マルティーナ・フランカ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />オストゥーニからマルティーナ・フランカへの移動は乗り物に乗っている時間は正味1時間足らずなのに、バス停を探す時間、列車を待っている時間が2時間を超えて、大変効率の悪い旅となりました。<br /><br />予定していたのは、オストゥーニ12:00発のバスで、チェーリエ・メッサビカ12:20着。12:40発のスッド・エスト線でマルティーナ・フランカ13:05着と、素晴らしい内容だったのですが、バスを1本逃したために、オストゥーニ13:15→チェーリエ・メッサビカ13:35。列車は14:14→マルティーナ・フランカ14:40着と、ロス時間が目立ちます。<br /><br />まあ、急ぎ旅ではないし、のんびり行きましょう。ケセラセラ・・・

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その51 マルティーナ・フランカ

31いいね!

2015/05/20 - 2015/05/20

4位(同エリア54件中)

0

140

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

オストゥーニからマルティーナ・フランカへの移動は乗り物に乗っている時間は正味1時間足らずなのに、バス停を探す時間、列車を待っている時間が2時間を超えて、大変効率の悪い旅となりました。

予定していたのは、オストゥーニ12:00発のバスで、チェーリエ・メッサビカ12:20着。12:40発のスッド・エスト線でマルティーナ・フランカ13:05着と、素晴らしい内容だったのですが、バスを1本逃したために、オストゥーニ13:15→チェーリエ・メッサビカ13:35。列車は14:14→マルティーナ・フランカ14:40着と、ロス時間が目立ちます。

まあ、急ぎ旅ではないし、のんびり行きましょう。ケセラセラ・・・

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • チェーリエ・メッサビカ駅のホームです。まだ時間が早いせいか、お客さんは2、3人。そのうちに段々と人が集まってきて、最後は10人以上になりました。

    チェーリエ・メッサビカ駅のホームです。まだ時間が早いせいか、お客さんは2、3人。そのうちに段々と人が集まってきて、最後は10人以上になりました。

  • 駅の事務所には、こんな張り紙がぺたぺた貼ってありますが、だ〜れもいません。5月18日から5月24日まで駅事務所閉鎖 と書かれた紙発見! なんと、切符は列車の中で買うしかなさそうです。

    駅の事務所には、こんな張り紙がぺたぺた貼ってありますが、だ〜れもいません。5月18日から5月24日まで駅事務所閉鎖 と書かれた紙発見! なんと、切符は列車の中で買うしかなさそうです。

  • 手書きの時刻表。左がレッチェ方面、右がマルティーナ・フランカ方面。14:14発があるのを確認してホッとしました。

    手書きの時刻表。左がレッチェ方面、右がマルティーナ・フランカ方面。14:14発があるのを確認してホッとしました。

  • あんまり暇だったので、サングラスが山ほど並べられたボードを片手に抱えてやってきた、セネガルのお兄ちゃんと世間話。といっても、向こうはフランス語とイタリア語しか話さないので、ほとんど会話にはなりません。わかったのは、セネガルでは仕事がないんだよ。という一文のみ。<br /><br />観光地で自撮り棒とか安物の傘、サングラスを売っている輩はセネガル人が多数を占めているようでした。イタリアも景気悪いのに、どうしてまた? と思いましたが、言葉の壁は厚かった・・・ここにも仕事ないはずですよねえ。なんたって、南イタリアですからね。

    あんまり暇だったので、サングラスが山ほど並べられたボードを片手に抱えてやってきた、セネガルのお兄ちゃんと世間話。といっても、向こうはフランス語とイタリア語しか話さないので、ほとんど会話にはなりません。わかったのは、セネガルでは仕事がないんだよ。という一文のみ。

    観光地で自撮り棒とか安物の傘、サングラスを売っている輩はセネガル人が多数を占めているようでした。イタリアも景気悪いのに、どうしてまた? と思いましたが、言葉の壁は厚かった・・・ここにも仕事ないはずですよねえ。なんたって、南イタリアですからね。

  • 先にやってきたレッチェ行に、セネガルのお兄ちゃんは乗り込んでいきました。おにいちゃん、フレーフレー! 幸運を祈る!

    先にやってきたレッチェ行に、セネガルのお兄ちゃんは乗り込んでいきました。おにいちゃん、フレーフレー! 幸運を祈る!

  • ようやく、マルティーナ・フランカ行きもやってきましたよ。単線だから、この駅で待ち合わせしていたんですね。

    ようやく、マルティーナ・フランカ行きもやってきましたよ。単線だから、この駅で待ち合わせしていたんですね。

  • スッド・エスト線の内部の写真です。ややくたびれてはいますが、ごみなどはなく、清潔に保たれていました。

    スッド・エスト線の内部の写真です。ややくたびれてはいますが、ごみなどはなく、清潔に保たれていました。

  • 進行方向右側に陣取って、私はまたトゥルッリ探しに集中します。観光化されていない、普通の人たちが暮らしている、トゥルッリのあるイトリアの谷の田園風景は、イタリアの原風景のようで、車窓の景色をこんなに楽しんだのは久しぶりのこと。

    進行方向右側に陣取って、私はまたトゥルッリ探しに集中します。観光化されていない、普通の人たちが暮らしている、トゥルッリのあるイトリアの谷の田園風景は、イタリアの原風景のようで、車窓の景色をこんなに楽しんだのは久しぶりのこと。

  • おっと! これは廃屋かしら?

    おっと! これは廃屋かしら?

  • タイミングが悪く、相変わらず遠景しか撮れていませんね・・・

    タイミングが悪く、相変わらず遠景しか撮れていませんね・・・

  • 絵になる風景でしょう!?

    絵になる風景でしょう!?

  • アルベロベッロにも、屋根に絵が描かれたトゥルッリがありましたね。

    アルベロベッロにも、屋根に絵が描かれたトゥルッリがありましたね。

  • 緑の木立に囲まれて点在するトゥルッリ探しに夢中です。

    緑の木立に囲まれて点在するトゥルッリ探しに夢中です。

  • 途中駅チステルニーノ。陣内秀信さんの名著「南イタリアへ!」の中にも「丘の上の真っ白な町」として紹介があったので、存在は知っていました。

    途中駅チステルニーノ。陣内秀信さんの名著「南イタリアへ!」の中にも「丘の上の真っ白な町」として紹介があったので、存在は知っていました。

  • 白い町があるのはこちら側かしら? 残念ながらちょっと見えないなあ・・・チステルニーノもまた次回のお預け!

    白い町があるのはこちら側かしら? 残念ながらちょっと見えないなあ・・・チステルニーノもまた次回のお預け!

  • 私の見た範囲では、いくつかのトゥルッリの周りを、写真のような壁で囲んだ民家が多かった気がします。アルベロベッロのような長屋様式は、町中に見られるスタイルなのでしょうね。

    私の見た範囲では、いくつかのトゥルッリの周りを、写真のような壁で囲んだ民家が多かった気がします。アルベロベッロのような長屋様式は、町中に見られるスタイルなのでしょうね。

  • 新旧2軒のトゥルッリ民家。新居も夏涼しく、冬暖かいトゥルッリでというのが羨ましい。日本の伝統家屋は無くなる一方です。

    新旧2軒のトゥルッリ民家。新居も夏涼しく、冬暖かいトゥルッリでというのが羨ましい。日本の伝統家屋は無くなる一方です。

  • 代り映えしない写真ばかりで恐縮ですが、お陰様でプーリア州の田舎の景色を堪能いたしました。

    代り映えしない写真ばかりで恐縮ですが、お陰様でプーリア州の田舎の景色を堪能いたしました。

  • 30分後、マルティーナ・フランカに無事到着。マルティーナ・フランカはプーリア州ターラント県では、ターラントに次いで人口の多い町(それでも5万足らず)。夏のオペラ開催で、そしてバロック様式で装飾された扉を待つ、石壁で囲まれた美しい建物のある旧市街があることで知られています。

    30分後、マルティーナ・フランカに無事到着。マルティーナ・フランカはプーリア州ターラント県では、ターラントに次いで人口の多い町(それでも5万足らず)。夏のオペラ開催で、そしてバロック様式で装飾された扉を待つ、石壁で囲まれた美しい建物のある旧市街があることで知られています。

  • 駅には、赤いバスが待ち構えていて、私を旧市街へと運んでくれました。<br /><br />「駅に戻るバスは何時にどこから乗るの?」と運転手さんに尋ねると、「17時40分、ここで待ってな!」と言い残して、バスは行ってしまいました。写真に写っているあの赤いバスがそれです。「ここはどこ?」と訊きたかったけれど、全く余裕なし! さて、どこで降ろされたんでしょうか?

    駅には、赤いバスが待ち構えていて、私を旧市街へと運んでくれました。

    「駅に戻るバスは何時にどこから乗るの?」と運転手さんに尋ねると、「17時40分、ここで待ってな!」と言い残して、バスは行ってしまいました。写真に写っているあの赤いバスがそれです。「ここはどこ?」と訊きたかったけれど、全く余裕なし! さて、どこで降ろされたんでしょうか?

  • バスを降りたのは、片方が公園になった「9月20日広場」の前。地球の〇き方の小さな地図を見ても、よくわかりません。バス・ターミナルのあるクリスピ広場ではなさそうです。<br /><br />弱ったなあ。とりあえず公園を一周してみましょう。

    バスを降りたのは、片方が公園になった「9月20日広場」の前。地球の〇き方の小さな地図を見ても、よくわかりません。バス・ターミナルのあるクリスピ広場ではなさそうです。

    弱ったなあ。とりあえず公園を一周してみましょう。

  • 広場の向かいの公園の端にあったパッロキア・サン・アントニオ教会。創建は14世紀だそうですが、このファサードは1835年にネオ・クラシカル様式で建てられたもの。<br /><br />内部には、ステファノ・ダ・プティニャーノが16世紀初めに作った、パドヴァのアントニオとキリスト教最初の殉教者聖ステファノの他彩色像があるそうなのですが、当然のことながらこの時間はクローズド。

    広場の向かいの公園の端にあったパッロキア・サン・アントニオ教会。創建は14世紀だそうですが、このファサードは1835年にネオ・クラシカル様式で建てられたもの。

    内部には、ステファノ・ダ・プティニャーノが16世紀初めに作った、パドヴァのアントニオとキリスト教最初の殉教者聖ステファノの他彩色像があるそうなのですが、当然のことながらこの時間はクローズド。

  • おっ 広場の向こうにバロック調の門発見! バスの運転手さんはちゃんと旧市街の入り口で降ろしてくれたんですね。ここがどうやら旧市街の入り口のようです。

    おっ 広場の向こうにバロック調の門発見! バスの運転手さんはちゃんと旧市街の入り口で降ろしてくれたんですね。ここがどうやら旧市街の入り口のようです。

  • サント・ステファノ門です。現在はサン・アントニオのアーチと呼ばれているのだそう。最初に作られたのは17世紀初頭ですが、バロック様式の凱旋門のような装飾が付け加えられたのは1764年のことです。<br /><br />門の一番高いところには町の紋章である馬の姿があります。

    サント・ステファノ門です。現在はサン・アントニオのアーチと呼ばれているのだそう。最初に作られたのは17世紀初頭ですが、バロック様式の凱旋門のような装飾が付け加えられたのは1764年のことです。

    門の一番高いところには町の紋章である馬の姿があります。

  • 門をくぐると、インフォメーションが右手にありましたが、いただけるのは大変ちんけな地図1枚。これがコピーのコピーで、すこぶる見にくい! もう少しまともなものを置いて頂けませんか。マルティーナ・フランカさん!<br /><br />写真右手の建物はドゥカーレ宮殿。ドゥカーレというとヴェネツィアを連想してしまうんですが、ドッジ(総督)はここにもいたんですね。具体的には、ペトラコーネ・カラッチオロという伯爵です。

    門をくぐると、インフォメーションが右手にありましたが、いただけるのは大変ちんけな地図1枚。これがコピーのコピーで、すこぶる見にくい! もう少しまともなものを置いて頂けませんか。マルティーナ・フランカさん!

    写真右手の建物はドゥカーレ宮殿。ドゥカーレというとヴェネツィアを連想してしまうんですが、ドッジ(総督)はここにもいたんですね。具体的には、ペトラコーネ・カラッチオロという伯爵です。

  • カラッチオロ伯爵は、1668年に、カラッチオロ家の経済的及び政治的な影響力を強化するために、廃墟となっていたオルシーニ城の上に宮殿を建て始めました。中は部屋数300、客室、礼拝堂、劇場、中庭、そして厩舎まで備わっていたそうです。<br /><br />現在建物はマルティーナ・フランカの市庁舎として使われています。中を見学できると知らなかったので、入場していません。ドゥカーレ宮殿の前には、想像上の動物たちがうごめくご覧の噴水がありました。

    カラッチオロ伯爵は、1668年に、カラッチオロ家の経済的及び政治的な影響力を強化するために、廃墟となっていたオルシーニ城の上に宮殿を建て始めました。中は部屋数300、客室、礼拝堂、劇場、中庭、そして厩舎まで備わっていたそうです。

    現在建物はマルティーナ・フランカの市庁舎として使われています。中を見学できると知らなかったので、入場していません。ドゥカーレ宮殿の前には、想像上の動物たちがうごめくご覧の噴水がありました。

  • シエスタの時間なので、多くのお店は店を締めていました。とても静かです。

    シエスタの時間なので、多くのお店は店を締めていました。とても静かです。

  • 旧市街の道はすべて、建物と同じような色のタイルが敷き詰められていて、オストゥーニとは雰囲気が全く異なります。とても歩きやすい・・・

    旧市街の道はすべて、建物と同じような色のタイルが敷き詰められていて、オストゥーニとは雰囲気が全く異なります。とても歩きやすい・・・

  • バルコニーのコーベルも、ここではごくごく普通の装飾で、レッチェで見たあれは何だったんだろうと思う位。3階建ての瀟洒な建物が続きます。悪く言えば個性に乏しい・・・

    バルコニーのコーベルも、ここではごくごく普通の装飾で、レッチェで見たあれは何だったんだろうと思う位。3階建ての瀟洒な建物が続きます。悪く言えば個性に乏しい・・・

  • 町で見かけた陶芸家フランチェスコ・ファサノのギャラリー モルスカヤの看板。私の好みのモザイク!

    町で見かけた陶芸家フランチェスコ・ファサノのギャラリー モルスカヤの看板。私の好みのモザイク!

  • やがて道は、町一番の大聖堂があるプレビシート広場に出ました。

    やがて道は、町一番の大聖堂があるプレビシート広場に出ました。

  • こちらが、町の守護聖人サン・マルティーノに捧げられた大聖堂です。<br /><br />サン・マルティーノは日本では「ツール(フランス)の聖マルチノ」として知られています。4世紀の人で、ローマ軍の兵士だった時に、ガリア地方のアミアンという町で、半裸で震えていた物乞いに自分のマントを割いて半分分け与えたという伝説で知られています。実はこの物乞い、キリストだったという話も残っていて、このことがのちに彼が洗礼を受けるきっかけとなりました。<br /><br />軍隊をやめた後、彼は多くの人に望まれてトゥールの司教となり、キリスト教の布教に精力を注ぎました。

    こちらが、町の守護聖人サン・マルティーノに捧げられた大聖堂です。

    サン・マルティーノは日本では「ツール(フランス)の聖マルチノ」として知られています。4世紀の人で、ローマ軍の兵士だった時に、ガリア地方のアミアンという町で、半裸で震えていた物乞いに自分のマントを割いて半分分け与えたという伝説で知られています。実はこの物乞い、キリストだったという話も残っていて、このことがのちに彼が洗礼を受けるきっかけとなりました。

    軍隊をやめた後、彼は多くの人に望まれてトゥールの司教となり、キリスト教の布教に精力を注ぎました。

  • ロココ様式のファサード中央には、そのサン・マルティーノの伝説が浮き彫りにされています。<br /><br />ファサードを手掛けたのはジュゼッペ・モルゲーゼとその息子たちで、前に建っていた古い建物の壁を新しい壁と入れ替えていくというやり方で完成させたそうです。<br /><br />4つあるニッチェ(写真では3つのみ)には、右から、幼子キリストを抱いた聖ヨーゼフ、聖パオロ、聖ピエトロ、そして左端には洗礼者聖ヨハネの像が置かれています。

    ロココ様式のファサード中央には、そのサン・マルティーノの伝説が浮き彫りにされています。

    ファサードを手掛けたのはジュゼッペ・モルゲーゼとその息子たちで、前に建っていた古い建物の壁を新しい壁と入れ替えていくというやり方で完成させたそうです。

    4つあるニッチェ(写真では3つのみ)には、右から、幼子キリストを抱いた聖ヨーゼフ、聖パオロ、聖ピエトロ、そして左端には洗礼者聖ヨハネの像が置かれています。

  • 中央部分のアップです。<br /><br />あっ! サン・マルティーノの足の先がないわ! まずいでしょう。これは!

    中央部分のアップです。

    あっ! サン・マルティーノの足の先がないわ! まずいでしょう。これは!

  • 内部は一廊式。天井が高く、光が存分に入ってきていて、明るいイメージでした。右側に見える木製の説教壇は1830年の作。

    内部は一廊式。天井が高く、光が存分に入ってきていて、明るいイメージでした。右側に見える木製の説教壇は1830年の作。

  • いつものように主祭壇に向かって右側から礼拝堂を見ていきます。多色大理石と思しきカラフルな祭壇で、石の文様を見ているだけでも、時間が経つのを忘れてしまいます。<br /><br />木製のマリア像は新しいもので1919年の作品。彼女がつけている王冠はマルティーナ・フランカの金細工師ダニエル・リバルディがこしらえた本物の金製です。<br /><br />

    いつものように主祭壇に向かって右側から礼拝堂を見ていきます。多色大理石と思しきカラフルな祭壇で、石の文様を見ているだけでも、時間が経つのを忘れてしまいます。

    木製のマリア像は新しいもので1919年の作品。彼女がつけている王冠はマルティーナ・フランカの金細工師ダニエル・リバルディがこしらえた本物の金製です。

  • こちらは、ローマ帝国アレクサンデル・セウェルス帝時代の殉教者(226年)で、ローマの守護聖人の一人でもあるサンタ・マルティナに捧げられた礼拝堂です。祭壇は上の礼拝堂と同じく多色大理石製で、1770年から1775年にかけて制作されたものです。<br /><br />木製のサンタ・マルティナ像は、レッチェ派による作品で、同じく18世紀のものとされています。

    こちらは、ローマ帝国アレクサンデル・セウェルス帝時代の殉教者(226年)で、ローマの守護聖人の一人でもあるサンタ・マルティナに捧げられた礼拝堂です。祭壇は上の礼拝堂と同じく多色大理石製で、1770年から1775年にかけて制作されたものです。

    木製のサンタ・マルティナ像は、レッチェ派による作品で、同じく18世紀のものとされています。

  • 主祭壇です。こちらもまた、多色大理石を用いた祭壇で、18世紀の町の有力者がスポンサーとなって、ジェンナーロ・サムマルティーノが設計を、ジュゼッペ・ヴァッリアーレが彫刻を手掛けた傑作と言われています。二人は共にナポリ出身。

    主祭壇です。こちらもまた、多色大理石を用いた祭壇で、18世紀の町の有力者がスポンサーとなって、ジェンナーロ・サムマルティーノが設計を、ジュゼッペ・ヴァッリアーレが彫刻を手掛けた傑作と言われています。二人は共にナポリ出身。

  • もう少し近づいてみましょう。中央のニッチェにいる司教の祭服に身を包んだサン・マルティーノ像はステファノ・ダ・プッティニャーノにより1518年に作られたものです。<br /><br />左右の寓意像は、ジェンナーロの弟ジュゼッペ・サムマルティーノの作で、右が裕福、左がチャリテイを表しているそうです。ジュゼッペはナポリでも沢山の作品を残しており、18世紀イタリアン・バロックの最高峰の一人といわれています。

    もう少し近づいてみましょう。中央のニッチェにいる司教の祭服に身を包んだサン・マルティーノ像はステファノ・ダ・プッティニャーノにより1518年に作られたものです。

    左右の寓意像は、ジェンナーロの弟ジュゼッペ・サムマルティーノの作で、右が裕福、左がチャリテイを表しているそうです。ジュゼッペはナポリでも沢山の作品を残しており、18世紀イタリアン・バロックの最高峰の一人といわれています。

  • 主祭壇上のアーチの中央には、十字架を携えたキリスト像。

    主祭壇上のアーチの中央には、十字架を携えたキリスト像。

  • そしてその上のステンドグラスは、サン・マルティーノの「マントの伝説」がモチーフとなっていました。

    そしてその上のステンドグラスは、サン・マルティーノの「マントの伝説」がモチーフとなっていました。

  • 左翼廊にあった聖体の礼拝堂は大変豪華な造りでした。1776年から85年にかけてナポリ出身のライモンド・ベッリが手掛けた礼拝堂で、多色大理石やスタッコで装飾がふんだんに施されています。<br /><br />左右の素晴らしい文様の石の大きさにはびっくりです! 中央にはクーポラがあって、その先の祭壇には・・・

    左翼廊にあった聖体の礼拝堂は大変豪華な造りでした。1776年から85年にかけてナポリ出身のライモンド・ベッリが手掛けた礼拝堂で、多色大理石やスタッコで装飾がふんだんに施されています。

    左右の素晴らしい文様の石の大きさにはびっくりです! 中央にはクーポラがあって、その先の祭壇には・・・

  • ドメニコ・カレッラによる「最後の晩餐」が置かれていました。絵画には1804年という作成年が入っています。<br /><br />ご馳走が運ばれる前なのか、テーブルの上には白い皿が並べられていますが、何も盛られていません。赤ワインのボトルのみポツンとあって、それがとても目立っているように思われます。キリストの背後には忙しく配膳を行っているレストラン関係者? また、天使たちが舞台のカーテンの幕引きを行っていて、まるで劇を見ているかのような錯覚にとらわれます。ふむふむ、これは面白い・・・<br /><br />そうそう、ドメニコ・カレッラは、上の写真でもクーポラの四隅のペンデンティヴ部分に4人の福音記者の姿を描いていました。

    ドメニコ・カレッラによる「最後の晩餐」が置かれていました。絵画には1804年という作成年が入っています。

    ご馳走が運ばれる前なのか、テーブルの上には白い皿が並べられていますが、何も盛られていません。赤ワインのボトルのみポツンとあって、それがとても目立っているように思われます。キリストの背後には忙しく配膳を行っているレストラン関係者? また、天使たちが舞台のカーテンの幕引きを行っていて、まるで劇を見ているかのような錯覚にとらわれます。ふむふむ、これは面白い・・・

    そうそう、ドメニコ・カレッラは、上の写真でもクーポラの四隅のペンデンティヴ部分に4人の福音記者の姿を描いていました。

  • 大きな礼拝堂を出て、お次はこちら。女性羊飼いの姿をした聖母像というのは、ここで初めて目にしました。羊飼いというイメージとは程遠い、金糸と刺繍が織り込まれた豪華な衣装に身を包んでいます。<br /><br />彼女が羊飼いの杖の先で追い払っているのは黒い狼かな? 羊たちに襲い掛かろうとしている狼は、悪の象徴として描かれているようです。これまた興味深い・・・18世紀の作品。

    大きな礼拝堂を出て、お次はこちら。女性羊飼いの姿をした聖母像というのは、ここで初めて目にしました。羊飼いというイメージとは程遠い、金糸と刺繍が織り込まれた豪華な衣装に身を包んでいます。

    彼女が羊飼いの杖の先で追い払っているのは黒い狼かな? 羊たちに襲い掛かろうとしている狼は、悪の象徴として描かれているようです。これまた興味深い・・・18世紀の作品。

  • 左翼廊中央の礼拝堂には、大理石で作られた「柱に繋がれたキリスト像」がありました。こちらの礼拝堂は設計が主祭壇と同じジェンナーロ・サムマルティーノ、彫刻がジュゼッペ・ヴァッリアーレのゴールデンコンビです。<br /><br />キリスト像はガリポリ出身の彫刻家ジャコモ・ジェノヴィーヴィの1622年の作品。この像は色々な意味でかなり強烈でしたよ。<br />

    左翼廊中央の礼拝堂には、大理石で作られた「柱に繋がれたキリスト像」がありました。こちらの礼拝堂は設計が主祭壇と同じジェンナーロ・サムマルティーノ、彫刻がジュゼッペ・ヴァッリアーレのゴールデンコンビです。

    キリスト像はガリポリ出身の彫刻家ジャコモ・ジェノヴィーヴィの1622年の作品。この像は色々な意味でかなり強烈でしたよ。

  • 左翼廊端にある、コンスタンティノープルの聖母に捧げる礼拝堂です。<br /><br />祭壇画には聖母子、大天使ミカエル、ティエーネの聖ガエターノ、そしてその間に炎に飲み込まれる町が描かれています。おそらくこれは18世紀のマルティーナ・フランカではないかと解説には書かれていました。聖母子の乗る雲がその火をおさめてくれるのを期待しているかのようです。ドメニコ・カレッラの1764年〜75年にかけての作品。

    左翼廊端にある、コンスタンティノープルの聖母に捧げる礼拝堂です。

    祭壇画には聖母子、大天使ミカエル、ティエーネの聖ガエターノ、そしてその間に炎に飲み込まれる町が描かれています。おそらくこれは18世紀のマルティーナ・フランカではないかと解説には書かれていました。聖母子の乗る雲がその火をおさめてくれるのを期待しているかのようです。ドメニコ・カレッラの1764年〜75年にかけての作品。

  • 左翼廊左側の礼拝堂。 祭壇画は、チグリス川土手の大天使ラファエルと聖人で殉教者のトビアスを描いたもの。こちらもドメニコ・カレッラの作品です。

    左翼廊左側の礼拝堂。 祭壇画は、チグリス川土手の大天使ラファエルと聖人で殉教者のトビアスを描いたもの。こちらもドメニコ・カレッラの作品です。

  • 次は「聖誕」に捧げられた賑やかな礼拝堂です。祭壇は1764年に作られたもので、1777年ピエトロ・マウロ作の「羊飼いの礼拝」が背景となっています。<br /><br />前面にはプーリア州のルネッサンス期の彫刻家としては最も著名な、主祭壇のサン・マリティーノ像の作者ステファノ・ダ・プティニャーノによって完璧な聖誕の場面が再現されています。幼子の背後で静かに草を食む羊たちの姿がとても印象的でした。

    次は「聖誕」に捧げられた賑やかな礼拝堂です。祭壇は1764年に作られたもので、1777年ピエトロ・マウロ作の「羊飼いの礼拝」が背景となっています。

    前面にはプーリア州のルネッサンス期の彫刻家としては最も著名な、主祭壇のサン・マリティーノ像の作者ステファノ・ダ・プティニャーノによって完璧な聖誕の場面が再現されています。幼子の背後で静かに草を食む羊たちの姿がとても印象的でした。

  • こちらは、15世紀ヴェネツィア出身の聖ジローラモ・エミリアーニに捧げられたオレンジと緑の石の配色が私好みの礼拝堂でした。エミリアーニは孤児たちの守護聖人とされているので、絵の中でも沢山の少年たちに敬われていますね。

    こちらは、15世紀ヴェネツィア出身の聖ジローラモ・エミリアーニに捧げられたオレンジと緑の石の配色が私好みの礼拝堂でした。エミリアーニは孤児たちの守護聖人とされているので、絵の中でも沢山の少年たちに敬われていますね。

  • もう一つ興味深いものを発見! 左側の最初と二番目の礼拝堂との間の柱にあったこちらのレリーフ。「雨を呼ぶサン・マルティーノ」です。18世紀の作品。<br /><br />サン・マルティーノは長い間、この地方では雨乞いの聖人としても敬われてきたそうですよ。困った時の神頼みは、日本だけじゃあないんですね。

    もう一つ興味深いものを発見! 左側の最初と二番目の礼拝堂との間の柱にあったこちらのレリーフ。「雨を呼ぶサン・マルティーノ」です。18世紀の作品。

    サン・マルティーノは長い間、この地方では雨乞いの聖人としても敬われてきたそうですよ。困った時の神頼みは、日本だけじゃあないんですね。

  • 最後はアッドロラータAddolorataの礼拝堂。 日本語では悲しみの聖母 と訳されているようです。祭壇が作られたのは1784年ですが、その後改修が加えられ、彫像はナポリ派の職人による19世紀半ばの作品です。

    最後はアッドロラータAddolorataの礼拝堂。 日本語では悲しみの聖母 と訳されているようです。祭壇が作られたのは1784年ですが、その後改修が加えられ、彫像はナポリ派の職人による19世紀半ばの作品です。

  • こちらのステンドグラスには、1529年に突如出現したというサン・マルティーノの奇跡が基となっています。4世紀の人ですから、その生涯を含めほとんどが伝説に近いですが、死後の「奇跡」の数も飛びぬけて多い人で、イタリア、フランス、ドイツを中心に多くの信奉者がいるそうです。

    こちらのステンドグラスには、1529年に突如出現したというサン・マルティーノの奇跡が基となっています。4世紀の人ですから、その生涯を含めほとんどが伝説に近いですが、死後の「奇跡」の数も飛びぬけて多い人で、イタリア、フランス、ドイツを中心に多くの信奉者がいるそうです。

  • カウンターファサードも凝っていますね。二つの大きなアーチとその上に刻まれた曲線の数々に、バロックの優雅さを感じます。

    カウンターファサードも凝っていますね。二つの大きなアーチとその上に刻まれた曲線の数々に、バロックの優雅さを感じます。

  • ここでの注目は、美しい洗礼ボウルプーリア式? キリストの洗礼像が上に乗った本体もさることながら、背景の黄色がかった石の持つ魔力に引き込まれてしまいました。<br /><br />流石に大聖堂だけあって、見どころ満載。次から次へと出現したカラフルな礼拝堂には、マルティーナ・フランカの人々の石に込める思いを見た思いでした。

    ここでの注目は、美しい洗礼ボウルプーリア式? キリストの洗礼像が上に乗った本体もさることながら、背景の黄色がかった石の持つ魔力に引き込まれてしまいました。

    流石に大聖堂だけあって、見どころ満載。次から次へと出現したカラフルな礼拝堂には、マルティーナ・フランカの人々の石に込める思いを見た思いでした。

  • サン・マルティーノ大聖堂を出て、プレビシート広場に出ると、目立つ建物はすぐ隣のパラッツォ(大学宮殿)にくっついた形のこちらの時計塔です。1734年の建造。<br /><br />塔は4階建てで、各階ごとに建築様式とその装飾を変えています。

    サン・マルティーノ大聖堂を出て、プレビシート広場に出ると、目立つ建物はすぐ隣のパラッツォ(大学宮殿)にくっついた形のこちらの時計塔です。1734年の建造。

    塔は4階建てで、各階ごとに建築様式とその装飾を変えています。

  • 1階部分は、四方に円柱のある変わった造りでした。中央には日時計が置かれていて、マルティーナ・フランカの緯度40°42&#39; 18&quot; が書かれていました。

    1階部分は、四方に円柱のある変わった造りでした。中央には日時計が置かれていて、マルティーナ・フランカの緯度40°42' 18" が書かれていました。

  • 隣りの大学宮殿の入り口です。中世の時代、マルティーナ・フランカの大学は公共の利益の問題に対処するため、すべての市民に門戸を開放していました。ガイドブックによると、学問の場というよりは、いわば、町議会のような役割だったようで、誰もが自由な権利を持ち、ここで討論したり協議に参加したりすることが出来たそうです。前の建物は1743年の地震で崩壊したため、現在の宮殿は1761年に建て直されたものです。<br /><br />扉上部にある半円形をした錬鉄製の装飾がこの町ではよく見ることが出来ます。ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿に立派なものがあったっけ・・・

    隣りの大学宮殿の入り口です。中世の時代、マルティーナ・フランカの大学は公共の利益の問題に対処するため、すべての市民に門戸を開放していました。ガイドブックによると、学問の場というよりは、いわば、町議会のような役割だったようで、誰もが自由な権利を持ち、ここで討論したり協議に参加したりすることが出来たそうです。前の建物は1743年の地震で崩壊したため、現在の宮殿は1761年に建て直されたものです。

    扉上部にある半円形をした錬鉄製の装飾がこの町ではよく見ることが出来ます。ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿に立派なものがあったっけ・・・

  • こちらが大学宮殿の全景。

    こちらが大学宮殿の全景。

  • 大学宮殿前のオリーヴ・オイルやさん。どれもサイズがでかい! 左側の緑色の缶はなんと5リットル入りです。プーリア産のオリーヴ・オイルでは、一番有名なCaroliというメーカーの商品でした。

    大学宮殿前のオリーヴ・オイルやさん。どれもサイズがでかい! 左側の緑色の缶はなんと5リットル入りです。プーリア産のオリーヴ・オイルでは、一番有名なCaroliというメーカーの商品でした。

  • プレピシート広場の先には、こんな優雅な弧を描いた回廊がありました。ここは、無原罪のマリア広場で、回廊は「ポルティチ」という愛称で市民に親しまれています。1854年にターラントの建築家ダヴィデ・コンヴェルサーノによって建てられました。町の聖職者ジャコモ・フェデーレが私財をなげうって、町の商業を活性化する場所として提供したものだそう。<br /><br />広場では何かイヴェントが行われるようで、準備作業が進行中でした。

    プレピシート広場の先には、こんな優雅な弧を描いた回廊がありました。ここは、無原罪のマリア広場で、回廊は「ポルティチ」という愛称で市民に親しまれています。1854年にターラントの建築家ダヴィデ・コンヴェルサーノによって建てられました。町の聖職者ジャコモ・フェデーレが私財をなげうって、町の商業を活性化する場所として提供したものだそう。

    広場では何かイヴェントが行われるようで、準備作業が進行中でした。

  • 更に先に進みます。マルティーナ・フランカの建物の特徴、扉や窓の周りにひときわ目立つ装飾があるものが目につきます。日本でいう2階が一家の集まる居間になっていることが多いので、2階にはずらりとバルコニーが続きます。

    更に先に進みます。マルティーナ・フランカの建物の特徴、扉や窓の周りにひときわ目立つ装飾があるものが目につきます。日本でいう2階が一家の集まる居間になっていることが多いので、2階にはずらりとバルコニーが続きます。

  • 勤労者互助会とでも訳すのかなあ・・・「共済組合」の扉も見事です。半円形の錬鉄の飾りも素敵ですね。

    勤労者互助会とでも訳すのかなあ・・・「共済組合」の扉も見事です。半円形の錬鉄の飾りも素敵ですね。

  • アーチのある古い町並み。良い雰囲気でしょう。

    アーチのある古い町並み。良い雰囲気でしょう。

  • パラッツォかどうかはわかりませんが、立派な扉装飾の家が方々に見られます。

    パラッツォかどうかはわかりませんが、立派な扉装飾の家が方々に見られます。

  • 狭い道の向こうに何か見えてきたなと思ったら・・・

    狭い道の向こうに何か見えてきたなと思ったら・・・

  • 聖ドメニコ教会でした。むむむ・・・レッチェっぽい雰囲気ですねえ。こちらは、1743年の地震後に崩壊した聖ピエトロに捧げる教会跡に建てられたバロック様式の教会です。ドメニコ会の神父アントニオ・カンタロウプにより完成したのが1760年のこと。<br /><br />解説板によると、教会の装飾は町の他のどの教会よりもレッチェを意識しているとありました。やっぱり・・・教会を建てたのはカルメリオ・デル・ヴェッキオとミケーレ・チトの二人。彼らはレッチェのバロックから多くのものをここに取り入れています。<br /><br />幅の狭い道に面しているため、ファサードの高さを高くして、できる限りの装飾を行い、目立たせようとした意図が窺えます。

    聖ドメニコ教会でした。むむむ・・・レッチェっぽい雰囲気ですねえ。こちらは、1743年の地震後に崩壊した聖ピエトロに捧げる教会跡に建てられたバロック様式の教会です。ドメニコ会の神父アントニオ・カンタロウプにより完成したのが1760年のこと。

    解説板によると、教会の装飾は町の他のどの教会よりもレッチェを意識しているとありました。やっぱり・・・教会を建てたのはカルメリオ・デル・ヴェッキオとミケーレ・チトの二人。彼らはレッチェのバロックから多くのものをここに取り入れています。

    幅の狭い道に面しているため、ファサードの高さを高くして、できる限りの装飾を行い、目立たせようとした意図が窺えます。

  • ファサードの低層部分にある二本の柱の柱頭に注目! レッチェで見たような華やかな擬人像が沢山彫られていますね。人というよりは羽の生えた天使か人魚というのが正解のようですが・・・柱頭の中央にあるのは柘榴の実だそうです。<br /><br />中央の扉の上には、バチカンの紋章(交差する2つの鍵)、そしてその上にはドメニコ会の紋章の一つ(たいまつを口にくわえた犬)が王冠を支える二人のプット達によって、恭しく掲げられています。両脇にはホーンを持つ二人の少年たち。<br /><br />二層部分中央の窓の周りは見事なアガンサスの葉で飾られています。

    ファサードの低層部分にある二本の柱の柱頭に注目! レッチェで見たような華やかな擬人像が沢山彫られていますね。人というよりは羽の生えた天使か人魚というのが正解のようですが・・・柱頭の中央にあるのは柘榴の実だそうです。

    中央の扉の上には、バチカンの紋章(交差する2つの鍵)、そしてその上にはドメニコ会の紋章の一つ(たいまつを口にくわえた犬)が王冠を支える二人のプット達によって、恭しく掲げられています。両脇にはホーンを持つ二人の少年たち。

    二層部分中央の窓の周りは見事なアガンサスの葉で飾られています。

  • 内部は一廊式で、中央にクーポラがありました。先ほど訪れたサン・マルティーノ大聖堂と雰囲気が良く似ています。

    内部は一廊式で、中央にクーポラがありました。先ほど訪れたサン・マルティーノ大聖堂と雰囲気が良く似ています。

  • ドメニコ会は、マルティーナ・フランカにやってきた最初の修道会だそうで、祭壇画は、黒と白の特徴的なドメニコ会の修道僧服を身に着けた方々の絵が多かったです。<br /><br />祭壇は、どれも多色大理石を用いた重厚感あるものばかりで、左右脇にアガンサスの葉が下に伸びて巻いている、下部が大きい台形をしていて、見る者に安定感を与えていました。

    ドメニコ会は、マルティーナ・フランカにやってきた最初の修道会だそうで、祭壇画は、黒と白の特徴的なドメニコ会の修道僧服を身に着けた方々の絵が多かったです。

    祭壇は、どれも多色大理石を用いた重厚感あるものばかりで、左右脇にアガンサスの葉が下に伸びて巻いている、下部が大きい台形をしていて、見る者に安定感を与えていました。

  • こちらも、ドメニコ会の創設者聖ドメニコを描いたものだと思うのですが、解説なしのため確認できませんでした。一番手前に描かれた人物が背中にしょっているものが何なのか気になるんですけれど・・・

    こちらも、ドメニコ会の創設者聖ドメニコを描いたものだと思うのですが、解説なしのため確認できませんでした。一番手前に描かれた人物が背中にしょっているものが何なのか気になるんですけれど・・・

  • お次は、面白い構図の祭壇画です。「聖ドメニコ」が描かれたキャンバスを広げているのは、なんと聖母ですよ!<br /><br />左下と右下にも、別の聖母子、聖母子と聖ドメニコの絵画があり、全部で3枚の絵が一つになっているところにも画家のこだわりを感じます。ニコラ・リッリの作品で、画上に1681年と作成年が書かれていました。

    お次は、面白い構図の祭壇画です。「聖ドメニコ」が描かれたキャンバスを広げているのは、なんと聖母ですよ!

    左下と右下にも、別の聖母子、聖母子と聖ドメニコの絵画があり、全部で3枚の絵が一つになっているところにも画家のこだわりを感じます。ニコラ・リッリの作品で、画上に1681年と作成年が書かれていました。

  • 確か右翼廊にあったこちらの祭壇には、「幼子イエスの神殿でのお披露目」とドメニコ会出身スペイン人の聖ヴィセンテ・フェレールが描かれていました。ピエトロ・デ・マウロの18世紀の作品です。

    確か右翼廊にあったこちらの祭壇には、「幼子イエスの神殿でのお披露目」とドメニコ会出身スペイン人の聖ヴィセンテ・フェレールが描かれていました。ピエトロ・デ・マウロの18世紀の作品です。

  • そして左翼廊にあったこちらが、この教会で最も有名な祭壇画 「ロザリオの聖母」です。先ほど大聖堂で何点か見たドメニコ・カレッラの作品です。写真ではわかりにくいですが、右上に聖母、左上にシエナの聖カタリナ、左下に聖ドメニコが立っています。1762年。<br /><br />この祭壇は造りが大変凝っていて、緻密な装飾が全面に施されています。中央の祭壇画の周りに小さな楕円形の絵画が11枚はめ込まれています。更に高い場所にもう1枚。<br /><br />両脇の柱と柱の間に立つ彫像の名前は、いろいろと調べましたが、わかりませんでした。

    そして左翼廊にあったこちらが、この教会で最も有名な祭壇画 「ロザリオの聖母」です。先ほど大聖堂で何点か見たドメニコ・カレッラの作品です。写真ではわかりにくいですが、右上に聖母、左上にシエナの聖カタリナ、左下に聖ドメニコが立っています。1762年。

    この祭壇は造りが大変凝っていて、緻密な装飾が全面に施されています。中央の祭壇画の周りに小さな楕円形の絵画が11枚はめ込まれています。更に高い場所にもう1枚。

    両脇の柱と柱の間に立つ彫像の名前は、いろいろと調べましたが、わかりませんでした。

  • 主祭壇は、多色大理石を用いて、両脇にプットの頭のついた豪華な大理石製ではありますが、一見大変地味です。祭壇画は聖母子を中心に、左に聖ドメニコ。右にいるのはシエナの聖カタリアかしら? 木像かと思われますが。そばまで近づけなかったので詳細ははっきりしません。

    主祭壇は、多色大理石を用いて、両脇にプットの頭のついた豪華な大理石製ではありますが、一見大変地味です。祭壇画は聖母子を中心に、左に聖ドメニコ。右にいるのはシエナの聖カタリアかしら? 木像かと思われますが。そばまで近づけなかったので詳細ははっきりしません。

  • クーポラのテンペラ画は、控えめなタッチながら、よくよく見ると、一つの物語が浮かんできます。クーポラの縁にそって周りに海が広がり、船のマストが多数あることに気が付きます。これはレパントの戦い(1571年)中の「聖母による和解調停」を描いたものなのだそうです。<br /><br />パッと見地味ですが、じっと眺めていると味わいが濃くなる絵でした。ペンデンティブは4人のエヴァンゲリスト達ですね。

    クーポラのテンペラ画は、控えめなタッチながら、よくよく見ると、一つの物語が浮かんできます。クーポラの縁にそって周りに海が広がり、船のマストが多数あることに気が付きます。これはレパントの戦い(1571年)中の「聖母による和解調停」を描いたものなのだそうです。

    パッと見地味ですが、じっと眺めていると味わいが濃くなる絵でした。ペンデンティブは4人のエヴァンゲリスト達ですね。

  • カウンターファサードです。ファサード中央の窓はもちろん、すべての窓枠は内側も丁寧な装飾がされていたことが印象的でした。

    カウンターファサードです。ファサード中央の窓はもちろん、すべての窓枠は内側も丁寧な装飾がされていたことが印象的でした。

  • これはどこにあったのか全く記憶なし。キリストと洗礼者聖ヨハネかな? キリストの子供は何を口にくわえているのかなあ・・・

    これはどこにあったのか全く記憶なし。キリストと洗礼者聖ヨハネかな? キリストの子供は何を口にくわえているのかなあ・・・

  • 聖ドメニコ教会の隣には、以前にあった修道院が残されていました。聖ドメニコ教会が建つ前にここにあった殉教者聖ピエトロ教会と同時期に作られた15世紀の特徴を持つ建物の一つとされていますが、正確な建築年にかかわる文書は残されていません。

    聖ドメニコ教会の隣には、以前にあった修道院が残されていました。聖ドメニコ教会が建つ前にここにあった殉教者聖ピエトロ教会と同時期に作られた15世紀の特徴を持つ建物の一つとされていますが、正確な建築年にかかわる文書は残されていません。

  • こちらが、修道院の建物の奥にあったキオストロです。<br /><br />修道院は1881年以降は市の管理下に移され、その後3階部分に建物を増築。一時は地方刑務所として使われていたそうです。1960年代になって、1階、2階部分にあった司法関連の役所の移転に伴い、刑務所は閉鎖されたとのこと。1994年になり、この元修道院(刑務所)の建物がマルティーナ・フランカの歴史的中心部を活性化し、文化的向上に資すると判断され、ようやく修復の機会を得ることが出来たそうです。現在は町の財団が管理を行っています。<br /><br />それにしても、元教会の兵舎、刑務所の多いことに驚きました。

    こちらが、修道院の建物の奥にあったキオストロです。

    修道院は1881年以降は市の管理下に移され、その後3階部分に建物を増築。一時は地方刑務所として使われていたそうです。1960年代になって、1階、2階部分にあった司法関連の役所の移転に伴い、刑務所は閉鎖されたとのこと。1994年になり、この元修道院(刑務所)の建物がマルティーナ・フランカの歴史的中心部を活性化し、文化的向上に資すると判断され、ようやく修復の機会を得ることが出来たそうです。現在は町の財団が管理を行っています。

    それにしても、元教会の兵舎、刑務所の多いことに驚きました。

  • キオストロには所々にフレスコが残っています。これらは、前述の1994年からの修復の際に見つかったものなのだそう。いまだに回復が図られていると聞きました。

    キオストロには所々にフレスコが残っています。これらは、前述の1994年からの修復の際に見つかったものなのだそう。いまだに回復が図られていると聞きました。

  • 昔は、ヴォールトがすべてフレスコで埋まっていたのでしょうね。少々どぎつい色使いのように思えます。

    昔は、ヴォールトがすべてフレスコで埋まっていたのでしょうね。少々どぎつい色使いのように思えます。

  • 柱は四角形のもの、六角形のもの、八角形ののものと様々。白い土台部分は修復の結果補強されたものなのかしら? 説明板には、「がっしりした多角形の列柱で囲まれた回廊」と書かれているのみでした。確かにその通りなんですが・・・

    柱は四角形のもの、六角形のもの、八角形ののものと様々。白い土台部分は修復の結果補強されたものなのかしら? 説明板には、「がっしりした多角形の列柱で囲まれた回廊」と書かれているのみでした。確かにその通りなんですが・・・

  • 聖ドメニコ教会を出て、マルティーナ・フランカの旧市街巡りに戻ります。<br /><br />こちらは旧市街で最大の大きさを誇るパラッツォ・ドメニコ・モトレーゼ。庭園と二つの出入り口を持っています。優れた医者だったモトレーゼが、レッチェで一番の腕の持ち主ダミアーニに依頼して1775年に建てた邸宅です。<br /><br />窓枠の装飾も素敵ですね。

    聖ドメニコ教会を出て、マルティーナ・フランカの旧市街巡りに戻ります。

    こちらは旧市街で最大の大きさを誇るパラッツォ・ドメニコ・モトレーゼ。庭園と二つの出入り口を持っています。優れた医者だったモトレーゼが、レッチェで一番の腕の持ち主ダミアーニに依頼して1775年に建てた邸宅です。

    窓枠の装飾も素敵ですね。

  • 祠見っけ!

    祠見っけ!

  • こちらはパラッツォではありませんが、摩訶不思議な女性の絵が壁にあったので1枚。

    こちらはパラッツォではありませんが、摩訶不思議な女性の絵が壁にあったので1枚。

  • 洗濯物を撮ったのではありませんよ。壁の小さな白い馬と黒い馬のレリーフが気になりました。

    洗濯物を撮ったのではありませんよ。壁の小さな白い馬と黒い馬のレリーフが気になりました。

  • パラッツオより庶民の家が面白い。祠は夜には明かりが灯るようになっています。

    パラッツオより庶民の家が面白い。祠は夜には明かりが灯るようになっています。

  • モンテドーロの聖ニコラ教会。モンテドーロ(金の山)というのは、マルティーナ・フランカのこの辺りの地名のようです。なかなか味わい深い外観をしていますね。てっぺんがとがったアーチの扉、その上の小さなバラ窓、そして鐘楼が中世後期の趣を感じさせます。屋根は石灰岩から作られたレンガ製だそうです。<br /><br />廃業しているのかな?と思いましたが、常に閉まってはいるものの、教会としてはまだ存続しているようでした。

    モンテドーロの聖ニコラ教会。モンテドーロ(金の山)というのは、マルティーナ・フランカのこの辺りの地名のようです。なかなか味わい深い外観をしていますね。てっぺんがとがったアーチの扉、その上の小さなバラ窓、そして鐘楼が中世後期の趣を感じさせます。屋根は石灰岩から作られたレンガ製だそうです。

    廃業しているのかな?と思いましたが、常に閉まってはいるものの、教会としてはまだ存続しているようでした。

  • 18世紀としては珍しい集合住宅 ドメニコ・レ・マランギの家です。中の住宅は何度も改修されて今は見る影もありません。残されているのはこちらのゲートだけ。1731年の建造です。広い中庭は仕事場、倉庫、家畜小屋、子供たちの遊び用に使われていたそうです。

    18世紀としては珍しい集合住宅 ドメニコ・レ・マランギの家です。中の住宅は何度も改修されて今は見る影もありません。残されているのはこちらのゲートだけ。1731年の建造です。広い中庭は仕事場、倉庫、家畜小屋、子供たちの遊び用に使われていたそうです。

  • 通りの向こうに、また一つパラッツォが出現しましたよ。

    通りの向こうに、また一つパラッツォが出現しましたよ。

  • 装飾は地味ですが、扉の材質の良さが分かる造りですね。居住者のいる家の扉は、どれもピカピカに磨き上げられていました。

    装飾は地味ですが、扉の材質の良さが分かる造りですね。居住者のいる家の扉は、どれもピカピカに磨き上げられていました。

  • 町中が迷路ですから、こんな通りを行ったり来たり・・・

    町中が迷路ですから、こんな通りを行ったり来たり・・・

  • やや! 車の陰にまた面白い形の扉を見つけましたよ。

    やや! 車の陰にまた面白い形の扉を見つけましたよ。

  • こちらはパラッツォ・マッギ。ギリシャ人の聖ピエトロ教会近くで見つけました。この扉は中庭への通路となっているようです。<br /><br />花束が浮き彫りになっている左右の柱、扉上部優雅な曲線を描く中央の花と蔓草の装飾はとても手が込んでいます。注目はその下! 魔除けの仮面がありますよ! エルコラーノでも見ましたが、イタリアの伝統はこの家が作られた18世紀にも受け継がれていたんですねえ。

    こちらはパラッツォ・マッギ。ギリシャ人の聖ピエトロ教会近くで見つけました。この扉は中庭への通路となっているようです。

    花束が浮き彫りになっている左右の柱、扉上部優雅な曲線を描く中央の花と蔓草の装飾はとても手が込んでいます。注目はその下! 魔除けの仮面がありますよ! エルコラーノでも見ましたが、イタリアの伝統はこの家が作られた18世紀にも受け継がれていたんですねえ。

  • やがて、道は小さな門をくぐりました。

    やがて、道は小さな門をくぐりました。

  • あらっ!  町の外に出てしまいました。この小さな門はサン・ピエトロ門。またの名をストラッチアータ門と言います。大変シンプル。実際他の3つの門と比べると見劣りするそうです。町の南西部に位置し、14世紀に作られたものです。近くにギリシャ人のサン・ピエトロ教会があったことからこの名前がつきました。<br /><br />まだ旧市街見終わっていないので、一旦城門の中に戻りましょう。

    あらっ!  町の外に出てしまいました。この小さな門はサン・ピエトロ門。またの名をストラッチアータ門と言います。大変シンプル。実際他の3つの門と比べると見劣りするそうです。町の南西部に位置し、14世紀に作られたものです。近くにギリシャ人のサン・ピエトロ教会があったことからこの名前がつきました。

    まだ旧市街見終わっていないので、一旦城門の中に戻りましょう。

  • こちらのお宅の扉には、1785年という作られた年が刻まれていました。

    こちらのお宅の扉には、1785年という作られた年が刻まれていました。

  • 先ほどくぐったサン・ピエトロ門の名前の由来となったギリシャ人のサン・ピエトロ教会。こちらも中世の雰囲気が漂っています。ギリシャ人の入植は14世紀頃始まり、ターラントから内陸部に移住してきたギリシャ人用に、マルティーナ・フランカにはこのほかにもう一つギリシャ教会があるそうです。いわゆる東方典礼教会でしょうか?<br /><br />こちらの鐘楼も可愛いですね。建物はシンプルなルネッサンス様式で、内部は長方形の部屋一つのみだそうです。扉の上の半月形部分には、二人の天使が描かれたフレスコを見ることが出来ます。

    先ほどくぐったサン・ピエトロ門の名前の由来となったギリシャ人のサン・ピエトロ教会。こちらも中世の雰囲気が漂っています。ギリシャ人の入植は14世紀頃始まり、ターラントから内陸部に移住してきたギリシャ人用に、マルティーナ・フランカにはこのほかにもう一つギリシャ教会があるそうです。いわゆる東方典礼教会でしょうか?

    こちらの鐘楼も可愛いですね。建物はシンプルなルネッサンス様式で、内部は長方形の部屋一つのみだそうです。扉の上の半月形部分には、二人の天使が描かれたフレスコを見ることが出来ます。

  • だいぶ外壁はくたびれていますが、こちらは1778年に建てられたパラッツォ・カサヴォーラ。流線形の美しいバルコニーが特徴的です。左右にある小さめのバルコニーの束石は、花のつぼみのような形で、今にも花を咲かせようとしているかのようです。窓の形も、いかにもバロックといった雰囲気ですね。

    だいぶ外壁はくたびれていますが、こちらは1778年に建てられたパラッツォ・カサヴォーラ。流線形の美しいバルコニーが特徴的です。左右にある小さめのバルコニーの束石は、花のつぼみのような形で、今にも花を咲かせようとしているかのようです。窓の形も、いかにもバロックといった雰囲気ですね。

  • 住む人がいないのか、扉もすっかり荒れ果てていました。少々残念なたたずまいです。

    住む人がいないのか、扉もすっかり荒れ果てていました。少々残念なたたずまいです。

  • 奥に見える家は、神学者にして哲学者のパスクアレ・マッリが1748年に建てたパラッツォ・マッリ。扉周りは異なりますが、流線形のバルコニーはその前のカサヴォーラ家のものと似ています。

    奥に見える家は、神学者にして哲学者のパスクアレ・マッリが1748年に建てたパラッツォ・マッリ。扉周りは異なりますが、流線形のバルコニーはその前のカサヴォーラ家のものと似ています。

  • 左右の柱の柱頭には、サテュロス(半人半山羊)像が彫られていました。扉の上部にもどなたかいらっしゃいますね。こちらはどなたでしょう?<br /><br />扉の周りの三角柱の組み合わせが印象的です。

    左右の柱の柱頭には、サテュロス(半人半山羊)像が彫られていました。扉の上部にもどなたかいらっしゃいますね。こちらはどなたでしょう?

    扉の周りの三角柱の組み合わせが印象的です。

  • 半人半山羊のサテュロス。扉に向かって右側のものです。

    半人半山羊のサテュロス。扉に向かって右側のものです。

  • 左右の小さめのバルコニーの束石がまた美しい・・・

    左右の小さめのバルコニーの束石がまた美しい・・・

  • カヴール通りには、こうした300年前の邸宅がいくつも見られました。

    カヴール通りには、こうした300年前の邸宅がいくつも見られました。

  • 扉の上に、また魔除けのマスクがありましたよ。こちらはアンブロジオ・ファネッリが1748年に建てたパラッツォ・ファネッリ。この邸宅は手入れが行き届いていて、保存状態も大変良好。極端な誇張がなく、控えめながら上品な雰囲気が漂っていました。

    扉の上に、また魔除けのマスクがありましたよ。こちらはアンブロジオ・ファネッリが1748年に建てたパラッツォ・ファネッリ。この邸宅は手入れが行き届いていて、保存状態も大変良好。極端な誇張がなく、控えめながら上品な雰囲気が漂っていました。

  • 帰りのバスの時間が気になりだしたので、ここだけは訪れたいと思っていたカルミネ教会に向かいました。この教会は、城門のすぐ外側に位置しています。<br /><br />マルティーナ・フランカにカルミネ会がやってきて、城壁外側に慈悲の聖母教会を建てたのが17世紀初頭のこと。その後1614年には付属の修道院の建設を開始します。

    帰りのバスの時間が気になりだしたので、ここだけは訪れたいと思っていたカルミネ教会に向かいました。この教会は、城門のすぐ外側に位置しています。

    マルティーナ・フランカにカルミネ会がやってきて、城壁外側に慈悲の聖母教会を建てたのが17世紀初頭のこと。その後1614年には付属の修道院の建設を開始します。

  • 修道院の完成後、修道士カルボッティが1727年から教会の再建を始め、現在あるこちらの教会は1758年に完成しました。設計者はいまだに論議の的になっていますが、ローマでボッロミニの下で働いていたレッチェ出身のマウロ・マニエーリではないかとされています。扉上の装飾にボッロミニの影響が見られると解説にはありましたが、???<br /><br />装飾で目立つ点といえば、扉上中央にある「カルミネの聖母」の像くらいでしょうか。ニッチェには、左にフランスのピエール・トマス、右にシチリアのアルベルト・ディ・トラバニの彫像がありました。共にカルミネ会出身の聖人です。

    修道院の完成後、修道士カルボッティが1727年から教会の再建を始め、現在あるこちらの教会は1758年に完成しました。設計者はいまだに論議の的になっていますが、ローマでボッロミニの下で働いていたレッチェ出身のマウロ・マニエーリではないかとされています。扉上の装飾にボッロミニの影響が見られると解説にはありましたが、???

    装飾で目立つ点といえば、扉上中央にある「カルミネの聖母」の像くらいでしょうか。ニッチェには、左にフランスのピエール・トマス、右にシチリアのアルベルト・ディ・トラバニの彫像がありました。共にカルミネ会出身の聖人です。

  • 内部は一廊式。左右に礼拝堂、主祭壇の背後に数段高くなったギャラリーがあることが珍しく思いました。<br /><br />内部の装飾はナポレオンによる支配が終わった1859年から65年にかけて、大々的に改装されています。両側にある柱は、多色大理石に見えますが、実は地元の石に彩色しただけのものだそうです。彩色されたスタッコ装飾の中で、最も劇的な効果を生んだのは、ドームにずらりと並んだ金色の六角形でしょう。入場したとたんにドームに目が行きましたよ。

    内部は一廊式。左右に礼拝堂、主祭壇の背後に数段高くなったギャラリーがあることが珍しく思いました。

    内部の装飾はナポレオンによる支配が終わった1859年から65年にかけて、大々的に改装されています。両側にある柱は、多色大理石に見えますが、実は地元の石に彩色しただけのものだそうです。彩色されたスタッコ装飾の中で、最も劇的な効果を生んだのは、ドームにずらりと並んだ金色の六角形でしょう。入場したとたんにドームに目が行きましたよ。

  • 主祭壇に向かって左側の礼拝堂を臨みます。あらっ! 手前から二番目の礼拝堂にどなたかいらっしゃいますね。

    主祭壇に向かって左側の礼拝堂を臨みます。あらっ! 手前から二番目の礼拝堂にどなたかいらっしゃいますね。

  • というわけで、いつものコースではなく、先に目に留まった聖霊に捧げる礼拝堂にやってきてしまいました。この新しい彫像は、エンリコ・モロデール作のヨハネ・パウロ2世とカルカッタのマザーテレサ。2007年の作品です。<br /><br />福者マザーテレサは日本語では「神の愛の宣教者会」という修道会の創立者ですがカルミネ会と何か関係があるのでしょうか?<br /><br />祭壇にある彫刻も、エンリコ・モロデールの作品で、こちらは1995年の制作です。

    というわけで、いつものコースではなく、先に目に留まった聖霊に捧げる礼拝堂にやってきてしまいました。この新しい彫像は、エンリコ・モロデール作のヨハネ・パウロ2世とカルカッタのマザーテレサ。2007年の作品です。

    福者マザーテレサは日本語では「神の愛の宣教者会」という修道会の創立者ですがカルミネ会と何か関係があるのでしょうか?

    祭壇にある彫刻も、エンリコ・モロデールの作品で、こちらは1995年の制作です。

  • ヨハネ・パウロ2世は、2003年10月19日、テレサを列福し、彼女を福者であると宣言しました。

    ヨハネ・パウロ2世は、2003年10月19日、テレサを列福し、彼女を福者であると宣言しました。

  • こちらの礼拝堂の祭壇画は「十字架降架」。暗い絵ですが、構図が素晴らしいと思っていたら、この絵は地元の画家による、ジュゼッペ・デ・リベラ作「ピエタ」のコピーなのだそうです。本物は、ナポリの聖マルティーノ美術館にあります。

    こちらの礼拝堂の祭壇画は「十字架降架」。暗い絵ですが、構図が素晴らしいと思っていたら、この絵は地元の画家による、ジュゼッペ・デ・リベラ作「ピエタ」のコピーなのだそうです。本物は、ナポリの聖マルティーノ美術館にあります。

  • 翼廊にあったアヴィラの聖テレサにささげる礼拝堂です。祭壇画は聖テレサのTransverberazione 辞書を引いても出てこないのですが、おそらく「恍惚状態の聖テレサ」でいいのかなあ。彼女がエクスタシーを得た瞬間を捉えた作品のようです。地元の画家による18世紀の作品です。

    翼廊にあったアヴィラの聖テレサにささげる礼拝堂です。祭壇画は聖テレサのTransverberazione 辞書を引いても出てこないのですが、おそらく「恍惚状態の聖テレサ」でいいのかなあ。彼女がエクスタシーを得た瞬間を捉えた作品のようです。地元の画家による18世紀の作品です。

  • 先ほど、入り口から見たドームです。本当に美しい! これ以外に言葉が見つかりません。六角形のロゼットが段々と小さくなって、中央にある神の目のある天上世界へと導かれていくように見えます。

    先ほど、入り口から見たドームです。本当に美しい! これ以外に言葉が見つかりません。六角形のロゼットが段々と小さくなって、中央にある神の目のある天上世界へと導かれていくように見えます。

  • 少々暗く映ってしまいましたが、こちらが主祭壇です。祭壇は先ほど訪れた聖ドメニコ教会と形状が良く似ています。18世紀の多色大理石製。<br /><br />祭壇画にはマウント・カーメル(カルメル)の聖母、カルメル会の聖人シモーネ・ストック、それに預言者のエリヤとエリシャが登場しています。1760年にピエトロ・マウドによって描かれたものですが、画家はその5年後に自らキャンバスに13の楕円形を追加し、聖母のマウント・カーメルでの奇跡の数数を描き足したのだそうです。

    少々暗く映ってしまいましたが、こちらが主祭壇です。祭壇は先ほど訪れた聖ドメニコ教会と形状が良く似ています。18世紀の多色大理石製。

    祭壇画にはマウント・カーメル(カルメル)の聖母、カルメル会の聖人シモーネ・ストック、それに預言者のエリヤとエリシャが登場しています。1760年にピエトロ・マウドによって描かれたものですが、画家はその5年後に自らキャンバスに13の楕円形を追加し、聖母のマウント・カーメルでの奇跡の数数を描き足したのだそうです。

  • カウンターファサードです。要所要所をスタッコで装飾していますが、華美とならない程度にと配慮されているようです。

    カウンターファサードです。要所要所をスタッコで装飾していますが、華美とならない程度にと配慮されているようです。

  • ここでもやはり、この聖水ボトルが気になりました。方々で見ましたが、聖水盤ならぬ聖水ボトルについて解説があることはほとんどなく、どうやって使うのかを含めて、私にとって謎の多い建造物です。この教会の聖水ボトルも丸みを帯びた形状が大変柔らかな印象を与えてくれました。

    ここでもやはり、この聖水ボトルが気になりました。方々で見ましたが、聖水盤ならぬ聖水ボトルについて解説があることはほとんどなく、どうやって使うのかを含めて、私にとって謎の多い建造物です。この教会の聖水ボトルも丸みを帯びた形状が大変柔らかな印象を与えてくれました。

  • ファサードの「マウント・カーメルの聖母子」に別れを告げます。<br /><br />カルミネ教会が建っている場所から東に向かって歩いていくと、北側に緑の公園が広がっていました。

    ファサードの「マウント・カーメルの聖母子」に別れを告げます。

    カルミネ教会が建っている場所から東に向かって歩いていくと、北側に緑の公園が広がっていました。

  • 公園の先には、イトリアの谷が一面に広がっていて、まさに絶景!<br /><br />こんなに標高の高いところにいたんだと、初めて実感。ここからも、そこかしこにトゥルッリのある民家が見えて、のどかな情景を醸し出しています。

    公園の先には、イトリアの谷が一面に広がっていて、まさに絶景!

    こんなに標高の高いところにいたんだと、初めて実感。ここからも、そこかしこにトゥルッリのある民家が見えて、のどかな情景を醸し出しています。

  • トゥルッリは壁に囲まれているので、こんな風にしか撮れないのが残念です。

    トゥルッリは壁に囲まれているので、こんな風にしか撮れないのが残念です。

  • 北側正面には、トコロトンドの白い町がぽっかりと浮かんでいるかのように見えました。1時間もあれば歩いて行けそうな距離! 町の中心には 1825年に造られたマードレ教会が鎮座していました。ブラヴォー!

    北側正面には、トコロトンドの白い町がぽっかりと浮かんでいるかのように見えました。1時間もあれば歩いて行けそうな距離! 町の中心には 1825年に造られたマードレ教会が鎮座していました。ブラヴォー!

  • もう少しはっきりと景色を見たいと、公園脇の急坂の道を下りて行きましたが、今度は木立に隠れてロコロトンドは姿を消してしまいます。絶景を撮るのはなかなか難しい・・・<br /><br />坂の途中にあったのは、プロヴィデンツァ教会。16世紀後半には祖の存在が記録に残っています。修道士生活の創始者とされる大アントニオスに捧げられた教会でしたが、地元農民にとっては家族と家畜の病気治癒のために祈りをささげる場となっていたようです。特に帯状疱疹にご利益があったそう。

    もう少しはっきりと景色を見たいと、公園脇の急坂の道を下りて行きましたが、今度は木立に隠れてロコロトンドは姿を消してしまいます。絶景を撮るのはなかなか難しい・・・

    坂の途中にあったのは、プロヴィデンツァ教会。16世紀後半には祖の存在が記録に残っています。修道士生活の創始者とされる大アントニオスに捧げられた教会でしたが、地元農民にとっては家族と家畜の病気治癒のために祈りをささげる場となっていたようです。特に帯状疱疹にご利益があったそう。

  • 町に戻る途中にあったカルミネ会系列の受胎告知教会。シンプルなファサードと頂にある鐘楼は、今まで見てきた町の古い教会と雰囲気が良く似ていました。

    町に戻る途中にあったカルミネ会系列の受胎告知教会。シンプルなファサードと頂にある鐘楼は、今まで見てきた町の古い教会と雰囲気が良く似ていました。

  • マルティーナ・フランカでは、アンジュー家の支配時代の14世紀に作られた城壁に付随する円い塔がいくつか残っていますが、こちらはその一つトーレ・デル・セータ(柘榴の塔)。昔この辺りに柘榴の木があったらしいですよ。15、6世紀に改修されて、現在は民家となっています。高さ10m、直径は5.5m。

    マルティーナ・フランカでは、アンジュー家の支配時代の14世紀に作られた城壁に付随する円い塔がいくつか残っていますが、こちらはその一つトーレ・デル・セータ(柘榴の塔)。昔この辺りに柘榴の木があったらしいですよ。15、6世紀に改修されて、現在は民家となっています。高さ10m、直径は5.5m。

  • 再度旧市街へと入っていきます。右側の扉は、パラッツォではなく、古い小さな病院の入り口です。扉の上の碑文によると、創立は1783年。町の裕福な聖職者がその家を売ったお金を元に、主に貧しい人々やよそ者を助ける目的で作りました。当時深刻な社会問題であった捨て子、望まれない子供たちの受け皿にもなっていたそうで、のちにこの病院の前の道は「孤児通り」と呼ばれるようになったとのこと。<br /><br />扉のそばにぽつんと置いてあったスーツケースの中身が気になりましたが、まさかね!

    再度旧市街へと入っていきます。右側の扉は、パラッツォではなく、古い小さな病院の入り口です。扉の上の碑文によると、創立は1783年。町の裕福な聖職者がその家を売ったお金を元に、主に貧しい人々やよそ者を助ける目的で作りました。当時深刻な社会問題であった捨て子、望まれない子供たちの受け皿にもなっていたそうで、のちにこの病院の前の道は「孤児通り」と呼ばれるようになったとのこと。

    扉のそばにぽつんと置いてあったスーツケースの中身が気になりましたが、まさかね!

  • 病院の前を通り過ぎてしばらく行くと、今度は少し斜めに傾いたようなバルコニーが見えてきました。背後に並んでいる二つの扉の外枠がまた凝っていますなあ・・・

    病院の前を通り過ぎてしばらく行くと、今度は少し斜めに傾いたようなバルコニーが見えてきました。背後に並んでいる二つの扉の外枠がまた凝っていますなあ・・・

  • バロック時代に建てられたパラッツォはまだまだありましたよ。こちらはパラッツォ・アンコーナ。官能的なカリアテッドが出迎えてくれました。<br /><br />そして、扉上部にある魔除けのマスクの迫力のあること! 炎をバックに、邪悪なものは一切通さぬとばかり、家を守っているように見えます。<br /><br />しかしながら、皮肉なことに、実はこの家、幽霊が出るというもっぱらの噂ですよ。最上階の窓は開かれたことがなく、住む人もいないとのこと。「売家」の看板が出ていたのは偶然ではないのでしょうか?

    バロック時代に建てられたパラッツォはまだまだありましたよ。こちらはパラッツォ・アンコーナ。官能的なカリアテッドが出迎えてくれました。

    そして、扉上部にある魔除けのマスクの迫力のあること! 炎をバックに、邪悪なものは一切通さぬとばかり、家を守っているように見えます。

    しかしながら、皮肉なことに、実はこの家、幽霊が出るというもっぱらの噂ですよ。最上階の窓は開かれたことがなく、住む人もいないとのこと。「売家」の看板が出ていたのは偶然ではないのでしょうか?

  • 幽霊の宮殿のすぐ近くにあったのは、イルカの宮殿パラッツォ・デルフィーニです。扉の上に建築年が1776年と記されています。イルカはこの家の紋章に登場します。<br /><br />2階にあるバルコニーの、オレンジ色の飾りが気になりましたが、あれはオリジナルではなさそうですね。

    幽霊の宮殿のすぐ近くにあったのは、イルカの宮殿パラッツォ・デルフィーニです。扉の上に建築年が1776年と記されています。イルカはこの家の紋章に登場します。

    2階にあるバルコニーの、オレンジ色の飾りが気になりましたが、あれはオリジナルではなさそうですね。

  • 夕方の強い日差しを受けて輝いているのは、聖ヴィート教会です。14世紀、アンジュー家のフィリップによりこの町が作られた時代に建造された、市内で最も古い教会の一つだそうです。<br /><br />ファサードはアシュラー積みの石造りで、てっぺんに3つのアーチのある鐘楼がついています。古そうに見えますが、18世紀に内外の大規模な改修が行われています。傾斜地に建っていて、メイン扉へのアプローチがとても複雑な建物でした。

    夕方の強い日差しを受けて輝いているのは、聖ヴィート教会です。14世紀、アンジュー家のフィリップによりこの町が作られた時代に建造された、市内で最も古い教会の一つだそうです。

    ファサードはアシュラー積みの石造りで、てっぺんに3つのアーチのある鐘楼がついています。古そうに見えますが、18世紀に内外の大規模な改修が行われています。傾斜地に建っていて、メイン扉へのアプローチがとても複雑な建物でした。

  • ドゥカーレ宮殿の前の噴水まで戻って来ましたよ。そばに説明板があったので読んでみたら、こちらは「イルカの噴水」という立派な名前がついていたようです。作られたのは1934年。私には想像上の動物にしか見えない、醜いイルカの子です。

    ドゥカーレ宮殿の前の噴水まで戻って来ましたよ。そばに説明板があったので読んでみたら、こちらは「イルカの噴水」という立派な名前がついていたようです。作られたのは1934年。私には想像上の動物にしか見えない、醜いイルカの子です。

  • ほぼ17時45分ジャストに約束通り赤いバスがやってきて、私をあっという間に駅まで運んでくれました。マルティーナ・フランカ滞在はわずか2時間半でしたが、主だった場所は回ることが出来たみたいです。コンパクトにまとまっていて、町歩きには最適な場所でしたよ。

    ほぼ17時45分ジャストに約束通り赤いバスがやってきて、私をあっという間に駅まで運んでくれました。マルティーナ・フランカ滞在はわずか2時間半でしたが、主だった場所は回ることが出来たみたいです。コンパクトにまとまっていて、町歩きには最適な場所でしたよ。

  • マルティーナ・フランカの駅です。旧市街に行くバスは、写真にあるMiccolis社のバス停から出発しますよ。

    マルティーナ・フランカの駅です。旧市街に行くバスは、写真にあるMiccolis社のバス停から出発しますよ。

  • マルティーナ・フランカはスッド・エスト線の主要な駅なので、構内にはたくさんの列車が止まっていました。といっても、運行本数は少なく、バーリ行が出発する18時37分まではまだ30分以上あって、時間を持て余してしまいました。

    マルティーナ・フランカはスッド・エスト線の主要な駅なので、構内にはたくさんの列車が止まっていました。といっても、運行本数は少なく、バーリ行が出発する18時37分まではまだ30分以上あって、時間を持て余してしまいました。

  • バーリの方向に一つ目の駅がロコロトンド、二つ目がアルベロベッロなので、相変わらずやることはトゥルッリ探しです。

    バーリの方向に一つ目の駅がロコロトンド、二つ目がアルベロベッロなので、相変わらずやることはトゥルッリ探しです。

  • おお〜トゥルッリ大集合です!

    おお〜トゥルッリ大集合です!

  • ロコロトンドを写すわずかなチャンスが訪れたものの、結局ブレブレに終わりました(泣)。この町は、下の道をぐるりと回って、町を見上げながら歩いてみたいものです。

    ロコロトンドを写すわずかなチャンスが訪れたものの、結局ブレブレに終わりました(泣)。この町は、下の道をぐるりと回って、町を見上げながら歩いてみたいものです。

  • 悔しいから、ロコロトンドの駅舎の写真を写してみたりして・・・

    悔しいから、ロコロトンドの駅舎の写真を写してみたりして・・・

  • 新旧の文化が入り混じった風景・・・

    新旧の文化が入り混じった風景・・・

  • そしてお終いが、こちらの写真。多分新築に近いトゥルッリではないでしょうか?この先何百年たっても、この景色が引き継がれていくんだと確信を持った瞬間でした。プーリア州の旅もこれにて終了。明日はひたすら北へ。移動日です。<br /><br />この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その52 フォリーニョで。

    そしてお終いが、こちらの写真。多分新築に近いトゥルッリではないでしょうか?この先何百年たっても、この景色が引き継がれていくんだと確信を持った瞬間でした。プーリア州の旅もこれにて終了。明日はひたすら北へ。移動日です。

    この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その52 フォリーニョで。

この旅行記のタグ

関連タグ

31いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 308円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP