2015/05/05 - 2015/05/05
1位(同エリア95件中)
エンリケさん
2015年GWのドイツ・アイルランド旅行4日目後半。
アイルランド西部、ゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島のイニシュモア島探索の続き。
荒涼としたイニシュモア島の断崖の上に建つドン・エンガスの遺跡からの絶景を堪能した後は、島の北岸に位置する中世の教会跡、ナ・ショフト・ジャンピルへ。
海辺に面し、ケルト十字の墓が立ち並ぶドラクエ感満載の教会跡に、この世の果てを実感。物悲しい気分に襲われます。
島の探索を終え、ゴールウェイの街へ戻った後は、伝統的な石造りと虹のようなカラフルな建物が混じり合う、市民や観光客で賑わうメインストリートを散策。
アイルランド名物のフィッシュ&チップスや、ストリートミュージシャンによる生演奏を味わうことができ、充実した一日の締めとなった街歩きとなりました。
<旅程表>
2015年
5月 2日(土) 羽田→ミュンヘン
5月 3日(日) ミュンヘン→ダブリン
5月 4日(月) ダブリン→ゴールウェイ
○5月 5日(火) ゴールウェイ→アラン諸島(イニシュモア島)→ゴールウェイ
5月 6日(水) ゴールウェイ→アーウィーの洞窟→モハーの断崖→ドゥーラン
→ダンゴーラ城→ゴールウェイ→ダブリン
5月 7日(木) ダブリン→キルケニー→ウィックロウ峠→グレンダーロッホ
→ダブリン
5月 8日(金) ダブリン
5月 9日(土) ダブリン→フランクフルト・アム・マイン→
5月10日(日) →成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 自転車 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月5日(火)
13時30分、アイルランド西部、ゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島最大の島、イニシュモア島のドン・エンガスの断崖。
ゴールウェイへの帰りのフェリーの出発時刻は17時。まだまだ時間はあるので、このまま島内の観光を続けます。ドン エンガス 自然・景勝地
-
ドン・エンガスの断崖を後にし、麓のビジターセンターまでの石の道を下っていきます。
この荒涼とした景色・・・まさしく賽の河原といったところでしょうか。 -
風の吹きすさぶ断崖の方を見ると、一本の木さえ生えない、より荒涼としたこんな景色。
-
少し下りて行くと、岩盤の上にわずかに生える緑の草とオレンジ色の花を咲かせる低木が。
緑・白・オレンジの色で構成されるアイルランド国旗はこういう風景からとられたんじゃないかと思ってしまうような風景ですね。
*アイルランド首相府の公式見解によると、緑はケルトの伝統(カトリック)、オレンジは英国王ウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)の支持者(=国教徒)、白はその両者の平和を表しているとのこと。
【アイルランド首相府(Department of the Taoisearch)〜National Flag】
http://www.taoiseach.gov.ie/eng/Historical_Information/The_National_Flag/ -
ビジターセンターからは再びレンタサイクルに乗り、トラクターが走るのどかな道を通って島の北側を目指していきます。
-
14時10分、レンタサイクルを20分ほどこぎ続けていくと、海の見える小高い丘の上に、何やら屋根の朽ち落ちた石の壁だけの廃墟然とした建物が見えてきました。
・・・これが“7つの教会”(Seven Churches)という意味の“ナ・ショフト・ジャンピル”(Na Seacht dTeampall)。ナ ショフト ジャンピル 建造物
-
海に面している正面にまわって遺跡群をパチリ。
この“ナ・ショフト・ジャンピル”、9世紀から15世紀にかけて建てられた中世の教会跡で、“7つの教会”と呼ばれていますが、実際に教会であったのは2つほどで、残りは修道士たちの住居と考えられているそうです。
その建物も、現在も壁が残っているのは3つほど・・・あとは辺り一面がこの島に暮らしていた人々のお墓となっています。 -
このようにお墓はすべて海の方を向いています。
その先にあるアイルランド本島に望郷の念でもあるのか、それとも本人や家族が海で亡くなったなど、海そのものに想いがあるのか・・・。
ちなみに、お墓の中にはケルト十字(*)のものもありますが、墓石にかかれている年号をみると、1990年代のものなど最近のものも。
この場所は単なる遺跡ではなく、現在もこの島の住民のお墓として使われているのですね・・・。
*ラテン十字と十字の交差部分を囲む環からなるシンボル。 -
ほかの十字架とは明らかに違う、古い時代のものと思われる墓石もありました。
こちらは海の方を向いてはいないですね・・・。 -
屋根のない石造りの教会の遺跡を、ケルトの呪術的な模様を刻んだ柱とともにパチリ。
なんだか昔プレイしたドラゴンクエストシリーズに出てくる“最果ての教会”という感じ。 -
最後に高台に建つ島民の家々を守るように立ち並ぶ墓石群をパチリ。
最近の墓石にも使われるほどケルト十字はこの島では今も大切に使われているんですね。 -
14時30分、今度は南へ向かってレンタサイクルをこぎ進めます。
晴れていて自転車をこぐのにちょうどいい気候ですね。
イニシュモア島の楽しさも天気次第といったところでしょうか。 -
行きとは違い、海岸沿いではなく島の中央の道を通って南下を続けます。
15時、少し空が陰ってきましたが、左手を見ると、海に向かって石垣で囲まれた草地が幾重にも連なる棚田のような風景が。 -
こちらでは様々な種類の牛たちが放牧されていますね。
-
道の反対側も石垣で囲まれた草地が。
こちらでも牛たちが草を食み食みです。 -
まるで迷路のような石垣の先には集落が。
こんな痩せた土地でもそれなりの数の家があるんですね。
もしかしたら本島の方々の別荘だったりして・・・。 -
こんな荒涼としながらものどかな風景を見ながら南下を続け・・・。
-
15時40分、港のあるキルナロン村の南、こんな静かな海岸のあるあたりまでやってきました。
しかし、イニシュモア島は小さな島とはいえ、北西から南東まで道路の長さだけでも約25kmあり、さらには意外に道路のアップダウンも激しくて、自転車での移動も思ったより時間がかかります・・・。
ここより南へ行くと、クロムウェルのアイルランド征服の際建てられたというアーキン城(Arkin Castle)や、中世の教会跡、チャンピル・バニン(Tempall Bheanan)などがあるのですが、そこまで行っていたら帰りのフェリーの時間に間に合わなくなると思い、断念して港に引き返すことにしました・・・。 -
・・・そんなこんなで16時、港のあるキルナロン村に戻ってきました。
その一角で見つけたのが、有名なアランセーターを扱う土産物屋、“アランセーターマーケット”。アラン セーター マーケット 専門店
-
さすがに知名度のある土産物だけあって、店内はサイクリングを終えてフェリーを待つ観光客たちでいっぱいです。
わたしはというと、日本ではこれから暑くなる季節ということもあって、食指が伸びませんでした・・・。
真夏か秋に訪れていたなら何か買っていたかもしれませんね。 -
さて、港の方を見ると、すでにフェリーが到着している様子。
まだ出発時間には早いですが、レンタサイクルを返して、フェリーの中でゆっくり休むことにします。 -
そして16時30分、乗客がけっこう集まったところで、定刻より30分も早いのに、フェリーはイニシュモア島を出港。
もしかして島の南東のドゥーラン行きのフェリーに間違えて乗ってしまったかとあせりましたが、周囲の人に聞いてみると、このフェリーは間違いなくロッサヴィル行きで、フェリーは2隻あるから1隻目はある程度乗客が集まったところで早めに出発したのだろうとのこと。
そんなことあるのかと思いましたが、これでドゥーランからゴールウェイへのタクシー帰りは免れたようです・・・ふう。 -
17時30分、フェリーは無事、ゴールウェイ西のロッサヴィル港に到着。
ここで待機していたゴールウェイ行きの2階建てのシャトルバスに乗り込みますが、遅れてやってくるフェリーの乗客を待って発車する模様。
これならさっきのフェリーもイニシュモア港を早く出発する意味がないよなあ・・・。
そんなこんなで2階の最前席に座って外を眺めていたら、前方にきれいな虹が。
アイルランド西部は天気の変化が激しい地方だけに、こんな虹が頻繁に見られるのでしょうね。アラン アイランド フェリーズ 船系
-
シャトルバスは結局、後続のフェリーが到着した後、18時になってから出発。
まあ、きれいな虹を見られたから良かったとしますか。
車内では現地在住の日本人ガイドを連れた、一人旅のシニアの日本人男性と一緒に。
日本人に出会うのは、今回の旅の初日にミュンヘン中央駅で一人旅の日本人の奥様と別れて以来で、久しぶりに日本語を話しました(笑)。 -
アイルランド本島の方でも、こんな石垣で囲まれた草地が続く、荒涼とした景色の中を走っていき・・・。
-
しばらくすると、灰色屋根の似たような建物が建ち並ぶ新興住宅エリアのようなところに入ってきました。
-
18時40分、そのエリアを抜けると、向こうに大きな街が見えてきました。
ゴールウェイはもうすぐです。 -
18時45分、ゴールウェイの鉄道駅前の広場、エア・スクエアに到着。
トータル9時間のアラン諸島への日帰りの旅、おつかれさまでした!
バスを降りると路面は濡れており、雨が降ったばかりの様子。
そして空を見上げると、ここでも虹が。 -
帰りのバスをご一緒した日本人の男性と別れて、広場に隣接するショッピングセンター、“エア・スクエア・センター”(Eyre Spuare Centre)へ。
ここはただのショッピングセンターではなく、建物の一部に中世の城壁の跡が残る、過去と現在が共存した珍しい施設。エア スクエア センター ショッピングセンター
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建物の中央付近にあるのがこの石造りの城壁の跡。
普通にショッピングセンターの一店舗のテラス席の一部となっています。
・・・かつて寒村に過ぎなかったゴールウェイは、イングランド(=アングロ・ノルマン人)によるアイルランド侵略が進められていた13世紀、ノルマン人貴族リチャード・デ・バーゴによって制圧されます。
この城壁は、彼が土着の諸侯、オフラハティ一族の脅威から身を守るために建設されたもの。
当時、城壁は港のあるコリブ川の東岸からこのエア・スクエアに至るまで続いており、この壁の中でゴールウェイは港町としての発展を遂げていくこととなります。
【Ewe Tours Ireland〜ゴールウェイの歴史】
http://www.ewe.ie/ゴールウェイ/ゴールウェイの歴史 -
壁の一角には17世紀にゴールウェイを襲った悲しい出来事を伝える解説文が。
これによると、イングランドにおいて清教徒革命(1642年)を成功させ、アイルランド再征服を進めていた護国卿オリヴァー・クロムウェルは、1651年、国王派の立て籠るゴールウェイの街を海陸両側から包囲。
当時人口約6,000人のゴールウェイは、クロムウェル軍の進軍から逃れてきた難民で膨れ上がり、食糧不足と反乱分子の結成で混乱。9か月の籠城戦の末、ついに降服します。
裕福だった街の指導者たちは自身の領地に逃亡しますが、貧しい町民らは、戦後処理として西インド諸島に奴隷として売り飛ばされてしまいます・・・。
これだけでも悲惨な物語なのに、解説には続きがあり、40年後の1691年、今度は名誉革命(1688年)を成功させた新王ウィリアム3世の軍によって、ゴールウェイの街は再び攻撃を受け、またもやイングランドに降伏。
300年以上経った現在も、商業施設のど真ん中にこんな過去の悲劇を伝える解説版が掲示されるほど、ゴールウェイの人々はイングランドに対する恨みが深いということなのでしょうかね・・・。 -
エア・スクエア・センターは19時で閉店となってしまったので、前日の夜も歩いたゴールウェイのメインストリート、ショップ・ストリートからキー・ストリートの辺りをぶらぶら。
緯度の高いアイルランドはこの時間でもまだまだ明るいです。ショップ ストリート 散歩・街歩き
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通りの一角にはこんな色鮮やかな店舗群が。
空に架かる虹と同様、通りの建物も七色で彩られていて、ゴールウェイはまさに“虹の街”ですね。 -
こちらは現在はAIB銀行の支店として使われている“リンチ家の城”(Lynch's Castle)。
14世紀に建てられた、石灰岩製の堅牢な建物で、ゴールウェイの街を治めていた“14部族”の邸宅のうち、唯一現存するもの。
19世紀初頭に改修されてかなり姿が変わってしまったそうですが、タワーハウスを備えたこの城は、アイルランド・ゴシック建築の典型例と言われているそうです。リンチ家の城 城・宮殿
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メインストリートを5分ほど歩いて、ゴールウェイ中心街の西端、コリブ川(River Corrib)沿いまでやってきました。
川沿いを歩いている人は少なく、なんだか寂しげな印象です。 -
そのコリブ川沿いには、ゴールウェイの街を取り囲んでいた城壁の一部が。
2つのアーチを持つこの城壁は、埠頭を守るために1584年に建てられた“スペイン門”(Spanish Arch)と呼ばれるもの。
ゴールウェイの街がスペインと交易があったことから名付けられ、建設された当時は全部で4つのアーチがあったとのこと。スペイン門 建造物
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寂しげな川沿いのエリアを後にし、再びメインストリートへ。
イニシュモア島を駆け巡っていたせいで昼食も食べ損なっていたし、かなりお腹が空いていたので、どこかお店に入ることにします。 -
“地球の歩き方”を開きながら見つけたのがこの“マクドーノズ”(Mc Donagh's)というシーフードレストラン。
“地球の歩き方”には何度も騙されていますが、今度はどうでしょう。マクドーノズ シーフード
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中に入ってみると、地元の人と思われる方々がカウンターに並んでいて、けっこう人気店の模様。
順番が来て注文したのは名物の“フィッシュ&チップス”(Fish & Chips)。
揚げる魚は8種類(絵入り)から選べるようになっていて、とりあえずいちばん高かった“Smoked Fish”(5.75ユーロ=約650円)というのを選びます(ほかにレギュラーサイズのチップス2.7ユーロとコカ・コーラ1.4ユーロとで、合計9.85ユーロ=約1,380円)。
空いている席を見つけて早速食べてみると・・・揚げたてで衣がパリパリとしていて香ばしいし、中身もほくほくとした感じでなかなかの美味!
“フィッシュ&チップス”って、英語圏での不味い食事の代名詞のように思っていましたが、この“マクドーノズ”のものを食べて、だいぶ認識が改まりました。 -
美味しいフィッシュ&チップスに大満足で店を後にし、再びメインストリートへ。
20時近くなっていましたが、外はまだまだ明るく、ストリートミュージシャンの演奏も始まって、ゴールウェイの夜の楽しみはこれからのようです。 -
通りの一角に厳めしい姿でそびえていたのは“聖ニコラス教会”(St.Nicholas' Collegiate Church)。
ゴールウェイ最古とも言われるこの教会は、聖ニコラスに捧げるために14世紀初頭に建てられ、15、16世紀と拡張が行われたもの。
“聖ニコラス”とは4世紀前半に活躍した小アジア・ミラの街の大主教で、海運・旅人・子ども・商人・学者などの守護聖人とされる人物。
西インド諸島を発見したあのクリストファー・コロンブスも、1477年、大西洋航海に先立ちアイスランドに向かう際、ゴールウェイに立ち寄り、この教会で祈りを奉げていったとのこと。
コロンブスがアイルランドにも来ていたなんて、この教会のことを調べていて初めて知りました・・・。
ちなみにこの聖ニコラス教会、ダブリンで訪れた聖パトリック大聖堂やクライスト・チャーチ大聖堂と同様、最初はカトリックの教会でしたが、1534年のヘンリー8世による英国国教会創設時に国教会に宗旨替えをします。
その後スコットランド出身の英国王チャールズ1世とジェームズ2世の統治時代にカトリックへの揺り戻しが行われますが、1691年、名誉革命後の王ウィリアム3世によるアイルランド平定後、この教会は再び国教会のものとなり、そのまま現在に至っています。聖ニコラス教会 寺院・教会
-
宝石店の前の街灯の下に腰かけているのは、英国の耽美派の詩人、オスカー・ワイルド(左、Oscar Wilde、1854-1900年)とエストニア人の作家、エドゥアルド・ワイルド(右、Eduard Wilde、1865-1933年)の“二人のワイルド”。
オスカー・ワイルドが英国人だということは知っていましたが、アイルランド出身だったとはこの時初めて知りました・・・。
調べてみると、“ガリヴァー旅行記”を書いた“ジョナサン・スウィフト”(1667-1745年)や“ユリシーズ”の“ジェイムズ・ジョイス”(1882-1941年)、また、“バーナード・ショー”(1856-1950年)や小泉八雲こと“ラフカディオ・ハーン”(1850-1904年)などは皆アイルランドの出身で、アイルランドは世界に冠たる文学の国なのですね。
しかし右のワイルドさんはエストニア人なのに、なぜこの場所にいるのでしょう??
単に名前が同じなだけ? -
20時を過ぎ、風も強くなってだいぶ肌寒くなってきましたが、まだ明るく宿へ帰るには早過ぎることから、この街の大聖堂、“ゴールウェイ大聖堂”(Galway Cathedral)を見に行くべく、コリブ川沿いの小路を北へ進んで行きます。
-
コリブ川に架かるサーモン・ウェア橋に差しかかったところで対岸を見ると、壮麗な石造りの大聖堂が。
あれがゴールウェイ大聖堂・・・。サーモン・ウェア橋 建造物
-
ゴールウェイ大聖堂を橋の上からパチリ。
街の中心部から外へ出るところに位置しており、自動車を運転していても思わず拝んでしまいそうな大聖堂ですね。ゴールウェイ大聖堂 寺院・教会
-
このゴールウェイ大聖堂、1957年に刑務所の跡地だった場所に建てられ、1965年に完成したルネサンス様式の大聖堂。
アイルランド独立後に建てられただけあって、国教会ではなくカトリックの大聖堂となっています。
内部はバラ窓や壁画が美しいそうなのですが、さすがにこの時間は閉まっていて、外から眺めるだけ・・・。
1963年にゴールウェイを訪れたあのジョン・F・ケネディ(米国におけるアイルランド系初の大統領)のモザイクもあるそうです。 -
内部を見られなかった無念を抱きつつ、西の空に落ちゆく夕日とともに大聖堂の雄姿をパチリ。
風が一層強くなって、春の格好ではかなり寒さを感じるようになってきたので、そろそろ宿へ引き返すことにします。 -
コリブ川の上流にはダムのようなものも。
橋の上からだと風が一層強く感じられますね。 -
帰り道、偶然にも墓石店を発見。
店内にはイニシュモア島のナ・ショフト・ジャンピル(7つの教会)でも見た、ケルト十字の墓石が置かれています。
ケルト色の濃いアラン諸島だけでなく、アイルランド本島のゴールウェイでもいまだにケルト十字のお墓が使われているのですね。 -
途中、道を間違えたりしてゴールウェイの駅前に戻ってきたのは20時50分。
まだ少し明るかったですが、この日は島でサイクリングをしたり、街の中を散々歩き回ったりして疲れていたことから、このまま宿に戻って早めに就寝。
翌日のアイルランド西部のもうひとつの見どころ、モハーの断崖へのツアーに備えます。
(ドイツ・アイルランド旅行5日目〜モハーの断崖観光へ続く。)パーク ハウス ホテル ホテル
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2015/11/29 21:43:21
- 虹の街
- エンリケさん、おばんでした☆
日本人のシニア男性とお会いした時は、お互いに驚かれたでしょうね(笑)
人それぞれの旅の楽しみと目的で訪れる街、うれしいですよね。
「屋根のない石造りの教会の遺跡を、ケルトの呪術的な模様を刻んだ柱とともにパチリ。
なんだか昔プレイしたドラゴンクエストシリーズに出てくる“最果ての教会”という感じ。」
→私、この一枚好きです〜!
島の歴史や、宗教、生活などが詰まっている感じです。
ガイドブックに出ていないけど、趣のあるものを見つけるのが、さすがお上手ですね!(^^)!
やっぱり、アラン諸島はセーターの島なのですね。
単調な編み方ではなく、寒さを防ぐために凝った編み方を取り入れるのがアラン・セーターだったような記憶が・・・?
今頃地元の方は、アラン・セーターを着込んでいるのでしょうかね?
フェリーが30分速く出発するのには、笑っちゃいました。
さらに、バスがその次のフェリーの到着を待つのにも(笑)
町子
- エンリケさん からの返信 2015/11/29 23:10:38
- 最果ての教会
- 川岸 町子さん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
アイルランドではこの日本人男性に出会ったのが最初で最後で、やはり日本人はなかなか訪れないところなんだなということを実感しました。
語学留学している若い方々がもう少しいると思ったのですが・・・。
そんな寂しげな雰囲気こそ逆にアイルランドの魅力かもしれませんね。
> →私、この一枚好きです〜!
> 島の歴史や、宗教、生活などが詰まっている感じです。
> ガイドブックに出ていないけど、趣のあるものを見つけるのが、さすがお上手ですね!(^^)!
海に向かってたたずむ教会の跡は、物悲しさの中にも何か強さを感じるものでした。
島民の方々の、何百年、何千年と過酷な自然に耐えてきた意志の強さが込められているのでしょうね。
> やっぱり、アラン諸島はセーターの島なのですね。
> 単調な編み方ではなく、寒さを防ぐために凝った編み方を取り入れるのがアラン・セーターだったような記憶が・・・?
> 今頃地元の方は、アラン・セーターを着込んでいるのでしょうかね?
アラン・セーターはもともと海に出る漁師のためにその妻や娘たちによって編まれたもので、一枚一枚家紋のような独特の柄が編み込まれていて、不幸にも海で行方不明になって岸に打ち上げられたときにはその柄で身元を判別することができたとか・・・。
アイルランドを旅していると、イングランドの侵略話とともにそんな悲しい伝説ばかりが耳に入ってきますね。
逆に言えば、政治的にも自然環境的にもそんな過酷な境遇に耐えてきた、不屈の魂を持つ強い国民だということなのでしょうね。
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