2015/07/28 - 2015/07/28
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ももんがあまんさん
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今回は「ヴィエンヌ」から「リヨン」までの旅です、「リヨン」は、素晴らしく美しい都会で、とても感動的な町だったのですけれど、今回の旅行記では「ヴィエンヌ」の街をメインにします。
「ヴィエンヌ」の町は、紀元前50年、かのユリウス・カエサルによって、ローマの植民地にされた町で、ガリア地方においては、古くから有力な町であったのだとか、ローマの「元老院」にも、毎年、議員を派遣しており・・・その縁もあって、現在のこの町を「元老院の町」とも言うのだとか・・・
中世にも、「ヴィエンヌ公会議」などが開かれた、有力な町で、このあたりにおける「首位司教座」が、此処「ヴィエンヌ」に置かれていたのだとか・・・おかげで、「聖なる都市」とも言われた時期も有ったらしい・・・
つまり「ヴィエンヌ」は、「歴史の町」なのですね・・」と言う訳で、今回の表紙は、「ヴィエンヌのビーナス」、古代ローマ時代の女性像です・・・首から上が有りませんけれど、どんな美女の顔が乗っていたのか、各自、勝手に「妄想」してください・・・この「妄想」くらいは、多分、害は無いかと・・・?
ところで、最近の日本には、先の戦争で「日本は、中国には、負けていない!」等と、しきりに「妄想」している人たちが居るようですけれど、この手の妄想は「歴史修正主義」と言って、とても「危険」なことです・・・歴史は「妄想」するものでは無く、学ぶものだと思うのですけれど・・・
日本は、連合国に負けたのであって、中国は当然、その連合国の一員だったのです・・・「ポツダム宣言」には、中国も名を連ねておりますし、日本は、間違いなく、アメリカだけではなく、中国に対しても、敗北を受け入れたのです・・・今になって、「ポツダム宣言は、つまびらかに知らない」などと言って、ごまかせるものでは有りません・・・
「アメリカには負けたけど、中国には負けていない!」と、しきりに「妄想」している人たちは、TPPや安保法制、基地問題等で、今度は、徹底的にアメリカに従属し、アメリカを味方につけることによって、「中国との戦争を、もう一度」と、願望し、しきりに中国を挑発しているのですけれど、この「妄想」の行きつく先は、もう一度の「敗戦」と、もう一度の「荒廃」以外の、何ものもありません・・・だいたい、こんなくだらない日本人の「妄想」に、アメリカ議会が付き合ってくれるはずも無いですし、そもそも、相手(中国)は、何千発と言う「ミサイル」と「核」を持っているのです・・・
国土か狭く、その国土に、53基の「原発」を括り付けている日本は、冷静に考えれば、戦争の出来る体制には有りません・・・「原発銀座」と言われる「若狭湾」に、ミサイルを一発、打ち込まれれば、日本は、それでおしまいです・・・尖閣諸島の局地戦で、もし、日本が間違って、勝ってしまったとしたら、中国は間違いなく、「若狭湾」にミサイルを撃ち込むでしょう・・・過って、日本軍に、2000万とも3000万とも言われる国民を殺され、略奪・強姦・殺戮の限りを尽くされた中国が、局地戦で負けただけで、参ったと、引きさがってくれるはずが有りません・・・手持ちのカードは、間違いなく切る筈です・・・もしかしたら、それは「核ミサイル」かもしれない・・・
安部晋三と神道政治連盟の議員たちを、次の選挙で勝たせることは、この、彼らの「妄想の戦争」を「現実化」させるかもしれません・・・彼らは、この選挙で、参議員の2/3を制し、「憲法改定」≒「緊急事態条項」の発議を目論んでいますけれど・・・この「緊急事態条項」こそが、「日中戦争」を実行するため・・・日本国内に「独裁体制」を引くための「武器」なのです・・・
過って、「緊急事態条項」は、「ナチス」が、国内の「反体制派」を逮捕・弾圧する為の、最大の武器でした・・・ナチスに学んだ「安部政権」は、今、これを、「日中戦争」と「大日本帝国の復活」の為に使おうとしています・・・・「緊急事態」が発動されれば、「自由」も、「人権」も、「個人」も、「財産権」も、近代・自由主義国家としての、全ての「価値観」は失われます・・・そして、その先に待っているのは、「日中戦争」と、放射能による、日本国土の「荒廃」です・・・・これは、「妄想」では無く・・・もし、安部政権が続けばの、ワタクシの「未来予測」・・・
あまりに悲観的に過ぎると、お思いの方もおられるかも知れませんけれど、相手は、「宗教・カルト」と言っても過言でない、「安部晋三」と「日本会議」なのです・・・「アンダー・コントロール」とか、「戦争」を「積極的平和」とか、「TPP絶対反対とは言ってない」とか、「リーマンショックとは言ってない」とか・・・何の衒いも無く、平気で「嘘」を言えてしまう人たち・・・これは、もはや、精神鑑定が必要なレベルです・・・
中国の封じ込めを意図し、外国へ行くたびに、「自由と人権」とか「価値観を共にする・・・」とか言っているけれど・・・「秘密保護法」やら「盗聴法」やら、NHKや民放への露骨な介入やら・・・このようなことをやる「安部晋三」が、「自由」や「人権」の価値を知ってるとは思えない・・・もし、今度の選挙で、彼らが勝てば、彼らが何をするか、ワタクシは、とても恐ろしい・・・最悪を考えて、考え過ぎと言う事は無いと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 船 自転車 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
イチオシ
7月28日(火) ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
Cathedrale Saint-Maurice
おはようございます・・・「サン・モーリス大聖堂」・・・「ヴィエンヌ」は、中世には「聖なる都」と言われたのだとか・・・1311年には「公会議」がこの地で行われ、テンプル騎士団の解散が決定されたのだそうです・・・有名な、教皇の「アビニョン捕囚」の時代(1309年〜1377年)ですね・・・フランス王・フィリップ四世に、無理やり決議させれられたとか・・・サン モーリス大聖堂 寺院・教会
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サン・モーリス大聖堂 ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
「アーキ・ボルト」には、旧くて煤けた「彫刻」が残っていますけど、「タンパン」の彫刻は、ほぼ、崩壊しています・・・紀元314年には、すでに記録の上にあったという旧い教会 (この建物時代は、多分、13世紀ころ?)です、グルノーブルなどを含んだ、この周辺、七つの地域の、首位司教座であったとか・・・その後、革命で、「司教座」は廃止に、なったとか・・・ -
サン・モーリス大聖堂 ヴィエンヌ
現在の建物は、1130年から「ロマネスク様式」で建て始められたようですけれど、13世紀までかかって、今のような「ゴシックスタイル」になったとか・・・煤け具合が、凄いですけれど、よくよく見ると、「アーキ・ボルト」の彫刻群は、かなりの優れものですし、ロマネスクの香りも?・・・さすが、首位教会・・・お金が掛かっているのが良く解る、素晴らしい出来栄えです・・・でも、教会の入口が閉まっていて、中を見られなかったのは残念・・・ -
Eglise Saint-Pierre ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
サン・ピエール教会(考古学博物館)
次は、更に古い「サン・ピエール教会」、ガロ・ローマ時代に墓地であった場所に建てられた「修道院教会」・・・元もとの建物は、5世紀末に建てられたもので、6世紀には「修道院」が出来、フランス革命で「閉鎖」になるまで、かなり有力な「修道院」だつたのだとか・・・見た目は、ロマネスクの建物ですね・・・?サン ピエール 教会 (考古学博物館) 寺院・教会
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サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
元々、「墓地」であった教会・・・掘れば、何が出てくるやら解りませんね・・・教会の中は、現在、その「ローマ時代」の「考古学・博物館」になってます。 -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
中は、こんな感じ・・・適当に、並べられている感じ・・・?・・・まあ、ワタクシのほうも、適当に見物することにいたします・・・教会自体は、11世紀〜12世紀にかけて大幅に改造されたようなのですけれど、建物の低い部分は、5世紀末の「メロヴィング朝」時代のものなのだとか・・・フランスでも「最古」の時代と言う訳ですね・・・グルノーブルの「サン・ローラン教会」と、ほぼ同じ時代・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
もともとは「教会」・・・此処は、アプシス(後陣)でしょうか・・・? もしかしたら、「モザイク」が有ったかもしれませんけれど・・・剥げ落ちているようです・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
壁のフレスコ画は、かろうじて残ってますね・・・だいぶ、剥げてはいますけど・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
建物は「中世」のものですけれど、展示物は、更に古い「古代ローマ時代」のもの・・・かなり、無造作に並んでます・・・「博物館」として使うなら、もう少し「空間」を利用すれば良いのに・・・と思いますよね・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
もともとは「墓地」ですので・・・「石棺」は、いくらでも、掘れば出てくる・・ハハ・・? -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
羽の生えた「スフィンクス」・・・中東やエジプトからの伝来ですね・・・スフィンクスは、ロマネスクの教会の柱頭彫刻でも、良く見られる絵柄ですけれど・・・「羽のある天使」も、中東伝来だと、何処かで読んだ記憶が有ります・・・関係が有るかもしれませんね・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
「パン」(牧神)か「サテュロス」(色魔)か、どちらかの「頭」なのだとか・・?・・「墓地」に埋まってたのでしょうか?・・・タダの、不細工なオヤジの顔かも・・・? -
イチオシ
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
なかなか良いおしり・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
「ディアナ」(少女像)かと思って、前に回ったら、男でした・・・「ヘラクレス」でしょうか・・・?? -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
神殿の破片でしょうか・・・動物や鳥が描かれています・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
「石棺」の破片でしょうか・・・?・・・良く解りません。 -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
わりと有名な、「ヴィエンヌのビーナス」・・・この町で発掘された、古代ローマ時代の女性像・・・とても、美しい・・・首から上は、其々に「妄想」してください・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
スフィンクスの破片・・・神殿の破片でしょうね・・・ -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
ローマ時代のモザイク・・・絵柄のセンスは、あまり良くないかも? -
イチオシ
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
ヴィエンヌの女神・・・係員の方に名前を聞いたんですけれど、忘れてしまいました・・・ローマ風の名前で無く、ガリア風の名前が付いていました・・・ローマは、其々の民族独自の神の名前を、そのまま使用し、ローマ風の衣装を施すケースが多いので、これも多分、その一つ・・・この「博物館」で、一番、原形の残っている「オブジェ」。 -
サン・ピエール教会(考古学博物館) ヴィエンヌ
女神「ユーノー」なのだそうです・・・かなり巨大な人頭像・・・ギリシャ神話で言えば、ゼウスの妻「ヘラ」ですね・・・結婚や出産や家庭、女性一般の守護神・・・「ヴィエンヌ」の何処かに、彼女の神殿があったのでしょうね・・・野蛮な「キリスト教徒」に破壊されたのでしょうね・・・ -
Abbaye de Saint-Andre-le-Bas de Vienne ヴィエンヌ
お次は、8世紀、ニームのアスモン公爵によって設立された「サン・タンドレ・ル・バ修道院」・・・「修道院」は、10世紀に「ベネディクト派」に吸収されたとか・・・現在は勿論、「博物館」・・・「修道院」は終わってます・・・サン タンドレ ル バ教会 寺院・教会
-
サン・タンドレ・ル・バ修道院
教会は、「ゴシック」ぽいてすけれど、「塔」は、「ロマネスク」っぽいです・・・柱頭彫刻の「マスカロン」(人面像)が楽しいです。 -
サン・タンドレ・ル・バ修道院 ヴィエンヌ
修道院の「回廊」・・・過っては、修道僧達が、思索に耽った「回廊」です・・・ワタクシも、彼らに倣って、暫し思索に耽ります・・・彼らの姿は、もう有りませんね・・・時代は変わる・・・歴史とは、変化すること、良くも悪くも・・・ヨーロッパを旅して思う事は、至る所に「歴史」(変化)の証拠が、垣間見える事・・・彼等はある意味「変化」に慣れているように思います・・・このあたり、日本人とは、だいぶ違う・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
切り取り方によっては、ソコソコ美しい「回廊」です・・・・「変化」に慣れている「ヨーロッパ人」に比べ、日本人はあまり「変化」を好まないようですけれど、「万世一系」とか「神州不滅」なんていう言葉に酔うのが好きなようですし?・・・それにもかかわらず、世界は「変化」し続けております・・・熱力学の第二法則(エントロピーの法則)を持ち出すまでも無く、ヨーロッパに来れば解ります・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
歴史における「変化」とは、政治や制度の「変化」であると共に、それらを見る視点(歴史観)の「変化」でもあります・・・其れも含めて「歴史」は「変化」するのですけれど・・・でも、この「視点」と言うのは、何でもかんでも、勝手な「解釈」や「妄想」が「OK」と言う事では有りません・・・特に、国際間の取り決め、国際間の条約が絡む場合、政治家が「歴史観」を変更する事は「歴史修正主義」の批判を受けます・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
回廊の周囲に展示されている「ロマネスク時代」の柱頭彫刻・・・漫画チックで、愛嬌が有ります・・・・
安部晋三は、「ポツダム宣言は、つまびらかには、存じておらない」と言いましたけど、国家の政権を預かる者が、これを知らないという事は、通用しません・・・「ポツダム宣言」は、第二次世界大戦の「戦争観」そのものであり、「歴史観」そのものなのだから・・・日本は「ポツダム宣言」を受け入れることによって、単に戦争に負けたのではなく、第二次世界大戦の「戦争観」と「歴史観」を、受け入れたのです・・・そののち、日本は「サンフランシスコ講和会議」によって、国際社会に復帰し、国連にも加盟しましたけれど、「国連」こそは、この、第二次世界大戦の「戦争観」「歴史観」に基づいて、結成された組織なのです・・・敗戦国日本が、この国連に加盟するという事は、同時に、この「戦争観」「歴史観」を認めるという事なのです・・・「ポツダム宣言」の「戦争観」「歴史観」を「存じていない」と言う資格は、日本と言う国家には有りません・・・あくまでも、そう言いたいのならば、「ナチス」のように、最後まで、徹底的に、日本国が滅びるまで戦えば良かったのです・・・少なくとも、大日本帝国よりも、ナチス・ドイツは、筋が通ってますね・・・安部晋三が大好きの「大日本帝国」は、ただ「往生際の悪い」、恥知らずで、甘ったれた国家だったのです・・・マッカーサーに、「日本人の精神年齢は、12才」と言われても、返す言葉が無かったのは、むべなるかな・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
それにしても・・・安部晋三は、なぜこれほどまでに、「中国」を「敵視」し、「挑発」するのでしょうか・・・アメリカに対しては、「連合国」の「歴史観」を受け入れ、浅ましいほどの「恭順」を表す一方、中国に対しては、「侵略の定義は定まっていない」と、同じ「歴史観」を否定しようとするのでしょうか・・・ここには、単に、「中国の脅威」と言うよりも、福沢諭吉の「脱亜入欧」以来、明治以来の、日本人による「中国人」への「蔑視」が有るように、ワタクシには見えます・・・逆に言えば、これまで「蔑視」していた中国に、すでに多くの点で「追い越されている」と言う、今現在の事実が、何にもまして、安部晋三や日本会議の人たちの「プライド」を傷つけているのですね・・・一人の人間が「プライド」の為に、喧嘩するように、国家もまた、単に「プライド」の為に、戦争をすることが有ります、「日中戦争」の可能性は、この点からも、リアルな「未来予測」だと、ワタクシは思う・・・それにしても、アメリカに対する「卑屈」さ、これもまた、明治以来の「劣等感」の故か?・・・日本人は、成長してないのですね・・・12才より、更に「幼稚」になったような、そんな気がします。 -
イチオシ
サン・タンドレ・ル・バ修道院
「にらめっこ」しましょ・・・口から「お獅子」が・・・ハハ・・・どういう「イメージ」なんでしょう・・・?
ともあれ、政治向きのお話は、今日はこれまで・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
どちらが「上」なんでしょう・・・? 普通「柱頭彫刻」は、高い所にあって、なかなか良く見えないのですけれど、こちらでは、目の前で見ることが出来ます・・・ -
サン・タンドレ・ル・バ修道院
こんな感じで並んでます・・・ -
ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
お次は、再び「ローマ時代」に戻ります・・・ -
Theatre antique ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
「古代劇場」です・・・紀元一世紀の建造だそうです。古代劇場 建造物
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古代劇場 ヴィエンヌ
「オランジュ」の古代劇場は、舞台のサイドも残ってましたけれど、こちらは残ってません・・・多分、教会か何かの石材で、持って行かれたのでしょうね・・・ -
イチオシ
古代劇場 ヴィエンヌ
劇場の向こうには、赤屋根の街並みが見えます・・・見晴らしが良いですね・・・「ヴィエンヌ」の町は、昔から、お隣の「リヨン」と競い合っていたようなのですけれど、今はだいぶ、お隣に、水を開けられているように見えますね・・・まあ、町全体に、古めかしさが残ってますので、観光地としては、好みの問題ですけれどね・・・ -
古代劇場 ヴィエンヌ
「古代劇場」としては、「オランジュ」より落ちますけれど、周囲の景色は、こちらが上かも・・・? -
ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
丘の上に、廃墟の「シャトウ」が見えます・・・ -
ヴィエンヌ ローヌ・アルプ
観覧席の背後には、「レストラン」が有ります・・・観覧席よりも、見晴らしが良さそうです・・・お茶をしたかったのですけれど、観覧席からは、登り道が有りませんでした・・・何処から、行けるのかは不明・・・? -
Pont Saint-Martin ヴィエンヌ
「ヴィエンヌ」の町の町なかは、やや煤けて、古めかしいけれど、あまり魅力的な街並みが有りません・・・こちらは、町はずれの「ジェール川」の街並み・・・あまり色気のない「ヴィエンヌ」の町の中では、ちょっと雰囲気のあるところ・・・ -
La Gere(ジェール川) サン・マルタン橋 ヴィエンヌ
有名な「橋」なのだそうです・・・1,402年完成の古い橋・・・橋の下には、二人のイスラム系の女性と子供がいます・・・ -
La Gere(ジェール川) サン・マルタン橋 ヴィエンヌ
ジェール川と、川沿いの街並みです・・・ローヌ川の支流で、ローヌ・アルプの山岳地帯を源流とする谷川・・・この町で、ローヌ川に合流するようです・・・
町の印象 ★★★★ 古代と中世の、「遺跡の町」です・・・教会も、かなり煤けて、「遺跡状態」になってます・・・「遺跡」の見応えは、十分に有りますけれど、街並みは一息・・・ -
D 312号線 ローヌ・アルプ
ヴィエンヌからリヨンへの高速道路沿いの自転車道です・・・いかにも、都会が近くなったなあ・・・と言う感じの味気ない道路ですけれど・・・ -
リヨン近郊
近郊の町です・・・都会の近郊の町は、パリなどの例を見ると、かなり「殺伐」としてますけれど・・・リヨンの近郊の街は、だいぶ雰囲気が違います・・・総じて、落ち着いた「住宅街」・・・落書きなどは、あまり見当たりません・・・ -
イチオシ
Lyon リヨン Le Rhone ローヌ・アルプ
「リヨン」到着です・・・お隣の「ヴィエンヌ」と張り合っていたらしいですけれど・・・ずいぶんと、現代風になってます・・・見た目は「清潔」で「明るい」町です・・・・・・「リヨン」は、「ソーヌ川」が「ローヌ川」へ合流する町ですけれど、写真の川は「ローヌ川」。 -
Pont Universite ローヌ川 リヨン
ユニヴァーシテ橋を渡って、町の中へ・・・ -
ローヌ川 リヨン
悠々と流れる大河「ローヌ川」の川沿いの風景・・・パリの「セーヌ川」と、似ていなくもないけれど、もっと長閑な感じですね・・・ -
ローヌ川 リヨン
河沿いに宮殿風の建物が並ぶさまも、パリに似てますけど・・・なんだか知らない、SFチックな「塔」が不思議・・・? -
ローヌ河畔 リヨン
リヨンは「ロ−ヌ・アルプ地方」の首都ですけれど、元々中世から、この地域の中心都市でした・・・キリスト教の公会議も、二度開かれています(1245年&1274年)・・・でも、1245年に、この地で公会議が開かれたのは、「クレメンス四世」が、ホーフェン・シュタウフェン朝の「フリードリッヒ二世」に、イタリアを追い出されたから・・・追い出された「クレメンス四世」は、この公会議で、「フリードリッヒ二世」を異端とし、皇帝位の剥奪を決議します・・・けれど、その事を、過度にフランス王に依存したことが、後の「アヴィニョン捕囚」を招いたようでもあります・・・ -
Place Antonin Poncet リヨン
今のリヨンの町は、おおむね近代的で、整った街並みが特徴・・・時々「アート」・・・ -
Clocher de la Charite Place Antonin Poncet リヨン
2016年には、サッカーのヨーロッパ選手権が、フランスに来るらしい・・・今、やってますね・・・あまり、詳しくは、知らないけど・・・ -
Place Antonin Poncet リヨン
広場から、丘の上に、巨大な教会が見えます・・・多分、「フルヴィエールの丘」の「ノートルダム聖堂」・・・ -
Place Bellecour リヨン
「ベルクール広場」・・・広場の一角には「Office de Tourism」も有ります・・・広々とした、良い広場・・・ -
Place Bellecour リヨン
手前の建物が「Office de Tourism」ですね・・・ -
Pont Bonaparte リヨン
「ボナパルト橋」を渡って・・・「フルヴィエールの丘」のふもとにある、「Auberge de Junesse」を目指します・・・今日は「ベッド」で眠る予定・・・ -
旧市街 リヨン
「フルヴィエールの丘」の麓には、リヨンの「旧市街」が有ります・・・特別古い街並みではありませんけれど、そこそこ雰囲気が有りますし、何よりも「清潔」な町です・・・ -
Auberge de Junesse リヨン
右側の茶色の建物が、丘の中腹にある「ユース・ホステル」です・・・一泊24.50ユーロ・・・パリ並みのお値段ですね・・・リヨンは、都市圏としては、フランス第二位の町なのですけれど、パリよりは遥かに綺麗で、遥かに住みやすそうな気がします・・・首都を変えたほうが良いかも・・・? -
リヨン
「ユース」からの眺めです・・・夜景が楽しみですね・・・流れる川は「ソーヌ川」・・・ -
Basilique Notre-Dam de Fourviere
ユース・ホステルから、更に坂道を登って「フルヴィエールの丘」へ・・・「ノートルダム聖堂」の見物です・・・下の町からもよく見える、リヨンの象徴・・・お城のような「聖堂」です。 -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
小さな「チャペル」の、巨大な鐘楼の天辺に、黄金のマリア像が乗ってます。 -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
「リヨン」は、隣の「ヴィエンヌ」と同じ、ローマの植民都市ですけれど、中世のカロリング朝の時代に「司教座」が置かれ、以来、大司教の町として栄えたのだとか・・・司教が、封建領主の様なものだったのですね・・・教会が、お城のように見えても・・・むべなるかな・・・でも、見た目は、新しい教会に見えます・・・実は、19世紀の末に建てられたのだとか・・・様式は「ネオロマネスク」+「ビザンチン」だそうです・・・フルヴィエール教会 (ノートルダム大聖堂) 寺院・教会
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ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
Wikipediaによれば、普仏戦争と「パリ・コミューン」の敗北の後、社会主義者に対する、キリスト教の勝利を祝して建てられた建物(1872年〜1896年)なのだとか・・・かなり「政治的」な建物なのですね・・・第三共和制の憲法発布を期して、1875年に建て始められた、パリの「サクレクール寺院」と、意図としては良く似た、「政治的建造物」なのだそうです・・・まあ、元々、ローマ帝国やフランク王国は、キリスト教を政治的に利用しましたし、宗教もまた、地上の権力を利用してきました・・・宗教と政治は、そう簡単には、切って、切り離せないものです・・・それは、今の世も同じ・・・ -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
聖堂の入り口、ネオ・ロマネスク・・・出来立ての「ホヤホヤ」の教会に見えます・・・ -
イチオシ
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
中は、ビザンチン風の「モザイク」・・・キンキラですけど、ビザンチンのモザイクでは、あまり見られない、「紫色」が鮮やかです・・・紫は、高貴の色なのだそうです・・・確か、日本でもそうですね・・・ -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
なかなか豪華な大聖堂・・・まあ、キンキンギラギラの大聖堂は、趣味の問題ですけど・・・新しいし、有難味は、あまり無いですね・・・政治的意図が有るとすれば「下品」だし・・・直前の「パリ・コミューン」では、何万人もの人々が、老若男女の区別なく殺されたのだから・・・もっとも、フランス革命の時代には、リヨンは反革命派(王党派&穏健共和派の拠点であったようで、ロベスピエールが派遣した「共和国軍」によって、「リヨンの大虐殺」が行われたとか・・・どちらもどちら、救いようがないのかも・・・? -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
壁のモザイク・・・黄金の「棺」を担ぐ人々、天使も舞ってますけど・・・聖母の棺なんでしょうか? -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
リヨンの街並みは、比較的新しくて綺麗ですし、リヨンの象徴としては、相応しい「聖堂」かもしれませんけど・・・あまりにも・・あまりにも・・・やりすぎ? -
ノートルダム聖堂 フルヴィエールの丘
最後に、キンキラの天井を、もう一枚・・・ゲップが出るかも?・・・ワビ・サビの世界の日本人には、ついていけないかも・・・この聖堂は、寄付で建てられたのだとか・・・リヨンのブルジョワは、お金持ちだったのですね・・・成金趣味かも? -
リヨン ローヌ・アルプ
教会裏の「展望台」からの眺望です・・・リヨンの夕暮れ・・・下手くそな「絵」のような雲が、たなびいてます・・・明日の天気は大丈夫かな・・・? -
Theatre Gallo-romains フルヴィエールの丘 リヨン
フルヴィエールの丘には「ローマ劇場」の遺跡も有ります・・・今日は「オペラ」の上演予定のようですけど、ワタクシには「猫に小判」なので・・・パス・・・
本日の走行距離 29km/累計3,094.5km 今日は「骨休め」、ゆっくり休みます・・・明日は「フランスの美しい村・ペルージュ」に行くつもり・・・
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この旅行記へのコメント (6)
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- コクリコさん 2017/08/06 15:56:38
- ヴイエンヌの3人の天使!
- ももんがあまんさん、お帰りなさーい。
暑かったでしょう。
2泊でかなりの距離を走ったのですね!
丹後半島で心にひっかかるもの見つけましたか?
ネコちゃん、元気にお留守番していたのですね〜ひと安心。
私は夏風邪こじらせてしばらく高熱がひきませんでした。
やっとぼそぼそ目ぼしい所がないか再度調べていたのですが、古いミシュランのヴィエンヌのページをパラパラめくっていたらサン・モーリス大聖堂の三人の天使のスケッチを見つけました。
素朴なスケッチで描かれていて羽で身体を隠しているのでセラフィムだと思うのですが。
大きな大聖堂のどこにいるのかしら? 見つけられるかな?
可愛いから見たいなあ〜
と思っていたらももんがあまんさんの旅行記で発見!
アーキボルトに堂々といるではありませんか!
それも3人並んでるのがたくさん♪
ももんがあまんさん、ちゃんと撮っていたのですね!
ありがとうございました!
色々検索してもどこにあるのかわからなかったのですよ。
遠回りしましたが結局ももんがあさんの旅行記に載ってたということでした。
- ももんがあまんさん からの返信 2017/08/06 23:35:42
- RE: ヴイエンヌの3人の天使!
- 今晩は、コクリコさん。
ヨーロッパでも経験のないくらい走りました〜・・・丸三日で500km超え・・・まあ、倒れても、此処は日本ですので、なんとかなるでしょう・・・普通なら、こんな無理はしないのですけど、三日で帰ってきました・・・この次は、京都から、琵琶湖一週かな・・こちらの方は、それほど無いと思いますけど・・?
> 丹後半島で心にひっかかるもの見つけましたか?
残念ながら、丹後半島自体は、まあこんなもの?って感じでしょうか・・・悪くは無いけど、それほどでも・・・天橋立も、たいしたことないし・・・でも、日本の美しい村の一つらしい「美山町」は、なかなか良い処でした・・確かに、山は美しかったです。
> ネコちゃん、元気にお留守番していたのですね〜ひと安心。
最近、ペット屋さんから連れて帰った、オシッコの出の悪い?、ピート二世 (ラグドールのオス)が、少し、心配だったのですけど・・・全然、問題無さそうで、元気でした・・・毛がモコモコの猫なので、あまり汗をかかないのか、もともと、殆ど水を飲まないようなのです・・?
アメショー(実はキジトラ?)の、マリーの方は、いたって健康ですけど・・・時々、食べ過ぎ?で、ゲロゲロもどすのが、ちと心配・・・でも、猫には、良くあることのようで、吐いた後は、ケロッとしてるので、心配は無いようですけど・・?
> 私は夏風邪こじらせてしばらく高熱がひきませんでした。
夏風邪はしつこいですからね・・・お気を付け下さい。
> やっとぼそぼそ目ぼしい所がないか再度調べていたのですが、古いミシュランのヴィエンヌのページをパラパラめくっていたらサン・モーリス大聖堂の三人の天使のスケッチを見つけました。
> 素朴なスケッチで描かれていて羽で身体を隠しているのでセラフィムだと思うのですが。
> 大きな大聖堂のどこにいるのかしら? 見つけられるかな?
> 可愛いから見たいなあ〜
> と思っていたらももんがあまんさんの旅行記で発見!
> アーキボルトに堂々といるではありませんか!
> それも3人並んでるのがたくさん♪
> ももんがあまんさん、ちゃんと撮っていたのですね!
> ありがとうございました!
> 色々検索してもどこにあるのかわからなかったのですよ。
> 遠回りしましたが結局ももんがあさんの旅行記に載ってたということでした。
サン・モーリス大聖堂のタンパンは、あらたか壊れてましたけど、アーキヴォルトの彫刻は、なかなか、優れモノでした・・・少し煤けてますけど・・・あの天使は「セラフィム」ですよね?・・・確かに、可愛いですね・・・お役にたてて、嬉しいです・・・本物を、しっかりと見て、楽しんできてください。
BY ももんがあまん
-
- コクリコさん 2017/06/14 18:55:05
- ヴィエンヌ
- ももんがあまんさん、こんばんは!
今年はリヨン3泊するので日帰りでヴィエンヌに行こうと思っています。
ももんがあまんさんの旅行記とwizさんとの掲示板でのやりとり見たら見るべき所がたくさんありますね、楽しみ♪
ペルージュにも日帰りで行く予定です。
パリでもwizさんがヒント与えてくれた場所に行きますよ〜〜
- ももんがあまんさん からの返信 2017/06/15 12:18:52
- RE: ヴィエンヌ
- こんにちは、コクリコさん。
今年の旅行は、「リヨン3泊」ですか・・・余裕が有って、良い旅に成りそう・・・ペルージュもヴィエンヌも、リヨンからだと行きやすいし、外せませんね・・・ヴィエンヌの「サン・モーリス大聖堂」は、ワタクシが行ったときには閉まって入れなかったのですけど、開いてると良いですね・・・「サン・ピエール教会」や「サン・タンドレ・パ修道院教会」や「ローマ劇場」などのチケットは「共通チケット」が有ります・・・全部入るとすれば、割安だと思います。
ワタクシの方は、今のところ、「我慢・我慢」の状態にあります・・・短期でも、10月頃にでも行けたら良いのですけど・・・・
国内の旅行計画は、とりあえず二つ・・・
? 畿内に残る「出雲王国の残照」・・・参考文献「出雲と大和」(岩波新書)・・・奈良賢の出雲関連の遺跡から、「岩船街道」を北上、京都の丹波半島まで・・・往復一週間くらいは、かかりそう・・・いきなりの一週間は、猫が心配・・・
? 「赤松小三郎と幕末の京都巡り」・・・参考文献「赤松小三郎と、もう一つの明治維新」(作品社)・・・これなら、三泊四日くらい・・?・・・琵琶湖を含むと、一週間・・?
七月頃にはと、考えてますけど・・・迷ってます・・・?
by ももんがあまん
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- wiz さん 2016/06/15 20:08:41
- ヴィエンヌ
- ももんがあまんさん、Bonsoir!
前の旅行記で、お次は、ヴィエンヌ・・ となっていたので、ヴィエンヌでは、サン・ピエール教会が一番気になる処だったのですが、「塔」のところに三葉形アーチが見えますね〜。 なんだか、ル・ピュイのサン・ミシェル・デギーユ礼拝堂の三葉形アーチを思い出させますね。
サン・タンドレ・ル・バ修道院のずらっと並べられた柱頭彫刻もなかなかおもしろいですね〜。
古代劇場からの眺めはなかなか良さそうだけど、街並みはイマイチなんですね?
ローヌ川を越えたあたりからのプロヴァンスや、このあたり(ヴィエンヌ、リヨンなど)は・・ 歴史的に見ても、美術的に見ても、ローマ的、イタリア的な雰囲気が漂いますね。
長い旅の中でリヨンまで辿りついた・・となるとだいぶパリに近づいてきた感がありますが・・ ブルゴーニュのロマネスクもかなり多いですもんね・・ (今年の旅の計画も大変そうですが)これからも楽しみにしていま〜す。
※ところで、おせっかいですが・・まだこの間見た時と同じなので・・^^; 前回の旅行記のタイトルがヴァンヌ(ヴィエンヌですよね)となっているので、思わずブルターニュに飛んでいきそうな気分ですよ〜。 この旅行記の最後の写真のペルージャ(イタリアに飛んでいきそう〜。^^;)はペルージュですかね・・。 失礼いたしました。。。
wiz
- ももんがあまんさん からの返信 2016/06/15 23:09:45
- RE: ヴィエンヌ
- Bonsoir! wizさん。
> 前の旅行記で、お次は、ヴィエンヌ・・ となっていたので、ヴィ
エンヌでは、サン・ピエール教会が一番気になる処だったのですが、
「塔」のところに三葉形アーチが見えますね〜。 なんだか、ル・ピ
ュイのサン・ミシェル・デギーユ礼拝堂の三葉形アーチを思い出さ
せますね。
凄い!!・・・wizさん、観察力が凄すぎます・・・言われて、昔の「ル・ピュイ」の旅行記を見てみたら・・・ホント、形がそっくりですね・・・「ヴィエンヌ」の「塔」は、デザインがシンプルですけど・・・
> サン・タンドレ・ル・バ修道院のずらっと並べられた柱頭彫刻もな
かなかおもしろいですね〜。
わりと味が有りますね。近くで見ると、彫り方の荒いところも目につきますけど、それもそれなりに、味が有ります・・・
> 古代劇場からの眺めはなかなか良さそうだけど、街並みはイマイチ
なんですね?
基本的に、「ヴィエンヌ」の町は、「博物館」と 「古代遺跡」の街ですね・・・街並みは、隣の「リヨン」に比べると、かなり落ちます・・・まあ、好みも有りますけれど・・・
> ローヌ川を越えたあたりからのプロヴァンスや、このあたり(ヴィ
エンヌ、リヨンなど)は・・ 歴史的に見ても、美術的に見ても、ロ
ーマ的、イタリア的な雰囲気が漂いますね。
そうですね。両方とも、15世紀くらいまで、神聖ローマ事帝の版図だったんですよね、特に、プロヴァンスは、街並みも家屋も「イタリア風」だと感じることが多かったです・・・
> ところで、おせっかいですが・・まだこの間見た時と同じなので・・^^; 前回の旅行記のタイトルがヴァンヌ(ヴィエンヌですよね)となっているので、思わずブルターニュに飛んでいきそうな気分ですよ〜。 この旅行記の最後の写真のペルージャ(イタリアに飛んでいきそう〜。^^;)はペルージュですかね・・。 失礼いたしました。。。
有難うございま〜す・・・すぐに直しておきま〜す・・・もう一度、ブルターニュに行きたい気もしてますけど・・ハハ・・・今後も、お気づきの時は宜しくです・・ハハ・・
by ももんがうまん
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