2015/05/14 - 2015/05/14
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ナポリ2日目は、私としては早起きして遠出を試みました。アルテカードのカンパニア州版を使用開始です。トレン・イタリアだけでなく、主な私鉄、バスで使用可能です。船便には使えないようです。ナポリチェントラーレ駅の地下ホームから出ている、落書きだらけのチルクム・ヴェスヴィアーナ鉄道(ヴェスヴィオ周遊鉄道)に乗って、まずはソレントを目指します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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カメラの調子がすこぶる悪く、今朝は使いものにならなかったので、予備の古いカメラで撮っています。どのみち、車内からの撮影なので、ガラスが所々光っていますがご容赦を。
チルクム・ヴェスヴィアーナ鉄道は、ナポリ・ポルタ・ノラーナNapoli Porta Nolanaが終着駅ですが、一つ目のピアッツァ・ガリバリディ駅がトレン・イタリアのナポリ・チェントラーレ駅と接続しています。8:11発の快速列車で出発すると47km先のソレントまで53分で到着します。普通列車だと1時間10分程度かかるみたい。 -
ヴエスヴィアナ火山の南側の海沿いを走り、エルコラーノを通り、こちらのジャンクションになっているトッレ・アヌンツィアータ駅を過ぎると、ポンペイにじき到着します。ポンペイと言う名前が付く駅はいくつかありますが、遺跡に一番近いのは、Pompei Villa Misteriで、8:36に到着しましたから、ナポリから30分くらいですね。ポンペイとしか書いていない駅は結構歩くし、表示板が出ていないので不便だそうですよ。
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市街地を抜け、Vico Equenseまで来ると、右側に海が広がります。赤いフェンスがおしゃれです。
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そして、1時間足らずで保養地ソレントに到着。でもこの落書きを見ると、げんなりしますね。
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ホームに降りると、花壇の向こうにバス会社SITAの青いバスが停まっているのが見えました。
あそこがポジターノ、アマルフィを通ってサレルノまで行くバス停です。アルテカードを持っていたので、バスの切符を買うのに行列する必要がなく、すぐにバスに乗れました。 -
慌ててバスに乗ったので、チルクム・ヴェスヴィアーナ鉄道の終着駅を撮るのを失念。バスの中から撮りましたが、なんだか分からない写真になってしまいました。
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バスに乗ったら、右側の席に座ることをお忘れなく。まもなく、美しい裾野を引いたヴェスヴィオス火山とナポリの町が、まるで島のように浮かんで見えてきます。これにはうっとりです。
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ナポリの町からは上唇のように見えたヴェスヴィオスですが、この方角からだと峰が一つに見えますね。
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で、こちらがカプリ島です。
って冗談です! いくらなんでも、これでは小さすぎますね。ソレントからカプリ島はとても近いはずなのですが、ソレントの先の岬から離れた場所を通ったため、見ることはありませんでした。 -
ちょっと雲行きが怪しいなあ・・・今まで、ドピーカンの天気ばかり続いたのに、よりによって、アマルフィでこんな天気に遭遇するとは!
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噂に違わぬ美しい切り立った崖の道を、バスは結構なスピードで走ります。
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見えてきたのは、ポジターノの町かしら? 実はポジターノにあこがれてやってきたのですが、ナポリから日帰りで、しかも夜遅くなる前に帰りたいということになると、ポジターノを散策する時間はどう考えてもありません。
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おまけに、ポジターノを前に、道路が劇コミ状態になって、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまいました。
先ほどから、全然進んでいないよ〜!! -
船で訪れるのもいいなあ・・・満員の乗客を乗せた観光船が、ソレント方面に去っていくのを見送りました。カプリ島に行く船かなあ・・・
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狭い道なのに、こういう駐車車両も結構多いんです。どうやら、ポジターノで降りても、次のバスで向かわなくてはならなくなりそうなので、楽しみにしていたポジターノを諦めることにしました。
ポジターノには、山の上と海岸沿いの2つのバス停があります。計画では、山の上で降りて、海岸へと下りる散策コースを通って、次のバス停へと色々と検討したのですが、あきらめましょ! -
急峻な崖を段々畑のように整備して、その上に家がぎっしり! 家と家のわずかな隙間を、濃い緑の森や果樹園が埋めています。狭い崖地に暮らす人々の汗と智慧の結晶のような景色です。
日本のように雨が多い土地なら、山崩れが起こったらひとたまりもないけれど、この辺りの地盤はしっかりしているんでしょうね。きっと。 -
右側の崖の中腹にある道路を見てください。数珠つなぎの車が見えますね。そう、さっきから少しも動いていないんです!
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アップすると、こんな感じ。渋滞中、渋滞中・・・
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ポジターノの町をトイカメラ風に撮ってみました。
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やがて見えてきたのは、ポジターノの隣町ヴェッティカ・マッジョーレ。アマルフィー海岸の白い街として知られています。
段々畑の作物はほぼ100%、レモンだそうですよ。 -
白い街で唯一?の茶色い建物は、サン・ジェンナーロ教会。ナポリの守護聖人を祀った教会です。
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中世の頃から、ここも昨年訪れたチンクエテッレ同様、海賊の被害に会ってきました。写真右側に見える小さな塔は、ジョッポロの塔Torre di Joppolo。サラセン人を見張るために建てられた塔の一つです。14世紀の建造。
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遠ざかるジョッポロの塔とプライアーノの町並みです。30度以上はありそうな傾斜ですね。見事なリアス式海岸が続きます。
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鍾乳洞の中に、外の海とつながっているエメラルド色の水をたたえた海水池が見られるという「エメラルドの洞窟」を過ぎると、また、右手に一つ塔が見えましたよ。コンカ・ディ・マリーニという小さな町の小さな岬に建つコンカの塔です。
1200年代から1700年代にかけて、アマルフィー海岸は、海賊(主にサラセン人=イスラム教徒。特定の国を指す言葉ではないようです)に悩まされ続けました。今もかな?? 別な意味で・・・ -
岬へと続く、コンカ・ディ・マリーニの小さな湾。カモメが遊びに来ていました。
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コンカの塔をもう一度。階段で、塔に近づけるようになっていました。360度見回すことのできる、見張り塔としては絶好のロケーションです。
現在塔は、結婚式場やイヴェント会場として利用されているそうですよ。結婚式は外国人もOkですって。 -
海の上は晴れているのに、どうも陸地に低く雲が垂れ込めていますねえ。あの小さな岬を超えると、まもなくアマルフィの町が見えてきます。
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海に突きだした防波堤の先がアマルフィの港です。ナポリから列車とバスを乗り継いで3時間余り。周遊するとなると、やはり日帰りではきついですね。団体さんなら、平気でカプリ島と抱き合わせたりしますけれど・・・
アマルフィにも、サラセン人を見張った塔があるのをたった今発見! -
アマルフィー到着です。山を見上げると、むむむ・・・そこにも十字架のついた塔がありましたよ。ポゲローラの塔と呼ばれています。海抜339mの岩山の上には、小さなポゲローラの町があり、そこに建てられた塔は、かつてアマルフィー海岸防衛の要だったそうです。
今まで通ってきた道からもお分かりの通り、ここには海と山しかありません。こんな何にもない場所に、9世紀から12世紀という中世の始まりの時代に、海洋都市国家アマルフィ公国が存在したのです。海のことなら何でもお見通しのアマルフィの人達は、地中海貿易における先駆者的役割を果たしてきました。そして、12世紀にシチリア王国に併合されるまで、この狭い土地を拠点に、一大海洋国家を築き上げました。
その最盛期には、10世紀の高名なアラブ人作家イバン・ホーカルをして「ロンバルドの中で、最も豊か、最も高貴にして輝かしい、裕福で豪華で美しい町。それがアマルフィだ。隣接するナポリも風光明美だが、その重要性においてはアマルフィに劣る」と言わしめたほどでした。 -
アマルフィに着いたばかりですが、本日ポジターノの次に行きたかった町ラヴェッロに先に向かうことにしました。夕方ここからナポリに直接戻るバス便について尋ねたのですが、どうも今は運航していないみたい。となると、ラヴェッロを優先させて、残った時間でアマルフィを見るというのが正解と思えてきました。
海岸近くで、なんと「tsunami」つなみと書かれたお店を発見。そんな物騒な名前を店名につけないで欲しいなあ。これを見てアマルフィに少々幻滅。 -
というわけで、折角到着したのに、再び移動です。ラヴェッロに行くには、フラヴィオ・ジョイア広場から、SITAのバスで約30分かかります。
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狭い浜辺には、パラソルとリクライニング・チェアが並んでいますが、流石にまだ季節的に早いみたい。わずか数名の気の早い日光浴を楽しむ人たちも、砂浜にゴザ敷いて寝っ転がっています。残念ながら、今日は水着になるような温度には達していません。
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要塞のように壁で囲まれたピンク色の建物は、サラセン人の占領から解放された記念に、人々が捧げた聖マッダレーナ(マグダラのマリア)聖堂です。1274年に古代の要塞の跡に創建されました。その後、海賊の襲撃、再建を繰り返しています。バロック様式のエレガントな茶色い鐘楼が人目を惹きます。
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ほらっ!! 塔が見えましたよ! この茶色と白の組み合わせは、初めてお目にかかります。
バスはサレルノ方面(ソレントとは反対方向)に海岸線沿いを走り、カスティリオーネと言う町を過ぎた辺りから山を上り始めます。 -
うねうねとした道を上り続けて15分、ようやく海抜350mの高台にあるラヴェッロの町に到着です。
看板には、「ラヴェッロ 音楽の町」と書かれています。多くの芸術家がこの美しい町に魅了されましたが、中でもワグナーが、この町にあるヴィラ・ルフォロを舞台にオペラ「パルジファル」の第2幕「クリングゾールの魔法の園」を書きあげたことから、音楽の町として知られることになりました。 -
こちらは、ラヴェッロの谷の向かいに見える隣町スカーラです。標高が更に高いところにあり、ここからまたつづら折りの道を上っていかねばなりません。
深い緑の森と段々畑の上に家々が立ち並んでいます。今はともかく、車もない時代に、人々はどうやって生活していたんでしょう? -
バスを下りて、進行方向に進むとトンネルがあり、その先の小道をてくてく行くと・・・
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古い塔のある広場に出ます。バス停から2、3分で到着するこの広場がドゥオモ広場です。この塔が、ヴィッラ・ルフォーロの入り口です。ここには後ほど行くことにして、まずはドゥオモから。
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ラヴェッロのドゥオモです。正確な名前は聖母マリアの被昇天聖堂と言います。創建は1086年〜1087年にかけて、モンテ・カッシーノ聖堂(ローマの南西130kmのところにある)を真似て作られました。
面白いことに、ドゥオモの1階というか地下部分は、バールとサンダルやさんなどのお店になっています。ファサード前のポーチには、18世紀に惜しくも壊された古い時代の列柱が4本残されていました。 -
とてもシンプルなファサードです。イタリアに来てから一番地味なファサードかもしれません。
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ここでラヴェッロの主な見どころが一つになった共通券ラヴェッロ・センスをゲット。ドゥオモの美術館、ヴィッラ・チンブローネ、ヴィッラ・ルフォロ他に入場できます。カンパニア・アルテカードを利用しました。
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ドゥオモの中央扉を構成する2枚のブロンズ・パネルには、素晴らしいレリーフが彫りこまれていました。1179年にバリサーノ・ダ・トラーニによって彫られたもので、ラヴェッロの名門ムスチェットーラ家により教会に寄贈されたものです。
扉は全部で80枚の小さなパネルから成っていて、そのうち54枚には人物像が描かれ、26枚には装飾が施されています。 -
バリサーノ・ダ・トラーニは12世紀の彫刻家で、アドリア海に面した町トラーニにある大聖堂のブロンズ製扉の浮彫りでその名を知られています。彫られているのはなじみのない聖人達や戦士達ですが、今まで見たことのない図案ばかりで、興味深かったです。
ドアノッカーの斜め右のパネルには、ムスチェットーラ家が1179年に神の僕としてこれを寄進した旨が刻まれていました。 -
三廊式のドゥオモ内部です。18世紀には修復のためバロック様式にスタッコ装飾されましたが、現在は元のデザインに戻されていました。とても懐かしい雰囲気が漂っています。
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身廊中ほどぱっと目立つのが、二つの説教壇です。こちらは、主祭壇向かって右側の一つを裏側から見たところです。まずは裏から見学!
説教壇を支える6本の柱は、ライオンが背負っています。雄雌3頭ずつなのだそうですよ。見たこともないような形の説教壇で、その周りとスパイラル状の柱にはゴールドをふんだんに使ったモザイクがちりばめられています。 -
入口を向いた側には、中央に聖母子像、両脇には、この説教壇を寄贈した、名門ルーフォロ家の紋章が光っていました。この説教壇は、フォッジャのニコラ・ディ・バルトロメオによる作品で、ニコラス・ルーフォロにより1272年に教会に寄贈されたそうです。
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こちらは正面です。モザイクのモティーフは馬やドラゴン、そして様々な鳥たち。中央の鷲が止まり木にしている白い碑には、「初めに言(ことば)があった。」というヨハネによる福音書の冒頭の文章が書かれていました。
説教壇にもってこいの言葉ですね。 -
説教壇のとなりにあるのは、壇へと上る階段室だそうです。同じように、架空の動物や鳥たちのモザイクパネルで飾られています。
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コズマーティの影響も感じられますね。建物の一部ではないので、言うなれば飛行機のタラップのような役割を果たしているんですね。
階段室の入り口には、この説教壇を寄贈したニコラス・ルーフォロ夫妻のレリーフが扉の上を飾っていました。 -
ニコラ・バルトロメオの説教壇の向かい側には、これまた、左右に階段のある、珍しい形の説教壇。ラヴェッロにおいて二人目の司教となったロガルデオ・コンスタンティノが寄贈したものです。中央にはやはり鷲がいますよ。
注目すべきは、左右の人間を飲み込んでいる2匹の動物?達! 先ほど、バス停にもこの図案を使ったディスプレーがありましたね。今や町のシンボルとなっているキャラクターです。これは旧約聖書の中に出てくる預言者ヨナの物語を描いたものだそうです。ヨナ書をみると、ヨナは大きな魚に飲み込まれることになっているのですが、どうみても魚には見えませんね。海のモンスターと言ったところなのでしょうか?
中央の説教壇の下には、永遠の命を象徴する2羽のクジャクが描かれています。下半分の装飾はコズマーティ、上半分はビザンティン様式の影響を受けたと言われています。司教コンスタンティノが生きていた時代の作品とすると、12世紀前半の作と言うことになります。資料を調べていったら、クジラと書かれたものもありましたよ。緑のクジラ??? どう見てもクジラには見えないなあ・・・ -
主祭壇から正面入り口方向を撮った1枚。装飾のない壁が逆に新鮮です。むき出しのパイプオルガンは、装飾過多を見慣れた目には、ちょっと寂しいかな。
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翼廊から御陣にかけては、バロック様式が18世紀に修復された頃のまま、残っていました。こちらは主祭壇です。
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主祭壇として使われているのは、古い石棺のようですね。
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主祭壇右側の礼拝堂には、悪魔を退治する大天使サン・ミカエルの祭壇画がありました。ジョヴァンニ・アンジェロ・ダマートの作品です。グイド・レーニとはまた異なった印象。悪魔の尻尾が可愛いんですよ。足の代わりのものが蛇のようにとぐろを巻いていて、その先っぽが漫画でお馴染みの尻尾がついています。
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左側廊奥のサン・パンタレオーネの礼拝堂です。パンタレオーネはニコミディア(現在のトルコのイズミール付近)在住の人で、ディオクレティアヌス帝の大迫害を受けて殉教したと言われています。
伝説が又凄い! パンタレオーネは拷問を受けても、大釜にスズを沸かしてその中に沈められても、猛獣の檻に入れられても、大きな石をくくりつけて海に沈められても、死ななかったと言われています。最後は斬首刑となりましたが、彼が祈りの言葉を捧げている間、首には刃が立たなかったとされています。
パンタレオーネの遺物である血液は、ここに収められています。ナポリの守護聖人サン・ジェンナーロ同様、彼の殉教の記念日(7月27日)には液状化するのだそうですよ。奇跡は今も続いているのです。 -
壁のフレスコが殆ど剥げ落ちていましたが、他の礼拝堂とは雰囲気が異なっていた礼拝堂。悲しみの聖母と死せるキリスト像の前に、花束のような形をした珍しい装飾品が1対置かれていました。
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資料がないため、こちらも詳しいことは分かりません。祭壇画右の十字架を抱えている女性は、コンスタンティヌス1世の母聖ヘレナかしら?
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続いてドゥオモ付属の博物館に入ります。博物館と言ってもとても小さな空間で、ローマやナポリの様な都会にあるものとは違い、田舎の神社の宝物館といった佇まいです。かつてのクリプトのあった場所を利用していて、古代と中世の二つのセクションに分かれています。
博物館の内部はこんな雰囲気です。 -
古い時代に使われていた祭壇の石板です。モザイクが大変見事。特に周りを飾るぶとうの実と葉の間にちりばめられた小石が綺麗です。
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13世紀に作られた、祭壇天蓋に取り付けられていた鷲の像。羽毛の1枚1枚が丁寧に彫られています。
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こちらも、天蓋の一部である、モザイクが美しい神の子羊。神の子羊は、ヨハネによる福音書に出てくる言葉で、イエス・キリストのことを指す表現のひとつだそうです。ラテン語ではAgnus Dei と書かれていました。
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祭壇を飾っていたもので、今は使われていない礼拝堂の絵画は、16世紀から19世紀の作品だそうです。これは、多分ジョヴァン・フィリッポ・クリスクオーロの作品。
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10人の聖人 ジョヴァンニ・ダンジェロ・ダマートによる16世紀の作品です。
左から、聖ベネディクト(ヌルシアのベネディクトゥス)、ヒエロニムス、アウグスティヌス、聖アニエッロ、そしてこちらの教会の守護聖人聖パンタレオーネ。 -
こちらも左から、アッシジの聖フランチェスコ、聖レオナルド、マグダラのマリア、スコラスティカ(ヌルシアのベネディクトゥスの双子の妹)、聖ウルスラ。どういう基準で選んでいるのかは全く分かりません。
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この絵はなかなか面白いですよ。先ほど見たバルトロメオの説教壇が描かれていて、入り口の扉が開いているので、中の階段の様子がこれによって、よく理解できました。扉の上には、シジルガルダ・ルーフォロの肖像が置かれています。
教会にいる人々を観察すると、これまた興味深い。いずれも貧しい身なりをしたこの地方の一般的な農民といった感じですね。 -
この辺りは資料なしです。
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中世を感じさせる素朴な彫像ですね。
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この博物館の目玉である、シジルガルダ・ルーフォロの肖像。説教壇を作ったニコラ・ディ・バルトロメオにより、1272年に作られたものです。
前の古い説教壇の絵を見ると、どこに彼女がいたのかがすぐにわかります。 -
私のお気に入りは、こちらの鷹匠。かつてラヴェッロにあったサン・ジョヴァンニ・デル・トロ教会から運ばれた彫刻です。13世紀、この地を治めていた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世治世下の文化を表している作品とのことですが、なんのこっちゃ、わかりませぬ。
若い貴族の男性の腕には鷹が止まっていて、足元では犬がしきりと吠えている場面です。鷹がちと小さいなあ・・・この時代に作られたマリア様同様寸足らずで、ギリシャ・ローマ時代に比べると、逆行したかの様なこの稚拙さが又味わい深いです。 -
床はマジョルカ焼の様なタイル張り。カプリ島の教会を思い出しました。温かみがありますね。
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現代アートも取り入れています。狭い通路を入っていくと、遠くから旧約聖書のヨブ記の主人公ヨブGiobbeが迎えてくれました。ヨブは、多くの苦しみの中で神への信仰を貫いた人だそうです。フランチェスコ・メッシーナの1934年の作品です。
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ベルガモ生まれの彫刻家カルロ・プレヴィターリ作 Christus Patiens。両腕のない磔像です。こちらはもっと最近の作品ですね。
これにて、ドゥオモ博物館は終了です。作品の数もあまり多くありませんが、気軽に見ることが出来て、居心地の良い博物館でした。 -
移動に次ぐ移動で疲れたので、ドゥオモ前のカフェで一休み。ようやく息がつけました。こんな天気でも、こちらの人は、お外がいいんですね!
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さてと、一休みしたので、散策再開です。まずは、一番遠い、ヴィッラ・チンブローネを目指すことにします。この広場から1km位とガイドブックには書いてありましたが、あっちもこっちもと欲張りな私は何分かかるやら・・・
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のんびりとした、ドゥオモ前広場を離れます。建物の色彩が白っぽいカラーに統一されていて、視覚的にも心が落ち着く広場でした。
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その38 アマルフィ海岸2 で!
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