2015/09/22 - 2015/09/23
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ミズ旅撮る人さん
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2015年シルバーウィークにSLを訪ねる旅の第3弾は三重県です。。
奈良から国道25号線で東に向かい、途中、伊賀上野城でたくさんの忍者と会い、柘植でSLを見ました。
その後、東海道の関宿を散策しながらSLも見て、亀山でもSL。
翌日は、いなべ市丹生川の「貨物鉄道博物館」で、開館日ではありませんでしたが、様々な車輌を見学しました。
その後、三岐(さんぎ)鉄道西藤原駅で、現役の電車が停車するホームに停まっている変わったSLを見て来ました。
伊賀上野・関宿に関しては、旅行記を別にしています。
紀伊半島横断SLの旅の最終回です。ご堪能ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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奈良県天理から国道25号線を東へ、三重県に入り伊賀に寄って、その先の柘植(つげ)町へ。国道にある伊賀SAのすぐそばです。JR柘植駅は、関西本線から草津線が分岐する駅です。
草津線は柘植から琵琶湖に近い草津まで36.7km、柘植以外はすべて滋賀県を走ります。
運行本数は少ないですが、朝夕は京都までの直通列車もあります。
直通列車さえあれば、草津から名古屋までは、この草津線を通った方が距離が短いそうですが、現行では乗り換えに時間が掛かり、東海道本線経由の方が早いそうです。
その柘植駅の北に余野園地はあります。余野公園 公園・植物園
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秋晴れの気持ちのいい空の下、広い芝生が広がります。
余野園地(公園)の一角にSLが保存されています。 -
屋根付き、金網つきのD51ですが、自由に中に入ることが出来ます。
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かなり綺麗な車輌です。D51831。昭和17年2月鷹取工場製。1,000万円。
昭和17年の1,000万円って、今のいくらなんでしょう! -
保存会の方の力作である説明書きは、たいへん詳細なものです。
東海道本線・山陰本線・関西本線で運行、走行距離2,010,940.5km。 -
このD51は、一見綺麗に見えるのですが、あまりに厚塗りで苦しいです。
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運転席の中は計器も何も真っ黒けです。
塗ったというより、浸けたんじゃないかと思うほど。 -
ボロボロに朽ちた運転席と、ここまで塗りたくった運転席と、どちらがマシなんだろう。
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素人が塗ったにしても、もう少し綺麗に塗れなかったのか。ただもう、ため息。
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金網の出入り口に張り紙がありました。
「入場される方へ
1.鍵は余野公園管理棟事務室に預けてあります。
2.退場される時は、施錠して鍵を管理棟へ戻してください。
3.時間は、8:30から16:30とします。但し、係員不在の時は入場できない場合があります。
伊賀市蒸気機関車保存会」
ただ、この日はこの扉は開放されていて、係員などがいた様子も無く、誰かが鍵を借りてきたようにも見えませんでした。 -
こちらは、国道25号線をもう少し東に行った先にある東海道の宿場町・関宿のすぐ裏手です。
観音山公園の中にSLが保存されています。
現在は閉鎖されている国民宿舎関ロッジのそばで、屋根と腕木信号機があります。観音山公園 公園・植物園
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珍しいC50154です。現存数6輌のうちの1輌です。
1933(昭和8)年2月三菱造船神戸造船所製。1972年廃車。走行距離1,806,887km。 -
なぜかここにも木製の階段が。でも、ここは開放されていないので、中に入ることは出来ません。
柵が黒いので、意外と邪魔に見えないのが救いです。 -
そして、なぜか郵便ポスト。ちゃんと集配に来るのでしょうか。
ポストのあるSLというと北海道の豊浦を思い出します。
D51953の真横にすっくと立っているポスト。隣の公民館の前に何故設置しなかったのか。不思議なポストでした。
豊浦を訪ねた旅行記は「2014北海道9(室蘭・有珠山・SL−1)」です。
郵便局のお兄さんとの楽しい出会いがありました。 -
このSLの塗装は、なかなかセンスがいいです。
格好良く見せようという意気込みが感じられますね。 -
スポークの動輪が軽快な感じです。もう二度と動かないのが残念です。
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紀伊半島で見たSLで、腕木信号があったのは初めてです。
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関宿を散策した後、東名阪自動車道が新名神と伊勢自動車道とに分かれるJCTのある亀山に移動します。
亀山はシャープの「亀山モデル」でも有名になりました。
亀山公園はJR関西本線と紀勢本線が分岐する亀山駅の少し北にあります。
様々な施設のある広い公園で、SLの場所がわからず困っていた時に、この地図を見つけました。
右端にJ.展望台 M.噴水 O.機関車と書いてあります。
SLは亀山公園の外れにある「ますみ児童園」にあるようです。亀山公園 公園・植物園
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亀山神社。この神社の向かって右側の道路を挟んで向かい側に「ますみ児童園」はあります。
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ありました。C58359です。ここも屋根つきです。
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なぜかここにもセスナが。和歌山県有田市のSLもコンクリートの軽飛行機を一緒にありました。
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大きなデフのC58359です。状態はなかなか良さそうです。
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C58359。昭和19年1月27日川崎車輌神戸工場製。
昭和45年3月25日廃車。走行距離1,315,593km。 -
ナンバープレートの下に「川崎車輌製造 No.2932」というプレートもあります。
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かなり良く修復されています。
残念ながら、片側にプラットフォームまで設置されていますが、立ち入り禁止です。 -
C58の正面には、「亀山城楠門跡」があります。
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伊勢亀山城の多門櫓(たもんやぐら)。
明治6年の廃城令によって城本体は解体され、現存しているのはこれだけです。
昭和28年に三重県の文化財に指定されました。亀山城跡 名所・史跡
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連日、見事な夕焼けに恵まれます。空が燃えているようです。
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翌朝、いなべ市に向かう途中、重連の機関車に曳かれたセメント車とすれ違いました。
この時は、知りませんでしたが、貨車に書かれた「太平洋セメント」は、三岐鉄道の筆頭株主で、元々三岐鉄道は、セメント輸送を目的に敷設されました。
「太平洋セメント」は「小野田セメント」の後継企業です。
三岐鉄道は、これから訪れる「貨物鉄道博物館」や「ウィステリア鉄道」を開設しています。 -
紀伊半島は彼岸花の宝庫です。普通の状態でこれなんですから、すごいです。
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この彼岸花の向こうを黒いSLが走ったら、それは素晴らしい撮影ポイントになるでしょう。
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三岐鉄道丹生川(にゅうがわ)駅。三岐鉄道は昭和3年9月に設立されました。
当初は、三重と岐阜を繋げる予定で、三岐(さんぎ)という名前になりました。
西藤原から近鉄富田までの路線だけでしたが、2003(平成15)年に近鉄から北勢線を譲渡され、2路線営業となりました。
両者は交わることも無く、規格が異なる(三岐線1,067 mm、北勢線762 mm)こともあって、車輌の互換性はまったくありません。
北勢線は珍しい現役のナローゲージの路線です。
累積赤字のため近鉄に廃線の申し出を受けた沿線自治体が三岐鉄道に運営を委託した経緯があります。
三岐鉄道になってから、おもしろい切符が売り出されました。
「大穴馬券」です。これは、大泉・穴太・馬道駅の乗車券セットで、絵馬付きです。平成18年に発売された第3弾で終了したようです。丹生川駅 駅
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丹生川駅の駐車場から西藤原駅方面(北)を見ると、「貨物鉄道博物館」が見えます。
右側の倉庫です。 -
「貨物鉄道博物館」は、2003(平成15)年に三岐鉄道が日本の貨物輸送130周年を記念して開設しました。
運営はボランティアによって行われているため、開館日は毎月第一日曜日のみです。貨物鉄道博物館 美術館・博物館
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この日は、開館日ではありませんでしたが、多くの車輌が屋外展示のため、こうして見る事が出来ます。
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B4形39号。「日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、1906(明治39)年に国有化され、1922(大正11)年には東武鉄道B4形39号となって、貨物列車牽引に活躍しました。1966(昭和41)年に引退してからは、東京都の昭和鉄道高校で大切に保存されてきました。」
2003年の開館と共に、ここで展示されています。 -
1898年シャープ・スチュアート製。
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形式「ト200」の246号。1917(大正6)年日本車輌製。
「元は愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が第一次代戦後に常滑線沿線の貨物需要が急増したため製作した有蓋車で、大正末期に10t積無蓋車に改造されました。本車には、ブレーキシンリンダーがなく、白い十字の標記はそれを表しています。」
独特の「名古屋」の文字の横に「熱田駅経由東部線専用車」と書かれています。
元は、天井のある車体だったのですね。今ではちょっと長めの馬車のように見えます。 -
形式ワ11形11号。1929(昭和4)年新潟鐵工所製。
「新潟県を走っていた蒲原鉄道の10t積有蓋車です。昭和に入ってから有蓋車の側面は鋼板張りが一般的になりましたが、本車は木張りです。かつては中小ローカル私鉄の貨車も沿線の産物や生活物資を積み、国鉄線に乗り入れ活躍しました。」
子供の頃、貨物列車といえば、こういう有蓋車がたくさん連なっているのが普通でしたが、今はコンテナばかりが目立ちますね。 -
形式ワ1形5490号。1906(明治39)年新潟鐵工所製。
「製造時は北越鉄道(現在のJR信越本線の一部)の7t積有蓋車でしたが、後の国有化により各地で使用され、戦後は近江鉄道に移籍しました。大正時代に荷重を10t積に増やす改造を受けています。台枠から上は鋼製の柱に木製の板張りで、引き戸も木製です。」 -
さきほどのワ11形よりも23年も先輩なのですね。
床下の「鉄道省」の文字が歴史を感じさせます。 -
丹生川駅に三岐鉄道三岐線の電車が入って来ました。
色合いが西武鉄道に似ているなと思ったら、現在走っている車輌はすべて西武鉄道からの譲渡車輌なのだそう。
ただし、塗装が似ているのは偶然だとか。
以前は窓周りが緑色、窓上と窓下が紺色だったそう。だいぶ明るい塗装に変更されました。 -
みかん色の電車はワンマン運転。窓に表示されている「サイクルパス」は、無料で自転車を電車に持ち込むことができるという表示。
丹生川の隣の三里から西藤原までは毎日利用可。
三里から近鉄富田の手前の大矢知間は、土日や、期間限定で利用できます。
自転車で電車が利用できると随分助かりますね。 -
クモハ103は、西藤原に向けて走って行きます。
並んで貨車が見えますが、そこも「貨物鉄道博物館」の敷地です。
そちらに行って見ましょう。 -
その前に、もう1輌、貨車が残っていました。ワフ21000形21120号。
「国鉄初の鋼製有蓋緩急車で、2人乗務用の広い車掌室が特徴です。2t積の小さな貨物室は、他の貨物との混載に不向きな鮮魚や貴重品など小口貨物用でした。
1977(昭和52)年からは岐阜県の西濃鉄道に移籍し、推進運転に用いられました。」
「西濃鉄道」は、岐阜県大垣市の貨物専業の鉄道会社で、同じ市内に本社のある「西濃運輸」とは、まったく関係がないそうです。
トラック輸送部門が「西濃運輸」で、鉄道部門が「西濃鉄道」なのかと勝手に思ってしまいました。 -
ワフ21000形21120号は、後ろから見ると、デッキがあるのですね。
小さなハンドルも付いています(運転用ではありませんが)。 -
その先の貨車に向かおうと歩き出すと、「貨物鉄道博物館」の建物の切れたところに花畑があって、立ち止まりました。
手前のオレンジの花はわかりませんが、その向こうは彼岸花と蕎麦の花です。 -
少し盛りを過ぎた彼岸花とつる性の小花。
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一面の蕎麦畑だけでも美しいのに、朱色が加わって、なんと美しいのでしょう。
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道の先に西藤原からの電車が見えます。
あの辺りに鉄橋があって、撮影スポットになっているようです。
カメラマンが何人も歩いて行きました。 -
さっき行ったクモハ103が引き返してきたのかと思ったら、クモハ851です。
行き先表示板が電光掲示になっています。 -
こんなに美しい花が見られるなんて、「貨物鉄道博物館」に来てよかったなあ。
ちょっと趣旨が違う気もするけれど。 -
ちょっと、おまけです。
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おや、今朝一番に見た、重連機関車です。その後ろには、やはり「太平洋セメント」を牽引していました。
三岐線は近鉄富田〜西藤原間は旅客営業ですが、JR富田〜東藤原間で、貨物営業を行っています。 -
貨物の後には電車が来ます。クハ1852とモハ806、クモハ805です。
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さて、「貨物鉄道博物館」に戻ります。テラ1形146号。1965(昭和40)年協三工業製。
「水と反応して高熱を発生し、発火の原因となる生石灰などを輸送するため、車内に木の内張りがない鉄製有蓋車の一種です。本車は石灰鉱山を控えた岐阜県大垣市の美濃赤坂駅に配置され、周辺で生産される石灰関連製品輸送に国鉄末期まで活躍しました。」
石灰の輸送専用車だったんですね。 -
タム5000形6263号。1968(昭和43)年富士重工業製。富士重工業ってスバルですね。いろいろ作っている会社ではありますが、こんなものまで作っていたんですね。
「本形式は1938(昭和13)年から1968(昭和43)年にかけて368輌(改造を含む)が製造された15t積塩酸(及びアミノ酸)専用タンク車です。積荷の塩酸は腐食性が強いために、タンク車としては初めて内面にゴムライニングが施されました。」
タンクの内側にゴムを貼ってあるんですね。
ゴムの使用には、ほとんど無敵と言えるほどの特性があって、日本では1930(昭和5)年から始まったとされる技術が今でも当たり前に行われています。
「塩酸専用、内部ゴムライニング」と書かれています。この塩酸は何に使われたのでしょう。 -
ホサ1形1号。1930(昭和5)年浅野造船所製。
「浅野セメント(太平洋セメントの前身)が川崎の工場へ石灰石を輸送するために製造した23t積ホッパ車です。1966(昭和41)年の廃車後に福井鉄道へ移籍しましたが、かつてデッキ部分にあった制動手室は撤去され、砕石散布用に改造されています。」
この貨車が製造された年に浅野セメントの創業者浅野総一郎が死去しています。
浅野総一郎は、コークスをセメントの原料にすることで、浅野財閥を作り、京浜工業地帯を形成しました。
浅野造船所は日本鋼管(現JFEエンジニアリング)となり、日産自動車の創立にも関与し、サッポロビールを設立した一人でもあります。東洋汽船(現日本郵船)も創設しました。なんともすごい人です。 -
シキ160形。1955(昭和30)年日本車輌製。
「シキ160形式は130t積吊掛式大物車として、1955年日本車両東京支店で富士電機製造(株)向けに製造されました。大型変圧器の輸送用で、落成時は鶴見線安善駅に常備されましたが、工場の移転に伴い、1963年以降は京葉臨海鉄道京葉市原駅常備と
なり、全国各地への輸送に活躍した後、2002年末に廃車されました。
廃車後も(株)日本AEパワーシステムズの工場構内で保管されてきましたが、今般同社のご好意により、貨物鉄道博物館への収蔵が実現いたしました。
同車は車体を二分割し、中間に変圧器を組み付けて輸送する吊掛式輸送に専用する貨車で、鉄道貨物輸送の一分野である特大貨物輸送を象徴する貨車です。現存する吊掛式大物車では国内最古であり、世界的に見ても大物車の博物館での保存例は極めて少ないことを考え合わせれば、産業遺産保存の面からも貴重な事例と言えましょう」 -
DB101号。1957(昭和32)年協三工業製。
「静岡県の東海道本線用宗(もちむね)駅から分岐していた巴川製紙所の工場引込み線で、原材料や製品を載せた貨車の入れ換えに活躍したディーゼル機関車です。1986(昭和61)年に引退し、その後名古屋市内で保存され、2004(平成16)年、当館に寄贈されました。」 -
「貨物鉄道博物館」が閉館しているので、見学はここまでです。
丹生川駅に戻ります。ホームに立つ駅の看板の「MITSUBISHI 冷蔵庫」の文字が気になります。
三岐鉄道の線路に沿って、終点西藤原駅に向かいます。 -
三岐鉄道の大元(おおもと)、太平洋セメントです。ものすごく巨大です。
後ろの山を削り取っているのでしょう。 -
「西野尻駅」。三岐線で唯一の無人駅です。
西野尻駅 駅
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この楽しい駅舎が終点の西藤原駅です。
SLと客車の外観をしています。西藤原駅 駅
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ちょうど三岐線のラッピング車輌が到着しました。
車体の下半分が企業の広告で占められています。不動産屋さんらしいです。
この駅のホームは島式で、2番線まであるのですが、片方は先客が占有しています。 -
左に先客2輌が見えます。この駅の屋根は、途中で一旦途切れるんですね。
手前の赤いポストのようなものは、給水塔のようです。
給水塔の横には以前、ELが設置されていたようです。
住友大阪セメントが伊吹鉱山で使用していた「いぶき502号」で、大井川鉄道に譲渡された後、中部国際空港の建設資材運搬のために出張したまま廃車となり、ここに来たそうです。
しかし、2015年9月現在その姿は見られませんでした。いずこへ行ったのでしょうか。 -
おや?先客の足元に小さな転車台があります。本当に小さいです。
これは、「ウィステリア鉄道」のものです。「ウィステリア鉄道」は、2001(平成13)年7月に、三岐鉄道が開設したミニSLです。
ウィステリアは、「藤」のことで、藤原町にちなんで名付けられました。
ミニSLの他にミニ新幹線の運行もあったようです。
しかし、「諸般の事情により」2015(平成27)年3月29日で運行終了となりました。 -
かつては、この芝生の外周をミニSLが走っていました。
なんとボランティアによる無料運行だったそうで、維持がたいへんだったのでしょうね。 -
E102形E102号。1931年汽車製造製。
三岐鉄道開業時に活躍するも、電化により、大阪窯業セメントに譲渡。1956年引退後は同社にて保存。
平成13年に三岐鉄道開業70周年記念として里帰りしました。 -
102号は、もともと三岐鉄道のSLなのですね。それじゃあ1番線を占有していても仕方ないか。
-
本物のSLの横を走ったミニSL。臨場感あっただろうなあ。
そういえば、北海道安平町(旧追分町)に、「安平町鉄道資料館」がありますが、そこのD51320は、押し出されて車庫から外に出て来ます。
そのまばゆいばかりの美しい車体の横に、ミニSLの線路が敷設されていて、見学当時、おじ様方がせっせと動かしていました。
旅行記「2013年北海道10(安平町鉄道資料館)」をご参照ください。 -
系統の違う車体なので、足回りの部品も形状が違います。
でもちゃんと楔には「102」の刻印がありました。 -
生まれた時から走っていた線路の上に安住の地を得るSLなんて、まずいないと思います。
いい場所があったね。 -
このDLはDB25号。日立製。「三岐通運」と書かれています。関連会社で使用されていたようです。
-
さて、西藤原駅の中に入ってみましょう。構内には簡易郵便局もあります。
運賃は、近鉄富田までが520円。近鉄に乗り換えて近鉄名古屋までが1,080円。 -
運行本数は、1時間に1〜3本です。
西藤原駅は終点なので、近鉄富田に向かう上り線の時刻しかない筈なのですが、下り電車の到着時刻が表示されていました。
到着時刻があった方が、利用客には便利だと思います。 -
かつての「ウィステリア鉄道」の写真がありました。バツ印が悲しいですね。
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これが「ウィステリア(藤)」です。藤原市のシンボルマークです。
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さて、ここでちょっと引き返します。近鉄四日市駅です。
近鉄四日市駅 駅
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四日市は東海道の43番目の宿場がありました。
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「四日市は眠らない」「日本には四日市がある」のポスター。
ここでも夜の工場見学が流行っているようです。 -
現在の四日市を表しているマンホール。でもコアラにパンダ?
四日市市は、シドニー港と姉妹港の提携を結んでいます。だからオペラハウスも描かれています。
また、天津と友好都市の提携を結んでいます。
姉妹都市はアメリカのカリフォルニア州ロングビーチ市なのですが、これは描かれていないようですね。 -
「あすなろう四日市駅」。なんだろう「あすなろう」って?
「四日市あすなろう鉄道」は、2015(平成27)年4月より運航を開始した新しい会社です。
もともとは、1912(大正元)年に三重軌道が開業した軽便鉄道でしたが、様々な紆余曲折を経て、1965(昭和40)年に近鉄に吸収されました。
しかし、2012年にBRT(バス)化を提案され、四日市市が第3セクター方式で鉄道を存続させました。
「あすなろう」の社名は「あす(未来)」への希望と狭軌道(ナローゲージ)を含んでいます。 -
改札口です。自動改札はないです。頭の上を近鉄が走っているせいか、天井が低く、圧迫感があります。
駅員のいる駅は、ここと終点の内部(うつべ)駅だけです。 -
ホームは2つ。階上のアナウンスと混声しないように、9・10番線になっています。
車輌の色は全部違って、黄・ピンク・水色。 -
あすなろう線には9駅しかないのに、2つの路線があります。
日永(ひなが)から分岐する八王子線で、その先の駅は「西日野」一駅だけです。
八王子線は開業当時の本線で八王子村まで走っていました。1974年の豪雨で不通となり、西日野〜伊勢八王子間はそのまま廃線となりました。 -
グッズ販売の中に狭軌(ナローゲージ)の実寸で描かれているマフラータオルがありました。
新幹線の半分くらいしかないんですね。 -
この時に見た車輌は全面塗装のものばかりでしたが、この直後2015年9月27日から新260系車輌がデビューしました。
この車輌は、下半分が青で、上半分が白のようです。
狭軌のため、他の路線からの車輌の譲渡もほとんど不可能なので、たいへんでしょうが、新しい車輌が導入されるのですね。
先程の三岐鉄道西藤原駅の一日の乗降客は約100人。内部は8〜900人です。まだまだ頑張れますね。 -
四日市駅からたった3駅の八王子線。廃線のおそれもあったあすなろう線で、よく生き残ったと思うのですが、ちゃんと10番線に電車がいます(失礼)。
「あすなろ、あすなろ、あすはなろう〜〜」童謡の歌詞を思い出します。
これからも元気に存続してください。時間があれば乗りたかったな。
5日間に亘って、和歌山から奈良・三重と紀伊半島を横断して来た旅もここで終わりです。お付き合いありがとうございました。
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