2015/05/14 - 2015/05/14
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ヴィッラ・チンブローネに長居しすぎたようです。もう一か所の目的地ヴィッラ・ルーフォロにも時間がかかりそうだし…私の様な人間がアマルフィに日帰りで来ようなんて考えそのものが間違っていたとしか思えません。何せ亀の歩みなんですもの。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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帰りも高い胸壁の間の道を通ります。行きと同じ道のはずなのに、何故か反対側から見る景色はまた格別。風景がまるで違って見えます。
でもそろそろ急がなくっちゃね。 -
「猛犬注意」のタイルが、あちこちの家の表札そばに貼られていました。ラテン語でcaveは「注意してください」。canemは「犬」です。正しく言えば、猛犬とはどこにも書いてありませんね。見ての通り、絵の犬の迫力から想像せえッというところでしょうか。
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ほらこちらにも・・・
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上の「猛犬」のタイルがあったお宅ですが、思わず覗いてしまいました。素敵なオウチですね。こんなことしていると、猛犬に吠えられるかな?
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頑張って早く歩きましたよ。もう、ドゥオモの鐘楼が見えてきました。ドゥオモ前の広場からは見えなかったので、お初にお目にかかります。13世紀に建てられた2階建ての鐘楼です。
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ドゥオモの鐘楼の手前に、見事な笠松があります。その松の向こうに見える古い塔の辺りがヴィラ・ルーフォロのようです。はてと、この辺りから入口はあるのかな?
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相変わらず祠を見つけると、吸い寄せられる私。
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別荘の入り口だと思って近づいていったこちらは、ホテル・ルーフォロでした。19世紀初頭に開業した由緒あるホテルです。ヴィッラの入り口を尋ねたら、ドゥオモ広場まで戻れと言われてしまいました。こちらからは入れないんだぁ・・・
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結局ドゥオモ広場まで戻ってきました。ラヴェッロに到着して最初に見た塔がヴィッラ・ルーフォロのトーレ・イングレッソだったんですね。
この案内板の隣にある塔をくぐり、しばらく進むと別荘の建物が見えてきます。 -
この写真はグーグルさんからお借りしました。こちらがトーレ・イングレッソ。その名もずばり、入口の塔です。13世紀初頭に建てられた、裕福な貴族ルーフォロ家の別荘です。
ボッカチオは「デカメロン」のなかで、ラヴェッロの貴族ランドルフォ・ルーフォロを主人公にした一篇を書いています。デカメロンを熟読したことはないのですが、確か「千夜一夜物語」のようにオムニバスでたくさんの話が登場したように記憶しています。もちろんランドルフォと言う人は実在人物ではありませんが、すでに金持ちなくせに、もっともっと金儲けしたいと欲張る貿易商人として登場しますので、実話を元にしているのかもしれません。 -
塔からの道をまっすぐに進むと、ぶつかるのがこちらの建物、キオストロと呼ばれていて、実際に中に回廊(キオストロ)がありました。
外見は何の変哲もないけれど、壁にはムーア調の幾何学模様の装飾が施されている、アラブ風文化の影響が濃い建物です。 -
裏に回るとこんなつぎはぎだらけの建物出現。色々な年代の建物が繋がっている感じです。お庭のバラが綺麗に咲いていました。
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これがキオストロだったかなあ・・・記憶が曖昧になっています。そして、進行方向に見える階段を上ると、
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目の前に、さきほど笠松の後ろに見えたトーレ・マッジョーレが姿を現しました。高さ30mで3階建て。この別荘で最も古い建築物で、ルーフォロ家の社会的、経済的そして政治的象徴でもあります。塔を建てるということは、すなわち中世貴族の富と力を見せびらかす目的が主だったんですね。
昨年訪れた塔の町サン・ジミニャーノもその典型でした。 -
入口で頂いたパンフレットには、塔の上からは素晴らしい海と山の眺望が楽しめるとあったのですが、なぁんだ、中には入れないようです。
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トーレ・マッジョーレのそばにあった古い井戸。標高の高いラヴェッロでは、水の確保は最重要事項のはず。
井戸の周辺には、古い遺跡や外国の植物や木々が植わっていて、ワグナーの心を捉えた「魔法の庭園」の始まりを予感させるものがあります。
どなたか熱心に井戸の写真を撮っていますよ。 -
マネして写しては見たけれど???
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ヴィッラ・ルーフォロを訪れた人なら必ず向かうベルベデーレ(展望台)に行く途中に、カメラのSDカードが「容量一杯です」との合図を送ってきました。
新しいSDカードに入れ替えて、さあ32GB撮りまくるぞ! 実際にそれから約1か月、目いっぱい撮って、ほぼ32GB撮り終えたのです。そして帰国した翌日、悲劇が起こりました。
SDカードをカメラから抜いて、PCのHDDに移す作業を開始したら、突然「このSDカードはフォーマットされていません。フォーマットしますか?」という文章が表示されたのです!!
何が悪かったのかはいまだにわかりません。何らかの理由で、SDカードがダメージを受け、全く読めない状態になってしまいました。
こんなしょうもない写真ですが、5月14日から6月9日まで毎日撮りためた写真が一瞬にして消えてしまった瞬間でした。驚愕!! -
慌ててカメラに戻してみましたが「フォーマットしますか?」と同じ表示。あれこれやっても駄目と分かり、絶望の淵へ・・・最後の頼みの綱、データを復旧、回復させる業者さんに修理を依頼しました。
なにせ32GBと大容量だったため、もう1回イタリアへ行けるくらい費用がかかりましたが、まあそれは仕方ないとして、新しいSDカードの冒頭の100枚ばかりは、とうとう復活しませんでした。悲しい!!
てなわけで、この写真が古い方のSDカード最期の写真です。そして、肝心のベルベデーレ他の写真は没・・・というお粗末な結果になりました。いつものことですがトホホです・・・
でもねえ。あとの99%くらいは復活出来たんですから良しとしなきゃ。そう思って、この写真をみると、実に感慨深いものがあります。 -
ウィキメディアコモンズ(the Creative Commons Attribution)から3枚の写真をお借りしました。トーレ・マッジョーレからムセオと書かれた建物沿いに進むとこちらの庭園兼展望台に出ます。前述したように、ワグナーがオペラ『パルジファル』の第2幕「クリングゾルの魔法の庭」を作曲した庭です。
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こちらの1枚は、美しすぎです!! 同じくウィキメディアコモンズ(the Creative Commons Attribution)からの1枚。
下に見えるロマネスクの教会がまたいいんです。ラヴェッロに古くからある村の中央に建つこの教会は、1287年に建てられたサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会。ミラノにある有名な教会と同じ名前ですね。二つ並んだ味わいのある鐘楼とエメラルド色の海、そしてこの松です。 -
写真がないから負け惜しみみたいに聞こえますが、庭園としては、ヴィッラ・チンブローネの方が楽しめます。ただ、この景色があるから、ルーフォロも負けていません。是非両方行かれて、ご自分で見比べてみることをお進めします。こちらもウィキメディアコモンズ(the Creative Commons Attribution)からの写真を使用しています。
庭園の先には、最近の調査で発掘された浴場跡、劇場、食堂などを見ることが出来ます。
写真がないので(泣)、ラヴェッロはこれでお終いです。バスに乗って再びアマルフィの町に戻ります。そして、復活したデータの一番最初の記念すべき1枚は、なんとアマルフィのドゥオモの左奥にある、「天国の回廊」から始まります。
ごめんなさい。飛びますよ! -
ついでにもう1枚、ウィキメディアコモンズ(the Creative Commons Attribution)からお借りすることにしました。
はい、突然ですがアマルフィに戻って参りましたよ。アマルフィでまず訪れたのは、この街のシンボルのドゥオモです。小さな町にこんな大きくて立派な大聖堂?!
小さくても一つの立派な自治共和国だったアマルフィの人々の心の支えとなったドゥオモです。正式名称は、聖アンデレ大聖堂。あのX十字に架けられて殉教したイエスの使徒の一人アンデレに捧げられた教会です。 -
復活したSDカード最初の写真は、「天国の回廊」と呼ばれるドゥオモの長い階段を上った左手奥にある美しい回廊からスタートです。いつもなら、ファサードから延々と写真が続いてここに至るのですが、てなわけで、「天国の回廊」から仕切り直しです。
入場の際にいただいたパンフレットによると、ここは1266年から1268年の間に司教フィリッポ・アウグスタリッチオの命を受け建設されたもので、当初はアマルフィの貴族たちの墓地として使用されたのだそうです。 -
2本ずつの柱がずらりと全部で120本立ち並ぶ、白い回廊は、アラブ・ノルマン様式と呼ばれていました。尖ったアーチが独特の編み込み模様を形成する、今までに見たことのない様式の柱廊です。
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回廊を歩いていくと、ところどころにかつての礼拝堂があり、かなり傷んだフレスコ画を見ることが出来ました。
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回廊から、1180年〜1276年にかけて作られた鐘楼を眺めることが出来ます。鐘楼は最上階を除いては四角形ですが、最上階だけはご覧の通り周りに4つの小さな円筒を配置した大きな円筒形(その上にまた小さな円筒をのっけている)をしています。そしてこの部分の壁は、マジョルカ焼のタイルで複雑に装飾されています。どう見ても教会と言うよりはモスクの雰囲気。こちらもムーア式の彩色だそうです。
ここからは見えませんが、とんがり帽子の屋根は緑色の瓦で覆われていて、エキゾチックな雰囲気が楽しめます。 -
天国の回廊。最初の写真とは正反対の角までやってきました。中央には地中海風の緑の庭園が見えますね。
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こちらの礼拝堂のフレスコも痛みが激しいです。顔の部分は皆はがされていますね。まるで、イスラム教徒に削られたトルコの岩窟教会の様です。
一番上に描かれた人物だけが破壊を免れました。キリストだと思いますが、資料がないので定かではありません。 -
こちらも小さな礼拝堂です。いずれも13世紀から14世紀にかけて作られたものだそうです。入口のフレスコは消えかかっていましたが、中に入ると・・・
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ご覧の通り、キリストの磔のフレスコが綺麗に残っていました。1250年〜1300年にかけてジョットの弟子で、ここカンパニア州で活躍していたロベルト・ドデリーショRoberto d'Oderisioの作品です。
キリストの両脇には二人の泥棒、十字架の下には聖母、ヨハネ、マグダラのマリア、ナポリを支配していたアンジュー家の武具を身につけた兵士たち等が描かれています。
そして天井には、無邪気なプット達が。 -
こうやって見ていると、どこかイスラムの国に来たような錯覚を覚えます。せっかくの純白の外壁が、一部汚れていて残念でした。
この回廊、17世紀には放棄されて長い間廃墟寸前となっていたそうです。その後修復が行われ、1908年以降一般公開されるようになりました。 -
回廊の突き当りに、「磔のキリストの聖堂」への入り口がありました。ここは、596年に最初に建てられたドゥオモの一部分です。現在は博物館になっています。
入口左側にある柱は、大変古そうですね。よくよく見るとベイズリーのような紋様がある美しい石です。
扉の上には、「1908年アマルフィの大司教エンリコ・デ・ドメニシスが、アマルフィ共和国の偉大な栄光の歴史をとどめるために、この回廊を自費で復元」と書かれた碑文がありました。 -
残念ながら、フレスコは殆ど消えかかっていました。1994年に行われた大修復の際には、その上に施されたバロック様式の外観を排除し、オリジナルのビザンチン様式の構造を可能な限り復元したそうです。
トルコにある岩窟教会にとても似ていますね。
岩窟にも、左下にあるようなニッチェが沢山彫られていたのを思い出しました。 -
手前の壁と床の部分だけ新しいので、やや違和感がありますね。
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上の写真の左側部分です。こ聖堂は列柱で仕切られた三廊式で、バロック様式の装飾が剥がされた結果、身廊の壁は真っ白に塗り直されています。
今見ているのは側廊部分にあるかつての礼拝堂です。 -
壁のフレスコは、コズマとダミアーノの生涯、福者ジェラール・サッソの生涯からの物語が描かれていると書かれていましたが、どれがどれだかわからないほど傷んでいました。
横壁の方が綺麗に残っていますね。 -
グラッツィエまたはイドリアのマドンナと呼ばれる像です。14世紀のナポリ派の作品で、木製です。この聖母は、ビザンチン時代のコンスタンティノープルのユスティニアヌス王朝時にはよくとられていたポーズをしているそうです。
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聖アンデレ(右)と洗礼者ヨハネとともにいる聖母子の浅浮彫の石板(スラブ)は16世紀初頭の作品。個人的には、こういったスラブを見るのが好きです。
キリストの傍らに王冠があるので、幼子の戴冠式だとみてとれます。 -
幾何学模様の網目が大変綺麗なこちらのスラブは、実は上の写真の裏面・・・ではなく表面です。こちらは、8世紀のもので、16世紀にアマルフィの彫刻家はこのスラブの裏側を使って聖母子と聖人達を彫りあげました。
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こちらは見るからに東洋のものですね。セダンと呼ばれる駕篭の一種で、18世紀の作品。黒漆で中国っぽい風景が描かれています。東インド会社のためにマカオで作られたものだそうですよ。
駕篭は一人乗りで、司教たちが歴代使用したそうです。ちょっと窮屈そうですね。 -
こちらは木製の預言者エリア像です。一本の木をくりぬいて作ったもので素朴さがいいですね。
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こちらの二体は、名前を控えて来なかったなあ・・・
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大聖堂の一番のお宝の司教冠ミトラ。司教が典礼の際にかぶる帽子のようなものです。金、銀、宝石、ガラス、真珠、エナメルなどがふんだんに使われた豪華なミトラで、トゥールーズの司教となったナポリのチャールズ2世の息子サン・ルドヴィコのためにナポリで制作されました。
使われたビーズの数は19330粒に及ぶそう。 -
司教の持つ杖 17世紀の銀製です。これを見ると魔法使いを想像してしまいます。
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中央にはかつての祭壇に使われていた、素晴らしい銅製のパネルがありました。
中央には、天からの贈り物(マンナという)が入った小瓶を掲げている聖地巡礼者の姿が、その両脇には大聖堂が捧げている聖アンデレがX十字に架けられる場面が彫られています。
マンナとは、昔イスラエルの民がアラビアの荒野で神から恵まれた食物を指すそうですが、どういう物語が刻まれているのかイマイチ理解できませんでした。 -
他にもお宝とされている聖爵や、ミサの際に使用する譜台など、色々な展示品がありましたが、・・・
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やはりこういったものの方が私の興味を惹きます。左は首がもげてしまっているけれど鷲でしょうね。
上部のモザイクも随分と欠けてしまっていますが、鮮やかな赤と黒の背景に花と蔓草の模様がくっきりと浮かび上がってきます。 -
そして、スラブ類。線を辿っていくと、巧みに交差しているのがわかります。全く見飽きることがありません。英語でハードル・ホイール。障害物の車輪とでも訳すのかなあ・・・7世紀から9世紀にかけての作品です。
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磔のキリスト聖堂の写真をもう2枚。
右側に見えるフレスコは比較的状態がよさそう。ここにも聖母子像が見えますね。 -
こちらが、かつての主祭壇です。今は後陣のフレスコがわずかに残るだけです。
それでは、次に地下へと降りていきましょう。
アマルフィ大聖堂のパンフレットによると、
クリプトはアマルフィの大聖堂の心臓部分に当たります。聖アンデレの頭と骨がここに聖遺物として安置されているからです。 とあります。
アンデレって現在で言えばシリアの生まれで、ギリシャのパトラスで亡くなったと言われていますが、何でも自国に運んできてしまうんですね。イタリア人って! -
地下礼拝堂クリプトに降りてきました。パトラスで十字架にかけられたアンデレの遺体はまずコンスタンティノープルに運ばれ、第4回の十字軍遠征時に枢機卿ピエトロ・カプアーノによりアマルフィに運ばれたのだそうです。
1208年5月8日、町の人々の盛大な出迎えを受けたアンデレの遺体は、このクリプト内に隠されます。アンデレの後頭部は祭壇の後ろ、そのほかの骨は祭壇の下に保存されているそうです。もしかして、バラバラ・・・??? -
クリプトは、スペイン(ナポリ王でもある)のフェリッペ3世によって1600年に修復され、ドメニコ・フォンターナによる祭壇と、ミケランジェロ・ナッケリーノ(ミケランジェロの弟子に当たる)による巨大なアンデレのブロンズ像が置かれています。
左右のサン・ロレンツォとサン・ステファノの大理石像は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの父ピエトロ・ベルニーニの作品です。
クリプト内には、フェリッペ4世により寄贈された絵画で装飾されています。この王様あまり大きな功績は残していませんが、ベラスケスやルーベンスのパトロンとして知られています。後のプラド美術館の礎となった美術コレクターとしても有名だそうです。 -
ナポリの聖人ジェンナーロの血液は、年に数回液体化すると前に書きましたが、ここでは、聖人アンデレの祭日の前夜や特別な状況時にみられる、摩訶不思議な液体サンタ・マンナが「集められる」のだそうです。
ウィキペディアによると、「サンタ・マンナとは、聖人の遺物や像から醸し出される液体、化学的には純水に近い液体で、説明がつかないもの」 と書かれています。アマルフィのみならず、パトラスでもコンスタンティノープルでも同様な現象が毎年、750年もの間起きているとのことでした。 -
豪華でエレガントなスタッコ装飾で覆われたアーチ型ヴォールトには、キリストの受難の場面などが描かれた美しいフレスコ画が残っていました。こちらは1660年の制作です。
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修復作業中の人がいましたよ。彼のそばには、大きな掃除機が見えます。掃除機をどう使うんだろう?興味津々!
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最後の晩餐のフレスコ。あらら、若い聖ヨハネは完全にキリストの真ん前で寝入ってしまっていますねえ。テーブルの上には、羊の丸焼きとパンがのっています。ワインの入ったグラスらしきものが一つ。
ユダと思しき人物の足元には、金の入った袋の影? がありますね。 -
1枚に、こんなにたくさんの場面が描かれている絵も珍しいですね。
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少々不気味な紋章は古いアマルフィーのものかしら?
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クリプトから地上へと戻る階段そばにあった、アンゲルス・ロッシーニという方の記念碑。
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クリプトの階段を上ると、1階の大聖堂へと導かれます。
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大聖堂は三廊式。外の喧騒とは裏腹に、聖堂内はひっそりと人影もまばらで、ゆっくり見学することが出来ました。
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主祭壇に向かって左側です。
見かけは1700年代前半のバロック様式と言った雰囲気です。というのは、象嵌細工を施した大理石のパネルがロマネスクの古い列柱を完璧に覆っているからです。 -
右側です。
奥に見える説教壇は、13世紀の創建以前にあった古い教会からのものと伝えられています。 -
見事な格子天井には、バロックの巨匠フランチェスコ・ソリメーナの弟子アンドレア・デラスタによる大きな絵画が3つ描かれています。
手前から「キリストの鞭打ち」、「使徒アンデレの磔刑」、そして、「サンタ・マンナの奇跡」。 -
サンタ・マンナ頑張ってズームしたけれど、暗すぎてなんだかさっぱりわからない代物となってしまいました。
私にはまったく理解できない聖なる水「サンタ・マンナ」の出現は、ここだけはなく、イタリア国内のいろいろな場所で見られる現象の様ですよ。 -
主祭壇に近づいていくと、巨大なエジプト製の2本の花崗岩の柱が後陣を支えているのがわかります。こちらは、カンパニア州パエストゥムにあるローマ遺跡から運ばれた年代物です。
その手前にある2本のねじれた円柱は、古い時代の教会(12世紀)の置き土産です。
そして、一番手前にある祭壇として使用されている石棺は、前述の聖アンデレの遺体をアマルフィに運んだ枢機卿ピエトロ・カプアーノの棺です。彼は1214年に亡くなっています。 -
祭壇画は、「聖アンデレの殉教」。彼にとって最も重要な瞬間が描かれています。天井画同様アンドレア・デラスタ作。1715年。
右下の謎めいた女性が誰なのか気になります。 -
後陣の半月形の弓形部分と
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その下にある聖母被昇天のフレスコです。
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いつものように駆け足で礼拝堂巡り開始です。
この礼拝堂の「生誕」の絵はなかなか興味深いですよ。なにせ、キリストは生まれてすぐにもう首が座って起きあがっているのですから。流石に神の子。人間とは違います! -
聖アンデレの銀製の胸像が置かれた礼拝堂。ここには多くの聖遺物も一緒に保管されているそうです。胸像の隣にはキリストの聖なる棺があったそうですが、覚えていません。
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大天使ミカエルを描いた絵画がここにもありました。状態悪いなあ・・・
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聖母子と聖アンデレ<左側)が描かれています。右側の方は???
アンデレは漁師らしく、手に魚をぶら下げているのが面白いですね。 -
主祭壇の右側にあったのは、聖遺物の礼拝堂です。この中には、聖アンデレの聖遺物と共にアマルフィに運ばれたものが多く保管されています。
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主祭壇を通りすぎて、今度は側廊左側をぶらつきます。
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大きな鷲の石像が床の上に置かれていました。説明なしのため、残念ながらどういうものなのか分かりません。
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マリア様の衣装が大変凝っています。何故か東洋風の雰囲気が漂っています。
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最後の晩餐。キリストの反対側に3人腰かけているという構図は珍しいと思いました。
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ローマの教会と比べると、悲しいほど資料が見つからないので、説明抜きの写真ばかりが多くなっています。
大天使聖ミカエルだと思われるこちらの像では、真ん中の魚を貪り食う山犬?に注目です。人物に注目してしまうと見逃す部分ですが、迫力ありますよ。 -
こちらは閉ざされた礼拝堂の一つですが、壁のフレスコと手前のドーム状のモニュメントが大変魅力的だったので、ご紹介します。
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モニュメントをズームアップすると、回り灯篭の様な装飾が浮かび上がってきます。綺麗!! 中はどんな造りになっているんでしょうね?
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左側奥の身廊には、13世紀の古い木製の十字架が目を惹きました。この十字架はエルサレムから運ばれたもので、木とマザー・オブ・パール=真珠を作る際にその母となる貝(アコヤガイ等)から作られています。非常に美しいです。
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聖水盤にも、アンデレのシンボルであるX十字のデザインが施されています。
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古い教会から引き継がれた説教壇は、十分魅力あるものですが、ラヴェッロのドゥモの説教壇を見た後では、目立ちません。
これにて、駆け足の礼拝堂巡りは終了です。 -
大聖堂の外に出て参りました。ようやくファサードの一部の写真が残っているのを発見して安堵。
大聖堂のファサードは1891年に再建されたもので、以前のものは崩壊してしまったそうで残っていません。アラブ(ムーア)調のストライプの模様が印象的です。
こちらは、何度も登場している枢機卿ピエトロ・カプアーノの胸像。アンデレと並ぶ大聖堂の顔の一人です。彼のことを調べてみるとなかなかの人物。カプアーノは実際に十字軍に参加して、アンデレの聖遺物を持ち帰ったのだそうです。 -
ファサードのフレスコ画から1枚。
下の絵は、キリストがゲネサレト湖の対岸にいる群衆への説教に向かう船に乗っている場面で、左側に網を引いている漁師が二人描かれています。この二人が、ピエトロ(兄)とアンデレ<弟)。ピエトロはかなり年取った老人に見えますが、実際「ルカによる福音書」にも、ピエトロは高齢であったと書かれているそうです。
上の絵は、キリストが二人に弟子になるよう声をかけた場面でしょうか。 -
お終いは、コンスタンティノープルから運ばれた銅製の扉です。
扉は、1066年以前にコンスタンティノープルで鋳造されたもので、登塔者シメオン(シリアのシメオン 390年〜459年)の署名があるといいますから、かなり古いものだということがわかります。ローマ帝国以降の建物の扉としては、最古のものだと言われています。
登塔者と言うのは聞きなれない言葉ですが、シメオンが塔に上って40数年間そこで神に祈りを捧げながら修行を続けたことから、そう呼ばれているのだそうです。
扉の上の半月形のモザイクには、髭が半分だけ白くなった聖アンデレが描かれていますよ。 -
残り少ない時間でアマルフィをお散歩です。陶器のお店がアマルフィにも沢山ありました。大聖堂の近くなので、聖母子をテーマにしたものや、アマルフィ・コーストの絶景を描いた壁掛けがご覧の通りずらりと並べられています!
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ポルタ・デッラ・マリーナ。アマルフィの古い港の一つであるサンダーラ港と町をつなぐこの門は、1197年に作られたもので、その入り口には、ローマ時代の古い柱の一部が置かれていました。
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崖にへばりついたようなアマルフィの町のどこからでも、大聖堂とその鐘楼を眺めることが出来ます。
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港に近いバス乗り場に来てみてびっくり! バス停にはバスを待つ長い行列が出来ていました。これでは立ち席はおろか、バスに乗り切れない可能性もありそう。
時刻は午後5時50分。ナポリに戻るのに最低3時間はみておかなければならないので、もう少し町をうろつきたかったのですが、残念ながらお散歩はここで打ち切り。列の短そうなサレルノ行きの列に並びます。
ローマからナポリへのインターシティでご一緒したシンガポール人のご夫婦に再会したのはこの行列に並んでいるときでした。彼らは、アマルフィに滞在中で、この時たまたま近くを通りかかったのだそうです。なんという偶然! -
そんなわけで、アマルフィ海岸へのエクスカーションは、中途半端に終了してしまいました。とはいえ、人混みが苦手な私としてはラヴェッロ中心にしてよかったと思っています。アマルフィはいかんせん人が多すぎます。
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何とかサレルノ行きのバスに乗車して、座ることが出来、ほっと一息入れたところです。崖と海の間の狭い街並みをこうして車窓から楽しみました。
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見上げれば、たわわに実るレモンの木が目につきます。
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途中のマイオーリで見かけた聖フランチェスコを祀った「聖フランチェスコの友教会」Amica di San Francesco。修道院を併設した複合施設で、海のすぐそばに建っています。
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サレルノに近づくにつれ、景色は現実味を帯びてきて、もう夢の世界は終わったんだとため息をつくことになります。サレルノはノルマン人の支配下で繁栄を誇った古い歴史を持つ港湾都市ですが、今はコンテナや造船所、現代的な港湾施設ばかりが目立つ町という印象が強いです。
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それでも、近代的な街並みの彼方の山の上には、古城らしき建物がちらほら見え隠れしていて、夢の続きを望んでいる私のハートをくすぐります。
サレルノの標高300mの山の上にあるアレキ城は、8世紀ノルマン人支配時代の遺物。 -
アマルフィからのSITA社のバスは、海岸に近いサレルノのコンコルディア広場に到着します。今までいたアマルフィ海岸の町の景色とは打って変わって、広々としたどこまでも平坦な土地が続きます。
せっかく来たんだからと、いつもならここでまたうろつき始める私ですが、今日はそうはいきません。時刻表を検索してみたら、次の列車まであと15分しかありません。 -
というわけで、バスで一緒だった人達と速足でトレン・イタリアのサレルノ駅へ。広場から駅まではせいぜい300m位でしたが、途中の赤信号につかまり、思ったより時間がかかったような気がしました。
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ナポリ・チェントラーレ行きの列車に間一髪でセーフです。ああ、これでとりあえず午後8時半までには戻れることが分かり、ほっとしました。
8時半だったらぎりぎり明るいので、セーフです。 -
旅の最後は、移りゆくヴェスヴィオス山を追うことにしましょう。
こちらは、ナポリとは逆方向から見たヴェスヴィオスです。今朝、ナポリからソレントまで、チルクム・ヴェスヴィアーナ鉄道で山の反対側の海岸沿いを右から左方向に廻ってきました。
帰り道は、写真で言うと山の右側の裾野を半周することになります。1日かけて、ヴェスヴィオスをぐるっと一周したことになりますね。 -
しょうもない写真ばかりですが、ヴェスヴィオスの七変化をお楽しみください。
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山麓はどこも家が沢山建ち並んでいます。特にオッタヴィアーノ付近は人家が山の中腹まで迫る勢い。もし噴火が又起こったら、かなりの被害が出るかもしれませんね。歴史は繰り返すといいます。噴火は他人事ではないだけによその国のことでも気になりました。
この辺りからのヴェスヴィオスは、上唇のイメージは全くありません。 -
段々と遠ざかっていくヴェスヴィオス。
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そしてこちらが最後のヴェスヴィオス。上唇復活です。
ナポリ2日目終了です。途中画像がないため、締まりのない内容となってしまいましたがご容赦を。毎日そうだと言われないよう頑張ります。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その40 ナポリ 歴史地区で。
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