2015/12/15 - 2015/12/15
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旅人のくまさんさん
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富士山が2013年に世界文化遺産に登録される際、最後まで議論の対象となったのが、三保の松原の扱いでした。多くの国が賛成したことで、晴れて三保の松原が構成要素に認められました。
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今回の富士山眺望は、これでおしまいです。綿帽子の光景が続いていましたが、この姿が見えただけでもラッキーな天候でした。最後は、富士山が薄目を開けたような光景でした。
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団体客が見学を終えて戻るところです。三代目の羽衣の松や、羽車神社の周りの人影が無くなってきました。
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羽車神社の正面光景です。参拝の人がいなくなったところで、再度の撮影です。日本神話によれば、須佐之男之命(すさのおのみこと)の子の大国主之命が、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)に国譲りしたことで、天照大神は高皇産霊尊(たかむすびのみこと)の子の中で一番美しい三穂津姫命を大国主之命の大后に決めたとされます。
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羽車神社の小さな社のズームアップ光景です。日本神話の続きです。大国主命は三穂津彦命と改名され、三穂津姫命の二神は揃って羽車に乗り新婚旅行に出掛け、景勝の地、三保の浦に降臨したと伝えられます。
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バスの駐車場所での再集合時間まで、まだ余裕がありましたから、人が少なくなったところで、三保の松原をもう一回りしての見学です。
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松の落ち葉が散り敷いた砂丘の光景です。マツボックリも、所々に落ちていました。マツカサ(松毬、松傘等)を意味する『松ぼくり』は、晩秋の季語になっています。
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『新三景之碑』の文字が刻まれた立派な石碑の光景です。大正5年(1916年)に選ばれた日本新三景は、大沼(堰止湖)、三保の松原と耶馬渓です。因みに、日本三景は、松島、天橋立と宮島(厳島)です。
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『羽衣の碑』です。『エレーヌの碑』とも呼ばれています。フランス人の『エレーヌ・ジュグラリス(1916-1951年)は、ブルターニュ地方で生まれた舞踊家です。医師である父が、現代舞踊の母と呼ばれる『イサドラ・ダンカン(1877〜1927年)』の主治医であったことから、エレーヌは幼い時から彼女の子供たちと一緒に暮らし、舞踊の手ほどきを受けました。後年、西洋の舞踊にあき足らず、もっと優美で叙情的なものを追求した結果、辿り着いたのが、日本の能でした。エレーヌは自分の追及した『羽衣』を1949年3月、ギメ美術館のホールで初演し、大成功を収めました。1949年6月の公演中、『羽衣』の衣装を纏ったまま舞台で倒れ、二度と舞台を踏むことなく1951年に35歳で亡くなりました。碑のレリーフは、朝倉京子氏作の能面を見つめるエレーヌ夫人像です。
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エレーヌ夫人が最期まで憧れを抱き続けていたのは、能の『羽衣』の舞台、三保の松原でした。『私の代わりに、三保を訪ねてください』とのエレーヌ夫人の遺志を果たすため、夫のマルセル・ジュグラリス氏が、遺髪と手作りの能装束を手に三保を訪れたのは、昭和26年(1951)11月のことでした。この石碑の詩は、マルセル氏が詠んだものが和訳されたものです。
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マルセル氏の訪日以来、50年の節目にこの地を訪れた駐日フランス大使の記念植樹の立札です。マルセル氏が携えてきたエレーヌ夫人の遺髪は『羽衣の碑』に収められ、能装束や楽譜などの遺品は、清水中央図書館のメモリアルコーナーに展示されています。
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最後にもう一度、『エレーヌ夫人の碑』の周りの光景の紹介です。彼女の功績の顕彰と、日仏文化交流の記念碑の建立は、昭和27年(1952年)11月のことでした。建立除幕式では、在日フランス大使をはじめ、浜辺を埋め尽くすほどの人々が参列する中、梅若万三郎師一門が『羽衣』を上演しました。今は、『エレーヌ夫人顕彰式』に引き継がれ、継続されています。
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帰り道での『神の道』の光景です。この通りも世界文化遺産のエリアに含まれています。韓国の、朝鮮王陵や宗廟の神道が、同じ意味合いを持っているようです。どちらも世界文化遺産に登録されています。
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『東海道名所図会』を紹介した立て看板です。三保の松原で始まる名所案内の締め括りの言葉が、『その中央に三保神社立ち給う(ふ)』でした。
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『閑吟集・三保が洲崎』を紹介した立て看板です。『閑吟集』は、室町時代の永正15年(1518年)に成立した歌謡集です。姓名不詳の桑門(世捨て人)によって纏められた311首の歌謡集です。
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5番まで紹介された『ちゃっきりぶし』の立看板です。作詞家が北原白秋、作曲家が町田嘉章です。年代が離れているように感じましたが、北原白秋(1885〜1942年)と、町田嘉章(1888〜1981年)と、三つか離れていませんでした。町田嘉章さんの声は、民謡のラジオ番組の解説役で耳にしていました。
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往きには前を素通りしただけでしたが、帰りに立ち寄った、御穂神社です。入口脇に神社の縁起が紹介されていました。三保大明神の名前が併記されていました。
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御穂神社の境内光景です。社殿は徳川家康によって整備されたものの、寛文8年(1668年)に落雷による火災で焼失しました。
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社殿が焼失した後、江戸時代中期に仮宮(かりみや)として建てられたものが、現在まで続いているようです。現在の本殿は入母屋造で、静岡市指定有形文化財に指定されています。灯籠に立てかけられた石造の扁額が、焼け残りのように思えました。
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『神馬の由緒』と記された立て看板の横にあった建物光景です。左端は、松者が並んだ五社です。
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御穂神社拝殿の全景です。神社の創建は不詳ですが、『駿河雑志』では、日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとも、出雲国の御穂埼(現・島根県松江市美保関町)から遷座した神であるとも伝えられます。
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御穂神社拝殿のズームアップ光景です。世界遺産に登録されたためでしょうか、境内の露地部分は、見事な箒の跡が付いていました。
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青色の梱包の『臥龍梅』の菰樽です。奉納されたもののようです。日の出桟橋から出向したフェリーの中で、このお酒を飲みました。
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注連縄を飾った、唐風の造りの玄関を持った建物の光景です。社務所のようです。
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拝殿の横に2個置かれていた、大きな鉄製らしい金属製の容器です。防火用水のようでした。
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逆光の写真になりましたが、神社やお寺には付き物のソテツ(蘇鉄)の光景です。裸子植物のソテツ科の常緑低木です。
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須佐之男命と稲田姫命を祀る、摂末社の子安神社です。小さな鳥居がありました。
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お神籤掛けです。6列に渡された紐にお神籤が結ばれていました。
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手水舎の光景です。右手に黄葉の公孫樹、左手に多段に刈り込まれた常緑樹の庭木がありました。
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最後に御穂神社を見学し、再集合場所のバスの駐車場に向かいました。ここからですと、歩いて5分もかかりません。御穂神社の鳥居腰に眺めた、『神の道』の光景です。
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バスの駐車場の周りに掲示してあった三保の松原からの富士山の光景です。またの機会を楽しみに、今回の富士山見学の紹介を締め括ります。
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