2015/12/30 - 2016/01/02
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bangkok230さん
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年末年始の連休を利用して、3泊4日でアンコールワットを見て来ました。バンコクから自家用車でアランヤプラテートの国境まで行って、越境後はホテル手配のタクシー、帰りはその逆ということで、節約旅行です。かかった費用は1人あたり1万バーツぐらいでした。
●スケジュール
12月30日、朝5時に自宅を出発。8時に国境に到着、9時にカンボジア入国。12時半、シエムリアップのホテル到着。2時からアンコールワット見学。
31日、朝8時にホテル出発、午前中アンコールトム、午後タプロム。夜は食事後、パブストリートほかで夜更かし。
1月1日、早朝アンコールワットの日の出。そのままバンテアイ・スレイ、帰りにプリアカンに寄って、街に戻り、現地住民の信仰厚い仏像(プレ・アンチェック、プレ・アンチョーム)に新年のお祈り。
1月2日、朝8時半にホテル出発。国境通過後、ロンクルア市場で買い物。家に戻ったのは午後4時過ぎ。
●感想
アンコールワット、アンコールトムはイメージしていたより大きく、さすが世界でも上位人気の観光地だけのことはありました。一年で一番涼しい季節のはずが、日中は暑く、炎天下を歩くだけで汗だくです。加えて遺跡の入り口からのアプローチの長さ、アップダウン、急な階段でけっこう疲れます。筋肉痛になりました。細かい粒子の砂で歩きにくい箇所、砂埃も立ちます。歩きやすい靴、涼しいウエア、日焼け対策、埃対策をお勧めします。
●ビザ
国境でのアライバルビザに並ぶ時間を節約するためeビザ、40ドルを事前に取得。シンガポールの会社が代行しているようです。
●旅の目的
旅の目的はタプロムの恐竜のレリーフとアンコールワットの日の出風景を写真に撮ることにまず「特化」しました。小さくコンパクトで明るいレンズ、すぐに起動、シャッターが切れる、色味が好みなどの理由で、価格が1万バーツ以下に落ちていたFUJIのXQ1を購入し、持って行きました(パワーバンクが予備電池代わり)。
●手配
12月初めにブッキングコムでホテルを予約。オールドマーケット、ナイトマーケットに近い、ゴールデン・テンプル・ヴィラです。タイ人に人気のゲストハウスで、トリプルルーム70ドル、3泊210ドルでした。国境までの送り迎え、観光の貸切タクシーはホテル側が全部手配してくれました。国境から宿までは40ドル、午後の観光15ドル、午前・午後2回に分けての観光32ドル、朝のご来光とバンテイ・スレイ往復40ドル、帰りの国境までが25ドル。観光もタクシーにしたのは暑さと埃のため。
●費用
米国の利上げ前に1000ドルを伊勢丹対面のスーパーリッチ本店で両替。細かい紙幣を沢山持っていきました。1ドル、5ドル札が便利です。カンボジア・リエルはお釣りでもらった分をチップなどに使い、残りませんでした。シエムリアップの物価はバンコクと同じくらいです。
●食事
地元の料理はタイと変わり映えしないという理由から、この機会に各国料理を楽しむことにしました。行ったのはイタリア料理のイルフェルノ、テラッツァ、メキシコ料理のヴィヴァ、フランス料理のラネックスなどです。大晦日の夜には息子とレッドピアノにも行きました。宿の近くのパリ・ベーカリーには毎日寄ってパン、ケーキ類。
●土産物
ラッキーモールでコーヒー、お茶、お菓子類。オールドマーケットで小物類、安いショール類。ナイトマーケットで書籍。オールドマーケット周辺のガイドブックで紹介されていた店でコットン、シルク類。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ポイペトのカンボジア側。逆光のため振り返って撮影。
朝5時に家を出発。アランヤプラテートまでは3時間ほどを見て、8時到着予定です。国境の駐車場スペース、国境の手続き時間を考えました。タイ側の外国人の列は30人ほど、カンボジア側は15人ほどで、国境通過のための合計時間は1時間かからないくらいでした。途中、到着ビザ発給所(写真のアンコールワットを模した門の左側)もあまり人はいません。外国人が利用するバンコクからのバスがまだ到着前のためと思われます。
カンボジア領内は右側通行です。最初は慣れず、道を横断する時など注意しました。 -
カンボジア側のパスポート・コントロールを終えてロータリーまでやってきました。タイ側を振り返っています。写真左のオレンジの屋根のところに停まっているバスは新バスターミナルに行く無料バスです。その右に見える小さな屋根の建物が入国審査所。道路を挟んで反対側が(ちょうど看板に隠れていますが)出国審査所です。背景の白い建物はカジノホテル。道路をまたいで空中通路でつながっています。
車が迎えに来るのは11時の約束。人が少なく9時にカンボジア側に出てしまったため、無料送迎バスの発着所で1時間以上待ちました。ポイペトはまだタイの携帯電話が使えます。 -
運転手は10時20分頃に来ました。写真はシエムリアップに向かう国道6号線。シソポンの市街地以外はほぼ田園地帯で、時速100キロ以上で突っ走ります。助手席に乗ったので追い越しその他怖くて怖くて肝を冷やしました。
車はレクサスのSUV、高級車です。シエムリアップではカムリ、レクサスSUVが目立ちます。観光バスは韓国車ばかりです。
タクシーの車は金持ちが所有し、ドライバーを雇って運用しているようです。ホテルは客のリクエストに合わせ、こうしたドライバーに連絡し、手配します。国境から乗ってきた車のドライバーにはひっきりなしに電話がかかってきましたが、いずれもいろんなホテルから空いていないかの連絡でした。このドライバーはタイ語も話せ、システムを説明してくれました。
シエムリアップのシエムはSIAMを意味し、このへんまでタイが支配していたことを反映しています。最終的にこの地の支配権をフランスに渡したのは1907年。その後、シソポン、バッタンバンあたりは日本軍の進出時に一時タイ領になりましたが、戦後手放しました。今でも両国の国境線は最終確定しておらず、国境紛争が散発的に起こっています。 -
2時間ちょっとでシエムリアップに到着。写真は3泊したゲストハウス。
スタッフのサービスはまあまあ。英語だけでなくタイ語を話せる者もいます。到着後、昼食を付属のレストランでとりました。この時はアモック(タイ式にはホーモック)など現地料理を食べましたが、カンボジア料理はこれが最初で最後でした。
レストランでお釣りにもらった5ドルの1枚が少し破れていたことに気づかず、その後に他所で使おうとして受け取りを拒否されました。初歩的なミスです。お釣りには気をつけましょう。あとでホテルのスタッフに文句を言うと、米粒できれいに張り直してくれました! その後、この紙幣は無事にどこかの店に渡っていきました。まるでババ抜きみたいです。 -
2時に車に迎えに来てもらい、アンコールワットへ。
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西塔門までやって来ました。ここまで5つの祠堂の尖塔は見えません。
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塔門を過ぎると姿を見せます。想像していたよりスケールが大きく、思わず声が出ます。ピマーイ、パノムルンなどタイ領内のクメール遺跡の比ではありません。タイ側からプラウィハーン(プリアヴィヘア)遺跡を見に行ったこともありますが、建物の大きさが違います。
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回廊のレリーフやデバター(女神像、テワダー)の見学は後回しにして、まずは一番上まで向かいます。
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ところが階段の順番を待つ長い列。日本人のツアー客が多数で、そのガイドの説明では30分待ちということです(実際は40分ぐらい待ちました)。第3回廊に登れるのは100人だけで、首から下げる札で数を管理しています(1人が下りてくれば1人が上がれるシステム)。肌を露出した服装、帽子着用は注意されます。
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これが階段。急ですが、手すりは鉄、ステップは木の板。登りは問題ないとしても、下りは怖い人がいるかも。
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登って来ました。連子窓の隙間から第2回廊と外の森を見下ろします。
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仏像があります。建立者のスリヤバルマン2世はビシュヌ(ウィサヌ)神の信奉者ですので、最初はビシュヌ神かと思いました。後世に安置されたものでしょう。調べたら15世紀に遷都した後、仏教寺院に改修されたことがあるようです。
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テワダー。てかてかと黒光りしたものと、そうでないものがあり、像の一部だけ黒光りしている像もありました。この像はスタイル抜群でした。
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テワダーの舞い。
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中央祠堂。メール山(プラメーン、須弥山)。
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こちらはビシュヌ像=スリヤバルマン2世像?
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下りて来ました。順繰りにレリーフを見ていきます。
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第1回廊にあるサヤーム(サイアム)兵のレリーフ。ガイドブックでは傭兵とありますが、当時、タイ人たちはクメール人の支配下にあり、出兵は一種の義務だったと思われます。サヤーム兵の行列は統率が取れておらず、表情も弛緩した様子が強調されています。
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サヤーム兵は南側の回廊西側にあり、ちょうど一周したのでここで外に出ました。
南側の池にも逆さアンコールワットが。こちら側の人気がないのはなぜなのでしょう。 -
こっちは北側の池から。よく写真で見るアングルですね。
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駐車場の方から夕日に染まるアンコールワット。ここまで来ると西塔門の背後に2つの尖塔が見えます。
運転手と約束した5時に駐車場に戻って来ましたが、運転手の姿はなし。30分以上待ちました。言い訳はタイヤの修理でした。この運転手はガソリン代がないといって、途中どこかに消え、10分以上待たせたりしたので、チップはあげませんでした。 -
ホテルには戻らず、パブストリートのイタリア料理店で食事。客が一杯でした。味はまあまあかな。ここで最初のアンコール・ビール。
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パブストリート。
食事後、オールドマーケットの店を冷やかしてからホテルに戻りました。 -
オールドマーケットの店。ここの女店主は中国系の顔立ちで、タイ語、ドイツ語、英語でやりとりができます。この日は自分のクロマー(スカーフ)を1つ60バーツで購入。砂埃対策用です。女房は翌々日にここで安いスカーフ類を土産用に大量購入。
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2日目。この日は午前中にアンコールトム、午後にタプロムの予定です。写真はアンコールトムの南大門。
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バイヨンに到着。
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バイヨン。近づくごとに観音菩薩像の顔がはっきりしてきます。
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たくさんの人です。
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クメール民族の偉大さを感じます。その偉大さは現在の末裔、子孫たちに観光収入という恵みをもたらしているだけでなく、中世、近世、現代の危機時に国家滅亡を免れた民族のアイデンティティの中核をなしています。
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どの像の前だったか忘れましたが、日本語ガイドがその像の前で「この方は誰かに似ていますね」とツアー客に謎かけしていました。答えは「京唄子」。おもわず吹き出してしまいました。
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このお顔の前には観光客が撮影のため列をなしていました。整った顔立ちに加え、近くで撮影できます。
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カーラ(タイではラフー)。日食、月食を起こす冥界の主。
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ここにも仏像が安置されていました。アンコールトムを放棄した後、クメール人はタイ(アユタヤ)の影響で上座部仏教を受容していますので釈迦仏です。
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下の回廊のレリーフを見ていきます。ツアー客は東の南側半分、南の部分だけ案内されていますが、われわれは1周しました。確かに西側、北側は崩壊が進んでいました。
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次に向かったのはパブオン。見事なピラミッド。
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ここの階段はアンコールワットより急で、女房は断念。韓国のおばさんたちは躊躇なく登っていきます。
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上から下の空中参道方面。
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次は王宮跡。ここは登れません。
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王のテラスまで戻って来ました。ここで運転手と合流し、街に戻ります。
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午後は3時にホテルを出てタプロムにやって来ました。東側で車を下りて、西に向かっていきます。この遺跡では或るモノを探すのが第1の目的でした。
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或るモノとは有名な巨木の根ではありません。
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これです。ステゴザウルスに見えるレリーフです。場所は西塔門のほう。ある程度場所を調べてから行きましたので、すぐにわかりました。知る人ぞ知る恐竜像ですが、他の観光客は素通りでした。
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こちらは日本語ガイドがアンパンマンだと紹介していたものです。丸い飾りに4つの穴を開けた形ですが、そういう風に見えなくもないかな。どちらかといえば怒った顔です。怒ったアンパンマンはアニメではありえませんが。
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タプロム遺跡の巨木。
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時間が余ったので近くのタケウも見学。ここは中国の担当ですが、修復の砂岩の色の調和を無視しており、残念な感じでした。ここの階段は手すりがなく、慎重に下りました。
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大晦日の夜は食事後、パブストリートへ。レッドピアノで飲んで下りてくると、この人出です。歩くのも難儀しました。
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元旦の朝はアンコールワットの日の出を待ちました。ホテルを出たのは5時45分。到着したのは6時15分で、すでに多くの人が待っていました。
この写真だけは、こういう風景がみたかったということで、写真ソフトで加工してあります。 -
この季節は遺跡の右のほうからサンライズ。雲ひとつない天気で、燃えるような茜色、赤紫、オレンジ色は期待できません。日の出は6時半頃で、木の中から陽光が見えるのはその後。
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日の出の後はバンテアイ・スレイ遺跡へ。
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比較的小さな遺跡ですが女神像などのレリーフで有名です。
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これが有名な女神像。東洋のモナリザは東塔門から覗ける北塔にある像のようですが、北塔の北側にも同じような像が対であり、こちらのほうが写真が撮りやすいです。近くに寄っては見れませんので、望遠カメラが必要です。この写真は光学4倍に加え、デジタルズームを使っています。優雅ではありますが、モナリザとまではいかないような・・。
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左側の像。
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子供はどこの国でもかわいい。サッカーのユニフォームでしょうか、国旗のプリントがナイス。
バンテアイ・スレイ遺跡の見学を終え、駐車場のほうに戻ってきたときに、パスポート、カード類、入域券を入れた網のポーチを拾いました。入域券の顔写真を見ると西洋人の白髪のおばさんです。そういえばすれ違ったような。息子を走らせましたが、会えず、駐車場にいた係員に事情を説明し、預けました。落としたことを早く気づき、取りに戻っていればいいのですが。 -
バンテアイ・スレイ遺跡の帰りに森本氏が主宰するIKTTの村に寄りました。草木染、手織りのシルクで値が張りますが、日本人だけでなく欧州からも購入に来る人がおり、最近ではラルフ・ローレンが買い付けに来たそうです。
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最後にプリアカン遺跡に行きました。有名なギリシャ風の円柱、2階建ての建物跡があります。遺跡の中央には伏せた鐘状の仏塔があり、壁の上部の開いた穴を仏塔の先に合わせて写真を撮ると、ローソクの火のように見えます。これはその場所にいた制服を着た男性に教えてもらったことですが、写真撮影後チップを要求されました。もちろん拒否。
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このアプサラ(アパサラ)像も有名です。群舞です。本当にこんなポーズをとって踊っていたのでしょうか。かなり下半身を鍛えていないと無理です。ちょっと人間でないような姿態、セクシーさを感じます。
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昼過ぎ、町に戻ってきて国道6号線に面したプレ・アンチェックとプレ・アンチョームの2仏像の礼拝所まで来ました。写真は礼拝所の「東洋のモナリザ」。造形のセンスが先祖たちとは違うような・・
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中には2体の仏像が。蓮の蕾、ローソク、線香のお供え祈祷3点セットはタイと一緒です。最後に聖水を仏像に掛け、自分の頭も濡らします。
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近くの国道6号線の真ん中にある女神(ミス・ジェイ・テエット)像の祠。願い事を叶えてくれる神様で、女性は願い事をしたあと、口紅を女神の唇に塗っていきます。
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この日は最後の夜ということでフランス料理。味はイタリア料理のほうが好きかな、値段も安いし。
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それからは買い物です。アンコール・ナイトマーケット、ヌーン・ナイト・マーケット、オールドマーケットと回って、最後に川を渡ってアートセンター・ナイトマーケットまで来ました。
写真は川に架かる屋根つき橋とアートセンター・ナイトマーケット。 -
翌日は8時過ぎににホテルを出発、10時半に国境到着、両国の手続きを経て11時半に駐車場に来ました。荷物を車に積んでからロンクルア市場で買い物です。タイ最大の市場で、中古服、ニセブランドの靴、鞄が有名です。ここで自分はハイキング用のナップザックを購入しました。
写真はロンクルア市場に向かう道から。写真中央の尖塔のある建物はタイ側の国境の門、イミグレがあるあたり。その左奥の建物はカジノ群です。写真中央に走っているのは線路で、国境まで続いています。両国は南部経済回廊の鉄道連結で合意しており、いずれバンコクからシエムリアップまで国際特急で往復できる日が来るかも。 -
ロンクルア市場。
自宅には4時に帰着しました。
ここまでお付き合いいただき有難うございました。
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