今出川・北大路・北野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
10月20日<br />過去何度も訪れた京都、<br />京都に来ると必ず訪ねるのが大徳寺である。<br />本願寺派が絶対他力ならば<br /><br />この臨済禅は、純粋自力道。<br />人間にまつわる煩悩を自ら自力で克服する、<br />それが<br />禅の本道である。<br /><br />特に大徳寺は、21ある塔頭の内、<br />常時公開されているのは4つだけ。<br /><br />それも、最も世俗化している大仙院でもそうであるが、<br />誠に塔頭そのものが、悉く一級の美術館そのものである。<br />特に龍源院の清々しさと、石庭のなんとも表現し難い美しさは<br />際立っていると当方には思える。<br /><br />今回、通常非公開で世俗化を謝絶している黄梅院・興臨院・総見院の<br />3つの塔頭が揃って特別公開となった。<br />見ない手はあるまい。<br />中でも、小早川隆景黄梅院の庭の美しさは<br />聞くところによればえもいわれぬもの<br />だという、それが本当なのか確かめたくもあった。<br /><br />鎌倉末以来、紫野の大部分は大徳寺が占めるようになった。<br />大徳寺開祖,言わずと知れた宗峰妙超(大燈国師)、以来大徳寺住持には様々な僧が輩出。一休宗純・沢庵宗彭など枚挙に暇なしである。<br /><br />こんにちでも、大徳寺だけは山内の一部を除いて俗化を拒んでいる。<br /><br />大徳寺は、一休に参禅したという村田珠光から「茶」と深く関わるようになる。<br />{大徳寺の「茶づら」}といわれる所以である。<br /><br />村田珠光ーその孫弟子武野紹鴎ーその直弟子千利休ーその直弟子古田織部ーその直弟子小堀作介(遠州)と続くのを思うとき、<br />日本のわび茶は、正に大徳寺から起こったといっても過言ではないだろう。<br /><br />侘びとは、紹鴎によれば「正直に慎み深くおごらぬさま」<br />(秘録 山上宗二記)である。<br /><br />茶道具取り合わせは、<br />珠光によれば、<br />極めて有名たらしめた<br />「わらやに名馬繋ぎたるがよし、 <br />そそうなる座敷に名物置きたるがよし、<br /> 風体尚以て面白きなり」<br />(秘録山上宗二記)である。<br /><br />他にキーワードとして、臨済禅では、大本山として<br /><br />建仁寺ー臨済最古の寺、開祖言うまでもなく栄西、京都地元人は、<br />    ケンネジさんと呼ぶらしい。建仁寺の学問づら<br /><br />南禅寺ー石川五右衛門の山門でも有名である。臨済でも格式は  <br />    最高だと言われるが。<br />東福寺ー珍しくも公家の保護を受けた禅の大本山。<br />    東福寺のがらんづら。<br />天龍寺ー尊氏が南朝後醍醐天皇の冥福を祈り建てた、謂わば室町幕府<br />    官立寺。天龍寺の武家づら。<br />妙心寺ー14C花園天皇が花園の地名を愛し、建立。<br />    妙心寺だけは、臨済宗には珍しく臨済宗全体のために、大学<br />    を経営。妙心寺のそろばんづら。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

紫野大徳寺の境内と庭園散策(臨済禅最高峰の庭を歴史の足跡とともに見る)

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2015/10/18 - 2015/10/20

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わき

わきさん

10月20日
過去何度も訪れた京都、
京都に来ると必ず訪ねるのが大徳寺である。
本願寺派が絶対他力ならば

この臨済禅は、純粋自力道。
人間にまつわる煩悩を自ら自力で克服する、
それが
禅の本道である。

特に大徳寺は、21ある塔頭の内、
常時公開されているのは4つだけ。

それも、最も世俗化している大仙院でもそうであるが、
誠に塔頭そのものが、悉く一級の美術館そのものである。
特に龍源院の清々しさと、石庭のなんとも表現し難い美しさは
際立っていると当方には思える。

今回、通常非公開で世俗化を謝絶している黄梅院・興臨院・総見院の
3つの塔頭が揃って特別公開となった。
見ない手はあるまい。
中でも、小早川隆景黄梅院の庭の美しさは
聞くところによればえもいわれぬもの
だという、それが本当なのか確かめたくもあった。

鎌倉末以来、紫野の大部分は大徳寺が占めるようになった。
大徳寺開祖,言わずと知れた宗峰妙超(大燈国師)、以来大徳寺住持には様々な僧が輩出。一休宗純・沢庵宗彭など枚挙に暇なしである。

こんにちでも、大徳寺だけは山内の一部を除いて俗化を拒んでいる。

大徳寺は、一休に参禅したという村田珠光から「茶」と深く関わるようになる。
{大徳寺の「茶づら」}といわれる所以である。

村田珠光ーその孫弟子武野紹鴎ーその直弟子千利休ーその直弟子古田織部ーその直弟子小堀作介(遠州)と続くのを思うとき、
日本のわび茶は、正に大徳寺から起こったといっても過言ではないだろう。

侘びとは、紹鴎によれば「正直に慎み深くおごらぬさま」
(秘録 山上宗二記)である。

茶道具取り合わせは、
珠光によれば、
極めて有名たらしめた
「わらやに名馬繋ぎたるがよし、 
そそうなる座敷に名物置きたるがよし、
 風体尚以て面白きなり」
(秘録山上宗二記)である。

他にキーワードとして、臨済禅では、大本山として

建仁寺ー臨済最古の寺、開祖言うまでもなく栄西、京都地元人は、
    ケンネジさんと呼ぶらしい。建仁寺の学問づら

南禅寺ー石川五右衛門の山門でも有名である。臨済でも格式は  
    最高だと言われるが。
東福寺ー珍しくも公家の保護を受けた禅の大本山。
    東福寺のがらんづら。
天龍寺ー尊氏が南朝後醍醐天皇の冥福を祈り建てた、謂わば室町幕府
    官立寺。天龍寺の武家づら。
妙心寺ー14C花園天皇が花園の地名を愛し、建立。
    妙心寺だけは、臨済宗には珍しく臨済宗全体のために、大学
    を経営。妙心寺のそろばんづら。





旅行の満足度
4.5
交通手段
新幹線

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  • 旧大宮通の総門である。<br />旧大宮通りには、500年続く精進料理屋一久や泉仙(いずせん)があった。<br />大徳寺の主な塔頭を散策したあと、<br />遅い昼食は、瑞峯院横の泉仙(いずせん)にて、<br />鉄鉢料理を戴く予定である。

    旧大宮通の総門である。
    旧大宮通りには、500年続く精進料理屋一久や泉仙(いずせん)があった。
    大徳寺の主な塔頭を散策したあと、
    遅い昼食は、瑞峯院横の泉仙(いずせん)にて、
    鉄鉢料理を戴く予定である。

  • 総門の横に、秋の特別公開案内が。<br />特に当方は、小早川隆景黄梅院、それもとりわけ千宗易(利休)66歳時に<br />作庭したと言われる直中庭を見たかった。

    総門の横に、秋の特別公開案内が。
    特に当方は、小早川隆景黄梅院、それもとりわけ千宗易(利休)66歳時に
    作庭したと言われる直中庭を見たかった。

  • 総門から右手に勅使門その奥に山門金毛閣があった。<br />金毛閣である。

    総門から右手に勅使門その奥に山門金毛閣があった。
    金毛閣である。

  • 金毛閣山門は、雄大である。元々は、単層(1階)だった。<br />山門自体は、連歌師柴屋軒宗長が、秘蔵の源氏物語を売り払ってまで<br />建てたといわれる。宗長は宗祇の弟子、何よりも一休宗純に傾倒した。<br />それが山門を建てた理由らしい。

    金毛閣山門は、雄大である。元々は、単層(1階)だった。
    山門自体は、連歌師柴屋軒宗長が、秘蔵の源氏物語を売り払ってまで
    建てたといわれる。宗長は宗祇の弟子、何よりも一休宗純に傾倒した。
    それが山門を建てた理由らしい。

  • 金毛閣を重層にしたのは、千利休その人。<br />そして、その2階に利休の木像を置くことを勧めたのは<br />古渓宗陳といわれる。古渓は総見院の開祖でもある。<br />この利休の木像の存在は、後に時の権力者秀吉の勘気を被ることとなる<br />のは皆さんご存知のとおりである。

    金毛閣を重層にしたのは、千利休その人。
    そして、その2階に利休の木像を置くことを勧めたのは
    古渓宗陳といわれる。古渓は総見院の開祖でもある。
    この利休の木像の存在は、後に時の権力者秀吉の勘気を被ることとなる
    のは皆さんご存知のとおりである。

  • それにしても、誠に臨済禅に相応しからぬ丹塗りで雄大すぎはしないか。<br />と考えていると、20数名にもなる欧米団体客が大徳寺にやってきた。<br />少しく、時代の流れか。

    それにしても、誠に臨済禅に相応しからぬ丹塗りで雄大すぎはしないか。
    と考えていると、20数名にもなる欧米団体客が大徳寺にやってきた。
    少しく、時代の流れか。

  • 因みに、金毛とは、文字通りには金の毛の獅子のことで、<br />意味的にはすぐれた禅僧のことを指す。

    因みに、金毛とは、文字通りには金の毛の獅子のことで、
    意味的にはすぐれた禅僧のことを指す。

  • この2階部分に利休が雪駄ばきで雪見をする木像があるらしい。<br />下を見下ろす格好となろう。<br /><br />死を秀吉から賜るのであるが、罪状を読み上げたのは、<br />検使尼子三郎左衛門、<br />介錯は利休の弟子でもあった検使蒔田淡路守重政だった。<br />天正19年2月28日である。<br /><br />その後秀吉の怒気は、おさまらず一時は大徳寺そのものの破却まで<br />考えたが、大徳寺を身を賭して守ったのは古渓宗陳だった。<br />具体的には、古渓は使者の前にて切腹しようとし、驚いた秀吉は<br />使者を早々に引き返させたと言われる。

    この2階部分に利休が雪駄ばきで雪見をする木像があるらしい。
    下を見下ろす格好となろう。

    死を秀吉から賜るのであるが、罪状を読み上げたのは、
    検使尼子三郎左衛門、
    介錯は利休の弟子でもあった検使蒔田淡路守重政だった。
    天正19年2月28日である。

    その後秀吉の怒気は、おさまらず一時は大徳寺そのものの破却まで
    考えたが、大徳寺を身を賭して守ったのは古渓宗陳だった。
    具体的には、古渓は使者の前にて切腹しようとし、驚いた秀吉は
    使者を早々に引き返させたと言われる。

  • この左には大徳寺仏殿がある。<br />応仁の乱で大徳寺は焼失。<br />再建するのは、一休に親しんだ堺の町人尾和宗臨である。

    この左には大徳寺仏殿がある。
    応仁の乱で大徳寺は焼失。
    再建するのは、一休に親しんだ堺の町人尾和宗臨である。

  • 金毛閣違う角度から

    金毛閣違う角度から

  • 仏殿である。<br />応仁の乱で焼失したが、堺の尾和宗臨が財を投げ打って再建。<br />因みに宗臨は、一休の真珠庵や方丈など殆どを再建することとなる。

    仏殿である。
    応仁の乱で焼失したが、堺の尾和宗臨が財を投げ打って再建。
    因みに宗臨は、一休の真珠庵や方丈など殆どを再建することとなる。

  • 仏殿手前に、何百年もの樹齢のイブキの木があった。

    仏殿手前に、何百年もの樹齢のイブキの木があった。

  • 樹齢数百年、人間で言えばかなりの老齢であろう。

    樹齢数百年、人間で言えばかなりの老齢であろう。

  • 仏殿の中を撮影してみた。

    仏殿の中を撮影してみた。

  • 仏殿側から見た金毛閣

    仏殿側から見た金毛閣

  • さらにもう一枚

    さらにもう一枚

  • 仏殿の左横は治部少輔石田三成<br />(秀吉政権の事務官僚で、武将としては殆ど手柄は疑問符かな)<br />の墓がある三玄院。

    仏殿の左横は治部少輔石田三成
    (秀吉政権の事務官僚で、武将としては殆ど手柄は疑問符かな)
    の墓がある三玄院。

  • 三玄院で思い出したが、<br />利休の友人でもあった上述の古渓和尚を、筑前博多へ一時追いやったのは<br />三成の秀吉への讒言があったからという説もある。<br />俗化せずに拝観は謝絶。

    三玄院で思い出したが、
    利休の友人でもあった上述の古渓和尚を、筑前博多へ一時追いやったのは
    三成の秀吉への讒言があったからという説もある。
    俗化せずに拝観は謝絶。

  • 回裏 本坊 方丈 宗務本所

    回裏 本坊 方丈 宗務本所

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 大徳寺の謂われが簡潔に。

    大徳寺の謂われが簡潔に。

  • 芳春院にやってきた。<br />前田利家の妻マツの寄進。

    芳春院にやってきた。
    前田利家の妻マツの寄進。

  • 大きく撮影してみた

    大きく撮影してみた

  • 芳春院のいわれなど。

    芳春院のいわれなど。

  • 芳春院の中の小路

    芳春院の中の小路

  • 内側から芳春院の塔頭門を。因みに塔頭とは、臨済宗大本山の中の<br />子院のこと。塔頭の塔とは、墓碑のことである。

    内側から芳春院の塔頭門を。因みに塔頭とは、臨済宗大本山の中の
    子院のこと。塔頭の塔とは、墓碑のことである。

  • ここから先は、謝絶である。

    ここから先は、謝絶である。

  • 謝絶の証拠は、竹の横棒

    謝絶の証拠は、竹の横棒

  • 同じく芳春院

    同じく芳春院

  • 同上

    同上

  • 真珠庵前まで来た。<br />無論非公開であるが、この庵の名が一休の命名による。<br />完成を待たず一休は身罷るが、尾和宗臨が完成させる。

    真珠庵前まで来た。
    無論非公開であるが、この庵の名が一休の命名による。
    完成を待たず一休は身罷るが、尾和宗臨が完成させる。

  • 世俗化を拒んでいる

    世俗化を拒んでいる

  • 真珠庵前の撮影

    真珠庵前の撮影

  • 真珠庵の謂われ

    真珠庵の謂われ

  • 真珠庵の前の樹木

    真珠庵の前の樹木

  • 同上

    同上

  • 真珠庵の手前が、この大仙院である。<br />大徳寺で最も世俗化しているし、観光させるところでもある。

    真珠庵の手前が、この大仙院である。
    大徳寺で最も世俗化しているし、観光させるところでもある。

  • パンフ<br />大仙院では、お茶を喫した。<br />庭を撮影するのを忘れてしまった。

    パンフ
    大仙院では、お茶を喫した。
    庭を撮影するのを忘れてしまった。

  • 大仙院前の樹木

    大仙院前の樹木

  • その隣には、沙羅双樹

    その隣には、沙羅双樹

  • 沙羅双樹である。

    沙羅双樹である。

  • 後戻りで、また金毛閣をすり抜けて

    後戻りで、また金毛閣をすり抜けて

  • 勅使門である。

    勅使門である。

  • 勅使門の横からしか金毛閣は写せない。<br />なぜなら、正面は勅使門だからである。

    勅使門の横からしか金毛閣は写せない。
    なぜなら、正面は勅使門だからである。

  • そして、いよいよ龍源院・黄梅院のある小路へ

    そして、いよいよ龍源院・黄梅院のある小路へ

  • 龍源院である<br />きょうの石は大きく見えるか小さく見えるか、<br />こちらの心持ち次第で大きく見えたり小さく見えたりする

    龍源院である
    きょうの石は大きく見えるか小さく見えるか、
    こちらの心持ち次第で大きく見えたり小さく見えたりする

  • パンフ

    パンフ

  • 門をくぐる

    門をくぐる

  • 同上

    同上

  • いわれなど

    いわれなど

  • 方丈前庭<br />

    方丈前庭

  • ここから先は石庭を。<br />なにゆえ、石と砂だけか。<br />樹木の成長は早い。<br />室町期には、庭の均衡を破るような生育の激しい樹木は<br />忌み嫌われ生育の遅い木が選ばれた。<br /><br />そして、季節ごとの刈り込みが行われた。<br /><br />これを推し進めると極限的には<br />樹は僅かでも成長すると釣り合いを失い<br />もう樹木は一切使用しないということとなる。<br />その究極が石と砂、草庭、苔庭の発想となった。<br />

    ここから先は石庭を。
    なにゆえ、石と砂だけか。
    樹木の成長は早い。
    室町期には、庭の均衡を破るような生育の激しい樹木は
    忌み嫌われ生育の遅い木が選ばれた。

    そして、季節ごとの刈り込みが行われた。

    これを推し進めると極限的には
    樹は僅かでも成長すると釣り合いを失い
    もう樹木は一切使用しないということとなる。
    その究極が石と砂、草庭、苔庭の発想となった。

  • 龍源院一枝坦

    龍源院一枝坦

  • 同上その左側

    同上その左側

  • 少しずつ右へ

    少しずつ右へ

  • 少しずつ更に右へ

    少しずつ更に右へ

  • 更に右

    更に右

  • 大きく拡大

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  • 同上全体を

    同上全体を

  • 同上

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  • 左側石

    左側石

  • 更に拡大

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  • 同上左石を

    同上左石を

  • 違う角度で

    違う角度で

  • 違う角度で

    違う角度で

  • もう一枚

    もう一枚

  • さらに一枚

    さらに一枚

  • 大きく拡大

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  • 更に拡大

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  • また違うように

    また違うように

  • 開祖堂

    開祖堂

  • 龍吟庭 遥拝石 須弥山石

    龍吟庭 遥拝石 須弥山石

  • 同上

    同上

  • 東滴壺

    東滴壺

  • また回って龍源院一枝坦

    また回って龍源院一枝坦

  • 同上

    同上

  • 東滴壺反対側から

    東滴壺反対側から

  • その説明

    その説明

  • 書院

    書院

  • 同上

    同上

  • 黄梅院へやってきた。<br />普段は俗化を拒んで非公開。<br />今回期限付き公開<br />但し、境内庭等撮影禁止

    黄梅院へやってきた。
    普段は俗化を拒んで非公開。
    今回期限付き公開
    但し、境内庭等撮影禁止

  • 黄梅院

    黄梅院

  • パンフ

    パンフ

  • 黄梅院の謂われ

    黄梅院の謂われ

  • 蒲生氏郷 小早川隆景墓地

    蒲生氏郷 小早川隆景墓地

  • 毛利家一門霊所 信長の父信秀霊所

    毛利家一門霊所 信長の父信秀霊所

  • 黄梅院境内入ったところ

    黄梅院境内入ったところ

  • 同上

    同上

  • 同上<br />ここまでは、撮影しても何も文句はあるまい。

    同上
    ここまでは、撮影しても何も文句はあるまい。

  • 利休66歳時に作ったと言われる直中庭は撮影厳禁だった。<br /><br />しかし<br />正に1級美術館だった、<br />回廊には、見上げると扁額「自休」の遺墨があった。<br />大徳寺開祖宗峰妙超の筆である。<br /><br />「休」の字は、これを模範に一休が一文字、利休も一文字つけたものと<br />思われた。<br /><br />しかしながら、廊下の隅に誰かからの頂き物であろうか、置いてあった胡蝶蘭の花束だけは、臨済禅にふさわしくはなく興ざめで、1点だけの曇りだった。

    利休66歳時に作ったと言われる直中庭は撮影厳禁だった。

    しかし
    正に1級美術館だった、
    回廊には、見上げると扁額「自休」の遺墨があった。
    大徳寺開祖宗峰妙超の筆である。

    「休」の字は、これを模範に一休が一文字、利休も一文字つけたものと
    思われた。

    しかしながら、廊下の隅に誰かからの頂き物であろうか、置いてあった胡蝶蘭の花束だけは、臨済禅にふさわしくはなく興ざめで、1点だけの曇りだった。

  • 瓦部分

    瓦部分

  • 興臨院ここも、<br />特別公開である。<br />当方は2度目。<br />古田織部の茶室がある。<br /><br />古田織部、言わずと知れた千利休の弟子である。<br />織部は、師の利休にあるとき 茶の心を問うたとき、<br />利休から<br />「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや」(古今集)<br />と返されたという。<br /><br />また、天正18年秀吉が小田原城を囲んだとき、利休もともに秀吉と下向<br />しているのを知り、織部はこの時岩槻城を攻めていたが、<br />利休に一書を送っている。<br />「むさしあぶみさすがに道の遠ければ問わぬもゆかし問うもうれしし」<br />という和歌をそえた。<br />これに、利休からの返書<br />「ご音信とだえとだえずむさしあぶみさすがに遠き道ぞとおもへば」<br /><br /><br />村田珠光・武野紹鴎・千利休・古田織部・小堀作介とわび茶の歴史は続く。<br />侘びとは、紹鴎によれば「正直に慎み深くおごらぬさま」(山上宗二記)である。<br /><br />茶道具取り合わせは、<br />珠光によれば、<br />「わらやに名馬繋ぎたるがよし そそうなる座敷に名物置きたるがよし<br /> 風体尚以て面白きなり」(山上宗二記)である。<br /><br />

    興臨院ここも、
    特別公開である。
    当方は2度目。
    古田織部の茶室がある。

    古田織部、言わずと知れた千利休の弟子である。
    織部は、師の利休にあるとき 茶の心を問うたとき、
    利休から
    「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや」(古今集)
    と返されたという。

    また、天正18年秀吉が小田原城を囲んだとき、利休もともに秀吉と下向
    しているのを知り、織部はこの時岩槻城を攻めていたが、
    利休に一書を送っている。
    「むさしあぶみさすがに道の遠ければ問わぬもゆかし問うもうれしし」
    という和歌をそえた。
    これに、利休からの返書
    「ご音信とだえとだえずむさしあぶみさすがに遠き道ぞとおもへば」


    村田珠光・武野紹鴎・千利休・古田織部・小堀作介とわび茶の歴史は続く。
    侘びとは、紹鴎によれば「正直に慎み深くおごらぬさま」(山上宗二記)である。

    茶道具取り合わせは、
    珠光によれば、
    「わらやに名馬繋ぎたるがよし そそうなる座敷に名物置きたるがよし
     風体尚以て面白きなり」(山上宗二記)である。

  • パンフ

    パンフ

  • 同上

    同上

  • 表門

    表門

  • 同上

    同上

  • 右が、内部

    右が、内部

  • 興臨院の石庭

    興臨院の石庭

  • 同上

    同上

  • 同上。<br />

    同上。

  • 何枚もこの際撮影。<br />庭だけが撮影できる。<br />他は撮影禁止である。

    何枚もこの際撮影。
    庭だけが撮影できる。
    他は撮影禁止である。

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上何枚も

    同上何枚も

  • 同上

    同上

  • 違うように何枚も

    違うように何枚も

  • 同じく

    同じく

  • 同上

    同上

  • しつこく撮影

    しつこく撮影

  • 何枚も

    何枚も

  • 同上

    同上

  • 同じく。<br />向こうに花頭窓

    同じく。
    向こうに花頭窓

  • 花頭窓を

    花頭窓を

  • くどいように撮影

    くどいように撮影

  • 同上

    同上

  • 千人塚かな

    千人塚かな

  • 同じく

    同じく

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • 千人塚

    千人塚

  • これも

    これも

  • 同上

    同上

  • 総見院の鐘楼である。<br />言うまでもなく、<br />総見院は信長の墓所<br />秀吉が大徳寺にて、信長の葬儀を行ってから<br />にわかに大徳寺も注目をうけるようになった。<br />ここも、普通は非公開である。

    総見院の鐘楼である。
    言うまでもなく、
    総見院は信長の墓所
    秀吉が大徳寺にて、信長の葬儀を行ってから
    にわかに大徳寺も注目をうけるようになった。
    ここも、普通は非公開である。

  • 鐘楼の銘文は、総見院開祖古渓宗陳のもの。<br />石田三成とは確執があったようである。

    鐘楼の銘文は、総見院開祖古渓宗陳のもの。
    石田三成とは確執があったようである。

  • 総見院のワビスケ<br />樹齢400年

    総見院のワビスケ
    樹齢400年

  • パンフ

    パンフ

  • 同上

    同上

  • 信長廟所とある

    信長廟所とある

  • 表門

    表門

  • 総見院表門を全体的に

    総見院表門を全体的に

  • 総見院内部

    総見院内部

  • 信長輿

    信長輿

  • 同上

    同上

  • 輿の説明書き

    輿の説明書き

  • 総見院内部茶室か客間か

    総見院内部茶室か客間か

  • 井戸

    井戸

  • 茶室か客間か

    茶室か客間か

  • 茶室だった。

    茶室だった。

  • 茶室

    茶室

  • 総見院本堂には信長坐像があった。

    総見院本堂には信長坐像があった。

  • 茶室前庭

    茶室前庭

  • これも茶室

    これも茶室

  • 掘り抜き井戸<br />井筒部分が大きな朝鮮石で彫り抜かれている。<br />加藤清正が朝鮮から持ち帰った。<br />今なお水はいくらでも湧き出ている。<br />

    掘り抜き井戸
    井筒部分が大きな朝鮮石で彫り抜かれている。
    加藤清正が朝鮮から持ち帰った。
    今なお水はいくらでも湧き出ている。

  • その井戸の中

    その井戸の中

  • 説明書き

    説明書き

  • 織田信長一族墓碑

    織田信長一族墓碑

  • 信長墓碑

    信長墓碑

  • 真ん中が信長墓地

    真ん中が信長墓地

  • 瑞峯院も中々に良い石庭がある。<br />当方も過去何回も見た。<br />今回は遠慮させていただいた。

    瑞峯院も中々に良い石庭がある。
    当方も過去何回も見た。
    今回は遠慮させていただいた。

  • ちょっと昼飯をたべたくなったからである。<br />京都に来たら、必ず昼飯は一度はここ、泉仙で食う。泉仙精進料理は、鉄鉢である。<br />必ずコースを頂く。

    ちょっと昼飯をたべたくなったからである。
    京都に来たら、必ず昼飯は一度はここ、泉仙で食う。泉仙精進料理は、鉄鉢である。
    必ずコースを頂く。

  • ちょっと、心残りだったのは、高桐院の南側に<br />玉林院があるが、<br />ここに幕末の函館奉行だった小出秀実の墓があるので、<br />玉林院の前だけでも通りたかったことである。<br />小出秀実ー函館奉行時代、イギリス領事館の<br />アイヌ人墓地盗骨事件を、イギリス相手に堂々と一歩も<br />引かず解決したことで知られる。<br />また、当時のロシアとの間で千島樺太間交換の外交でも正使となった人間でもあった。<br /><br />そういうことを考えながらも昼飯を食った。<br /><br /><br />まだまだ、色々と書き加えたいことなどありますが、<br />この辺で皆さんにこの拙き旅行記を<br />公開させて頂こうと思います。

    ちょっと、心残りだったのは、高桐院の南側に
    玉林院があるが、
    ここに幕末の函館奉行だった小出秀実の墓があるので、
    玉林院の前だけでも通りたかったことである。
    小出秀実ー函館奉行時代、イギリス領事館の
    アイヌ人墓地盗骨事件を、イギリス相手に堂々と一歩も
    引かず解決したことで知られる。
    また、当時のロシアとの間で千島樺太間交換の外交でも正使となった人間でもあった。

    そういうことを考えながらも昼飯を食った。


    まだまだ、色々と書き加えたいことなどありますが、
    この辺で皆さんにこの拙き旅行記を
    公開させて頂こうと思います。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 黒田(温泉)さん 2015/11/11 10:48:47
    紫野大徳寺
    わきちゃんさん

    おはようございます。
    「紫野大徳寺の境内と庭園散策」を拝見いたしました。
    素晴らしい庭園ですね!
    京都は何度が行きましたが、ここはまだでした!
    一度行ってみたくなりました!
    ありがとうございました。

    わき

    わきさん からの返信 2015/11/11 21:09:35
    RE: 紫野大徳寺
    黒田(温泉)さん こんばんは。

    二度にわたる丁寧なまた細やかなるコメント
    まことにありがとうございます。
    当方 年に三つ位の極めて少ない寡作旅行記
    ですが、ご訪問いただき嬉しき限りです。
    こちらも、今後訪問させていただきますので
    よろしくお願い致します。
    わき

    > わきちゃんさん
    >
    > おはようございます。
    > 「紫野大徳寺の境内と庭園散策」を拝見いたしました。
    > 素晴らしい庭園ですね!
    > 京都は何度が行きましたが、ここはまだでした!
    > 一度行ってみたくなりました!
    > ありがとうございました。
    >
  • たらよろさん 2015/11/10 19:58:20
    何度も行きたくなる。。。。大徳寺なんですね
    こんばんは、わきちゃん様
    はじめまして。

    何度もなんども、京都を訪れるたびに行かれてるという大徳寺。
    私は京都に住んでいて、
    いろいろなお寺さんに行っているにも関わらず、
    なぜか、大徳寺に縁がなく、今まで行けていません。
    ほんと、今考えるとなぜ行っていないんだろう??
    なんて思いもあるのですが、
    今度、絶対に行きたいと思います。

    そんなに魅力的なお寺さんなんですね〜〜
    楽しみです。

    また、遊びに来させていただきますね。
    今後ともよろしくお願い致します。

      たらよろ

    わき

    わきさん からの返信 2015/11/10 21:33:45
    RE: 何度も行きたくなる。。。。大徳寺なんですね
    たらよろさん

    今晩は。
    なんとも嬉しき限りのコメントを
    ありがとうございます。
    こちらこそ
    今後ともよろしくお願い致します。
    旅行記にもまた寄らせて頂きます。
    わき

    > こんばんは、わきちゃん様
    > はじめまして。
    >
    > 何度もなんども、京都を訪れるたびに行かれてるという大徳寺。
    > 私は京都に住んでいて、
    > いろいろなお寺さんに行っているにも関わらず、
    > なぜか、大徳寺に縁がなく、今まで行けていません。
    > ほんと、今考えるとなぜ行っていないんだろう??
    > なんて思いもあるのですが、
    > 今度、絶対に行きたいと思います。
    >
    > そんなに魅力的なお寺さんなんですね〜〜
    > 楽しみです。
    >
    > また、遊びに来させていただきますね。
    > 今後ともよろしくお願い致します。
    >
    >   たらよろ
  • ここいったさん 2015/10/22 22:52:41
    初めまして
    わきちゃん様 初めまして
    ご挨拶遅くなりまして失礼しました。
    私の記事に投票を有難うございます。
    紫野大徳寺、良いお寺ですね。
    石庭が美しいです。
    年齢とともに、こうしたお寺を見るのが心癒されます。
    有難うございました。

              ここいった

    わき

    わきさん からの返信 2015/10/24 09:41:54
    RE: 初めまして
    ここいったさん。

    おはようございます。

    滝見台からの滝の鮮やかさは、
    実際に見たらまた格別でしょうね。
    こちらこそありがとうございました。
    また寄らせてください。
    わき


    > わきちゃん様 初めまして
    > ご挨拶遅くなりまして失礼しました。
    > 私の記事に投票を有難うございます。
    > 紫野大徳寺、良いお寺ですね。
    > 石庭が美しいです。
    > 年齢とともに、こうしたお寺を見るのが心癒されます。
    > 有難うございました。
    >
    >           ここいった
    > 滝見台

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