2015/05/16 - 2015/05/16
19位(同エリア49件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 190,566アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
2000年前のエルコラーノを出て、今度は現代のエルコラーノの町を駅に向かって歩きます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 自転車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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未練がましく、遺跡方面を振り返ります。一番奥に見える門の先が遺跡。緩やかな上り道がそれからずっと駅まで続きます。
現代のエルコラーノはあまり活気の見られない、ナポリ郊外の住宅地といった雰囲気でした。今日は土曜日のせいか、お店のシャッターも閉まっているところが多いみたい。 -
さあ、駅に向かって11月4日通りを歩きましょう。第一次大戦中の1918年11月4日、オーストリア・ハンガリー帝国がイタリアに降伏。それ以来、イタリアでは11月4日を国家統一と陸軍の日と定めています。
11月4日通りとガリバルディ広場は、イタリア中にわんさかありますね。 -
エルコラーノ駅手前のロータリーにあった噴水。エルコラーノ(ヘラクレス)像だと思うのですが、違うかなあ・・・どこにも説明がありませんでした。
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最後にエルコラーノの駅で1枚。チルクム・ヴェスヴィアーナ鉄道の落書きは半端ではありません。写真の落書きはまだ許せる方です。この後ナポリ経由でカゼルタに向かいましたが、カゼルタ方面のトレン・イタリアの駅舎は、割合綺麗でした。落書きの多さと治安の悪さは比例するのでしょうかねえ・・・
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エルコラーノから突然ナポリの北30kmにあるカゼルタに飛びましたよ。
ナポリ滞在中、私はとうとう工事中のシートから逃れることは出来ませんでした。最後の訪問地まで見事に期待を裏切ってくれました。
「これを見よ!」
ナポリからカゼルタまではトレン・イタリアのfs線か、地下鉄ノルド・エスト線で30分〜40分かかります。次の列車がどこから(どこのホームから)出発するのかが分かり難かったです。地下鉄のホームも1か所ではないようで、私は一台乗り過ごしてしまいました。 -
カゼルタの宮殿は、駅からすぐ と思ったのですが、そうは問屋が卸さない、何せヨーロッパで18世紀に建てられた一番大きな宮殿だそうで、見えてはいるものの行けども行けども着かないのです。
ナポリで昼の休憩を取ったため、時刻はすでに3時半を廻っておりました。まずは広い庭園を先に見ることにしましょう。 -
ここで、カンパニア州アルテカード(3日間 32ユーロ)を使いました。王宮と庭園のコンビネーションチケットが12ユーロ。ラベッロ、エルコラーノ、カゼルタの3か所の入場料だけで合計32ユーロですので、ちょうど交通費の分得をしましたよ。
宮殿内に入ると、宮殿を横切る長い廊下が続きます。 -
カゼルタの王宮レッジャは、ブルボン朝のナポリ王カルロ7世(のちのスペイン王カルロス3世)の命を受け、ルイジ・ヴァンヴィテッリがヴェルサイユを参考に建てた宮殿です。1200以上の部屋があるという宮殿の規模もさることながら、庭園がこれまた広〜い!
ナポリ旧市街にあった王宮、丘の上に佇むカポディモンテの王宮、そしてナポリ郊外のカゼルタ王宮と、この王様3つも宮殿を持っていたんですね。にもかかわらず、彼自身ここで一晩たりとも過ごしたことはなかったそうですよ。なんとも勿体ないお話。
こちらが、王宮(reggia di caserta)の入口のようです。宮殿内部は19:30までやっているので後回しと決めていても、立ち止まって撮影してしまう。私の悪い癖です。 -
ナポリの国立考古学博物館で見たヘラクレスがここでも迎えてくれました。あのふくらはぎの筋肉! ここで彫像の足の部分が見つからず、ギリェルモ・デッラ・ポルタが代わりの足をこしらえた話を思い出してしまいました。考古学博物館のヘラクレスをご覧になりたい方はこちらです。
http://4travel.jp/travelogue/11072599 -
宮殿の庭園側へとやってきました。急に随分と進んだとお思いでしょう。実は自転車を借りたんです。レンタ・サイクルは1時間4ユーロ。「この広い庭園、1時間で回れる?」って尋ねたら、「行って帰ってくるだけなら十分」と言われたので早速自転車に乗ってお出かけです。
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自転車やさん5時には店じまいだから、それまでに帰るよう、何度も念押されてしまいました。実を言うと、1時間では私的には全然時間足りなかったです。
セグウェイの人もいますね。ここから、あの正面奥の山裾まで3kmもあるんですって。どの位時間かかるのでしょう? 広さ120ヘクタールって想像もつきません。 -
自転車に乗りながらなので、大した写真撮れません。所々に緑の生垣を背景にご覧のような白い彫像が立っています。こういった景色は多少見飽きています。
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しかし、庭園の見どころは彫像ではありません。カルロス3世があり余る財力で作らせたのはこの豊富な「水」の織りなす世界。こちらも建築家の頭にあったのはヴェルサイユ。
庭園は宮殿の裏側から始まり、徐々に高度を上げながら、まっすぐに正面の山へと向かっていきます。長い二つの道の間には、運河、噴水、滝等、水の景色が途切れることがはありません。 -
最初に遭遇した噴水は、「イルカの滝」Fontana dei delfini。総指揮はルイジ・ヴァンヴィテッリ本人、彫刻の設計はガエターノ・サロモーネで、1773年〜80年の制作です。
イルカと言うよりは、恐ろしい海の怪物という風体です。何故か爪の尖った前足とうろこまであります。全く可愛げのない、イタリア式イルカ3頭が豪快に水を吐きだしていました。 -
その後、道はスロープに差し掛かります。ここに来ると自転車がもうほとんど役に立ちません。何でこんなところで私、チャリンコ押して歩いてるんだろ〜
スロープの上からも水が落ちてきています。あれも「滝」と呼ぶべきものなのかしら・・・帰りに寄りましょうね。 -
スロープの入り口付近では、天使が「おいでおいで」をしています。蛇が巻き付いた水盤と彫像がひとつおきに並んでいました。
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スロープの上にあった「ケレスの噴水」fontana di Cerere。こちらは1783年の作品。沢山の彫像が思い思いの格好で水を噴き出しています。ローマの噴水で見かけた方々もちらほら。
中央の一番高い場所にいるのが豊穣の女神ケレス。彼女はシチリア王のシンボル、三本足の紋章トリナクリアtrinacriaのメダルを持っています。 -
もう少し近づいてもう1枚。
この噴水で使われている大理石は全てカラッラ産だそうですよ。 -
3番目の噴水はこちら。 何? 前のとどこが違うかわからないですって?
では、もう少し近づいていきましょう。こちらは、「ヴィーナスとアドーニスの噴水」Fontana di Venere e Adoneです。1770年〜80年。 -
ヴィーナスはご存知愛と美の女神。
彼女は火の神ウゥルカーヌスの妻ですが、沢山の恋人とのロマンスが伝えられています。アレース(=ローマ神話マールス)、メルクリウス、アドーニス、アンキーセース等々。となるとこれは不倫の現場ですね。
相手のアドーニスはまだ少年ですから、これは間違いなくヴィーナスがそそのかしたんだと思いますよ。美男美女のカップルの周りをプット達が元気に飛び回っています。
と勝手な憶測はこの位にして。実は解説によれば、ヴィーナスが狩りが大好きなアドーニスに、危険だから行くのを思いとどまるようにと説得している場面なのだそうです。狩りに熱中している少年はそれを聞かず、少年への嫉妬に狂った軍神アレースが化けたイノシシに殺されてしまうのです。ヴィーナスが深く悲しんだのは言うまでもありません。 -
後ろを振り返ると、宮殿ははるか彼方に遠ざかっていました。途中で押して歩いたけれど、自転車の威力さすがぁ。
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で、こちらが一番上流の大きな滝のある池です。物凄い量の水が山の上から流れてきています。この水を得るために、わざわざ遠くから水道を引いたという話ですよ。非常に人工的な滝ではありますが、やることのスケールが違いますね。
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中央の滝の左側には、これを噴水と言うかは微妙ですが、「アクタイオーンの噴水」、
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右側には、「ダイアナの噴水」がありました。この二つの噴水の彫刻は、パオロ・ペルシーコ、トマソ・ソラーリとアンジェロ・ブルネッリが手掛けています。
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アクタイオーンは古代ギリシャテーベの町のヒーローで、悲劇の人物として知られています。彼はケンタウロスのケイロン直々に訓練を受けた狩猟の達人でした。
彼の悲劇の始まりは、狩猟中に女神アルテミスの入浴シーンを見てしまったこと。女神の怒りに触れたアクタイオーンは鹿の姿に変えられてしまい、挙句の果てに、自分の猟犬に襲われて噛み殺されてしまうのです。
こちらはまさに絶体絶命の場面ですね。もう犬が背中に迫っています。 -
一方のダイアナ(ローマ神話)=アルテミス(ギリシャ神話)。彼女は狩り、月、出産の女神です。野生動物や森林に関わる女神であることから、動物たちと話が出来、操ることが出来たと言われています。
こちらは、彼女がニンフたちとまさに入浴(というよりか沐浴?)のために水に入る場面のようですよ。裸を見られた位で、殺すことはないのに・・・ダイアナの株落ちたなあ・・・ -
大滝に向かって右手には、イギリス庭園の入り口が見えました。ちょっくら行ってみようかしら。
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向かって左手はなんというか殺風景です。
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そして、ここからの宮殿の眺めはこちら。手前2つの噴水が見えていますね。見事にシンメトリーな空間が広がっています。
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大滝の前の階段に腰を下ろして、皆ここで一休み。自転車のほか、歩いて来た人、ジョギング、馬車、ミニバス、セグウェイと様々です。
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帰りは英国庭園の中を通って帰ろうと思ってやってきたのに、なんと自転車通行止めです。おまけに自転車には鍵がついていないので、その場を離れるわけにもいかず、踏んだり蹴ったり。
いずれにせよ、1時間では英国庭園の中を散策する時間は取れないと思います。 -
英国庭園の建設は、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(シチリア王としてはフェルディナンド3世、両シチリア王としてはフェルディナンド1世 勘弁してくれ〜!)の妻で、ハプスブルグ家マリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナの希望により作られました。
イギリス人の植物学者が厳選した本格的な庭園で、地図にも木々のありか(ヤシ、サボテン、ヒイラギ、樫、カエデ、クルミ、ツバキ等)が書かれています。また、池や噴水、運河などとともに古代の神殿、劇場、ピラミッドなどが配置されていて、ゆっくり歩いたら1日かかりそうな広さです。
午後の遅い時間からのカゼルタは失敗だったようです。オヨヨ・・・ -
帰り道は激しくすっ飛ばします。
と言いたいところですが、私にそれが出来るわけがありません。所々で自転車を止めてはパチリの繰り返し! -
それでもあっという間にスロープのある場所まで戻ってきました。行く時と帰る時の景色は角度が異なるためか、初めて見るように新鮮です。
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背中に羽が生えた方の後姿越しに宮殿を眺めます。だいぶ近づいたぞ〜!
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こちらは、「アイオロスの噴水」fontana di Eoloと呼ばれています。アイオロスというギリシャ神話に登場する人物実は3人いて、混同されやすいそうです。
ウィキペディアによると1.テッサリア王。2.ポセイドンの子、3.アネモイの主 という3人のアイオロスがいるそうですが、この噴水の主人公は3番のアネモイ(風の神)の主。風を支配する力を持ち、浮島に住んでいる人物です。 -
物語はとても長く複雑ですが、ここで表現されているのは、女神アフロディテの息子で、ローマ建国の祖となったと言われるアイネイアースが乗った船隊を、女神ジュノーの依頼により、アイオロスが洞窟の中に貯めておいた風を放ち、沈めてしまう場面です。
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ここではなんと28体の彫像が使われていますが、元々のプランでは54体使用されるはずだったそう。というわけで、この部分はいまだに未完成な噴水なのです。
計画には、クジャクの引く戦車に乗るジュノーやアイオロス等の沢山の彫像が含まれていたそうです。 -
醜いイルカの子を行きとは反対側から撮ってみました。あまり代わり映えせず。
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ほのぼの馬車がよく似合う道です。
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大滝、噴水、そして運河もそろそろ見納めです。王の王による王のための無駄遣いが許された時代でないと実現できない庭園でした。しかし、今は王様が馬車で、あるいは馬で走った道を自転車で疾走できるのですから、それはそれでとても贅沢な体験かもしれませんね。
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というわけで、なんとか1時間のうちに自転車を返すことが出来ました。やれやれ。それにしても英国庭園。少しの時間でも歩きたかったです。
また、宮殿の西側には大きな人工池(魚池)があったことを後で知りました。イタリア人はローマ時代からこの魚池(ペスキエーラ)が好きですね。トレヴィのヴィッラ・アドリアーノの庭園中央にも池があったことを思い出しました。 -
ヘラクレスの元に帰って参りました。これから王の住居(アパルトメント)にお邪魔します。
日本語のアパートはつつましい、ささやかな住まいですが、王様の住居もこちらではアパートです。それでは早速そのアパートとやらを見せてもらうことにしましょう。 -
王宮は、カゼルタの美しさに惚れこみ、新しいナポリ王国の首都に相応しい、王国の権威の象徴となる宮殿を作りたいと願ったカルロ(スペイン王カルロス3世)により、作られました。ナポリから少し内陸部に建てたのは、海からの攻撃を考慮し、安全面を重視した結果です。パリとヴェルサイユくらいの距離でしょうか?
宮殿は1752年に建て始められましたが、最終的に完成したのは1845年のこと。1200の部屋と1742もの窓のある壮大にして複雑なこの建物は、すべての時代においてより調和的、より論理的、より完璧な建築物の一つとも、イタリアバロック時代の最後の偉大な創造とも言われています。なにせ、建物の長さが249mもあるんですからね。 -
ヘラクレスの像のとは反対側、左右に彫像の置かれた入り口から「名誉の大階段」を上っていきます。
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素晴らしい大理石の壁の間を大階段が上に伸びています。この階段は2009年に公開された映画「天使と悪魔」の中で、ヴァチカンの階段として登場しました。なんでも、踊り場までの階段部分は、一塊の大理石から作られていると聞いて口あんぐりです。
中央に見える寓意像は皇室の尊厳を表すもので、ライオンに乗っているのは、権力の象徴だそうです。「アクタイオーンとダイアナの噴水」を制作したトマソ・ソラーリ作。 -
見上げると、光がさんさんと射してくる明るいドーム天井が見えました。はた目にはわかりませんが、木で作られているのだそうです。建築家ヴァンヴィテッリのマスターピースとも言える作品です。
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踊り場手前で、2頭の大理石製のライオンが出迎えてくれました。軍隊と武器という力を象徴しているそうです。こちらも「アクタイオーンとダイアナの噴水」を作ったパオロ・ペルシーコとトマソ・ソラーリの作品です。
向かって右側のライオンと -
そして左側です。このライオンの足元に王冠が置かれていますね。
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ここから階段は二手に分かれ、列柱の立ち並ぶギリシャ神殿のような空間へと導かれます。今までに経験したことのない空気が流れています。
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重厚な重々しい階段が行きついた先は・・・
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2階の古代の神殿のような王達の住処のロビー(ヴェスティーブレ)です。
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浅浮彫のある丸いドーム天井のロビー(ヴェスティーブレ)の先は、1784年に完成した王室パラティーノ礼拝堂になっていました。第二次大戦中の1943年には、アメリカ軍の爆撃を受けて損傷を受けています。
そして、なぜだかわかりませんが、礼拝堂の写真が見当たりませんでした。グスン・・・ -
ハーバーディアーズの部屋
ヴァンヴィテッリによって設計され、彼の息子カルロが完成させた、王のアパートの5つの前室のうちの最初の部屋です。 -
ボディガードの部屋
2番目の前室で、豊かな壁の漆喰装飾から「スタッコの部屋」とも呼ばれています。
右側に見える彫像は、ローマの司令官の服装をまとったアレッサンドロ・ファルネーゼで、彼はフランダース地方のプロテスタントをカトリックに宗旨替えさせた功績により、寓話の「勝利」から王冠を授かっています。彼に踏んづけられているのは、プロテスタントかな? シモーネ・モスキーノ作。 -
この部屋にあるものは、1789年、カルロス3世が彼の母親エリザベッタ・ファルネーゼからの相続により、ローマのファルネーゼ宮から移動させたものです。
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メモがないので、どの部屋だったか失念しましたが、ネオクラシック様式でまとめられた天井です。人々は皆ローマ時代の衣装をまとっていますね。色彩がとても綺麗です。
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軍神マールスの部屋
この部屋は、肩書のある人、王室の伯爵、高級官僚、外国の外交官などが使用した待合室で、ネオクラシック様式の装飾は、戦争の神マールスがメインテーマとなっています。 -
寓話像のレリーフもミリタリー調です。二人の「勝利」が宙を舞っています。レリーフはヴァレリオ・ヴィッラレアレの作品。
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マルスの部屋の天井にあった信じられないほど発色の良いフレスコです。1815年アントニオ・ガッリアーノ作の「トロイの王子ヘクトールの死とアキレスの勝利」。ヘクトールはトロイ軍最強の戦士でしたが、アキレスに敗北しました。
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最後の前室に当たる「アストライアの部屋」。
アストライアはギリシャの女神。正義の女神と言われていますが、あまり聞き覚えがありませんね。この部屋は最上級の客 肩書のある紳士、大使、特権階級の人用の待合室として使われました。 -
天井のフレスコにそのアストライアが登場しています。天秤を持っているのがアストライア。彼女の両脇は「真実」と「潔白」の寓話像です。
フランスの画家ジャック・ベルグールの作品。 -
そして、いよいよ「玉座の間」に入ってきました。長さが40m以上、大きな窓と天窓が6つずつあるためか、他に照明は見当たりません。窓からの光が幻想的な雰囲気を醸し出していました。
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見て味わってください。この部屋の長さと雰囲気を!
完成したのは着工以来100年近くたった1845年のことだそうです。この部屋が最後に完成した場所なんですね。 -
天井のフレスコは、ナポリの画家ジェンナーロ・マルダレッリによる「1752年1月20日、宮殿の礎石を置く」。1844年の作品です。
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玉座は意外と簡素でした。木に金メッキとベルベットでコーティングしてあります。完成が1845年ということは、両シチリア王国のフェルディナンド2世(在位1830年〜1859年)がようやく間に合ったということになります。それからわずか15年後、両シチリア王国はガリバルディに滅ぼされ、イタリア王国が誕生することになるのです。
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公の場を抜けると、王の居住空間アパルトメントに入ります。1200もある部屋のごく一部を公開しているようです。一部屋1分としても、1200室あったら20時間もかかることになりますから、とても全部を公開するのは無理な話。維持するだけでも大変でしょうね。
こちらは王の会議室。ヴァンヴィテッリがカルロス3世のために設計した部屋です。壁にかかっている絵は、フランチェスコ・オリヴァの「グラッキの母コーネリア」。コーネリアという人は、ローマ時代の徳の高い婦人として、しばしば絵のテーマに取り上げられています。
深紅のベルベットが張られたトップとゴテゴテの装飾。そしてメダリオンとプットという組み合わせの中央のテーブルは式典用のものだそうです。 -
灯台のような、船を持ち上げて重さをはかる天秤のような、この摩訶不思議な模型は一体何でしょうか?
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アパルトメントの豪華な調度品にはあまり興味のない私はこの様なものばかり撮っています。
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済みませ〜ん! どなたかご説明いただけませんか?
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天蓋付きのベッドもいくつかあったような記憶。けばけばしくないので、こちらのマホガニーのベッドは割と気にいりました。
ナポレオン・ボナパルトの評判の悪い妹カロリーヌと結婚したフランスの元帥で、一時ナポリ国王(在位1808年〜1815年)となったジョアシャン・ミュラの部屋です。この方軍人としては大変優秀なのですが、いったん馬を下りると「優柔不断で浅はかで軽薄」な男なのだそうですよ(ウィキペディアによる)。最後は転落の道を辿るのですが、ナポリ王時代の評判は必ずしも悪いものばかりではなかったようです。 -
ジョアシャン・ミュラの第二前室天井にあった「パリスによるヘレネーの誘拐をそしるヘクトール」。ジュゼッペ・カララーノ作。
トロイ戦争の引き金となったのはアフロディテに命じられて行ったパリスによるスパルタの人妻ヘレネーの誘拐でした。国を第一に考える兄のヘクトールに対し、弟パリスは平然としている様子です。 -
続いての第一前室にあった天井は「オデッセイア」が題材でした。「キューピッドの矢を受けたミネルヴァにより傷が癒えるテレマコス」フランツヒルの作品。
テレマコスは父オデッセウスの息子で、トロイ戦争に出征して戻らない父を探す旅に出て、様々な困難と立ち向かうことになります。 -
こんな広いバスルーム使い勝手悪そう! と思うのは日本人だから?
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1814年〜22年の間に作られたフェルディナンド2世のベッドルームです。マホガニーのベッドには天使、部屋中央の丸いテーブルの足には羽の生えたライオンの彫刻が施されています。
壁際のチェストの上の、聖母の白い胸像が目を惹きます。 -
フェルディナンド2世のベッドルームの前室。ヴォールト天井には、バッカスを描いたトロンプイユ(だまし絵)がありました。フランツ・ヒルの作品。
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この辺りで公開部分は行き止まりのようで、40mある玉座の間の反対側を戻っていきます。
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羽の生えた方々のレリーフがあちこちで見られます。こちらも先ほど通った「アストライアの部屋」。行きと帰りでは雰囲気が異なりますね。
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壁と天井一面がレリーフで覆われた「マルスの部屋」。戦いにまつわる兜、鎧が沢山見られますが、私が一番気にいったのはヤシの葉の模様。
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心落ち着かせる風景画が並べられた「春の間」。ヴェスヴィオス火山が煙をはいている絵もありますね。
天井画は、シチリア出身アントニオ・デ・ドミニッチによる「春の寓話」です。 -
春の次ですから当然、こちらは「夏の間」。この部屋は以前王が「裁判」用に使ったことがあるそうです。
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天井には、なぜか春の女神プロセルピナが描かれています。フェデーレ・フィスケッティ作。
ユピテルとケレースの娘プロセルピナは冥府を司るプルートーに浚われて、1年の半分を地下世界で、半分を地上で過ごすことになります。彼女が地上に戻ると、春となり、地は緑で覆われるようになると言われています。 -
「秋の間」です。天井のフレスコはアントニオ・ドミニーチ作の「バッカスとアドリアネの逢瀬」。
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そしてこれが最後の「冬の間」。再び風景画の世界です。冬と言っても温かい南のナポリですから、イノシシ狩りの風景が2枚もありました。雪や氷が描かれているものは皆無でした。
天井には、フェデーレ・フィスケッティによる北風の神ボレアスのフレスコが描かれています。 -
王の書斎(またの名を玉座のギャラリー)は、フェルディナンド4世のお気に入りの絵で満たされていました。カーヴァ・デ・ティッレーニの町、サン・レウチオの収穫風景、サレ川の渡し船、カゼルタの英国庭園、カプリやペルサーノ、イスチダの町等を王の希望で描いたのはジェィコブ・フィリップ・ハカートです。すべて1782年の作品。
ひときわ豪華な黒檀のキャビネットは、アダム・ヴァイスヴェーラーの作品(ここにあるのはコピー)。大きな鏡の後ろには、秘密の喫煙室へと続く廊下が隠されているのだそう。 -
フェルディナンド2世(在位 1830年〜1859年)のベッドルーム。1859年にプーリア州の田舎から息子フランチェスコ2世とその未来の妻マリア・ソフィア(バイエルン公爵夫人)とともに戻ってきたばかりの王が亡くなった部屋でもあります。
船のような形のベッドは珍しいですね。ベッドの長さが足りないような気もしますけれど。 -
これは、フェルディナンド4世の妻と言うよりは、事実上の女王だったマリア・カロリーナ(ハプスブルグ家出身。マリア・テレジアの13番目の子)のバスルームの天井だったかな?
肝心のバスルームを撮っていません。この辺り天井ばかりです。フェストーンと呼ばれる金メッキの花綱がとても綺麗でした。フェデーレ・フィスケッティ作。ロココ調で、王の部屋とは雰囲気がだいぶ異なります。 -
こちらの天井も女性らしい雰囲気が漂います。花綱が雲の中に消えていく演出はにくい・・・
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スタッコ細工のキャビネットのある部屋。こちらも花綱の装飾が中心です。
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「レディの語らいの間」またの名を「女王のおしゃべりの間」は、1799年の作。フレスコはバスルームと同じフェデーレ・フィスケッティが描きました。
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「アウローラ(=エオス ギリシャ神話 曙の女神)によるケパロスの誘拐」が描かれている天井(こちらはフェデーレ・フィスケッティとフィリッポ・パスカーレの作品)を持つこちらの部屋は、女性客のための待合室です。
女性を意識してか、壁はクレオパトラ、カルタゴのソフォニスバ、アレクサンドロス3世の妻ロクサネ等、古代の有名な女性の絵で飾られています。 -
ここから2つの読書室、3つの図書室が続きます。これだけのスペースを図書用に充てていたのは注目すべき点ですねえ。壁はネオ・クラシック様式だそうです。
こちらは第一読書室です。 -
英国庭園が大好きだった王の趣味による植物に関する書物のディスプレーがありました。ボタニカルアートの元祖とでも呼べそうですね。
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ナポリ派の巨匠ルカ・ジョルダーノの絵画で飾られた第二読書室です。
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こちらは第一図書室です。
書棚はクルミとマホガニー製のがっしりとした造り。数十年の歳月をかけて集められた書物のコレクションは、歴代の王の個人的な趣味の世界だけでなく、国土の分断,拡張等国家の浮き沈みの影響を色濃く反映しています。
書棚の上に飾られている花瓶は、1830年代に作られたもので、ポンペイやエルコラーノの遺跡から発見された壺をモデルにしています。
手前にある低い棚には、この宮殿の産みの親であるルイジ・ヴァンヴィテッリによる素描(スケッチ)が収められています。棚の上にある2本の燭台は、いかにも帝国風なイメージ。 -
そして天井。これなら落ち着いて本が読めそうです。
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第二図書室はやや煤けていました。
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一番立派だったのは、こちらの第三図書室です。
前述の事実上の女王マリア・カロリーナがドイツの画家フリードリッヒ・ハインリッヒ・フューゲルに装飾を依頼したものです。
壁の題材は全て古典から選ばれています。星座早見盤のついた二つの地球儀はフェルディナンド4世の義理の兄弟であるフランス王ルイ16世から贈られたものだそうですよ。ルイ16世はフランス革命後の1793年に処刑されてしまいましたね。 -
長い図書室の後には、私を興奮させる展示物が待ち受けていました。巨大な楕円形のホールの中にそれはありました。
イタリアのクリスマスには欠かせないプレゼーピオのコレクションです。ガラス越しなので、あまりきれいに撮れていなくて残念! -
ラクダを操るアフリカの人々が生き生きと描かれています。おサルさん見っけ!
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こちらはだいぶ現代に近づきましたね。テーブルの上にはゆで卵、チーズ、パン、あと何だろう? 緑のものはスイカかな?
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買い物風景は今も昔もあまり変わりません。先の尖った買い物かご可愛い!
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丁寧に作られた衣服がリアリティを高めています。左側のご婦人は果物を一杯にした籠を抱えておうちに帰るところかしら?
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これらのコレクションは、長い間盗まれたり、行方不明になっていて戻ってきたものも含まれており、最近になって復元されました。
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ナポリでは、カルロス3世時代にプレゼーピオが盛んになりましたが、なんといっても一番のコレクターは、フランチェスコ1世(在位 1825年〜1830年)だったようです。
ここにあるコレクションは、芸術家や職人だけでなく、宮殿の御姫様や小間使いなども加わって、色とりどりのシルクやフィリグリー、サンゴ等の宝石を用いて羊飼いの服やリッチなご婦人、商人などを作りあげたのだそうですよ。 -
巨大なプレゼーピオ「聖誕」。18世紀後半の作品だそうです。こうした雑多な人種のるつぼのような場所でキリストが誕生したんだと実感。日本のクリスマスのイメージからはかけ離れていますね。
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大変大きなプレゼーピオで、360度ぐるりと回ってみることが出来ます。角度により、全く異なった場面が展開されるので、見飽きることがありません。いくら時間があっても足りやしない・・・
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お店のある風景。売られているのは魚かな?
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ロバの引く荷車にズームイン!
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鶏がうろうろしている庭先で、お二人さん何をしているのかな?
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前のテーブルではなんとスパゲティを食べていますよ。服装からして上流階級のカップルですね。
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ここは羊の群れの中の様です。
地面に撒かれているのはコルク屑ですって。 -
「聖誕」というタイトルにもかかわらず、最後まで幼子を見つけられませんでした。トホホ・・・ですね!
いやあ このプレゼーピオの周りを何周したことか! これだけでもカゼルタに来た甲斐がありましたよ。 -
宮殿の最後の公開部分は小さなギャラリーになっていました。
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先ほど見たばかりの地球儀の脇に立つ両シチリア王国の王子たちと
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それを贈ったフランスのルイ16世。マリー・アントワネットの夫です。
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ギャラリーの天井にも、美しい花綱模様が施されていました。カゼルタの宮殿はこれにて終了です。
庭園は意外性があまりありませんでしたが、南イタリア人のギリシャ文化への深い傾倒を再認識できました。英国庭園を見られなかったのが痛かったです。宮殿では18世紀の産物の図書室とプレゼーピオのおかげで、すごく得した気分になりました。 -
ナポリ滞在最後の写真は、カゼルタからの帰り道に見たヴェスヴィオスです。この4日間、いつもそばにいて、様々な表情を見せてくれた山でした。治安の悪さというよりガラの悪さにチョッピリ慣れた頃にお別れです。あまりに駆け足過ぎて、ナポリの大部分を見逃したような気がしますが、また戻ってきますから、次回は工事中なしでお願いね!
この続きは「イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その45 バーリで」!
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この旅行記へのコメント (2)
-
- menchiさん 2016/01/20 16:22:02
- 初めまして
- junemayさん、初めまして。menchiと言います。
旅行記2編読ませて頂いて、しっかりと調べられていてとても感心いたしました。
私も、短期間の旅行でしたが南イタリアに2度行きました。
カゼルタにも、一昨年に訪れて、旅行記もかいています。
パラティーナ礼拝堂についての貴女さまの記述に有る言葉で謎が溶けたので、お礼のコメントを致しました。
石の柱が無惨に傷ついていて、これは何が起こったのか謎のまま旅行記にも載せておりました。
第二次世界対戦時のアメリカの爆撃のせいだったのですね。
と言うことは、かなり激しく破壊されたんでしょうね。
其を今の様に修復したと言うことですね。
あの日の感動が更に感慨深い物と成りました。
有り難うございました。
junemayさんは、ヨーロッパの歴史をお勉強されている方ですか?
写真に添えられている文章が、詳しく的確で、イタリアが大好きな私には大変為になり、有り難いものです。
フォローもさせていただきました。
これから、よろしくお願いいたします。
menchi
- junemayさん からの返信 2016/01/20 20:47:36
- RE: 初めまして
- menchiさん こんばんは
嬉しいお便りありがとうございました。
歴史を勉強しているだなんてとんでもない!
好奇心のなせるわざで、旅行記を書く前に疑問に思ったことをインターネットで調べているだけなんです。
だから、もしかしたら間違っていることを書いているかもしれません。
日本語、英語のサイトで見つからない場合は、イタリア語のサイトで見つかることが多いのですが、それを翻訳ソフトで英語に直しているので、細部に関しては全く自信ないです。間違っていたらごめんなさいと申し上げておきます。
そんなことを繰り返しているので、旅行記は遅々として進まず、昨年の旅行ももう忘れている部分が多くなってきており、これから先がちょっと不安です。さらにしょっちゅう野暮用や旅行で更新できないでおります。今日も九州に来ております。1週間滞在予定なので、旅行記は来週まで更新お預けです。
そんな私ですが、よろしければどうぞ時々覗いてみてください。私もmenchiさんのサイトを覗かせていただきます。
ありがとうございました。
> junemayさん、初めまして。menchiと言います。
> 旅行記2編読ませて頂いて、しっかりと調べられていてとても感心いたしました。
> 私も、短期間の旅行でしたが南イタリアに2度行きました。
> カゼルタにも、一昨年に訪れて、旅行記もかいています。
> パラティーナ礼拝堂についての貴女さまの記述に有る言葉で謎が溶けたので、お礼のコメントを致しました。
> 石の柱が無惨に傷ついていて、これは何が起こったのか謎のまま旅行記にも載せておりました。
> 第二次世界対戦時のアメリカの爆撃のせいだったのですね。
> と言うことは、かなり激しく破壊されたんでしょうね。
> 其を今の様に修復したと言うことですね。
> あの日の感動が更に感慨深い物と成りました。
> 有り難うございました。
>
> junemayさんは、ヨーロッパの歴史をお勉強されている方ですか?
> 写真に添えられている文章が、詳しく的確で、イタリアが大好きな私には大変為になり、有り難いものです。
> フォローもさせていただきました。
> これから、よろしくお願いいたします。
>
> menchi
>
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