経由で帰途についた。
5月7日から9日までの2泊3日の旅、比叡山延暦寺、延暦寺の門前町坂本、彦根城そして神宿る神秘の島竹生島探訪は、私にとって充実した、楽しい旅であった。また、比叡山会館で宿泊と早朝の比叡山の雰囲気も忘れることのできないものとなった。
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