2015/05/20 - 2015/05/20
53位(同エリア314件中)
junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
プーリア州滞在最後の日は、トレンイタリア沿線にしようか私鉄スッド・エスト線沿線にしようか、随分迷いました。候補に挙がったのは白い町オストゥーニ。でも町歩きに1日はかからない。もう1か所訪ねたいけれど、行先が見つからない。いっそ、スッド・エスト線の町に絞ろうかな? アルベロベッロは以前滞在したことがあるので、マルティーナ・フランカ、ロコロトンドも良いなあと、いろいろなサイトを調べていたら、偶然オストゥーニからマルティーナ・フランカより二つばかりレッチェ寄りの町チェーリエ・メッサピカへのバスが運行していることを知ったのです。
チェーリエ・メッサピカからスッド・エスト線に乗り継げれば、1日でオストゥーニとマルティーナ・フランカの2か所という「欲張り」も十分実現可能です。というわけで、え〜い!ままよ! 当たって砕けろ! いつものやり方で、ろくに下調べもせず、まずはオストゥーニに向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨日レッチェに行ったときと同じ8時45分バーリ発の列車でオストゥーニに向かいました。オストゥーニまでは50分弱。列車から降り立ったのは、前を行く彼女と私の二人だけ!
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4トラベルのどなたかの旅行記で読んだ通り、町の中心地まで運んでくれるミニバスが駅前に止まっていました。ここまでは全て順調。さっそく乗り込みます。料金は駅構内のバールで購入しました。90セント。
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バスは10分ほどで、町の中心地、市庁舎のあるリベルタ広場に到着です。時計台のある建物とその横にある聖フランチェスコ教会は、1304年から1809年まで修道会フランチェスコ会が使用していました。ナポレオン体制の中、ヨーロッパ中で吹き荒れた大規模な修道院締付けの嵐はオストゥーニにも押し寄せ、以後この建物は公共施設として使われることになります。
1861年から87年にかけて、ファサードは建築家フェルディナンド・アイロルディによってネオ・クラシック様式で再建されています。 -
建物で唯一装飾が施されているのは、こちらの時計台の部分。果実の花綱などにバロック様式の片鱗がうかがえますね。時計の上にはオストゥーニの町の紋章。時の経過を見守るのは、二人のアトラス(ギリシャ神話)です。
市庁舎の中にインフォメーションがあったので、中に入り、地図をもらい、チェーリエ・メッサーピカへのバス停の場所を尋ねたのですが、二人いた女性職員は共に困ったような顔になって、「乗ったことがないからわからない」と言うのです。それじゃあ、インフォメーションの意味ないでしょ!
いろいろと問い合わせてくれて、地図にマークをつけてはくれたのですが、どうも怪しい雰囲気。まあいいや。まだ時間があるので、後でもう一度確かめようっと! -
というわけで、取り急ぎ町歩きを優先させてしまいました。これがまずかった・・・
ボケた写真で申し訳ないのですが、聖フランチェスコ教会の写真はこれしかないのであしからず。
市庁舎同様、1304年の創建ですが、1615年に再建されています。現在のファサードは1883年のもので、市庁舎の建物と調和の取れたものとなっています。二つあるニッチェには、カラッラ大理石製のアッシジの聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ像が置かれていました。これらは新しいもので、彫刻家フランチェスコ・バニューロによる1935年の作品です。 -
で、本日最初の教会に入ります。ブロンズ製の扉の彫刻は1985年製で、ローマの彫刻家エジディオ・ギアローリによるもの。
キリストの磔の場面、キリスト生誕の場面にも、時代が異なるのになぜかアッシジの聖フランチェスコの姿が見えます。下半分は小鳥に説教するフランチェスコの場面でしょうか?
そういえば、左側の扉をきちんと見るの忘れてしまいました。 -
内部は一廊式。1777年の改修の際に、サルヴァトーレ・トリケーラとフランチェスコ・グレコらにより今見るような様式に変更されました。
基本の色はクリーム色と濃いベージュで、渦巻き模様が目立つ付け柱の柱頭以外は華美な装飾もなく、すっきりと見えます。 -
レッチェからそう離れていないのに、雰囲気が全く異なるのにまずは驚きます。レッチェはと・く・べ・つなんだと、改めて思った次第。
ローカルストーンで作られた、彫刻を施した祭壇という点では共通するところがありますが、自己主張の少ない、おとなし目の礼拝堂でした。今見えているのは、聖アウグスティヌスに捧げる礼拝堂。 -
主祭壇に向かって左側の礼拝堂は、聖家族とパドヴァの聖アントニオに捧げられていました。祭壇の造りは、どれもさほど変わらず、あまり面白味はないです。
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壁と同じ落ち着いた色で作られた石の説教壇はとても美しかったです。外側の彫刻はフランチェスコ会の紋章でした。
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主祭壇は、豪華な大理石製の象嵌細工で出来ていました。両脇にトーチを持って立っている天使は、顔を上向きにしている左の方が「(宗教的)エクスタシー」を、うつむいている右側が「瞑想」を表現しているのだそう。
主祭壇手前のバラスターのついた手すり(balustrade)も透かし彫りの象嵌細工が綺麗です。 -
後陣にあったステンドグラスです。1989年とありましたから、ごく最近の作品。ガエターノ・ヴァレリオ作「聖母と聖フランチェスコ」です。
彼の作品は他にもありましたので、ここでまとめて紹介しましょう。 -
「聖母と聖ヨーゼフ」これは、オルガンの上にありました。
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「ゴルゴダの丘の聖母と聖ヨハネ」
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「聖母とキリスト」どれも色彩が豊かで素晴らしい出来栄えでしたよ。
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ドームの窓部分にもステンドグラスがはめ込まれていました。
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そして、最後にこちらは天井部分です。上から「受胎告知」、「聖母被昇天」ですね。これも新しい作品で、作られたのはステンドグラスと同じ時期。バーリ出身の画家マリオ・コロンナによるフレスコです。絵画も装飾もすべて控えめな印象でした。
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外に出てきました。あらら・・・レッチェと同じ聖オロンツォが祝福のポーズで出迎えてくれましたよ。
リベルタ広場は、古くは聖フランチェスコ広場と呼ばれていました。当時ここには二つの城門が隣り合っていたそうです。聖フランチェスコ門と跳ね橋と掘りで囲まれたポンテ門。今では堀は埋められ、当時の姿を想像することはできません。 -
ブルボン家の治世の崩壊後、広場はいくつかの建物と城壁が解体されて再整備され、ブルボン家の支配から自由になった証として「自由の広場」ピアッツァ・リベルタと名付けられたのだそうです。
聖オロンツォのオベリスクは、1878年にヴィート・ニコラ・ソラーリによって建てられました。ちょうど元修道院だった市庁舎の建物が改修された頃のことです。 -
広場の一角に、再整備される前の古い広場を物語る遺跡が顔をのぞかせていました。オストゥーニは、ビザンティン帝国、ノルマン朝、アンジュー朝、アラゴン王国、ブルボン朝の支配を受けてきましたが、こちらはアラゴンの王アルフォンソが15世紀から16世紀にかけて築いた、かつてのオストゥーニを護っていた城壁と見張り塔の一部だそうです。
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広場の先にもう一つ教会を見つけたので、そちらにフラフラと近寄っていきました。1637年創建のスピリト・サント 聖霊教会です。扉の上の「聖母の入眠」のレリーフが唯一目立ちましたが、こちらも控えめな教会でした。
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聖霊教会とその隣の建物との間の階段が良い雰囲気です。「おいで、おいで」としきりに誘われましたが、まずは教会の中へ。
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中はすっかり改装されて、17世紀の面影は残っていませんでした。簡素ですが、インテリアにはすべて大理石が使われていましたよ。静寂な空気に一瞬だけ触れさせていただきました。
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聖霊教会の扉前に立って眺めると、ありました。ありました。白いオストゥーニの町が目の前に見えていました。
目指すはあの方向! というわけで階段のことはもう忘れています。薄情なもので、後ろを振り返りもせずさっさと歩きだします。 -
リベルタ広場の前の道路を横切って・・・
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この標識があるところの道を入っていきます。東京はバンコックと同じ方向かあ・・・9670km彼方です。
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観光客の姿もちらほら・・・
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石畳のゆったりとした上り坂が続きます。そういえば、前に「世界ふれあい〇歩き」で見た記憶のある町並みです。
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だいぶ「白い町」らしくなってきましたよ。ラ・チッタ・ビアンカ、いわゆる「白い町」と呼ばれている旧市街は、古代の城壁に囲まれた丘の上にあります。
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オストゥーニでも、お土産屋さんは地元の石を使ったアクセサリーのお店が目立ちました。
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細いくねった横道が現れるたびに、入っていきたい衝動に駆られます。
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小さな城門のそばに現れたのは・・・
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殉教者聖ヴィート教会です。1750年〜52年の建造。ロココ様式の瀟洒なファサードです。最上部の波打つような曲線と渦巻きが面白い。
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中央扉両脇の柱がエンタブラチュアとぶつかる辺りに見事な渦巻き模様が乗っかっていますが、それが45度の方向に傾いているのも興味深いです。おまけにエンタブラチュアには蔓草の渦巻きです。3つあるニッチェはどれも空っぽ。
教会自体は数十年前に廃業して、現在は市が管理する考古学博物館となっているようです。 -
内部はこちら。考古学的な興味はないので、写真だけ1枚撮らせていただいて、入場はしませんでした。
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こちらの教会脇の階段も風情がありますねえ。
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城門をくぐります。小さな城門に見えましたが、くぐり終わってから見上げたら4、5階建のビルの高さほどありました。実は、後から分かったことですが、この左側の建物がドゥオモでした。
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建物沿いに道を進めると現れたのがオストゥーニのドゥオモのファサードです。前の広場が狭すぎて、上手に写真を撮ることができませんでした。
アラゴン王フェルディナンド2世とナポリ王アルフォンソ2世という二大スポンサーの協力を得て、大聖堂は1469年から95年までかかって建設されました。
中央の目立つバラ窓は、3つの同心円から成っていて、一番外側の円には24本の光線が走り、その内側の円には12使徒を表す12本の装飾、そして真ん中に宇宙の中心であるキリスト像を見ることが出来ます。
これには別の見方もあって、外側の24本は1日の時間を、真ん中の12本は1年の月数を、キリスト像の周りの7つの天使の頭は1週間を表すのだと書いてある解説書もありました。
いずれにせよ、土地の人はバラ窓はヨーロッパ一の大きさと美しさであると信じていましたよ。
はビザンチン、ロマネスク、ゴシック様式が入り混じったどっしりとしたファサードは、存在感という点では今まで見てきた教会に勝っているという気がしました。 -
ファサード向かって左側の扉から中に入ります。いきなり、ドラマティックな天井画が目に飛び込んできました。1枚のキャンパスのように滑らかな天井は久しぶりのような気がします。
地元の芸術家の作品だそうで、解説が全くもってみつからなかったのは至極残念。 -
内部は三廊式。何度も改修が行われ、創建当時の面影は残っていないそうです。列柱の柱頭も全く面白みのないデザインですねえ。
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肝心の顔の部分が欠けているフレスコは一体どなた?
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早速いつもの礼拝堂巡りです。プーリア州でも人気の高いパドヴァの聖アントニオにささげる礼拝堂。この絵は、1231年彼が亡くなる少し前に、聖母からヴィジョンを受けた時の姿をイメージしています。自分の命が果てようとしていることに気付いたアントニオは、この後すぐに大好きだったパドヴァに向かいますが、帰り着くことはできなかったそうです。まだ30代半ばでした。
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聖体拝領の礼拝堂。最近改修されたようで、古いものではありませんが、モノトーンに近いヴォールトの美しさに魅了されました。
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ちょっと珍しいなと思ったのが、こちらのマドンナ・デッラ・サニタ(健康の聖母)にささげる礼拝堂です。主祭壇のすぐ右隣にありました。
中央のフレスコがその「健康の聖母」で、おそらく16世紀のものと言われています。スパイラルの4本柱が見られますが、なんと祭壇は木製です! やはり木は石に比べるとはるかに柔らかさが伝わってきますね。
上部にある絵は18世紀の三位一体。 -
主祭壇は聖母被昇天に捧げられていました。ドゥオモの別名は聖母被昇天聖堂と言います。毎年8月15日の記念日には盛大な祭りが催されるそうです。
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こちらのフレスコはかろうじて顔の部分が残っていました。あるガイドブックにはアレキサンドリアの聖カタリナのフレスコがここにあると書かれていましたが、これのことかしら・・・??
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主祭壇前の勝利の門中央部分には別の天井画がありました。
左側と中央は町の守護聖人聖オロンツォと聖ビアージョの殉教の物語が展開されていました。右側はキリストの生涯からの場面。18世紀の作品です。 -
主祭壇の左側、もう一つの木製の祭壇に捧げられていたのは、町の守護聖人3人です。細かい装飾のある祭壇のニッチェには左から聖ビアージョ、聖オロンツォ、そして聖アウグスティヌスの18世紀の木像が収められていました。
聖ビアージョは右手に鍵を持っていますが、その鍵はオストゥーニの町の鍵なのだそう。聖オロンツォは祝福のポーズをしており、右側の聖アウグスティヌスは、彼のシンボルの一つである本を携えています。 -
無原罪の礼拝堂は19世紀の建造だそうです。大変広い礼拝堂で、少々殺風景。
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ヴィチェンツァ出身の聖ガエターノ・ティエーネにささげる礼拝堂。祭壇画に描かれているのは、聖母子と左側の黒い服の男性が聖ガエターノ、右側の白い髭の男性がフィレンツェ出身の聖フィリッポ・ネーリです。
少々見えにくいですが、祭壇下の両脇にある動物達のレリーフがなぜかユーモラスです。 -
洗礼の水のためのボウル。八角形をしているところはよそで見かけるものと同じですが、ボウルに見えないところがプーリア州のものの特徴でしょうか? ナポリの石工によって作られた大理石製です。
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最後に「これはなんだ!?」と首をかしげたくなる恰好の彫像です。解説ありませんでしたが、手の傷からキリストだと思われます。沐浴姿のようですね。復活したキリストの洗礼? 頭がこんがらがってしまいそう・・・
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ドゥオモと向かいあっているのがこちらの優雅な門… かと思ったら、正確には門ではなく、渡り廊下のようです。右側の建物が司教館パラッツォ・ヴェスコヴィーレで、左側の建物が旧神学校。二つの建物を行き来するために作られた渡り廊下なんですって!
「スコッパのアーチ」と呼ばれているこの渡り廊下、1750年に当時の司教スコッパが建てたものだそうです。アーチの中央に彼の紋章が見えます。 -
観光客が前に沢山集まっている建物が神学校。1560年頃に建てられましたが、1743年の地震で崩壊。その後1750年にスコッパによって再建されています。そのときアーチも一緒に作ったんですね。設計はサルヴァトーレ・トリケーラ。オストゥーニで最初に見た聖フランチェスコ教会を再建した建築家です。
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スコッパのアーチをくぐって、さらに進むと、見事な白い町に突入します。
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もう少し奥まで進んで、ドゥオモとスコッパのアーチを眺めてみたりします。
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横道に入って、狭い石畳の道を歩いていくと・・・
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遥かにアドリア海を臨むオストゥーニの展望台とでも言うべき場所に出ました。良い天気!
この辺り、大きな工場が一つあるほかは、やはりオリーヴ畑が多いですねえ。 -
もう少し白い町を歩いてみましょう。
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壁に石灰をを塗っている人発見。世界ふれあい○歩きで、町の人が生石灰と消石灰の違いを説明していた場面を思い出してしまいました。
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玄関の扉の周りに、豪華な装飾が残っているおうちが多いみたい。元々、建物はこういった石で作られていたと思われます。その頃は町は白くなかったのかしら???
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ほとんど平らなところがない道です。天気が良くてよかったぁ!
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チョコレート色のお花が咲いていました。ダリヤの一種かしら??
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階段を下りたり上ったり。道は時々すれ違えないほど狭くなったりします。
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イチオシ
こういう場所、相変わらず大好きです。
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お昼前、太陽の光が路地の奥まで差し込んでくる時間です。
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どんなに狭い道にも名前がついているのにはホント感心してしまいます。
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小さなアーチをくぐり抜けたと思ったら、そこが町の城門でした。
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ポルタ・ノヴァ新しい門です。作られたのは15世紀のアラゴン王朝の時代で、町の西側、一番海に近い門になります。
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ノヴァ門の横には、Cinta Murariaと呼ばれる城壁が続いています。元々あった城壁を、こちらも15世紀のアラゴン王朝時代の1487年〜1507年に強化、拡大した部分だそう。後で下の広場にも行ってみようっと。
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再びこんな坂や・・・
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あんな階段を上っていきます。ワクワク!
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坂の途中にあったオリーヴの木で作った木工品を売っていたお店。愛層の良い職人さんが、オリーヴの古木の写真の説明から一つ一つ手作りなんじゃよと手振り身振りで説明してくれました。
小さなスプーンで20ヨーロくらいからありましたよ。 -
教会には見えないけれど、サン・ピエトロ教会だそうです。アラゴン王朝時代の1519年創建。そばにあった説明書きには、「教会は常にクローズド」とありました。
こちらはベネディクト会の修道院に付設する教会で、前述の修道院弾圧運動の結果、1866年以降は公的な建物となっています。 -
手作りの表札に、町の絵が描かれていましたよ。ちょっと薄くて、見えにくいかなあ・・
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観光客以外には出会う人がいないのが寂しいです。
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祠・・・じゃない、軒下ですね。
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所々にお花が植わっているベランダを見ると、人が住んでいるんだとほっとした気持ちになります。
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この急な階段の先にも住んでいる人がいるみたい・・・
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中途半端に残っているアーチ。何度も手直しされて、現在の戸口とはまるで不釣り合いです。
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コンポステーラの聖ヤコブ(イタリア語はジャコモ)教会。1432年にブリンディシの貴族ピエトロ・カバッレリオによって建てられました。この建物も教会には見えませんが、扉の上の装飾のみが創建当時を物語っています。
植物と鳥や想像上の動物たちのモティーフが一つおきに並んでいます。よく見ると、彩色の跡もかすかに残っています。 -
このコンポステーラの聖ヤコブ教会が、オストゥーニに残る最古の礼拝堂なのだそう。この辺りは貴族や裕福な家族が住む住宅街だったのですね。
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いくつかのアーチをくぐって、旧市街の反対側に出てきました。旧市街の砦を形成する部分は楕円形をしていて、一番距離があるところでもせいぜい3、400m位。1時間もあれば町を二周できるほどの狭いエリアです。
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表札には、「カーザ・ビアンカ」白い家。確かに・・・
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小さな広場にあった、オストゥーニのナゾーネ君(水飲み場)です。
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つっかえ棒が続く道の向こうにもう一つアーチが見えますね。あちらが、町で最古の門、町の東側の玄関デメトリオ門です。13世紀の建造。
ここからまっすぐに続く道はブリンディシに向かう道でした。つっかえ棒が怖くて、この先には行かずじまいでした。 -
ぐるっと町を一周して、先ほどの展望台より一つ下のテラスに出てまいりました。ここからだと、かつては城壁が続いていたことがよくわかります。
アラゴン王朝時代に強化された砦ですが、その後1743年の地震で大部分が崩壊し、その後は町の住民のための住居用として整備されました。現在でも8つの見張り塔が残っています。 -
こうやって、一部だけ撮ってもあまり面白い写真が撮れませんね。もっと下から写さないと・・・
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壁の外側はあまり変化がないなあ・・・そう思った私は、砦の1本内側の道を辿ることにしました。
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扉の周りの「白くない」装飾のみが残されている、そういう意味では興味深い町です。どれだけメイン扉の周りを装飾するかを、皆で競っていたのかもしれません。
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どちらに行こうかな と迷うのも楽しい・・・
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くねくねした道の向こうに、ギリシャ風の鐘楼のある教会が顔をのぞかせた瞬間です。
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これも良いけれど、車が邪魔ですね。
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おお〜 独り占めしたオストゥーニの絶景です。
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ちなみに、あの素敵な鐘楼のあった教会のファサードはこちら。サンタ・マリア・デッラ・ステッラ(星の聖母)教会です。15世紀初頭の建造で、懇切丁寧な解説板がありましたが、ご覧の通り閉まっています。チッタ・ビアンカの教会の多くは中を見ることが叶わないようで残念でした。ペディメントの上にいらっしゃるのが星の聖母でしょうか。
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教会の建物も砦の一部となっていました。ファサード前から階段を下りると、先ほど見た砦の風景の続きが広がっていました。
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見事に人間の住処ヘとメタモルフォーゼしたかつての砦です。
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見張り塔が8つ残されているとガイドブックにはありましたが、あの丸い塔もそのうちの一つかしら?
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見張り塔の先にサンタ・マリア・デッラ・ステッラ教会が見えますね。
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見張り塔を半分くり抜いて、ベランダとして利用している家もありました。
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一番外れにあったのがこちらの茶色い大きな塔だったと思われる建物です。その横にちょこんと見えるアーチが、先ほど訪れたノヴァ門です。
1743年の地震で大きな被害を受けた後、予算不足から行政が復興を進められないまま、砦は細分化され、個人の住宅へと姿を変えていきました。しかしながら、全体としての景観は保ったままというのが、いかにもイタリア人らしい。外観はあまり手を入れず、古いものは何度でも再利用していくというスタンスは、ローマでもオストゥーニでも変わりがありません。文化の違いを目の当たりにした気分でした。
それにしても、繰り返しになりますが、この白い町はいつ頃からのものなのでしょうか? かつては、写真の大きな塔のような色をしていたに違いないのですが、どのガイドブックを見ても、それに言及した記述は見当たりませんでした。 -
どうしても、下からの景色が見たくなって、後で上ってくるのが大変なことはわかっていましたが、坂を下っていきます。
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あの街灯さえなければ、結構いい線行ってたのですが・・・
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まだまだ、町のてっぺんが見えません。
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とうとう下のオリーヴ畑まで下りていって撮った1枚です。これ以上は無理ですね。
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こんなところまで下りてきてしまったので、当然のことながらその後が大変でした。
オストゥーニからチエーリエ・メッサピカへのバスは12:00発と13:15発があるはずなのですが、この時点でどこから乗車するのかが分かっていません。
しかも、今見えている旧市街はオストゥーニ全体の1/10程度の面積でしかなく、思っていた以上にオストゥーニは広いのです。 -
ようやく今朝着いたピアッツァ・リベルテ付近まで戻って参りました。もう12時過ぎてしまったぁ!
インフォメーション2か所で再度尋ねたのですが、バス停の場所が方々に散らばっていて、明確な回答を得られないまま時間だけが過ぎていきます。
途方に暮れる私! 役に立たないインフォメーション! -
こんな時に撮っている場合かと思いましたが、イタリアでは初めて見ましたよ。ファティマの手!
家の入口・門などに置かれていることが多い、一種の魔除けのような飾りです。スペインのアンダルシアやモロッコではお馴染みですね。 -
結局、最後の望みと思って入ったタバッキがヒットしました。バスのチケットも一緒に購入することが出来ました。タバッキのおかみさん、バス乗り場への地図を書いてくれて、おかげで何とか13:15発に乗ることができましたよ。
いやあ 歩いた歩いた。 -
良い香りがそこら中に漂っていったジャスミンの花・・・
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13:15発のバスは、完ぺきなスクールバスでした。その後もいろいろな場所でローカルバスに乗りましたが、お昼前後のバスは、乗客のほとんどが子供たち。学校から家へと送り届けるバスのようでした。子供たちと東洋から来たおばさん一人。変な組み合わせですが、別に乗車拒否はされなかったので、一応一般の乗り合いバスなんだと思います。
バスはトゥルッリが点在する田舎の風景の中をひた走ります。 -
アルベロベッロが近いので、もしやと思ってはいましたが、こんなにたくさんのトゥルッリが残されていることに感激。これから乗るスッドエスト線の車窓にも期待できそうですね。
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いつものことながら、ろくな写真が撮れませんでした。トゥルッリは緑の木立の中に、数個ずつ固まって建っていました。トゥルッリ1個で一つの部屋なので、普通の家なら4、5個のトゥルッリが連なっていることが多かったです。
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オストゥーニからチェーリエ・メッサーピカへのバスはお勧めしません。路線バスの旅は、どこの国でも大変です。チェーリエ・メッサピカでもバスが到着したのは、スッド・エスト線の駅からはうんと離れている市街地。拙いイタリア語で「駅に行きたい!」と叫んだ結果、かわいそうに思ったかどうかはわかりませんが、親切なバスの運転手は、子供たちを降ろした後、駅に立ち寄ってくれました。ありがとう! このバスですよ。
でも途中の景色は最高でした。赤い大地にどこまでも続くオリーヴの林、そして時折姿を現すトゥルッリ!
長くなりましたので、この続きは「イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その51 マルティーナ・フランカ」で。
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