2015/09/17 - 2015/09/23
232位(同エリア535件中)
もっちさん
3度目のイタリア。ずっと行きたいと思っていた、ナポリとポンペイ。
ナポリは治安が悪いと聞いていたので、まだ敷居が高いかな・・、と思って避けていましたが、意を決してシルバーウイークを利用し行ってきました。
ポンペイ、エルコラーノ、国立考古学博物館(こちらは20日に訪問)と2000年前の満喫してきました。
・はきやすい靴で、雨の日は避けたほうがベター。滑りやすい。
・日陰はほとんどありません、座る場所もほぼありません。
・暑いときはむしろ屋根のある遺跡に入ってしまったほうが、涼しかった。
・昼過ぎからは団体ツアーで混むのでできれば朝イチで行くことをお勧めします。
・どこかしらは修復中。これが絶対みたいという方は事前に公式サイトで調べたほうがいいです。
・地図に掲載のない遺跡も公開しています。係員曰く、地図の番号がない遺跡も公開しているとのこと。結論→完璧な地図はない。日々、修復しているからw
・迷子になったら、団体ツアーで人がたくさんいる個所に行けば、そこが見どころです。
・メイン通りはStabiana通りとAbbondanzaになると思いますので、この2本の通りを基準にするといいかと思います。
【行程】
9/17 成田から出国
9/18 FCOからローマ・テルミニ駅→フレッチャロッサでナポリ中央駅→ルチアーノで食事
★9/19周遊鉄道でポンペイ・エルコラーノ、中央駅からフリグレイ駅でスタジオ・サン・パオロ(セリエA・SSCナポリの本拠地)→ディ・マッシオ
★9/20 考古学博物館→カポディモンテ国立美術館→トレド通り→G&I美術館→マリィ→プレビシート広場→ブランディ→スタジオ・サン・パオロ
9/20 中央駅からカセルダ宮殿→ディ・マッシオ→スパッカナポリからサンローゼ礼拝堂、サンタ・キアーラ教会、ジェス教会→ヌーボ城→中央駅からローマテルミニへ
9/21 早朝FCO→9/22 早朝帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8時11分のベスビオ周遊鉄道に乗車し、最寄駅のヴィッラ・ディ・Nミステリ駅を目指します。
こちらは始発駅。
確実に座れるので、ナポリの中央駅から乗車するよりはこちらのほうがおすすめです。
始発駅は係員も複数いるし、チケット売り場も思ったより広かったです。
と言っても、私はアルテカードで乗車するので、あまり意味なかったですけど。
休日ということもあり、駅は閑散としてました。でも危険な感じはしませんでした。 -
世界に誇るポンペイへ、この電車で向かいます。
落書きがひどい。
これに世界中の観光客が乗車するんだから、ポンペイの顔として美しくしよう、キレイにしようという意識はないのかな?
(・・ないですね) -
車内の様子。
ちゃんと座れます。
なお、観光客らしき人は大体ポンペイで下車しますが、地元の方はお休みは終点のソレントに行くようですね。
前の席のカップルがチュッチュチュッチュ♪7回くらい・・。 -
30分〜40分で最寄駅に着きます。
うーん、今日も快晴!
降りてすぐのところにお土産屋さんがたくさん。
トイレはナポリ方面のホームへ向かう地下にあります
(料金0.5ユーロ。キレイです、テッシュもあります。1ユーロしかなくてもお兄さんが両替してくれました。) -
ポンペイの入り口から駅方面をみたところ。
観光価格。 -
正面玄関。
歩き方では8:30からと記載してますが、実際は9時から。
9時前には長蛇の列。
ツアーの団体客も増えてくるし・・。
でも繰り上げなんてしませんよ。 -
9時からですってば、地○の歩き方さ〜ん(涙)!
-
ようやく敷地内に入れました。
ドキドキ・・。
この道をずっと進むと・・。 -
フォロに出ました。ベスビオ山が〜。
ずっと見たかった景色。望んでいた景色。
うれしいな。
朝イチで撮影。
昼過ぎにここに戻ったら、もうすんごい人でした。
この日は観光日和だったから。 -
前の写真の左側には発掘品が展示してあります。
と言っても柵越しです。
西暦79年8月24日、ベスビオ山の大噴火で発生した火砕流で、ポンペイ(当時1万人以上)は一瞬のうちに生き埋めになりました。
火砕流の速度は時速 100 km 以上と言われてます。
逃げる時間なんてないです。
1回噴火が収まって、朝、火砕流が発生したといわれてます。
1回、自宅に戻っていたところを襲われた方も多いそうです。 -
小さな子供。。
きっと近くにはパパ・ママもいたんだよね。 -
人はフォロあたりにはたくさんいますが、ちょっと道を外れるとこの通り。
まだ開園直後だからね。 -
フォロからすぐ近くの悲劇詩人の家。
-
ここは猛犬注意、のモザイクで有名な御宅。
もちろんガラス越。
オリジナルは国立考古学博物館(というか、ポンペイのオリジナルはほとんどは国立考古学博物館)。
なお、オリジナルは出張中でした、ここでちゃんと真面目に見学すればよかった〜。 -
続いて牧神の家にやってきました。
ここでミス。
アレキサンダー大王のモザイクの見学を忘れ、最後に戻ってくることに・・。エルコラーノも行くのでスケジュールがタイトなのに、なにをやっているのか、私。 -
道路には至るところに水道があります。水道を引く技術も当時からあったんですね。
ちゃんと水は出てました。飲みませんでしたが。
当時のポンペイは貿易の交易地だったし、近隣ではワイン・作物も豊富にとれることもあり、ローマ以上に栄えていたそうです。 -
ここはパン屋のようです。
臼が3台。結構大規模なお店だったのかな。 -
窯も残ってます。
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-
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どこだか忘れちゃった。
祭壇かなにか。
すいぶんと保存状態がいいですね。 -
私はこの濃紺でもなくブラックでもないこの色が気に入りました。
ポンペイはペンペイレッドが有名ですが、実は元々は黄色で、噴火によりレッドになったという説があります。 -
この御宅のモザイクが素敵でした。
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娼婦の家を探していたのですが、なかなか見つからずどうしようと思っていたら、なんだか人だかりのあるエリアがあって、行ったら、こそが娼婦の家でした。(結構こういうことが多かった)
牧神の家等と違って大邸宅ではないし、大通りに面しているわけではないので、見落としやすいと思います。
考えてみたら、こういう分野の建物が大規模だったら、そりゃおかしいし、大通りに面していたら、教育衛生上おかしいですよね。 -
ここ、入り口も激せまで、室内も狭い。でもって、みんな前に進まない!
みんな興味あるの共通なんですね、はは。 -
いわゆるお部屋。
狭くて、暗そう。 -
続いてスタビアーネ浴場にやってきました。
ここはポンペイでメイン通りのスタビアーネ通りとAbbondanza通りが交差する近くなので探しやすいと思います。
入り口の荷物入れ。 -
天井。
おしゃれな天井ですね。 -
日さしを取り込める設計になっていたようです。
-
ここで蒸気で体を温めて。
-
お風呂へ。
私が日本人だからでしょうか、すごく親しみがわいて、どうして現在のイタリア人はこのDNAを受け継いでくれなかったのか、と思ったりw -
この壁の模様は召使のお部屋ってことでいいのでしょうか。
-
飲み屋発見。
なお、ポンペイの人は、仕事は午前中のみだったんですって。
そりゃ〜、飲み屋が繁盛するはずだわ。
昼から飲めるんだもん! -
大劇場からポンペイ全体を見てみた。
ここが本当に火山灰で埋まっていたんだ、とにわかに信じられない。
噴火ってすごいんだな、地下のエネルギーを一気に放出するから当たり前かあ・・。 -
ここで団体さんの記念撮影をしていました。今でも使用されているようで、音響関係の機材が普通においてありました、すごい。
-
剣闘士の官舎まで来ました。
映画でみた剣闘士の官舎は奴隷扱いの感じでしたが、実際はどうだったんでしょうか。 -
大劇場から円形闘技場に行くまでの道で、また飲み屋発見。
結構たくさん飲み屋(バール)がありました。
今は世界遺産だから無理だけど、実際ここをバールとして使用しててもおかしくないと思う。 -
ここも忘れちゃった。
私は今回ポンぺイのサイトから事前に地図を出しておきました。
見どころに番号が振ってあって、実際に係員が中の建物にいます。
どっかに入った時に係員に「ここは何番ですか」ってきいたら、番号ないよ、っておっしゃる。ええ〜。
ポンペイは修復を繰り返しているから、修復中の間はほかの場所を見せているって。
だから、地図の番号がない場所も見どころがあるって。そんなわけで完璧な地図なんてないんだよって。(きっと更新する意思もないのでしょう・・)
結論:ここはどこかな〜、って冒険心をもって見学するのがいいとおもいますw -
-
Abbondanza通りには当時の落書き(ワインの絵や選挙の候補者等)がたくさん残っているとうかがっていたので、それらも楽しみにしてましたが、Abbondanza通りの落書きはほとんど修復中でこんな感じ。
仕方ないですね。 -
こちらもガラス越し。
そういえば、金色天使の家とヴェッテイの家も入ることができませんでした。道に立ち入り禁止のロープが張られてて。
ポンペイ全体もすべて発掘ができているわけではなく、70〜80%くらいなんだそうです。
残りはもっといい保存方法が見つかったら発掘するそうです。 -
円形競技場までやってきました。
なお、観客席は座ることができません。
中のオブジェに入ってみます。
(国鉄でポンペイに来た場合はローマ門から入ることになるのですが、ローマ門から一番近いスポットがここになるので、ここもかなり混んでました) -
ポンペイが発掘された当時、火山灰の中は、遺体部分が腐敗して空洞ができてました。そこに石膏を流し込む。そして、石膏を流し込んでよみがえった死者の方々。
当時の最後の状況が分かってつらい。
日本も火山国だから他人事とは思えない。 -
子供を守ろうとしたのかな。
-
この方はベルトから察すると、きっと奴隷だったのかな。
自由人になることを夢見ていたのかな。。
(奴隷でも一般人になるチャンスはあって、結構高い身分に上り詰めた奴隷もいるらしい。奴隷といってもローマ帝国と戦闘で戦って負けた国の人だから、有能な人もそれはたくさんいたわけで) -
灰が入ってこないようにしてたのかな。。
-
私は観光として来ているけど、ポンペイはあくまで自然災害の1つ。
ただ、この自然災害のおかげで(おかげ、というのは変だけど)当時の遺跡、生活等、ベールの部分が分かったわけで。
人間って残したいものを後世に残すことは苦手だけど、自然はこういう方法でも後世に遺産を残すことができる。人間が自然をコントロールしようだなんて、おこがましいんだな。
いろいろ考えさせられた。
ここは大体育場。本当に広かった。プールなどもあったそう。 -
この緑がとっても素敵。
ポンペイって色使いが素敵な場所が多かったけど、こういう色はあまり見なかったな〜。
貿易で得たものなんだろうか? -
円形競技場と大体育所の間の道。
この巨大な松もポンペイが発掘されてから育ったんだよね。
イタリアの松って日本と品種が違うのか、すごく背が高い。 -
イタリアでは蛇が幸福の象徴と考えられていて、結構蛇の絵を見かけました。
昔からそうだったんですね。
ミラノ市の紋章もたしか蛇が描かれていたはず。 -
またバール発見。
-
-
お昼時のAbbondanza通り。
今も昔もメイン通り!! -
フォロに戻って、大体見学できるところはしたかな〜とお煎餅を食べてました。
でもなんか、逃したような気がする(ちなみに秘儀荘は初めからパスしてた)。
ハッ、アレキサンダー大王のモザイク画、観てない!!
この為にここに来たんじゃん!
(オリジナルは国立考古学博物館にあるのですっかり気が抜けていたようです) -
またまた牧神の家まで戻ります。
牧神さん、ホントにお金持ちだったんだなあ、広いよこの家。
お客「いや〜、素晴らしいモザイクですねえ」
牧神さん「たいしたもんじゃないんですよ、ハッハッ。まっ、庭も続いてますから、こんなところにたたずんでないで奥へ参りましょう〜。」
こんな感じ? -
アレキサンダー大王をズームイン!
モザイクは壁画ではなく、地面にあったんですね。
壁画だったら、ここまで残らなかったかも。
ちょっと砂をかぶってますね。 -
あっ、この絵・・。
たしか生殖を意味しているハズ。。 -
うわあ。
(思ったら、国立考古学博物館の秘密の子部屋にもこんな感じのものがたくさんありました。ポンぺイは性におおらかだったのかな・・) -
壁ものちゃんと模様が入ってます。女性のお部屋だったのな。
現在でも好まれそうなお部屋ですね。 -
ビーナスかなあ。
このお部屋にはたくさん書かれてました。
この部屋も女性好み。 -
-
牧神の家の中庭。
ここはかなりの豪邸です。
私が見学した中では一番の大邸宅だったような・・。 -
さて、これからエルコラーノへ向かいます。
ナポリ行きの電車にのって約20分。
写真は駅のナポリ方面へ続く地下。
明りもついてて安全です。
(地下にお手洗いがあります。ポンペイ遺跡の中には、あまりトイレがないので、事前に済ませることをお勧めします)
エルコラーノ編に続く・・。
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