2015/11/16 - 2015/11/16
2273位(同エリア8452件中)
naoさん
和歌山県北東部の紀の川南岸に位置し、町石道や東高野街道など、高野山への参詣道の入口にあたる九度山町は、弘仁7年(816年)、弘法大師空海の高野山開山に合わせて開かれた町で、「高野政所」として高野山の発展に重要な役割を果たしてきました。
高野山の玄関口として、高野詣の人々とともに物資面でも高野山を支える必要があった九度山は、必然的に近郷からの物資の集散地としても賑わったことから、街道筋には旅籠屋や商家が軒を連ねる、宿場町や商家町として大いに繁栄しました。
大阪難波と高野山を結ぶ南海電鉄高野線九度山駅の西側の、緩やかに弧を描きながら延びる街道筋の両側には、今もどっしり構えた入母屋造りの町家が連なり、往時の繁栄ぶりを色濃く残す町並みが続いています。
九度山にゆかりのあるもので、忘れてはならないものに真田幸村が居ます。
永禄10年(1567年)、信濃国の上田城主、真田昌幸の二男として生まれた真田幸村は、豊臣方の武将として勇名をはせますが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦に敗れた後、父とともに高野山蟄居を命じられ、真田家の菩提寺である高野山蓮華定院に身を寄せます。
こうして始まった隠棲生活も、高野山のあまりの寒さに耐えかねてその年の冬には九度山に庵を移し、以後14年間をこの地で過ごすことになります。
その後の大坂冬の陣や夏の陣における獅子奮闘の活躍の後、茶臼山での激戦の末、壮烈な最期を遂げた幸村は、さまざまな伝説や武勇伝の主人公として後世に語り継がれています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
九度山へやって来ました。
南海電鉄高野線九度山駅では、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」放送を契機に、真田幸村ゆかりの地としての気運を盛り上げようと・・ -
旗印の「六文銭」をあしらった小道具で駅舎を飾りつけています。
-
九度山町の汚水枡の蓋。
特産品の柿をモチーフにしています。 -
では、国道370号線を渡って九度山の町並みへ向かいます。
11月中旬なのに、すでにイチョウが黄葉しています。 -
国道370号線に面する町の入口には「真田のみち」書いたゲートが設けられています。
-
街道筋の四つ辻に差し掛かりました。
町並みを歩く前に、先ずはこの辺りを探索します。 -
三枚引きのガラス戸が入った玄関のある町家。
-
こちらは、古民家を再生したカフェです。
-
もともと旅館だったそうで、趣のあるしつらえがなされています。
では、町並みへ戻ります。 -
味わい豊かな荒壁が良いですね。
-
肥料を扱っていたお店。
今は営業していないようです。 -
地元のボランティアグループが運営する、空き店舗を使った物産店。
九度山の物産が並べられる他、観光客の休憩所としての機能も果たしています。 -
こちらは弘法大師ゆかりの対面石です。
-
由緒書によると、子供の頃、和泉国の槇尾山にいた弘法大師は、高野山開山後も頻繁に槇尾山に参詣されていました。
槇尾山へ向かっていた大師が、紀の川の増水により渡れずに居ると、弁財天が姿を現れ、「槇尾山へ参詣するのは大変だろうから、この九度山に遷して参詣すればよい」とのお告げを受けます。
そのお告げを受けたのがこの石の前だったことから、対面石と呼ぶようになったんだそうです。 -
対面石横の路地を入ると、旧萱野家があります。
-
旧萱野家は、若くして両腕を失うという悲劇に遭いながらも、口に筆をとって優れた芸術作品を遺した大石順教尼が、高野山で得度する際の菩提親となった萱野正之助夫妻の邸宅です。
現在、大石順教尼の記念館として、書画や愛用品が展示されています。 -
この建物は、元々江戸時代に高野山真蔵院の里坊として建てられた由緒あるものだそうです。
-
旧萱野家の並びにある町家。
竹の格子が柔らかい表情を与えています。 -
町並みへ戻って、町歩きを続けます。
-
緩やかに弧を描く道なりに、塀を巡らせた町家。
-
格子と内側の板との関係はどうなっているのと、思ってしまう町家。
開けられるんでしょうかね〜? -
格子を背に、大きな金時像が構える町家がありました。
-
「米金の金時」と親しまれているこの像は、瓦焼きを家業とする方が作った陶像なんだそうです。
-
高さ2mもある陶像は全国的にも珍しいとのことです。
-
年月を経て、滲み出るような味わいのあるベンチ。
-
大振りの越屋根が載った町家が見えてきました。
-
背の低い煙出しの越屋根はよく見かけますが・・・
-
これはそれとは少し違うようです。
-
こちらは、松山常次郎記念館です。
郷土が生んだ政治家、松山常次郎氏に関する遺品や資料が展示されています。 -
また、松山常次郎氏の長女、美知子さんは、日本絵画界の巨匠、故平山郁夫画伯の夫人で、その縁もあって画伯の作品も数点展示されています。
-
道を隔てた松山常次郎記念館のお向かいには、大きな虫籠窓のある町家があります。
-
秋の風情を感じますね〜。
-
立派な土蔵のある町家です。
-
こちらの町家の虫籠窓には木格子がはめられています。
-
現在九度山町では、「真田幸村モバイルスタンプラリーin九度山」と題するイベントを開催し、町の活性化に努めておられます。
来年、NHKの大河ドラマが放送されると、大勢の観光客が訪れるでしょうね。 -
横長の大きな窓があるこの町家は・・・
-
石積みの擁壁を巡らせた大きなお屋敷に建っています。
-
そのお屋敷の土塀沿いに植えられた柿の木には・・・
-
主屋の鬼瓦を背に、柿がたわわに実っています。
この辺りで町並みが途切れるので、一本南側の町並みへ向かいます。 -
建築当初は、恐らく虫籠窓だったであろうと思われる窓が改修されています。
-
風情のある町家ですが、玄関に板が打ちつけられているんで空家なんでしょうね。
-
1階の下屋の端部が、道なりの曲線に合わせて切り取られています。
-
こちらから見れば普通に見える1階の下屋ですが・・・
-
妻側から見れば複雑な取りつき方になっています。
平側と妻側で下屋の出の長さが違うのが原因ですね。 -
石塀の上からツツジが覗いています。
石塀の内側は、相当な高さで土が盛り上げられているようです。 -
格子や手すりなども風情豊かなんですが・・・
-
それらを圧倒するように、越屋根が外観を大きく特徴づけています。
-
玄関部分の下屋の上に破風をつけて、玄関の正面性を示しています。
-
こちらは、真田昌幸、幸村父子が蟄居生活を送った屋敷跡に建つ善名称院(別称 真田庵)です。
-
門前の石碑には、「真田」らしき文字が見えます。
-
「六文銭」がはめ込まれた門をくぐると・・・
-
本堂をはじめとして、様々なお堂が配置されています。
-
本堂妻側の外観。
-
ここ真田庵でも、柿の木が秋の風情を伝えています。
-
菊の御紋が入った鬼瓦。
-
真田庵の絵馬にも「六文銭」が使われています。
-
真田庵の真向かいにある町家は、化粧直しされて見違えるようになっています。
-
今回九度山を歩いて、高野山の発展に重要な役割を果たしてきただけでなく、真田幸村とも深くかかわっていたことを知ることができました。
では、この辺りで家路につきます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58