2016/04/09 - 2016/04/09
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あやのこうじさん
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今から100年前…
「流山軽便鉄道が開業」という記事が新聞に掲載されます。
馬橋から流山まで、全長わずか5キロ余りと言う小さな鉄道。
起点の馬橋駅までは東京駅から約30分。
中央線で言えば三鷹あたりでしょうか。
その「都心に最も近いローカル線」と呼ばれることも多い、流鉄流山線。
想像以上にディープな風景がそこにはありました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
東京駅から出発。
まずは昨年開通した上野東京ラインに。 -
流鉄の起点、馬橋駅にやってきました。
-
こちらは駅名の由来となった橋。
-
この日は風が強めで、いい感じの桜吹雪に。
(画像ではいまいちよくわかりませんが) -
桜は何とかまだもってます。
-
西口の方に出てきました。新しめの駅ビルがあります。
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隠れてしまっていますが、階段のところに「←流山線」の案内があります。
下りると時の流れが変わる…そんなタイムトンネルのような階段です。 -
流鉄の改札口。
ICカードのようなハイカラな代物は一切使えません。
発車を待つ流山行きの電車。 -
100周年記念と言うことで一日乗車券が販売されていましたので、
これを使います。なお、これは馬橋駅、流山駅、それ以外の駅、
それぞれデザインが異なるようです。 -
さて、昔ながらのジリジリというベルが鳴ったら出発。
一番前はいつだってチビっ子たちの特等席。 -
幸谷駅あたりまで桜並木が続いています。
-
馬橋駅から二駅目の小金城趾駅。
ここは途中駅で唯一対向列車待ち合わせが行えるところ。
こちらでいったん下車してみることにします。 -
この流鉄ですが、ワンマン運転こそ行っているものの、
全ての駅に駅員さんが配置されているというのも一つの特徴。 -
少し前までは古い駅ビルが建っていたようですが、今は更地に。
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小金城趾駅から少し幸谷駅方面へと戻っていくと…
警報機も遮断機もない踏切。
電車が通過するときは必ず警笛を鳴らします。 -
幸谷方面へもう少し。
100年前の開業時、このあたりには大谷口駅が存在しました。
後に小金城趾駅への改称や、流山方への移転を経て今に至ります。 -
菜の花畑を通る流山行きの電車。
(相変わらず写真のセンスがない…) -
遮断機も警報器もない踏切を行く電車。
結構な迫力。 -
さて「小金城趾駅」と言うからには「小金城」というのが
あったのだろうというわけですが、その小金城があったとされる
場所がこの「大谷口歴史公園」 -
散った桜の花びらで埋め尽くされています。
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「障子堀」もご覧のように。
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さらに上に上がるともっときれいな感じに。
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この小金城、水運の要衝として栄た地であり、
周辺でも随一の大きさを誇ったとか。 -
こちらは「畝堀」と呼ばれるところ。
先の「障子堀」と共に北条氏の色合いを残すものとなっています。
後の小田原防衛の役割を背負って築城された山中城が有名ですね。
なお、小金城主であった高城氏はこの小田原防衛にも参加。
その間に小金城は豊臣家臣の軍勢により開城に追い込まれたそうです。
参考:Wikipedia -
風が強くなるたびに舞う桜吹雪の中に一人身を置く贅沢さ。
写真でお伝えできないのが実に惜しい。
上野あたりで花見をしている人たちは今頃ごった返す人混みに…
いやいや「今頃」ではありませんでしたね。
なんてったって、今私は異なる時間軸にいるわけですから。 -
※首都圏の景色です。
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鰭ヶ崎駅に着きました。こちらも開業当初から存在する駅です。
この「流星号」には100周年記念のマークが取り付けられています。 -
駅のすぐそばにあるパン屋さん。
まさに「昔ながら」な雰囲気。 -
こちらも昔ながらな感じの洋食屋さん。
お昼を過ぎて間もないのですがもうおしまいと言う…
営業時間とかあってないようなものなのかも。 -
地元の方々が座布団を用意してくれているようです。
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さらに進み、終点の流山駅へ向かいます。
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流山駅舎。
発車時には乗り遅れそうな人がいないか駅員さんが見回りします。 -
100周年記念の案内板。
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そろそろお昼食べたいよね…と言うことで今回はこちら。
創業200年近い老舗の「小西屋」さん。
ざるそばを注文したわけですが、いつもお蕎麦屋でざるそばを
普通に頼んだだけではちょっとボリューム的に物足りなかったりしますよね?
なので、大盛りにしてもらうことも多いわけで、今回も…
ですがその数分後、別のお客さんのもとに運ばれていくヤ・マ・盛りのざるそば。
「大盛りお待たせしました〜」
…
!?
そして待つこと数分、私のもとに… -
…
…
ちゃんと完食しました。
でも、そばはもう当分いいです。はい。
ちなみに、これハウマッチ?
…600円(税込) -
結構苦しいですが腹ごなしに周辺を。
こちらは新撰組流山本陣跡。近藤勇と土方歳三離別の地とされています。 -
当時の出来事が時系列でまとめられています。
この辺については諸説ありですが、流山市のHPによると…
--- 引用ここから ---
金子家史料によれば、慶応4年3月6日に甲州勝沼で板垣退助の率いる官軍に敗れた甲陽鎮撫隊150名は江戸に敗走。13日夜には浅草から五兵衛新田の金子家へ入った。この夜、大久保大和を先頭に48名、2日後には約50名の第2陣が内藤隼人(土方歳三)に率いられて金子家に入った。
これ以降、4月1日まで隊士の徴募を行った後、4月2日未明から午前中にかけ、総勢200余名が流山へ移動したのである。流山での駐留は、本隊が酒造家長岡屋へ、分隊は光明院、流山寺等に宿をとったとみられている。翌3日、流山に賊徒が屯集しているとの情報を得た新政府軍の先峰隊(香川敬三隊)は流山を包囲した。
しかし戦闘体制が整っていなかったため、大久保大和は総督府へ出頭して幕府公認の治安隊を主張したが、近藤勇であることが露見。捕らえられて4月25日、板橋宿で処刑された。
--- 引用ここまで ---
いずれにせよ、この近藤勇の出頭によって流山が戦渦に巻き込まれることは
回避された、ここがキーポイントなのかもしれませんね。出頭後の展開もあり、
いろんな思惑を想像させるものがあります。 -
こちらは記念碑。
-
川沿いのほうに出てきました。
菜の花が綺麗に咲いています。
ちなみに、途中通りがかった和菓子店の「清水屋」において、
最近「流鉄ようかん」なるものを発売したとの情報を得て
お土産にしようかしらと考えていたわけですが、なんとこちらも
この日休業と言う… -
対岸にも黄色い絨毯が。
-
川沿いにずっと続いています。
-
「なの花の とつぱづれ也 ふじの山」
流山が第二の故郷とも言われている俳人小林一茶がこの地で詠んだ一句。
富士山を拝むことはできませんでしたが、スカイツリーが見えます。
(真ん中左寄りの縦線がそれ) -
流山駅まで戻ってきました。
-
流山駅には検車場があります。
流鉄の電車はすべての編成が異なる色、愛称が割り振られています。 -
流鉄仕様の自販機。
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手前の「流馬号」はこのときはお休み。
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さて、来た道を戻り幸谷駅へとやってきました。
なかなかにして珍しい、マンションに併設された駅です。 -
1階部分がそのままホームになっています。
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写真左側の港内踏切から駅へと入ります。
なお、駐輪場が駅前にありますが、駅の駐輪場ではありません。
マンションの駐輪場です。 -
この幸谷駅はJRの新松戸駅に近く、乗り換えてくるお客さんも多いです。
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大きな踏切を渡るローカル電車。
さて、そろそろ戻る時間がやってまいりました。 -
馬橋駅に戻ってきました。
改めて見ても、今回回ったのはほんの一部なんだなと。
人口増加率が千葉県でNo1、気鋭の新興住宅地として知られる流山ですが、
そんなイメージと相反する、現代人が忘れかけていたような風景を今に残す、
そんな一面も持ち合わせていたとは。
街を歩いても、全国チェーンのお店とかがほとんどないんですよね。
地方の駅などに降り立っても、昔ながらのお店はみんなシャッターが
下りたままで、あるのは見慣れた看板…なんてことも少なくないのに。
100年前の当時、地元の方たちが(カンパに近い)出資し合って開通まで
こぎつけたこの流鉄。目まぐるしく外部環境が移り変わる今の世の中と
無縁と言うわけにはいかないのだとは思いますが、沿線の人々に愛される
鉄道としていつまでも走り続けてくれることを願ってやみません。
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