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[平清盛の八男子孫が健在の伝説の里]<br />全国各地に存在する安徳帝潜幸伝承地の内、四国中央市金生町山田井切山の伝説は歴史に則したものであり、且つ、平清盛八男・平清房の子孫が健在で、観光施設にもなっている旧家の屋敷(国定文化財)で会える点が特筆される。<br /><br />元暦元年(1184)6月、屋島の戦いに先立って、安徳帝を安全な地に避難させるべく、平清房他五名の従者が帝を一旦、阿波の祖谷へ潜幸させたものの、屋島での敗戦の報を受け、山伝いに伊予に入り、切山に落ち着くこととなった。そこでは文治元年1月までの半年間滞在した。その後、讃岐へと抜け、須田ノ浦から乗船し、長門の彦島へ向かったという。この伝説の時系列は正史にも合致する。<br /><br />帝一行が切山に潜幸される際、越えた峠道 (五郷越)のルートは「安徳帝潜入道」、讃岐へと抜けたルート(下谷越)は「安徳帝下向道」として伝わっており、麓の里やルート沿いには各種史跡が残っている。それでこの二つのルートを辿ることにした。それには回遊ルートを設定する必要があるが、二つの峠を繋ぐ尾根は県境故、比較的歩き易いだろうと思い、往路は安徳帝の各伝承地が麓近くに残る下向道を登って県境尾根に出て、高丸山(588.9m)を経由して五郷越に行き、そこから車道を下って回遊することにした。<br /><br />[安徳帝下向道登山口へのアプローチ]<br />松山自動車道三島川之江ICを降りてそのまま県道333号を直進し、三つ目の信号交差点を右折する。この道は県道9号に繋がっている。<br />くねくねした山道になり、右のY字路に「真鍋家住宅」の石標が現れるが、それが平清房の子孫邸。<br /><br />分教場跡手前の変形四差路北側壁面に「生木地蔵」の解説板が張り付けられているので、それに従い右折。<br />「院の墓」の下を過ぎて二つ目の三差路(Y字路)を左折。<br />左手に下谷八幡上宮が現れると、そこの広場に駐車する。簡易トイレもある。<br /><br />[探訪]<br />下谷八幡は上宮と下宮があるが、どちらも安徳帝を奉じてこの地に到った清房等五士が武運を祈念して祭ったものと言われている。<br />八幡の東側にある祠は安徳宮。ここが帝の御所への上り口にあたることから祀られたものと推察される。<br /><br />トイレから奥に進んだ所に橋が架かり、道が二手に分かれているが、左の道を行けば帝の御所(仮宮殿)跡のある「安徳の窪」。下向道は橋から右の道を進む。<br /><br />下谷越へ出るまでの間には、五士の一士、伊藤清左衛門国久が建立した薬師堂跡がある。伊藤氏も平家一門だが、紀州の熊野神社の修験者でもあった。子孫は昭和40年代前半、和歌山に帰って行った。<br />高丸山は展望がないが、そこから五郷越までの間には複数箇所、ヤマツツジが咲いていた。<br /><br />五郷越から下は車道化されており、古道は数十メートルほどしか残っていない。<br />上宮へと繋がる主要道路に出て、引き返している途中、熊野権現の祠があるが、伊藤清左衛門は紀州の熊野権現を背負ってこの地に来ていた。<br />権現の祠の手前から小径を南東に進むと、五士の一士、平清国を祭った田辺神社の祠がある。<br /><br />熊野権現の北に下谷八幡下宮の参道口があるが、参道を上っていくと、刀石という立石がある。刀石の左側には安徳帝が神器である宝剣を置いた時に生じたとされる疵が残っている。<br />道路に戻り、先を進むと右手奥に平清国の子孫宅が見える。その子孫宅には安徳帝伝説について書かれた古文書が伝わっている。<br /><br />車に戻ると院の墓に寄る。これは壇ノ浦での帝の死を知った五士(厳密には四士)が、帝の御衣と御念持仏を埋めて仮の御陵としたもの。<br />車での帰り道、五士以外の従者の武士を祭ったとされるごうりんさんや清房を祭った真鍋神社、真鍋家住宅に寄って、真鍋家当主と談笑した。<br />下向道から潜入道の回遊のコースガイドやコース図については以下の投稿サイトを参照されたい。<br />http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-296031.html<br /><br />この旅行での宿泊は川之江の市街地にある歩き遍路専用宿「一野屋旅館」に取った。一泊二食で5,500円、駐車料金無料。但し、連泊時でも料理は同じ。TEL0896-56-3179

安徳帝伊予潜幸説と花の法皇山脈とレールの残る鉱山跡・1日目

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2013/05/04 - 2013/05/06

38位(同エリア72件中)

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マローズ

マローズさん

[平清盛の八男子孫が健在の伝説の里]
全国各地に存在する安徳帝潜幸伝承地の内、四国中央市金生町山田井切山の伝説は歴史に則したものであり、且つ、平清盛八男・平清房の子孫が健在で、観光施設にもなっている旧家の屋敷(国定文化財)で会える点が特筆される。

元暦元年(1184)6月、屋島の戦いに先立って、安徳帝を安全な地に避難させるべく、平清房他五名の従者が帝を一旦、阿波の祖谷へ潜幸させたものの、屋島での敗戦の報を受け、山伝いに伊予に入り、切山に落ち着くこととなった。そこでは文治元年1月までの半年間滞在した。その後、讃岐へと抜け、須田ノ浦から乗船し、長門の彦島へ向かったという。この伝説の時系列は正史にも合致する。

帝一行が切山に潜幸される際、越えた峠道 (五郷越)のルートは「安徳帝潜入道」、讃岐へと抜けたルート(下谷越)は「安徳帝下向道」として伝わっており、麓の里やルート沿いには各種史跡が残っている。それでこの二つのルートを辿ることにした。それには回遊ルートを設定する必要があるが、二つの峠を繋ぐ尾根は県境故、比較的歩き易いだろうと思い、往路は安徳帝の各伝承地が麓近くに残る下向道を登って県境尾根に出て、高丸山(588.9m)を経由して五郷越に行き、そこから車道を下って回遊することにした。

[安徳帝下向道登山口へのアプローチ]
松山自動車道三島川之江ICを降りてそのまま県道333号を直進し、三つ目の信号交差点を右折する。この道は県道9号に繋がっている。
くねくねした山道になり、右のY字路に「真鍋家住宅」の石標が現れるが、それが平清房の子孫邸。

分教場跡手前の変形四差路北側壁面に「生木地蔵」の解説板が張り付けられているので、それに従い右折。
「院の墓」の下を過ぎて二つ目の三差路(Y字路)を左折。
左手に下谷八幡上宮が現れると、そこの広場に駐車する。簡易トイレもある。

[探訪]
下谷八幡は上宮と下宮があるが、どちらも安徳帝を奉じてこの地に到った清房等五士が武運を祈念して祭ったものと言われている。
八幡の東側にある祠は安徳宮。ここが帝の御所への上り口にあたることから祀られたものと推察される。

トイレから奥に進んだ所に橋が架かり、道が二手に分かれているが、左の道を行けば帝の御所(仮宮殿)跡のある「安徳の窪」。下向道は橋から右の道を進む。

下谷越へ出るまでの間には、五士の一士、伊藤清左衛門国久が建立した薬師堂跡がある。伊藤氏も平家一門だが、紀州の熊野神社の修験者でもあった。子孫は昭和40年代前半、和歌山に帰って行った。
高丸山は展望がないが、そこから五郷越までの間には複数箇所、ヤマツツジが咲いていた。

五郷越から下は車道化されており、古道は数十メートルほどしか残っていない。
上宮へと繋がる主要道路に出て、引き返している途中、熊野権現の祠があるが、伊藤清左衛門は紀州の熊野権現を背負ってこの地に来ていた。
権現の祠の手前から小径を南東に進むと、五士の一士、平清国を祭った田辺神社の祠がある。

熊野権現の北に下谷八幡下宮の参道口があるが、参道を上っていくと、刀石という立石がある。刀石の左側には安徳帝が神器である宝剣を置いた時に生じたとされる疵が残っている。
道路に戻り、先を進むと右手奥に平清国の子孫宅が見える。その子孫宅には安徳帝伝説について書かれた古文書が伝わっている。

車に戻ると院の墓に寄る。これは壇ノ浦での帝の死を知った五士(厳密には四士)が、帝の御衣と御念持仏を埋めて仮の御陵としたもの。
車での帰り道、五士以外の従者の武士を祭ったとされるごうりんさんや清房を祭った真鍋神社、真鍋家住宅に寄って、真鍋家当主と談笑した。
下向道から潜入道の回遊のコースガイドやコース図については以下の投稿サイトを参照されたい。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-296031.html

この旅行での宿泊は川之江の市街地にある歩き遍路専用宿「一野屋旅館」に取った。一泊二食で5,500円、駐車料金無料。但し、連泊時でも料理は同じ。TEL0896-56-3179

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
交通
4.0
交通手段
自家用車
  • 安徳宮前にある「霧山(切山)侍の足跡」。

    安徳宮前にある「霧山(切山)侍の足跡」。

  • 安徳宮

    安徳宮

  • 安徳渕。平家遺跡保存会によって名付けられたもので、特に帝の伝承がある訳ではない。

    安徳渕。平家遺跡保存会によって名付けられたもので、特に帝の伝承がある訳ではない。

  • 安徳帝行在所跡碑

    安徳帝行在所跡碑

  • 帝の仮宮殿跡

    帝の仮宮殿跡

  • 三種の神器奉安所跡

    三種の神器奉安所跡

  • 安徳帝下向道石標

    安徳帝下向道石標

  • 高丸山方面を望む

    高丸山方面を望む

  • シダ道

    シダ道

  • 薬師堂跡

    薬師堂跡

  • 下谷越

    下谷越

  • 土橋のようになった尾根道

    土橋のようになった尾根道

  • 高丸山の三角点と図根点

    高丸山の三角点と図根点

  • ヤマツツジ下を通る尾根道

    ヤマツツジ下を通る尾根道

  • 尾根道からの山並み

    尾根道からの山並み

  • 五郷越

    五郷越

  • 五郷越南から雲辺寺山を望む

    五郷越南から雲辺寺山を望む

  • 五郷越南にはヤマツツジが多い。

    五郷越南にはヤマツツジが多い。

  • 熊野権現

    熊野権現

  • 田辺神社

    田辺神社

  • 一番奥に刀石

    一番奥に刀石

  • 刀石。左側に疵が残る。

    刀石。左側に疵が残る。

  • 土釜神社・・・清国から五代の子孫・平知重を祭ったと言われる。知重は天正元年7月、讃岐の和田城主・大平伊賀守と戦って敗れ、切山に戻ったが、その時の傷がもとで9月に亡くなった。<br />現在、神社の南東下には、長らく奈良県に在住していた真鍋家当主の弟が居住。

    土釜神社・・・清国から五代の子孫・平知重を祭ったと言われる。知重は天正元年7月、讃岐の和田城主・大平伊賀守と戦って敗れ、切山に戻ったが、その時の傷がもとで9月に亡くなった。
    現在、神社の南東下には、長らく奈良県に在住していた真鍋家当主の弟が居住。

  • 土釜薬師・・・安徳帝のご安泰を祈念して建立された。土釜神社の南東にある。

    土釜薬師・・・安徳帝のご安泰を祈念して建立された。土釜神社の南東にある。

  • 院の墓

    院の墓

  • ごうりんさん(五輪の石)

    ごうりんさん(五輪の石)

  • 生木地蔵。享保16年(1731)、仏師によってカゴノキに彫られた。

    生木地蔵。享保16年(1731)、仏師によってカゴノキに彫られた。

  • 昭和54年に復元された生木地蔵レプリカ

    昭和54年に復元された生木地蔵レプリカ

  • 真鍋神社

    真鍋神社

  • 真鍋家住宅。愛媛県最古の民家で17世紀後期の建築。

    真鍋家住宅。愛媛県最古の民家で17世紀後期の建築。

    真鍋家住宅 名所・史跡

    平清盛の八男の子孫が居る屋敷 by マローズさん
  • 真鍋家住宅の囲炉裏

    真鍋家住宅の囲炉裏

  • 真鍋家の敷地にあるロボット侍。真鍋家や安徳帝伝説、周辺の見所等を身振り手振りで解説してくれる。

    真鍋家の敷地にあるロボット侍。真鍋家や安徳帝伝説、周辺の見所等を身振り手振りで解説してくれる。

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