2015/12/29 - 2016/01/01
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■恒例の年末年始車旅 【 ぐるっと九州の上半分を走破♪3泊4日 】
高瀬の古い町並み&菊池川に沿った運河に架かる高瀬目鏡橋〜の巻
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
玉名市高瀬は熊本県北西部、菊池川と繁根木川の合流点付近に位置し、両川に挟まれ古くから河湊として発展したところです。
江戸時代は熊本藩領で、湊町として発展し、肥後熊本藩五ヶ町の一つで在町として、城北地域の政治・軍事・経済・交通の要地で、町奉行が置かれていました。
菊池川に沿って運河(裏川)が造られ、町屋裏の倉庫へ直接荷物が上げ下ろしされていて、藩の蔵米や納屋物の集散地でもありました。
藩の御蔵は高瀬町の南部に14倉あり、肥後の全量の約半分がここから積み出されていました。
天保13年(1842)には菊池川に面して御蔵米を船に積み込むための俵ころがし場が造られて、今でも跡地が姿と留めています。
御蔵米は大坂堂島市場に運搬され、肥後高瀬米として市場で高い評価を得たといいます。
このほか納屋物の米や雑穀も集散し、主に綿を移入するなどで、深江屋をはじめ大商人が軒を連ねて問屋を営んでいました。
また、上方や領内からの荷物は、町並みに沿って、菊池川と並行に流れる裏川を利用して、直接町家裏手の石積み階段を使って白壁倉庫に入れられました。今もその時利用した石段が各町家の裏側に残っています。
人数は宝暦頃(1751〜64)には屋敷数550。安政5年(1858)頃には推定2,600人程度。また安政5年(1858)の人別出銅鳥目高覚によると2,641人とあります。商人が7割5分、職人が2割5分の構成であったと推定されています。
江戸時代末期の絵図によると、裏川に沿って北側の道路が「本通り」で、東より上町・本町・中町・下町がありました。
本通りの南側の商家が裏川へ出るための石段を設けて、荷物を舟から直接土蔵に入れていたのです。
本通りの両側には今でも伝統に守られた漆喰塗りこめの商家の建物が連なっています。これらの町並みも明治10年の西南の役で焼かれた後に建てられたもので、明治期の建物が多いです。
そして本通りの裏を流れる裏川も、今では整備公園化されて遊歩道も造られていて市民の憩いの場となっています。
∇高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬目鏡橋は、物品の運搬に利用された裏川にかかる石橋で、高瀬町奉行である高瀬寿平らによって築造されました。
高瀬寿平は文政7年(1824年)に家督を相続し(9代目・300石)、天保15年(1844年)に高瀬町奉行当分役となり、弘化2年(1845年)から高瀬町奉行(本役)を勤めました。ちなみに6代目三郎助、7代目十郎助も高瀬町奉行を勤めています。
明治初期まで高瀬川(菊池川)に橋がなく、高瀬〜向津留間の渡し船が利用されていました(約106m)。高瀬に着岸し、中州を通り、裏川にかかる大小の橋を通って高瀬町に入ります。
また、菊池・山鹿・玉名郡と山本郡の一部の蔵米が集まる高瀬船着き場の近くには、御蔵や藩主の休憩所である御茶屋、高瀬下町に高瀬会所・高札場、さらに三池往還筋には郡代所があり(現在の繁根木八幡宮付近)、熊本往還からこうした要所に通じる丈夫な橋を裏川にかける必要がありました。
それまでは土橋がかけられていましたが、7〜8年ごとに造り直さなければなりませんでした。
高瀬寿平は、弘化5年(1848年)2月に「幅2間1尺(約4m)、長さ8間(約14.4m)、総工費9貫」の見積もりをもって藩庁に願い出て、高瀬目鏡橋がかけられました。
種山石工丈八がこの目鏡橋を手がけたともいい、工費は高瀬町・坂下手永・小田手永が負担しました。
高瀬目鏡橋は全長15m、幅4m、アーチ径6.7mの二重橋で、水面から路面までの高さは7.5mあり、阿蘇の灰石とよばれる阿蘇溶結凝灰岩という石を用いています。
路面の両側には低い束石を同じ間隔に並べ、さらにその上に細長い角石を乗せて勾欄(橋の欄干、手すり)をつくっています。
また脚柱の長さは中央部と端で異なっているので、橋の中央部が少し膨らんでいます。また川上側の中央橋脚には大きな水切りがあり、川が増水したときに濁流の勢いをやわらげる機能を果たしています。
高瀬目鏡橋の下流側のすぐそばに、秋丸目鏡橋があります。この橋は天保3年(1832年)に築かれたもので、もとは上流の秋丸にありましたが、新橋架橋にともない現在地に移築されました。
そのほかに、津留の茶屋橋、寺田橋、石貫の万延橋などがありましたが、近代の道路拡張・河川改修・輸送手段の発達とともに次々に姿を消し、現在、そのままの形で残っているのは高瀬目鏡橋と、石貫の車橋の二つだけになってしまいました。
≪ 3日目(12/31) ≫
▼早朝、長崎駅前H出発
▼長崎平和公園・・・長崎県長崎市松山町
▼如己堂(にょこどう)・・・長崎県長崎市上野町
▼長崎バイパス→国道57号線
▼眼鏡橋(諫早城址)・・・長崎県諫早市高城町
▼国道57号線→国道251号線(島原街道)
▼愛野駅・・・長崎県雲仙市愛野町
▼吾妻駅・・・長崎県雲仙市吾妻町
▼神代小路の史跡・・・長崎県雲仙市国見町神代
▼有明フェリー(ユリカモメ)・・・多比良港→長州港
▼三池炭鉱宮原坑跡・・・福岡県大牟田市宮原町
▼国道208号線
▼玉名市古い町並み・・・熊本県玉名市高瀬
▼高瀬目鏡橋・・・熊本県玉名市高瀬
▼秋丸目鏡橋・・・熊本県玉名市高瀬
▼玉名温泉しらさぎの足湯・・・熊本県玉名市立願
▼県道16号線
▼道の駅きくすい休憩・・・熊本県玉名郡和水町
▼九州自動車道菊水インタON
▼九州自動車道八代インタOFF
▼八代本町商店街を歩く
▼八代市内H泊
≪ 4日目(1/1)元旦 ≫ へつづく・・・
【 手記 】
恒例となった年末年始九州の旅。今回は(も?)広島から下関〜佐世保九十九島〜嬉野市〜鹿島市〜大村市〜長崎市内〜島原半島(多比良町→長州フェリー)〜玉名市〜八代市〜高千穂〜阿蘇山〜九重方面へとルートをとり、のんびりゆっくりと九州の上半分を反時計回りに走り回ってきました。
車旅ですから細かい予定はありませんが、今回は未だかつて行ったことがない歴史ある古い町並みやお城の散策を目的に動き回ろうと考えておりました。
表紙の写真は熊本県玉名市高瀬の「秋丸目鏡橋」です。
【 追記 】
今が旬の旅日記を優先してアップしているため、年末年始車旅をいまごろアップしております。時期外れの旅日記ですが、ご容赦のほどお願いいたしまーす。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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■恒例の年末年始車旅 【 ぐるっと九州の上半分を走破♪3泊4日 】
高瀬の古い町並み&運河に架かる高瀬目鏡橋〜の巻
国道208号線道中の景色。恒例となった年末年始九州の旅、のんびりゆっくりと九州の上半分を反時計回りに走り回ってきました。 -
∇道中の景色〜国道208号線
車旅ですから細かい予定はありませんが、今回は未だかつて行ったことがない歴史ある古い町並みやお城の散策を目的に動き回ろうと考えておりました。 -
∇道中の景色〜国道208号線
小雨が降っています。宮原坑跡をあとにして玉名市へ向かいました。写真は道中で見つけた空き家です。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
玉名市高瀬は熊本県北西部、菊池川と繁根木川の合流点付近に位置し、両川に挟まれ古くから河湊として発展したところです。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
菊池川流域の玉名市、中心部を高瀬と言い、そこは古くからの港町、商人の町として栄えてきました。その古い町並みが今でも残っております。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
江戸時代は熊本藩領で、湊町として発展し、肥後熊本藩五ヶ町の一つで在町として、城北地域の政治・軍事・経済・交通の要地で、町奉行が置かれていました。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
菊池川に沿って運河(裏川)が造られ、町屋裏の倉庫へ直接荷物が上げ下ろしされていて、藩の蔵米や納屋物の集散地でもありました。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
藩の御蔵は高瀬町の南部に14倉あり、肥後の全量の約半分がここから積み出されていました。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
天保13年(1842)には菊池川に面して御蔵米を船に積み込むための俵ころがし場が造られて、今でも跡地が姿と留めています。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
御蔵米は大坂堂島市場に運搬され、肥後高瀬米として市場で高い評価を得たといいます。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
このほか納屋物の米や雑穀も集散し、主に綿を移入するなどで、深江屋をはじめ大商人が軒を連ねて問屋を営んでいました。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
また、上方や領内からの荷物は、町並みに沿って、菊池川と並行に流れる裏川を利用して、直接町家裏手の石積み階段を使って白壁倉庫に入れられました。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
今もその時利用した石段が各町家の裏側に残っています。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
人数は宝暦頃(1751〜64)には屋敷数550。安政5年(1858)頃には推定2,600人程度。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
また安政5年(1858)の人別出銅鳥目高覚によると2,641人とあります。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
商人が7割5分、職人が2割5分の構成であったと推定されています。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
江戸時代末期の絵図によると、裏川に沿って北側の道路が「本通り」で、東より上町・本町・中町・下町がありました。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
本通りの南側の商家が裏川へ出るための石段を設けて、荷物を舟から直接土蔵に入れていたのです。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
本通りの両側には今でも伝統に守られた漆喰塗りこめの商家の建物が連なっています。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
これらの町並みも明治10年の西南の役で焼かれた後に建てられたもので、明治期の建物が多いです。
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
そして本通りの裏を流れる裏川も、今では整備公園化されて遊歩道も造られていて市民の憩いの場となっています。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
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∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
花しょうぶ号 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
田中町商店街 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
田中町商店街 あてもなくただ歩き回りました。 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
中町商店街 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
本町商店街 -
∇玉名市高瀬の古い町並み/熊本県玉名市高瀬
本町商店街 -
∇裏川・高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬目鏡橋は、物品の運搬に利用された裏川にかかる石橋で、高瀬町奉行である高瀬寿平らによって築造されました。
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∇裏川・高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬寿平は文政7年(1824年)に家督を相続し(9代目・300石)、天保15年(1844年)に高瀬町奉行当分役となり、弘化2年(1845年)から高瀬町奉行(本役)を勤めました。ちなみに6代目三郎助、7代目十郎助も高瀬町奉行を勤めています。
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∇裏川・高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
明治初期まで高瀬川(菊池川)に橋がなく、高瀬〜向津留間の渡し船が利用されていました(約106m)。 -
∇裏川・高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬に着岸し、中州を通り、裏川にかかる大小の橋を通って高瀬町に入ります。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
また、菊池・山鹿・玉名郡と山本郡の一部の蔵米が集まる高瀬船着き場の近くには、御蔵や藩主の休憩所である御茶屋、高瀬下町に高瀬会所・高札場、さらに三池往還筋には郡代所があり(現在の繁根木八幡宮付近)、熊本往還からこうした要所に通じる丈夫な橋を裏川にかける必要がありました。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
それまでは土橋がかけられていましたが、7〜8年ごとに造り直さなければなりませんでした。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬寿平は、弘化5年(1848年)2月に「幅2間1尺(約4m)、長さ8間(約14.4m)、総工費9貫」の見積もりをもって藩庁に願い出て、高瀬目鏡橋がかけられました。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
種山石工丈八がこの目鏡橋を手がけたともいい、工費は高瀬町・坂下手永・小田手永が負担しました。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬目鏡橋は全長15m、幅4m、アーチ径6.7mの二重橋で、水面から路面までの高さは7.5mあり、阿蘇の灰石とよばれる阿蘇溶結凝灰岩という石を用いています。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
路面の両側には低い束石を同じ間隔に並べ、さらにその上に細長い角石を乗せて勾欄(橋の欄干、手すり)をつくっています。
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∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
また脚柱の長さは中央部と端で異なっているので、橋の中央部が少し膨らんでいます。 -
∇裏川・秋丸目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
また川上側の中央橋脚には大きな水切りがあり、川が増水したときに濁流の勢いをやわらげる機能を果たしています。
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∇裏川・高瀬目鏡橋/熊本県玉名市高瀬
高瀬目鏡橋の下流側のすぐそばに、秋丸目鏡橋があります。この橋は天保3年(1832年)に築かれたもので、もとは上流の秋丸にありましたが、新橋架橋にともない現在地に移築されました。
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∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
そのほかに、津留の茶屋橋、寺田橋、石貫の万延橋などがありました -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
しかし、近代の道路拡張・河川改修・輸送手段の発達とともに次々に姿を消し、現在、そのままの形で残っているのは高瀬目鏡橋と、石貫の車橋の二つだけになってしまいました。 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
裏川水際緑地 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
荷物を人力で運ぶ時、足のふんばりができるように真ん中が窪み、両側が少し高くなっています。 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
玉名市のマスコット「タマにゃん」 音楽を聴くとワクワクし踊りだす大の音楽好きだそうです。 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
裏川水際緑地 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
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∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
裏川水際緑地 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
高瀬蔵 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
裏川水際緑地・・・5下旬から6月上旬にかけて花しょうぶが咲き乱れます。 -
∇菊池川に沿った運河(裏川)/熊本県玉名市高瀬
裏川水際緑地 5月下旬〜6月上旬に花しょうぶ祭りが行なわれるそうです。 -
∇河川敷駐車場/熊本県玉名市高瀬
菊池川、後方は国道208号線高瀬大橋 -
∇玉名温泉しらさぎの足湯/熊本県玉名市岩崎
近くに足湯があったので寄ってみました。 -
∇道の駅きくすい休憩/熊本県玉名郡和水町
休憩 昔、ここで車中泊したことがあります。懐かしい。 -
∇北熊本SA/熊本県熊本市北区改寄町
県道16号線⇒九州自動車道菊水インタON⇒九州自動車道八代インタOFF
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∇八代グランドホテル/熊本県八代市旭中央通
想い出ふかい八代市内のホテルへ到着しました。 -
∇八代グランドホテル/熊本県八代市旭中央通
今回の旅の最大の目的は、19年前に夫婦で泊まったことがあるこのホテルへ宿泊して、当時の記憶を確認することでした。もうクリスマスは過ぎたね。 -
∇八代グランドホテル/熊本県八代市旭中央通
当時はサンルート八代っていう名前でした。
が、、、こんなだったかなあ?中の様子が記憶と少しちがってました。 -
∇八代本町商店街を歩く/熊本県八代市本町
夕食を食べに出たついでに19年前に二人で歩いた想い出ふかい八代本町商店街を歩いてみました。 -
∇八代本町商店街を歩く/熊本県八代市本町
ふたりで初めてプリクラを撮った(当時44歳で^^;)のがこの通りのどこかだったのです。 -
∇八代本町商店街を歩く/熊本県八代市本町
当時、初めてのプリクラ経験に珍しさも手伝って妻が大変喜んでいました。 -
∇八代本町商店街を歩く/熊本県八代市本町
大晦日の夜、通りはガラ〜ンとしていました。 -
∇八代本町商店街を歩く/熊本県八代市本町
店舗を掃除中のおばさんにプリクラの置いてあったお店はどこだったのか尋ねてみたのですが19年も前のことです、どこかわからず…。偶然ですが、この方は19年前に八代に来たとおっしゃっていました。 -
∇八代グランドホテル/熊本県八代市旭中央通
ホテルへ戻って・・・大晦日のこの日、ひとりさびしくビールを飲みながら過ごしました。ここ10年、年越しはどこかのホテル内です。 -
∇初日の出♪国見が丘/宮崎県西臼杵郡高千穂町
明けましておめでとうございます。年末年始旅日記は「元旦・通潤橋・初詣高千穂神社・月廻り公園」編へつづきます。
THE END. つづく・・・
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