2016/11/23 - 2017/01/15
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Weiwojingさん
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2016年は伊藤若冲生誕300年と言うことで、各地で大々的な展覧会が行われた。彼と彼の芸術に関心があったので、いくつか展覧会を見、彼に関する書籍を購入し、幾分なりとも彼の芸術を理解してみたいと思った。
最近公開された若冲の展覧会の作品の中に象を題材にした絵画があるのに気が付いた。日本で描かれた古い仏教絵画や彫像などから着想を得たと思われるが、それ以外に彼が描いた象は他の画家とはやや異なる。それは見た者でなければ描くことが出来ないようななリアルところが種々見られることである。
象を見たことがないと思われていた彼が、いろいろ調べていくと、彼は実際に象を見たことがあるようである。それはベトナムから長崎に船舶されたインド象が若冲の14歳の時1728年(享保14)に長崎から江戸へ向かう途中京都を通過したが、その時に若冲は象を見たようである。
そこで、若冲を含めて日本の人々がどのように象に接し、どのような認識を持っに至ったのかをまとめてみた。
* カバー写真は伊藤若冲の肖像画と共に彼が描いた象や彼の有名な群鶏図を取り上げてみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
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「普賢菩薩像」
仏教美術には象を用いた作品がたくさんあるが、象を全然見たことがない人々が描いたものばかりで、伝承や書物などから知識を得て描いたものと思われる。そのためこれが象かと思うような絵が多い。
ここに描かれている象は、象と言うよりはまるでライオンのような姿をしている。観音菩薩と言えば、象に跨った姿をしているが、それらの象は実物を見たことがない作者が描いているので、実物の姿とはだいぶかけ離れている。 -
「普賢菩薩騎象像」 平安時代(12世紀)制作 (東京・大倉集古館蔵)
普賢菩薩を乗せたこの象も象と言うにはあまりにも奇妙な体をしていて、この製作者は全然象を見たことがないものと思われる。 -
「普賢菩薩像」 平安時代の制作 ( 東京国立博物館所蔵 )
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「普賢菩薩像」(伊藤若冲作) 1765年以前の制作
京都・相国寺にある「釈迦三尊像」3幅対のひとつで、象に跨る釈迦の姿を描いている。1765年(明和2年)以前に描かれたものと思われるが、若冲はこれを含めて3幅の釈迦像を同寺に寄進した。
若冲は1728年(享保14)に京都で象を見たのではないかと思われる。しかし、この普賢菩薩像は従来の描き方をそのまま踏襲している。 -
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また相国寺に象を描いた「白象図」という杉絵がある。作者はもちろん若沖であるが、これは上記の釈迦三尊像の内のひとつ「普賢菩薩像」と比べると、よりリアルさを増している。
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同じく若冲が描いた「鳥獣花木屏風」に白象が描かれている。これは1790年頃の制作で、屏風に描いたものである。
若冲と彼の作品は20年前あたりから急に日本で脚光を浴びるようになったが、それ以前はほとんど知られることのない幻の画家であった。ところが、アメリカ人のジョー・プライスという若冲のコレクターが日本で彼の作品展を開催するに及んで、一躍人気を博し、広く知られるようになった。
プライスの収集した作品は「エッコ・ショー・プライス・コレクション」として知られ、若冲の数多くの作品が含まれている。 -
象だけを大きく拡大してみた。大きな体に小さな目が描かれていて、ユーモラスな感じを受ける。
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これも若冲の作である。「白象群獣図」の象の部分で、北陸の旧家から見つかり、彼の晩年の作と思われる。
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上下二枚の作品は「鯨象図」と言うもので、2双の屏風絵なのである。鯨が描かれた双(上)と白象が描かれた双(下)の作品である。
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この象の絵は何ともユーモラスで愛嬌を感じるが、たがよく見ると作者は実際に象を見て、それをもとに描いたのではなさそうですある。
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狩野内膳作「南蛮屏風」(安土桃山~江戸時代初期)には右下に象の姿が描かれている。
この象は1597年(慶長2)にフィリピンのルソン島からスペイン艦隊により豊臣秀吉に献上するために連れてこられた。その江戸へ向かう道中の様子を描いている。恐らくこれは日本人にとってはじめて見た象であるにちがいない。 -
上記の南蛮屏風の象の部分を拡大してみた。黒象とそれに跨る南蛮人、象使い達の姿が見える。生き生きとした姿がうかがえる。
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郭蹼賛作「象之図」(1728年、享保13)
これは「享保の象」と言われ、江戸到着時の姿を描いたもので、背景にある柑橘類や芭蕉の木に注目したい。これは象の故郷の様子を表したものと思われる。 -
「象図」(1729年、 享保14 〉
これは上記の「享保の象」の瓦版に描かれた江戸到着時の姿を描がいたものである。 -
長谷川雪丹、長谷川雪堤画、斉藤月岑著「東都歳時記」(1838年、天保9年)に描かれた象。
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歌川広重画 「略画光琳風立斎百図」(吉田屋源八郎版ほか)
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礒田湖龍斎画 「混雑倭艸書」(1781年、安永10)
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長沢芦雪作「白象唐子屏風」の部分図(江戸時代中期)
これまでみてきたように日本に象が人々の前に登場したのは江戸時代に3度あったようである。彼らにとってはじめて見た象は巨大で、想像を絶するような動物であった。それ故、多くの絵画や絵草紙等に描かれ、多くの人々の関心をよんだ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- カスピ海さん 2017/02/07 21:12:46
- 朱印船の象
- Tamegaiさん
こんばんは
普賢菩薩ののりものから想像を絶する象、正解に近い象、とてもおもしろく拝見いたしました。
ベトナムのホイアンの日本人町と朱印船の絵巻物『朱印船交趾渡海図巻』にも象が描かれていて、
当時実際に見たことがない人が大多数のなかで、
そこまで行った日本人は、ほんとうの象を見たのだなあと、しみじみ思いました。
(九州国立博物館のサイト→http://collection.kyuhaku.jp/gallery/?at=gallery/detail&id=2231
3枚目の画像です)
- Weiwojingさん からの返信 2017/02/14 22:09:02
- RE: 朱印船の象
- カスピ海さん
こんばんは。見ていただき、ありがとうございます。今回のレポートはある本から得たヒントをもとにまとめたものです。まだまだ資料不足で十分ではありません。
ベトナムのホイアンの日本人町と御朱印船を描いた絵巻物『朱印船交趾渡海図巻』にも象が描かれているのですか。興味深いですね。いち早く異国で象を見た日本人がいたのですね。
南蛮貿易が盛んな時期には多くの日本人がアジアに出掛けていますから、彼らはこの大きな動物を見ていたのでしょうね。ただ、ほとんどその記録がないようです。
今後もう少し研究してみたいと思います。
ありがとうございました。
Tamegai
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