旭岳・天人峡・白金旅行記(ブログ) 一覧に戻る
富良野の定番「フラワーランドかみふらの」を訪れるのは2度目です。しかし、四季折々に咲く花を変えられていたり、年毎にレイアウトを変更されているため、新鮮な気持ちでお花畑を鑑賞することができました。<br />「美瑛・四季の丘」は初めての訪問です。美瑛特有の丘陵の柔らかなアンジュレーションを上手く活用し、そこにお花で描いた大地のアートに感激しました。景観的にこれほど贅沢な条件に恵まれたお花畑は他に類を見ません。スケールの大きなお花畑ですので、ここを先に見てしまうと後が辛いかもしれません。旅程を考える際には留意するポイントだと思います。<br />大雪山(旭岳)は生憎の雨模様でしたが、その分彩鮮やかな錦絵巻を堪能することができてラッキーでした。大雪山には赤く染まるカエデ類が存在しないためダケカンバなどの黄葉を主体にした紅葉ですが、黄葉の中にハイマツの緑やナナカマドの赤や朱色など、錦織りなす和のテイストは筆舌に尽くし難いものがあります。本州では3000m級の高山でしか見られない貴重な体験ができました。降りしきる雨の中、姿見駅から姿見の池を目指して夫婦池周辺まで散策しましたが、遠くで雷鳴が轟いたため、途中で引き返したのが少々心残りでした。<br />大雪山5合目姿見駅周辺の紅葉の見頃は1週間程です。まさに今が盛りの紅葉ですが、この翌日には5合目でも3cmの積雪があり、冬山の形相に変身してしまったとTVニュースで伝えていました。例年、9月中旬頃に初冠雪し、一度雪が付くと紅葉せずに葉が落ちてしまうため、盛りを愛でられる期間が限定的なものになるのが大雪山の紅葉の宿命だそうです。<br /><br />1日目:関空→新千歳空港====夕張 ホテル マウントレースイ(宿泊)<br />2日目:宿===フラワーランドかみふらの===美瑛・四季彩の丘===大雪山ロープウェイ山麓駅(旭岳)---姿見駅---山麓駅===網走観光ホテル(宿泊)<br />3日目:宿===能取湖(サンゴ草鑑賞)===太陽の丘えんがる公園===層雲峡(銀河の滝・流星の滝)===三国峠===ナイタイ牧場===十勝川・千代田堰堤(マスの遡上見学)===ホテル大平原(宿泊)<br />4日目:宿===新千歳空港→関空

桐葉知秋 北海道紀行②富良野・美瑛・大雪山(旭岳)

809いいね!

2015/09/26 - 2015/09/29

1位(同エリア429件中)

2

68

montsaintmichel

montsaintmichelさん

富良野の定番「フラワーランドかみふらの」を訪れるのは2度目です。しかし、四季折々に咲く花を変えられていたり、年毎にレイアウトを変更されているため、新鮮な気持ちでお花畑を鑑賞することができました。
「美瑛・四季の丘」は初めての訪問です。美瑛特有の丘陵の柔らかなアンジュレーションを上手く活用し、そこにお花で描いた大地のアートに感激しました。景観的にこれほど贅沢な条件に恵まれたお花畑は他に類を見ません。スケールの大きなお花畑ですので、ここを先に見てしまうと後が辛いかもしれません。旅程を考える際には留意するポイントだと思います。
大雪山(旭岳)は生憎の雨模様でしたが、その分彩鮮やかな錦絵巻を堪能することができてラッキーでした。大雪山には赤く染まるカエデ類が存在しないためダケカンバなどの黄葉を主体にした紅葉ですが、黄葉の中にハイマツの緑やナナカマドの赤や朱色など、錦織りなす和のテイストは筆舌に尽くし難いものがあります。本州では3000m級の高山でしか見られない貴重な体験ができました。降りしきる雨の中、姿見駅から姿見の池を目指して夫婦池周辺まで散策しましたが、遠くで雷鳴が轟いたため、途中で引き返したのが少々心残りでした。
大雪山5合目姿見駅周辺の紅葉の見頃は1週間程です。まさに今が盛りの紅葉ですが、この翌日には5合目でも3cmの積雪があり、冬山の形相に変身してしまったとTVニュースで伝えていました。例年、9月中旬頃に初冠雪し、一度雪が付くと紅葉せずに葉が落ちてしまうため、盛りを愛でられる期間が限定的なものになるのが大雪山の紅葉の宿命だそうです。

1日目:関空→新千歳空港====夕張 ホテル マウントレースイ(宿泊)
2日目:宿===フラワーランドかみふらの===美瑛・四季彩の丘===大雪山ロープウェイ山麓駅(旭岳)---姿見駅---山麓駅===網走観光ホテル(宿泊)
3日目:宿===能取湖(サンゴ草鑑賞)===太陽の丘えんがる公園===層雲峡(銀河の滝・流星の滝)===三国峠===ナイタイ牧場===十勝川・千代田堰堤(マスの遡上見学)===ホテル大平原(宿泊)
4日目:宿===新千歳空港→関空

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス ANAグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
読売旅行

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  • 夕張を発ってすぐの所で山の中腹に虹が架かっているのが見えました。

    夕張を発ってすぐの所で山の中腹に虹が架かっているのが見えました。

  • 蕎麦畑(富良野市:車窓)<br />富良野市に繋がる国道237号線沿いには多彩な作物が栽培されており、車窓からその景色を愉しむことができます。<br />こちらの赤っぽく見えるのは、蕎麦畑です。北海道の蕎麦は他の地区に比べると知名度が低いのですが、実は日本の総生産量の45%をカバーする日本最大の生産地です。新得や幌加内などは北海道の一大産地です。因みに、2位が長野県の8%、3位が茨城県の6%と続きます。信州の蕎麦は全国区ですが、北海道も信州と同様に夏の時期が冷涼、昼夜の寒暖の差が大きく、朝霞の発生が多いという蕎麦の風味が増す条件が揃っています。

    蕎麦畑(富良野市:車窓)
    富良野市に繋がる国道237号線沿いには多彩な作物が栽培されており、車窓からその景色を愉しむことができます。
    こちらの赤っぽく見えるのは、蕎麦畑です。北海道の蕎麦は他の地区に比べると知名度が低いのですが、実は日本の総生産量の45%をカバーする日本最大の生産地です。新得や幌加内などは北海道の一大産地です。因みに、2位が長野県の8%、3位が茨城県の6%と続きます。信州の蕎麦は全国区ですが、北海道も信州と同様に夏の時期が冷涼、昼夜の寒暖の差が大きく、朝霞の発生が多いという蕎麦の風味が増す条件が揃っています。

  • 玉葱の鉄コン(富良野市:車窓)<br />収穫後の畑に青いビニールシートで覆われた鉄で編まれた四角い籠が点在しています。<br />これは、収穫した玉葱を風で自然乾燥させるためのコンテナです。1基当たり、1.2〜1.3トンの玉葱が入れられているそうです。本州で見かける簾風の「吊り玉」と同じ効能を発揮します。<br />兵庫県人の当方は玉葱と言えば条件反射的に淡路島産を思い浮かべてしまうのですが、玉葱の生産量も北海道が54%を占めて日本一です。因みに、2位が佐賀県で14%、3位が兵庫県で9%と続きます。<br /><br />富良野の畑が広く感じられるのは、周りに農家が建てられていないからだそうです。つまり、富良野では通い農家が多いそうです。一区画の面積では十勝の方が上だそうです。

    玉葱の鉄コン(富良野市:車窓)
    収穫後の畑に青いビニールシートで覆われた鉄で編まれた四角い籠が点在しています。
    これは、収穫した玉葱を風で自然乾燥させるためのコンテナです。1基当たり、1.2〜1.3トンの玉葱が入れられているそうです。本州で見かける簾風の「吊り玉」と同じ効能を発揮します。
    兵庫県人の当方は玉葱と言えば条件反射的に淡路島産を思い浮かべてしまうのですが、玉葱の生産量も北海道が54%を占めて日本一です。因みに、2位が佐賀県で14%、3位が兵庫県で9%と続きます。

    富良野の畑が広く感じられるのは、周りに農家が建てられていないからだそうです。つまり、富良野では通い農家が多いそうです。一区画の面積では十勝の方が上だそうです。

  • フラワーランドかみふらの<br />富良野のツアーの定番と言えば、観光農園「フラワーランドかみふらの」です。富良野エリアで最大規模を誇る花の楽園であり、当方もリピーターのひとりです。上富良野市街の北西3km、十勝岳連峰を見渡す丘の上にあり、そこに広がる15haという広大なお花畑が魅力です。その風景はまるでカラフルなパッチワークのように美しく色鮮やかです。有限会社フラワーランドかみふらのの運営により1992年にオープンし、2001年には累積入場者数が100万人を突破しました。現在は年間15万人が訪れています。<br />熊のオブジェの後ろにある花壇は、北海道の地図を描いています。そして、その真ん中が白くなっていますが、そこに「北海道のおへそ」の富良野市があります。

    フラワーランドかみふらの
    富良野のツアーの定番と言えば、観光農園「フラワーランドかみふらの」です。富良野エリアで最大規模を誇る花の楽園であり、当方もリピーターのひとりです。上富良野市街の北西3km、十勝岳連峰を見渡す丘の上にあり、そこに広がる15haという広大なお花畑が魅力です。その風景はまるでカラフルなパッチワークのように美しく色鮮やかです。有限会社フラワーランドかみふらのの運営により1992年にオープンし、2001年には累積入場者数が100万人を突破しました。現在は年間15万人が訪れています。
    熊のオブジェの後ろにある花壇は、北海道の地図を描いています。そして、その真ん中が白くなっていますが、そこに「北海道のおへそ」の富良野市があります。

  • フラワーランドかみふらの 伝承の楡(にれ)<br />お土産等が販売されているビッグアーケードを抜けた先にあるのが、フラワーランドの広場です。<br />そこには、上富良野の大地を見守るように枝を伸ばす大きな1本の木が佇んでいます。富良野盆地開拓の歴史を今に伝える「伝承の楡」です。<br />富良野盆地の開拓の歴史は、1897(明治30)年に田中常次郎氏を団長とする三重県人団体が入植し、初めての夜を楡の木の下で野宿したことからはじまりました。その開拓は十勝岳噴火との戦いでもありました。特に1926年の大噴火時には土石流が押し寄せ、144名の尊い命と共に30年かけて開拓した開墾地が一瞬で流されてしまいました。それと同時に、憩いの場であり、人々を見守り続けてきた楡の木も失ってしまいました。現在の楡の木は、1946年4月12日の開拓記念日に植樹された2代目だそうです。<br />こうした歴史に思いを馳せながら眺める富良野の雄大な風景は、ただ見ているだけでエネルギーを充電してくれるような気がしてきます。

    フラワーランドかみふらの 伝承の楡(にれ)
    お土産等が販売されているビッグアーケードを抜けた先にあるのが、フラワーランドの広場です。
    そこには、上富良野の大地を見守るように枝を伸ばす大きな1本の木が佇んでいます。富良野盆地開拓の歴史を今に伝える「伝承の楡」です。
    富良野盆地の開拓の歴史は、1897(明治30)年に田中常次郎氏を団長とする三重県人団体が入植し、初めての夜を楡の木の下で野宿したことからはじまりました。その開拓は十勝岳噴火との戦いでもありました。特に1926年の大噴火時には土石流が押し寄せ、144名の尊い命と共に30年かけて開拓した開墾地が一瞬で流されてしまいました。それと同時に、憩いの場であり、人々を見守り続けてきた楡の木も失ってしまいました。現在の楡の木は、1946年4月12日の開拓記念日に植樹された2代目だそうです。
    こうした歴史に思いを馳せながら眺める富良野の雄大な風景は、ただ見ているだけでエネルギーを充電してくれるような気がしてきます。

  • フラワーランドかみふらの 伝承の楡<br />説明パネルには、「伝承の楡モニメント」と書かれてます。<br />説明によると、画面左の支柱は「先人の故郷 三重県を指しています」。<br />真ん中の支柱は「上富良野町並びにフラワーランドの未来を象徴しています」。<br />右の支柱は「富良野平原発祥の地、草分地区を指しています」。<br />血と汗を流しながら過酷な大自然との闘いに耐え抜いた先人たちの不屈の精神力に脱帽です。<br />もしも、開拓者たちが現在のこうした観光農園の姿を見たらどんな風に思うのでしょうか?このような風景は、想像だにしなかったことでしょう。表現する形は違っても、思いは同じ「世のため人のためになっているのだから」と目を細めて見てくれるのではないでしょうか?

    フラワーランドかみふらの 伝承の楡
    説明パネルには、「伝承の楡モニメント」と書かれてます。
    説明によると、画面左の支柱は「先人の故郷 三重県を指しています」。
    真ん中の支柱は「上富良野町並びにフラワーランドの未来を象徴しています」。
    右の支柱は「富良野平原発祥の地、草分地区を指しています」。
    血と汗を流しながら過酷な大自然との闘いに耐え抜いた先人たちの不屈の精神力に脱帽です。
    もしも、開拓者たちが現在のこうした観光農園の姿を見たらどんな風に思うのでしょうか?このような風景は、想像だにしなかったことでしょう。表現する形は違っても、思いは同じ「世のため人のためになっているのだから」と目を細めて見てくれるのではないでしょうか?

  • フラワーランドかみふらの<br />6〜9月の期間には大きな円を描くように規則正しく植えられたお花畑が広がり、遊園トラクターバスの乗車券付きで500円の有料入園となります。6月はジャーマンアイリスやルピナス、7月には4haの面積にラベンダー、8月はヒマワリ、9月はコスモスなど四季折々に全300種類が咲き乱れ、目の前に広がる十勝岳の雄大な姿を借景に美しいお花畑で寛ぐことができます。温室内ではシーズン外でも美しい花が見られます。また、景色や花が愉しめるだけでなく、展望レストランや土産物屋、そして各種の体験工房など趣向が凝らされており、どちらかと言うと総合レジャー施設のようにファミリーや団体ツアー向けにピッタリの施設と言えます。

    フラワーランドかみふらの
    6〜9月の期間には大きな円を描くように規則正しく植えられたお花畑が広がり、遊園トラクターバスの乗車券付きで500円の有料入園となります。6月はジャーマンアイリスやルピナス、7月には4haの面積にラベンダー、8月はヒマワリ、9月はコスモスなど四季折々に全300種類が咲き乱れ、目の前に広がる十勝岳の雄大な姿を借景に美しいお花畑で寛ぐことができます。温室内ではシーズン外でも美しい花が見られます。また、景色や花が愉しめるだけでなく、展望レストランや土産物屋、そして各種の体験工房など趣向が凝らされており、どちらかと言うと総合レジャー施設のようにファミリーや団体ツアー向けにピッタリの施設と言えます。

  • フラワーランドかみふらの<br />こうした可愛らしい客車を牽引するトラクターバスに揺られながら、10分程お花畑を周遊しながら多彩な花々を愛でる趣向です。<br />入園料を支払った場合は、バスは乗り放題です。<br />因みに、バスは定員40名です。

    フラワーランドかみふらの
    こうした可愛らしい客車を牽引するトラクターバスに揺られながら、10分程お花畑を周遊しながら多彩な花々を愛でる趣向です。
    入園料を支払った場合は、バスは乗り放題です。
    因みに、バスは定員40名です。

  • フラワーランドかみふらの<br />「花体験」では、ラベンダーと何種類かの押し花を使ったハガキアート「押し花ハガキ作り」や、そば殻とラベンダーポプリで作るオリジナル枕「安眠そば殻まくら」、押し花を使ったアート「押し花プレート作り」など、摘み取りや手作りが体験がオールシーズン愉しめます。<br />「おいしい体験」では、春はアスパラ、夏は定番の最高級赤肉メロンを堪能でき、秋〜冬はホクホクの新じゃがにバターを付けていただきます。また、ラベンダー風味のソフトクリームもお勧めです。

    フラワーランドかみふらの
    「花体験」では、ラベンダーと何種類かの押し花を使ったハガキアート「押し花ハガキ作り」や、そば殻とラベンダーポプリで作るオリジナル枕「安眠そば殻まくら」、押し花を使ったアート「押し花プレート作り」など、摘み取りや手作りが体験がオールシーズン愉しめます。
    「おいしい体験」では、春はアスパラ、夏は定番の最高級赤肉メロンを堪能でき、秋〜冬はホクホクの新じゃがにバターを付けていただきます。また、ラベンダー風味のソフトクリームもお勧めです。

  • フラワーランドかみふらの<br />9月にはトウモロコシの出荷が最盛期を迎えます。「フラワーランドかみふらの」は、北海道を代表する農産物直売施設のひとつであり、メロンやトウモロコシを求めて連日、大勢のお客さんが訪れています。8〜9月だけでトウモロコシを30万本も売るそうです。この施設を訪れる人々の目的は、6月にはアスパラガス、9月下旬までが富良野メロン、そして9月から2か月間続くのがトウモロコシです。また、秋限定のじゃがいも&たまねぎ詰め放題は、カゴいっぱいに詰めて持ち帰ることができます。<br />なかでもトウモロコシは、観光客だけでなく地元の方々にも多くのファンがいるそうです。その理由は、トウモロコシは5月の早出し産地宮崎産から始まるのですが、北海道が日本列島の最後の産地となるためです。また、昼夜の温度差がある内陸部の上富良野で育つトウモロコシは、格別に甘いからです。もぎたての糖度16〜19度、食味をそのまま届けるため、MA包装(P-プラス)を使って宅配しています。3本パックから12本パックまで、種類も豊富です。もちろん、お土産用の直売品もP-プラス包装されていますので鮮度が保てます。

    フラワーランドかみふらの
    9月にはトウモロコシの出荷が最盛期を迎えます。「フラワーランドかみふらの」は、北海道を代表する農産物直売施設のひとつであり、メロンやトウモロコシを求めて連日、大勢のお客さんが訪れています。8〜9月だけでトウモロコシを30万本も売るそうです。この施設を訪れる人々の目的は、6月にはアスパラガス、9月下旬までが富良野メロン、そして9月から2か月間続くのがトウモロコシです。また、秋限定のじゃがいも&たまねぎ詰め放題は、カゴいっぱいに詰めて持ち帰ることができます。
    なかでもトウモロコシは、観光客だけでなく地元の方々にも多くのファンがいるそうです。その理由は、トウモロコシは5月の早出し産地宮崎産から始まるのですが、北海道が日本列島の最後の産地となるためです。また、昼夜の温度差がある内陸部の上富良野で育つトウモロコシは、格別に甘いからです。もぎたての糖度16〜19度、食味をそのまま届けるため、MA包装(P-プラス)を使って宅配しています。3本パックから12本パックまで、種類も豊富です。もちろん、お土産用の直売品もP-プラス包装されていますので鮮度が保てます。

  • フラワーランドかみふらの サルビア・ファリナセア<br />北海道からイメージする花はラベンダーですが、この花は季節柄ラベンダーではありません。<br />シソ科アキギリ属サルビア属のファリナセアは、通称「ブルーサルビア」と呼ばれています。アメリカの南西部、テキサス州〜ニューメキシコ州、それにメキシコが原産地です。赤い花を付けるサルビア(サルビア・スプレンデンス)が明治中期に渡来して緋衣草(ひごろもそう)と呼ばれたのに対し、青いサルビアは昭和初期に渡来しました。サルビアは非常に種類が多く、5600種以上あると言われています。<br />属名のサルビア(salvia)は、ラテン語で「salvus=治療」という意味に由来しています。これは、一部の品種が抗酸化作用や消化促進、解熱などの効果があったことから、古代ローマ時代から薬草として用いられてきたことによります。<br />花言葉は、「永遠にあなたのもの」「家族愛」「尊重」「知恵」。<br />ラテン語の「salvus」がフランスで「sauge」、イギリスで「sage」へと呼び名が変化していき、「sage」が賢人を意味する言葉であることから、「尊敬」「知恵」といった花言葉が付けられたと言われています。

    フラワーランドかみふらの サルビア・ファリナセア
    北海道からイメージする花はラベンダーですが、この花は季節柄ラベンダーではありません。
    シソ科アキギリ属サルビア属のファリナセアは、通称「ブルーサルビア」と呼ばれています。アメリカの南西部、テキサス州〜ニューメキシコ州、それにメキシコが原産地です。赤い花を付けるサルビア(サルビア・スプレンデンス)が明治中期に渡来して緋衣草(ひごろもそう)と呼ばれたのに対し、青いサルビアは昭和初期に渡来しました。サルビアは非常に種類が多く、5600種以上あると言われています。
    属名のサルビア(salvia)は、ラテン語で「salvus=治療」という意味に由来しています。これは、一部の品種が抗酸化作用や消化促進、解熱などの効果があったことから、古代ローマ時代から薬草として用いられてきたことによります。
    花言葉は、「永遠にあなたのもの」「家族愛」「尊重」「知恵」。
    ラテン語の「salvus」がフランスで「sauge」、イギリスで「sage」へと呼び名が変化していき、「sage」が賢人を意味する言葉であることから、「尊敬」「知恵」といった花言葉が付けられたと言われています。

  • フラワーランドかみふらの<br />お花畑の奥にあるグリーンと茶色のツートンカラーの屋根の下がビッグアーケードです。<br /><br />富良野市は、東に大雪山系の十勝岳連峰、西に夕張山系の芦別岳、そして南に千古の謎を秘めた天然林の大樹海(東京大学演習林)を擁する緑豊かな富良野盆地に位置します。石狩川水系最大の支流の空知(そらち)川が悠々と流れ、富良野川との合流点にある扇状地に市街地が広がり、北海道のほぼ中央に位置することから「北海道中心標」と呼ばれ、「へその町」としても親しまれています。人口は23000人ほどで、面積は600平方kmあり、その7割は山林です。<br />因みに、富良野市は2015年のセンター試験の「地理」の試験に出題されました。例年、地理の第6問目は地域調査が出題される趣向になっています。高校生のアヤネさんが北海道富良野市とその周辺地域の歴史や観光に興味を持ち、20万分の1地勢図を手に地域調査を行うという設問でした。<br />富良野の地名は、アイヌ語のフラヌイ(臭き火焔)に由来し、十勝岳の噴気と臭気に因んだものとされています。布部川上流の麓郷の森はドラマ『北の国から』の舞台として一躍北海道を代表する観光地になりました。また、夏になると一面に紫色のラベンダー畑が広がり、爽やかな香りが漂う「ふらののラベンダー」として「かおり風景100選」に選ばれています。また富良野市と旭川市を結ぶ国道237号線沿いには多くのお花畑が点在し、特に美瑛町〜占冠村までを「花人街道」と称し、年間200万人を超える観光客が訪れるホットスポットになっています。<br />富良野開拓の歴史は、1896(明治29)年に富良野原野殖民地区画の設定が行われ、その翌年に三重県からの入植者が扇山地区に入ったことにはじまったと説明しましたが、実はその三重団体より2年早く入植した人物がいました。富山県から中富良野に入った伊藤喜太郎氏です。三重団体が開拓の祖と称されるのにはいくつか理由があってのことですが、喜太郎氏は殖民区画が引かれる前の入地のため、法的に入植と認められなかったことが筆頭に挙げられます。<br />「北海道には歴史がない」と言われるのですが、この大地には開拓118年間の人と自然が織りなした数々のドラマが刻まれ、今でも息づいています。こうした開拓の祖が築き上げた歴史の一頁を振り返ることで、この雄大な景色が更に深い感銘を与えるものにグレードアップすることでしょう。

    フラワーランドかみふらの
    お花畑の奥にあるグリーンと茶色のツートンカラーの屋根の下がビッグアーケードです。

    富良野市は、東に大雪山系の十勝岳連峰、西に夕張山系の芦別岳、そして南に千古の謎を秘めた天然林の大樹海(東京大学演習林)を擁する緑豊かな富良野盆地に位置します。石狩川水系最大の支流の空知(そらち)川が悠々と流れ、富良野川との合流点にある扇状地に市街地が広がり、北海道のほぼ中央に位置することから「北海道中心標」と呼ばれ、「へその町」としても親しまれています。人口は23000人ほどで、面積は600平方kmあり、その7割は山林です。
    因みに、富良野市は2015年のセンター試験の「地理」の試験に出題されました。例年、地理の第6問目は地域調査が出題される趣向になっています。高校生のアヤネさんが北海道富良野市とその周辺地域の歴史や観光に興味を持ち、20万分の1地勢図を手に地域調査を行うという設問でした。
    富良野の地名は、アイヌ語のフラヌイ(臭き火焔)に由来し、十勝岳の噴気と臭気に因んだものとされています。布部川上流の麓郷の森はドラマ『北の国から』の舞台として一躍北海道を代表する観光地になりました。また、夏になると一面に紫色のラベンダー畑が広がり、爽やかな香りが漂う「ふらののラベンダー」として「かおり風景100選」に選ばれています。また富良野市と旭川市を結ぶ国道237号線沿いには多くのお花畑が点在し、特に美瑛町〜占冠村までを「花人街道」と称し、年間200万人を超える観光客が訪れるホットスポットになっています。
    富良野開拓の歴史は、1896(明治29)年に富良野原野殖民地区画の設定が行われ、その翌年に三重県からの入植者が扇山地区に入ったことにはじまったと説明しましたが、実はその三重団体より2年早く入植した人物がいました。富山県から中富良野に入った伊藤喜太郎氏です。三重団体が開拓の祖と称されるのにはいくつか理由があってのことですが、喜太郎氏は殖民区画が引かれる前の入地のため、法的に入植と認められなかったことが筆頭に挙げられます。
    「北海道には歴史がない」と言われるのですが、この大地には開拓118年間の人と自然が織りなした数々のドラマが刻まれ、今でも息づいています。こうした開拓の祖が築き上げた歴史の一頁を振り返ることで、この雄大な景色が更に深い感銘を与えるものにグレードアップすることでしょう。

  • フラワーランドかみふらの<br />一面に黄色の絨毯を広げたその姿は、北海道の雄大な大自然にピッタリの光景です。<br />この時期にヒマワリというのは珍しいのですが、実はこのヒマワリは夏に咲く観賞用ではありません。開花後、畑に鋤き込まれて肥料になる種類で、品種改良されていて背丈が1m以上にはなりません。こうした有機肥料を「緑肥」と言い、本来は畑の土壌を豊かにするためだけに花を咲かせて実を付けるのが宿命のヒマワリです。しかし、何の縁なのかこうして観光客に愛でられるのは幸せなことかもしれません。そう思ってこうしてけなげに咲くヒマワリを眺めていると、ちょっぴりセンチメンタルな気分になってしまいます。

    フラワーランドかみふらの
    一面に黄色の絨毯を広げたその姿は、北海道の雄大な大自然にピッタリの光景です。
    この時期にヒマワリというのは珍しいのですが、実はこのヒマワリは夏に咲く観賞用ではありません。開花後、畑に鋤き込まれて肥料になる種類で、品種改良されていて背丈が1m以上にはなりません。こうした有機肥料を「緑肥」と言い、本来は畑の土壌を豊かにするためだけに花を咲かせて実を付けるのが宿命のヒマワリです。しかし、何の縁なのかこうして観光客に愛でられるのは幸せなことかもしれません。そう思ってこうしてけなげに咲くヒマワリを眺めていると、ちょっぴりセンチメンタルな気分になってしまいます。

  • フラワーランドかみふらの<br />ヒマワリに囲まれて幻想的な気分に浸っていると、あることに気付きました。実は、花弁が太陽の方向を向いていないのです。確か太陽の方を向いて咲く花だから、日輪草とか向日葵と呼ばれていたはずです。<br />調べてみると、成長期には太陽に向かう習性があるそうですが、ある程度成長するとそうしなくなるそうです。どちらかと言えば、太陽が照っている南の方角を向いた花が一番多いようです。蕾が付いた頃は、茎の先が太陽を追いかけ、朝は東、昼間な南、夕方は西と首を振るそうです。つまり、子供が「親離れ」するように、ヒマワリも成長すると「太陽離れ」をするということです。今更ですが、この旅行で新しい発見ができました。<br /><br />ヒマワリに対する誤解は他にもありました。福島原発事故の後、放射能の除染に効果的だとの説が流布され、国や民間が入り乱れてヒマワリ栽培が盛んになりました。NPO「チェルノブイリ救援・中部」が2006年にウクライナのナロジチ地区で「菜の花」を植え、放射能除染とバイオディーゼル燃料化を試すプロジェクトに着手したのですが、「菜の花」がいつしか「ヒマワリ」と混同されてしまった結果のようです。イメージ的にはヒマワリの太い茎が放射能を力強く吸い上げるように錯覚してしまいますが、ヒマワリの除染能力はゼロに等しいそうです。

    フラワーランドかみふらの
    ヒマワリに囲まれて幻想的な気分に浸っていると、あることに気付きました。実は、花弁が太陽の方向を向いていないのです。確か太陽の方を向いて咲く花だから、日輪草とか向日葵と呼ばれていたはずです。
    調べてみると、成長期には太陽に向かう習性があるそうですが、ある程度成長するとそうしなくなるそうです。どちらかと言えば、太陽が照っている南の方角を向いた花が一番多いようです。蕾が付いた頃は、茎の先が太陽を追いかけ、朝は東、昼間な南、夕方は西と首を振るそうです。つまり、子供が「親離れ」するように、ヒマワリも成長すると「太陽離れ」をするということです。今更ですが、この旅行で新しい発見ができました。

    ヒマワリに対する誤解は他にもありました。福島原発事故の後、放射能の除染に効果的だとの説が流布され、国や民間が入り乱れてヒマワリ栽培が盛んになりました。NPO「チェルノブイリ救援・中部」が2006年にウクライナのナロジチ地区で「菜の花」を植え、放射能除染とバイオディーゼル燃料化を試すプロジェクトに着手したのですが、「菜の花」がいつしか「ヒマワリ」と混同されてしまった結果のようです。イメージ的にはヒマワリの太い茎が放射能を力強く吸い上げるように錯覚してしまいますが、ヒマワリの除染能力はゼロに等しいそうです。

  • フラワーランドかみふらの 展望台<br />お花畑の中に建てられた展望台上り、幸福の鐘の音を響かせてみてください。<br />眼下にはお花畑の絨毯が敷き詰められ、天気の良い日であれば美瑛岳や十勝岳、富良野岳が一望でき、十勝岳の噴煙まで見ることができるそうです。

    フラワーランドかみふらの 展望台
    お花畑の中に建てられた展望台上り、幸福の鐘の音を響かせてみてください。
    眼下にはお花畑の絨毯が敷き詰められ、天気の良い日であれば美瑛岳や十勝岳、富良野岳が一望でき、十勝岳の噴煙まで見ることができるそうです。

  • フラワーランドかみふらの 展望台<br />遠景となる秋色に彩られた畑のパッチワークがお花畑にシナジー効果を演出しています。<br /><br />この富良野では、先史時代の遺跡が127ヶ所確認されています。最古の遺跡は約12000年前の東麓郷遺跡で、後期旧石器時代終末期と見られています。こうした旧石器時代の遺跡は、麓郷・布礼別・富丘等の標高が400mを越える地点に分布しています。<br />縄文時代の遺跡は、河岸段丘や扇状地や湧水地の周辺に数多く 立地し、発掘調査の結果、竪穴住居址や墳墓などの遺構と共に大量の土器や石器などが出土しています。無頭川遺跡では500基以上の墳墓が確認され、石鏃、石斧、コハク製の平玉などの副葬品が発見されています。<br />一方、続縄文時代前半以降の遺跡は僅少です。これに後続する擦文時代の遺跡も極めて少なく、アイヌ文化期の遺跡は今のところ発見されていません。通常、開拓地には先住民のアイヌの居住があるのですが、富良野盆地には彼らが居住していた形跡がなく、狩猟のためだけに短期間仮住まいしたものと考えられています。<br />その理由は、食料となるサケが空知大滝に阻まれて富良野に遡上することができなかったこと、フラヌ川が硫黄分を多量に含んでいたために魚が生息していなかったことなどが挙げられます。北海道の開拓が資材の運搬に適した海や河川沿いを中心に進んできたように、アイヌ民族にも海や河川から遠く離れた富良野盆地は定住には向かずに避けられたと考えられています。

    フラワーランドかみふらの 展望台
    遠景となる秋色に彩られた畑のパッチワークがお花畑にシナジー効果を演出しています。

    この富良野では、先史時代の遺跡が127ヶ所確認されています。最古の遺跡は約12000年前の東麓郷遺跡で、後期旧石器時代終末期と見られています。こうした旧石器時代の遺跡は、麓郷・布礼別・富丘等の標高が400mを越える地点に分布しています。
    縄文時代の遺跡は、河岸段丘や扇状地や湧水地の周辺に数多く 立地し、発掘調査の結果、竪穴住居址や墳墓などの遺構と共に大量の土器や石器などが出土しています。無頭川遺跡では500基以上の墳墓が確認され、石鏃、石斧、コハク製の平玉などの副葬品が発見されています。
    一方、続縄文時代前半以降の遺跡は僅少です。これに後続する擦文時代の遺跡も極めて少なく、アイヌ文化期の遺跡は今のところ発見されていません。通常、開拓地には先住民のアイヌの居住があるのですが、富良野盆地には彼らが居住していた形跡がなく、狩猟のためだけに短期間仮住まいしたものと考えられています。
    その理由は、食料となるサケが空知大滝に阻まれて富良野に遡上することができなかったこと、フラヌ川が硫黄分を多量に含んでいたために魚が生息していなかったことなどが挙げられます。北海道の開拓が資材の運搬に適した海や河川沿いを中心に進んできたように、アイヌ民族にも海や河川から遠く離れた富良野盆地は定住には向かずに避けられたと考えられています。

  • フラワーランドかみふらの 展望台<br />展望台の脇にある木に成る、細長い球果(松ぼっくり)が目を惹き付けます。<br />モミの木は球果が直立して生えますが、この木は垂れ下がっています。ですから、クリスマスツリーに使われるドイツトウヒの木ではないかと思います。本来、モミの木ですが、ドイツトウヒの幼木も使われています。<br />何故、クリスマスにモミの木を使うかというと、聖マリアとヨセフがエジプトから脱出する際、大きなモミの木が「こちらに」と手招きして実のついた葉で覆い隠してくれたおかげで2人が助かったからです。その後無事にイエスが生まれました。それ故に、「勇者のモミ」を称えてクリスマスにはモミの実を飾るそうです。

    フラワーランドかみふらの 展望台
    展望台の脇にある木に成る、細長い球果(松ぼっくり)が目を惹き付けます。
    モミの木は球果が直立して生えますが、この木は垂れ下がっています。ですから、クリスマスツリーに使われるドイツトウヒの木ではないかと思います。本来、モミの木ですが、ドイツトウヒの幼木も使われています。
    何故、クリスマスにモミの木を使うかというと、聖マリアとヨセフがエジプトから脱出する際、大きなモミの木が「こちらに」と手招きして実のついた葉で覆い隠してくれたおかげで2人が助かったからです。その後無事にイエスが生まれました。それ故に、「勇者のモミ」を称えてクリスマスにはモミの実を飾るそうです。

  • フラワーランドかみふらの<br />時間ぎりぎりまで粘った甲斐があり、右側にある前富良野岳(標高1625m)の山頂が顔を覗かせてくれました。<br /><br />北海道のへそに当たるこの富良野盆地を初めて訪れた和人は、函館奉行所石狩在勤の足軽 松田市太郎とされています。1857(安政4)年に市太郎が美瑛川上流から十勝岳に登頂し、硫黄を持ち帰ったことが『イシカリ川水源見分書』に記録されています。翌年には蝦夷地探検で知られる松浦武四郎が美瑛から山麓沿いに十勝越えをした時に富良野を通過したことが『十勝日誌』に記されています。<br />武四郎は、前富良野岳(上の峠山)とその左側に聳える富良野岳(標高1912m)との間のコルを越えて新得へと向かったと記しています。

    フラワーランドかみふらの
    時間ぎりぎりまで粘った甲斐があり、右側にある前富良野岳(標高1625m)の山頂が顔を覗かせてくれました。

    北海道のへそに当たるこの富良野盆地を初めて訪れた和人は、函館奉行所石狩在勤の足軽 松田市太郎とされています。1857(安政4)年に市太郎が美瑛川上流から十勝岳に登頂し、硫黄を持ち帰ったことが『イシカリ川水源見分書』に記録されています。翌年には蝦夷地探検で知られる松浦武四郎が美瑛から山麓沿いに十勝越えをした時に富良野を通過したことが『十勝日誌』に記されています。
    武四郎は、前富良野岳(上の峠山)とその左側に聳える富良野岳(標高1912m)との間のコルを越えて新得へと向かったと記しています。

  • フラワーランドかみふらの<br />牧草で作られた可愛い「ロール熊」ちゃんが手を振って見送ってくれています。<br /><br />富良野は、明治30年頃までは未開の土地でした。明治政府は、蝦夷地を北海道と改めて本州からの移民導入を試みましたが、一部の有識者を除き依然として北海道は遠い僻地にあり、「流人と熊の住む恐ろしい島」との認識が一般的でした。そんな中でこの地に入植し、今の富良野発展の礎を築いた人物が「富良野開拓の父」と称される中村千幹氏(なかむら ちから)です。<br />1866(慶応2)年、福岡県の農家の三男として生まれ、慶應義塾で福沢諭吉と劇的な出会いを果たし、それが彼の人生を一変させて北海道開拓の志を立てさせました。諭吉に「北海道の開拓は、国家事業であり、また個人の資産を治むる道でもある」と教えられ、憧れを抱いたのです。<br />1896(明治29)年、30歳の時、諭吉の書状を手に6人の仲間と共に北海道へ渡りました。アイヌを先導に滝川から野花南を経て、アイヌ民族も恐れる難所 空知大滝を渡るが、水量が多く断崖絶壁に阻まれた上に雪崩に遭い、進退きわまったがここで退いては開拓魂が許さないと気持ちを奮い立たせ、ゴム靴などない時代とて足も腰も冷え、下半身は下着まで凍りつき生命の危機を感じながら、前人未踏の密林を抜けて満身創痍の形相で漸く富良野の原野に辿り着いたと伝えられています。<br />それからは毎日開墾した農場の測量を行い、土地の区画が出来ると地図を作り、入植計画を進め、各地を回って小作人を募りました。「今は何もないが、将来有望な土地です。必ず素晴らしい作物が実るので私と一緒に富良野に行きませんか」。最初は応じる者はいませんでしたが、十勝線の鉄道工事が始まると徐々に人々が富良野に入植し始めました。<br />ある時、国の検査が富良野に入りました。期限までに開墾の実績を残さないと土地を没収するという厳しい役人でしたが、検査の日、役人たちは彼らに言います。「君たちの苦労は上富良野でよく聞いてきた。よくやってくれた。検査は合格だ。何も心配することはない」。<br />こうした彼の努力により、次第に富良野には入植者が増えていきますが、1916(大正5)年に51歳で癌のために亡くなりました。「村の発展を見ないで死ぬのが残念である」が彼の最期の言葉だったそうです。<br />生涯をかけて富良野の開拓のために心血を注いだ中村千幹氏の銅像が、富良野市開基70周年を記念して富良野市役所前に建立されています。

    フラワーランドかみふらの
    牧草で作られた可愛い「ロール熊」ちゃんが手を振って見送ってくれています。

    富良野は、明治30年頃までは未開の土地でした。明治政府は、蝦夷地を北海道と改めて本州からの移民導入を試みましたが、一部の有識者を除き依然として北海道は遠い僻地にあり、「流人と熊の住む恐ろしい島」との認識が一般的でした。そんな中でこの地に入植し、今の富良野発展の礎を築いた人物が「富良野開拓の父」と称される中村千幹氏(なかむら ちから)です。
    1866(慶応2)年、福岡県の農家の三男として生まれ、慶應義塾で福沢諭吉と劇的な出会いを果たし、それが彼の人生を一変させて北海道開拓の志を立てさせました。諭吉に「北海道の開拓は、国家事業であり、また個人の資産を治むる道でもある」と教えられ、憧れを抱いたのです。
    1896(明治29)年、30歳の時、諭吉の書状を手に6人の仲間と共に北海道へ渡りました。アイヌを先導に滝川から野花南を経て、アイヌ民族も恐れる難所 空知大滝を渡るが、水量が多く断崖絶壁に阻まれた上に雪崩に遭い、進退きわまったがここで退いては開拓魂が許さないと気持ちを奮い立たせ、ゴム靴などない時代とて足も腰も冷え、下半身は下着まで凍りつき生命の危機を感じながら、前人未踏の密林を抜けて満身創痍の形相で漸く富良野の原野に辿り着いたと伝えられています。
    それからは毎日開墾した農場の測量を行い、土地の区画が出来ると地図を作り、入植計画を進め、各地を回って小作人を募りました。「今は何もないが、将来有望な土地です。必ず素晴らしい作物が実るので私と一緒に富良野に行きませんか」。最初は応じる者はいませんでしたが、十勝線の鉄道工事が始まると徐々に人々が富良野に入植し始めました。
    ある時、国の検査が富良野に入りました。期限までに開墾の実績を残さないと土地を没収するという厳しい役人でしたが、検査の日、役人たちは彼らに言います。「君たちの苦労は上富良野でよく聞いてきた。よくやってくれた。検査は合格だ。何も心配することはない」。
    こうした彼の努力により、次第に富良野には入植者が増えていきますが、1916(大正5)年に51歳で癌のために亡くなりました。「村の発展を見ないで死ぬのが残念である」が彼の最期の言葉だったそうです。
    生涯をかけて富良野の開拓のために心血を注いだ中村千幹氏の銅像が、富良野市開基70周年を記念して富良野市役所前に建立されています。

  • 美瑛の丘(車窓)<br />美瑛の魅力は、ナイーブな曲線を描く丘陵の美しさにあります。<br />ロールベールが畑に並んでいたので咄嗟に撮影したのですが、シャッタースピードの設定がバスの走行スピードに追い付かず、ブレてしまいました。<br />この後もシャッターチャンスはあると思っていましたが、ロールベールの姿が見られたのはここが唯一でした。バスガイドさんの説明によれば、ロールベール作業は晴天が続く時でないと行わないそうです。

    美瑛の丘(車窓)
    美瑛の魅力は、ナイーブな曲線を描く丘陵の美しさにあります。
    ロールベールが畑に並んでいたので咄嗟に撮影したのですが、シャッタースピードの設定がバスの走行スピードに追い付かず、ブレてしまいました。
    この後もシャッターチャンスはあると思っていましたが、ロールベールの姿が見られたのはここが唯一でした。バスガイドさんの説明によれば、ロールベール作業は晴天が続く時でないと行わないそうです。

  • 美瑛の丘(車窓)<br />美瑛の丘を撮り続けてきた風景写真家 故前田真三氏のフォトギャラリーが拓真館です。美瑛を個人旅行で訪れた際には、是非立ち寄っていただきたい場所のひとつです。自らの目で見る美瑛が一番感動的で美しいのですが、それでも氏のレンズを通したもうひとつの美瑛には抽象的な美が表現されていてハッとさせられます。<br />昔は、起伏の多いこのような土地で畑作を営むのは大変だったそうです。それが「パッチワークの丘」として一躍有名になったのは、前田氏が日本全国を旅して漸く美瑛に辿り着き、この風景に惚れ込んで沢山の素晴らしい写真を世に発したことがきっかけだったそうです。

    美瑛の丘(車窓)
    美瑛の丘を撮り続けてきた風景写真家 故前田真三氏のフォトギャラリーが拓真館です。美瑛を個人旅行で訪れた際には、是非立ち寄っていただきたい場所のひとつです。自らの目で見る美瑛が一番感動的で美しいのですが、それでも氏のレンズを通したもうひとつの美瑛には抽象的な美が表現されていてハッとさせられます。
    昔は、起伏の多いこのような土地で畑作を営むのは大変だったそうです。それが「パッチワークの丘」として一躍有名になったのは、前田氏が日本全国を旅して漸く美瑛に辿り着き、この風景に惚れ込んで沢山の素晴らしい写真を世に発したことがきっかけだったそうです。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />美瑛の丘を30分程ドライブして到着したのは、「美瑛・四季彩の丘」です。「パッチワークの丘」と称され、連なる丘の景色で有名な美瑛町は、富良野市と程近く、両市町を繋ぐ1本道(国道237号)の風景の美しいことから、ドライブルートして親しまれているエリアです。美瑛の市街地を挟んで北西側の一帯をパッチワークの路、南側の一帯をパノラマロードと呼んでいます。<br /><br />アーケードを抜けると、ここのキャラクターの「ロールちゃん」がお出迎えです。<br />1個のロールベールは400kg以上の質量があるそうです。間近で見ると本当に大きいですが、崩れてくると危険なため、安全に配慮して近づけないようになっています。<br />美しく雄大な美瑛の大地に生まれた可愛いらしいロールちゃんとロール君は、1年に1度、花苗を植える前に新しい牧草ロールに衣装替えをしてもらうそうです。

    美瑛・四季彩の丘
    美瑛の丘を30分程ドライブして到着したのは、「美瑛・四季彩の丘」です。「パッチワークの丘」と称され、連なる丘の景色で有名な美瑛町は、富良野市と程近く、両市町を繋ぐ1本道(国道237号)の風景の美しいことから、ドライブルートして親しまれているエリアです。美瑛の市街地を挟んで北西側の一帯をパッチワークの路、南側の一帯をパノラマロードと呼んでいます。

    アーケードを抜けると、ここのキャラクターの「ロールちゃん」がお出迎えです。
    1個のロールベールは400kg以上の質量があるそうです。間近で見ると本当に大きいですが、崩れてくると危険なため、安全に配慮して近づけないようになっています。
    美しく雄大な美瑛の大地に生まれた可愛いらしいロールちゃんとロール君は、1年に1度、花苗を植える前に新しい牧草ロールに衣装替えをしてもらうそうです。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />大人気スポットのパノラマロードにある丘陵地帯に広がる美しい景色をつくっているのは小麦やじゃがいも、ゆり根など農作物の畑ですが、展望花畑「四季彩の丘」のお花畑はその畑を利用したものです。地元農家による観光農園として1999年5月に開園し、敷地15haもある広大なお花畑の風景は一躍美瑛を代表する名所に駆け上りました。<br />5月〜10月下旬にかけてラベンダーやルピナス、コスモス、ヒマワリなど、年間30〜40種類の草花が丘全体にカラフルな絨毯のように咲く美瑛屈指の花園です。7月下旬〜9月下旬は最盛期を迎え、丘の奥には富良野岳や十勝岳が望め、緩やかな斜面が花色に染まる光景は圧巻です。<br />園内には農産物直売所やお土産店、レストランなどもあり、トラクターバスで園内を巡る四季彩「ノロッコ号」、白樺林に囲まれた花畑を一周できる貸しバギー車、花畑の好きな場所に移動できる4人乗りのカートといったアトラクションもあります。<br />入場料はなんと無料ですが、花畑の維持管理費用に一人当たり「200円」の募金箱が入口に設置されています。是非ご協力ください。また、2011年にはアルパカ牧場がオープンしています。ここだけは有料で、高校生以上500円です。

    美瑛・四季彩の丘
    大人気スポットのパノラマロードにある丘陵地帯に広がる美しい景色をつくっているのは小麦やじゃがいも、ゆり根など農作物の畑ですが、展望花畑「四季彩の丘」のお花畑はその畑を利用したものです。地元農家による観光農園として1999年5月に開園し、敷地15haもある広大なお花畑の風景は一躍美瑛を代表する名所に駆け上りました。
    5月〜10月下旬にかけてラベンダーやルピナス、コスモス、ヒマワリなど、年間30〜40種類の草花が丘全体にカラフルな絨毯のように咲く美瑛屈指の花園です。7月下旬〜9月下旬は最盛期を迎え、丘の奥には富良野岳や十勝岳が望め、緩やかな斜面が花色に染まる光景は圧巻です。
    園内には農産物直売所やお土産店、レストランなどもあり、トラクターバスで園内を巡る四季彩「ノロッコ号」、白樺林に囲まれた花畑を一周できる貸しバギー車、花畑の好きな場所に移動できる4人乗りのカートといったアトラクションもあります。
    入場料はなんと無料ですが、花畑の維持管理費用に一人当たり「200円」の募金箱が入口に設置されています。是非ご協力ください。また、2011年にはアルパカ牧場がオープンしています。ここだけは有料で、高校生以上500円です。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />右端にある、葉が赤く色付いた木が、開花時にはハート型に見えるというエゾヤマザクラの木です。<br />2001年に丘陵の中腹に植えられ、観光客の間で「ハートの形に見えてロマンチック」と話題に上った桜です。例年の開花時期は、5月初旬だそうです。<br />

    美瑛・四季彩の丘
    右端にある、葉が赤く色付いた木が、開花時にはハート型に見えるというエゾヤマザクラの木です。
    2001年に丘陵の中腹に植えられ、観光客の間で「ハートの形に見えてロマンチック」と話題に上った桜です。例年の開花時期は、5月初旬だそうです。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />こうして見ると、傘の花もアクセントになり、満更でもありません。<br />美瑛の丘を一望。この見晴らしの良さも四季彩の丘の魅力です。 <br />借景には十勝岳や美瑛岳の大雪山の山々。その手前には、「美瑛の丘」の美しいパッチワーク。そして主役となる大地に芽生えた虹を彷彿とさせるカラフルな緩やかなスロープ。景観的にこれほど贅沢な条件に恵まれたお花畑は他に類を見ないと思います。それ故に、ここまでの姿にするまでに大変な苦労をされたことでしょう。<br />今では美瑛屈指の観光農園として有名ですが、そのきっかけは、偶然「四季彩の丘」に迷い込んだ観光バスの添乗員さんたちがその存在に気付き、それが口コミで瞬く間に広がっていったそうです。

    美瑛・四季彩の丘
    こうして見ると、傘の花もアクセントになり、満更でもありません。
    美瑛の丘を一望。この見晴らしの良さも四季彩の丘の魅力です。 
    借景には十勝岳や美瑛岳の大雪山の山々。その手前には、「美瑛の丘」の美しいパッチワーク。そして主役となる大地に芽生えた虹を彷彿とさせるカラフルな緩やかなスロープ。景観的にこれほど贅沢な条件に恵まれたお花畑は他に類を見ないと思います。それ故に、ここまでの姿にするまでに大変な苦労をされたことでしょう。
    今では美瑛屈指の観光農園として有名ですが、そのきっかけは、偶然「四季彩の丘」に迷い込んだ観光バスの添乗員さんたちがその存在に気付き、それが口コミで瞬く間に広がっていったそうです。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />栽培する花卉は、年毎に変えられることが多いそうです。同じ場所であっても、彩りは訪れる季節や年によって変化するため、リピーターも増えているそうです。まさしく一期一会の出会いの旅が味わえるスポットです。<br /><br />この「四季彩の丘」を営むのは、美瑛生まれの畑作農家 熊谷さんです。1992年に前身となるファーム・ペンション「ウィズユー」をオープンし、1999年に展望花畑を開園しました。<br />元々この辺りの土地は痩せた畑地だったそうですが、持ち主が離農した時、真向いでペンションを経営していた熊谷さんがその土地を買い取ったそうです。熊谷さんは、花卉農家でもなければ、造園を学んだ経験もありませんでした。それでいて、札幌ドームの1.5倍もある痩せた広大な土地を5年かけて客土しながら栽培技術を磨き、今では多種多様な花を自在に咲かせる「花咲かおじさん」となっています。その原動力になったのは、祖父の時代から3代続く百姓魂だと述べられています。「百姓とは百の作物を植え、実を結ばせる『土の匠』です。花づくりもまた百姓の術中にあり」と胸を張られています。<br />一度はペンション経営者として離農された方が、一念発起して離農された方の思いを胸にこのような素晴らしい農園を築かれたことを知ればこそ、感慨深いものが込み上げてきます。

    美瑛・四季彩の丘
    栽培する花卉は、年毎に変えられることが多いそうです。同じ場所であっても、彩りは訪れる季節や年によって変化するため、リピーターも増えているそうです。まさしく一期一会の出会いの旅が味わえるスポットです。

    この「四季彩の丘」を営むのは、美瑛生まれの畑作農家 熊谷さんです。1992年に前身となるファーム・ペンション「ウィズユー」をオープンし、1999年に展望花畑を開園しました。
    元々この辺りの土地は痩せた畑地だったそうですが、持ち主が離農した時、真向いでペンションを経営していた熊谷さんがその土地を買い取ったそうです。熊谷さんは、花卉農家でもなければ、造園を学んだ経験もありませんでした。それでいて、札幌ドームの1.5倍もある痩せた広大な土地を5年かけて客土しながら栽培技術を磨き、今では多種多様な花を自在に咲かせる「花咲かおじさん」となっています。その原動力になったのは、祖父の時代から3代続く百姓魂だと述べられています。「百姓とは百の作物を植え、実を結ばせる『土の匠』です。花づくりもまた百姓の術中にあり」と胸を張られています。
    一度はペンション経営者として離農された方が、一念発起して離農された方の思いを胸にこのような素晴らしい農園を築かれたことを知ればこそ、感慨深いものが込み上げてきます。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />美瑛の丘がこれほど日本人の琴線に触れるのは、丘陵の景観を構成している線や色彩が人工的に造形されたものだと認識できるからです。かつて果てしない労力と時間をかけて原生林に覆われていたこの丘を開拓したのも、そこを耕して作物を敷き詰めたのも、そこに暮らす農家の人々の日常的な営みでした。人工的とはいえ、決して観光業者やデベロッパーがつくり上げた観光地ではないのです。こうした丘陵地帯は農業を営むのにはむしろ厄介な地形です。そうした農家の方々の苦労、ひいては開拓者たちの姿を丘の景色に重ね合わせて見る時、丘陵はいっそう輝いて美しく見えるはずです。<br />美瑛を訪れる人々が求めているのは、荒々しい北海道のありのままの姿ではなく、都市の建物や道路が見せるのと同じ幾何学的な造形美の一面です。雄大な大自然を借景に広がる、人工的な大地に描かれたパッチワークの幻影。それが美瑛の丘の美の本質なのかもしれません。

    美瑛・四季彩の丘
    美瑛の丘がこれほど日本人の琴線に触れるのは、丘陵の景観を構成している線や色彩が人工的に造形されたものだと認識できるからです。かつて果てしない労力と時間をかけて原生林に覆われていたこの丘を開拓したのも、そこを耕して作物を敷き詰めたのも、そこに暮らす農家の人々の日常的な営みでした。人工的とはいえ、決して観光業者やデベロッパーがつくり上げた観光地ではないのです。こうした丘陵地帯は農業を営むのにはむしろ厄介な地形です。そうした農家の方々の苦労、ひいては開拓者たちの姿を丘の景色に重ね合わせて見る時、丘陵はいっそう輝いて美しく見えるはずです。
    美瑛を訪れる人々が求めているのは、荒々しい北海道のありのままの姿ではなく、都市の建物や道路が見せるのと同じ幾何学的な造形美の一面です。雄大な大自然を借景に広がる、人工的な大地に描かれたパッチワークの幻影。それが美瑛の丘の美の本質なのかもしれません。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />地面を覆い尽くすほどにケイトウの花が成長し、重たそうに風に揺らいでいます。 <br />

    美瑛・四季彩の丘
    地面を覆い尽くすほどにケイトウの花が成長し、重たそうに風に揺らいでいます。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />奥まった丘陵にはこうした白樺林もあり、お花畑特有の単調さをビジュアルに補っています。

    美瑛・四季彩の丘
    奥まった丘陵にはこうした白樺林もあり、お花畑特有の単調さをビジュアルに補っています。

  • 美瑛・四季彩の丘<br />四季彩「ノロッコ号」は、丘陵のベストコースを15分程かけて周遊してくれます(有料)。途中で記念撮影タイムも設定されており、十勝岳連峰が見渡せるビューポイントまで連れて行ってくれます。<br />

    美瑛・四季彩の丘
    四季彩「ノロッコ号」は、丘陵のベストコースを15分程かけて周遊してくれます(有料)。途中で記念撮影タイムも設定されており、十勝岳連峰が見渡せるビューポイントまで連れて行ってくれます。

  • JR美瑛駅前(車窓)<br />JR富良野線にある美瑛駅です。美瑛市街はこの雰囲気のトーンで統一され、観光に注力しているのが感じられます。1987年に駅舎が改修され、レトロな石造り独特の雰囲気が美瑛町観光ポイントのひとつになっています。<br />また、懐かしい国鉄「いい日旅立ちキャンペーン(山口百恵さん)」のプロモーションビデオやトヨタ「カムリ(田中邦衛さん)」のCMに使われた由緒ある駅舎でもあります。<br />手前に見えるのは、トンガリ屋根の時計台。奥(北側)に見えるのは、トンガリ屋根の跨線橋です。この下を線路が通っています。

    JR美瑛駅前(車窓)
    JR富良野線にある美瑛駅です。美瑛市街はこの雰囲気のトーンで統一され、観光に注力しているのが感じられます。1987年に駅舎が改修され、レトロな石造り独特の雰囲気が美瑛町観光ポイントのひとつになっています。
    また、懐かしい国鉄「いい日旅立ちキャンペーン(山口百恵さん)」のプロモーションビデオやトヨタ「カムリ(田中邦衛さん)」のCMに使われた由緒ある駅舎でもあります。
    手前に見えるのは、トンガリ屋根の時計台。奥(北側)に見えるのは、トンガリ屋根の跨線橋です。この下を線路が通っています。

  • JR美瑛駅(車窓)<br />乳白色の美瑛軟石を積み上げた石造の駅舎は、「ふるさとの駅100選」(淡交社刊)にも選ばれた和のテイストが漂う佇まいを見せています。<br />この「ふるさとの駅100選」は、鉄道と旅の写真家 南正時氏が選定されたものです。「駅は人生に例えられる。人生の終着駅とはさびしい例えだが、人生のスタートとしての駅は生きる勇気が漂っていて、さまざまな人生を感じる。月並みな言い方だが、駅には人生の縮図がありドラマがある。…名もない駅も取り上げた。その駅がたとえひとりであっても、読者の思い出の駅であれば、著者冥利につきる」と綴られています。北海道からは、13駅が選ばれています。<br />石材の美瑛軟石は、十勝岳火山群形成期の火砕流堆積物による溶結凝灰岩であり、通常の大理石とは岩石の成り立ちが異なる珍しいものです。

    JR美瑛駅(車窓)
    乳白色の美瑛軟石を積み上げた石造の駅舎は、「ふるさとの駅100選」(淡交社刊)にも選ばれた和のテイストが漂う佇まいを見せています。
    この「ふるさとの駅100選」は、鉄道と旅の写真家 南正時氏が選定されたものです。「駅は人生に例えられる。人生の終着駅とはさびしい例えだが、人生のスタートとしての駅は生きる勇気が漂っていて、さまざまな人生を感じる。月並みな言い方だが、駅には人生の縮図がありドラマがある。…名もない駅も取り上げた。その駅がたとえひとりであっても、読者の思い出の駅であれば、著者冥利につきる」と綴られています。北海道からは、13駅が選ばれています。
    石材の美瑛軟石は、十勝岳火山群形成期の火砕流堆積物による溶結凝灰岩であり、通常の大理石とは岩石の成り立ちが異なる珍しいものです。

  • 忠別湖(車窓)<br />道道213号天人峡美瑛線を大雪山方面へ進むと大きな湖が左手に広がってきます。大雪山連峰の白雲岳に源を発し、天人峡の渓谷より旭川市へ流れる忠別川の上流にある人造湖の忠別湖です。晴れた日には吃驚するほど蒼い色彩になるそうです。<br />2007年に完成した忠別ダムは、複数の形式を組み合わせて建設された「コンバインダム」としては熊本県竜門ダムに次ぐ国内2番目の大きさを誇ります。忠別ダムは、忠別川及び石狩川の洪水調節の他、灌漑用水の供給、水道用水の供給、水力発電などの多目的ダムとして利用されています。 <br />この湖は、大雪山旭岳からも見ることができるほど大きなもののようです。因みに、湛水面積は373haもあります。

    忠別湖(車窓)
    道道213号天人峡美瑛線を大雪山方面へ進むと大きな湖が左手に広がってきます。大雪山連峰の白雲岳に源を発し、天人峡の渓谷より旭川市へ流れる忠別川の上流にある人造湖の忠別湖です。晴れた日には吃驚するほど蒼い色彩になるそうです。
    2007年に完成した忠別ダムは、複数の形式を組み合わせて建設された「コンバインダム」としては熊本県竜門ダムに次ぐ国内2番目の大きさを誇ります。忠別ダムは、忠別川及び石狩川の洪水調節の他、灌漑用水の供給、水道用水の供給、水力発電などの多目的ダムとして利用されています。
    この湖は、大雪山旭岳からも見ることができるほど大きなもののようです。因みに、湛水面積は373haもあります。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ山麓駅<br />大雪山は、北海道最高峰となる旭岳(2291m)を主峰に、北鎮岳・黒岳などの大雪山系や現在も活動を続ける十勝岳やトムラウシ山など、距離50km、20数座におよぶ2000m級の火山群の総称です。大雪山国立公園は、こうした「北海道の屋根」を中心に北海道のほぼ中央に鎮座し、日本最大級の山岳を中心とした原始性豊かな国立公園です。その面積は、神奈川県の広さに匹敵する約23万haにもおよび、1934年に国立公園に指定された日本一広い国立公園です。<br />峰々の多くは標高2000m前後ですが、緯度が北に位置するため、本州の3000m級の山々に匹敵する高山環境に恵まれ、本州中部では1500m以上でないと見られないダケカンバの天然林が大雪山では500m付近から見られるのも魅力です。夏の山頂付近には日本最大級の多彩な高山植物が咲き乱れるお花畑が広がり、その種類は360種類におよびます。これは、千島・カムチャッカ方面、シベリア方面、本州方面の3方からの植物分布の交差点に位置しているためです。また、多様な動物も生息し、氷河期の生き残りと言われるナキウサギやダイセツタカネヒカゲなど地域特有の高山蝶、ヒグマ、エゾシカなどの大型哺乳類、クマゲラ、シマフクロウなどの希少な鳥類の生息地となっています。このように希少な動植物が生息する大雪山国立公園は、十勝川源流域を含む一帯が特別保護地区にあり、国の特別天然記念物にも指定されています。そして、山麓から湧き出る豊富な温泉が、旭岳、天人峡温泉郷を形成しています。

    大雪山 旭岳ロープウェイ山麓駅
    大雪山は、北海道最高峰となる旭岳(2291m)を主峰に、北鎮岳・黒岳などの大雪山系や現在も活動を続ける十勝岳やトムラウシ山など、距離50km、20数座におよぶ2000m級の火山群の総称です。大雪山国立公園は、こうした「北海道の屋根」を中心に北海道のほぼ中央に鎮座し、日本最大級の山岳を中心とした原始性豊かな国立公園です。その面積は、神奈川県の広さに匹敵する約23万haにもおよび、1934年に国立公園に指定された日本一広い国立公園です。
    峰々の多くは標高2000m前後ですが、緯度が北に位置するため、本州の3000m級の山々に匹敵する高山環境に恵まれ、本州中部では1500m以上でないと見られないダケカンバの天然林が大雪山では500m付近から見られるのも魅力です。夏の山頂付近には日本最大級の多彩な高山植物が咲き乱れるお花畑が広がり、その種類は360種類におよびます。これは、千島・カムチャッカ方面、シベリア方面、本州方面の3方からの植物分布の交差点に位置しているためです。また、多様な動物も生息し、氷河期の生き残りと言われるナキウサギやダイセツタカネヒカゲなど地域特有の高山蝶、ヒグマ、エゾシカなどの大型哺乳類、クマゲラ、シマフクロウなどの希少な鳥類の生息地となっています。このように希少な動植物が生息する大雪山国立公園は、十勝川源流域を含む一帯が特別保護地区にあり、国の特別天然記念物にも指定されています。そして、山麓から湧き出る豊富な温泉が、旭岳、天人峡温泉郷を形成しています。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />広大な大雪山国立公園の北部に設けられたのが旭岳ロープウェイです。標高1100m(山麓駅)〜標高1600m(姿見駅)を結んでおり、2000年にはスイスのガラベンダ社製の101人乗りロープウェイに掛け替えられました。<br />国内唯一、森林限界を超えて高山帯に乗り入れたロープウェイということから、その車窓からの景色は雄大で、標高1400m付近にある森林限界を越えるとダケカンバの姿が斑になり、終着駅の「姿見駅」を降り立つとそこは高山植物たちの楽園となっています。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    広大な大雪山国立公園の北部に設けられたのが旭岳ロープウェイです。標高1100m(山麓駅)〜標高1600m(姿見駅)を結んでおり、2000年にはスイスのガラベンダ社製の101人乗りロープウェイに掛け替えられました。
    国内唯一、森林限界を超えて高山帯に乗り入れたロープウェイということから、その車窓からの景色は雄大で、標高1400m付近にある森林限界を越えるとダケカンバの姿が斑になり、終着駅の「姿見駅」を降り立つとそこは高山植物たちの楽園となっています。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />ロープウェイ山麓駅から姿見駅までは10分弱の空中散歩が愉しめます。<br />眼下にはダケカンバなどの黄葉に彩られた錦秋の屏風絵が視界一面に広がり、大町桂月の言葉にある大雪山の広大さを目の当たりにすることができます。 <br />しかし、外気温とロープウェイ内部の温度と湿気により、ガラスウィンドウがすぐに曇ってしまうのが少々残念です。晴れた日ならもう少しクリアーな画像をお届けできたのではないかと悔やまれます。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    ロープウェイ山麓駅から姿見駅までは10分弱の空中散歩が愉しめます。
    眼下にはダケカンバなどの黄葉に彩られた錦秋の屏風絵が視界一面に広がり、大町桂月の言葉にある大雪山の広大さを目の当たりにすることができます。
    しかし、外気温とロープウェイ内部の温度と湿気により、ガラスウィンドウがすぐに曇ってしまうのが少々残念です。晴れた日ならもう少しクリアーな画像をお届けできたのではないかと悔やまれます。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />その昔、アイヌ語で「ヌタクカムウシュペ(川の曲がりくねった所の上に立つ山)」と命名された山が大雪山です。雄大で神秘的な気高さに満ちた美しい山容は、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭・熊の多い場所の意味も含まれる)とも尊称され、人々から畏敬の念をもって朝な夕なに崇められてきた神の山でもありました。山域は表大雪、北大雪、東大雪、十勝連峰の4つに区分され、今回訪れる「旭平」は表大雪に含まれます。<br />この山が「大雪山」と呼ばれるようになったのは、1899(明治32)年に発行された松原岩五郎著『日本名勝地誌』に紹介されたのがはじまりです。その後、「大雪山の父」と称された小泉秀雄氏により「大雪山は中央高地の総称」と発表され、その後、明治〜大正にかけて活躍した文豪 大町桂月が1923(大正12)年に紀行文の冒頭に「富士山を登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大(おおい)さを知れ」の名言を著してから広く世に知られるようになりました。まさしくこの言葉が実感できる景観です。<br />深田久弥著『日本百名山』には、北海道の山として大雪山と並んでトムラウシや十勝岳の名が見受けられます。本来これらの山も大雪山の一座なのですが、恐らく深田氏の言う大雪山とは主峰 旭岳を中心とした周囲の連嶺を総称したものなのかもしれません。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    その昔、アイヌ語で「ヌタクカムウシュペ(川の曲がりくねった所の上に立つ山)」と命名された山が大雪山です。雄大で神秘的な気高さに満ちた美しい山容は、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭・熊の多い場所の意味も含まれる)とも尊称され、人々から畏敬の念をもって朝な夕なに崇められてきた神の山でもありました。山域は表大雪、北大雪、東大雪、十勝連峰の4つに区分され、今回訪れる「旭平」は表大雪に含まれます。
    この山が「大雪山」と呼ばれるようになったのは、1899(明治32)年に発行された松原岩五郎著『日本名勝地誌』に紹介されたのがはじまりです。その後、「大雪山の父」と称された小泉秀雄氏により「大雪山は中央高地の総称」と発表され、その後、明治〜大正にかけて活躍した文豪 大町桂月が1923(大正12)年に紀行文の冒頭に「富士山を登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大(おおい)さを知れ」の名言を著してから広く世に知られるようになりました。まさしくこの言葉が実感できる景観です。
    深田久弥著『日本百名山』には、北海道の山として大雪山と並んでトムラウシや十勝岳の名が見受けられます。本来これらの山も大雪山の一座なのですが、恐らく深田氏の言う大雪山とは主峰 旭岳を中心とした周囲の連嶺を総称したものなのかもしれません。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />そろそろ森林限界が近づいてきました。ここで美しい黄葉を誇るダケカンバともお別れです。<br /><br />小泉秀雄氏は、1911(明治44)年に旭川の上川中学(現 旭川東高)に理科教師として赴任しました。その後、狩猟するアイヌ民族を除いて登る人は稀だった大雪山全域を9年間に亘って踏破して植物採集を行い、20余種の新種を発見し、その成果を『小泉秀雄植物図集』として残しています。また、日本山岳会誌『山岳』に「北海道中央高地の地学的研究」を発表。著書『大雪山―登山法及登山案内―』を発行するなど、大雪山の名を世に広めました。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    そろそろ森林限界が近づいてきました。ここで美しい黄葉を誇るダケカンバともお別れです。

    小泉秀雄氏は、1911(明治44)年に旭川の上川中学(現 旭川東高)に理科教師として赴任しました。その後、狩猟するアイヌ民族を除いて登る人は稀だった大雪山全域を9年間に亘って踏破して植物採集を行い、20余種の新種を発見し、その成果を『小泉秀雄植物図集』として残しています。また、日本山岳会誌『山岳』に「北海道中央高地の地学的研究」を発表。著書『大雪山―登山法及登山案内―』を発行するなど、大雪山の名を世に広めました。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ 御田ノ原(みたのはら)<br />ロープウェイの道のりの半分を過ぎた頃、北西方向(左手)に御田ノ原と呼ばれる高原沼群が見えてきます。ロープウェイの姿見駅からも高原を見下ろせますが、この時節には紅葉が素晴らしく、錦織りなすを実感できる風情を湛えた絶景が俯瞰できます。<br />因みに、この湿原では、ヒグマが度々目撃されているそうです。双眼鏡があればヒグマを発見できるかもしれません。<br /><br />丁度この辺りで、右手には旭岳西側斜面の標高1300〜1400mの所に広がる天女ヶ原の紅葉が広がってきます。天女ヶ原湿原は、溶岩台地上に発達した山地高層湿原です。ロープウェイの往きと帰りで見る方向を変えるとお得です。<br />(帰路は雨がひどくなり、雨だれがカラスを伝い景色を味わう雰囲気ではなく、写真もありません。)

    大雪山 旭岳ロープウェイ 御田ノ原(みたのはら)
    ロープウェイの道のりの半分を過ぎた頃、北西方向(左手)に御田ノ原と呼ばれる高原沼群が見えてきます。ロープウェイの姿見駅からも高原を見下ろせますが、この時節には紅葉が素晴らしく、錦織りなすを実感できる風情を湛えた絶景が俯瞰できます。
    因みに、この湿原では、ヒグマが度々目撃されているそうです。双眼鏡があればヒグマを発見できるかもしれません。

    丁度この辺りで、右手には旭岳西側斜面の標高1300〜1400mの所に広がる天女ヶ原の紅葉が広がってきます。天女ヶ原湿原は、溶岩台地上に発達した山地高層湿原です。ロープウェイの往きと帰りで見る方向を変えるとお得です。
    (帰路は雨がひどくなり、雨だれがカラスを伝い景色を味わう雰囲気ではなく、写真もありません。)

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />大雪山には小泉秀雄氏所縁の山名を持つ山が幾つか存在します。比布岳(2197m ヒップ=石の多い所)と白雲岳(2230m)は小泉氏自身が命名しました。また小泉岳(2158m)は、彼の功績に因んで命名された山です。永山岳(2046m)は、第2代北海道長官 永山武四郎氏の姓をとって小泉氏が命名した地名永山村(旭川市永山)の地名を冠したものです。<br />この他、人名に由来する山には、桂月岳(1938m 大町桂月氏が大雪山を縦走した折、案内役を務めた塩谷忠氏により命名)、間宮岳(2185m 大雪山に最初に足跡を残した和人 間宮林蔵氏を記念した命名。確か日本史の教科書にでてきた人物です。松田岳(2136m )は、大雪山に和人として第二の足跡を印した松田市太郎氏を記念した命名などがあります。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    大雪山には小泉秀雄氏所縁の山名を持つ山が幾つか存在します。比布岳(2197m ヒップ=石の多い所)と白雲岳(2230m)は小泉氏自身が命名しました。また小泉岳(2158m)は、彼の功績に因んで命名された山です。永山岳(2046m)は、第2代北海道長官 永山武四郎氏の姓をとって小泉氏が命名した地名永山村(旭川市永山)の地名を冠したものです。
    この他、人名に由来する山には、桂月岳(1938m 大町桂月氏が大雪山を縦走した折、案内役を務めた塩谷忠氏により命名)、間宮岳(2185m 大雪山に最初に足跡を残した和人 間宮林蔵氏を記念した命名。確か日本史の教科書にでてきた人物です。松田岳(2136m )は、大雪山に和人として第二の足跡を印した松田市太郎氏を記念した命名などがあります。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />旭岳の秋の到来は非常に早く、8月下旬には気温が急激に下がり、山肌では黄色や赤色の色付きが始まります。9月には夏の時期に賑わいを見せていた大雪山の花々もその姿を隠し、ヒグマやナキウサギも越冬に向けて準備を始めます。この頃には、黄色の絨毯を敷き詰めたような紅葉が見所です。旭岳の初雪も非常に早く、早い時期には8月下旬に確認された記録もあり、平均的な初冠雪は9月中旬となります。10月下旬にもなると、降った雪も融けずに残るようになり、大雪山にもいよいよ本格的な冬が到来します。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    旭岳の秋の到来は非常に早く、8月下旬には気温が急激に下がり、山肌では黄色や赤色の色付きが始まります。9月には夏の時期に賑わいを見せていた大雪山の花々もその姿を隠し、ヒグマやナキウサギも越冬に向けて準備を始めます。この頃には、黄色の絨毯を敷き詰めたような紅葉が見所です。旭岳の初雪も非常に早く、早い時期には8月下旬に確認された記録もあり、平均的な初冠雪は9月中旬となります。10月下旬にもなると、降った雪も融けずに残るようになり、大雪山にもいよいよ本格的な冬が到来します。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />大雪山連峰は日本で最も北に位置する山々です。その最高峰 旭岳は、日本で一番長い間、雪を楽しむことができる場所であり、日本中が夏に向かう6月になっても残雪を見ることができ、日本で最も遅く「チシマザクラ」が開花します。<br />夏には大雪山固有の高山植物が数多く咲き誇り、そして秋にはいち早くここを起点に紅葉前線が南へと下っていきます。8月下旬にはウラジロナナカマドやウラシマツツジ、チングルマなどから徐々に紅葉が始まります。日本中がまだ残暑に包まれているこの季節に旭岳ではすでに紅葉が始まっています。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    大雪山連峰は日本で最も北に位置する山々です。その最高峰 旭岳は、日本で一番長い間、雪を楽しむことができる場所であり、日本中が夏に向かう6月になっても残雪を見ることができ、日本で最も遅く「チシマザクラ」が開花します。
    夏には大雪山固有の高山植物が数多く咲き誇り、そして秋にはいち早くここを起点に紅葉前線が南へと下っていきます。8月下旬にはウラジロナナカマドやウラシマツツジ、チングルマなどから徐々に紅葉が始まります。日本中がまだ残暑に包まれているこの季節に旭岳ではすでに紅葉が始まっています。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />少しズームアップしてみます。<br />赤や朱色に染め上げているのは、ウラジロナナカマドです。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    少しズームアップしてみます。
    赤や朱色に染め上げているのは、ウラジロナナカマドです。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />森林限界を超えた高山帯で見られる斑紅葉の典型です。<br />今年は、ウラジロナナカマドの赤い紅葉がことさら美しいとTVニュースで報じられていました。今年は、北海道も異常に暑い夏だったからでしょうか?<br />阪神地区の最高気温を超え、36℃なんて吃驚するような日もあったように記憶しています。冷房が完備されていない北海道の民家では、暑さを凌ぐのが大変ではないかと気を揉んだほどです。

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    森林限界を超えた高山帯で見られる斑紅葉の典型です。
    今年は、ウラジロナナカマドの赤い紅葉がことさら美しいとTVニュースで報じられていました。今年は、北海道も異常に暑い夏だったからでしょうか?
    阪神地区の最高気温を超え、36℃なんて吃驚するような日もあったように記憶しています。冷房が完備されていない北海道の民家では、暑さを凌ぐのが大変ではないかと気を揉んだほどです。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ<br />あっという間の空中散歩でした。<br />高山帯(大雪山系では1400m以上)が近くなると、背の高い樹木(主にダケカンバ)がまばらになり、やがてハイマツなどの低木へと植生が変化する境界線を「森林限界」と言います。因みに、本州では標高2500m以上から高山帯とされています。<br />その境界線が写真でよく判ると思います。<br /><br />旭岳 姿見駅からのルートマップはこちらを参照してください。<br />http://www.wakasaresort.com/asahidakeropeway/course/spring.htm

    大雪山 旭岳ロープウェイ
    あっという間の空中散歩でした。
    高山帯(大雪山系では1400m以上)が近くなると、背の高い樹木(主にダケカンバ)がまばらになり、やがてハイマツなどの低木へと植生が変化する境界線を「森林限界」と言います。因みに、本州では標高2500m以上から高山帯とされています。
    その境界線が写真でよく判ると思います。

    旭岳 姿見駅からのルートマップはこちらを参照してください。
    http://www.wakasaresort.com/asahidakeropeway/course/spring.htm

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ姿見駅<br />姿見駅(旭岳5合目)からは、鏡池・擂鉢(すりばち)池の夫婦池を目指し、噴気口を覗き、姿見の池を眺めて姿見駅に戻るというコースが一般的です。通常なら1時間程で1周できるコースです。<br />天気が良ければ正面に旭岳の雄姿がドッカ〜ンと見えるはずですが、どうやらぶ厚い雲のベールに覆われているようです。姿見駅の天候は雨、外気温は7℃です。<br />6月中旬〜8月上旬までは高山植物が咲き乱れ、キバナシャクナゲ、エゾノツガザクラ、チングルマなどの群落が見られます。9月になると紅葉と共にミヤマリンドウやミヤマアキノキリンソウといった秋の花やチングルマの綿毛が愉しめます。冬期には、スノーシューで自由に歩くことができます。

    大雪山 旭岳ロープウェイ姿見駅
    姿見駅(旭岳5合目)からは、鏡池・擂鉢(すりばち)池の夫婦池を目指し、噴気口を覗き、姿見の池を眺めて姿見駅に戻るというコースが一般的です。通常なら1時間程で1周できるコースです。
    天気が良ければ正面に旭岳の雄姿がドッカ〜ンと見えるはずですが、どうやらぶ厚い雲のベールに覆われているようです。姿見駅の天候は雨、外気温は7℃です。
    6月中旬〜8月上旬までは高山植物が咲き乱れ、キバナシャクナゲ、エゾノツガザクラ、チングルマなどの群落が見られます。9月になると紅葉と共にミヤマリンドウやミヤマアキノキリンソウといった秋の花やチングルマの綿毛が愉しめます。冬期には、スノーシューで自由に歩くことができます。

  • 大雪山 旭岳 池園地<br />少し登った所から振り返ると、姿見駅の前に広がる池園地の草紅葉が見頃です。<br />ツアーでは姿見の池まで1時間かけて周遊するような時間的余裕はそもそもありません。おまけに雨で足元が悪く、散策路も狭く水溜まりができているため、パーティーとすれ違うにはかなりの時間立ち止まって待つ必要があります。もう一つの注意点は、紅葉のシーズン中は道内からの観光客も多く、ロープウェイ(定員101人)の積み残しもあり得ることです。15分毎に運行していますが、秋の彼岸の連休中はピストン輸送しても追い付かず、最長1時間待ちもあったようです。天候が良くない日は人出も少ないと思いますが、せめて集合時間ぎりぎりではなく、その一本前に乗る配慮が求められます。そう考えると散策できるのは実質40分程にしかなりません。<br />この天候では旭岳も拝めそうにないため、とりあえず夫婦池を目指して歩を進めます。その後の行程は、その時の状況を見て判断することにします。

    大雪山 旭岳 池園地
    少し登った所から振り返ると、姿見駅の前に広がる池園地の草紅葉が見頃です。
    ツアーでは姿見の池まで1時間かけて周遊するような時間的余裕はそもそもありません。おまけに雨で足元が悪く、散策路も狭く水溜まりができているため、パーティーとすれ違うにはかなりの時間立ち止まって待つ必要があります。もう一つの注意点は、紅葉のシーズン中は道内からの観光客も多く、ロープウェイ(定員101人)の積み残しもあり得ることです。15分毎に運行していますが、秋の彼岸の連休中はピストン輸送しても追い付かず、最長1時間待ちもあったようです。天候が良くない日は人出も少ないと思いますが、せめて集合時間ぎりぎりではなく、その一本前に乗る配慮が求められます。そう考えると散策できるのは実質40分程にしかなりません。
    この天候では旭岳も拝めそうにないため、とりあえず夫婦池を目指して歩を進めます。その後の行程は、その時の状況を見て判断することにします。

  • 大雪山 旭岳 エゾオヤマリンドウ<br />リンドウ科リンドウ属の多年草です。日本原産で、北海道から本州近畿以北にかけて分布し、山地の湿地帯に生えます。エゾオヤマノリンドウは蝦夷リンドウの高山型です。本種は、天気が良く、陽光が一杯に当たっていないと開花しないという性質があり、開花しても花弁全体が開くことはありません。濃い青紫色の花を咲かせます。<br />写真のものは、葉や茎がすでに紅葉しています。葉が紅葉していてもこのように凛とした鮮やかな色彩の花を咲かせるとは、見かけによらず逞しい高山植物です。

    大雪山 旭岳 エゾオヤマリンドウ
    リンドウ科リンドウ属の多年草です。日本原産で、北海道から本州近畿以北にかけて分布し、山地の湿地帯に生えます。エゾオヤマノリンドウは蝦夷リンドウの高山型です。本種は、天気が良く、陽光が一杯に当たっていないと開花しないという性質があり、開花しても花弁全体が開くことはありません。濃い青紫色の花を咲かせます。
    写真のものは、葉や茎がすでに紅葉しています。葉が紅葉していてもこのように凛とした鮮やかな色彩の花を咲かせるとは、見かけによらず逞しい高山植物です。

  • 大雪山 旭岳 <br />シラタマノキ<br />白く丸まったものは花ではなく、たわわに実ったシラタマノキの実です。<br />ツツジ科シラタマノキ属の常緑小低木です。中部以北の亜高山帯以上の草地等、比較的乾燥した場所に生えます。9月頃、萼が肥大して果実を覆い、白い玉状になることからシラタマノキの和名があります。これを潰すとサリチル酸の臭いがするのですが、野生動物や野鳥の貴重な餌となります。<br /><br />右端下方にある赤い実を付けた木がコケモモです。<br />こちらもツツジ科スノキ属の常緑小低木です。自然での生育地はユーラシアの北部や北アメリカの周北林で、温帯から北極圏に近い地域まで分布しています。<br />和名の由来は、地面を這う様子を「苔」に例えたものです。「モモ」は方言で「木の実」を意味しています。北海道では、アイヌ語のフレップ(赤い実)の名で知られています。 <br />秋にはこのように赤い実を付け、これが結構美味いそうです。しかし、大雪山は国立公園のため全面採集禁止なので、ヒグマにでも変装しない限りコケモモの実を取って食べることはできそうもありません。

    大雪山 旭岳
    シラタマノキ
    白く丸まったものは花ではなく、たわわに実ったシラタマノキの実です。
    ツツジ科シラタマノキ属の常緑小低木です。中部以北の亜高山帯以上の草地等、比較的乾燥した場所に生えます。9月頃、萼が肥大して果実を覆い、白い玉状になることからシラタマノキの和名があります。これを潰すとサリチル酸の臭いがするのですが、野生動物や野鳥の貴重な餌となります。

    右端下方にある赤い実を付けた木がコケモモです。
    こちらもツツジ科スノキ属の常緑小低木です。自然での生育地はユーラシアの北部や北アメリカの周北林で、温帯から北極圏に近い地域まで分布しています。
    和名の由来は、地面を這う様子を「苔」に例えたものです。「モモ」は方言で「木の実」を意味しています。北海道では、アイヌ語のフレップ(赤い実)の名で知られています。
    秋にはこのように赤い実を付け、これが結構美味いそうです。しかし、大雪山は国立公園のため全面採集禁止なので、ヒグマにでも変装しない限りコケモモの実を取って食べることはできそうもありません。

  • 大雪山 旭岳 満月沼<br />第三展望台へ向かう途中、左側に水を湛えた満月沼が見えてきます。満月を彷彿とさせるきれいな円形を描いています。<br />手前にある赤く染まった絨毯のような草紅葉は、チングルマの群生やエゾノマルバシモツケの葉が紅葉した様子です。チングルマの白い綿毛はすでにこの時期には見られなくなっています。<br />黄葉は、ミネハリイかスゲでしょうか?<br />手前の赤い実はウラジロナナカマドの実です。葉は枯れかかっています。

    大雪山 旭岳 満月沼
    第三展望台へ向かう途中、左側に水を湛えた満月沼が見えてきます。満月を彷彿とさせるきれいな円形を描いています。
    手前にある赤く染まった絨毯のような草紅葉は、チングルマの群生やエゾノマルバシモツケの葉が紅葉した様子です。チングルマの白い綿毛はすでにこの時期には見られなくなっています。
    黄葉は、ミネハリイかスゲでしょうか?
    手前の赤い実はウラジロナナカマドの実です。葉は枯れかかっています。

  • 大雪山 旭岳 擂鉢(すりばち)池<br />左端に伸びる稜線を挟んで大きな池と小さな池が左右に見えます。各々名前を持つ立派な池なのですが、2つの池が仲睦まじく寄り添っているように見えることから「夫婦池」と通称されています。<br />小さい方の池(向かって右)の名は「擂鉢池」です。名の通り、周囲が摺鉢のように窪んだ所にあり、その底の部分が楕円を描いた池になっています。<br />これらの池は、元々は噴火口でした。水蒸気爆発した際にスプーンで抉り取られるように周囲が吹き飛ばされ、火山活動を停止した後に雨や雪解け水を湛えて現在の姿になったものです。晴天時には池面に旭岳が映り込み、見事な逆さ旭岳を見ることができるそうです。

    大雪山 旭岳 擂鉢(すりばち)池
    左端に伸びる稜線を挟んで大きな池と小さな池が左右に見えます。各々名前を持つ立派な池なのですが、2つの池が仲睦まじく寄り添っているように見えることから「夫婦池」と通称されています。
    小さい方の池(向かって右)の名は「擂鉢池」です。名の通り、周囲が摺鉢のように窪んだ所にあり、その底の部分が楕円を描いた池になっています。
    これらの池は、元々は噴火口でした。水蒸気爆発した際にスプーンで抉り取られるように周囲が吹き飛ばされ、火山活動を停止した後に雨や雪解け水を湛えて現在の姿になったものです。晴天時には池面に旭岳が映り込み、見事な逆さ旭岳を見ることができるそうです。

  • 大雪山 旭岳 擂鉢池<br />池の畔から放射状に広がる紅葉のグラデーションは息を呑む美しさで圧巻です。<br />所々に島のようにポツリポツリと点在するウラジロナナカマドの朱色やチングルマとスゲの赤と黄色の絨毯が織りなす錦秋模様が堪能できます。

    大雪山 旭岳 擂鉢池
    池の畔から放射状に広がる紅葉のグラデーションは息を呑む美しさで圧巻です。
    所々に島のようにポツリポツリと点在するウラジロナナカマドの朱色やチングルマとスゲの赤と黄色の絨毯が織りなす錦秋模様が堪能できます。

  • 大雪山 旭岳 擂鉢池<br />今年の擂鉢池の水量は、例年よりかなり少ないとのことです。<br />昨冬は積雪量が少なかったのでしょうか?<br /><br />雪と言えば、旭岳を訪れた翌日(9月28日)には上空に寒気が入り込み、姿見駅付近でも積雪が3cmになり、一面銀世界になったそうです。29日には雲が取れて旭川地方気象台から旭岳の中腹を覆う雪が確認され、初冠雪が発表されました。その後も雪は止むことを知らず、爆弾低気圧などの通過などもあり、10月2日時点で積雪は10cmを超えたようです。ひょっとすると、この写真が5合目より先の紅葉の今年の見納めになるのかもしれません。

    大雪山 旭岳 擂鉢池
    今年の擂鉢池の水量は、例年よりかなり少ないとのことです。
    昨冬は積雪量が少なかったのでしょうか?

    雪と言えば、旭岳を訪れた翌日(9月28日)には上空に寒気が入り込み、姿見駅付近でも積雪が3cmになり、一面銀世界になったそうです。29日には雲が取れて旭川地方気象台から旭岳の中腹を覆う雪が確認され、初冠雪が発表されました。その後も雪は止むことを知らず、爆弾低気圧などの通過などもあり、10月2日時点で積雪は10cmを超えたようです。ひょっとすると、この写真が5合目より先の紅葉の今年の見納めになるのかもしれません。

  • 大雪山 旭岳 鏡池<br />先程の稜線の左側にある大きな池が、「鏡池」です。<br />晴れた日には、名の通り旭岳を鏡のように映し出すそうです。<br />また、この池は、濃紺の色彩にも定評があります。

    大雪山 旭岳 鏡池
    先程の稜線の左側にある大きな池が、「鏡池」です。
    晴れた日には、名の通り旭岳を鏡のように映し出すそうです。
    また、この池は、濃紺の色彩にも定評があります。

  • 大雪山 旭岳 鏡池<br />稜線の先に霞んで見える第四展望台を超えると、その先に姿見の池が広がっています。<br />しかし、ここで雨が一段と激しくなり、遠くで雷鳴が轟き始めました。近くに避難する場所がないため、止むを得ず安全を期して姿見駅まで戻ることにします。

    大雪山 旭岳 鏡池
    稜線の先に霞んで見える第四展望台を超えると、その先に姿見の池が広がっています。
    しかし、ここで雨が一段と激しくなり、遠くで雷鳴が轟き始めました。近くに避難する場所がないため、止むを得ず安全を期して姿見駅まで戻ることにします。

  • 大雪山 旭岳 <br />第一展望台を過ぎた辺りで名残を惜しんで振り返ると、いつの間にか旭岳の山頂が顔を覗かせていました。今回は見れないと思っていただけに嬉しさも倍増です。<br />旭岳の名は、「チュウ・ペツ(流れの速い川)」を「チュプ・ペツ(日の昇る川)」と誤訳し、朝日を旭と読み替えて1910(明治43)年に文部省が発案したものです。往時、北海道庁がすでに「大雪山」と呼称していたことを知らずに命名されたのですが、これが全国的に広まったとされています。<br />語源の元となった忠別川は、大雪山系忠別岳の西斜面に源を発し、同じく忠別岳東斜面から発して大雪山の北側を大きく回り込むように流れる石狩川と旭川市中心部で合流しています。因みに、旭川も忠別川のアイヌ語「チュプ・ペッ」を語源としたものだそうです。

    大雪山 旭岳
    第一展望台を過ぎた辺りで名残を惜しんで振り返ると、いつの間にか旭岳の山頂が顔を覗かせていました。今回は見れないと思っていただけに嬉しさも倍増です。
    旭岳の名は、「チュウ・ペツ(流れの速い川)」を「チュプ・ペツ(日の昇る川)」と誤訳し、朝日を旭と読み替えて1910(明治43)年に文部省が発案したものです。往時、北海道庁がすでに「大雪山」と呼称していたことを知らずに命名されたのですが、これが全国的に広まったとされています。
    語源の元となった忠別川は、大雪山系忠別岳の西斜面に源を発し、同じく忠別岳東斜面から発して大雪山の北側を大きく回り込むように流れる石狩川と旭川市中心部で合流しています。因みに、旭川も忠別川のアイヌ語「チュプ・ペッ」を語源としたものだそうです。

  • 大雪山 旭岳 池園地<br />この旭岳は何時頃誕生したのでしょうか?<br />山頂から間宮岳に向かうと、お鉢平と呼ばれる巨大なカルデラが見えます。ここは、今から約15万年前には富士山と同じ成層火山でしたが、約3万年前に大爆発を起こして頂上付近が吹き飛ばされ、現在のカルデラが誕生しました。その後火山活動がカルデラ西部で活発化し、約2万年前から数千年前頃に旭岳の東方にある熊ヶ岳の噴火が引き金となり、その外側にある旭岳の火山活動が始まりました。500年前に旭岳西側斜面が水蒸気爆発を起こして地獄谷が形成され、現在の姿になったと考えられています。<br />また、散策路にある姿見の池や夫婦池などは静かに美しく水を湛えて訪れる人の心を和ませてくれますが、実はこれらの池は元々は噴火口であり、火山活動時には真っ赤なマグマを噴出し、人々を寄せ付けない場所だったそうです。その後、噴火が治まった火口には雨や雪解け水が溜まり、今の姿を留めています。

    大雪山 旭岳 池園地
    この旭岳は何時頃誕生したのでしょうか?
    山頂から間宮岳に向かうと、お鉢平と呼ばれる巨大なカルデラが見えます。ここは、今から約15万年前には富士山と同じ成層火山でしたが、約3万年前に大爆発を起こして頂上付近が吹き飛ばされ、現在のカルデラが誕生しました。その後火山活動がカルデラ西部で活発化し、約2万年前から数千年前頃に旭岳の東方にある熊ヶ岳の噴火が引き金となり、その外側にある旭岳の火山活動が始まりました。500年前に旭岳西側斜面が水蒸気爆発を起こして地獄谷が形成され、現在の姿になったと考えられています。
    また、散策路にある姿見の池や夫婦池などは静かに美しく水を湛えて訪れる人の心を和ませてくれますが、実はこれらの池は元々は噴火口であり、火山活動時には真っ赤なマグマを噴出し、人々を寄せ付けない場所だったそうです。その後、噴火が治まった火口には雨や雪解け水が溜まり、今の姿を留めています。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅<br />大雪山系の山々を造った中央火口は「お鉢平」と呼ばれ、大噴火口(カルデラ)を囲むように永山岳、 比布岳、愛別岳、北鎮岳、凌雲岳、黒岳、烏帽子岳、赤岳、白雲岳などの「古大雪山火山群」がまず形成され、後にできた北海岳、間宮岳、中岳などの「新大雪山火山群」から流れ出た溶岩によって「古大雪山火山群」の山間の凹地が埋められた結果、こうした地形となったものと推測されています。<br />主峰 旭岳は最後にできた山で、3万〜数千年前の火山の爆発によって生まれた成層火山です。現在も西斜面の爆裂火口からは白い噴煙を数条吹上げており、荒々しい山肌を見せています。<br /><br />地獄谷(噴火孔)は、姿見の池から散策路を歩いて2〜3分の距離にあるそうです。辺りには濛々と白煙が上がり、つんと鼻を刺す硫黄の匂いが漂い、ジェット機のエンジン音のように轟音の噴気孔など迫力満点の大自然の大音響を味わえるスポットです。ここで火山活動があったことを示す証と言えます。

    大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅
    大雪山系の山々を造った中央火口は「お鉢平」と呼ばれ、大噴火口(カルデラ)を囲むように永山岳、 比布岳、愛別岳、北鎮岳、凌雲岳、黒岳、烏帽子岳、赤岳、白雲岳などの「古大雪山火山群」がまず形成され、後にできた北海岳、間宮岳、中岳などの「新大雪山火山群」から流れ出た溶岩によって「古大雪山火山群」の山間の凹地が埋められた結果、こうした地形となったものと推測されています。
    主峰 旭岳は最後にできた山で、3万〜数千年前の火山の爆発によって生まれた成層火山です。現在も西斜面の爆裂火口からは白い噴煙を数条吹上げており、荒々しい山肌を見せています。

    地獄谷(噴火孔)は、姿見の池から散策路を歩いて2〜3分の距離にあるそうです。辺りには濛々と白煙が上がり、つんと鼻を刺す硫黄の匂いが漂い、ジェット機のエンジン音のように轟音の噴気孔など迫力満点の大自然の大音響を味わえるスポットです。ここで火山活動があったことを示す証と言えます。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅<br />日本列島で火山活動が活発になっています。2014年9月の御嶽山噴火に続き、2015年5月に噴火した口永良部島では全島民が避難。桜島では8月に噴火警戒レベルが初めて4(避難準備)に引き上げられ、9月には阿蘇山で噴火警戒レベル3が発表されました。また、箱根山や浅間山、雌阿寒岳などでも警戒が続いています。 吃驚することに、日本列島の活火山の数は、いつの間にか110にも増えています。火山研究の進展に伴い、休火山の定義が見直され、過去1万年の間に噴火した火山が全て活火山に指定されたためです。御嶽山は1979年に水蒸気噴火を起こすまで噴火の記録がなかったそうですし、2008年に噴火したチリのチャイテン火山は9400年ぶりの噴火でした。1万年は火山にとって安心できる休止期間ではないというのが見直しの理由です。<br />2009年以降、気象庁は47の火山をリアルタイムで監視しています。中でもいったん噴火すれば首都圏への影響が危惧される富士山は、態勢の強化が進んでいる火山のひとつと言われて久しくなっています。桜島の「大正大噴火」以降100年間、日本列島では大噴火規模の噴火は起きていないそうです。しかし、富士山の宝永噴火が起きた1707年頃の日本は、大規模な火山噴火とその被害が相次いだだけでなく、噴火直前に発生した宝永地震などの巨大地震も続いていたそうです。ですから、2011年の東日本大震災をきっかけに日本列島は再び火山噴火や巨大地震が増える活動期に入ったと考える研究者も少なくありません。2000年の有珠山噴火の時のように過去の経験を生かして事前避難に成功した事例もありますが、数百年〜数千年の間隔で発生する大規模噴火をいち早く予知して災害に備えることは容易なことではありません。日本列島で暮らしていく以上、火山とどのように向き合っていくかを改めて考える時期に来ているのかもしれません。<br />日本列島の火山活動が『ヨハネの黙示録』に記された「ハルマゲドン」の日本版でないことを切に祈りたいと思います。

    大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅
    日本列島で火山活動が活発になっています。2014年9月の御嶽山噴火に続き、2015年5月に噴火した口永良部島では全島民が避難。桜島では8月に噴火警戒レベルが初めて4(避難準備)に引き上げられ、9月には阿蘇山で噴火警戒レベル3が発表されました。また、箱根山や浅間山、雌阿寒岳などでも警戒が続いています。 吃驚することに、日本列島の活火山の数は、いつの間にか110にも増えています。火山研究の進展に伴い、休火山の定義が見直され、過去1万年の間に噴火した火山が全て活火山に指定されたためです。御嶽山は1979年に水蒸気噴火を起こすまで噴火の記録がなかったそうですし、2008年に噴火したチリのチャイテン火山は9400年ぶりの噴火でした。1万年は火山にとって安心できる休止期間ではないというのが見直しの理由です。
    2009年以降、気象庁は47の火山をリアルタイムで監視しています。中でもいったん噴火すれば首都圏への影響が危惧される富士山は、態勢の強化が進んでいる火山のひとつと言われて久しくなっています。桜島の「大正大噴火」以降100年間、日本列島では大噴火規模の噴火は起きていないそうです。しかし、富士山の宝永噴火が起きた1707年頃の日本は、大規模な火山噴火とその被害が相次いだだけでなく、噴火直前に発生した宝永地震などの巨大地震も続いていたそうです。ですから、2011年の東日本大震災をきっかけに日本列島は再び火山噴火や巨大地震が増える活動期に入ったと考える研究者も少なくありません。2000年の有珠山噴火の時のように過去の経験を生かして事前避難に成功した事例もありますが、数百年〜数千年の間隔で発生する大規模噴火をいち早く予知して災害に備えることは容易なことではありません。日本列島で暮らしていく以上、火山とどのように向き合っていくかを改めて考える時期に来ているのかもしれません。
    日本列島の火山活動が『ヨハネの黙示録』に記された「ハルマゲドン」の日本版でないことを切に祈りたいと思います。

  • 大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅<br />今回は行くことが叶わなかった「姿見の池」は、旭岳の山裾にあり、秋の気配を感じさせる佇まいをしています。旭岳の雄姿を水面に美しく映し出すことから命名されています。風がなく晴天時には、エメラルドグリーンに輝く、姿見の池に旭岳が写り出され絶好の撮影スポットとなっています。また、天候や季節によっても、色合いが変化する神秘的な池です。水深は、深い所でも4〜5m程です。旭岳は大雪山火山群の中で一番新しい火山で、山頂が崩落して噴火口が大きく陥没し、そこに雪解け水や雨水が溜まって誕生したのが姿見の池です。旭岳の前面からは白い噴煙が上がり、露出した岩肌と相まって荒々しい活火山の一面を顕にしていますが、訪れる登山者を和ませてくれる景勝地でもあります。<br />標高1600m付近にある旭岳ロープウェイ「姿見駅」から散策路を最短ルートを歩いて20分程の場所にあります。<br /><br />水深については面白いエピソードがあります。<br />意外にも近年まで正確な水深が判明しておらず、1911年に水深を調査した方は「16mの釣り糸が湖底に届かなかった」、1951年の調査では「大工用の水糸でも底に届かず」と口をそろえて「底なし池」と語ったそうです。1986年、その「底なし伝説」 を解明するため大規模な調査を計画しましたが、姿見の池は特別保護区域内にあるため、迂闊に手を出すことができませでした。漸く調査の許可を取り付けて実 際に測ってみると、深度はたったの3.7mでした。最深部でも4.5mと70年以上も語り継がれた「底なし伝説」は全くのガセ情報で、調査に関わった人は「底なし池なんて言った奴を今すぐ呼んでこい!」と激怒されたそうです。嘘のデータを流したのか、あるいはたまたま測定場所に火口を捉えてしまったのか、今となっては解明不可能ですが、ロマンが失われないように真実を伝えなかったというのが真相ではなかったでしょうか?

    大雪山 旭岳ロープウェイ 姿見駅
    今回は行くことが叶わなかった「姿見の池」は、旭岳の山裾にあり、秋の気配を感じさせる佇まいをしています。旭岳の雄姿を水面に美しく映し出すことから命名されています。風がなく晴天時には、エメラルドグリーンに輝く、姿見の池に旭岳が写り出され絶好の撮影スポットとなっています。また、天候や季節によっても、色合いが変化する神秘的な池です。水深は、深い所でも4〜5m程です。旭岳は大雪山火山群の中で一番新しい火山で、山頂が崩落して噴火口が大きく陥没し、そこに雪解け水や雨水が溜まって誕生したのが姿見の池です。旭岳の前面からは白い噴煙が上がり、露出した岩肌と相まって荒々しい活火山の一面を顕にしていますが、訪れる登山者を和ませてくれる景勝地でもあります。
    標高1600m付近にある旭岳ロープウェイ「姿見駅」から散策路を最短ルートを歩いて20分程の場所にあります。

    水深については面白いエピソードがあります。
    意外にも近年まで正確な水深が判明しておらず、1911年に水深を調査した方は「16mの釣り糸が湖底に届かなかった」、1951年の調査では「大工用の水糸でも底に届かず」と口をそろえて「底なし池」と語ったそうです。1986年、その「底なし伝説」 を解明するため大規模な調査を計画しましたが、姿見の池は特別保護区域内にあるため、迂闊に手を出すことができませでした。漸く調査の許可を取り付けて実 際に測ってみると、深度はたったの3.7mでした。最深部でも4.5mと70年以上も語り継がれた「底なし伝説」は全くのガセ情報で、調査に関わった人は「底なし池なんて言った奴を今すぐ呼んでこい!」と激怒されたそうです。嘘のデータを流したのか、あるいはたまたま測定場所に火口を捉えてしまったのか、今となっては解明不可能ですが、ロマンが失われないように真実を伝えなかったというのが真相ではなかったでしょうか?

  • 旭川市(車窓)<br />大雪山 旭岳の紅葉を愉しんだ後は、宿泊地となる網走市まで4時間強の長距離ドライブとなります。ある意味、北海道旅行の宿命のようなものです。<br />この写真は上川地区周辺で見かけた車窓風景ですが、これが北海道かと目を疑うような田園風景が広がっています。実は2014年度の統計では、北海道は新潟県に次ぐ米の収穫量を誇っています。中でも旭川市は米作りが盛んな地域だそうです(道内1位。2位は深川市。)。ご存知の「ななつぼし」や「ゆめぴりか」などのブランド米の生産地です。<br />旭川市は、大雪山をはじめとする雄大な山々に囲まれた盆地にある都市です。ですから豊かな伏流水が田圃を潤し、盆地特有の昼夜の寒暖差により、美味しいお米ができるそうです。

    旭川市(車窓)
    大雪山 旭岳の紅葉を愉しんだ後は、宿泊地となる網走市まで4時間強の長距離ドライブとなります。ある意味、北海道旅行の宿命のようなものです。
    この写真は上川地区周辺で見かけた車窓風景ですが、これが北海道かと目を疑うような田園風景が広がっています。実は2014年度の統計では、北海道は新潟県に次ぐ米の収穫量を誇っています。中でも旭川市は米作りが盛んな地域だそうです(道内1位。2位は深川市。)。ご存知の「ななつぼし」や「ゆめぴりか」などのブランド米の生産地です。
    旭川市は、大雪山をはじめとする雄大な山々に囲まれた盆地にある都市です。ですから豊かな伏流水が田圃を潤し、盆地特有の昼夜の寒暖差により、美味しいお米ができるそうです。

  • 夕陽に赤く染まる北の大地(網走市:車窓)<br />午後5時前、イメージしていたようなショットを何とか捉えることができました。<br />夕陽と長く尾を引いた樹木の陰影が織りなす大地のアートです。<br /><br />日の入りが迫っているため、実際は見た目以上に暗くなっています。バスもスピードを出して走行しているため、撮影条件の設定を工夫しないとブレてしまいます。<br />カメラ情報データを調べてみると、ISO:6400、SS:1/160、f/8となっています。本来ならSSを1/500以下にしたい所ですが、ISO感度をこれ以上にするとノイズが目立ってしまいます。また、風景撮りなら絞りもf/11にしてクリアにしたい所ですが、f/8に緩めてSSを速くしています。

    夕陽に赤く染まる北の大地(網走市:車窓)
    午後5時前、イメージしていたようなショットを何とか捉えることができました。
    夕陽と長く尾を引いた樹木の陰影が織りなす大地のアートです。

    日の入りが迫っているため、実際は見た目以上に暗くなっています。バスもスピードを出して走行しているため、撮影条件の設定を工夫しないとブレてしまいます。
    カメラ情報データを調べてみると、ISO:6400、SS:1/160、f/8となっています。本来ならSSを1/500以下にしたい所ですが、ISO感度をこれ以上にするとノイズが目立ってしまいます。また、風景撮りなら絞りもf/11にしてクリアにしたい所ですが、f/8に緩めてSSを速くしています。

  • 網走市(車窓)<br />「北海道はやっぱり広いな〜」と実感するのは、東へ移動するほど日の暮れが早くなることです。<br />北海道ツアーの特徴は観光バスの走行距離が長くなることです。ですから、観光スポットで長居することができません。これだけ広い場所をあっちこっち絶景を求めて巡るのですから当たり前なのですが…。<br />しかし、この時間をどのように過ごすかかが北海道旅行を満喫するための最大のポイントになります。人それぞれに思い思いの過ごし方があり、例えば日頃の疲れを癒すためにお昼寝を決め込むのもいいのですが、折角ですので北の大地の雄大さ素晴らしさを直に味わっていただきたいなと思います。<br />疲れは、美味しいものを食べ、のんびりと温泉に浸かって解消しましょう!

    網走市(車窓)
    「北海道はやっぱり広いな〜」と実感するのは、東へ移動するほど日の暮れが早くなることです。
    北海道ツアーの特徴は観光バスの走行距離が長くなることです。ですから、観光スポットで長居することができません。これだけ広い場所をあっちこっち絶景を求めて巡るのですから当たり前なのですが…。
    しかし、この時間をどのように過ごすかかが北海道旅行を満喫するための最大のポイントになります。人それぞれに思い思いの過ごし方があり、例えば日頃の疲れを癒すためにお昼寝を決め込むのもいいのですが、折角ですので北の大地の雄大さ素晴らしさを直に味わっていただきたいなと思います。
    疲れは、美味しいものを食べ、のんびりと温泉に浸かって解消しましょう!

  • 網走市(車窓)<br />午後5時には早々に山の向こうに日が落ちてしまいました。<br />網走観光ホテルの魅力のひとつは眼前に広がる網走湖のレイクビューなのですが、ブルーモーメントの時間帯に到着できるかどうか微妙になってきました。(旅程では午後6時着となっていますが、これでは間に合いません!)<br /><br />道路に沿って並んで建っているアームの先にある矢印は、道路の端を示すための標識だそうです。中には昼間は太陽電池で充電し、夜間はLEDライトを点滅するものもあるようです。積雪があった場合、道路を除雪する時の目印にするそうです。<br />こうした雪国でないと見聞きできないものの宝庫が北海道です。<br />バスガイドさんの薀蓄に感謝です!!

    網走市(車窓)
    午後5時には早々に山の向こうに日が落ちてしまいました。
    網走観光ホテルの魅力のひとつは眼前に広がる網走湖のレイクビューなのですが、ブルーモーメントの時間帯に到着できるかどうか微妙になってきました。(旅程では午後6時着となっていますが、これでは間に合いません!)

    道路に沿って並んで建っているアームの先にある矢印は、道路の端を示すための標識だそうです。中には昼間は太陽電池で充電し、夜間はLEDライトを点滅するものもあるようです。積雪があった場合、道路を除雪する時の目印にするそうです。
    こうした雪国でないと見聞きできないものの宝庫が北海道です。
    バスガイドさんの薀蓄に感謝です!!

  • 網走観光ホテル<br />網走湖畔温泉は網走市の南側に位置し、網走湖に面した温泉街です。<br />お世話になる網走観光ホテルは、1962年創業のこの地域では比較的新参になる温泉ホテルです。網走湖が目の前に広がる小高い丘に佇み、全室レイクビューの部屋で季節毎、また朝な夕なに表情を変える大自然を間近で味わうことができます。ゆっくりと流れる時の移ろいを、心ゆくまで寛げるホテルです。<br />また、新鮮なオホーツクの食材を贅沢に使った美食三昧も魅力です。今回は和食膳を味わいました。メイン料理は、「網走モヨロ鍋」というオホーツクサーモンをベースにした寄せ鍋です。モヨロとは、かつてこの地方でオホーツク文化人時代をつくり上げた外来民族の総称です。流氷の海でアザラシを追い、辿りついた「南の楽園」で海の幸、山の幸の食文化に舌鼓を打っていたに違いありません。オホーツク海の魚介類と網走発祥のすり身をオホーツク土器に見立てた特製の鍋でいただきます。オホーツク塩を使用した塩味スープに白魚醤油を加え、地元産の貝、野菜を入れるなど1000年前に忽然と姿を消した北方の民「モヨロ人」をイメージした鍋です。

    網走観光ホテル
    網走湖畔温泉は網走市の南側に位置し、網走湖に面した温泉街です。
    お世話になる網走観光ホテルは、1962年創業のこの地域では比較的新参になる温泉ホテルです。網走湖が目の前に広がる小高い丘に佇み、全室レイクビューの部屋で季節毎、また朝な夕なに表情を変える大自然を間近で味わうことができます。ゆっくりと流れる時の移ろいを、心ゆくまで寛げるホテルです。
    また、新鮮なオホーツクの食材を贅沢に使った美食三昧も魅力です。今回は和食膳を味わいました。メイン料理は、「網走モヨロ鍋」というオホーツクサーモンをベースにした寄せ鍋です。モヨロとは、かつてこの地方でオホーツク文化人時代をつくり上げた外来民族の総称です。流氷の海でアザラシを追い、辿りついた「南の楽園」で海の幸、山の幸の食文化に舌鼓を打っていたに違いありません。オホーツク海の魚介類と網走発祥のすり身をオホーツク土器に見立てた特製の鍋でいただきます。オホーツク塩を使用した塩味スープに白魚醤油を加え、地元産の貝、野菜を入れるなど1000年前に忽然と姿を消した北方の民「モヨロ人」をイメージした鍋です。

  • 網走観光ホテル ロビー<br />何故か名誉若女将として高橋真麻さんが選ばれています。<br />高橋秀樹さんが横浜ブリーズベイホテルを旗艦店とするBBHホテルグループの名誉支配人、真麻さんがチーフプロディューサーになっている関係のようです。<br />天都の宿 網走観光ホテルは、2015年4月にBBHホテルグループの一員になったばかりだそうです。

    網走観光ホテル ロビー
    何故か名誉若女将として高橋真麻さんが選ばれています。
    高橋秀樹さんが横浜ブリーズベイホテルを旗艦店とするBBHホテルグループの名誉支配人、真麻さんがチーフプロディューサーになっている関係のようです。
    天都の宿 網走観光ホテルは、2015年4月にBBHホテルグループの一員になったばかりだそうです。

  • 網走観光ホテル 網走湖<br />ホテルの客室から眺める、暮れなずむ網走湖の寂寥感溢れる夕景です。<br />雲をアクセントにするため、広角レンズで撮影してみました。<br />時刻は午後5時40分です。<br />ぎりぎりブルーモーメントの時間帯に間に合ったようです。<br />ドライバーさんに感謝です!

    網走観光ホテル 網走湖
    ホテルの客室から眺める、暮れなずむ網走湖の寂寥感溢れる夕景です。
    雲をアクセントにするため、広角レンズで撮影してみました。
    時刻は午後5時40分です。
    ぎりぎりブルーモーメントの時間帯に間に合ったようです。
    ドライバーさんに感謝です!

  • 網走観光ホテル 網走湖<br />ホテルの自慢のひとつは、雄大な網走湖を一望できる展望露天風呂「呼び人の湯」です。旅情豊かな網走の景色と温泉に浸かれば、旅の疲れも瞬く間にとれてしまいます。<br />泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物泉。無色、透明、弱塩辛い味ですが無臭です。効能は、経痛・リウマチ・腰痛・冷え症・筋肉痛・関節痛・動脈硬化症・運動機能障害・疲労回復・婦人病・更年期・五十肩・運動麻痺・打ち身・くじき・皮膚病など。<br /><br />明日は、能取湖の風物詩 深紅のサンゴ草鑑賞、太陽の丘えんがる公園(1000万本のコスモス)、層雲峡(銀河・流星の滝)、日本最大の光栄牧場 ナイタイ牧場を巡ります。<br />この続きは、③能取湖・遠軽・層雲峡・ナイタイ高原牧場でお届けいたします。

    網走観光ホテル 網走湖
    ホテルの自慢のひとつは、雄大な網走湖を一望できる展望露天風呂「呼び人の湯」です。旅情豊かな網走の景色と温泉に浸かれば、旅の疲れも瞬く間にとれてしまいます。
    泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物泉。無色、透明、弱塩辛い味ですが無臭です。効能は、経痛・リウマチ・腰痛・冷え症・筋肉痛・関節痛・動脈硬化症・運動機能障害・疲労回復・婦人病・更年期・五十肩・運動麻痺・打ち身・くじき・皮膚病など。

    明日は、能取湖の風物詩 深紅のサンゴ草鑑賞、太陽の丘えんがる公園(1000万本のコスモス)、層雲峡(銀河・流星の滝)、日本最大の光栄牧場 ナイタイ牧場を巡ります。
    この続きは、③能取湖・遠軽・層雲峡・ナイタイ高原牧場でお届けいたします。

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  • TSUNEさん 2015/10/05 20:45:14
    素敵な写真がたくさんありますね。
    montsaintmichelさん、こんばんは。
    美瑛、富良野、旭岳とどれも綺麗な風景で鮮やかな写真ですね。
    私もこのSWに美瑛や旭岳にいきました。
    でもこんなに綺麗な写真は撮れませんでした(笑)
    montsaintmichelさんのような撮影技術があればなぁ・・・。

    天気にも恵まれたようですね。
    綺麗な写真がたくさんあるようですのでフォローさせていただきます。
    これからも宜しくお願いします。
    今週末から北海道旅行の様子を更新しますので、よろしければ拝見してください。


    TSUNE

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん からの返信 2015/10/06 20:59:26
    RE: 素敵な写真がたくさんありますね。
    TSUNEさん、こんばんは。
    旅行記にアクセスしていただきありがとうございました。TSUNEさんも北海道の同じスポットを回られていたのですね!旅行記が楽しみです!!
    旅の余韻を共有できれば幸甚です。
    また、奈良井宿・千畳敷の旅行記は大変参考になりました。千畳敷カールのお花畑は憧れの地ですので、是非チャレンジしてみたいと思います。
    montsaintmichel

montsaintmichelさんのトラベラーページ

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