カンパニア州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br /><br />エルコラーノの町の入口から一番遠い地点までやってきました。これから来た時とは別の道を通って、まだ見ていない家やお店を覗いて帰ります。人がいなくなってから久しいこの町を、当時の人々と同じようにそぞろ歩きできるなんて、最高の気分です。遺跡見物というよりは町歩きに近いかな?<br /><br />単なる遺跡と言うにはあまりにもリアルな2000年前の生活がここでは今なお息づいていました。

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その43 エルコラーノ2

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2015/05/16 - 2015/05/16

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junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田


エルコラーノの町の入口から一番遠い地点までやってきました。これから来た時とは別の道を通って、まだ見ていない家やお店を覗いて帰ります。人がいなくなってから久しいこの町を、当時の人々と同じようにそぞろ歩きできるなんて、最高の気分です。遺跡見物というよりは町歩きに近いかな?

単なる遺跡と言うにはあまりにもリアルな2000年前の生活がここでは今なお息づいていました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • こちらはテルモポリウムと呼ばれる現代で言うカフェ・バー。ここでは温かい食べ物、冷たい食べ物を売っていて、通常L字型のカウンター越しに売り買いが行われていました。<br /><br />タベルナとの違いがよくわかりませんが、今で言うレストランとバールの違いなのかしら?

    こちらはテルモポリウムと呼ばれる現代で言うカフェ・バー。ここでは温かい食べ物、冷たい食べ物を売っていて、通常L字型のカウンター越しに売り買いが行われていました。

    タベルナとの違いがよくわかりませんが、今で言うレストランとバールの違いなのかしら?

  • お次は「アウグストゥスのコレギウム」。英語でカレッジと書いてあったので、一瞬大学かと思ったのですが、そうではなく、皇帝アウグストゥスを崇めるカルトの本部のようなイメージです。<br /><br />とても立派な建物で、アウグストゥス崇拝のための場兼教皇庁のような役割を担っていたと考えられています。

    お次は「アウグストゥスのコレギウム」。英語でカレッジと書いてあったので、一瞬大学かと思ったのですが、そうではなく、皇帝アウグストゥスを崇めるカルトの本部のようなイメージです。

    とても立派な建物で、アウグストゥス崇拝のための場兼教皇庁のような役割を担っていたと考えられています。

  • 内部には中央に4本の大きなトスカーナ風の柱があって、その奥に一段高くなったサチェリウムと呼ばれる礼拝所がありました。礼拝所の壁は全て第四様式のフレスコ画で覆われています。

    内部には中央に4本の大きなトスカーナ風の柱があって、その奥に一段高くなったサチェリウムと呼ばれる礼拝所がありました。礼拝所の壁は全て第四様式のフレスコ画で覆われています。

  • 壁にかかっている石板にはアウグストゥスという文字がはっきりと刻まれていました。紀元14年に亡くなった後、アウグストゥスは半ば神だったのですね。

    壁にかかっている石板にはアウグストゥスという文字がはっきりと刻まれていました。紀元14年に亡くなった後、アウグストゥスは半ば神だったのですね。

  • 礼拝所の左側の壁には、くっきりとフレスコが残っていました。

    礼拝所の左側の壁には、くっきりとフレスコが残っていました。

  • 中央のパネルは「ローマの女神ユノーとミネルヴァといるヘラクレス」です。ここは何と言っても、エルコラーノ=ヘラクレスの町ですからね。

    中央のパネルは「ローマの女神ユノーとミネルヴァといるヘラクレス」です。ここは何と言っても、エルコラーノ=ヘラクレスの町ですからね。

  • 壁上方に左右一つずつ描かれていたのは、「翼の生えた勝利が乗るブロンズの戦車」。ローマのヴィットリオ・エマニュエーレ2世記念堂の建物両翼にも同じような戦車が乗っていたような記憶・・・

    壁上方に左右一つずつ描かれていたのは、「翼の生えた勝利が乗るブロンズの戦車」。ローマのヴィットリオ・エマニュエーレ2世記念堂の建物両翼にも同じような戦車が乗っていたような記憶・・・

  • ほらっ!  こちらはウィキペディアからお借りしたヴィットリアーノ(ヴィットリオ・エマニュエーレ2世記念堂)の写真です。馬の数は異なりますが、良く似ていますね。<br /><br />「勝利」や「名声」はよくこうした戦車を操る勝ち誇った女性(寓意像)として表されたようです。

    ほらっ!  こちらはウィキペディアからお借りしたヴィットリアーノ(ヴィットリオ・エマニュエーレ2世記念堂)の写真です。馬の数は異なりますが、良く似ていますね。

    「勝利」や「名声」はよくこうした戦車を操る勝ち誇った女性(寓意像)として表されたようです。

  • そして右壁には、「メレアグロスのアルシーア王の娘デイアネイラを誘拐したアケローオスと戦うヘラクレス」。残念ながらヘラクレスの胴体の一部分が崩れてしまっています。でもすごい迫力!<br /><br />アケローオスはギリシア神話に登場する河の神で、デイアネイラを巡ってヘラクレスと激しく争いました。後ろに描かれているのがデイアネイラかしら?

    そして右壁には、「メレアグロスのアルシーア王の娘デイアネイラを誘拐したアケローオスと戦うヘラクレス」。残念ながらヘラクレスの胴体の一部分が崩れてしまっています。でもすごい迫力!

    アケローオスはギリシア神話に登場する河の神で、デイアネイラを巡ってヘラクレスと激しく争いました。後ろに描かれているのがデイアネイラかしら?

  • このフレスコを守るためでしょうか、この建物には屋根がつけられていました。<br /><br />床は幾何学模様のモザイクでしたが、あまり良い状態とは言えませんでした。

    このフレスコを守るためでしょうか、この建物には屋根がつけられていました。

    床は幾何学模様のモザイクでしたが、あまり良い状態とは言えませんでした。

  • エルコラーノの町の一番北側の通りカルド?通り沿いには、もう一つの聖堂バシリカ・ノニアナが埋まっていました。<br /><br />この聖堂はトンネルをランダムに掘っていった時に偶然みつかったもので、62年の地震以降に再建されたばかりだった建物だそうです。

    エルコラーノの町の一番北側の通りカルド?通り沿いには、もう一つの聖堂バシリカ・ノニアナが埋まっていました。

    この聖堂はトンネルをランダムに掘っていった時に偶然みつかったもので、62年の地震以降に再建されたばかりだった建物だそうです。

  • 入り口から最も遠いところにあったアウグストゥスのコレギウムから今度はカルド?通りを戻っていきます。<br /><br />「二つのアトリウムのある家」Casa dei Due Atriha は石を斜めに積み上げた部分と横に積み上げた部分を組み合わせた、なかなか素敵なファサードを持った邸宅でした。

    入り口から最も遠いところにあったアウグストゥスのコレギウムから今度はカルド?通りを戻っていきます。

    「二つのアトリウムのある家」Casa dei Due Atriha は石を斜めに積み上げた部分と横に積み上げた部分を組み合わせた、なかなか素敵なファサードを持った邸宅でした。

  • この邪視を追い払うためのテラコッタ製のゴルゴン・マスクが際立っていました。ゴルゴンというのは、古代ギリシャの女の醜い怪物で、3姉妹の一番上、メドゥーサの姉に当たります。彼女の顔はしばしば魔除けに用いられました。<br /><br />醜いというよりはファニーフェースですね。美術感、博物館では見ましたが、実際の建物に使われているのを見るのは初めてでした。

    この邪視を追い払うためのテラコッタ製のゴルゴン・マスクが際立っていました。ゴルゴンというのは、古代ギリシャの女の醜い怪物で、3姉妹の一番上、メドゥーサの姉に当たります。彼女の顔はしばしば魔除けに用いられました。

    醜いというよりはファニーフェースですね。美術感、博物館では見ましたが、実際の建物に使われているのを見るのは初めてでした。

  • 次にやってきたのは、男女に分かれた浴場です。写真左側が男性用、右側の白い4本柱の奥が女性用です。浴場の裏は、列柱が並ぶ回廊があって、真ん中は一種のリクリエーション・エリアになっていました。<br /><br />2本の大きな柱があったスポーツ施設同様、ここもパラエストラと呼ばれています。ローマ時代の浴場には大抵ついている施設で、ここで人々はレスリングをとったり、集会を開いたりしていたとのことです。

    次にやってきたのは、男女に分かれた浴場です。写真左側が男性用、右側の白い4本柱の奥が女性用です。浴場の裏は、列柱が並ぶ回廊があって、真ん中は一種のリクリエーション・エリアになっていました。

    2本の大きな柱があったスポーツ施設同様、ここもパラエストラと呼ばれています。ローマ時代の浴場には大抵ついている施設で、ここで人々はレスリングをとったり、集会を開いたりしていたとのことです。

  • 浴場にはびっくりするほどの人で溢れていました。団体さんと鉢合わせした様です。最初の部屋は、男性用の更衣室です。アーチ型の天井には、美しいスタッコ装飾が残っていました。<br />

    浴場にはびっくりするほどの人で溢れていました。団体さんと鉢合わせした様です。最初の部屋は、男性用の更衣室です。アーチ型の天井には、美しいスタッコ装飾が残っていました。

  • こちらがそのアップです。エンタブラチュアの細かい葉っぱをあしらった装飾も見事ですね。

    こちらがそのアップです。エンタブラチュアの細かい葉っぱをあしらった装飾も見事ですね。

  • 床はご覧の通り。違った大きさのタイルを使ったモザイクで、日本の温泉にもありそうな色合い???

    床はご覧の通り。違った大きさのタイルを使ったモザイクで、日本の温泉にもありそうな色合い???

  • 団体さんがつむじ風のように去った後、ゆっくりと廻ってみました。部屋の広さが12.5m×6.3mあります。<br /><br />北側の壁には小さな教会の後陣のようなでっぱりがあり、水盤が置かれていました。

    団体さんがつむじ風のように去った後、ゆっくりと廻ってみました。部屋の広さが12.5m×6.3mあります。

    北側の壁には小さな教会の後陣のようなでっぱりがあり、水盤が置かれていました。

  • 入浴する前に、ここで体を洗ったとされています。<br /><br />写真はありませんが、壁には脱いだものを置く、仕切られた棚が並んでいました。

    入浴する前に、ここで体を洗ったとされています。

    写真はありませんが、壁には脱いだものを置く、仕切られた棚が並んでいました。

  • 続いて冷水浴場フリギダリウムですが、すっ飛ばしたようです。こちらは、微温浴室テピダリウムで、床にはイルカと戯れるトリトンを描いた素晴らしいモザイクがありました。もう床以外は目に入らなくなっています!<br /><br />微温浴室は、12m×6mの広さで、天井は更衣室同様アーチ型でスタッコ装飾されていましたが、全く注目しなかったようです。

    続いて冷水浴場フリギダリウムですが、すっ飛ばしたようです。こちらは、微温浴室テピダリウムで、床にはイルカと戯れるトリトンを描いた素晴らしいモザイクがありました。もう床以外は目に入らなくなっています!

    微温浴室は、12m×6mの広さで、天井は更衣室同様アーチ型でスタッコ装飾されていましたが、全く注目しなかったようです。

  • こちらが最後の温浴室カルダリウムです。サウナのようなイメージなのかな? もう片方の壁沿いに浴槽があったかどうか記憶していません。ローマ人は熱いお湯に浸かったという説があります。なんでも解毒効果をねらったとか。<br /><br />7枚前の写真の後陣のようなでっぱりのある部屋がカルダリウムで、こちらがその内部です。明り取りの窓が一つ開いていました。広さは12.5m×6.3m。状態は前の二つと比べるとかなり悪い。天井もほとんど崩れていました。

    こちらが最後の温浴室カルダリウムです。サウナのようなイメージなのかな? もう片方の壁沿いに浴槽があったかどうか記憶していません。ローマ人は熱いお湯に浸かったという説があります。なんでも解毒効果をねらったとか。

    7枚前の写真の後陣のようなでっぱりのある部屋がカルダリウムで、こちらがその内部です。明り取りの窓が一つ開いていました。広さは12.5m×6.3m。状態は前の二つと比べるとかなり悪い。天井もほとんど崩れていました。

  • この椅子を見ると、サウナかなと思ってしまいます。床はちょっとかわいそうな状態でした。

    この椅子を見ると、サウナかなと思ってしまいます。床はちょっとかわいそうな状態でした。

  • これは何だったか・・・肝心なところが欠けてしまっています。

    これは何だったか・・・肝心なところが欠けてしまっています。

  • 今度は女性用の浴場を訪ねましょう。

    今度は女性用の浴場を訪ねましょう。

  • 女性用の施設は男性用に比べて小さいですが、保存状態は良いそうです。<br /><br />どうやらここから入るようです。

    女性用の施設は男性用に比べて小さいですが、保存状態は良いそうです。

    どうやらここから入るようです。

  • 入り口から豪華なタイルが迎えてくれました。

    入り口から豪華なタイルが迎えてくれました。

  • 女性用の更衣室です。海のモザイクがここでも見られました。魚にタコ、イカ、真ん中の足の代わりにとぐろを巻いたしっぽのある人はトリトンかな?<br /><br />部屋の三方にはベンチがあって、壁にはフレスコ画が描かれているのがわかります。

    女性用の更衣室です。海のモザイクがここでも見られました。魚にタコ、イカ、真ん中の足の代わりにとぐろを巻いたしっぽのある人はトリトンかな?

    部屋の三方にはベンチがあって、壁にはフレスコ画が描かれているのがわかります。

  • フレスコ画の上には脱衣用の区切られた棚が並んでいました。そう、男性用の更衣室も同じように仕切られていました。<br /><br />天井も男性用更衣室と同じようなスタッコ装飾です。

    フレスコ画の上には脱衣用の区切られた棚が並んでいました。そう、男性用の更衣室も同じように仕切られていました。

    天井も男性用更衣室と同じようなスタッコ装飾です。

  • 続いての微温浴室のモザイクも大変見事です。この中華どんぶり風のデザインは蛇行を表したものなんですって。<br /><br />所々にアクセントとしてカップや壺、鉾やアンフォラ等があしらわれていて素敵!

    続いての微温浴室のモザイクも大変見事です。この中華どんぶり風のデザインは蛇行を表したものなんですって。

    所々にアクセントとしてカップや壺、鉾やアンフォラ等があしらわれていて素敵!

  • 最後の温浴室には、こちらの円筒形の物体(冷たい水が張られた水盤ラブルム?)が置かれていました。<br /><br />ウィキペディアによると、床暖房システムの一種であるハイポコーストで熱した非常に高温多湿の部屋である。とありますので、冷たい水は必需品だったでしょう。そして・・・

    最後の温浴室には、こちらの円筒形の物体(冷たい水が張られた水盤ラブルム?)が置かれていました。

    ウィキペディアによると、床暖房システムの一種であるハイポコーストで熱した非常に高温多湿の部屋である。とありますので、冷たい水は必需品だったでしょう。そして・・・

  • 反対側にはこちらの立派な浴槽がありましたよ。男性用のカルダリウムにもあったはずですが、これとは比べ物にならないほど朽ちていたような記憶です。<br /><br />傍らのベンチと言い、今でも使えそうな浴室でした。壁にはヴェスヴィオスの風景がフレスコで描かれていた・・・ということは全く記録にありません(笑)。

    反対側にはこちらの立派な浴槽がありましたよ。男性用のカルダリウムにもあったはずですが、これとは比べ物にならないほど朽ちていたような記憶です。

    傍らのベンチと言い、今でも使えそうな浴室でした。壁にはヴェスヴィオスの風景がフレスコで描かれていた・・・ということは全く記録にありません(笑)。

  • こちらはカルド?通り。「ネプチューンとアンピトリテの家」Casa di Netturo e Anfitriteの前です。ギリシャ神話では、ネプチューン(=ポセイドン)とアンピトリテは夫婦で、先ほどモザイクにあった海の神トリトンら3人の子がいます。<br /><br />この家の持ち主は、エルコラーノで一番保存状態の良いワインショップのオーナーでもあったようです。

    こちらはカルド?通り。「ネプチューンとアンピトリテの家」Casa di Netturo e Anfitriteの前です。ギリシャ神話では、ネプチューン(=ポセイドン)とアンピトリテは夫婦で、先ほどモザイクにあった海の神トリトンら3人の子がいます。

    この家の持ち主は、エルコラーノで一番保存状態の良いワインショップのオーナーでもあったようです。

  • こちらがそのお店です。アンフォラが沢山並べられています。<br /><br />中央の壺の中からはひよこ豆とソラマメが発見されました。

    こちらがそのお店です。アンフォラが沢山並べられています。

    中央の壺の中からはひよこ豆とソラマメが発見されました。

  • そして驚くべきはこちら! この今でも使われていそうな手摺は炭化していますがオリジナルです。壁には第四期様式のフレスコが残っていますね。<br /><br />もう一度上の写真を見ていただくとわかりますが、右側にはアンフォラ用のラックもありますよ!<br /><br />お店の中には入れず、覗いただけですが、ここは大勢の人達が見学していました。

    そして驚くべきはこちら! この今でも使われていそうな手摺は炭化していますがオリジナルです。壁には第四期様式のフレスコが残っていますね。

    もう一度上の写真を見ていただくとわかりますが、右側にはアンフォラ用のラックもありますよ!

    お店の中には入れず、覗いただけですが、ここは大勢の人達が見学していました。

  • ネプチューンとアンピトリテの家のアトリウムに入ってきました。中央に大理石の水槽があるタイプのアトリウムで、水槽の部分だけ屋根がないタイプです。

    ネプチューンとアンピトリテの家のアトリウムに入ってきました。中央に大理石の水槽があるタイプのアトリウムで、水槽の部分だけ屋根がないタイプです。

  • こちらは屋敷の奥にある中庭です。上半分は失われていますが、下半分の赤いフレスコ画は状態は悪いですが、右の庭園の風景は判別可能です。水盤と草花と鳥の姿が見えますでしょうか?

    こちらは屋敷の奥にある中庭です。上半分は失われていますが、下半分の赤いフレスコ画は状態は悪いですが、右の庭園の風景は判別可能です。水盤と草花と鳥の姿が見えますでしょうか?

  • そして、本日のベスト・モザイクが姿を現しました! <br /><br />ご紹介しましょう。<br /><br />こちらがこの家の主ネプチューンとアンピトリテご夫妻です。神話によると、ネプチューンはナクソス島で海の女神たちと踊っているアンピトリテを見て、彼女を連れ去り、結婚したそうです。あまりの美しさに口ポカ〜ン状態です。<br /><br />かつては、モザイクの周りに貝殻が埋めてあったのですが、大部分はがれてしまっていますね。

    そして、本日のベスト・モザイクが姿を現しました! 

    ご紹介しましょう。

    こちらがこの家の主ネプチューンとアンピトリテご夫妻です。神話によると、ネプチューンはナクソス島で海の女神たちと踊っているアンピトリテを見て、彼女を連れ去り、結婚したそうです。あまりの美しさに口ポカ〜ン状態です。

    かつては、モザイクの周りに貝殻が埋めてあったのですが、大部分はがれてしまっていますね。

  • 中庭の奥には泉の神ニンフを祀った祠がありました。中央に半円形の後陣のような壁龕、両脇にもニッチェがあり、祠中央部には目の覚めるような深い青を使ったモザイクがきらめいていました。

    中庭の奥には泉の神ニンフを祀った祠がありました。中央に半円形の後陣のような壁龕、両脇にもニッチェがあり、祠中央部には目の覚めるような深い青を使ったモザイクがきらめいていました。

  • 鹿、犬といった狩りの場面、果物のリースの上には鳥たち潜んでいる場面が、深い青色の背景の中に浮かび上がっています。<br /><br />ニッチェの両側には植木鉢に植わったトリアピー風に仕上げた樹木が並んでいます。<br /><br />2000年たっても色あせないモザイクの魔術に暫し酔いしれました。

    鹿、犬といった狩りの場面、果物のリースの上には鳥たち潜んでいる場面が、深い青色の背景の中に浮かび上がっています。

    ニッチェの両側には植木鉢に植わったトリアピー風に仕上げた樹木が並んでいます。

    2000年たっても色あせないモザイクの魔術に暫し酔いしれました。

  • 祠の上にはギリシャ劇に使われるマスクが見られました。中央の大きなマスクはシレノス。ギリシャ神話に出てくる半人半馬で、サティロスに似ていますが、耳に特徴があるそうです。酒の神ディオニソスの従者で、大酒飲みの代名詞でもあります。<br /><br />いやあ、エルコラーノに来てこんなにたくさんのギリシャ文化に触れられるとは思っていませんでしたよ。

    祠の上にはギリシャ劇に使われるマスクが見られました。中央の大きなマスクはシレノス。ギリシャ神話に出てくる半人半馬で、サティロスに似ていますが、耳に特徴があるそうです。酒の神ディオニソスの従者で、大酒飲みの代名詞でもあります。

    いやあ、エルコラーノに来てこんなにたくさんのギリシャ文化に触れられるとは思っていませんでしたよ。

  • 次の家は「美しい中庭のある家」Casa del bel cortileです。この家のレイアウトはいささか変わっていて、1世紀の家というよりは中世のイタリア建築といった趣です。

    次の家は「美しい中庭のある家」Casa del bel cortileです。この家のレイアウトはいささか変わっていて、1世紀の家というよりは中世のイタリア建築といった趣です。

  • 下半分は赤が基調となっていて、上半分は白地に第四期様式のフレスコが見られます。<br /><br />正面の天井の低い部分は物置? だと思ったら、なんと台所の入口ですって!

    下半分は赤が基調となっていて、上半分は白地に第四期様式のフレスコが見られます。

    正面の天井の低い部分は物置? だと思ったら、なんと台所の入口ですって!

  • シンプルだけれど状態の良いモザイクの床もありました。

    シンプルだけれど状態の良いモザイクの床もありました。

  • こちらが、家の名前の由来となった「美しい中庭」です。ここは玄関からの通路となっていて、南にあるメインベッドルームに繋がっています。<br /><br />注目はこの完璧に残っている階段。いかにも中世の家にありそうな階段ですよね。階上の4つの部屋は踊り場の周りに並んでいて、木のバルコニーが付いた部屋からはカルド?通りを見下ろすことが出来ます。残念ながら2階には上がれませんでしたが・・・

    こちらが、家の名前の由来となった「美しい中庭」です。ここは玄関からの通路となっていて、南にあるメインベッドルームに繋がっています。

    注目はこの完璧に残っている階段。いかにも中世の家にありそうな階段ですよね。階上の4つの部屋は踊り場の周りに並んでいて、木のバルコニーが付いた部屋からはカルド?通りを見下ろすことが出来ます。残念ながら2階には上がれませんでしたが・・・

  • 壁はここも第四期様式のフレスコで覆われていました。

    壁はここも第四期様式のフレスコで覆われていました。

  • そして床は、これまたシンプルな幾何学模様で、大変落ち着いたムードを醸し出しています。

    そして床は、これまたシンプルな幾何学模様で、大変落ち着いたムードを醸し出しています。

  • こちらがメインベッドルーム。とても広い! 台所や玄関そばにあったベッドルームの狭さからすると想像できないくらい広々としています。<br /><br />窓のある壁伝いに、兵士とか馬を描いたレリーフが展示されていました。この家で発見されたものかしら?<br /><br />

    こちらがメインベッドルーム。とても広い! 台所や玄関そばにあったベッドルームの狭さからすると想像できないくらい広々としています。

    窓のある壁伝いに、兵士とか馬を描いたレリーフが展示されていました。この家で発見されたものかしら?

  • 「サンニティカ人の家」Casa sanniticaはエルコラーノでも最も古い家の一つで創建は紀元前2世紀と推定されています。以前はカルド?通りからカルド?通りまでをすべて占めていた大きな家でしたが、後年分割を繰り返して今の大きさになりました。<br /><br />サンニティカ人というのはイタリア中央部に住んでいた部族で、ローマ人の支配に最後まで抵抗しましたが、紀元前90年頃に滅ぼされています。

    「サンニティカ人の家」Casa sanniticaはエルコラーノでも最も古い家の一つで創建は紀元前2世紀と推定されています。以前はカルド?通りからカルド?通りまでをすべて占めていた大きな家でしたが、後年分割を繰り返して今の大きさになりました。

    サンニティカ人というのはイタリア中央部に住んでいた部族で、ローマ人の支配に最後まで抵抗しましたが、紀元前90年頃に滅ぼされています。

  • この家は屋根の修復を終えて最近リオープンされたようです。エルコラーノの建物の管理団体にとっての頭痛の種は、暴風雨といった悪天候だけではないようです。壁のパネルに書かれていたボードにより、観光客の何気ない行動が貴重な建造物を傷つけているという事実を知りました。<br /><br />リュックの背中で壁のフレスコを削る、小さな壁に腰かけてボロボロに崩してしまう等、悪意のない行動により修復が必要になるケースが後を絶たないようです。自分の行動が貴重な遺産の破壊につながらないよう、最新の注意を払うべきだと改めて思いました。<br /><br />さて、こちらは大きくて立派なこの家のアトリウムです。中央に大理石の水槽インプルヴィウムが置かれています。

    この家は屋根の修復を終えて最近リオープンされたようです。エルコラーノの建物の管理団体にとっての頭痛の種は、暴風雨といった悪天候だけではないようです。壁のパネルに書かれていたボードにより、観光客の何気ない行動が貴重な建造物を傷つけているという事実を知りました。

    リュックの背中で壁のフレスコを削る、小さな壁に腰かけてボロボロに崩してしまう等、悪意のない行動により修復が必要になるケースが後を絶たないようです。自分の行動が貴重な遺産の破壊につながらないよう、最新の注意を払うべきだと改めて思いました。

    さて、こちらは大きくて立派なこの家のアトリウムです。中央に大理石の水槽インプルヴィウムが置かれています。

  • 上の写真で視界を少々上にずらすと、ご覧のようなイオニア式の柱廊がぐるりと四方を取り巻いていることがわかります。<br /><br />網目模様の衝立が綺麗ですね!

    上の写真で視界を少々上にずらすと、ご覧のようなイオニア式の柱廊がぐるりと四方を取り巻いていることがわかります。

    網目模様の衝立が綺麗ですね!

  • 反対側はこんな感じです。壁には第四期様式のフレスコが描かれていた様です。紀元前2世紀にこの様な邸宅を建てることが出来た技術には感服です。

    反対側はこんな感じです。壁には第四期様式のフレスコが描かれていた様です。紀元前2世紀にこの様な邸宅を建てることが出来た技術には感服です。

  • アトリウムの周りのベッドルームは床のモザイクが美しかったのでもっぱら床に着目しました。

    アトリウムの周りのベッドルームは床のモザイクが美しかったのでもっぱら床に着目しました。

  • こちらは、メインベッドルームの床です。ダイヤモンドの形をした中央のロゼットが目を惹きますね。モザイクは菱形のタイルの角と角を合わせながら並べられていて、とても優しいイメージです。

    こちらは、メインベッドルームの床です。ダイヤモンドの形をした中央のロゼットが目を惹きますね。モザイクは菱形のタイルの角と角を合わせながら並べられていて、とても優しいイメージです。

  • フレスコは第四期様式。床のモザイクは蛇行の模様で、メインベッドルームと同じ並び方になっていました。

    フレスコは第四期様式。床のモザイクは蛇行の模様で、メインベッドルームと同じ並び方になっていました。

  • 網目模様。こちらのモザイクはくっきり力強い。

    網目模様。こちらのモザイクはくっきり力強い。

  • お終いはグリーンルームと呼びたい、壁一面が緑のフレスコで覆われたベッドルームです。黒っぽい線で建築物が描かれていました。

    お終いはグリーンルームと呼びたい、壁一面が緑のフレスコで覆われたベッドルームです。黒っぽい線で建築物が描かれていました。

  • なんと! ここには「エウロペの略奪」のパネルがありましよよ! 牛に化けたゼウスがフェニキア王アゲノルの娘エウロペを略奪してクレタ島まで連れていったというお話、前にどこかで書いた記憶。

    なんと! ここには「エウロペの略奪」のパネルがありましよよ! 牛に化けたゼウスがフェニキア王アゲノルの娘エウロペを略奪してクレタ島まで連れていったというお話、前にどこかで書いた記憶。

  • 「アルコーヴ」のある家Casa dell&#39;Alcova。アルコーヴというのは凹んだところという意味ですが、肝心のその凹みを撮るのを忘れたようです。この家は二つの別々の古い家を前室で組み合わせたような形をしています。

    「アルコーヴ」のある家Casa dell'Alcova。アルコーヴというのは凹んだところという意味ですが、肝心のその凹みを撮るのを忘れたようです。この家は二つの別々の古い家を前室で組み合わせたような形をしています。

  • かなり傷んでいますが、所々にカラフルな大きい石をはめ込んだ床のモザイクです。

    かなり傷んでいますが、所々にカラフルな大きい石をはめ込んだ床のモザイクです。

  • 第三の中庭に面した部屋の中で、通りに面した窓に鉄格子が入っていたのが印象的でした。この部屋には大理石でできたテーブルが置かれていました。

    第三の中庭に面した部屋の中で、通りに面した窓に鉄格子が入っていたのが印象的でした。この部屋には大理石でできたテーブルが置かれていました。

  • その隣の部屋にも互い違いになった二つの窓がありました。こちらの部屋には木の窓枠がしっかりと残っていました。そして、その下に見えるのは木製のベッドだったそうですよ。<br /><br />壁のフレスコははっきりとしませんが、第三期様式だそうです。窓と窓の間に人物が描かれたパネルが見えますね。この部屋は食堂として使われていたと言われています。食堂にベッドということは、ソファのようなものだったのかしら?

    その隣の部屋にも互い違いになった二つの窓がありました。こちらの部屋には木の窓枠がしっかりと残っていました。そして、その下に見えるのは木製のベッドだったそうですよ。

    壁のフレスコははっきりとしませんが、第三期様式だそうです。窓と窓の間に人物が描かれたパネルが見えますね。この部屋は食堂として使われていたと言われています。食堂にベッドということは、ソファのようなものだったのかしら?

  • 食堂の前には長い廊下が伸びていて、ご覧のようなモザイクが施されていました。

    食堂の前には長い廊下が伸びていて、ご覧のようなモザイクが施されていました。

  • 長い廊下を曲がった先には・・・

    長い廊下を曲がった先には・・・

  • 二つの部屋がありました。こちらはそのうちの一つです。白地に赤い線で第三期様式のフレスコが描かれていました。<br /><br />床は先ほど見たのとは異なる不規則な大きさの石がはめ込まれた装飾が施されていました。<br /><br />このとなりの部屋にアルコーヴがあったのですが、部屋自体の装飾はこちらの部屋に良く似ていたと記憶しています。

    二つの部屋がありました。こちらはそのうちの一つです。白地に赤い線で第三期様式のフレスコが描かれていました。

    床は先ほど見たのとは異なる不規則な大きさの石がはめ込まれた装飾が施されていました。

    このとなりの部屋にアルコーヴがあったのですが、部屋自体の装飾はこちらの部屋に良く似ていたと記憶しています。

  • お隣の「モザイクのアトリウムがある家」Casa dell&#39;atrico a Mosaicoには素晴らしい床のモザイクがあるのですが、床そのものが工事パネルに覆われて修復中でした。<br /><br />風光明媚な場所に建てられていて、装飾と言い空間の演出と言い大変エレガントに作られているという前評判だったのでがっくり・・・<br />

    お隣の「モザイクのアトリウムがある家」Casa dell'atrico a Mosaicoには素晴らしい床のモザイクがあるのですが、床そのものが工事パネルに覆われて修復中でした。

    風光明媚な場所に建てられていて、装飾と言い空間の演出と言い大変エレガントに作られているという前評判だったのでがっくり・・・

  • その又お隣には、「ブロンズ像のある家」Casa dell&#39;Erma di Bronzoがありました。<br /><br />トスカーナ風のアトリウムを中心とした小さな住居で、こちらも上で紹介したサンニティカ様式で建てられています。天井は高く、中央に開口部がある屋根がつけられていました。

    その又お隣には、「ブロンズ像のある家」Casa dell'Erma di Bronzoがありました。

    トスカーナ風のアトリウムを中心とした小さな住居で、こちらも上で紹介したサンニティカ様式で建てられています。天井は高く、中央に開口部がある屋根がつけられていました。

  • この家で特筆すべきものがこちらのブロンズ像です。ブロンズ・ヘルマと呼ばれています。ヘルマというのは、彫像を立てる石あるいはテラコッタなどでできた柱のことを指すそうです。<br /><br />古代ギリシャで生まれたこの技法はローマ人に盛んに取り入れられました。彫像がどなたなのかはどこにも書いていなかったような・・・この家のご先祖様かな?

    この家で特筆すべきものがこちらのブロンズ像です。ブロンズ・ヘルマと呼ばれています。ヘルマというのは、彫像を立てる石あるいはテラコッタなどでできた柱のことを指すそうです。

    古代ギリシャで生まれたこの技法はローマ人に盛んに取り入れられました。彫像がどなたなのかはどこにも書いていなかったような・・・この家のご先祖様かな?

  • トレリスのある家 Casa a Graticcioは1927年から1933年にかけて、アメデオ・マイウーリによって発掘されました。<br /><br />この家は低コストで建てられた下宿屋で、構造的にみても安普請、火災に対しても弱く、ポンペイでは見ることのないタイプの建物です。エルコラーノはナポリに近く、当時大都市で流行し始めていた建築方法がここで試みられていたという点では注目するに値する家とされています。

    トレリスのある家 Casa a Graticcioは1927年から1933年にかけて、アメデオ・マイウーリによって発掘されました。

    この家は低コストで建てられた下宿屋で、構造的にみても安普請、火災に対しても弱く、ポンペイでは見ることのないタイプの建物です。エルコラーノはナポリに近く、当時大都市で流行し始めていた建築方法がここで試みられていたという点では注目するに値する家とされています。

  • 2階の建物の一部とバルコニーは、煉瓦のイオニア式柱により支えられています。家の名前の由来となったトレリスは、現代の住宅でも見かけますよね。<br /><br />1階が商店、2階が住宅となっていたこの家の中からは、炭化したベッド、タンス、肖像画などが見つかっています。

    2階の建物の一部とバルコニーは、煉瓦のイオニア式柱により支えられています。家の名前の由来となったトレリスは、現代の住宅でも見かけますよね。

    1階が商店、2階が住宅となっていたこの家の中からは、炭化したベッド、タンス、肖像画などが見つかっています。

  • お隣は「木製のパーティションがある家」Casa del Tramezzo di legnoです。この界隈では最も洗練された家の一つで、トスカーナ風の広いアトリウムは、内側に向かって緩い傾斜がつけられていました。シンプルなモザイク模様から考えて、家はローマ共和制の時代(紀元前1世紀)に建てられたものだとされています。

    お隣は「木製のパーティションがある家」Casa del Tramezzo di legnoです。この界隈では最も洗練された家の一つで、トスカーナ風の広いアトリウムは、内側に向かって緩い傾斜がつけられていました。シンプルなモザイク模様から考えて、家はローマ共和制の時代(紀元前1世紀)に建てられたものだとされています。

  • とても保存状態の良いアトリウム中央の水槽部分のアップです。

    とても保存状態の良いアトリウム中央の水槽部分のアップです。

  • アトリウムとメインベッドルームを区切るための優雅な木製のパーティションはこちら。写真がぼけていたため、こちらはウィキペディアからお借りした写真です。<br /><br />元々中庭だったところをメインベッドルームに作り変えたために、プライヴァシーを考慮しパーティションを取りつけたものらしいです。現代のものと遜色ないですねえ。

    アトリウムとメインベッドルームを区切るための優雅な木製のパーティションはこちら。写真がぼけていたため、こちらはウィキペディアからお借りした写真です。

    元々中庭だったところをメインベッドルームに作り変えたために、プライヴァシーを考慮しパーティションを取りつけたものらしいです。現代のものと遜色ないですねえ。

  • パーティションのある方と反対側の壁です。部屋の上部には、暗い赤地に建築物が描かれた第三期様式のフレスコで装飾されていました。

    パーティションのある方と反対側の壁です。部屋の上部には、暗い赤地に建築物が描かれた第三期様式のフレスコで装飾されていました。

  • アトリウムの周りのベッドルームも同じように赤が基調。こちらの壁には、建築物のほか、ブドウ、鳥たち等が描かれていました。

    アトリウムの周りのベッドルームも同じように赤が基調。こちらの壁には、建築物のほか、ブドウ、鳥たち等が描かれていました。

  • 右上隅のモティーフは綺麗に残っていますね。<br /><br />フレスコが剥げ落ちた壁を傷つけている現代の落書きは大変不愉快な存在。

    右上隅のモティーフは綺麗に残っていますね。

    フレスコが剥げ落ちた壁を傷つけている現代の落書きは大変不愉快な存在。

  • これだけ見たら、何の写真かわかりませんが、こちらは布地屋さんです。木製のパーティションのある家の続きにありました。<br /><br />店に唯一残されているものは、木製のスクリュープレス。布にアイロンがけする時に使用されたものなのだそうです。

    これだけ見たら、何の写真かわかりませんが、こちらは布地屋さんです。木製のパーティションのある家の続きにありました。

    店に唯一残されているものは、木製のスクリュープレス。布にアイロンがけする時に使用されたものなのだそうです。

  • この旅行記の一番上で紹介したカフェ・バー、テルモポリウムがまたありましたよ。大理石やテラコッタなどは熱と衝撃に強かったんですね。町にいくつも同様なお店が見られました。

    この旅行記の一番上で紹介したカフェ・バー、テルモポリウムがまたありましたよ。大理石やテラコッタなどは熱と衝撃に強かったんですね。町にいくつも同様なお店が見られました。

  • 「天才の家」Casa del genioは、いまだに完全に埋まっているカルド?通りに面した家だそうで、小さな羽の生えた「天才」像が見つかったことから名前が付けられました。でも何も残っていませんでした。<br /><br />家の大半と中庭は溶岩の下にあり、中庭を囲む立派な列柱の多さだけが当時をしのぶことが出来ます。<br />

    「天才の家」Casa del genioは、いまだに完全に埋まっているカルド?通りに面した家だそうで、小さな羽の生えた「天才」像が見つかったことから名前が付けられました。でも何も残っていませんでした。

    家の大半と中庭は溶岩の下にあり、中庭を囲む立派な列柱の多さだけが当時をしのぶことが出来ます。

  • カルド?通りに沿って進みます。お隣の「アルゴスの家」Casa d&#39;Argoも、玄関は埋もれているカルド?通りに面しているので、お庭の方からはいる格好になります。<br /><br />アルゴスとは、ギリシャ神話に登場する100の目を持つ怪物で、ヘルメスに殺された後、その目はクジャクの羽の模様となったとされている巨人です。この家の壁にアルゴスのフレスコがあったことからそう名付けられましたが、現存していません。

    カルド?通りに沿って進みます。お隣の「アルゴスの家」Casa d'Argoも、玄関は埋もれているカルド?通りに面しているので、お庭の方からはいる格好になります。

    アルゴスとは、ギリシャ神話に登場する100の目を持つ怪物で、ヘルメスに殺された後、その目はクジャクの羽の模様となったとされている巨人です。この家の壁にアルゴスのフレスコがあったことからそう名付けられましたが、現存していません。

  • 圧倒されるのは、大きな中庭の周りに残されている列柱とエンタブレチュアです。ローマでもこれほどまでに完璧なエンタブレチュアが残されている例は少ないと思います。

    圧倒されるのは、大きな中庭の周りに残されている列柱とエンタブレチュアです。ローマでもこれほどまでに完璧なエンタブレチュアが残されている例は少ないと思います。

  • ブルボン朝時代に、この家は中庭の部分だけは完璧に発掘されています。中庭の反対側の辺は、いまだにトンネルの中ですが、列柱はその三方をぐるりと囲む形で、比較的良い状態で残されています。

    ブルボン朝時代に、この家は中庭の部分だけは完璧に発掘されています。中庭の反対側の辺は、いまだにトンネルの中ですが、列柱はその三方をぐるりと囲む形で、比較的良い状態で残されています。

  • 短い辺に沿って、広めの部屋が残されていました。こちらはメインベッドルームとなりのエゼドラ部分です。エゼドラは通常半円形をしていますが、この建物のものは長方形でした。内部の装飾は第四期様式。

    短い辺に沿って、広めの部屋が残されていました。こちらはメインベッドルームとなりのエゼドラ部分です。エゼドラは通常半円形をしていますが、この建物のものは長方形でした。内部の装飾は第四期様式。

  • 中央のパネルには建物の絵が描かれていました。多分神話からの場面だと考えられています。建物中に巨大な彫像らしきものが見えますね。

    中央のパネルには建物の絵が描かれていました。多分神話からの場面だと考えられています。建物中に巨大な彫像らしきものが見えますね。

  • 長いトンネルに沿って続く中庭を囲む列柱。そのすぐ上には、現代人の住居が迫っていて、これ以上の発掘は難しい状況です。<br /><br />1820年代に見つかった建物の2階部分はその後の風雨に耐えられず、1875年には崩壊しています。2階のパントリー部分には、小麦粉、成形されて焼かれるのを待っていたパンの塊、オリーヴ、果物、アーモンドなどが入った壺が見つかったそうですよ。

    長いトンネルに沿って続く中庭を囲む列柱。そのすぐ上には、現代人の住居が迫っていて、これ以上の発掘は難しい状況です。

    1820年代に見つかった建物の2階部分はその後の風雨に耐えられず、1875年には崩壊しています。2階のパントリー部分には、小麦粉、成形されて焼かれるのを待っていたパンの塊、オリーヴ、果物、アーモンドなどが入った壺が見つかったそうですよ。

  • 海に面したカルド?通り最後の家は、古代ギリシャの弁辞家「アリスティデスの家」Casa di Aristide。ブルボン朝の発掘者達は、この近くのパピリの別荘で見つかった貴重な調度品を運ぶために、ちょうどこの家の辺りを掘り進めたのです。<br /><br />家の名前は見つかった彫像から来ていますが、実はこの彫像アリスティデスではなく、実際にはアイスキネス(古代ギリシャの弁論家、政治家)だったそうですが、いまだ名前の変更は考えられていないとか。<br /><br />前述のブルボン朝時代のトンネルは、この家の主要部分を壊しながら進められたため、はっきり言って目ぼしいものは残っていませんでした。

    海に面したカルド?通り最後の家は、古代ギリシャの弁辞家「アリスティデスの家」Casa di Aristide。ブルボン朝の発掘者達は、この近くのパピリの別荘で見つかった貴重な調度品を運ぶために、ちょうどこの家の辺りを掘り進めたのです。

    家の名前は見つかった彫像から来ていますが、実はこの彫像アリスティデスではなく、実際にはアイスキネス(古代ギリシャの弁論家、政治家)だったそうですが、いまだ名前の変更は考えられていないとか。

    前述のブルボン朝時代のトンネルは、この家の主要部分を壊しながら進められたため、はっきり言って目ぼしいものは残っていませんでした。

  • 海に面した南側部分は倉庫として使われたと考えられています。住宅のこの部分は海につきだした岬の部分を、町を取り囲む城壁を延長する方法で作られていました。<br /><br />最近の調査によると、アリスティデスの家の崖下の一部は、79年の噴火時に先行した地震によって壊れた建材等のゴミ捨て場になっていたことが判明したそうです。

    海に面した南側部分は倉庫として使われたと考えられています。住宅のこの部分は海につきだした岬の部分を、町を取り囲む城壁を延長する方法で作られていました。

    最近の調査によると、アリスティデスの家の崖下の一部は、79年の噴火時に先行した地震によって壊れた建材等のゴミ捨て場になっていたことが判明したそうです。

  • カルド?通りを少し戻って、こちらは「骸骨の家」Casa dello Scheletroです。建物の正面部分は、1830年にボヌッチにより調査が行われ、彼は2階で骸骨を発見しています。この骸骨は、エルコラーノで発見された第1号で、それまで「噴火の前に人々は町を捨てた」とされてきた説を覆したのです。<br /><br />3つの家をつなぎ合わせた格好の家で、どの家にもアトリウムがあり、中央には屋根のあるアトリウムが残っていました。

    カルド?通りを少し戻って、こちらは「骸骨の家」Casa dello Scheletroです。建物の正面部分は、1830年にボヌッチにより調査が行われ、彼は2階で骸骨を発見しています。この骸骨は、エルコラーノで発見された第1号で、それまで「噴火の前に人々は町を捨てた」とされてきた説を覆したのです。

    3つの家をつなぎ合わせた格好の家で、どの家にもアトリウムがあり、中央には屋根のあるアトリウムが残っていました。

  • 玄関から広いアトリウムへと導く廊下に残されたモザイク。状態良いですが、三角の並びが途中一部で乱れているのが気になりました。

    玄関から広いアトリウムへと導く廊下に残されたモザイク。状態良いですが、三角の並びが途中一部で乱れているのが気になりました。

  • アトリウムの北側には、二つの部屋があり、左に居間、右には小さなホールに続いてニンフを祀る祠が設けられていました。

    アトリウムの北側には、二つの部屋があり、左に居間、右には小さなホールに続いてニンフを祀る祠が設けられていました。

  • こちらがその祠(ニンファエウム)です。キリスト教会の後陣にそっくりですねえ!<br /><br />ニンファエウムの壁は凝ったデザインになっていて、細かい石灰岩で装飾されていて、両端部分にはだいぶ装飾が残っています。

    こちらがその祠(ニンファエウム)です。キリスト教会の後陣にそっくりですねえ!

    ニンファエウムの壁は凝ったデザインになっていて、細かい石灰岩で装飾されていて、両端部分にはだいぶ装飾が残っています。

  • 中央の半円形の部分には、黒っぽい色調で建築物の屋根らしきものが描かれています。こちらはモザイクです。<br /><br />キリスト教以前から、この半円形の形は神聖なものを崇める場所として使われてきたのだということを知る良い機会となりました。

    中央の半円形の部分には、黒っぽい色調で建築物の屋根らしきものが描かれています。こちらはモザイクです。

    キリスト教以前から、この半円形の形は神聖なものを崇める場所として使われてきたのだということを知る良い機会となりました。

  • 祠の上部には、全部で7枚のモザイクのパネルがかつてはあったのでしょうが、現在確認できるのは6つ。うち中央の3枚は最近のコピーだそうです。<br /><br />こちらは向かって左側のオリジナルの2枚。左端は生贄のヤギを連れたせり手だそうですよ。

    祠の上部には、全部で7枚のモザイクのパネルがかつてはあったのでしょうが、現在確認できるのは6つ。うち中央の3枚は最近のコピーだそうです。

    こちらは向かって左側のオリジナルの2枚。左端は生贄のヤギを連れたせり手だそうですよ。

  • 真ん中の3枚のうちの左側2枚です。左側は海の神トリトンでしょうか?下半身が蛇の様です。右は川の神のように見えますが、誰だかはっきりしません。

    真ん中の3枚のうちの左側2枚です。左側は海の神トリトンでしょうか?下半身が蛇の様です。右は川の神のように見えますが、誰だかはっきりしません。

  • 川の神はダブっています。右側はおそらく海の神と対になる神だと思われます。

    川の神はダブっています。右側はおそらく海の神と対になる神だと思われます。

  • 1枚完全に剥げ落ちてしまったパネルの右側は、やはり生贄のヤギ(羊?)を引っ張るせり手のモザイクです。

    1枚完全に剥げ落ちてしまったパネルの右側は、やはり生贄のヤギ(羊?)を引っ張るせり手のモザイクです。

  • こちらは、アトリウムから見ると東側の、メインベッドルームの背後にあった食堂の壁面です。こちらには第三期様式で、派手な色を用いた幻想的な建築物が描かれていました。<br /><br />こちらの部屋の壁もアルコーヴ、へこみのある造りとなっていました。

    こちらは、アトリウムから見ると東側の、メインベッドルームの背後にあった食堂の壁面です。こちらには第三期様式で、派手な色を用いた幻想的な建築物が描かれていました。

    こちらの部屋の壁もアルコーヴ、へこみのある造りとなっていました。

  • 食堂の南側は小さな中庭となっていて、ここにも面白い形をした祠がありましたよ。背面はやはり凹みが作られていて、石灰岩の粒で装飾されています。<br /><br />祠自体は殆どモザイクで覆われていました。この無粋な鉄枠どうにかならないのかな? 写真を撮るのにとても邪魔でした!

    食堂の南側は小さな中庭となっていて、ここにも面白い形をした祠がありましたよ。背面はやはり凹みが作られていて、石灰岩の粒で装飾されています。

    祠自体は殆どモザイクで覆われていました。この無粋な鉄枠どうにかならないのかな? 写真を撮るのにとても邪魔でした!

  • ローマ時代のコンパクトなファミリーサイズの祠だそうです。日本の稲荷神社を思い浮かべてしまうのは私だけ? バリ島など、神様が沢山いる場所では、町の至る所で見られる存在ですね。<br /><br />祠の中におわしますのは、太陽神かな?それとも月の女神?

    ローマ時代のコンパクトなファミリーサイズの祠だそうです。日本の稲荷神社を思い浮かべてしまうのは私だけ? バリ島など、神様が沢山いる場所では、町の至る所で見られる存在ですね。

    祠の中におわしますのは、太陽神かな?それとも月の女神?

  • 祠の下半分のアップです。2000年を経ても、祠の制作者が込めた素朴な温もりのようなものが伝わって来るようです。

    祠の下半分のアップです。2000年を経ても、祠の制作者が込めた素朴な温もりのようなものが伝わって来るようです。

  • 祠の背後の壁に描かれていたフレスコです。<br /><br />絵の中央に吊られているのは、前回の旅行記で紹介した魔除けのオスチッラかしら? となると描かれている人物はゴルゴン(メドゥーサの姉)かもしれませんね。

    祠の背後の壁に描かれていたフレスコです。

    絵の中央に吊られているのは、前回の旅行記で紹介した魔除けのオスチッラかしら? となると描かれている人物はゴルゴン(メドゥーサの姉)かもしれませんね。

  • 外に出ると、右端に見えるカルド?通りに沿って、今は建物が殆ど残っていない「旅籠の家」Casa dell&#39;Arbergo が見えました。<br /><br />旅籠は今で言うウォーターフロントの素晴らしい景色が臨める場所に位置しており、アウグストゥスの時代(紀元前27年〜紀元14年)の間に建てられました。<br /><br />広大な面積を誇るということと、プライベートの浴場があったため、当初旅籠とされてきましたが、今では普通の住宅だったと考えられています。

    外に出ると、右端に見えるカルド?通りに沿って、今は建物が殆ど残っていない「旅籠の家」Casa dell'Arbergo が見えました。

    旅籠は今で言うウォーターフロントの素晴らしい景色が臨める場所に位置しており、アウグストゥスの時代(紀元前27年〜紀元14年)の間に建てられました。

    広大な面積を誇るということと、プライベートの浴場があったため、当初旅籠とされてきましたが、今では普通の住宅だったと考えられています。

  • この住宅は噴火のせいばかりでなく、初期の無理な発掘(ブルボン朝)によりひどく損壊し、浴場施設の外側部分の装飾をほとんど失っています。<br /><br />西側には一段低くなった広大な中庭があり、ここから炭化した梨の木が見つかっています。前住者の意向を考慮して? 現在庭園は梨園となっています。

    この住宅は噴火のせいばかりでなく、初期の無理な発掘(ブルボン朝)によりひどく損壊し、浴場施設の外側部分の装飾をほとんど失っています。

    西側には一段低くなった広大な中庭があり、ここから炭化した梨の木が見つかっています。前住者の意向を考慮して? 現在庭園は梨園となっています。

  • 南側にはナポリ湾を見下ろす素晴らしいパノラマ眺望を楽しめる部屋があり(草むらの部分は噴火当時の海岸)、その上は広々としたテラスとなっていました。

    南側にはナポリ湾を見下ろす素晴らしいパノラマ眺望を楽しめる部屋があり(草むらの部分は噴火当時の海岸)、その上は広々としたテラスとなっていました。

  • ヴェスヴィオス火山は、何事もなかったかのように、はるか背後から静かに町を見つめていましたよ。

    ヴェスヴィオス火山は、何事もなかったかのように、はるか背後から静かに町を見つめていましたよ。

  • 朝一番で橋を渡り、町に入っていった傾斜路が眼下に見えてきました。これでエルコラーノを一周したことになります。<br /><br />こうやって見てみると、2階以上には上がれなかったので、屋上のテラスとか東屋とか、まだ見ていないものが沢山目についてしまって、なんだか後ろ髪を引かれる思いでした。

    朝一番で橋を渡り、町に入っていった傾斜路が眼下に見えてきました。これでエルコラーノを一周したことになります。

    こうやって見てみると、2階以上には上がれなかったので、屋上のテラスとか東屋とか、まだ見ていないものが沢山目についてしまって、なんだか後ろ髪を引かれる思いでした。

  • 海の向こうには、うっすらとカプリ島が姿を現していました。お天気はあまりよくありませんが、なんとかこれまで降らずに済んでいます。

    海の向こうには、うっすらとカプリ島が姿を現していました。お天気はあまりよくありませんが、なんとかこれまで降らずに済んでいます。

  • ホースシューのような形に掘られたことがよくわかるエリアを見ながら帰路につきます。どうやら訪問していない場所の様だなあ・・・

    ホースシューのような形に掘られたことがよくわかるエリアを見ながら帰路につきます。どうやら訪問していない場所の様だなあ・・・

  • 最後は、こちらも立ち入り禁止となっていたパラエストラという巨大なスポーツ複合施設を見ながらエルコラーノとお別れです。<br /><br />エルコラーノが溶岩の中から再び姿を現し始めて早300年。溶岩のせいで、そして溶岩のおかげで町はそのままの形で残ったわけですが、これからの遺跡の保存は風化との絶え間なき闘いでしょうね。陰で遺跡を支えている沢山の人々のご苦労に感謝しながら、そして、ある日突然日常生活を断ち切られた人々に思いを馳せながら、遺跡を後にしました。<br /><br />この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その44 カゼルダ で!

    最後は、こちらも立ち入り禁止となっていたパラエストラという巨大なスポーツ複合施設を見ながらエルコラーノとお別れです。

    エルコラーノが溶岩の中から再び姿を現し始めて早300年。溶岩のせいで、そして溶岩のおかげで町はそのままの形で残ったわけですが、これからの遺跡の保存は風化との絶え間なき闘いでしょうね。陰で遺跡を支えている沢山の人々のご苦労に感謝しながら、そして、ある日突然日常生活を断ち切られた人々に思いを馳せながら、遺跡を後にしました。

    この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その44 カゼルダ で!

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この旅行記へのコメント (4)

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  • とし坊さん 2016/01/01 20:52:53
    ポンペイ以外にも
    勉強不足でした

     ポンペイしか知らずにいましたので、同じようなそれでいて

     保存状態のもっといい町があったのに驚きです

     またイタリア行ってみたいのですね


       ところで モザイク画の街はいつ頃になるでしょうか(笑)

     たいへん待ち遠しいです(^O^)

       楽しみに待ってます

    junemay

    junemayさん からの返信 2016/01/02 10:41:10
    RE: ポンペイ以外にも
    とし坊さま

    あけましておめでとうございます。
    いつもコメントをいただき、大変うれしく思っています。
    今年もよろしくお願いいたします。


    >    ところで モザイク画の街はいつ頃になるでしょうか(笑)

    神のみぞ知るです。
    最初の頃は忘れてしまうと焦っていましたが、もうここまで来たら、自分のペースでいくしかないと開き直るようになりました。
    今のペースだと、今年中に完成できるかな?

    今年も5月頃に、まだ全く予定を立てていませんが、1か月ほど出かけるつもりだし、ちょこちょこと国内も廻ることにしているので、ごめんなさい、まったくわかりません。(1月は佐賀、福岡、大分を廻ります。)

    ちなみに、昨年は13回1泊以上の旅をしましたが、イタリア以外手をつけられずにおります。トホホ・・・が続きます(泣)!

    辛抱強くお付き合いいただけたら嬉しいです。コメントが何よりも励みです。ありがとうございました。

    junemay

    追伸

    なお、別にいただいたコメントの「巨大な石像」って具体的に何でしょうか?
  • belleduneさん 2015/12/31 08:32:24
    見るところが沢山ありますね...
    junemayさん、1日掛けてエルコラーを見て歩いても、時間が足りないのに、私は暑い日中、ポンペイとエルコラーのを1日で見て回ったので、見てないところもたくさんありましたし、草臥れました。
    修復作業が行われているので、また行って見たいです。今、塩野七生さんのローマ人の物語を読み進んでいますので、日常生活の風景が目に浮かぶようです。もう1冊、「ナポリ建築王国」河村英和著もこのお正月に読むつもりです。日本人とローマ人くらいでしょう、お風呂屋さんや大浴場が好きだったのは。1日の疲れをお風呂で癒すということは戦場でも兵士がやっていたそうですね。
    いつも楽しく読ませて頂いています。来年も楽しみにしています。良いお年をお迎えください。

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/12/31 18:46:49
    RE: 見るところが沢山ありますね...
    belleduneさん

    いつも嬉しいコメントありがとうございます。
    「ローマ人の物語」は長いでしょう。友人が読み始めて参年目に入ったようです。今度彼女、ギリシャ人の物語も書き始めたようですね。私もいつかとは思うけれど、そのいつかは未定です。

    今年は海外2回、国内11回合わせて13回、1泊以上の旅をしましたが、イタリア以外は手が付けられない状態です。半年かけて11日間分しか書けませんでした。ここまで来たら腰を据えて、塩野七海さんとは比較にならないけれど、じっくり旅を振り返ろうと思っています。

    来年もよろしくお願いいたします。またのコメントお待ちしております。

    > junemayさん、1日掛けてエルコラーを見て歩いても、時間が足りないのに、私は暑い日中、ポンペイとエルコラーのを1日で見て回ったので、見てないところもたくさんありましたし、草臥れました。
    > 修復作業が行われているので、また行って見たいです。今、塩野七生さんのローマ人の物語を読み進んでいますので、日常生活の風景が目に浮かぶようです。もう1冊、「ナポリ建築王国」河村英和著もこのお正月に読むつもりです。日本人とローマ人くらいでしょう、お風呂屋さんや大浴場が好きだったのは。1日の疲れをお風呂で癒すということは戦場でも兵士がやっていたそうですね。
    > いつも楽しく読ませて頂いています。来年も楽しみにしています。良いお年をお迎えください。

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